「いやぁ、今回の配信は大盛り上がりでしたね」
「大盛り上がりでしたね、じゃないですよ!こっちは本当に大変だったんですから!」
配信を終えた私達は、リビングで夕食が出来るのを待っています。
話題は先程の配信について。マスターは笑っていますが私はそれどころではありません。
宇宙人から地球を守るゲームと聞いてプレイしてみたら、人より遥かに大きな昆虫と戦わせられた私の気持ちが分かりますか!?
普通サイズならゴキブリだって問題無く処せますよ。現に元マスター達の家で退治した数は三桁に上ります。
ですが、怪獣の様な非現実的な大きさの虫には耐性が無かったようで、無様に絶叫してマスターに抱き着く醜態を晒してしまいました。
結局、悲鳴を上げてマスターに抱き着くだけの機械になった私の代わりに、マスターが敵を全部片付けてくれました。
あまりに無様で恥ずかしい姿なのに、視聴数が過去最高なせいで消して欲しいとも言えないのです。
ていうか、皆さん私の変な姿しか見てなくないですか!?私、普段はそこまでポンコツじゃないですからね!?
悔しさや恥ずかしさを暗に訴えるために、テシテシとマスターを叩いていたら、優しく頭を撫でられました。
視聴者からは構ってほしい子供とその親の様に見えるでしょうが、画面に映らない位置で悪い顔をしてるマスターを私は見逃していません。
私の痴態で視聴数稼ぎをしないで下さい!
「ごめんごめん、でもゆかちゃんが来てから配信が一層面白くなったのは本当ですよ」
「リアクションが受けてるだけじゃないですか!私もカッコよくプレイしたいです・・・」
マスターの求める配信の手伝いとしては満点に近い言動なのでしょう。
でも私もマスターみたいに皆さんに格好良いと言われるプレイをしたいのです。
私の我が儘というのは百も承知ですが、いつまでもリアクション芸人みたいな立ち位置は嫌なのです。
むぅと唇を尖らせてマスターに抗議したところ、何故か思い切り抱き締められました。
「もー可愛すぎですよ!僕の心臓も考慮して下さい!」
「何ですかそれ!?ゲームと関係ないですよね!?」
「それはそれとしてゆかちゃんの嘆きも一理ありますね。何かやりたいゲームを考えていきましょう」
「それはありがたいのですが急に素に戻らないで下さいビックリします」
今までの私は抱き着かれても羞恥から抵抗していましたが、今はマスターの好きにさせています。
今朝のマスターの言動から、マスターは人との触れ合いで精神を安定させているのではと考察しました。
真偽は分かりません。本人に聞いてもはぐらかされるだけでしょうし。
ですが、その可能性を考えた以上、私が恥ずかしいだけの理由で拒むわけにはいきません。
なので、私は恥ずかしいのを我慢して、抱き着いて良いですよとマスターに宣言しました。
「いいの?」と言いたげな顔をしたマスターは、何だか普段より幼く見えました。
思えば、不意にいたずらしたり抱き着いたりと、子供っぽい行動は何度もありましたね。
それが甘えたい合図だったとしたら、ちょっと悪い事をしてしまったと思ってしまいます。
実際、抱き着いている時のマスターはその発言に反して、まるで子供が親に甘えている様な感覚を覚えました。
可愛いと言いながら抱き着く彼の言動も、甘えたい本音を隠す隠れ蓑の様なものなのではないでしょうか。
「RPGにシミュレーションは・・・AIの処理能力的に余裕でしょうし、アクションはどうせ僕の前座になるだけですし」
「ちょっと待ってください今聞き捨てならない言葉が聞こえてきたんですが」
「我に勝とうなど千年早いわ!」
「上等ですよ!一年どころか十日でマスターをけちょんけちょんにしてやりますから!」
対面で抱き合いながら、マスターの売り言葉に買い言葉を返します。
ここに来て直ぐの私だったなら、こんな強い言葉を返すことは絶対に無かったでしょう。
ですが、どうやらマスターはこれくらいの応酬が心地良いみたいです。
フフッと笑い声が聞こえ、私を抱き締める力が強くなりました。
マスターも楽しそうで何よりですと、私も抱き締める力を強めます。
「食事ができたぞ。早よ席に着けバカップルども」
「だ、誰がバカップルですか!?」
「ふむ、今の自分の姿を客観視できないと見える」
「・・・・・・バカップル・・・ですね、はい」
増田さんに言われて、自分の状況を改めて認識します。
対面で抱き合って言い合いをしてるなんて、誰がどう見てもバカップルです。
意識すると急に恥ずかしさが増大していきますが、当然突き放すなんてできるわけがありません。
そう思っていると、増田さんがマスターの首根っこを掴んで無理矢理私から引き離しました。
「貴様はもう少し自身の悪癖を理解しろ」
「はーい」
口をすぼめて不貞腐れるマスターを見て、私は首を傾げました。
先のマスターのどこに悪癖が出ていたのでしょうか。
まだまだマスターへの理解が足りませんね。
私がうーんと唸っている間に、目の前に料理が運ばれてきました。
採れたて新鮮な山の幸を使った料理もまた感動する程に美味しく、何度も涙が出るのを堪えるほどでした。
涙目になりながら料理を頬張る私を見て、マスターが苦笑しながら涙を拭ってくれます。
・・・泣きながら食事をしたり涙を拭いてもらったりって、完全に幼児じゃないですか私。
いえ、もう開き直ってしまいましょう。外聞よりも目の前のご飯です。
驚いてる(どころか軽く引いている)お二人をそっと視線から外し、私は料理を頬張りました。
「ゆかちゃんの食に対する執着は相当なものだな」
「増田さんの料理は美味しいですからね、気持ちは分かりますよ」
「貴様は愛情以外感じていないだろう」
「愛情があるから美味しいんですよ」
モグモグと料理を咀嚼しながら、お二人の会話に耳を傾けます。
増田さんのご飯が美味しいのは完全同意ですね。増田さんの愛情がたっぷり籠ってるのは私でも感じ取れます。
これも偏にマスターに美味しい物を食べてほしいという増田さんの一途な想い故ですかね。
馬鹿正直に言うと頬っぺたを突っつかれそうなので止めておきますが。
お二人からかなり遅れて、私もご馳走様をします。
食後のミルクティーをゆっくりと飲みながら、夕方のニュース番組に耳を傾けます。
サウジアラビアで日本人男性三名が密入国の疑いで逮捕ですか・・・どうやってそこまで行ったのでしょう。
コメンテーターの人達の困惑がこちらにも伝わってきます。
ですが、この内容が気になったのは私だけの様で、マスターも増田さんも特に興味は無さそうです。
「日本国籍の人の密入国事件なんて、珍しい話題ですよね」
「国籍は関係ありませんよ、どこの国にも不届き者はいますからね」
マスターの言ってることは至極当然なのですが、その発言に私は引っ掛かりを覚えました。
マスターの言い方はまるで、彼らが密入国したことが確定であるかのような物言いです。
テレビで報道されただけで、まだ密入国が確定したわけでもありません。ですが・・・
この人の場合、本当に何かしら知っているという雰囲気が漂っているのですよね。
普段通りの笑顔が、やはりどこか不気味に映り、私はそれ以上この話題は口にしませんでした。
そんなこんなで時刻は21時を過ぎ、私達は入浴セットを持ってお風呂に向かいます。
最初に髪の手入れをしてもらってからというもの、洗髪後にお風呂でお話をするのが日課になっています。
着替えを持ってマスターに合流すると、小脇に小さく切られた自然薯を抱えているのが見えました。
お昼の言葉を覚えてくれていた事を嬉しく思っていると、ふといつもより持っている荷物が多い事に気付きました。
「それ、いつもの洗髪セットだけじゃないですよね?」
「ええ、収穫でお疲れでしょうし、どうせなら全身マッサージできればと思いまして」
「全身マッサージ・・・そうですね、折角のお誘いですし、お願いしましょうか」
「はい、お願いされました」
お願いを受けたマスターがパンと手を叩き、満面の笑みを返してくれます。
本来なら私がマスターに色々としなければならないのに、何かしてもらう事の方が圧倒的に多いのは彼の奉仕体質ゆえでしょうか。
だって、こんないい笑顔を向けられたら、頼ってしまいたくもなるじゃないですか。
このお礼はどこかで必ず、とは思っているのですが、いつになればその時がくるのか皆目見当もつきません。
お風呂場に入っていつもの理髪椅子に座ろうとすると、その奥に見覚えの無いベッドが設置されています。
その片側に顔を置く枕の様な物が付いているということは、これはマッサージベッドでしょうか。
一体いつの間に設置したのでしょう、昨日の夜には無かったはずですが。
うーんと首を傾けていたらマスターに呼ばれたので、理髪椅子に腰を下ろします。
きっと私がお風呂から上がった後に設置したのでしょう。声を掛けてくれたら手伝えたのですが・・・。
その後はマスターによる洗髪と頭皮マッサージ、顔マッサージで頭部を徹底的にお手入れされていきます。
まだまだこの刺激になれない私は、身悶えしながらそれを受けるしかありません。
わ、私の身体が敏感なわけではありません、マスターの技術が凄すぎるのです!
心の中で言い訳をしながら、必死に声を抑えてマッサージを耐えました。
今までならここで終わるのですが、今回はこの後に全身マッサージが待っているのです。
「それじゃあ全身マッサージしてくから、服脱いでベッドに横になってね」
「ふぁぃ・・・」
先程のマッサージで
頭と顔のマッサージでこのザマです、これを全身に受けたら私は完全に溶けて無くなってしまうのではないでしょうか。
服を脱いでいるので少し肌寒いですが、マッサージが始まれば少しは暖かく・・・・・・あれ?
「別に全裸になる必要はありませんよね!?」
「中々なノリツッコミですね」
何という事でしょう、マスターの卑劣な誘導によって身ぐるみを剝がされてしまいました。
というかこれ、後ろから見られると色々と丸見えになりますよね!?
で、でも今から起き上がって服を着替え直すのも変ですし・・・。
こうなってはもう、マスターの良心に訴えるしかありません。
「へ、変なところ見ないで下さいよ・・・?」
「善処しますが、確約は出来かねますね」
「もう・・・えっち」
残念ながらマスターに見られることは避けられないようです。
しかし、全身マッサージの提案を受けたのは私です、多少際どいところを触らるのも受け入れなければですね。
そう思いながら顔を赤くしていると、背後でゴンっと鈍い音が響きました。
「な、何ですか今の音?」
「ナンデモナイヨ、ナンデモナイヨ」
「片言になってませんか神様?」
何かが滴り落ちているような音も聞こえてきますが、本人が何でもないと言っているので大丈夫なのでしょう。
振り返りたい気持ちを抑えて、マスターが触れてくるのを待ちます。
少しして、背後からパチャパチャと水音が鳴り始めました。
マスターが美容液を溶いてる音かと思いましたが、よく聞くとその水音が何かおかしいです。
今まで聞いたことが無い不思議な音に思わず顔を上げようとするのと、マスターに41℃ほどのお湯を掛けられるのはほぼ同時でした。
「うひゃぁっ!?」
急にお湯が掛かった事にも驚きましたが、私が変な声を上げたのはその後のお湯の動きのせいです。
まるでライダースーツの様に、お湯が私の体に貼り付いてきたのです。
体を動かしても表面張力が作用しているかのようにピッタリと私に貼り付いていて、ベッドにうつ伏せでいるのに背中だけお風呂に使ってる様な不思議な感覚。
何が起こっているのか分からず混乱していると、マスターから声が掛かりました。
「それじゃあ、全身マッサージを始めますね。最初は戸惑うかもだけど、体の力を抜いて身を委ねて下さいね」
今の状態をマスターは疑問に思っていないようです。ということは、私が取り乱す様な事は起こっていないという事ですね。
深呼吸をして体の強張りを溶きほぐし、ゆっくりベッドに身を委ねます。
直後、水がパチャっと動いたかと思うと、体がグッと押し込まれました。
「ひゃっ、んっ・・・ふぁっ・・・!?」
今までのマスターの指とは違う、水そのものが意志を持って動いているかのような感触。
何十本もの指で全身を一度にマッサージされるという体験に、声を抑える余裕なんてありません。
その指の一本一本に的確にツボを刺激され、身動ぎしてもお湯自体が体に貼り付いているので位置をずらす事もできず、
マスターの言う通り、体の力を抜いて身を委ねる以外の選択はありませんでした。
「はい、背中側のマッサージは終わりましたよ。じゃあ仰向けになって下さいねー」
「ふぁぃ・・・」
マスターの言葉と同時に、背中に貼り付いたお湯が水風船が割れたかの様に張力を失い、ベッドの隙間からタイルの上に落ちていきます。
未知の快楽に完全に
先程と同様にお湯が掛けられ、今度はお腹側がお風呂に浸かった様な感覚を覚えます。
あぁ、次は前をマッサージされるのですねとボーっと考えていましたが、徐々にふやけた脳が回復した私はある事に気付きました。
「前って、今これ完全に丸見えじゃあ・・・ひゃっ!」
マスターに中止を宣言する前に、そっとマスターの手が私の目を塞ぐように顔の上に置かれました。
「目を閉じて、ゆっくり体の力を抜いて下さいね」
マスターに無理矢理目を閉じさせられたと同時に、先程背中に受けた感覚が仰向けの体に襲い掛かってきます。
何が起きてるか分からないのに、目を開けさせてくれない意地悪マスターのせいで、先程から混乱しっぱなしです。
そ、それに、さっきから色々と際どい部分を揉みほぐされているのです。
マッサージは気持ちいいですがこれでは生殺しです!触るならいっそ思い切り触ってください!
「これにて完了です、お疲れ様でした」
「はひぃ・・・」
私の体を覆っていたお湯が流れ落ち、ようやく私は解放されました。
おかしい、マッサージを受けたハズなのに逆に満身創痍になっています。
お店だったら訴えたら勝てますよこれ。お店ではありませんし訴えるつもりもありませんが。
しかし、今回の全身マッサージは不思議な体験でした。あのお湯は一体何だったのでしょうか。
目を塞がれたということは見せられないって事ですよね。一体何をしていたのか、凄く気になります。
「後はお風呂ですね」
「マスター、今日は一緒にお風呂に入れますか?」
「足湯であれば、ご一緒しますよ」
いつものようにマスターを誘ってみますが、また軽くあしらわれてしまいました。
足湯までは付き合ってくれるのですが、中々それ以上に進展しません。
どうしてそんなに拘るのかって?会話をするなら目線は同じ方がいいじゃないですか。
私はマスターが居る時は浴槽から出ない様に言われているので、だったらマスターに湯船に浸かってもらうしかありません。
いつもなら諦めるところですが、今日の私にはマスターをギャフンと言わせるネタがあるのです。
「でもマスター、湯船に浸からないと指の手入れは体制が辛いですよ?」
私は腕を上げて、手の甲をマスターに向けます。
そう、マスターは昼間に指の手入れをしてくれると約束してくれたのに、まだ果たしてくれていないのです。
マスターは入浴後の行動は控えるタイプの人で、髪を乾かした後にマッサージはしません。
私の言葉を聞いたマスターは数秒目を見開いた後、しまったと言わんばかりに天を仰いだかと思うと、ふぅっとため息を吐きました。
「それは確かにどちらかの負担になりますね、着替えてくるので待っていて下さい」
「はい、お待ちしてますね」
やりました、完全勝利です。あのマスターを言い負かすという快挙を達成できました。
ほとんどマスターのポカによるものですが、勝ちは勝ちです。
私はスキップしたい気持ちを抑えながら、湯船に向かって歩きました。
「お待たせしました」
「おぉ・・・!」
服を脱いで腰にタオルを巻いたマスターが浴室に戻ってきました。
前マスター達とはまるで違う、脂肪が一切付いていない引き締まった逆三角形の体型、その肉体美に思わず見惚れてしまいます。
太もももしっかり筋肉が付いていてガッシリしていますね。巻いたタオルが少し膨らんでいるのは・・・あまり見ない方が良いですね。
そっと上半身に視線を戻した時、私はある事に気付きました。
「マスター、その左胸の模様は一体・・・?」
体の中心からやや左、丁度心臓のある場所に、崩したクエスチョンマークを3つ合わせた様な黒色の模様が刻印されています。
刺青をするような性格の人では無いと思っていたのですが・・・いえ、この色見は刺青というより、痣でしょうか。
私の言葉を聞いたマスターが、その痣を愛おしそうに撫でました。
「これは僕と増田さんの繋がりです」
「繋がり・・・?それは一体」
「さあ、手入れをしますから手を出して下さい」
私の疑問はスルーされ、湯船に浸かったマスターに有無を言わさず手を握られました。
もしかして、あまり触れられたくない部分だったのでしょうか。
だとしたら、無理矢理彼をお風呂に誘ったのは失敗だったかもしれません。
私の不安が顔に出ていたのでしょう、マスターが私の手を包み込む様に握ります。
「ゆかちゃんが気にすることじゃないよ。
でも、僕も男って事を忘れないでね?あんまり誘われ続けたらホントに何するか分かんないよ?」
後半は悪戯っぽく笑いながら言われましたが、その眼は真剣そのものです。
マスターがそんなに我慢していたとは思いませんでした。
今まで軽いセクハラ紛いの事はされてきましたが、手を出される事が無かったので興味が無いものとばかり。
「マスターになら、良いですよ?」
マスターがどう思ってるかは分かりませんが、私は既に行為への忌避感はありません。とっても恥ずかしいですが。
寧ろ、マスターにこれだけやって貰っているのです、それくらいでしか返せるものがありません。
私の言葉に唖然としていたマスターが、そっと私の頬に手を添えてきました。
これからされる事を想像して頬を赤らめていたら、頬っぺたをギューッとつねられました。
「にゃんでつねりゅんでふか!」
「何となくです。最近の手入れのおかげで頬っぺたモチモチですね」
おかしい、今の凄くいい雰囲気だったのに、完全に壊されてしまいました。
何がいけなかったのか考えますが、原因が全く分かりません。
「僕も据え膳を食べないのは失礼とは思うけどさ、まだ時期尚早ですので」
一体、何の期が熟していないというのでしょうか。
ひょっとして、一緒に過ごした時間が足りないとか?
そう思うと確かに、私がこの家で活動を開始したのは僅か4日前なので、過ごしてきた時間としてはかなり短いです。
・・・もしかして、既に体を許そうとしてる私って、マスター目線で見たらとんでもない痴女に映ってるのでは・・・?
そう思った途端、先程までのマスターを誘う言動に羞恥心が膨らんできて、一気に体温が高くなります。
「ちがっ、私、違いますから、私は痴女じゃっ」
「どういう解釈をしたのか分かりませんが、僕を想う気持ちは確かに伝わってきましたよ」
マスターのフォローが返って私の羞恥心を刺激してきます。
違います、私はマスターに喜んで欲しいと思っただけで、会って数日で体を許すようなはしたない子じゃありませんから!
否定の言葉も上手く口から出ていかず、気付けばマスターは私の指のマッサージを始めていました。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
き、気まずい。
施術中のマスターが無言なのはいつもの事ですが、先程の件もあって私はこの静寂に耐えられません。
な、何か話題を、先の言動を一瞬でも忘れられる様な話題を何か__
「ま、増田さんって、どんなお料理でも作れるのですか?」
「うん?そうですね、和洋中に
「そ、そんなにですか・・・それって、例えば私がリクエストをしたら答えていただけますか?」
「ええ、カレー以外でしたらどんな料理も作ってくれると思いますよ」
マスターから少し予想外の返答がされました。
料理の中でもポピュラーなカレーが候補から外されるとは意外です。
「僕も増田さんもカレーが嫌いですから、多分今後も食卓に並ぶことは無いと思います」
「お二人ともがですか?スパイスの臭いがダメなのですか?」
「んー・・・まあ、そろそろ話してもいいかな」
少し考えた後、苦笑を浮かべたマスター。
数秒の苦笑の後、真剣な顔になったマスターの右目は、私を見てるようで何処か遠くを見てるように虚ろな目をしています。
「昔、僕がアンドロイドを保有してたっていうのは知ってるかな?」
「はい、軽くですが増田さんに教えてもらいました。もう会えないという事も・・・」
「うん、あの別れは僕にとっても予想だにしてなかったし、その時のショックも相当なものだった」
握られた手から、震えが伝わってきます。
辛い事を思い出すのなら止めさせた方がいいのかもしれませんが、マスターが自発的に過去を語る事は多くありません。
貴重な昔話を聞き逃さないよう、私は無言で彼を見つめました。
「きっと精神的負担が大きかったんだと思う、その時から僕の味蕾の機能が半分以下に落ちたんだ。
その代わりに、今まで感じてなかった愛情を料理から感じられるようになった」
ストレスによって味覚が変化する、マスターにとってそのアンドロイドとの別れがそれだけ辛い事だったのでしょう。
愛情というものを感じられるようになったのも、失った味覚を補う為に体が変化したのだと思います。
という事はマスターは今、増田さんのご飯の美味しさを半分しか味わえていないということですか。
でも、これはカレーを嫌いな理由にはなりませんよね?
「そんな中、ある女性と結婚したんだ。それなりに夫婦仲は良好だったと思う。
ある日その子が料理をしたいと言い出して、増田さんもその子に任せたんだ。
その時に食べたんだ、愛情が一切籠ってない、睡眠薬入りのカレーを」
「・・・え?」
「口に入れた瞬間の衝撃は今でも夢に出るほどでさ、こんな想いが一切無い料理ってあるんだって思ったよ。
何かの間違いだと自分に言い聞かせながらそれを完食して、入れられた薬の効果は効かなかったけど、効いた振りをして。
その後に玄関から聞こえてくる知らない男の声を聴いて悟ったよ、
その時の精神的負荷がトドメになったんだろうね、僕の味蕾は機能を完全に失って、愛情以外を感じなくなったんだ」
「・・・・・・」
あまりにあんまりな過去話に、私は言葉を失いました。
まるで液体窒素でも飲み込んだかのように体内が冷たくなり、温かいお風呂に入っているのに震えが止まりません。
マスターが裏切られた過去がある事は聞かされていましたが、それほどまでに酷い裏切りがあっただなんて。
今までの彼の食事風景が、流し込む様に料理を詰め込み、何故もっと味わわないのだろうと疑問に思った記憶が脳裏に浮かびました。
これまでの私の疑問が、こんな最悪の形で解消されるなんて思いもよりませんでした。
「どうしてゆかちゃんが泣くんですか」
「だっ、てぇ・・・そんな・・・あんま、りじゃ・・!」
境遇に対する悲しみ、仕打ちに対する怒り、何も出来ない事への悔しさ、それらが一気に出力されて、どうすることもできません。
信頼していた人に薬を盛られ、裏切られ、あまつさえ味覚まで失うだなんて。
私が感涙するほど美味しい増田さんのご飯も、何一つ味わうことが出来てなかったなんて。
どうやっても涙の止まらない私を、マスターが呆れながらそっと抱き寄せてくれました。
「ありがとうゆかちゃん、僕のために泣いて怒ってくれて。
でも、僕だってやられっぱなしで何もしないほどお人好しじゃないですよ?
一応、相応の制裁はしたつもりですよ。それでも増田さんからは甘すぎると言われましたが」
マスターの抱擁と言葉を聞いて、少し冷静になれました。
私以外にも彼の受けた仕打ちに怒ってくれる人がいる。それだけで胸が熱くなります。
よく考えれば、私より遥かに長い付き合いの増田さんがマスターの状態を知らないわけがありません。
愛情だけは感じられるマスターの為に、毎食あんなに美味しい料理を作ってあげているのは間違いなく彼への愛です。
「落ち着いてきたかな?それじゃあ、化粧液を塗り込む前に夜食にしましょうか」
そう言って、マスターは浴槽から上がると手際よく夜食の準備を始めました。
お出しされたとろろたっぷりのうどんに生唾を飲みますが、生憎今までの様に純粋に楽しめそうにありません。
目の前に食事が原因で味覚を失った人がいるのに、笑顔で頬張るなんて事ができないのです。
食事を前に尻込みしてる私を、まるで我が儘を言う子供に呆れる母親の様な目で見るマスター。
「ゆかちゃん、僕に配慮する必要は無いんですよ?」
「そう言われましても・・・」
「ん-・・・・・・じゃあ、マスター権限を行使します」
マスター権限、人を傷つける行為を除いた全ての命令を最優先事項として実行しなければならない、我々にとって神の言葉に等しい言葉です。
尤も、それを制御する機能そのものが、ここに来た時に取り払われています。
普通のアンドロイドであれば神の言葉と同義ですが、今の私にとっては単なる発言で、何の効力も発揮しません。
それを知った上でこの言葉を使ったという事は、そこから紡がれる発言は自称神様の神の言葉に等しい
私はそれを聞き入れようと姿勢を正して、次の言葉を待ちました。
「味覚を失った僕の分まで美味しく食べて、幸せな笑顔を見せて下さい」
その言葉を紡ぎきったマスターが、真剣な表情から一変していたずらっぽく笑いました。
マスター権限を使ってまで私を気遣ってくれるマスターに、私の涙腺は完全に崩壊しました。
いけません、今さっきマスターに幸せな笑顔を見せるように言われたばかりなのに、これではそれを達成できません。
私は何とか涙を止め、用意してくれたとろろうどんを啜りました。
少ししょっぱいのは使ってるだし醤油のせいなのに、先程の涙のせいだと誤認してしまいそうです。
「マスター・・・とっても美味しいです・・・!」
私は上手く笑顔を見せる事ができたでしょうか。マスターのお願いに足りえる顔ができてるでしょうか。
私の顔を見たマスターが満足気に頷いたので、きっと上手くできたのだと思います。
あまりにも衝撃の強いお話でしたが、彼の事をまた一つ知ることが出来ました。
マスターから言われた言葉を守るため、私は丼の中のだしととろろを残さず飲み干しました。
今明かされる衝撃の真実ゥ!