ぴちゃん、と額に雫の打つ感触で目が覚めた。体じゅうが痛むのを堪えて身を起こす。手をついた地面は埃と土にまみれていたが、雨風の吹く外と違って少し乾いているのが不思議だった。
エリモは起き上がって周囲を見渡した。真っ暗だが、夜目を利かせて徐々に周りの風景を識別していく。どうやら煤けたコンクリートに覆われた構造物の中にいるらしい。床は土埃に塗れ、水が浸みてきているのか所々に水溜りが出来ている。天井には細長い蛍光灯が並んでいるが消灯していた。
先程シルクを助けようとして、岩盤に隠されていた穴に落ちたのだ。そして今に至る。
シルクの姿は見当たらない。落下の際に離れ離れになったらしい。
疑問がいくつも頭の中で渦巻く。どれくらい気を失っていたのか。シルクはどこにいったのか。そもそも、この構造物は一体何なのか。
立ち上がって頭上を仰ぐ。落下してきたとすれば、現在地の上方に脱出口が見える筈だ。案の定、真上の天板に穿たれた穴から、ごうごうと雨風の音が聞こえてくる。いざとなればこれを辿れば抜け出せそうだ。
もっとも、シルクを置いて脱出する気などエリモにはない。
「ジャスティスちゃん、どこ」
暗闇の中で友の名を呼ぶ。返事をして、と数回呼び掛けるが、反響した自身の声が返ってくるのみだ。
胃がきりきりと痛む思いだった。シルクは夜更けに突然目を覚まし、苦悶の表情を浮かべながら、何かに導かれるようにここへやってきた。あれは何を暗示しているのか。
そういえば岩盤の穴が開いた際、シルクが岩肌に触れて電子音のような音が鳴った。彼女の来訪に呼応するようにここへの穴が開いたような気がしたが。
他にも思い返すと繋がるものがある。河原で一緒に遊んだ子供達が与太話として、河を渡った先の山中に見知らぬ廃墟があると噂していた。そしてあのスコップ男も、この構造物がある山手の方に行き来していると合宿所では囁かれていた。
この構造物こそが、まさにその場所ではないだろうか。ではシルクはなぜこんな場所に導かれてきたのか。
エリモは壁伝いに暗中に歩を進めた。この場所の謎の一端に気付いたいま、居ても立ってもいられなくなった。シルクを取り巻く不穏な謎を解き明かさねばと。
暗闇に慣れてきたとはいえ、視界は限りなくゼロに近い。文字通りの手探りで慎重に歩いていく。
ばしゃ、と音を立てて足が水溜りに嵌まる。撥ねた水の腐臭に顔を顰めた。壁についた手のひらは早くも煤で真っ黒になっている。この構造物は一体どれほど前からあるのか。荒廃した雰囲気から、相当古いものであるのは確かだ。
ふと、壁に這わせていた手が何かに触れた。エリモは顔を寄せてじっと凝視してみる。硬質な銘板プレートらしきものが壁に埋め込まれている。
「なんだろう……ウ……綜合……斗……究……?」
何か字が彫られているが、暗いうえに掠れていて判別できない。
それよりも気になるのは、銘板のすぐ横に窪みがあることだ。正確に言えばそれは拉げた鉄扉であり、下側に大きな割れ目がある。その割れ目が窪みのように見え、そこから内部へと進入できそうなのだ。
「……」
少し思案したのち、エリモは身を屈めて鉄扉の割れ目を潜っていった。
エリモが鉄扉の内部に消えたのち、彼女が元居たフロアでゴゴゴ、と不吉な物音が響いた。直後、天井から土や石を含んだ濁流がぼとぼと流れ込んできた。流入はすぐに止まったが、この際の衝撃で銘板プレートが壁から剥がれ落ちて床に転がった。
音もなく降り立ったスコップ男が、手にした懐中電灯でそれを照らした。男は、そこに彫られた文字をはっきりと認識したようだった。
「『ウマ娘綜合科学研究所』、ヤットミツケタ」
鉄扉を潜ったエリモは、その先のさらなる荒れ模様に辟易しながら進んだ。内部も同じコンクリート造りのようだが崩落が激しく、その様相は洞窟という方が近い。依然として灯りはなく、手探りで進んでいく他無い。暗中に点在する瓦礫と浸水が足取りを阻み、何度も地面に両手をついた。
進んでいくと、通路脇に小部屋らしきものを認めた。中は当然真っ暗だ。
足を踏み入れると、ぱきり、と何か砕ける音がする。目を凝らして見ると、ガラス片を踏みつけたようだった。周囲の床には他にもガラス製の容器が散乱している。試験管やビーカーが多数。
部屋の中央には病院にある手術台らしき器具が鎮座していた。経年劣化で変形し不気味に朽ち果てていて、さながら処刑台を思わせる代物と化している。
部屋奥には崩れ落ちた天井に押し潰されたキャビネットがあり、書類らしきものが溢れ出して散逸していた。いずれも湿気と泥でぐしゃぐしゃになっている。
その中の一枚が目につき、エリモは拾い上げて目を通してみる。医療カルテのような書式に、ワープロで印字された文字が並んでいる。
『1※78年▲月22日
被験体○×号からの治……意……獲得……功す。
当該者……左脚……放骨折……て、
早……対処と……採集……望まれ……』
やはり文字の殆どは滲んでいて判読できない。
手近にあったもう一枚にも目を通す。
『198×年12月△日
有※記念……競走……止……◉脚靱帯及……指関節脱……、
同日付……当施設……収容……、
モニ……リングを以後継……と……に……調整……』
怖気を感じながら書類を元あった位置に戻す。断片的にしか読み取れない文字からは、その内容が示すものはまだ窺い知れない。
ふいに地震のような揺れを知覚する。ゴゴゴ、と部屋の外から音が響いて、エリモは咄嗟に身構えた。足元の水溜りが波立っている。
どこかで崩落でもあったのだろうか。これほど内部が荒廃しているのだ。外の嵐の影響を受けて、こうしているうちにも崩壊がさらに進むかもしれない。
エリモは小部屋を出た。シルクを早く見つけねばならない。そしてここから抜け出さなくては。
通路の奥へ更に進む。まだ地鳴りのような音が響いている。天井からぱらぱらと音を立てて砂利や埃が降ってきて咽せた。
数十歩進むと、新たな部屋を見つけた。戸口のドアは崩落の影響で歪んでいて容易に開きそうにないが、ドア上部のすりガラス越しに室内で点滅する光を認めて目を見張った。この部屋の中には何かしらの電源が通っているようだ。
少々強引だが力を込めてドアを押し開けた。ウマ娘の力なら造作も無い。メリメリとドアを屈曲させてできた隙間から、室内へそろりと進入する。
部屋の中には背丈以上の機械類が並んでいて、天井や床を伝うパイプやコードがそれらを繋ぎ合うように伸びていた。何かの発電設備のようだ。稼働停止しているらしいが、奥にある操作パネルの一つが薄暗いランプの明滅を繰り返している。
エリモは近付いて明滅するパネルを見た。黄色のムギ球が弱々しく瞬いている。その下には「予備電源切替」と書かれたセレクタスイッチがあった。
もしやこの予備電源は生きているのではないか。そう思いスイッチに手を伸ばした。明かりを灯せば暗闇に覆われたこの施設の探索がしやすくなる。
案の定、スイッチを捻った瞬間、バツン、と何かを叩いたような音がして天井灯が光った。やった、と思ったが、それもほんの束の間だ。一瞬だけ灯った蛍光灯はすぐさまフェードアウトしていく。どうやら施設内の灯火類全てを賄うほどの蓄電量が無いらしい。長らく放置されていたのだろうから当然ではある。
とはいえ、よくみると施設内各所の非常灯が点いたらしく、部屋の外の通路が仄かに赤く色づいたようだ。どことなく不吉に見えるが、今までよりましだろう。
エリモは歪んだドアを潜って部屋を出た。シルクの捜索を続行せねばならない。
だがその時、エリモは気配を感じて振り返った。目を向けたのは、ここまで進んできた通路の方向だ。瓦礫と泥まみれの、非常灯に赤く染まった廊下が続いている。
何かがいたように感じたのだ。どことなく不穏な感じがした。
「………………」
エリモは瞬きも忘れてじっと身構えた。もっとも、それは程無くして解かれた。瓦礫の合間から現れたネズミが、ちょろちょろと通路を横断していったからだ。ちゅう、とか細い鳴き声を残してそのまま消えた。
「なんだ……」
ただのネズミか、と息を吐く。気を取り直して行進を再開した。
エリモが見えなくなった直後、通路の角からぬっと黒い影が覗いた。
両手で大きなスコップを構えた、ごま塩頭。能面のまま眼球をぎょろつかせる彼もまた、音も無く通路の奥へ続いた。
まるでエリモを追跡するように。