目が覚めると、私は一面真っ白な空間に立っていました。
重力が無ければどこが上か下かも分からないような何もない場所。ただ、前に見た悪夢とは違って、嫌な気配はしません。
ぐるりと周囲を見回すと、少し離れた場所に茶会のセットがあり、そこに誰かが座っていました。
その人物がマスターだと認識した私は、笑顔になりながら彼の元へ駆け寄ります。
白い空間に合わせた真っ白なテーブルとイスはどちらも細やかな装飾が施され、一目で高級品と分かります。
ケーキスタンドには一口サイズのカラフルなケーキが並べられ、その配置や彩りにも気が配られています。
いつものお八つの時間とは違う、本格的な茶会のセットに目を輝かせる私を見て、マスターが微笑みながら口を開きます。
「いらっしゃいゆかちゃん、ごめんね殺風景な部屋で。ささ、遠慮せず座って」
「はい、失礼します」
なるべく音を出さないように、マスターの対面に置かれたイスに座ります。
すると、テーブルの上のティーセットがふわりと浮き上がり、私の前で紅茶が淹れられます。
あぁ、やっぱりここは夢の中なのですねと目の前のメルヘンを見ている間に、ティーカップが私の前に降りてきます。
「作法も気にせず、好きに食べて下さい」
「いただきます」
ケーキの一つを皿に取り、一口頬張る。上品な甘さが口いっぱいに広がります。
そんな私の姿を見てるマスターは妙にソワソワしていて、何かを話したそうにしてるのが見て取れました。
私は口へ運ぶ手を止め、マスターへ向き直ります。
「何か、話したいことがあるのですよね?」
「あはは・・・雰囲気に出てましたかね。僕もまだまだだなぁ」
頬をポリポリと搔きながら苦笑するマスターでしたが、スッと目つきが変わり、真剣な表情で私に向き合いました。
雰囲気の変化に気付いた私も、姿勢を正してマスターの目を見つめます。
「ゆかちゃん、君は言ってくれたね、全てを親身に受け入れると。真剣に受け止めると」
「はい、確かに言いました」
私自身が言った言葉です、その時の気持ちにも噓偽りは一切ありません。
自分の放った言葉を否定することはない、そうマスターに宣言するようにマスターの言葉に私は即答しました。
それでも、マスターの不安は取れなかったようで、その眼の色は変わりませんでした。
少しの沈黙の後、マスターは諦観した微笑みを浮かべて口を開きました。
「もしも僕が、何人もの人を殺した事がある、と言ってもですか?」
刹那、真っ白だった空間が血の様に赤黒く変色、地面が隆起して空との境界が分かるようになりました。
その地面が、折り重なった人の屍と認識するのに時間は掛かりませんでした。
自分達が居る場所は何も変わらず、その周囲が一変する光景に、思わず息を吞みます。
「残虐非道な拷問で数多の人に生き地獄を味わわせてきた。そんな人間だと言っても、昨日と同じ言葉を言えますか?」
「・・・私は__」
「っと、そろそろ朝ですね・・・最後に、君がどう答えたとしても、僕はその言動を受け入れますからね」
そう言い残し、マスターは何処かへ消えていきました。
いつの間にか赤黒く屍の山が転がっていた空間は、元の真っ白な空間に戻っていました。
私も、用意してくれてた茶会のセットもそのままで、空間の奥に出口と思しき光が見えます。
空になったティーカップに自動で紅茶が注がれていきます。満足するまでここに居て良いということでしょう。
注がれた紅茶にゆっくりと口を付け、心の中で先のマスターの言葉を復唱します。
(何人もの人を殺した事がある、残虐非道な拷問を行ってきた人間だとして、私はそれを受け止められるか、ですか)
私はカップの中身を飲み干し、出口と思しき場所を目指して歩きます。
気を遣ってこの場を残してくれたマスターには申し訳ないですが、私にとって長考する内容ではありませんでした。
光の源に触れると同時に、私の意識が現に戻っていく感覚がしました。
起床の時間になり、スリープモードが解除された私は、ゆっくりと上半身を起こします。
マスターと話していた夢の中の内容・・・あれは本当にマスターの過去だったのでしょうか。
昨日聞いたマスターの境遇、味覚を失うほど酷い裏切りへの報復と考えれば、そのような凶行に走っても不思議ではありません。
ただ、それだと何人も殺してきたという、夢の中のマスターの発言と乖離が出そうですね。
そこまで多くの裏切りが起き続ける可能性は非常に低いですし、現実的ではありません。
・・・いやそもそも、夢で会ったマスターの発言を鵜呑みにして考察を行う事自体が現実的では無いじゃないですか。
実際にマスターが言ったわけでは無いのに、あの謎の空間の雰囲気が夢と現の境を曖昧にしたのでしょう。
危ない危ない、自分のマスターを殺人鬼にするところでした。
夢の中の言葉は頭の片隅に留める事にして、私は身支度を整えます。
(今日の朝ごはんはなんでしょう)
気分を切り替える為に、最近の楽しみであるご飯の事について考えます。
増田さんが作って下さるご飯はどれも絶品ですからね。
そう考えたのがいけなかったのでしょう、脳裏に浮かんだのはその絶品の料理を黙々と流し込むマスターの姿。
どんなに美味しい料理も味わう事ができず、ただ作業的にそれを飲み込み続けるしかできないのですね。
マスターからの命令は当然完遂するつもりですが、やはり胸が痛みます。
嫌な事をされたわけでも、怖い夢を見たわけでも無いのに、こんな気持ちになるのは初めてですね。
いえ、どんな話でも聞きたいと願ったのは私ですし、マスターを責めるわけではありません。
ただ単に、あまりに衝撃的で悲しい事実を飲み込むのに時間が掛かっているだけです。
いつまでもその事実を引きずっているわけにもいきません。
パンパンと両頬を叩いて気持ちを切り替え、私は部屋を出ました。
リビングに入れば、いつものように増田さんが料理を作っています。
彼が毎食作っている料理も、マスターは味わえていないのですよね。
そう思った時、ふと気付きました。
毎回食事をミキサーで混ぜて飲んでいる増田さんも、まともに食事を味わっていないのです。
もしかして、増田さんも味覚をやられてしまっているのでしょうか。
「おはようゆかちゃん・・・入らないのか?」
「え・・・あ、すみません、入ります」
考え事をしていたせいで、ついリビングの入り口で立ち止まってしまっていました。
足早に定位置の椅子に座ると同時に、増田さんがコーヒーを淹れてくれます。
ゆっくりとカップを手に取り、ふと中を確認します。
毎朝飲んでるコーヒーの苦味も、ミルクや砂糖の甘味も、マスターは味わう事ができないんですよね。
「・・・あの一件は私の警戒不足が原因だ。アイツに消えない傷を負わせてしまった」
増田さんが私の対面に座り、ゆっくりと言葉を紡ぎます。
私に秘密を喋った事も聞いているのでしょう、私がその事で気落ちしてる前提の発言です。
相変わらずその素顔は見えませんが、その声色から後悔や怒りなど、様々な負の感情が読み取れてしまいます。
「あれほど短慮で愚かな存在だと見抜けず、遠ざける事が出来なかった。全ての責任は私にある__と言ったら気負い過ぎだと叱られたな。
彼女を選んで連れてきたのは自分だ、私が責任を感じる必要は無いと」
「ホント、お二人はお互いが大好きですね」
「・・・互いを尊重しているだけだ」
懺悔と思ったら惚気だったので軽く茶化してみましたが、否定はしませんでしたね。
照れる増田さんという珍しい光景を見ながらコーヒーを飲みます。
お二人の間には、強い絆が確かにあるのが感じられて、やっぱり羨ましいです。
・・・もしも、夢の中と同じ質問を増田さんにしてみたら、彼はなんと返すのでしょうか。
私はふぅっと息を吐き出し、増田さんに話をしてみました。
「増田さんはもし、マスターが人を殺したと言ったらなんと返しますか?」
「・・・逆に聞くが、ゆかちゃんなら、アンドロイドならなんと答える?」
「えぇ・・・質問で返すのですか」
「私はアイツが何をしようとアイツの味方だ、これで良いか?さて、人を殺したマスターをアンドロイドはどうする?」
増田さんはさらっと私の質問に答えると、自分のことなどどうでもいいと言わんばかりに私に話題を振ってきます。
指を組んで私の返答を待つ増田さんは、雰囲気は柔らかいのに圧迫面接の様な威圧を放っています。
アンドロイドならどうするかという問いに、私は過去の事例を思い返しながら口を開きます。
「過去、アンドロイドがマスターの殺人事件に関わった事例は3つあります。
一つは犯行前に相談されそれを説得、犯行は未然に防がれました。
一つは説得も空しく実行に移される直前だった為、やむなくアンドロイドが通報、マスターが逮捕されました。
一つは凶行を見逃した後、その個体はマスターを庇い隠蔽に加担、逃避行を続けるも逮捕されました。アンドロイドのその後は不明です」
「三者三様だな・・・通報と加担の違いはアンドロイドの好感度の差か?」
「はい、マスターを庇った個体はかなり長い時間連れ従っていたようです」
「なるほど、アンドロイドにとって黙認は禁止事項では無いのだな」
増田さんの言葉に私は頷きました。
アンドロイドが人を害する事は禁忌ですが、マスターの行動への対処は個々の裁量に任されていました。
隠蔽に加担した一件から、会社ではアンドロイドの行動制限を強める会議が開かれましたが、噂では社長が一蹴したとか。
曰く「所有者を
尤も、当時の私には関係の無い話で、マスターの改造で会社から完全に独立した今となっては真相は分かりません。
私の言葉に満足したのか、増田さんは空になったカップを手にキッチンへ戻り朝食作りを再開しました。
そこから2時間ほど経過して、マスターがリビングに入ってきました。
寝不足なのか顔色が悪いのは相変わらずですが、今日は幾分かマシに見えます。
お互いに朝の挨拶を交わした後、自分の前に置かれた朝食に手を合わせて黙々と食べるマスター。
単なる日常の一コマなのに、事情を知った後だとあまりに残酷なその風景に、思わず奥歯を噛み締めます。
味を感じないのに毎食しっかり食べるマスターと、それを知った上で絶品なご飯を提供し続ける増田さん。
いくら気にするなと言われても、そう簡単に割り切れるものでは__ふぎゅっ!?
「にゃにふぉひゅるんでふかまふたー!?」
「眉間に皺が寄って怖いお顔になってるアンドロイドちゃんの表情筋をほぐしてます」
そう言いながら、マスターは私の両頬をグニグニムニムニと揉みしだいてきます。
最初はこういうマッサージもアリかと思いましたが、よくよく考えたらこれはマッサージですらありません。
これあれですよね、犬とかを可愛がる時の揉み方ですよね!?
「もうマスター、私は犬かなにかですか!」
「あれ、バレちゃった。でもゆかちゃんって犬っぽいところありますよね、ほらほらワンちゃんいい子いい子」
「うー、ワンワンワン!」
「はい可愛い」
私を可愛がってる時のマスターはホントにいい笑顔をしています。
こうやって気さくな会話をする事でマスターが楽しんでくれるなら、冥利に尽きるというものです。
・・・いえ、マスターは私が暗い顔をしていたからそれをほぐしてくれたわけで、楽しんでるのは私も同じですね。
もっとマスターのお役に立つには、やはりアレでしょう。
「さあマスター、ソファに移動して下さい。今日も膝枕をしてあげます」
「あはは、嬉しいお誘いだけど、流石に毎日だとゆかちゃんも疲れ__ぬぎゅっ!?」
「毎朝目の下に隈を作って顔色が悪い人を癒すためには当然の行為です」
先程のお返しに、今度は私がマスターのほっぺをムニムニする番です。
しっかし、まるで10代の少女の様な柔肌ですね。ホントにマスターは一体何歳なんですか。
推定20代男性のモノとは思えない肌を堪能しつつ、マスターを真似してその頬をマッサージしてみます。
そんな私達のやり取りに、背後から増田さんが加勢してくれます。
「打算の無い好意だ、素直に受け止めろ」
「そうですよマスター、私にもっと無遠慮に来いと言ったのに、マスターは私に遠慮しまくりじゃないですか」
「それを言われると言い返せないなぁ。それじゃあ、お言葉に甘えますよ」
「はい、承りました」
マスターも観念したようなので、ソファに移動して昨日教わった手のマッサージを施します。
増田さんも反対側のソファに腰を下ろし、朝のニュースを見始めました。
政治や昨今の世界情勢が淡々と読み上げられていく中にアンドロイド関連の暗い話題が無かった事でそっと息を吐きます。
毎日同胞の暗い話題を聞くのは嫌になりますからね。
その後、三ツ星シェフが教える簡単レシピという番組に僅かに前のめりになる増田さんを見てて、ふと昨日の事を思い返しました。
「抱き合ってると引き離されたのに、膝枕は推奨するのですね」
「僕が快眠できるので、増田さん的にプラスなんですよ」
あまり睡眠をとれていないマスターにとって、私の膝枕は数少ない快眠の方法なのだそうです。
確かに、普段から慢性的な不眠に悩まされているマスターには私の膝は最高の快眠枕でしょう。
「私の膝ならいつでも貸しますから、ゆっくり休んで下さい」
「ん・・・」
頭を撫でてあげると、気持ち良さそうに破顔するマスター。
不意に子供の様に純粋な笑顔を見せてくるから侮れません。
口角が上がった顔を見られないように目線を逸らしながら、マッサージを続けます。
段々と呼吸が浅くなり、心拍数が緩やかになっていくのを感じていると__
「そこまで無警戒になれとは言ってねぇ!」
「ひゃっ!?」
唐突に謎の奇声を上げて飛び起きたマスター、その声に思わず私も飛び上がりました。
この人の大声を初めて聞いた私は、一体何事かと丸くなった目でマスターを凝視します。
当のマスターは頭を抱えたままで、こちらの困惑は一切目に入っていないようです。
なにやら独り言を呟いたかと思うと、クルリとこちらへ振り返りました。
「ごめんねゆかちゃん、急用が出来たので出かけます」
言い終わると、私達の行ってらっしゃいを聞く前に足早に部屋を出ていきました。
あの一瞬で何があったのか、呆然とする私は口を閉じるのも忘れてリビングの出入り口を見つめます。
「な、何だったんですか一体・・・?」
「アイツにも色々ある、気にするな」
増田さんはそう言いますが、その直後に「せっかくの睡眠時間だぞ全く」と呟いたのを聞き逃しませんでした。
気にするなと言っていた増田さん自身も納得はしてないところを見ると、ホントに急な外出なのだと再認識します。
マスターを膝枕しながらのんびり過ごそうとしていたのに、変な空気のままお昼を迎える事になりました。
「疲れた・・・ホント疲れた・・・調整しんどい、もうムリ・・・」
私達がお昼を食べ終わった後、疲弊したマスターが戻ってきました。
顔の周りがゲッソリしてるところを見るとホントに大変な何かを終えてきたのでしょう。
ブツブツと文句を呟きながら、自然な動きでマスターは私に抱き着いてきました。
「あー癒されるー」
「何をされてたか分かりませんが、お疲れさまでした」
「自分から大変な道を選んでおいて全く」
増田さんはため息を吐きながら文句を言っていますが、昨日の様に私から引っぺがす様な事はしません。
それだけ今は精神が不安定な状態だということなのでしょうね。
今のうちに存分に癒されて下さいねと、私はマスターを抱き返します。
「落ち着いたら昼食を取れ。それと、午後の配信の準備は出来ているのか?」
「それですが、今回はちょっと趣向を変えてみようかなと」
そう言うとマスターは棒状の物を机の上に置き、そこにカメラを設置し始めます。
所謂自撮り棒と呼ばれる物・・・という事は、今回は外での配信でしょうか。
「たまには目的の無い外出も良いかと思いまして、位置情報ゲームアプリをしながら気になるお店を散策してみようかと」
「ふむ・・・ゆかちゃんが車に轢かれる未来が見えたが」
「あっ、自分周りの未来覗は出来ない僕でも今その光景がハッキリ見えました」
「お二人とも好き勝手言い過ぎじゃありませんか!?」
いくらゆかりさんでもそんなこと・・・そんな・・・あぁ、どうやら私も未来覗ができるようになったみたいです。
ゲームに夢中になって車道に入っていく自分の姿がアリアリと浮かびました。
流石に今回は横で見てるだけにして__
「そうだ、紐で結べば飛び出し防止になりませんかね」
「それなら、貴様が周囲に気を配れば問題無いな」
「問題有りですよ!紐って完全に犬じゃないですか!」
リードを付けるアイデアを出すマスターも、それで問題無しと判断する増田さんも酷いです。
何より、首輪を付けて街中を歩いてる絵面が酷過ぎます、どんなプレイですか一体。
・・・まあ、マスターに本気でお願いされたら少しくらいなら付き合っても、いいですけど。
そう思っていると、マスターが驚いた表情で私を見ていました。
「あれ、僕は命綱みたく互いの腰に紐を付けるイメージでいたんですが」
「私も同様だ」
「ゆかちゃん、何を想像したんです?」
ニヤニヤと私を見るマスターの顔に、体温が急上昇するのが分かります。
ち、ちがっ、これは違くてですね、そんなつもりじゃ・・・ぜ、全部元マスターが悪いんです!(責任転嫁)
顔を真っ赤にしながら色々と弁解しますが、結局配信の時間になるまで、マスターのニヤニヤ顔を戻す事ができませんでした。
お願いすればワンちゃんになってくれるそうです