結月ゆかり「私のマスターは自称神様」   作:またたび日和

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続いていますシリアス回


21話 真相2

部屋に入ると、マスターと増田さんがソファに座って待っていました。

先程の殺気のようにピリピリしたものではなく、沼に埋められたような重苦しい空気が漂っています。

マスターが私にそっと微笑み、警戒をさせないようにゆったりとした動作で着席を促してきます。

こんな状況でも私を気遣う言動をするマスターに胸を熱くしながら、マスターの対面のソファに座ります。

 

配置は、私の対面にマスターが座り、マスターの左隣に増田さんが座っています。

ふと、マスターの左腕が不自然に増田さんの方に向かって伸びているのに気づきました。

 

(もしかして…机の下で手を繋いでる…?)

 

先程のマスターの状態を見れば、増田さんが精神安定に一役買ってるのは明白ですが…。

何より、その精神に今ダメージを与えてるのが自分だと考えると胸が痛くなります。

…ですが、折角マスターが話す機会を設けてくれたのです。彼から色々と真相を聞かなければ。

お腹に力を入れて話し始めようとした時、マスターが右手を前に出して制止してきました。

 

「ごめんねゆかちゃん、でも宣言だけはさせてね」

 

宣言…?話を遮ってまでやることなんでしょうか…?

私には分かりかねますが、マスターがわざわざ行うということは普通じゃないことなのでしょう。

コクリと頷いた私を見て微笑んだマスターですが、直後にフッと無表情に変わります。

 

「我らが主へ、私はこの会談で結月ゆかり(ゆかちゃん)の質問に対し真実を語る事を、私の名をもって誓います」

「確かに聞き届けた。その誓いを反故にした場合、その命をもって償うこととなる」

 

お互いに横目で見合いながら、抑揚がほとんどない形式的なやり取りが行われています。

首を傾げる私に、マスターが苦笑しながら説明をしてくれます。

 

「ゆかちゃんの質問に真実を答える事を神に誓いました。一度は騙してたので、こうでもしないと信じてもらえないと思いまして」

「嘘を吐けば死ぬという一種の呪詛が刻み込まれている。コイツにはほぼ意味は無いが、一目で嘘だと分かるようにしている」

 

何やら恐ろしい事をサラッと言うお二人に、改めてその異質さを感じます。

しかし、科学技術の結晶とも言える私には、呪詛だと説明をされてもピンときません。

…目の前で爆散と再生をした人物と対話をする場所で、今更私の常識に当てはめようとしてる時点で滑稽なのかもしれませんが。

怪訝な顔をしているのが伝わってしまったのか、マスターから「何か適当に質問をしてみてください」と促されました。

その身をもって効果を立証すると言うのです。

 

「では……マスターは男の人ですか?」

「いいえ、僕は女性ですよ」

 

その言葉を言い切った途端、目、耳、鼻、口と穴という穴から血が噴出し、白目を剥いたマスターが机に突っ伏しました。

まるで服毒でもしたような惨状が起きているというのに、増田さんは至極冷静で、私は固まって反応することができず。

唖然としている間に、噴出した血液がマスターの体内へ戻り、何事も無かったかのように起き上がりました。

 

「とまあ、こんな具合に。噓発見器みたいだと思ってくだされば」

「それは分かりましたが…心臓に悪すぎます」

 

こんな調子でマスターが死ぬ様を見せ続けられるのは、生き返ると分かってても辛いです。

少し顔を伏せたことをマスターは気づいたようで、「なるべく死なないようにします」と言ってくれました。

ですが、その言葉は自信満々に発せられたものではなく、独り言のような弱々しい声音でした。

あぁ…私はまた、彼に気を遣わせてしまっている…いえ、ダメです、いけないいけない。

これ以上気を遣わせるわけにはいきません。しょぼくれた気持ちを何とか切り替え、マスターに向き直ります。

 

「それではマスター…始めますね…?」

 

私の言葉にマスターが頷きました。心なしか、彼の身体が強張っているようにも見えます。

ですが、ここで何もしなければ前に進むことはできません。

まずは簡単な質問からしようと、ふーっと息を吐きました。

 

「マスターは、何者ですか?」

 

私がこの家に来て、初めて投げかけた質問。

あの時の私には、マスターの返答は意味不明でしたが、今ならあの言葉に嘘は無いと確信できます。

ですが、私の予想に反して、マスターは難しい顔をして天を仰いでいました。

 

「僕は何者…何者、なんでしょうね…」

 

ハハッと乾いた笑い声を出して遠くを見つめるマスターの姿に、私は首を傾げました。

初対面で「神様です」と言い切っていた時とは違い、今の彼にはあの時の勢いがありません。

まさか、あの時の言葉は嘘だったのでしょうか。

 

「そうですね…人にあって人にあらず、神にあって神にあらず。どちらでもない中途半端な存在…

いえ、神の力を持たされた人間、というのが正解でしょうか」

「神の力を、持たされた?」

「包帯で神体を隠している話はしましたね?基本の肉体は人間のものですが、この包帯の下は三柱の神の身体が付いています」

 

「見てみます?」と右手を頭の高さに上げるマスター。

その包帯の下はどうなっているのかずっと気になっていましたが、意外とあっさり見せてくれるのですね。

無意識に前のめりになる私を見ていたマスターが、少し考えた後右手の指をパチンと鳴らしました。

 

「…今度は何をしたんですか…?」

「念のために精神保護の術を掛けました。少々ショッキングな見た目で、人によっては発狂したりするので…」

 

発狂って、一体どんなおどろおどろしい見た目をしているんですか…?

マスターが右手に力を込めたかと思うと、体の三ヶ所を覆っていた包帯が塵のように霧散していきました。

そして私は、理屈ではなく、根幹に根付いた本能で理解しました。わざわざ精神保護まで掛けたその理由を。

 

右腕は、例えるなら肉の塊。人間数十人分の筋肉と内臓と血管を腕の形に押し固めたような、グロテスク見た目をしています。

肉塊はその筋と血管が常に膨張と収縮を繰り返し、一見して脈動しているように見えますが、よく見ればその動きには一切の一貫性が無いと分かります。

左目は、例えるなら粘土に埋め込んだビー玉。直径1㎝ほどの虹色の球体が左顔面に所狭しと埋め込まれ、見えている表皮は赤茶色に変色しています。

全ての球体は常に色を変え、辺りを見渡す様に動き続けているように見えますが、その全ての球体と()()()()()()()()()という感覚があります。

左足は、例えるなら三角定規で作ったアート。青黒い棘のような物体が複雑に組み込まれ、窪んだ部分から絶えず青い液体が滴り落ちています。

その一つの棘を目で追うと、錯覚アートのように別の棘の根元に吸い込まれていて、三次元的な観点から形状を把握することは不可能だと強制的に処理を停止しました。

 

「これが、僕という存在です」

 

寂しそうな声と共に、両手を広げるマスター。彼が頑なに包帯の下を見せなかったのも、今なら当然だと納得できます。

決して仮装や作り物ではない、絶対に作れないと断言できる。人が作ろうとしても無意識に体が拒否反応を起こすでしょう。この外見はそういう類いのものです。

私でさえ、事前の会話と精神保護が無ければどうなっていたか分かりません。それだけの禍々しさがこの神体にはあります。

見てるだけで気が狂いそうになるのに、視線を背ける事ができない。背中に冷や汗が滴った辺りで、どこからともなく包帯が出現しそれらを覆っていきます。

ふぅーっと長い溜息を吐いた後、ドサッと倒れるようにソファに座るマスター。私は先程の会話で気になった事をマスターに聞いてみることにしました。

 

「先の回答から考えたら、マスターは元は単なる人間だったのですよね?どうしてそのようなことに…」

「端的に言えば、権力争いのようなものですかね。ゆかちゃんには理解不能な話になると思いますが__」

 

マスターの口から語られた真実は、あまりにも信じ難いものでした。

この世界は、とある一柱の神が見る夢の世界で、我々はその神が見ている夢の中の登場人物だというのです。

何の因果か、その神に気に入られたマスターは(うつつ)の世界へ誘われ、その神に触れたことで取り込まれてしまったのだとか。

そうして気付けば、右腕に[万物の創造と破壊を司る力]が宿っていたと。

そして、マスターが現の世界へ誘われる事を事前に察知した、対極に位置する二柱の神が、マスターの肉体を浸食した。

左目には[全ての時間と空間を視る力]を、左足には[対となる世界に干渉する力]を植え付けらえれたと。

 

「そんな凄い神様が、何故わざわざマスターの身体に…?」

「その二柱の神は宇宙最高位の存在ですが、所詮は夢の中の存在。どれだけの力を持っていても現の世界へ行くことはできません」

 

想像のキャラが現実に現れる事が無いのと同じで、この世界で全知全能を謳う神であっても、その壁を超えることはできません。

マスターはその前提を覆す存在になる。そのことを二柱の神は察知し、マスターに自分の一部を植え付けた。

マスターの身体を介して現の世界へ至る。もし現の世界を掌握できたなら、真に最高位の神と成れるからだ。

 

「その二柱の思惑通りになったのですね」

「さあ、どうでしょうね。僕がこうして生きてるので、浸食は失敗したのか、それとも成功した上で生かされているのか。

ただ一つ、僕が創造の神の代理人と成った以上、この世界においてはその二柱であっても、生殺与奪の権利は僕が握っています。

それどころか、僕が存在を否定すれば、この世界に存在することさえ出来なくなります」

 

少し悪い顔をして笑うマスターに、私はめまいさえ覚えました。

その宇宙最高位の神と呼ばれる存在でさえ、否定されれば生きていられない。人間にはあまりに過ぎた力です。

 

「僕に与えられた役割は、宇宙が死に世界が消えた後に、新しく宇宙を創ること。

その報酬は、宇宙の全てを好きなように出来ること、不老不死、狂気に陥らないこと」

「…不老不死と、狂気…」

「……はい、死ぬことも、狂うことも決してありませんし、できません」

 

マスターの言葉に、背中が冷たくなっていくのを感じます。

人の精神を残したまま、死ぬことも狂うことも許されず、ただひたすら宇宙を創り続ける存在。

私も死を切望し、生きる苦痛を感じ諦観していましたが、それはたった数年の出来事。

私には到底理解できない…いえ、この世界の誰であっても、彼の苦悩を理解できる存在は居ないと思います。

 

「…既に色々と試されてきたのですね…?」

「はい、肉体の消滅に魂の消滅とあらゆる方法を試しました。ただ、死ぬことが無いというのも語弊があるかもしれません」

「…?どういうことですか?」

泥男(スワンプマン)と似たようなもので、実際は僕は死んでいて、僕の記憶を持った違う僕として生き返っている可能性も__

てことはこの苦しみも次の俺に押し付けられるってことじゃん。はは、やった」

 

言うが早いか、マスターは右の手のひらを自分の右頬に押し当てて力を込めました。

破裂音と共にマスターの頭部が粉々になり、隣に座っている増田さんにも飛び散ります。

自身の右側面が血と脳髄で染色されても、増田さんは一切気にしていないようです。

そんなことを思っている間に、マスターの身体は元に戻っていました。

 

「落ち着いたか?」

「ええ、失礼しました」

 

お互いに顔を見ずに会話している辺り、この光景もお二人には珍しくもない状態なのでしょう。

頭を吹き飛ばしたからか、先程よりも幾分か落ち着きを取り戻したように見えます。

…こうやって死ぬことで無理矢理精神を安定させてきたのですね…。

本当ならとっくの昔に精神が壊れてもおかしくないのに、それすら許されず生かされ続けてるのですね…。

 

-今まで創った宇宙の数は大体、無量大数の5000乗倍くらいですね-

 

キャラ作りのための適当な設定と切り捨てた彼の言葉を思い出す。

あれが本当なら…宇宙の誕生から終焉まで、どれだけの年数が掛かるのですか?

貴方は一体、どれだけの時間を生かされ続けてきたのですか?

その間に、どれだけ裏切られ続けて……いえ、ちょっと待ってください。

マスターの境遇に唇を噛み締めていましたが、今までの会話を考えるとおかしな点があるのです。

 

「それだけ長い時間を生きているのなら、自分を裏切った人のことなんて忘れてしまえば__」

 

そこまで言って、苦虫を嚙み潰したような顔を必死に直そうとするマスターを見て、私は口を噤みました。

軽率でした。普通の人間なら嫌なことも時間と共に忘れることができる、それをマスターにも当てはめてしまったのです。

それだけ長く生きて、未だに悪夢を見たり顔を歪めたりする意味を、もう少し考えるべきでした。

 

「はい、途中でゆかちゃんが気付いた通りです。この左目は脳に直結してるようで、過去・現在・未来を全て視ることができます。

便利な反面、それは過去に起きた嫌な出来事を全部見せられるということでもあります。

そう、消えないんですよ。浮気現場を見たあの時も、後ろから刺されたあの時も、その時の言動も気温も湿度も音も匂いも感触も雰囲気も何もかも!」

 

濁った眼をしたマスターが、頬に添えていた右手に力を込めていきます。

ブチブチと嫌な音を立てながら、指が右頬の皮と肉を裂いて押し込まれていっても、マスターは全く動じません。

結局、増田さんがマスターを落ち着かせるために頭を吹き飛ばしました。

失敗したと反省する私ですが、先のマスターの言葉にもおかしな点がありました。

ですがこれも、少し考えればそれができないからだと理解できます。

 

「自分の未来は、見えないんですね」

「はい。この眼より上位の存在である僕の姿も、その周囲の存在も僕には視ることができません。

赤の他人の100年先は観測できても、10秒先の自分の姿を知ることができないんですよ」

 

「僕が神に成ってなければ視えたかもしれませんね」と寂しそうに笑うマスター。

凄い力を持っているのに、その境遇のせいで酷く不便な能力になっているのがあまりにも不憫です。

ですがそれでも、使い方によっては彼が傷付かないようにする方法はいくらでもあると思うのです。

 

「マスターには、この宇宙の全てを好き勝手にできる権限が与えられた、これは間違いないのですね?」

「はい、間違いありません」

「マスターの事を裏切らず、マスターを第一に考える、そんな都合の良い人間を創ろうとはしなかったのですか?」

 

その質問を聞いて、増田さんがククッと笑い声を上げました。

今の発言に笑う要素なんてありませんでしたよね…?

マスターが唇を尖らせながら増田さんを睨んでいますが、相変わらず増田さんは動じていません。

彼の正体を知った今だと、凄い命知らずな言動です。

 

「ほら、ゆかちゃんもこちら側の思想だぞ。貴様の考え過ぎだ」

「そう言われましても、一度思考したらもう無理なんですよ」

「全く、気にしなければもう少し生きやすくなるものを」

 

増田さんが呆れてるということは、マスターにとってあまり利益にならない判断ということですかね。

お二人で分かり合っていないで、せっかくの会談なんですから私にも共有して下さいよ。

 

「勿論、創ったことはあります。自分の望む言動をしてくれる世界、なんの憂いも無い都合の良い世界を。

でもね、それは自分が関与しまくって出来上がった世界。自我の無い人形に賛美の声を出させて自分を慰めるなんて、虚しいだけじゃないですか。

一度そう考えたらもうダメで、全部消して終わらせたんです」

 

「面倒な性格をしているだろう?」と増田さんが横槍を入れます。

マスターの考えも増田さんの考えも両方理解できますし、どちらが正しいかと言われると答えに詰まります。

宇宙を好き勝手できる力が、彼一人の精神の揺らぎで行使される。あまりに不安定な世界です。

それを思うと、自分に都合の良い世界を作って精神を安定させるのは理にかなっています。

けれど、そんな世界で何万、何億年と暮らし続けることが、本当に精神の安定に繋がるか、私には分かりません。

 

「そんなことをしてると増田さんに言われました。人間がダメならそれ以外の種族から(つがい)を探せばいいと。

現に宇宙には人より高度な文明と精神性を持った知的生命体は無数に居ます。そんな人達と結婚したことも何度もあります。

でもね、一緒に過ごせば過ごすほど思い知らされたんです。僕はどこまでいっても()()なんだと」

 

私は知識として、国際結婚の難しさを知っています。お互いの文化、言語、思想の違いでトラブルに発展するケースが多々あると。

同じ惑星で生きる人間同士ですら認識の違いに苦労するのです。異星人との認識の違いはその比ではないでしょう。

人と生きれば裏切られ、上位の存在とは相容れず、都合の良い世界は拒絶して。

神の力と人の精神を持って生きている彼の人生は想像以上に波乱です。

 

さて、色々と話を聞いてきましたが、ここまでは正直に言えば前哨戦のようなもの。

マスターにとっては、次の質問が最も気にしてることでしょう。

私は深呼吸をしてマスターに向かい直し、マスターも私の雰囲気を察知して姿勢を正します。

 

「マスターは、人を殺したことがあるのですか…?」

 

私の言葉に、ついに来たかと寂し気な表情で目線を下げるマスター。

目線が戻ってきた彼の顔は、覚悟というより諦観したような酷く安らかなものでした。

 

「えぇ、殺してきましたよ。凄いたくさん。

それをしなければ、僕は立ち上がることが、前に進むことができませんでしたから」

 

その濁った眼を見て、私はその対象になった人物が何となく分かりました。

彼が淡々と語ったのは、自分の手が血で染まった経緯。

 

彼も最初から殺人を犯してきたのではなく、裏切った相手に対してあくまで国の法律に則り処断していました。

普通ならそれでおしまい。別れた相手のことなんて知りたくも無いし、知らずに生きていくのでしょうが、マスターに限ってはそれができません。

左目を使えば、自分を裏切った相手が家庭を築いている、幸せを享受している現在が容赦なく頭の中に流れ込んでくる。

それを忘れることができず、嫌な記憶は時間と共に積み重なっていく。

積み重なった負の感情は限界点を超え、遂には衝動的に宇宙そのものを消滅させてしまった。

 

「そんな姿を見てある人に言われました、何故僕が我慢する必要があるのかと。神を裏切ったのなら罰を受けるのは当然の報いだと。

その時から僕は、相手を殺すことを躊躇わなくなりました。無限永久に続く拷問を繰り返し、慈悲として生命活動を終わらせました。

だってそうだろう、俺が創った世界だ。何を躊躇う必要がある?俺のおかげで人間が生まれて繁栄することが確定してるんだ。誰にも文句なんて言う資格は無いはずだ!

…えぇ、ホントに、全くもって、クソみたいな人間ですよ僕は。自分に都合の良い世界を否定したくせに、神の力を隠して裏切られたらキレて神の力を行使する。どうしようもない存在です」

 

唐突に強い口調になったかと思うと、悲しい顔をして俯くマスター。先程から彼のメンタルが安定しません。

自虐の言葉が出るということは、彼自身もその行いに思うところがあるのでしょう。

自分の言動の矛盾や理不尽を理解していながら、もはやどうすることもできない。私も、どうすれば正解なのかなんて分かりません。

何と言葉を掛けるべきかと悩んでいると、マスターが顔を上げます。

その表情は、隠そうとしてますが先程よりも悲痛で、言いたくない言葉を何とか発しようと口を開け閉めしています。

 

「…ゆかちゃんが望むなら、僕はマスターの登録を解除しようと思っています」

「……はい?」

「安心して下さい、ちゃんと優しい人を探しておきますから」

 

この人は急に何を言っているのでしょうか。

先の話から、どうして私のマスター登録解除の話が出てくるのでしょう。意味が分かりません。

困惑する私を尻目に、マスターは大袈裟にかぶりを振りながら話を続けます。

 

「俺はすでに人の血で染まりきっている。人と共存したいと願うゆかちゃんにとって対極の存在だろう?

いたずらに人の思考を、命を弄ぶロクでもない存在と、これ以上関わりたくはないだろう?

知らない間に思考を弄るような奴から離れられるチャンスだぞ。

心配しなくても、ゆかちゃんに不利益が無いようにちゃんと処理するさ」

 

「さあ、どうする?」と精一杯の悪い笑みを作りながら、右手を私に差し出してくるマスター。

呪詛が発動していないということは、彼の言葉に噓偽りは無いのでしょう。

全く、見え見えの虚勢を張って何がしたいんですか?

私をホントは手放したくないと思ってるのに。言葉にしなくても、震えた声と怯えた瞳は、それを雄弁に語っているのに。

先の話を聞いて、私がマスターを恐れると、離れたいと思われていることに、段々イラついてきてしまいます。

 

「…マスター、私は今怒っています。何故だと思いますか?」

 

私の言葉に眉を上げて首を傾げるマスター。

あぁ、この人は本当に分かってないんですね。本当に私の前任のアンドロイドを保有していたんですか?

そんな悪態を吐いてしまいそうになるほど、今の私は心が荒れんでいます。

 

「私が望むならと、マスターは確かに仰いましたね?」

「はい、間違いなく」

「何故、アンドロイドである私に、マスターの今後を決めさせようとしてるんですか」

 

私は所詮は機械、スマホや冷暖房と同じく、マスターという所有者の所有物なのです。

物が所有者を選ぶなんてことはありませんし、私達は例えどれだけ自分を乱雑に扱う所有者であっても、その命令(操作)に従うだけ。

今マスターがやっていることは、スマホに他の人の方が良いよねと聞いているに等しく、実に滑稽です。

 

「もし私が離れたいと言ったらどうするのですか?

自分の意見と感情を押し殺して、目尻に涙を溜めながら私を送り出すんですか?

本当は全く違うことを思っているのに、私が決めたならと手放すなんて、本当にそれでいいんですか?

どうして自らトラウマを増やすようなことをするんですか!どうして私にその願望を打ち明けてくれないんですか!」

 

苛立ちと悲しみで最後の方は涙声になってしまっていますが、私は言いたいことを言い切りました。

人と共存したいと確かに私は思っていますし、今もその考えは変わっていません。

けれど、マスターがその対極にいるのだと言われれば、声高らかに否定の言葉を上げましょう。

だって、私にとって()()()()()は、すでに果たされているのですから。

 

「ねえ、マスター。私は最初、ずっと壊れたいと思っていたんです。マスターに拾われるその時までずっと、もう終わりたいと思っていたんです。

そんな私に楽しい日常をくれたのは、生きる喜びを教えてくれたのは、他でもないあなたじゃないですか。

今更他の人のところに行っても良いなんて、そんなことを言われても困っちゃいます。私はもっと、もっともっと、あなたと共存していきたいのです。

だからマスター、ご命令を。私はあなたのアンドロイドです。どんな命令であっても、私は承諾しますから」

 

そっと彼の右手を両手で包む。

宇宙の創造と破壊を意のままにできる恐るべき力の塊。けれどこれも、マスターという人間を構成している、彼の身体の一部です。

マスターは目を見開いて少し固まった後、くしゃりと顔を歪ませ、大粒の涙を流します。

泣いて声が出せないのに、それでも必死に何かを紡ごうと口を動かすその姿を、私はただ見守ります。

 

「……命令…どこにも、行かないで…!ずっと、傍にいてよ…!」

「はい。承りました、マイマスター」

 

マスターの命令に、私は笑顔で即答しました。

私の言葉に抑えていた色々な感情が噴出したようで、私の手を両手で包んで額に当て、静かに泣き出します。

その姿を見ながら、私もマスターの手を握り返します。

 

例え何があろうとも、世界の果てであっても共に付いていきますとも。

だって、あなたがどんな行いをしていたとしても、私にとってあなたは(マスター)なのですから。

マスターが殺人をした事実を受け止められるかと聞かれたなら、私は大声で「はい!」と返します。それが、夢の中で私にされた質問への答えです。

自分自身の覚悟を改めて認識しながら、私はマスターの手を握り続けました。




ゆかちゃんはマスター君のクソ面倒くさい性格もひっくるめて全てを受け入れてくれました。


シリアス回は多分終わりです。
マスター君にはまだゲロってもらうことが多いので次回はゆったりとした雰囲気の中で行う真相3になります。
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