合宿所に戻ったシルク達は、小判型のコースエリアへと向かった。URAのレース場規格で造成されたトレーニング用トラックだ。そこでは既に多くのウマ娘達が駆け回り、練習に取り組んでいる。
「やってるな」
シルク達は柵を乗り越えてコースインした。トラックに入ると空気が変わるのを感じる。ここで練習に励む者は皆、夏以降の躍進を狙うウマ娘だ。彼女たちから稲妻を帯びた視線が向けられるのを実感する。
「シルクジャスティスさんね。あとで併走トレーニングをお願いできますか」
「チーム・アルルバとの模擬レースを申し込みたいんだけど、いいかな」
コースでの練習の合間には、周囲のウマ娘達から口々にそんな提案をされた。
シルクを筆頭に、日本ダービー上位着順を占めたチーム・アルルバの四人は、今では少し名の知れた存在となった。世間から耳目を集めるようになったのはもちろん、同じ競走界のウマ娘からはクラシック戦線を往く一党として一目置かれている。要はマークされているということだ。合宿中は、いずれ競走界で対決する者同士、敵情視察を兼ねた交流を行うのもよく見られる光景だった。
「いいぜ。一つ手合わせといこうじゃないか」
自分達にとっても刺激が得られるので断る道理はない。シルク達は申し込んできた相手全てと交流戦の約束を交わした。こうしたレクリエーションも合宿ならではだ。
そうしてそのまま夕方までトレーニングコースで過ごした。自分達の練習と周囲との交流戦を繰り返し、初日からそこそこハードに走り回った。
「ふへえ、疲れた、もう動けないぞ……」
「ダッツさん、起きて……合宿所に戻ったら夕食が待ってるよ」
疲労のあまり地べたに寝そべったダッツ。エリモが傍に来て耳打ちすると、「ご飯!」と目を見開き飛び起きる。
「相変わらずの食い意地ね。でもそれより先にシャワー浴びたいわ」
ランが体操着をパタパタと扇いだ。
「風呂場はこれからの時間が混む。練習後は皆使うからな。急ぐぞ」
シルクが手を振って促した。周りのウマ娘達もぞろぞろと宿舎へと引き揚げている。
四人も急ぎ足で、宿泊部屋を経由して支度ののち大浴場へ向かう。
入浴後の食堂はごった返していた。今夕も同じバイキング形式なのだが、風呂上りの者達が空かせた腹を満たすべくそのまま殺到しているのだ。そこかしこで、取り皿を手にした者同士で料理争奪戦が繰り広げられている。
「ぬぬぬ、全然料理が取れないぞう!」
混雑に揉まれながらダッツがごちた。今日もたらふく食べるつもりが、まだほとんど料理をよそおえていない。
合宿所到着日の昨夕は、混まない時間帯に食堂に行ったのだ。それと比べると今のピーク時間はまるで戦場で、コース上の戦いをこの場に移してきたかのようだ。
四人はなんとか料理を集めてテーブルに座ったが、盛り付けた量は少ない。やはり混雑のため十分に取れなかった。
「むう、これっぽっちしか取れなかったぞ!」
「混んでるから仕方ないわ。取り敢えずこれを食べて二巡目に賭けましょ」
ランの言葉に倣い四人は貪るようにして一巡目の料理を平らげた。昨日と違い、一日中運動した後なのだ。食欲は尽きない。
「そら二巡目だ」
取り皿をあらため、シルクは再度料理の列に突入した。他の三人も続く。しかし二巡目の戦果も惨憺たるものだった。依然として混雑は激しく一回目よりも取れるものがなかった。
「こりゃ明日からは、飯の時間を考えねえとな」
うーんと唸りながらシルクはテーブルに戻る。他の三人も似たり寄ったりの戦果だ。ダッツは最早魂が抜けそうな顔をしている。
「どうやらねー、厨房の人が足りてないみたいだよ」
「調理が追っついてないって、スタッフの人がぼやいてたわ」
シルク達の横のテーブルに座ったウマ娘達が、そう教えてくれた。さっきトレーニングコースで交流戦をした別チームの相手だった。一度共に走った間柄なので、気さくに接してきたのだ。
合宿所の女管理人が云っていたことが思い起こされる。URAの人員整理で合宿所も人手が足りない。それがよもやこうした形で自分達へ直接影響をもたらすとは。
「たまんねえな」
溜め息を漏らしながら、シルクは残る料理を口に運んだ。
少しの間、一同はテーブルで話をしながら混雑をやり過ごすことにした。空いてきた頃合いにまた料理を取りに行く魂胆だ。
近席のウマ娘達とも交流がてら言葉を交わした。トレーニングやレースの事に加え、昨今関心を集める賭博化に関する懸念を語り合った。やはりこの話題はみな関心が高いようで、周辺の席を巻き込んで議論が交わされた。一同の意見は異口同音で、賭博化反対で一致しているようだった。
「テレビでアンケートやってたけど、賭博化の賛成率っていま四分の一も無いらしいよ」
「こんなに反対が多いんだから、実現なんかしないでしょ」
「そうそう。私達は目の前の走りに集中しないとね」
議論がピークを過ぎるとそうした楽観的な意見も飛び始めた。黒霧を知らないがゆえの危機感の乏しさに、シルクは歯痒さを覚えたが、ここでわざわざ指摘しても詮無いので、黙ってドリンクを啜る。
「ところでさあ、皆知ってる?」しばらく経って、どこかのウマ娘がこう切り出して話題を変えた。「最近合宿所の周りをうろうろしてる、変なおじさんの話」
それまで賭博化の是非を問うていた一同の真剣な表情が、途端に好奇に満ちたものに変わった。
「あー、知ってる。ごま塩頭の、浮浪者みたいなヒトよね」
「いつも同じ服着てるオジサンでしょ。あれ、何してるんだろうね。誰かの追っかけとか?」
「正直言って、気味悪いよねー」
シルクは食事の手を止め、耳を傾けた。自分も既に二度目撃したあの男だと思い当たる。見ると向かいの席のエリモも、話の輪の方へ顔を向けている。
「ウチがこの前見た時なんか、でっかいスコップ背負って山の中に入っていったの。怪しくない?」
「埋蔵金でも探してるのかなあ?」
「それならまだいいよ。あのヒト見るからに雰囲気怪しいじゃん。もしかしてあのスコップで……」
「……山にシタイを埋めに行ってるとか!?」
誰かがおどろおどろしく叫んだ。周囲から冗談交じりの悲鳴が上がる。
「まっさかー。でもやりかねない雰囲気あるよね。変質者っぽいし」
「やだ怖ーい。明日からおちおちランニングできないよぉ」
ことのほか一同はごま塩頭の揶揄で盛り上がった。彼女達が出し合った情報を纏めると、男は既に数週間前から合宿所の周りをたむろしているらしい。こちらへ話し掛ける等の接触はしてこないが、常に同じ衣服のまま巨大なスコップを担ぎ山の方へ行ったり来たりしている。目的は宝探しか、それともあらぬモノを“処分”しているのか──。そんな与太話がしばらく続いた。
話を聞きながら、今朝感じた不穏なものが再び胸の中で広がるのをシルクは感じた。
まただ、何だこりゃ──。こういった厄介事には今までごまんと関わってきた。実際に不審者や賊徒を自らの手でふん捕まえた事もある。今回程度のことは馴れっこの筈だ。なのに、この胸がざらつく感じは何なのか。
「あれっ、シルク、もう食べないの?」
人参を頬張ろうとしたランが驚いた声を上げる。
シルクが空になったトレイを手に席を立っていた。
「……なんかもう腹一杯になっちまった。先に部屋に戻るよ」
もやもやした思いに食欲を削がれたのだ。テーブルではまだ皆が話で盛り上がっているが、それを尻目にシルクは食器返却コーナーへ向かっていった。
「どうしたんだろ。まだちょっとしか食べてないのに」いつの間にか三巡目に取ってきた料理を頬張りながらダッツが云う。
エリモは手にしていたフォークをぎゅっと握る。何かをこらえる様な面持ちで、遠ざかるシルクの背をじっと見つめていた。
「やあ皆。今日一日トレーニングお疲れ様だったね」
その直後に、シルクと入れ違いで料理トレイを持った浜野が現れた。彼はシルクのいた空席に、よいしょと腰を落ち着ける。
「おや、シルク君はどうしたんだい?」
「ついさっきまでいたんですけど、お腹一杯になって先に部屋に戻っちゃいました」
ランの説明に、ふうん、と浜野は頷いた。「いただきます」と両手を合わせた彼は、箸を割っておもむろに食事を始める。
合宿中は浜野が四人のトレーニングに関わることはない。島原に代わる付き添い役の彼は、ウマ娘への指導資格もないので四人の活動を放任している。それでも一日一回は様子見がてら声掛けをすると取り決めてあった。食堂にいま訪れたのもそのためだ。
「どうかね。合宿初日は有意義だったかな」
「ええ、それはもう」
「周りの皆、すごいやる気だから、オイラたちも頑張らなきゃって、燃えてるぞ!」ダッツが食べかすを散らしながら力説した。エリモがすかさず布巾で口元を拭いてやった。世話役のようだ。
「そうか、それは何よりだ。だけどもし何か困った事があれば言ってくれ。僕に手伝えることなら協力するからね」
そう言って浜野は相好を崩した。島原よりこの人の方がトレーナー向きだわ、とランは内心呟く。
「でも浜野さん、一日中暇だったんじゃないですか? この合宿所の周りって何も無いし」
「そうでもないよ。内職をしていればあっという間だ。一人で静かに取り組めるから、溜めていた仕事が捗るよ」
茶を啜りながら浜野が応じた。彼は湯呑みをテーブルに置くと、ちらと横のテーブルを見遣った。「随分賑やかだね」
隣では、まだ他のウマ娘たちがスコップ男の噂話で盛り上がっている。どうやらその正体を巡って「盗掘者説」と「埋葬者説」の二派に分かれて流言が飛び交っているようだ。合宿などの場ではこうした怪談が不思議と弾む。
「浜野さんには言っておいた方がいいかな。最近、この合宿所の周りで変わった人がうろついてるみたいで。数週間前からいるみたいなんだけど、白髪交じりの、スコップを担いだおじさんらしいんです」ランが説明した。
浜野の食事の手が一瞬止まる。「……ふむ。そんな人がねえ」
「別に合宿中のウマ娘に接触してきたりはしないようですけど、皆どうも気になるみたいで」
ランは他にもスコップ男が多くのウマ娘から目撃されていること、主に山手の方へ出かけていること、それについて合宿所では怪談めいた噂が立っていることも補足した。
ひとしきり話を聞いた浜野は顎に手を当ててふむ、と唸る。茶を啜って少し間を置いたのち、彼は云った。「ならば明日、私が合宿所の周りを見回りしてみよう。気になっては練習に集中出来まい」
「えっ、でも浜野さんは仕事があるんじゃ」
「僕の内職なんていつでも出来る。それに、これでも一応URAの一員だ。君たちウマ娘が競走に集中できるよう、それくらいの事はさせてもらうよ」
ラン達三人は目を丸くした。浜野のフットワークの軽さや、URA所属員の模範をさらりと示したことへの感心からだ。島原の無干渉主義に比べると、やはり頼もしく思える。
しかしこのとき浜野の脳内では、全く異なる次元の懸念が渦巻いていた。
(彼が動いているならば──急いだほうがいいかもしれん──)