中々立ち上がれないシルクを引き起こした三人は、喧騒渦巻くターフから地下バ道へ引き揚げた。
走り終えたウマ娘やレース場の係員、出待ちの報道陣などで地下バ道も騒々しい雰囲気だった。それらを避けるように、四人は敢えて人目につかない通路の角へと落ち着いた。
「二位……二位か……負けたのか……くそ……」
覚束ない足取りで歩いてきたシルクは壁にもたれうずくまり、うわ言のように嗟嘆を漏らす。拳を握りしめ、悔しさを吐き出すように地面を何度も叩いた。
普段の毅然とした彼女からは想像もつかない憔悴した姿に、三人はどう接するのが正しいか分からない。生涯一度しか挑めないダービーで惜しくも優勝を逃した悔恨といえば納得できるが、平時のシルクのイメージからあまりにかけ離れた振舞いに思えた。
「でもさ、ダービーで二着よ。十分過ぎる結果じゃない。ハチさんやトレーナーさんも驚くわよ」
「それに凄い末脚だったぞ! 過去イチだったぞ、あれは!」
下手な慰めと思いながらもランとダッツが宥めた。
それに対してもシルクは顔を歪め、力なく首を左右に振る。
「駄目なんだよ……二着じゃ、駄目なんだ。一着じゃなきゃ……勝たなきゃ駄目だった。意味がなかったんだ……」
「ほう、よく分かっているじゃないか」
唐突に挿し込まれた低い声に、四人は驚嘆して振り向いた。
シルクは目を剥いて、口元を震わせた。
「お、オヤジ……」
黒霧だった。通路の奥から鷹揚な足取りで近付いて来た彼は、シルクの前で立ち止まると、値踏みするような目で見下ろす。
「レースは見させてもらった。日本ダービー、非常に素晴らしいものだった。そのハイレベルな出走者一七人の中にあって、二着とは大健闘といえる。よくやったな──」
柄にも無い言葉と笑顔を黒霧は覗かせる。
呆気に取られる四人。
「──とでも言うと思ったか」しかし直後、男は態度を豹変させ冷笑した。さっきのは悪趣味な演技だったのだ。
傲岸不遜な気勢のままに、糾弾するようにシルクに指を差すと、浴びせるような問責を始めた。
「お前は負けた、敗北したのだ。二着以下に何の意味も価値もない。一着でなくては、勝たねばならなかったのだ。私の教えを叩き込んできたお前なら百も承知だろう。勝者は正義となり全てを得るが、敗者はただの悪に成り下がるということを。そうだろう?」
冷然と投げられる矢のような言葉の数々に、シルクは何も反駁出来ない。ただただ目を見開き、歯軋りすることしか出来ずにいる。
「お前には失望した。今回のGⅠで、お前は賭けの要件を未達となった。よって、お前の『望み』を叶えるという話、今回は当然見送らせてもらう。母親には会わせられん」
駄目押しに言い放たれたその一言で、シルクの表情が絶望に染まった。苦しげに息を呑み、何かを訴えかけるような目が小刻みに揺れていた。
「ちょっと、父親だからって、いくらなんでも言い過ぎじゃないですか!」
「そ、そうだぞ! シルクを虐めるな!」
今まで見たこともない友の悲痛な姿を目にして、ランとダッツが身を乗り出そうとする。
だがそれをシルク自身がよせ、と制した。
「負けは負け……アタシは一着になれなかった……それ以上でも、以下でもねえ。アンタとの『賭け』……今回はアタシの負けだ……」
これ以上ないという悔恨を滲ませた表情で、シルクは敗北を認めこうべを垂れた。いつもの毅然とした振舞いは見る影も無く、彼女の尊厳が引き裂かれる音が聞こえてくるようだった。
異様な光景と沈痛な雰囲気に、もはや口を挟む者はいない。
黒霧はしばらくシルクを俯瞰していたが、愉悦を滲ませた息を一つ吐くと通路の先へと歩き出した。
「せいぜいこの敗北を糧にでもするのだな。敗者にこれ以上構っている暇はない。お前が足踏みしている間に、私は先へ進むとしよう」
最後にそう言い置くと、黒霧は靴音を響かせ去った。何故か向かった先がバ場への入場口なのが気になった。
「クソォォ──ッ」
怒気を孕んだ絶叫とともに、シルクはもう一度地面を殴りつけた。
最初にいた控え室へと四人は戻った。上位着順を占めたアルルバの四人目当ての取材陣がうろついていたが、とても応じられる状態ではない。
その控え室に入ると、八谷と島原が待ち受けていた。
「おお、アンタら。お疲れさん。四人ともよく頑張ったねえ」八谷は喜色を浮かべ、四人纏めて豪快に抱きしめる。
「ハチさん、ここって関係者以外は立入禁止じゃ……」
ランの疑問に、八谷は渋面で傍らの島原を睨む。
「この馬鹿トレーナーにゃ任せておけんからね。アタシも様子を見に来たわけさ。なあに、今は取材連中でごった返してるから、大目に見てもらえたよ」
しばしの間、八谷が中心となって四人を労う懇話がなされた。帰ったら店で打ち上げだね、とご満悦だったが、すぐに空気がおかしい事に彼女も気付いた。
最も高成績を残した筈のシルクが、異様に沈んだ表情をしているのだ。
「シルク、あんたも凄かったじゃないか。あんなバケモンみたいな末脚初めて見たよ。あれなら──」
「もういいんだ」八谷の慰めを撥ねつけるようにシルクが言い被せる。その言葉にも、いつもの覇気がまるでない。
どうしたものかと、部屋に憂苦の空気が流れ始めたその時だった。
「うわっ、なんだ。テレビが勝手に!」
最初に異変に気付いたのはダッツだった。控え室に備え付けられた中継モニターの電源が唐突に入ったのだ。
普段は開催中のレースの模様やパドックでのお披露目が映し出される画面は、耳障りな雑音と共に砂嵐が舞っている。
「どうなってるの、故障?」ランがモニターを物色しようとする。
始まったか、と島原が密かに呟いた直後、砂嵐だった画面上に一人の男が映像として出力された。
部屋にいた誰もが息を呑む。画面上に現れたのは、今しがた対面した黒霧だった。
中山レース場のターフを背景に、正面を向き鷹揚な面持ちの彼の姿は明滅を繰り返しており、どうやら画面の向こう側では多くのカメラによるフラッシュが焚かれているらしい。その様子はまさしく記者会見のそれだ。
何が始まるのか。
不穏な予感の中、画面上の男はおもむろに口を開いた。
『競走界関係者各位、ならびに全ての競走ウマ娘に告げる。私はURA常務理事の黒霧。これより競走界の未来に関わる重大な発表を行いたい。本日この場に於いて私は、永世大不況以来、資金難・債務増等の多重苦に陥ったURAの経営危機脱却を図るべく、かねてより構想のあった「勝ちウマ投票券」制度導入に依る改革宣言を発出する。誤解を恐れずに敢えて言おう、これはトゥインクルシリーズの「賭博化」である』