正義の名のもとに   作:李座空

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峠の交錯(7)

 レースは既に終盤戦に差し掛かっていた。

 ダウンヒル区間の三分の二を過ぎ、多くの走者がスパート態勢に入る頃合いである。それとともに下り坂やカーブが最も難化するポイントだ。

 ブリッツ率いるフォーリナは、シルク攻撃のため落とした順位も漸く挽回し、中段位まで回復していた。このままいけばゴールまでには問題なく先頭を奪回できるペースだった。

「終わってみれバ案外呆気なかったナ」

「もう少し骨のあるヤツかと思ったけどネ」

「ミー達フォーリナに敵などイナイってことサ」

 すっかりもとの余裕を取り戻した子分達が、走りながら口々に囃す。喉元過ぎれば何とやら、彼女らは難敵を葬り去ったと確信しきっている。

 子分達のペースは、引率するブリッツに比べて徐々に低下しつつあった。シルクにフォーメーション・オメガを仕掛けた反動である。いち早くスタミナの限界を迎えた者から順に、追走列から引き剥がされていく。

 だが無論、子分達は承知の上だ。ブリッツの命じたまま、捨て石同然に作戦を決行した彼女らは、既にその末路も受け容れている。それは、チーム・フォーリナを束ねるリーダーへの忠義心に由来するものだった。

「そろそろ疲労がピークだナ。後は頼むヨ、ボス!」

「今夜もアンタが、峠の無敗を守ってクレ」

 追従を断念し下がっていく子分達を尻目に、ブリッツは静かに「ああ」とだけ頷いて走り続ける。やがて彼女のペースに付いてこられる者はいなくなり、単独行となった。

 ブリッツの追い上げは鈍らない。もとより峠で走り慣れているだけあり、先行する一般走者を一人、また一人と着実に抜き去っていく。誘引工作抜きにしてもやはり、速い。トップに立つのは時間の問題だった。

 ゴール地点までの距離も短くなってきた。山頂から標高も下がってきて、麓の町の灯りが近く見えてくる。間もなく夜も明ける頃合いである。

「すげえぜブリッツ、今日もトップだ!」

「峠の不敗記録を伸ばせーっ!」

「ブリッツ様、行け――っ!」

 沿道のギャラリーも増えていく。これもゴールが近い証だ。フォーリナファンから歓声が次々に飛んでくる。全て、先頭を目指すブリッツへ向けられたものだった。

 ふと、ブリッツは物思いに耽る。他走者を蹴落としてまで、峠での無敗を固持することにどれだけの価値があるのだろう、と。それは今まで幾度となく、今レース中にも何度か重ねた自問自答だ。言うまでもなく、答えは既に自分の中にある。分かり切ったことである。

 それでも、いつも峠のゴールが迫るたび、思い出したようにこの葛藤が脳裏をよぎる。

 本当にこれでいいのか――いつまでこんな事を続けるのか――。

 しかしその愁苦は、直後、後方を走る子分達の狼狽する声により掻き消えた。

「うッ、な、何だト!?」

「バ、莫迦ナ!」

「アイツ、なんでマダ走ってル!?」

 ぞくりとした感触が背筋に走り、ブリッツも予感した。未だかつてない空前の事態が起ころうとしている。

「まさか……」

 思わず振り向いて確認する。十数メートル離れた後方、後退した子分フォーリナ達が見える。さらにその遥か後ろに、確かに見た。カーブを抜けた立ち上がり加速で一挙猛追してくる栗毛の影。全身傷だらけになりながらも、ぎらつく眼を剥き差し迫ってくるウマ娘。

 紛れもなく、シルクジャスティスだった。

「しぶといニポンバめッ!?」

「大人しくアスファルトで寝てりゃいいものヲ!」

 間違いなく仕留めたハズ、それがナゼ、ヤツはナニモノだ。口々に呻き動揺する子分達へとシルクは瞬く間に肉薄した。

「ブ、ブロックしロッ!」

「クソッ通すかヨ!」

 子分達も慌てふためきながらも、即座にブロックフォーメーションを組み、行く手を阻もうとする。

「どけ」

「な、なにヲ……」

「……どけぇえッ!!」

 壁となった子分達を前にし、シルクは鬨の声を上げた。

 獰猛な肉食獣の雄叫びにも似たそれに中てられ、もとより浮き足立っていた子分達は途端に恐慌状態へと陥る。フォーメーション・オメガによりスタミナを使い果たしたことも相俟ってブロックは甘くなり、隙だらけとなった隊列の間隙を縫うようにしてシルクはいとも容易く子分達を抜き去った。

「抜ッ、抜かれタ!?」

「アリエナイッ、ミー達のブロックが!?」

「チクショウ、一体どうなっテル!?」

「Damn it!ノオオッ!?」

 子分達の怨嗟の声には一瞥もくれず、鬼の如き勢いを保ったままシルクは邁進する。

 狙うはただ一人。フォーリナの頭領、ブリッツのみ。

「アイツ、あの転倒から追い付いてくるだと……?」

 さすがのブリッツも今の状況に動揺を隠せない。

 シルクをリタイアに追い込んだかと思われた。否、仮にまだ走れたとしても、峠で地の利があるフォーリナに追い付いてくるあの追随力はなんなのか。

 面と向かって宣戦布告してくるだけのことはある。やはり、ただの粋がった不良ウマ娘ではないというのか。

「……くそッ!」

 押されるようにして、ブリッツはラストスパートの態勢に入る。想定よりも早い段階からの、最後の押し上げだ。シルクの猛追に急かされての本能的な行動だった。

 残りも数えるほどになってきたカーブに飛び込む。フォーリナのトップランナーの洗練されたコーナリングだ。もたつく一般走者をまとめてごぼう抜きし、ブリッツは一挙に先頭に迫る。

 どうだ――。

 立ち上がり加速をとりつつ後ろを見向いたブリッツだが、自身と同等かそれ以上の勢いでヘアピンを抜けてくるシルクの姿が目に入り肝を潰す。

 自分達のホームコース、それも相当なテクを要するダウンヒルカーブで差を詰められるということが、如何ほどの異常事態であるか。

「バカな……!」

 ここに至ってブリッツは明確に焦りを感じだした。とんでもない奴を敵に回したのかもしれない、と。

 矢の如くスパートに入った二人は最早誰にも止められず、並の走者が敵うものではない。次々と一般走者を抜き去り、やがて先にブリッツがトップに躍り出た。

 先頭を奪回した。あとはこのままゴールするのみ。それによりフォーリナの面目は保たれる。

 そうはさせじと少しずつ、それでいて確実に差を詰めてくるシルク。

「しつこい問題児が……!」

 引き剥がそうとブリッツは全力で仕掛けた。出しうる全速で駆け、そのままコーナーにもダイブしていく。アウトインアウトのコーナリング。カーブ中のインを抜ける際、数センチ差でイン側の壁を掠めて最速最短のラインで突破する。

 それでもなお、後続の問題児は食らいついてくる。ブリッツは現時点で限界ギリギリの走りをしている。完全に撒くにはこれ以上の突っ込みを要するというのか。

 恐ろしい、ダウンヒルアタックがこれほど恐ろしいと感じたことは今までない――人知れずブリッツは震撼する。

 相模原市街地を一望できるライダースカフェ前の高速カーブを通過した。ゴールがある麓までもうあと僅か。終幕がいよいよ近付く。

 シルクは完全にブリッツの真後ろ、二番手に付いた。前方の走りを窺いながら、隙あらばいつでも抜きに掛かれる位置についている。

 ホームグラウンドである峠のダウンヒルで張り付かれ煽られるなど、屈辱以外の何物でもない。立ち昇る焦燥と苛立ちが、じわじわとマル外のリーダーを蝕んでいく。

 しかし張り付かれようが、煽られようが、前に行かせなければいい。このままトップを死守するのみ。ゴールはもう近い、優勢なのはこっちだ。自らに言い聞かせながらブリッツはゴールまでの筋道を思い浮かべる。

 三区のダウンヒルコースはゴール際までテクニカルセクションが続く。まともな直線区間はもうない。いくらシルクの末脚が凄かろうと、峠のコーナリングに絶対の自信を持つ自分をカーブでは差せまいと踏んでいた。

 左の大カーブに入る。アウトインアウトでほぼトップスピードを維持しながら高速コーナーを抜けた。シルクは依然ピタリと張り付いてきたが、ベストなコーナリングラインを取るブリッツの前に出ることは叶わず。

 いける、優位はやはりこちらに有り。コーナーでヤツに差されるものか、このまま逃げ切れる、勝てる。勝算がブリッツの脳内で弾き出された。

 次のカーブ。右の高速コーナー。ここを越えれば、ゴールまでのカーブは残すところ一つのみ。熾烈なトップ争いを目の当たりにして沿道のギャラリーが猛っている。彼等が見守る中、ブリッツがコーナリング態勢に入る。大きくアウト側を取ったのち、切り込むようにイン側へ。ここも当然最速ラインを取り、シルクを完全に寄せ付けないかに思われた。

 だが。

 コーナリングのさなかにあるブリッツの真後ろにまで、シルクは一気に寄せてきた。インを切り詰めた強気な走行ラインだ。

(インを取ろうってのか、このミーより!)

 ブリッツは自らの走行ラインを固持せんと、より踏ん張りを効かせる。ここで譲ればそのまま敗戦に直結する。いかせるものか。

 それでもなおシルクは引っ込めない。異常接近だ。このままのライン取りでは接触する。ぎらつく視線とひりつく気配を間近に感じたブリッツは瞬間、竦んだ。

(まさか、さっきの仕返しにぶつけてくる気か!?)

 高速コーナーで速度が乗っている今、弾き飛ばされようものならどうなるか。その危機感が命取りだった。無意識のうちに接触回避しようという意思が働いたのか、ブリッツのコーナリングラインは外側へ僅かに膨らんだ。

(しまっ――!)

 その隙を逃すシルクでは無かった。深く抉り込むようにイン側に切り込んだ彼女は、肌身が路肩の岩壁に擦過するのも辞さずブリッツよりさらにインベタをなぞり、そのままカーブを突破していった。

 コーナーを過ぎた立ち上がりでその結果は如実にあらわれる。シルクが前に出た、首位に立っていた。ブリッツはその後塵を拝している。この土壇場で遂に形勢が逆転したのだ。

(今のコーナリングは、なんだ……?)

 ブリッツは暫しの間、状況を飲み込めなかった。トップを奪われたことで放心したわけではない。理由はカーブでシルクに抜かれた際の駆け引きにあった。

 てっきりぶつけられるかと身構えた。反射的に回避行動の足取りとなり、結果としてインを突かれ抜き去られた。その過程だけを見れば、シルクの衝突も辞さない無謀なイン攻めにブリッツが屈したと捉えられる。が、当事者のブリッツがこの一瞬に垣間見た術策はそんな単純な話ではなかった。

 抜かれる際にブリッツは見ていた。シルクが脇目も振らずに、自分よりも深いイン側を攻める鬼気迫る表情を。ぶつかってくると思い込んだ自分へは目もくれず、前だけを見据える横顔を。

 抜かれてからブリッツは気付く、

(アイツ、端からぶつける気など無かったのか……?)と。

 カーブで異常接近を受けた際、ブリッツは報復を恐れる心理を抱いた。最初に自分達フォーリナから一方的に策を弄し続けたがゆえ、条件反射的にやり返されると感じたのだ。一種の被害妄想である。その心中を逆手に取り、回避のため外側へ走行ラインが膨らむと読んだシルクはインベタ攻めを強行したのだ。人知れず数々の狼藉を働いてきたフォーリナのリーダーであるブリッツにとってそれは、皮肉のたっぷり込められた意趣返しに他ならない。

 先頭に躍り出たシルクの大きな背を目の当たりにし、ブリッツはそれら全てを理解し呑み込んだ。

 ――この峠で自分が抜かれるなんて。

 それもダウンヒルコーナーで。

 負ける、この自分が。

 峠で無敗のフォーリナの、リーダーであるこの自分が。

 ここで終わる――?

 屈辱、憔悴、憤慨。様々な感情がブリッツの胸中で渦巻いた。それらは彼女に喝を与えるわけでもなく、首位奪回に奮い立たせるわけでもない。混然一体となった後暗い底意は粘性を湛えた諦観となって、むしろ彼女の脚捌きを鈍らせようとする。

 いずれこうなる。あんなやり方がいつまでも続く筈がなかった。それが今日までだったという話だ。むしろこれで――自分達は解放されるのかもしれない。悪辣で不本意な誘引工作を用いてでも、峠で無敗を誇示せねばならない、歪な立場から。

 ようやく楽になるのかな。

 諦観が心を覆い尽くすかと思われたその時だった。

「……が、ガンバレ、ボス。まだダッ!」

「抜き返せるワッ!」

「アイツに目にモノ見せてヤレーッ!」

 後方より声が響いてくる。ずっと後ろ、数十メートル離れた後続集団からだ。

 フォーリナの子分達だった。後ろから先頭のレース模様が見えていたらしい。二位へ転落した自分達のリーダーに、明確には聞き取れないがエールの言葉を送っているらしいのは、ブリッツにも分かった。

「お前ら……」

 作戦のためにスタミナも失い、レースを続けるのもやっとの状態のくせに。あんなバカでかい声で喚きやがって。つくづく世話の焼ける連中だ――。

 一度は消えかかったレースの灯が、ブリッツの胸の中で再び燻りはじめる。

 そうだ、ここで自分が負ければアイツらはどうなる。自分に今までついてきたアイツらは。ここで終わるわけにはいかない。自分の独りよがりな葛藤のために、アイツらも終わらせることは出来ない。「フォーリナによる峠の無敗」は、必ず守られなければならない――。

 そして最後の押し上げに入ったブリッツの脳裏には、「最悪の選択肢」が浮かんでいた。

 

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