正義の名のもとに   作:李座空

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峠の交錯(3)

 大垂水峠の山頂は、読んで字の如く上り坂が終わり下り坂の始まる地点である。東京都と神奈川県の境界でもあるそこには、リレーレース第二中継地点が設けられている。

 ここから発走する第三走者は相模原側の麓までの下り坂、いわゆるダウンヒルへ突入することとなる。八王子側以上にカーブも傾斜もきつくなるコースを速度の乗りやすい下りで駆けることもあり、体力も技術もより高度なものが求められる。

 ギャラリー達からしてみればそれは峠のレース最大の見どころであり、山頂~相模原側の麓までの沿道は八王子側以上の見物人がひしめいていた。

 山頂付近にある飲食店前広場。

 第二中継地点で走者交代が行われるそこにも大勢の人集りができている。峠の華であるダウンヒルに挑む走者達が待ち控える場とあって、賑やかしのギャラリーも相当数だ。

 やはりそこでも衆目を集めるのは「フォーリナ」のウマ娘達である。ダウンヒルに挑むだけあり、チーム内でも名実一体の有力な面子を揃えているらしい。

「たった今、二区の記録メンバーから連絡が入った。『レースは順調に推移、今夜も我々フォーリナがトップを独占せり』だそうヨ」

 フォーリナの面子の一人が、トランシーバー片手に高らかに告げる。コース沿いに配置した幾人もの連絡係から、レースの進捗状況を逐一吸い上げているらしい。

 贔屓チーム優勢の報を聞きギャラリー達の唸りが一段と増した。まだレースの最中だというのに大層な盛り上がりである。

「ヘッ、ノリ過ぎネ、ユーたち」

「まだホットナイトは始まっちゃいないワ」

「なにせダウンヒラーのワタシ達が、これから走るのだからネェ」

「最高にハイなレースを焼き付けてヤル!」

 その熱気の渦をより巻き上げるように、フォーリナの面々はさらなるパフォーマンスを開始した。

 いつの間に据え付けたのか、広場の四方に設置されていた巨大スピーカーがキャッチーなメロディーを轟かせる。フォーリナの面々は各々コードレスマイクを手にして小躍りしだす。万歳三唱のギャラリー達を前にダンスフォーメーションを組んだ一同は、前奏を終えた曲に合わせ歌唱を開始した。

 曲名「うまぴょい伝説」。トゥインクルシリーズにて勝利ウマ娘が歌う定番曲である。

「ユーの愛バが、ズキュンドキュン、ランナウェだし~♪」

「バキュンブキュン、ファラウェてくよ~♪」

「こんな、レースは~、ファ~ストタ~イム♪」

 いかにもちぐはぐな音程と無理やり外語変換を捻じ込んだ歌詞から醸し出される、そこはかとないシュールな空気も相俟って、周囲一帯は瞬く間に異様なハイテンションに包まれた。ギャラリーの中にはサイリウムを振り出す者や、口笛を吹く者、連れ立って手拍子を叩く者も。

「ズキュンドキュン、チェストが鳴り~♪」

「バキュンブキュン、アイラ~ヴユ~♪」

「トゥディも、奏でる~♪」

 未だ第三区の発走前だというのに、まさしくそれは「ウイニングライブ」が始まったかのような騒ぎだ。先述通り本来それはトゥインクルシリーズのレース勝者が執り行うものであるが、フォーリナの面々は我が物顔で意気揚々とライブを遂行した。まるで今夜の自分たちの勝利を確信しているかのように。

 フォーリナ以外の出走ウマ娘達もこれには顔を顰める。まだレース中であるにも関わらず、目の前でウイニングライブまがいのことをされてはたまらない。

「くっ、フォーリナの奴ら見せつけてくれるわ」

「マル外だか何だか知らないけど、日本のウマ娘も舐められたものね」

「ちぇ、もう勝った気でいるよ」

 とはいっても、声高にライブ中止を主張する者は現れない。その場に既に出来上がりつつあるフォーリナ主導の空気に水を差すのは勇気が要るし、この峠をホームグラウンドとするフォーリナの絶対優位は揺るがぬ事実であり、自分達はあくまで挑戦側に徹しなければならない引け目もある。

 誰もが指を咥えて、彼女らの慇懃無礼を見ているしかないと思われた。

「はぴはぴダーリン、3、2、1、go fight」

「うぴうぴハニー、3、2、1、umm――」

 だが、曲が最後に差し掛かり最も盛り上がる場面でそれは起きた。

 爆音でインストを垂れ流していたスピーカーが、ぶつり、と音を立てて停止した。それも広場の四方に配置された全てが同時にだ。今まさに大盛り上がりとなる筈だった場の空気は見事に霧散し、ギャラリー達はみな呆気に取られ肩透かしを食らう。

 最後の歌い切りの場面に合わせ集合フォーメーションをとっていたフォーリナも困惑と落胆、そして憤懣も露わに歌唱を中止した。

「シット!イイトコロだったのにサ!」

「機械の故障カ?」

「セッティングしたの誰ヨ!こんなノ、アンビリバボー!」

 取り乱し繰り言を漏らす面々だったが、そのうちの一人がふと何かに気付き、大声を上げる。

「チョ、オイ、オマエ。そこで何してル!」

 大柄で気が短そうなそのフォーリナが慌てて指差した先には、彼女らが持ち込んだと思しき業務用のミキサー(音楽再生端末)が地上数メートルの高さに組まれた足場に設置されている。部外者が誤操作しないよう敢えて高所に備え付けられていたそれに、何者かが取り付いているではないか。

 その人物はフォーリナの声を背に受け、悠然と振り返った。

 ざんばらに伸び、首の後ろで一本結びにされた栗毛。絞られて尖った大きな二房の耳。鋭い切れ長の目。余程酷使しているのか、所々に破けが目立つトレセン学園制式ジャージ。

 一言で言い表すと抜き身の刀、とでも表現できそうな雰囲気を纏うウマ娘がそこにいた。その手には、スピーカーに繋がっていたであろう接続ケーブルが握られている。

「オマエがやったのカ~ッ」

 即座に状況を呑み込んだのか、発見したフォーリナは単身で詰め寄った。ケーブルを手にしているということは、それが引っこ抜かれスピーカーからの演奏が止まった。つまりこの栗毛が、ライブに水を差した張本人。

 足場に上がる梯子を一足飛びし、短気フォーリナはひっ捕まえようと両手を掲げて身構える。流石はマル外、体格はそこそこ大きめな栗毛よりもさらに一回り、否、二回りは大きい。

「答えナッ。オマエがやったんだナ!」

 最終確認にと、あらためて問う。

 対する栗毛は、さも鬱陶しげな表情でねめつける。

「だったらなんだ。レース前で集中したいのにバカ騒ぎしやがって、うるせえんだよ。それにああいうライブは勝ってからやるものだろ、違うか?」

 その物言いはフォーリナ以外の出走者の総意を代弁したものだった。筋自体は通っているので、誰も咄嗟に言い返せず一瞬広場は静まり返る。

「グヌヌ~ッ、いわせておけバ!」

 沈黙を破ったのは眼前で対峙する短気フォーリナだ。掲げた両手を突き出し、一気に肉薄してくる。捕らえようという魂胆だ。

 栗毛は取るに足らない様子でひらりと身を躱すと、足場から地面へ舞い降りる。狙いを外された短気フォーリナはというとミキサーに体を突っ込ませ、派手な音響とともに足場の上で派手にひっくり返った。

「ワッツザット!?」「ヘイユーッ!」

「何なのよアイツ!」「このヤロッ!」

 傍から見守っていたフォーリナ勢が騒めく。自分達が支配していた筈の場に突如現れた異分子へ反感を露わにする。

 それに押されるようにして、ミキサーに突っ込んだフォーリナが立ち上がり再び栗毛を睨み据えた。流石に丈夫だ、傷一つない。

「調子に乗るなヨ~ッ」

 荒荒しく足場を飛び降り、栗毛の目と鼻の先に陣取る。間髪置かず羽交い絞めにしようとクロスアーム。

 スカ。いつの間に避けたのか、栗毛は背後を取っている。

 図体がデカいぶんウスノロだな。ニヤリとほくそ笑む栗毛に無言でそう告げられたように思え、短気フォーリナは額に青筋を立て攻勢を強める。

「クソ~ッ、ちょこまかト!」完全に頭に血が上っていた。こうも袖にされれば当然だろうが、海外仕込みの喧嘩腰で手足を存分にぶん廻して遮二無二に攻め立てる。恵まれた体格から繰り出される攻撃は、もろに喰らえばひとたまりもないだろう。

 しかしそれさえも、栗毛は涼しい顔でいなす。軽やかなフットワークで小刻みに躱し、相手を錐揉みさせるよう巧みに立ち回った。スピードで完全に翻弄している。

「オオッ、ウ、ウワッ!?」

 大柄な短気フォーリナはそれに追従しきれず、やがて足を縺れさせ広場の只中でひとりでに尻餅をついた。筋力はあるのだろうが、小回りが利いていない。恵まれた体躯が裏目に出た自爆だ。

 這いつくばった短気フォーリナを見下ろし、栗毛は煽るように小さく鼻を鳴らす。

「おやおやどうした一人でズッコケちまって、路面でも凍ってたかい?」

 その言葉に、フォーリナの誰もが瞬間的に顔を引き攣らせた。不味いものでも見たような表情で身内どうし目線を彷徨わせる。

「オイ、今アイツ……」「馬鹿ナ、分かるもんカ」

「そうサ。ミー達の戦術がバレるワケ……」

 フォーリナたちはそんな旨の科白を内輪で囁く。自分らの「常套手段」を端的に口述されたことを受け、明らかな動揺が見て取れる。

「まごつくんじゃないさ」

 その動揺を掻き消す声が響いた。他のフォーリナ達のさざめきとは一線を画すドスの効いた鶴の一声は、寄り集まった彼女らの輪の中心から聞こえる。

 声を聞き即座に黙ったフォーリナ達の輪の中から、鷹揚とした振舞いの女が一人、歩み出てきた。背丈は栗毛と同等だが、独特のオーラを纏う安易に近寄り難い雰囲気を醸す銅色毛のウマ娘だ。他のフォーリナ達とは明らかに頭一つ抜けた存在感を放っている。

「てめえが親玉か」栗毛は直観のままに問う。

 それは当たりらしい。「いかにも」銅色毛は表情を変えず、「オマエ、名は」と問い返す。

「シルク……ジャスティス」

「ほう」

 名を聞いた銅色毛はぴくりと顎を上げた。

「聞いたことがある。知る人ぞ知る学園きっての問題児……そうか、オマエが」

 感心したふうに銅色毛が云う。それに触発されたように、周囲のフォーリナやギャラリー達がざわつく。

 意に介さぬといった風体で、栗毛――シルクジャスティスは仁王立ちのままその場で身構えていた。

 俄かな喧騒の中、静かな睨み合いが続く。

「挨拶が遅れたな。ミーの名は――」

「ブリッツハーケンさん、だろ」

「……知っておいでか」

「チーム・フォーリナを仕切るウマ娘、“銅毛のブリッツ”。トゥインクルシリーズに出場する傍ら、自分と同じマル外連中を率いる野良レーサー。その派手なパフォーマンスも相俟って、若者中心に一定数の人気を獲得。本拠地であるここ大垂水峠じゃ余所者相手に負け知らず。あんたがこの峠のいわばヌシってところか」

「フン、問題児のわりに下調べは入念だな」

「当然。その名も知らずここへ来る奴はいねえ。皆、お前をぶち抜くためにこの峠へ来るんだからな」

「大した威勢だ。お前のようなイキのいいチャレンジャーをミー達は歓迎しよう」

 牽制球の如き言葉が両者間に飛び交う。そこへ割って入る者は誰もいない。剣呑な空気が満ち満ちている。

「で、問題児さん、これは一体何の真似かな」

 銅色毛――ブリッツハーケンは、慎重な面持ちで言葉を投げ返す。云いながら、失態を演じた短気フォーリナや崩れた足場やミキサーへ目線を馳せた。自分達をコケにしてくれた事由を辿り詰問するように。

 分かっていよう、と言いたげにシルクは微笑し、そして言い放つ。

「お前らフォーリナを潰しにきた」

 突拍子もない宣戦布告の一言で、フォーリナ一同は一気に色めき立った。

「ホワッツ!?」「ミー達に喧嘩を売ろうってノ!?」

「何の真似ヨ!?」「生意気なニポンバめガ!」

 よせ、と再びブリッツは身内を制する。「潰すとは、どういう意味だ」

「自分の胸に聞いてみるんだな」

 シルクはそこまで云って、踵を返した。

 一触即発の緊張はそこで解かれたが、フォーリナ達の溜飲と動揺は当然収まらない。自分たちの峠でのラフプレーに初めて諫言してきた相手に、物怖じしているのが見て取れる。

「ど……どうするボス?」

「アイツ、ミー達の手口に勘付いてるんじゃア……」

 慄然とした手下達にブリッツは、「うじうじするな、しゃらくせえッ」三たびがなり立てた。曲者揃いのフォーリナ達を束ねるだけあって効果はあるらしい。背筋をぴんと伸ばした子分達に向き直ると、

「作戦を変更する。今夜は奴を一本狙いだ。こうなった以上、ただでは帰さない」

 あくまで冷静を装い、そう下令する。

 聞くや否や、押し迫った表情のフォーリナ達は水を得た魚の様に賛同の意を露わにした。

 これでいい、これしかない。自分達には今はこの方法しかない――。

 ブリッツは急き込む子分達を前に、心の隅が暗く覆われるのを自覚していた。

 

 数分後、ギャラリー達がざわついてくる。八王子側の上り坂に目を向けていた者達が、二区走者の接近を感知したのだ。

「来たっ、足音が上って来る」

「二区の連中だ、もうすぐそこだぞ!」

 間も無く第二中継地点前の最終コーナーから、走者集団が姿を現した。

 峠の境界標を跨げば、そこが中継点だ。タスキを繋ぐ最終走者たちが広場前の直線で横一列に居並び待ち構えている。

 先頭を陣取っていたのは、やはりフォーリナの集団だった。けばけばしい面子が、続々とタスキを手渡す。

「ボス、頼ム!」

「今夜も絶好調だったゼ、ヒーハー!」

「いつも通り、二区もトップ独占ネーッ!」

 フォーリナの面々は続々とリレーを授受し、いち早くスタートを切っていく。

「ラン、ここだ!」

「シルク、アイツらの策、アンタの言ってた通りだった。気を付けて!」

「分かってる、任しとけッ」

 シルクも二区走者であるランナイジェルから総てを譲り請け、三区コースへ駆け出した。

 ラフプレーで周囲の走者を貶めているというフォーリナ。その確定的な情報を仲間のランから受け取ったシルク。

 彼女らの思惑は入り乱れ、苛烈なダウンヒルコースに嵐を巻き起こそうとしていた。

 

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