正義の名のもとに   作:李座空

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峠の交錯(5)

 時系列は少し遡る。

 ランナイジェルがシルクジャスティスにリレーのタスキを渡した直後のことである。

「ぜえ、ぜえ、なかなか、堪えたわね……」

 峠の山頂の第二中継地点にて、自分の担当区を走り終えたランは、道端に引っ込み肩で息をしていた。上りの第二区完走直後なだけあり、疲労はそれなりにある。ましてや、ただ走るだけでなくフォーリナの出方を窺って細心の注意を払って来たので、消耗は並の走者以上だった。

 その甲斐あって、アルダッツから彼女に、そしてシルクへと、フォーリナの戦術に関する情報は伝えられた。あとは、三区を走るシルク次第だ。

「それにしても……」

 第二中継地点の人だかりを見渡しながら、ランはおぼろげながら感じ取ったことがある。

 ギャラリー達の様子が、どこか浮き足立っている。ここにいる者の多くはフォーリナを贔屓するファンの筈であろうが、その誰もが気が気じゃない様子で、口々にこう言い囃すのだ。

 ――さっきのヤツ何者なの。――フォーリナに吹っ掛けてくるなんて。――潰すとか言ってたよな。――あの子知ってるわ、いま噂の学園の問題児じゃ。――いやねえ、ブリッツ様に喧嘩を売るなんて。等々。

 レース前に一悶着あったのだろうと、ランは邪推する。

 ランとダッツ、そしてシルク。今宵の峠リレーに臨む三人の付き合いはそれ程長くはない。トレセン学園入学以来の、未だ一年にも満たない期間だ。が、その短い間に起きた多くの波乱な出来事(その殆どはシルクが巻き起こしたものだ)を経て、シルクの人となりはおおよそ理解した。

 アイツのことだ、大方、フォーリナに対し宣戦布告をかましたのだろう――その光景が容易に目に浮かび、ランは苦笑する。

 そんなことをすれば、三区で集中狙いされるのは目に見えている。フォーリナからは目の敵にされ猛攻を受けているかもしれない。

 されども心配はしていない。アイツならきっと大丈夫、むしろ今頃は突拍子もない奇策を披露しフォーリナ達をアッと驚かせているかも。そんな事を考えながら、ランは水分補給のボトルを煽る。

「おーい、ラン!」

 峠道の八王子方から声がして、アルダッツが現れた。一区を走り終えたのち、山頂まで登ってきたらしい。ランと合流するつもりだったのだろう。

「お疲れ、ダッツ。あなた……わざわざここまで来たの?」

「うん。向こうの中継地点に居ても、あんまり状況が分かんないしね」

 一区を走った後に二区の区間も踏破してきたのかと目を丸くしたが、それよりもダッツが肩から提げる救護カバンの方が目につき、ランはいたく感心した。

 どうやら、二区までのレース中にフォーリナに転倒に追い込まれた走者達を診て回っていたらしい。自分の担当区間も走り終えて疲れている筈なのにだ。

 幼児の如く無邪気で爛漫な性格のダッツは、時折このように常人とは頭一つ抜けた行動力を見せる。彼女なりにケガを負ったかもしれない同胞を気遣っての行動だろう。

 一定の効果はあったらしく、汗だくの額を腕で拭ってダッツはにかっと微笑んだ。ひと仕事終えたような表情である。後の話だが、二区までの転倒者の中に大事に至った者はいなかったらしい。

「で、シルクは、行ったのか?」

 第二中継地点広場のベンチに座り込みながらダッツは訊く。

「ええ、無事にタスキを渡したわ。今回もひと暴れしてくるでしょうね」

 答えながら、ランはダッツに見てみなよと広場の方に小さく顎を振る。

 ギャラリー達の様子を見て、ダッツもなんとなく察したらしく苦笑した。

「ま、あとはアイツに任せましょう」

「うん、そうだな。じゃあオイラたちは三区の救護に向かいますか」

「ええっ、私まだ二区走ったばかりで疲れてるんだけど」

「何言ってんだい、三区にも怪我してる子がいるかもしれないぞ。それにどのみち麓でシルクと合流するんだし。追いかけようよ、早く早く!」

 ちゃきちゃきした様子で促すダッツに、ランは溜め息交じりに「はいはい」と応じる。この子もシルクと別ベクトルで世話が焼ける子だな、と心中で笑う。

 穏やかな性格で他者を宥める機会の多いランは、それぞれ突っ走ろうとするシルクとダッツのブレーキ役ともいえる存在である。とはいえ無理に抑制しようとはせず、後方で見守り必要とあらば手助けするというのが基本スタンスだ。お姉さん役というのがしっくりくる。

「それじゃー、行くぞラン!」

「おーっ」

 二人はそのまま三区に足を踏み入れ、シルクの足取りを追うことになった。

 コースに出て、相模原側のダウンヒルを望む。陽が昇るまではまだ時間があり、下りの峠道は朝闇に包まれている。

 ダッツは大きく息を吸い込み肺に満たすと、人目も憚らず大声を張り上げた。

「頑張れよーッ、シルク!オイラたちも行くからなー!」

 自分を含めた周囲に気合を入れるため、事あるごとにこうして鬨の声を発するのはダッツの癖だ。

 今この場でそんなことをすれば良くも悪くも注目の的じゃないかと、ランは苦笑いを浮かべる。

 実際、広場に集った者の多くから視線が集中した。呆気にとられるギャラリーや、目くじらを立てるフォーリナの子分とそのファンたち、など反応は多様だ。

「あ、あの……」

 その直後だった。

 ひしめく人垣の中を掻き分け、ランとダッツのもとに駆け寄ってくる者が現れたのは。

「うん?」

「なんだ、おまえ?」

 こわごわと二人は応じる。

 ランは、フォーリナのファンの一人が癇に障って出てきたのかと。ダッツは、自身の声量が大きすぎて苦情がきたのかと。それぞれそう懸念する。

 だが、どうもそうではないらしい。

 その黒鹿毛の小さなウマ娘は、躊躇いがちに、もじもじしながら、それでも真に迫る面持ちで二人へ問い掛けてきた。

「あなた方は“ジャスティスちゃん”のお知り合いなんですか?」

「……え?」

「……そ、そうだけど?」

「ジャスティスちゃんは、いま走ってるんですか?この先のコースを」

「……??(ちゃん付け?)」

「……そ、そうだぞ?」

「ほ、本当ですか?本当に……シルクジャスティスちゃんで合ってるんですよね?」

「え、ええ……?」

「お、おう……?」

「そっか。やっぱり、走るのは最後のダウンヒルだったんだ……」

 ランとダッツは矢継ぎ早に質問を浴びせられ、圧倒される。

 問うてきた黒鹿毛はというと、返答を聞くたび一人で一喜一憂し、何なんだこの子は、という疑念を二人に抱かせる。

 その一方で、おや、と二人には同時に思い当たる節があった。この娘はどこかで――。

「「あっ」」

 両者が思い至るまでは一瞬だった。

 それもその筈、目の前にいる小さな黒鹿毛を二人は先程まで走っていたレースで見ていた。つまり今宵の峠のレースの参加者であり、競走相手のひとりだったのだ。

「あなた、確か二区で一緒に走った……」

「おまえ、オイラと一区で走ってた……」

「……えっ?」

「……あれ?」

 だが、その矛盾にも二人はすぐ気付く。

 ダッツが一区で、ランが二区で、それぞれこの黒鹿毛とともに走ったという。普通に考えればあり得ない。今宵の峠のレースはリレー形式のレースだからだ。ランもダッツもレース前に同区間を走るウマ娘は予め把握していたので、記憶違いということもあり得ない。

 とすると考えられるのは一つ。この黒鹿毛が、一区も二区も通しで走ってきたという事実のみ。現に、黒鹿毛はいかにも気息奄々な様子を醸している。普通の参加者と比べて二倍以上の負荷を負ったので、かなり疲弊しているようだ。

 しかし何故か――その眼は煌々と光沢を放ち、生気に満ち溢れているようだった。シルクに関するやり取りをしている時から突如、水を得た魚のように活き活きと輝きだしたのだ。

「失礼します……!」

 黒鹿毛は話をそこで切って頭を下げると、こうしてはいられないと言わんばかりに三区コースへ駆け出した。もう疲れ果てている筈なのに、所作の素早さに二人は呆気にとられる。それまでの言動からして、どうやら彼女はシルクを追おうとしているようだ。

「なんなの、あの子は……?」

「オイラ達も、行こう!」

 一区から通しで走っていたのは、このレースでいずれかの区を走るシルクを探していたからなのか。そんな無理をして、何故シルクに会おうというのだろう。あの黒鹿毛のウマ娘は、一体何者なのか――。

 疑問を多く抱いたまま、兎にも角にもランとダッツも下り坂へ足を踏み入れていった。

 

 ***

 

 三区レースも中盤を過ぎていた。

 ガードレールキックターンという奇策を用いたシルクは徐々に順位を上げ、先行していた一般参加の走者達に追い付きつつあった。

 シルクを標的にするも、すっかり出し抜かれたフォーリナ勢はその後塵を拝している。

「嘘だろ。フォーリナ達が後方だ、後ろに下がっちまってる」

「山頂で吹っ掛けてきたっていう、シルクジャスティスって奴にも負けてるぞ!?」

「どうしたのブリッツさまーっ!?」

 三区の沿道に居並ぶギャラリー達も、思わぬレース展開に悲喜こもごもの反応を示した。いつもならダウンヒラーの勢威を振りまき駆け下りていくフォーリナが、明らかに焦っている。今まで見たこともないレース展開が、目の前で起こっている。

 そしてそれが思わぬ方向へ急転しようとしているのを、彼ら彼女らも予感しつつあった。

「ミーが頭を押さえる。ヤクト組はサブ標的の誘引、ゲルム組は右側面制圧。位置勘定を見誤るなよ……!」

 次に迫るヘアピン左カーブを前にして、ブリッツは険しい表情で捲し立てた。

 下達された指令通り、子分達も一斉に散開する。ブリッツを追い越し各自の配置についていく。

 前方を走るシルクは丁度コーナーへと差し掛かった。一般走者の隊列に紛れながら、アウトインアウトの従来型コーナリング体勢をとっている。この時点である程度後方のフォーリナ達とは開きがあったのと、スタミナ消耗を嫌ってのことから、ここではガードレールキックを控えたのだ。

 が、シルクのその選択は、今まさに行動に出たブリッツの狙い通りに嵌ることとなる。

「やはりな、アタック――!」

 最後のゴーサインが発令された。

 そこからの一連の出来事は、驚くほど短時間のうちに起こった。

 まず、斥候役として突出したフォーリナの子分が二人、シルクも含む一般走者の列に来襲した。シルクに誘引工作を仕掛けようというわけではない。標的となったのは、シルクのすぐ前を走る無関係の一般走者だった。いとも容易く凍結路に誘引された走者は、目と鼻の先でつんのめり大きく体勢を崩す。

「なっ――」

 この時点でシルクは異変を察知する。不意打ちで仕掛けられた謀略を察知してそれを回避しようとする。

 が、それを阻むように第二の策略が見舞われる。今まさに転倒しようという走者と逆の方向――右方へ舵を切り衝突を避けようとしたシルクの視界に、進路を遮る壁が飛び込んでくる。

 別働隊のフォーリナだ。右側面に配置された子分達がぬっと張り出し、衝突回避の走行ラインを塞いだのだ。

 何故だ。さっきのヤツらといい、こいつらどうやってこんなに早く追いついてきた。まだ追いつかれないだけの差はあったはず――。

 刹那のうちに事態を分析しようとするシルクだが、今はそれどころではない。退避路が奪われた。このままでは転倒する一般走者と衝突する。それだけは絶対に避けねばならない。さもなくば自分はよくとも、接触した相手がどうなるか分からない。

「ちいっ!」

 やむを得ない。シルクは体勢を崩し倒れ込む走者を飛越した。跨ぐように咄嗟にジャンプしたのだ。

 間一髪、接触は免れた。スローモーションのように股下を抜けていく転倒者を見届けて、思わず安堵すら浮かぶ。あぶねえ、向こうに怪我を負わすところだった――と。

 その一瞬の油断を突くような青天の霹靂だった。いつの間に、いつからそこに位置取りをしていたのか。電撃的な機動力を駆使し、まるで幻の如く現出したブリッツが……目の前を走っていた。大飛越を遂げたシルクが、今まさに着地しようとする位置に。

 振り向きざまのブリッツの視線とかち合う。「悪いが、これがミー達のやり方だ」彼女の碧眼の目が、無言で物語っていた。

「うお、っがあぁ――――あぁあああぁあぁ」

 着地のタイミングも体勢も狂わされたシルクは、アスファルトにひとり叩きつけられ、路上を二転三転しのたうち回る。それをひらりと躱したブリッツは、一瞥をくれたのちフォーリナ達を引き連れコーナーの先へと消えていった。

 フォーメーション・オメガ。それはフォーリナの基本戦術である凍結路誘引を応用した、攻撃的転倒誘発走法だった。

 最初に無関係なサブ標的を転倒させ、そこに巻き込まれそうになる本命の標的が採る退路を多重的に塞いで封殺、半ば強制的に転倒に追い込むという策略である。

 シルクは途中、カーブで自分に追いついた子分フォーリナ達に驚きを見せた。こんな短期間で追いついてこれる筈はない、と。常識で考えればその通りの筈である。

 その固定観念を突くのもブリッツの計略だった。

 あの時、子分のフォーリナ達はラストスパートでもするような瞬発力を使い切る全力走行をし、一挙に距離を詰め作戦を遂行したのだ。要するに、子分達はゴールまで走るための余力をこの作戦の為に消費し、捨て石となったも同然だった。そこまでしてくるとはシルクも読めず、ヘアピンでの接近を許してしまった。

 そこから立体的かつ多重的な進路閉塞に遭い、最後にはブリッツによる着地点の事前占拠により行き場を無くし彼女は転倒。峠のカーブに散ったのだった。

「や、やった。上手くいったゾッ」

「ミー達に喧嘩など売るからサ……!」

「これでジ・エンドさネ……!」

 フォーリナを面と向かって挑発し、挑戦状を叩き付けてきた不穏分子を墜としたとあって、子分たちが浮き立つ。

 目的は達された。あとはただゴールに向けて走るのみ。残る一般走者を淘汰しつつ、今宵もフォーリナのトップで華やかな勝利を飾るのみとなった。

 浮つく子分たちを尻目に、ブリッツは無言のままペースを引き上げ、先頭目指し少しずつ速度を上げていった。

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