第三区コースは全区間が下り勾配で占められる。速度が乗りやすく脚の踏ん張りが求められる中、難所の急カーブが断続的に続くという、走行には相応の技量と注意力が必要な地形である。安全に行こうと思えばいくらでも抑えはできるが、上位を狙うなら危険承知の突っ込みを求められる、繊細かつ豪胆な脚運びが肝となる区間だった。
観戦する側からすれば、そのギリギリを攻める走者達の鬼気迫るランニングテクこそ見応えがある。ダウンヒルが峠のレース最大の華と言われる所以はそこにあった。
「お前らやるぞ、フォーメーション・ゼット」
スタート直後の大垂水橋の渡り際、ブリッツはフォーリナの仲間内へ指示を飛ばした。
指示を受領したフォーリナの子分達は頷き、ブリッツに追従する隊列を組みピラミッド型の先頭集団を形成した。後続走者にしてみれば壁となり、抜きにくい並びである。
普段はそうして全体の走行位置を縛り、必要に応じて減速等を駆使して攻撃対象をあぶり出させたところを、カーブの凍結箇所へ誘引して仕留める。それが彼女らフォーリナの常套手段だった。
しかし此度発令されたフォーメーション・ゼットという文言は、彼女らの中で「狙いを特定の相手一本に絞る」という際に使われている指示だ。
誰が狙いかは分かり切っている。フォーリナに仇名す異分子、シルクジャスティスのみだ。
大垂水橋を渡ると右カーブとともに下り坂に入り、本格的にダウンヒルが始まる。何もせずともひとりでに速度が増し、コースに吸いこまれていきそうな油断ならぬ感覚が迫る。
フォーリナ一同にとっては慣れたものだった。この峠を走り込んできただけありコーナーのライン取りにも澱みがない。所々の沿道にたむろするギャラリーが喝采を上げるのを流し目に見つつ、アウトインアウトでヘアピンを抜けていく。
「キャーッ、先頭集団はやっぱりフォーリナだわよ!」
「こっち見たわ、こっち!」「ブリッツ様ーっ!」
とりわけ、先頭のブリッツの走りは圧巻だった。マル外集団を束ねるリーダーだけあり、他のフォーリナとも一線を画す鋭いコーナリングを見せつける。後ろに追従するフォーリナの中には、その走り様に目を奪われる者もいるほどだ。
「クッ、やっぱり速いわフォーリナの連中」
「あのペースについていくのもキツイ……!」
「無理に追えばガードレールに頬擦りだわ……!」
挑戦者側にあたる一般走者達は第三区開始早々、舌を巻いていた。ダウンヒルをレーススピードで走るのが予想以上に難しいのを体感したことに加え、フォーリナ達がそのコースにあまりにも習熟している。
三区開始前にあれだけ自信満々の立ち居振る舞いだったのも頷けた。この峠での絶対優位は確かにフォーリナにあるのだと、まざまざと見せつけられる。
そんな一般走者達を嘲笑うようにブリッツはさらにペースを上げてみせた。付随する子分達も同様だ。車体を寝かせてコーナリングするスポーツバイクさながら、彼女らも遠心力に抗うよう身体を大きく内側にバンクさせ、フォーメーションを保ったまま高速度でカーブを切って往く。
「いいぞ、フォーリナ!」
「すっげぇコーナリング、半端ないって!」
「一体何キロ出てるの、痺れるわ!」
コーナーを一つ抜けるたびにギャラリーは沸き、後続とのリードも徐々に開いていく。
次第に、一般走者達の内心では畏怖と敬意が芽生えていた。それはトゥインクルシリーズでG1レースを制するような猛者への憧憬と似通う、格上のウマ娘への素直な嘆賞だった。この峠においてフォーリナは、間違いなく実力者なのだと素直に認めざるを得ない。
――それだけならよかった。裏で陋劣な真似などしなければ。
一般走者に紛れ後方を進みながらシルクは密かにそう思い、心中で吐息をつく。
真っ当に走ればフォーリナ達は確かに速いのだ。だがその裏で繰り広げるトリックプレーをもう知ってしまった。そのうえ、三区開始前には大々的に宣戦布告までした。
衝突はもはや不可避だ。フォーリナ達は必ず仕掛けてくる。
――来るなら来い。
シルクは不敵に口端を上げた。彼女はまだ動きを見せようとしない。後方集団に紛れ、展開を見守るよう追走するのみ。
「なんだアイツ、追ってこないゾ」
「フン、いざとなって怖気付いたんダワサ!」
「それともミー達について来れんカナ」
「結局、威勢だけの空威張りニポンバネ!」
フォーリナ達は食い付いてこないシルクを囃す。
それとは対照的に先頭のブリッツは用心深かった。面と向かって「潰す」と宣言してきた割には消極的すぎる、ヤツには目論見があるはず――そう考えていた。
喧嘩や些細な揉め事等、学園内外で様々なトラブルを起こし、巷を騒がす不良ウマ娘。シルクジャスティスというウマ娘に関するブリッツの認識は一言で表すとそんなところだ。
しかし一方でこんな噂も聞く。シルクの関わった事象はいずれも、彼女に大きな責任が問われることなく終決を迎えるらしい。喧嘩は弱い者虐めをする相手に灸を据えただけとか、横断歩道で轢かれそうになった幼児を救うため車を木っ端微塵にしたという与太話もある。是非はともかく、彼女の起こす行動には一貫した「義」があるらしく、そんな姿に翼賛して慕う者もいるのだとか。
その話が本当ならば、遂に怖れていた時が来たのか――?ひとかけらの諦観が脳裏に浮かぶのを自覚したが、ブリッツはそれをすぐ打ち消した。
今更何を迷っている。峠でのやり方は自分で選んだ道だ。引き返すことは出来ない、行き着く処まで貫く他ない――。
「ヘイ、ボス。どうするネ!?」
痺れを切らした子分が尋ねてきた。みな一様に、三区開始前の挑発を受けてボルテージが上がっている。
元より気性の荒いマル外集団だ、このまま放っておくと制御から離れ遊撃行動をしかねない。彼女らを宥めるためにも、何もしないわけにもいかない。
「ジャブを入れて様子を見る。小手調べといこう」
少し考えたのち、ブリッツは下令するとともに減速を始めた。
速度を緩め後続の走りに併せたということは、やる事は明確だ。フォーリナ総出でシルクをカーブで押し出させ、凍結箇所に誘き寄せて仕留める。これまで数多くの走者にそうしてきたように。
フォーリナ達は鮮やかな手腕で、瞬く間にシルクを包囲した。カーブへの減速にかこつけたその所作は、一見して作為が感じられない。誰が見ても攻撃目的でそうしたとは勘付けないほど。
「喰らエッ」「ミー達に楯突いた報いダ」
「ここでリタイアだッ!」
迎える左カーブでシルクは右端に大きく押し出された。膨らんだ軌道の先、ガードレール手前の窪みには凍結した水溜りが迫る。
「ふん、見くびんな!」
しかし直後、シルクは大きく跳躍し、障害レースで障害物を飛越するウマ娘よろしく、凍結箇所をクリアした。
コーナリングしながらの突拍子もない動作であったため、着地の踏ん張りでロスが生じてさらに後方に下がる格好となったが、この一連の所作にフォーリナ達は面食らった。
「避けタ!?」「馬鹿ナ!」
「ジャンプしただト?!」
明らかにシルクは、峠を初見で走る者には容易に気付けない凍結箇所を、それと認識して回避した。
単なる偶然には思えない。フォーリナの手口をある程度把握し、誘引されるタイミングに見当をつけていないと、まず避けられる筈がない。
すなわち、自分達が裏で糸を引いているのをシルクは勘付いている――フォーリナ達は明確にそう思い知った。
「どうする?アイツには、ミー達の手が読まれてル!」
またもフォーリナ達は目に見えてたじろぐ。
「くどいぞオマエら」それを再三制し、ブリッツは糾合せんと一喝する。「そんなことはもう分かりきっている」マル外軍団のリーダーは依然として冷静だ。
それに、とブリッツは断じる。如何にこちらの傾向が読まれていようと、ゴールまで掻い潜り続けることは到底不可能だと。
「作戦変更だ、フォーメーション・ウェーブに切り替える」
三区のフォーリナ走者数は六名いる。それを戦力分散させて波状誘引を仕掛ける策をブリッツは即断した。
要は、手数で圧倒し消耗戦に持ち込むつもりだ。麓のゴールまでの数多い凍結箇所を彼女達は全て把握している。それら全てを駆使し、回避行動をさせ続けて消耗させ、最終的にはすり潰せると踏んだのだ。
その為のフォーメーションも予め取り決めはされている。子分達はその指示に従いすぐさま行動を開始した。
早速次のカーブで誘引第一波が見舞われる。イン側の法面の下、洗い出しのアスファルトに誘き寄せられたシルクはさっきと同様に飛び越える。
「そこダッ!」
その着地ざま、第二波のフォーリナが幅寄せで襲った。カーブの外に追いやられた先には、鈍く黒光りするアイスバーンが横たえる。
シルクは何とかこれも飛び越した、が、二連続で飛越させられただけに体勢は大きく崩されている。
そこへ本命の第三波が到来した。ブリッツだった。ぬっと走行ライン上に現れた彼女によりシルクは走路変更を余儀なくされ、気付いた時には新たな凍結場が目と鼻の先にあった。
「ちっ!」
ジャンプする猶予もなく、アイスバーンに踏み入った脚は横滑りし、シルクの体は瞬間的に宙を舞う。
やったか。フォーリナ達は手応えを確かめる。
が、シルクはもつれていた脚をアスファルトに圧し戻すと、撥ね飛ぼうとする体を強引に立て直し、足取りを再開させる。
復帰できたのは運が良かったのもあるが、荒唐無稽な走りを見せられフォーリナはまたもやきもきした。
「チィ、ラッキーな奴ダ!」
「クソ、まだヨ!」
それからフォーリナは攻勢を強めていった。カーブ毎に波状誘引策を仕掛け、幾度となく凍結路を贈りつける。
シルクも飛越や加減速を駆使し、シュアな走りでなんとか切り抜けていくが――当然そんな走りを強いられれば、ブリッツの目論見通りスタミナ消耗は激しくなる一方だ。ダウンヒルで速度が乗りやすく、体勢維持に力を使うぶん尚更きつい。
「ハイエナみてえな奴等だ……!」
猛攻を潜り抜けながらシルクは苦笑を浮かべた。さすがに分が悪い。このままではゴールまで持たないのは自身が一番分かっている。
カーブをクリアした先に、また次のカーブが差し迫る。そこでもまた更なる凍結箇所が待ち受ける。その繰り返しだ。これまでも多くの走者達が、同様の手に掛かり散っていったのだろう。
峠のダウンヒルはまさに魔窟の様相を呈していた。シルクは今宵、その贄にされようとしている。
冗談じゃない、お前らの好きになどさせるか――。
シルクは歯軋りし、迫るカーブに目を向けた。急曲線を描くヘアピンの出口は、暗闇に覆われていてよく見えない。
が、その暗闇の中にあっても唯一視認できるものがある。カーブのアウト側に線状の帯が鈍く光った。
(仕方ねえ、考えてきた『アレ』を使うか――)
そこを目掛けシルクは大きく蹴り出した。
「アイツ、何の真似ヲ?」
「Ha!突っ込み過ぎネ!」
これからカーブに差し掛かるところで突如加速しだしたシルクを、フォーリナ達は当惑しつつも嘲笑った。彼女らの目には誘引工作から逃れる為にヤケを起こしての自滅行為に映ったのだ。
実際、シルクのカーブへの進入速度は許容域をゆうに超えていた。そのままいけば曲がり切れずに吹き飛んでしまうレベルだ。峠で走り慣れたフォーリナであっても、同様の速度で突入出来る者はいない。
「げ、減速しないノ!?」
「ガードレールとkissする気カ!?」
「谷底に真っ逆さまヨ!」
馬鹿な真似を、曲がり切れるわけがない、リタイア確定――呆気ない幕切れをフォーリナ達は予期した。
だがその思惑は裏切られる。
速度を上げたシルクは勢いそのままにカーブ外側のガードレールへ突っ込んだかに見えた。あわや激突かと思われたその瞬間、彼女は両脚を前方に突き出し「飛び蹴り」の要領でガードレールを思い切り蹴飛ばしたのだ。
「でえええぇ――っっ!!」
鈍い音が響いたかと思うと、シルクはそこから弾き出されるようにコーナーの出口方向へとかっ飛び、派手な着地を遂げたのち平然とレースを続行する。
何が起こったのかも分からず、後ろでただ見ているしかなかったフォーリナ達は度肝を抜かれた。
「クッ……クレイジーッ!?」
「今のコーナリングは何ダ!?」
「あんなスピードで曲がれるなんテ!」
ただひとりブリッツだけが、アジな真似を、とカラ笑いを張り付かせる。
「ガードレールを使ったコーナリングとは、こいつはとんだ大莫迦ヤローだ……!」
フォーリナの中でブリッツだけが、シルクがいま見せた行動の意味を咄嗟に理解していた。
モータースポーツのコーナリングラインが『アウトインアウト』(外側からコーナーに入って内側を通り外側に抜けて走る運転方法)になるのと同様に、野良レースをするウマ娘もそれに倣った走行ラインを取る。URA規格レース場の緩やかなコーナーと違い、曲線半径の小さい公道の急カーブなどはその方が安定して曲がれるからだ。
シルクが今見せたコーナリング――と言えるかどうかも分からない代物だったが――は、その真逆をいく『インアウトイン』だった。常識を超える進入速度でコーナーに入ったかと思えば、アウト側にあるガードレールをキックし、その反動をコーナーの立ち上がり加速に利用するという、掟破りのノーブレーキ走法である。
彼女がコーナーに入る前に見ていたのは、ガードレールの事故防止用に貼られた反射テープだったのだ。『暗闇の中にあっても唯一視認できるもの』――それだけを頼りにしてガードレール・キック・ターンを発動したのである。
いうまでもないが、全くもって無謀な走法であることは間違いない。一歩違えば、ガラスの脚と揶揄されるウマ娘の脚の怪我に繋がる危険行為である。
だが、そんな大きなリスクを負ったうえで実践されたシルクの離れ技は、今の対フォーリナ戦に於いては絶大な効力を発揮した。
「ダメだボス、アイツを誘引できナイ!」
「あんなデタラメな走行ライン、ミー達のワザに嵌められないゾ!?」
コーナーで他走者を凍結場に誘引するというフォーリナの常套手段は、あくまで『アウトインアウト』の走法に則って走る者に対して有効だった。大多数のウマ娘の峠カーブでの走行ラインが共通しているからであり、フォーリナ達はそれに合わせた誘引策を考案してきたからだ。
ゆえにそれは、シルクの『インアウトイン』に対しては無力という他ない。従来のコーナリングラインと真逆の走行ラインを描く彼女の奇策に、フォーリナ達は対抗手段を持たなかったのだ。
ガードレールを蹴る反動を利用するというのもまたポイントで、これによるカーブ後の立ち上がり加速の増幅も馬鹿に出来ない。自分を屠るべくして順位を下げてきたフォーリナ達を尻目に、シルクはどんどん引き離して前へ前へと出て行った。
「シット、こんなコトあるカッ!」
「ミー達がこの峠で置いて行かれるナンテ!」
「ありえないワ、オーマイガッ!」
フォーリナ達の動揺が色濃くなっていく。こう見えて想定外の事態には弱いのかも知れない。今宵の彼女らは、シルクの出現によりすっかり混乱させられっぱなしだ。
「いい加減にしろ、テメエら!」
もう何度目になるかも分からないブリッツの一喝が飛ぶ。
「落ち着きな、クールになれ。脚への負担が大きいあんなふざけたコーナリングが最後まで持つわけない」
リーダーの冷静な言葉にフォーリナ一同は我に返る。
確かにそうかもしれない。如何にガードレールキックで攻撃を逃れようとも、それによる負担増で結局はスタミナ消耗を加速するだけだ。いずれは、波状誘引策により仕留められる。
しかし、そう断じた筈のブリッツの表情には、微かな焦りが浮かんでいた。
このレースに突如現れた刺客、シルクジャスティスはここまでフォーリナをエキセントリックな言動で引っ掻き回している。峠の盟主たる彼女らを潰す、と大仰に宣言もした。
第二中継地点で最初に相対した時をブリッツは思い返す。シルクの切れ長で、鋭く睨み付けてきた眼。これまでフォーリナに挑んできた有象無象とは違う、ただ者じゃない雰囲気を感じる。あれは修羅場をくぐってきた眼だ。
とても安心はできない。スタミナ切れを待つなどという他力本願では、それこそ向こうの思う壺ではないか。奴にはそう思わせるだけの、凄味がある――。
相まみえて間もない期間だが、ブリッツはシルクの脅威度をフォーリナの中で最も正確に分析しているといえた。
「だから、念には念を入れる」
前方を悠々と逃げ延びるシルクに目を据え、ブリッツはさらなる作戦を下令する。
「フォーメーション・オメガをやるぞ」
それを聞いた途端、周囲のフォーリナ達の顔色が変わる。
「ほ、ホンキかボス」
「アレはまだ試行中のフォーメーションだヨ」
「実戦で使ったコトない代物ダ」
子分達は躊躇している。ブリッツの次なる作戦命令に珍しく弱腰を見せていた。
そんな配下達の困惑した表情を見て、ブリッツも一瞬心に迷いがよぎった。
やはりこんな真似は、いずれやめねばならないのか――。
――いや――。
(……くどい。いい加減にするのはミーも同じか)
幾度となく自身の心中を揺蕩う葛藤を振り切るように、ブリッツは強く目を瞑る。
そして改めてフォーメーションを下令すると、先陣を切って押し上げを開始した。