「もう何年も前、チビだったころの話だ。
アタシはオヤジと母さんとの三人家族だった。
それなりに裕福な家庭だったと思う。オヤジは昔から幾つもの会社を経営していて、金だけは潤沢だった。家は地方の山の中腹に建てられた洋館で、住み込みの使用人もいるような、地元じゃちょっとは名の知れた屋敷だった。
そこで何不自由なく金持ちの令嬢として育てられ──とはいかなかったんだな、これが。
オヤジは幼少期からアタシを徹底的にスパルタ教育した。学校で習う基本的な学問は勿論、ピアノや楽器、ダンス、語学、武道、プログラミング、知能訓練、それ以外にもあらゆる専門知識を──言い出したらキリがねえが──四六時中叩き込まれた。
今思えば虐待同然の扱いだった。さっきのオヤジとのやり取りを見てたラン達なら想像つくだろう。今も昔もヤツは徹底した成果主義者だった。『勝者が正義、負ければ悪』そんな事を耳に蛸が出来るほど言われ続けた。経営者として成り上がった自己像を、アタシにも植え付けようとしたんだろうよ。まさに毒親さながらだ。
はっきり言って地獄の日々だった。来る日も来る日も学業や習い事に明け暮れ、点数が落ちたり成果が出なけりゃ罵詈雑言を浴びせられ、時には暴力も振るわれた。ヤツの機嫌を窺いながら、常に怯えながら屋敷で過ごしていた。叱られたくないっていう恐怖に囚われながら、否応なく勉学に時間を費やしていたよ。
でもそんなアタシを、母さんだけはいつも庇ってくれた。テストの点が悪かった時も、コンクールで失敗した時も、怒り狂うオヤジの猛威から守るように寄り添ってくれた。それが無けりゃとっくに潰れちまっていただろう。母さんは辛い日々を耐え抜く心の支えになってくれていたんだ。
だけどそんな日々は、思わぬ形でより悪い方向へと転がり始めた。永世大不況の煽りで、オヤジの経営していた会社が傾きだしたんだ。
途方も無い額の損失が出て、多くの人間がヤツの下を去っていったようだった。日に日に表情はやつれ、服装は乱れ、屋敷に帰ってこない日が増えていった。かつての威勢の良さはどこへやら、オヤジの凋落ぶりは目に見えて明らかだった。
アタシの身の回りも徐々に退廃していった。嫌というほど掛け持ちしていた習い事はめっきり無くなり、ただ屋敷の自室で待機するだけの時間が増えた。授業料さえも払えなくなったんだろう。
それなら天下晴れて自由の身だ、ってわけにもいかなかった。
今度は母さんにも異変が起こった。経営を立て直すため奔走していたオヤジを助けようと働きかけていた母さんだが、オヤジとは考え方がまるで合わなかったんだろう。言い争って、喧嘩をする機会が増えていった。アタシと話している時とは人が変わったように喚く姿は、見ていて胸が痛んだ。オヤジとやり合った後、アタシに泣きついてきた時は……子供心にも堪えたよ。同時に、母さんを苦しめるオヤジを憎悪するようになっていった。
そして遂に取り返しのつかないことが起きた。
ある日学校から帰ると、家の中が滅茶苦茶になっていた。オヤジと母さんが、掴み合って喧嘩をしていた。それまでにないほど互いに激昂していた。だが劣勢なのは母さんの方だ。当然だ、男と女じゃ結果は見えている。
その時のオヤジは完全に頭に血が上っていた。金策のため立ち回った疲労が極限に達していた時期だった。異様に血走った目を剥き、母さんにのしかかり、さらに追撃を食らわそうとしている。
アタシは衝動的にオヤジを突き飛ばしていた。ウマ娘として出し得るパワーで、全力でだ。それでもなお抵抗しようとしたヤツに、これまで積もりに積もった憎しみを込め、アタシは拳を振り上げた──。
………………、
…………。
その後、家を追い出され、施設に預けられた。
オヤジは数か月の加療を要する負傷だったようだ。アタシの放逐を決定したのは、他ならぬヤツだったらしい。
母さんとも離れ離れになってしまった。
両親とはそれっきりだった。施設にいる間、アタシに面会に訪れることは一度たりとも無かった。
屋敷での一件後、鬱然とした感情が頭の中で絶えず渦巻いていた。強い罪悪感が幾度となく押し寄せ、押し潰されそうになるたび、オヤジの所為だ、母さんを助けるためだったと自己正当化した。それも寝て目が覚めれば新たな後悔に塗り変えられ、繰り返し懊悩した。
そんな堂々巡りを続けていて、前に進める筈もねえ。アタシは放心し、無気力な日々を施設で送った。出口のないトンネルを彷徨っている気分だった。
施設内のテレビで、オヤジの姿を見たのはしばらく経ってからだ。
ドキュメンタリー番組だった。大不況を乗り越えた注目企業と題した特集には、『クロム・グループ』って会社とその代表が紹介されていた。高そうなスーツを着込み、高飛車な物言いでインタビューを受ける、見覚えのある男。加えてテレビ画面横に『
アタシはテレビに釘付けになった。画面に映る男の姿と名、そして企業名は、オヤジのそれに間違いなかった。
……その番組によれば、オヤジの会社は持ち直し、V字回復で不況前より急成長を遂げたらしい。その経営手腕を囃され、番組に出演していたらしかった。
オヤジは立て直したのか──。
昔のような気風も戻ってやがる──。
なのに、いまのアタシは──。
映像を見ながら、胸の底で燻ぶっていた黒い感情が再燃するのをアタシは実感した。
ヤツは、抑圧した教育によりアタシを散々苦しめた。アタシを守ってくれていた母さんも苦しめ、挙句の果てには手を上げた。独り善がりな成果主義の押し付けで家庭を無茶苦茶にしたんだ。そんな奴が「憎まれっ子世に憚る」を体現するように、のうのうと地上波で語っていやがる。それが無性に腹立たしかった。
そして母さんのことも気掛かりだった。施設に入れられてから一度も会いに来ない──そこに何かしら、オヤジによる作為があったと思えてならなかったからだ。ヤツに今なお抑圧され、虐げられ、いずこかで自由を奪われた日々を強いられているんじゃないか。そう思うと居ても立っても居られなくなった。
アタシは施設を出た。
オヤジがいる屋敷に戻る気はなかった。自分の顔に泥を塗った娘が戻ったところで門前払いされるのは目に見えていたし、そもそもアタシの矜持が許さなかった。
だから流れ者になり、各地を放浪した。いつかオヤジに復讐する、一泡吹かせてやる。そんな思いを胸に抱いて。アタシが不良って呼ばれるようになっていったのはこの時期だ。
やや経ってから、また新たなニュースが舞い込んできた。オヤジがURAの常務理事に就任するって話題だった。大不況以来、慢性的な経営不振のURAにテコ入れを図るための役員人事とのことだった。
直感的に、オヤジに少しでも接近するチャンスだと思った。ウマ娘に生まれた身として、レースの世界でオヤジに復讐を果たす。悪くない話だと思った。流浪を切り上げ、すぐにアタシは入学試験を受けるべくトレセン学園へ向かった。
試験は何てことは無かった。皮肉にもオヤジに施された数々の『教育』のおかげで、合格点を取るのにわけは無かった。
そうして学園に入学して、後のことは知っての通りだ。
…………、
………………。
アタシは、オヤジを見返すために競走界に入った。そういうことになる。
いや、それもあるがもう一つ。
母さんにまた会いてえんだ。
幼かったアタシを守ってくれ、オヤジに今なお虐げられ、どこかで身動きが取れずにいる母さんを解放してやりたい。
レース前にオヤジとしていた賭けってのは、そういう意味だ。
今回のダービー、アタシは負けた。二着だった。
だけどまだチャンスはある。
夏が明けたらクラシック最後の菊花賞もある。その後もジャパンカップ、有馬記念だって……。
GⅠを勝てば望みを聞き入れる。オヤジはそう言った。
だから何としてもアタシはGⅠを勝ちてえ。
勝って、母さんを取り戻す。絶対にだ。
その次には、賭博化計画を撤回させる。神聖なレースの世界を、オヤジに踏み躙られてたまるか。
最後には、アタシの前で土下座でもさせてやる。ヤツのせいでアタシも母さんも、散々苦しめられたんだ。そのツケを全て払わせてやる。
そのためなら幾つでもGⅠを獲ってやる。
それが今の……このアタシの、走る為の原動力だ」