ずらりと整列した配膳台に様々な料理が並ぶ。主食、主菜、副菜、デザート、和洋問わずよりどりみどりだ。経費削減で種類が減ったという話だが、食べ盛りのよく運動する競走ウマ娘にとって、これを不足と感じる者はいないだろう。
バイキング形式で好き好きに盛り付けた料理を盆に載せ、シルク達は予め抑えておいた席に座った。夕食開始時刻になり、合宿所の大食堂は、同じく夕餉を求めてやってきたウマ娘達でごった返している。
「ああ、やっと食べられるぞ。いただきます!」
最も腹を空かせていたダッツが音頭を取り、それに倣い他の三人と浜野も両手を合わせた。待望の夕食だ。
好物を気の向くままに掻き集めた大皿に、ダッツが早速食って掛かった。様々な料理が、次々と胃袋に消えていく。他の三人もそれなりに料理を取ったが、ダッツの盛り付けに比べれば大人しい。
「ウマい! やっぱり空腹は最高のスパイスだぞ!」
「ダッツ、食べながら喋らないでよ」ダッツの対面に座るランが手を翳した。ちょくちょく唾が飛来してくるのだ。
「そんなに勢いよく食うと喉に詰まるぞ」
鶏のステーキを切りながらシルクも窘めたが、直後にダッツの箸がぴたりと止まった。一同が怪訝に思い振り向くと、顔を真っ青にして脂汗をかいている。
「むぐぐぐぐうう」
「ダッツさん、大丈夫……?」
苦しげに悶絶するダッツを、エリモが介抱した。背中の肩甲骨の間をトントンと叩いてやると、幸いにもすぐ喉詰まりが解消したのか、げほげほと咳をつく。
「た、助かったあ……恩に着るぞ、エリモ」
涙目になりながらダッツは謝意を述べた。そこそこピンチだったらしい。
「言わんこっちゃねえ」
「危うく窒息しちゃうところよ」
「ゴメンゴメン。エリモは命の恩人だぞ。このお礼はまた今度するぞ!」
「お礼はいいので、お金返してくださいね、貸してたぶん……」
思わぬキレのあるエリモの返答に、一同は吹き出した。
「あはは。いい返しよ」
「うう、最近エリモが辛辣だぞ! 前借りしたオイラも悪いけど……」
「こりゃ、次のバイト代はハチさんから差し押さえだな」
シルクもからからと笑っていた。チームの同胞と共に年相応にじゃれる姿は、心和らぐものがあった。
六月の日本ダービー以降、シルクの気性は落ち着いていた。黒霧と再会してからダービーまで常に殺伐とし、どこか切迫した雰囲気だったのが、今ではすっかり従来のクールな不良節に戻っている。それがダービー後に波瀾の過去を打ち明けてすっきりしたからなのか、秋の菊花賞まで一時的にクラシック戦線の緊張から解放されているからなのかは分からない。だが今こうしてチームメイトと共にいる時のシルクは、いたって普通の調子だった。
とはいえ、常にそうというわけでもない。
ふいに食堂の壁に架けられたテレビから、夕方の報道番組が流れてくる。
『……次のニュースです。URA賭博化を巡って、本日行われた参院予算委員会の集中審議にURA常務理事の黒霧氏が参考人として出席し、賭博化に関する討議に参加しました。この審議では反対派が多数を占める野党連合の議員が徹底抗戦の構えを見せ、紛糾する事態となり……』
議事室を背景に一人の男が画面に大きく映し出される。シルクの父、黒霧正義。URAの経営改革のために、ウマ娘のレース賭博化を表明した男だ。
ニュースを見るや否や、それまで笑っていたシルクの表情が一変して張り詰めた。箸を止め、画面を睨みつけるように凝視している。
黒霧は賭博化発表以降、メディアへの露出が格段に増えた。「クロム・グループ」という企業を経営する傍らでURA常務理事を兼任し、賭博化を推し進める急先鋒に立ったからだ。
シルクは彼とダービー以降直接対面していないが、テレビなどでその姿を目にするたび、思い出したかのように敵愾心を露わにしていた。過去の因縁から、シルクはGⅠ勝利による父への復讐を誓っている。春のクラシック戦線では叶わなかったその目標を、秋以降のレースで遂げる意志を胸の奥で燃やしているのだろう。
食卓の雰囲気ががらっと変わってしまい、ランとダッツは顔を見合わせた。エリモも心配そうにシルクを上目遣いで見ている。
ふと見渡すと、食堂全体が同じような神妙な雰囲気に変わっていた。他の卓に座るウマ娘達もみな、ニュース放映を不安げに眺めている。
自分達に直接影響するがゆえ、賭博化に纏わるニュースは競走界に関わる全てのウマ娘に衝撃を与えていた。賭博化により収入が増えれば、そこから還元する形で競技者の待遇改善に繋がるという補足説明はこの数か月間に幾度もURAからなされた。具体的にはトレセン学園の学費減額、入寮無償化による昨今の学園近傍での賃貸借労働問題の一掃、トレーナー雇用増による出走機会均等化、その他あらゆる設備・環境の全面補強など、往々にして数多くのメリットがあるという。
しかし大多数のウマ娘が賭博制度導入には懐疑的だった。その最大の理由はシルクが当初危惧した通り、「未成年の女性である自分達が賭博の対象として扱われる」ことへの嫌厭があった。併発が懸念される金銭トラブル等の秩序低下も、大きな不安材料だった。世の中の論調もこれとほぼ同様で、「無垢なウマ娘達のレースを乱すべきでない」、「公営賭博とはいえ学生を巻き込むのは如何なものか」といった理性的な拒否反応が多い。
総じて、現時点では世論の大半が賭博化に反対という雰囲気だった。そこには国民的スポーツエンターテイメントとして確立してきたトゥインクルシリーズに、ギャンブルを持ち込むべきでないという規範意識がある。現に、いま目の前に映るニュース画面でも、黒霧に向けて厳しい意見や反論が傍聴人から飛び出していた。「混乱収拾のため賭博化は撤回せよ」、「ウマ娘の立場を考えない改革だ」、など世論を代弁した言葉が浴びせられている。
だが矢のように降り注ぐ批判を前にしても、映像上の黒霧は不遜な表情を崩さず、ニヤリと曲げた口で冷静に質疑応答をこなしていた。社会全体から賭博化反対の逆風を受けているというのに、そんなもの意に介さぬと言いたげに。その自信はどこからくるのかと見る者に思わせる。
それがまた、シルクに一層の不快感を与えた。
「チッ。せっかくの飯が不味くなる」テレビから視線を戻したシルクは料理を乱暴にかっ込む。明らかに機嫌が悪くなっていた。
ラン達三人はなんと応じてよいのか分からなかった。父に関する話題を継いでいったところで、シルクの気を悪くするだけだからだ。
「でも、あれだけ反対意見が出てるんだし、そう簡単に導入はできないんじゃないの」
恐る恐る、ランが口を挟んだ。答えねばテーブルが沈黙してしまいそうだった。
「そうだぞ。今度、学園で署名運動もやるとか言ってたし。みんなで反対だーって声を出せば、たぶん分かってもらえるぞ!」
ダッツも話を合わせた。
エリモは困った表情で曖昧に頷いている。
「だといいがな」楽観的と捉えたのか、シルクは首を振った。「なにせあのクソオヤジが主導しているんだ。ヤツにとっては一儲けする絶好の機会だ、その気になりゃ何をしでかすか知れねえ」
黒霧の悪辣ぶりは、既にアルルバ一同は見聞きして知っている。それだけに、世間から批判にさらされてもなお余裕を見せる黒霧の振る舞いは、何かまだ手の内を隠しているように思えてならない。
「ったく、これから大事な合宿だってのに、どうしてヤツのツラを見てモヤモヤしなきゃならねえんだ。気に入らねえぜ」
シルクはコップを煽り、短く息を吐くと机上に打ち鳴らした。すっかり黒霧に対する罵倒スイッチが入ったらしい。
「そもそもURAのお偉方は何やってんだ。あんなヤツに好き放題させたら、競走界が滅茶苦茶にされちまうって分からねえのかよ」
そこまで言ってシルクはふいに言葉を止めた。次いで少しばつが悪そうに横を見遣る。
今までテーブルの隅で静観していた浜野が、苦笑しながら頭に手をやった。URAの監事を務める彼は、シルクのいう「お偉方」の一員にも含まれることになる。
「いや、べつに浜野さんを責めるわけじゃねえけどさ」
「わかっているよ。しかし、URAも黒霧氏の意向に振り回されていて、我々がそれを制御出来ていないのは事実だ」
浜野は湯気の立つ湯呑みに目線を落とした。君達にこんなことを言うのもなんだが、と彼は続ける。
「黒霧氏は昨年常務理事に就任した際、URAに多額の協賛金を寄付していてね。それ以降も、寄付という名目でURAにたびたび資金提供を行ってきた。全て彼が代表を務めるクロム・グループという企業から出たお金だ。これがなかなかの額で、彼はURA内部での発言力を大いに増したんだ。今や首脳陣も、彼の意向を無視できないのさ」
「カネにモノを言わせるってか。卑しいな」シルクが吐き捨てる。
「いま問題になっている賭博化についても、事実上、黒霧氏の独断専行に近い。宣言された時は、URA理事会にとっても寝耳に水だったよ」
URAの内情も交えた浜野の語りに、四人は食事の手を止め聞き入った。自分達の競走生活に影響を及ぼす大事なことだからだ。シルクとの因縁もあり、懸念は尽きない。
「私たちのレース、本当に賭博化しちゃうのかしら」ランが訊く。
少し黙ったのち、浜野は静かにかぶりを振った。
「現状はURA内部でも賭博化を疑問視する声が非常に多い。彼のやり方は、目先の利益のみを追求した、現場のウマ娘を顧みない唯我独尊だ。それにより多くのウマ娘に不安と混乱がもたらされることはあってはならない。URAはね、元来ウマ娘のレースを愛する者達が設立した機関だ。賭博化を巡って揺らいでいるが、その存在意義はウマ娘の心身を第一に考えたレース運営にあるべきなんだよ。その観点でいえば、君たちウマ娘に災いをもたらす恐れがある賭博化は、やはりすべきではない。これが黒霧氏を除いた今のURAの総意だよ。私も、出来る限りのことはさせてもらうつもりだ。何としても──賭博化は阻止しなくてはね」
浜野は真摯な口調で告げた。「何としても」という締め括りの言葉には、どこかただならぬ凄みがあった。
往きの道中から思ってはいたが、あらためて懇ろな紳士だなと四人は感じた。怠惰なトレーナーの島原とはまるで真逆だ。
「アンタが無理しなくとも」触発されたのか、シルクが拳で掌を叩いた。「アタシがGⅠ獲ってオヤジの野望をぶっ潰す。カタをつけるのはアタシだ」