西陽の射し込む教室で、帰りのホームルームが行われている。
従来であれば担任教諭がひとしきりの連絡事項を伝え終えれば解散となる筈の集会は、この日は若干の延長時間が設けられていた。
「皆さんに大事なお知らせがあります。○〇さん、△△さん、××さんは、今月いっぱいで当学園から転校することとなりました。一緒に過ごせる期間は残り僅かですが、共に切磋琢磨した仲間として――」
くどくどと垂訓を述べたクラス担任はつづいて、転校予定のウマ娘たちを促して順に皆の前で挨拶をさせていく。
去る者たちはこれまでの学園生活への感謝や、僅かばかりの新天地への意気込みを語っていった。教室の空気を気遣って陽気に振舞う者もいれば、人目も憚らず無念を滲ませ教壇で泣き崩れる者もいる。
転校。すなわち、トレセン学園を去るということである。
競走界には毎年五〇〇〇人以上のウマ娘が新規参入するといわれている。その中からオープンクラス以上に勝ち上がれる者は数百名。G2・G3級レースに勝利できるのは百名足らず。G1の大レースに出場し、勝利を収めるようなウマ娘ともなればさらに絞られ十数名のみ。後の世に名を残すようなウマ娘は、ほんのごく一握りしか生まれない。他の大多数のウマ娘は箸にも棒にも掛かることなく、競走界から引退していく。
『永世大不況』以降、競走界を取り巻く環境は激変した。トレセン学園にもその影響は顕著にあらわれている。授業料や寮費の高騰、生徒間の経済状況やレース成績に依る格差の拡大、競走ウマ娘を指導するトレーナーの大量リストラ(人件費削減)等といった幾つもの要因が重なり、近頃はレースで功績を挙げられず、在学する為の学費もままならず、極めつけにトレーナー不足で碌な指導も受けられない――そうした多重苦により志半ばで学園を去る者は後を絶たない。
これでもう何人目だろう、と空席が増えた教室を見渡しながらシルクは考える。
競走界は結果が全てだ。勝者だけが生残し、敗者は人知れずひっそりと虚しく消えゆくのみ。その摂理は分かってはいるが、同室の学友が一人また一人と減っていく日々を過ごすうち、日増しに無常を感じるようになっていく。
トレセン学園を去る者の未来は、暗い。高い志を持って臨んだ競走生活の理想と現実の差に打ちのめされ、心を折られ、それでもしがみつき苦しみぬいた末に都落ちする彼女たちは、決定的な挫折と劣等感を生涯背負っていかねばならない。生半可な希望も救済も、落ち行く先に転がってはいないのだ。
「向こうに行っても元気でね」
「手紙、書くから」
「転校してもずっと友達だよ」
ホームルーム後、クラスメイトたちが転校者を囲んで口々に告げる。学園を去るということの意味を皆分かっているが故に、悲愴な空気が教室内に満ち満ちていく。
そんな様子を傍目に、気安く同情や激励をするのは好ましくないと考えるシルクはひとり黙りこくっている。已む無く学園を去らねばならない相手の気持ちを考えれば、何も言葉が出ない。
「敗者は悪へと成り下がる」――かつて父親が言っていた忌まわしき言葉を思い出し、シルクは眉をひそめた。
学園から已む無く去る者達は、状況だけ見れば競走界の「敗者」かもしれない。だが決して「悪」などではない。彼女達は過酷な競走界でひたむきに努力し、藻掻き、足掻ききったのだ。それが「悪」であるはずがない。
「シルクさん、今までありがとう」
「月末でお別れになっちゃうけど、最後まで宜しくね」
シルクが自分の席で動かずにいると、転校者達のほうから挨拶にやってきた。なんとなく居た堪れなくて、シルクは「おう……」としか返せない。
「それで、相談なんだけど」
「実は転校するまでに最後に一度、私達レースに出るんだ。ただの未勝利戦なんだけど……」
シルクが掛ける言葉を考えていると、転校者たちはゆくりなくも、遠慮がちに話しはじめた。
何やら、頼みを乞おうとしている様子である。
「残り期間、もう短いんだけど、もしよければシルクさんにトレーニングを見てもらいたいの」
「私達より速い人で、こういう事を頼める相手、シルクさんしかいなくって……」
話の内容はこうだ。転校者たちは競走生活最後の締め括りとして、残りの在校期間中に引退レースに出場するのだという。レースは未だに勝ち上がれない未勝利ウマ娘が集うローグレードなものだが、それでもせめて悔いの残らぬよう走りたい。故郷の両親が見に来るという者もいれば、生涯最後となるであろう「競走」に覚悟を以て臨みたいという者もいる。だから、シルクにそれに向けた臨時コーチをして欲しいのだという。
学園内外で様々な問題を起こすシルクだが、クラスメイトなど身近な者からは思いのほか慕われている。彼女が矛先を向けるのは道理の通らぬ理不尽な敵対者・事柄に対してのみであり、普段から周囲に迷惑を振り撒く悪しき不良生徒というわけではない。むしろ身内のクラスメイトからは困った時の御意見番として一目置かれており、転校者達が頼ったのもそうした背景がある。
シルク自身も、身近な者からのこうした依頼は無下にしないタチだ。むしろ、悪態はつきつつも、まんざらでもなく二つ返事で引き受ける人情味があった。
「へっ。問題児のアタシなんぞに頼むとは、お前らもヤキが回ったな」
わざとおどけて返す。悲愴めいた空気は若干、綻んだ。
「ありがとう、転校までよろしくお願いします」
「シルクさんや、皆に会えてよかったと思ってるの。だから、最後の引退レース頑張るね」
――そういう話なら、幾らでも受けてやる。こんな不条理渦巻く救いようのない荒んだ世の中にあっても、明日を見出せる希望が少しでもあれば、それだけでも自分達は生きていける、やっていける。人と人とのこうした細やかな繋がりは、そうした活力を生み出す原動力だ。
たとえ実力で劣っていようと、落ちこぼれであろうと、敗者であろうと。その経験の中で何を得たかが「本質」だ。
こいつらはそれを得た筈。その結実した成果を、仮に勝つことは出来なくとも、引退レースで見せてくれるに違いない。
だから微力ながら、助太刀してやる。最後の思い出作りに付き合ってやる。そうするのが今のアタシの道理であり『正義』だ――。
こうしてシルクは転校者たちの最後に向けたトレーニングを手助けすることに決めた。自分の都合も後回しにしてでも今だけは、自分を頼り慕ってくれる相手に応えようとした。
せめて一片の後悔も残らぬよう、送り出してやろう。その思いには打算も利害もなく、一介のウマ娘としてあるべき人情と道理があるだけだった。
だが、そのささやかな希求は果たされることは無かった。
数日後、転校するウマ娘たちが怪我を負ったという報せが入った。引退レースへのウォームアップも兼ねた峠のレース中に転倒したのだという。故障の程度は重大では無かったものの、医師からは大事をとって当面の間、絶対安静を言い渡されたらしい。
当然、引退レースへの出場は白紙となった。彼女達が競走生活最後の締め括りと意気込んでいた舞台へは、上がることさえ出来なかった。結局彼女達はそのまま学園へ顔を出すこともなく、病院のベッドで競走生活を終えたのだ。
不幸な出来事だった、あまりにも不遇な話だと――しばらくその話は学園内の一部で持ち切りになった。シルク自身も当初はそう思った。
チーム・フォーリナの例の噂を聞いたのはそれから少ししてからだ。
初めてその話を聞いた時、胸がざわついた。
自分には本来関係のない話であるし、仮にそうであったとして何だというのか。無法地帯の野良レースでの事故など、ありふれた話ではないか。
そうは思いつつも、シルクは分析に取り掛かっていた。フォーリナという集団の本質、峠で続発する故障者の発生状況、その巧妙な手口に至るまで、幼少期に施された『英才教育』の賜物である明晰な頭脳を以てすれば、解析に時間は掛からなかった。
不幸な出来事などではない、あの事故はフォーリナの差し金だ。
奴らが奪った。去りゆく者達の、ささやかな最後の願いを踏みにじった。それがどれだけ無念なものであるか連中は分かってなどいない。あまつさえ、峠の無敗王者などと驕り、フォーリナは増長の一途を辿っている。
シルクの心中の熱は、義憤に激しく滾った。彼女の胸にある『正義』が叫びを上げよと促す。
このままで済むと思うな。フォーリナ、お前らはアタシが裁く――。
「ラン、ダッツ。悪いけどツラ貸してくれ」
「……なに、また抗争?」
「おっ、ひと暴れか!?」
同チームであり、最も信頼の置ける二人の同胞を引き連れシルクは大垂水峠へと向かった。その眼中には、既に討つべき標的が据えられていた。
***
「……ですか、大丈夫ですか……」
間近で呼び声が聞こえて目を覚ました。ほんの少しの間、意識が飛んでいたらしい。
見知らぬ顔だ。否、三区をともに走る一般走者のひとりだったとすぐ思い至る。今にも泣きそうな表情で、こちらを見つめている。
「ごめんなさい、私が転倒しちゃって、それに巻き込んでしまったから……」
その震え声で、転倒により霧散していた意識が一気に戻ってきた。
フォーリナは更なる妙技を披露し、シルクを峠に散らせた。今、目の前でしょげている無関係な第三者を転倒させ、それに巻き込ませるという歪曲した方法で。
実際、鮮やかな手腕であることは確かだった。直ぐには追いつけまいと思ったシルクの一瞬の油断を突いた集中攻勢。犯行の証拠も疑惑も必要以上に残さない妨害工作。普通の者ならば何が起きたかも十分に理解できないだろう。
従来の凍結路誘引策以上にその技法は計画的で緻密であり、そして、なにより悪質性が強い。
「あの、お怪我はありませんか……」
転倒させられた一般走者は、傍に寄り添ってきてシルクを気遣ってくる。自分のせいで、シルクも転ばせてしまったと認識している様子だ。フォーリナの策略に利用されたとは露ほども思っていないらしい。よほど責任を感じているのだろうか、自分もリタイアして悔しいであろうに、涙目になってシルクを抱え起こそうとしている。
(悪いのはこいつじゃない、奴らじゃないか。……フォーリナめ)
そんな様子を見て、シルクの胸に火がつく。それは瞬く間に抑え切れなくなるほど火力を増し、転倒の痛みが残る身体を衝き動かしていく。
あまりにも自分本位なやり口。そのために無関係な者をも利用する利己性。転校するクラスメイト達もその毒牙にかかり引退レースを棒に振った。
許さねえ――。
フォーリナの不条理なやり口を目の当たりにし、あらためて義憤に燃えたシルクは、その場から身を起こすや否や再びダウンヒルへと駆け出した。
転倒した走者が驚き、「どこへ」と制止するも、夜明けの近づく暗中をシルクは突き進む。怒り心頭だったが、頭の芯は意外なほどに冷えて澄み渡る。心中の冷静な部分が命じて止まない、あの連中を打ち負かせと。
「てめえらみてえなカスには、絶対負けねえからな……」
瞬く間にトップスピードに乗ったシルクは、奇天烈な勢いでカーブへと踊り込み、先行する者達との距離を徐々に縮めていった。