エリモには不可思議な『特技』があった。それは、手で直接触れた相手の意思を読み取れるという驚くべきものだった。
人・動物を問わず、肌で触れた相手の心情や思考が、声にならない声として脳内に伝わってくるのだ。幼少期のエリモは生まれ育った牧場にいた動物達や両親との触れ合いに、この力を活用していた。ウマ娘の中には様々な特異能力を有する者がいるというが、これが先天的に生まれ持ったものなのか、牧場で動物達に囲まれる中で発現したものなのかは定かでない。
だが後にエリモはこの能力に苦しむこととなる。不況の煽りで故郷を追われ一家が離散し、ひとり厳しい世間を渡り歩く中、この力のせいで少女はあらゆる人間の生々しい感情に触れてきた。表面上は取り繕った大人たちの醜い心の本音──閉ざされた自然の中で育ち純朴だった少女にとってそれらは刺激が強く猛烈な心理的負荷をもたらし、一時は人間不信になりかけた。
以後、彼女はこの力を封印すべく他者と距離を取り控えめな性格を形成した。相手の心の核に触れることは想像以上に精神を擦り減らすものであり、また彼女自身、無断で相手の心を覗き見るのは道義に悖るとして自重した。近年この力を使う機会は殆ど無く、峠のレースでシルクとの再会時に使用したくらいだ。
しかし今。シルクを取り巻く謎を握っているであろう島原を前にした今、エリモは覚悟を決め、退散しようとするトレーナーの腕を掴んだ。後ろめたさは当然あったが、自身の目で、島原が秘匿しようとする真相を見極めるために。
その瞬間、脳が攪拌し弾け飛んでしまいそうなほど膨大な情報が流れ込んできた。久方ぶりに味わう、相手の心を読み取り吸い出す、忌避を覚える感覚。気が遠くなるような衝撃を体感しながら、エリモは島原の深層心理に潜っていく。だが。
(なに、これ──!?)
その心中を垣間見て、エリモは震撼した。
砕けたガラス片のような無数の幻影が、エリモの頭の中をよぎっていく。断片的だが、それらは島原という人間の心象を形作る構成物の数々だ。これを読み解くことで彼が秘匿する情報を得られる筈だった。
ところが、その幻影全てに灰色の靄がかかっていて十分に読み取れない。こんなことは初めてだった。代わりに伝わってくるのは、悲哀、諦観、虚無、絶望といったあらゆる消極的な情動の数々。
これが一体何を意味するのか。島原が意思を読み取られることを撥ねつけているのか。安易な踏査を許さぬほど深い闇を、心に抱えているというのか──。
「おーい、大丈夫かー?」
不意な呼び掛けに、エリモの意識は一瞬で現実に引き戻された。
続いて猛烈な吐き気と眩暈が襲う。『力』を使った後に、決まって起こる反動のようなものだ。しかし今回のそれは尋常ではなかった。心の瘴気にあてられた彼女は、思わず体を曲げて屈み込む。
その間に掴まれた腕をやんわりと払った島原が、八谷とともに怪訝な表情で見下ろしている。
「顔色悪いよ、どしたの。急に腕なんか掴まれたらびっくりするじゃないの。ほら、早く行かんとライブ終わっちゃうぞ」
事もなげに、いつもの昼行灯な表情で島原は促す。ついさっき垣間見た深淵の如き心象との落差に、エリモは口をぱくつかせ唖然とする他無い。
そんなエリモを見透かしたかのように、島原はポケットから取り出した煙草を咥えると、口角を上げて告げる。
「そう焦りなさんな。黒霧のことも、シルクのことも、いずれ分かる時が来る。いずれな……」