正義の名のもとに   作:李座空

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さまようものたち(8)

 高低差三〇メートルの坂。下から見ると反り立つ壁に感じられるそのコースを、息せき切って駆け上がっていく。高負荷に苛まれて後退する者も出るなか、シルクたちは歯を食いしばって坂の上のゴールライン目指し踏み出していく。

「おー、ゴール!」

「あの四人、タイムも落としてないわ」

「もう坂路を何度も登ってるのに」

「やっぱ侮れないねあのチーム」

 坂の頂上に達してクールダウンするシルクたちを、傍らで見物していたウマ娘達が感心と対抗心を滲ませて囃した。

 ウッドチップを敷き詰めた全長一二〇〇メートル、高低差約三〇メートルの坂路コースは、この合宿所の最大の目玉だ。近年競走界で主流となった坂路トレーニングをしたいという利用者の要望に応え、URAが苦しい予算から捻出して造成したものである。

「ぜえぜえ、これで……午前のメニューは終わりね」ヤカンの冷水を頭から被りながらランが言った。

「もうダメだー、お腹ペコペコ~」ランに水をかけてもらいながら、仰向けのダッツがうだる。

「これで一〇本達成、午前だけなら最高ペースだぜ」

 壁際に座ったシルクがタオルで頭を拭う。坂路トレーニングはスタミナ消耗が激しく、回数を重ねるのは並の体力ではままならない。それを短時間に相当数達成したとあって得意げな表情だ。それは他の三人も同様だった。

「最初は数回でヒイヒイいってたものね。私達、少しは力がついてきたのかな」

「ああ、間違いなくな」

 ランの言葉にシルクは強く頷きかけた。

 合宿が始まってはや二週間。チーム・アルルバのスケジュール消化は順調だった。躓きも無く、四人はそれぞれの課題をクリアしてきている。

 その過程で四人は着実に自身がパワーアップしていくことを実感していた。努力したぶん得られる充足感と、秋以降のレースへの自信も漲ってくる。それは競走ウマ娘としての至上の悦びだった。

 時計が正午を回ったので、四人は午前の練習を切り上げた。坂路を降りて合宿所の食堂を目指す。

 道中、周囲で見ていた他チームのウマ娘が入れ代わり立ち代わり絡んできた。「調子いいみたいだね」「どうやってあんなにスタミナついたの」「練習メニューの参考にさせてよ」等々。例によって、いま合宿所にいる面々の中でも四人はそれなりにマークされているらしい。

「企業秘密だよ」

 ふんと鼻を鳴らし、シルクは質問をいなした。戦略上、安易に手の内をライバルへ晒したくはない。

「ええー。気になるなあ」

「あの偏屈トレーナーがどんな教えしてるのか、みんな気になってるのに」

「そんな大したもんじゃねえよ。そら、散れ散れ。これからメシ食いにいくんだから」

 シルクが手を払うと他チーム勢は渋々引き下がっていった。周囲がはけてから四人は微苦笑を浮かべた。

「私達でも不思議に思ってるくらいなのにね」傍にきたランが肩を竦める。

 そうなんだよな、とシルクも曖昧に頷いた。

 ダメトレーナーと揶揄される島原のチームに属する四人がクラシック戦線に進出してきたことは、トレセン内でも不思議がられているらしい。いったいあの不良トレーナーのもとでどんなトレーニングをしているのか、合宿中にも好奇心ありきでよく訊かれるのだ。

 しかし実際のところ、島原がシルク達に直接指導をすることなど全く無い。彼は時折気まぐれに顔を出したかと思うと、走り書きしたトレーニング計画書を手渡してあとは自由放任するのみだった。アドバイスやフォームチェックといった、一般的なトレーナーが担当ウマ娘と行う共同作業を一切行おうとしない。そこだけみると、不良トレーナーと馬鹿にされるのも納得の振る舞いだった。

 ところがその手渡されるだけのトレーニング計画書が、存外にも四人が成長するための的を得ているのだ。

 当初、シルク達は独自で練習プランを考えて自主トレ同然に自己育成を行っていた。島原が考えた育成計画などアテにできないと思っていたからだ。ところがある時、島原のプラン通りのトレーニングをこなしてみると、何故か調子が上がり能力が向上する実感があった。はじめは単なる偶然かと思ったが、何度かトレーニングを繰り返すうち、その偶然が何度も再現されるので不思議がった。

 とくにシルクは、島原の手渡し計画書を独自に分析しようとした。その時々の四人の状態に最適なメニューを提示している点に着目したのだ。劇的では無いが調子を落とさず上向かせる手法が、彼の計画には暗示の如く記されている。

 ろくに練習風景を見に来ないのに、どうしてこうも的確な練習計画を練れるのか。そのことを一度島原に問い質したが、「これでも一応トレーナーだから」と乾笑いで濁されただけだった。

 ともあれ、それからは島原考案の練習の導入頻度は増した。クラシック期突入後のレース前などは、その実、調子のキープに大いに活きたものだ。

 レース登録のための名義貸しとして扱い、名実ともに鼻つまみ者の島原とは距離を置いてきたシルク達だが、彼を完全に無碍にしないのにはそうした理由がある。

「島原さんって、もしかすると只者じゃないのかなあ」

 食堂で昼食をつまみながら、ランがポツリと漏らした。先程周囲のウマ娘から囃されたことを思い返しての発言だ。

「遅刻と欠勤の常習、担当ウマ娘にろくに接そうともしない、学園の門はぶっ壊す、その他問題多数。アタシが言えたモンじゃないが、ロクでなしなのは確かだな」にんじんハンバーグにナイフを通しながらシルクがいう。「でも確かに時々……不思議な言動をするよな。練習プランの件もそうだ。鈍い狸みてえなナリしておきながら、まるでアタシらのことを全部見透かしてるんじゃないかって感じる時がある」

「あっ、それ、なんか分かるぞ。オイラなんかこの前、空腹で学園の廊下歩いてたら、お菓子くれたぞ! 余り物だからやるよって、ナイスタイミングで。オイラ、空腹を見抜かれて驚いたぞ!」

「それはなんか違わない? ダッツが空腹なのはいつものことでしょ」

 ランのツッコミに皆苦笑した。

 話しているうちに四人とも完食した。昼以降も運動するのでおかわりはせず、トレイを片付けて外へ向かう。担当トレーナーに関する話題はその間も続く。

「島原さんって昔からああなのかな。私達が入学した時から、悪評しか聞かないけど」

「さあな。でもオッサンの考えてるあの練習計画はどうも、伊達や酔狂には思えねえんだが」

「案外、まともにトレーナーやったらスゴイかもだぞ。オイラ達みんな、レースに勝ちまくったりして!」シルクの発言を受けて、ダッツが突飛なことを言う。

「いやー、あの人がまともに指導してる姿なんて想像できないわよ」ランが顔の前で手を左右に振る。

「そもそも、あのオッサンがどうやってトレーナーになれたかが謎だ。中央トレーナーの採用試験は超難関って聞くぜ。成績だけじゃなく人間性も厳しく審査される。あんなサボり魔、間違いなく落とされるはずだ」シルクは島原の過去にまで言及しだした。

「ふうん。だとしたらトレーナーになってから性格変わっちゃったのかな? 何か嫌なことがあったりして」何の気なしにダッツが話を継ぐ。

 この時、黙って会話を聞いていたエリモが何か言いたげに三人を見上げた。

 それに気付いたランが話を振る。「エリモちゃん、何か?」

 しかしいざ水を向けられたエリモは、もごもごと口籠った。「トレーナーさんは、その……」躊躇うように視線を逸らし、結局言い淀んでしまう。

 そんな煮え切らない様子がしゃくに触るのか、シルクが苛立たしげに問う。「なんだよ、言いたいことあんならハッキリ言えよ」

 物言いをつけられ、エリモは一層戸惑っている。さざ波が立ちそうな感があり、ランが「ちょっとシルク」と割って入った。

「別にそんな言い方しなくても」

 窘められたシルクはバツが悪そうにふん、と顔を背ける。

 ダッツも空気を読んで助け舟を出した。「エリモ、トレーナーのこと何か知ってるのか?」

「あの人は、島原さんは」促されたエリモは慎重に何かを語ろうとしはじめる。

 しかしそれを、唐突に差し込まれた賑やかな歓声が遮った。

 ──おーい、シルクジャスティス! 

 声は廊下の外から聞こえた。複数の声だ。四人は驚き会話を中断した。

「おっ、あいつらは──」いち早く発声源に気付いたシルクは窓を開け、外に向けて手を掲げる。

 

 

「あー、やっぱりシルクジャスティスだ!」

「すっげー、チーム・アルルバが皆揃ってる!」

「わたし初めて見た!」

「サインして、サイン!」

 合宿所の玄関前で賑やかな声がこだました。一〇名近くの、少年少女が寄り集まって天真爛漫にはしゃいでいる。幼児から小学生くらいの者まで年代は様々だ。玄関口から出てきたシルクたちを認めると、子供たちは我先にと群がってきた。

「おう、元気にしてたかお前ら」

「えへー、今年も来たよ」

「差し入れも持ってきたの。これ、ウチの庭でとれたスイカ!」

「うおっ、でけえな。こりゃ食べ応えがありそうだ」

「えっとね、僕はこれ、塩ようかん!」

「ガキンチョがそんな気遣わなくていいのに。ありがとよ」

 シルクはその場にしゃがみ込み、子供達の相手をはじめた。その光景はさながらガキ大将に見える。

「えっと、この子達は……?」見知らぬ子供達にエリモが不思議がる。

「あの子供達はね、去年の水難救助でシルクが助け出した子達なのよ」

「あれ以来、すっかりシルクに懐いたんだよな!」

 事情の分かっているランとダッツに教えられ、エリモは口を開けて頷いた。

 この少年少女達は合宿所の近くの集落に住む子達だった。都会と違って娯楽の少ない地方ゆえ、夏休みにはこの辺りの野山へ繰り出して散策を行うのが恒例らしい。合宿所へも、普段はテレビ越しにしか見れない競走ウマ娘を間近で見られるとあってよく顔を出していた。

「最初の頃はシルク、めちゃくちゃ怖がられてたっけね。不良みたいなナリしてるし」

「睨んだだけで逃げられてたもんな!」

 子供達とじゃれるシルクを見ながらランとダッツが囃す。

 エリモは不思議そうに、それでいて得心するように頷いた。普段はつんとした印象のシルクが、子供の相手を苦も無くこなすのが新鮮にみえるのだろう。

「ジャスティスちゃんって、やっぱりモテるんだね……」

 ぽつりと焼き餅を焼いたような言葉が漏れ聞こえ、ランとダッツは苦笑した。前々から思っていたが、エリモのシルクに向ける感情は時折重い。

 さて、とシルクは屈めていた身を起こした。「食後の運動に、お前らの相手でもしてやるか」

 この言葉に子供達は色めき立つ。

「えっ、いいの?」「遊んでくれるの!」「ヤッター!」

「ここだと邪魔になるから、河原まで出るか。お前らついてこい。河原まで競争だ」

 そういってシルクは小走りで合宿所の正門から駆け出した。テンションの上がった子供達も、きゃあきゃあと叫びながらそれに続く。

「ちょっとシルク。もう、勝手に決めちゃって」

「あーあ行っちゃったぞ。オイラ達も行こう!」

「う、うん……!」

 本来なら午後のトレーニングに取り掛からねばならないところだが、三人も後を追うことにした。勝手に予定が変更され呆れる素振りを見せたが、三人とも内心悪くない提案だと思った。ここまで根を詰めっぱなしだったので、息抜きに丁度いいと思えたのだ。自分たちを慕ってくれる子供の相手をするのも悪くない。

 

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