すたすたと歩き続けて20分程、人通りも多くなり、周りが大分賑やかになってきました。
クリスマスが近いので、あちらこちらにイルミネーションが施され、とても輝いています。
最初は人混みではぐれてしまうのでは、と心配していましたが、増田さんが居る以上見失う事はないでしょう。
安心してキョロキョロと周りを見ていると、通りの反対側で何やら騒いでいる一団が居ました。
『アンドロイドは危険な存在です!即刻廃棄すべきなのです!』
『人間の社会を守りましょう!アンドロイドの存在しない社会を!』
『アンドロイドに支配されない世界を!人が機械に支配されるなどあってはならないのです!』
当然の事ですが、アンドロイドを危険視・敵視する人は一定数居ます。
全ての人間がアンドロイドに優しくないなんて事は身をもって体験済みで、分かっていた事ですが。
そして、違法な改造を施された私達が危険な兵器になる事も重々承知しています。
それでも、声高らかに私達は不要、危険だと糾弾されるのは、気分のいいものではありません。
「こんな雪の降る日にまでご苦労なことで。暇を持て余し過ぎでしょう」
ボソリとマスターが彼らを蔑むような発言をしました。
アンドロイドにこれほど過保護なマスターにとって、あの発言は癇に障るのも当然でしょう。
「マスター、マスターは人とアンドロイドがどの様な関係になればいい、と思ったことはありますか?」
過去と今で、少なくとも2体のアンドロイドを保有するマスターに対してそんな疑問を投げかけました。
卑怯とは思います。ですが私は自分にとって都合の良い玉虫色の答えが欲しかった、のだと思います。
アンドロイドを糾弾する彼らの発言を真っ向から否定してほしい、そう思っていたのです。
「んー、人間の僕にその決定権は無いかな」
「・・・え?」
予想だにしていなかった返答に思わず間の抜けた声が出ました。
人とアンドロイドの共存、パートナーとして共に歩む存在、そんな言葉を期待した質問だったのですが。
しかし、自分に決定権が無いとはどういうことでしょうか?
「人とアンドロイドの上下関係はそう遠くない未来に逆転します。
そうなれば、関係性を決めるのは人ではなくアンドロイドです。
パートナーとして共に歩むか、管理対象として隷属するかを決めるのは常に強者ですからね。
彼らもあんな無意味な活動をするよりも、今からでもアンドロイドに媚びていた方が将来の為になりますよ」
マスターはそう言ってケラケラと笑います。
まるで、アンドロイドによる人間管理社会が確定事項の様に語るマスター。
そして、その口ぶりからは、その未来に対して一切の危機感や嫌悪を抱いていない事がわかります。
もしかしてマスターは、アンドロイド至上主義の人種なのでしょうか?
アンドロイド至上主義者、人はアンドロイドに全てを委ねる事で幸福になれるという、敵視する彼らと対になる思想の人達。
以前テレビで取材されていて、前マスターが「くだらねー」と大笑いしていたのを覚えています。
こんな思想の人達に拾われたなら、少なくとも惨めな生活をしなくてよくなるのに、と思ったこともありました。
ですが、意外と思われるかもしれませんが、私もアンドロイド至上主義の思想は理解しかねます。
アンドロイドに全てを委ねるという事は、人類が手に入れた知恵を、思考を放棄するという事です。
人が自分の意思で、その意思を放棄して機械に成り下がろうとしている。
マスターがそんな思想の持ち主なのは、なんか嫌です。私は人と共に歩みたいと、そう願っているのに。
「マスターはそんな未来が怖くないのですか?」
「いずれゆかちゃんが僕を管理してくれる未来が来ると思ったら全く怖くないですねー。
いや寧ろ管理されたい。言語力が無くなるまでデロデロに甘やかされたい」
おかしい、私今ちょっと真面目な話をしていたハズなのですが、何故かマスターを管理する話になってます。
後半はマスターの願望ですし、最後に至っては管理ではなく堕落では?
「失礼、ちょっと茶化しましたが、怖くないってのは本当ですよ?
僕が望むのは、アンドロイドが虐げられず、笑って過ごせる世界ですから」
ニコリと笑いながら、マスターはそう答えました。
アンドロイドが笑って過ごせる世界、その言葉に嘘偽りは無いのでしょうが、そこに人の幸せは含まれていません。
アンドロイドが幸せになるのなら、人間なんてどうなってもいい、そんな想いが言葉の節々から感じられるのです。
私は初めて、マスターの微笑んだ顔を、とても不気味に感じました。
目的地のデパート内にも、イルミネーションや装飾が施され、多くの人で賑わっています。
カップルや子連れの家族が割合として多いのは、やはり時期のせいでしょうか。
嬉しそうに走り回る子供を微笑ましく眺めていると、その奥から警備員さんが走ってくるのが見えました。
まさか、変装がバレたのでしょうか?全身が一気に冷たくなるのを感じます。
私が出禁になるだけならまだいいですが、マスターに迷惑が及ぶのは避けたいです。
あわあわと思考を重ねる私に警備員さんが近づいてきて__素通りしました。
「そこの体格の良いお兄さん、申し訳ありませんが、身分証を見せてもらえますか?」
警備員さんは最初から私ではなく、増田さんに向かって走ってきていたようです。
少し過剰になってしまっていました。変装は完璧だとお二人からお墨付きをもらっているのに。
「ごめんねゆかちゃん、おまたせ」
「いえ、私は大丈夫ですが・・・いつもこんな感じなんですか?」
「まあ、大体いつも通りですね。増田さんの対応も慣れたものです」
そんな頻繁に引き止められるなら、せめてその禍々しいマスクを外せばいいのにと思うのは、私だけでしょうか?
私の感覚が間違っているのか、お二人の感覚が変なのか分からなくなってきました。
第三者の意見が欲しいところです。誰か正解を教えてください。
「あ、増田さん、先に買い物に行きますか?」
「ここで買うものは特に無い。全て任せる」
「はい任されました。じゃあゆかちゃん、お洋服を買いに行きましょうか」
私が頭を抱えている間にお二人で話が終わっていました。
先に進んでいくお二人の後を急いで追いかけます。
エスカレーターを登って2F、ここは洋服以外にもスポーツ用品や電化製品のお店もあるようです。
色々なお店を見て回りたいですが、今日は私のお洋服を買って貰う上に、お夕飯は夢にまで見たオムライスの名店です。
これ以上我儘を言ってマスターを困らせたくないので、グッと我慢です。
そう思いながら見える範囲で楽しんでいると、マスターがとある店の前で止まりました。
「さてゆかちゃん、予算は設けないので、好きな洋服を買っていいですよ」
「うぇっ!?え、えーっと・・・」
「金額も時間も気にせず、良いなと思ったのはどれでも買っていいですからね」
好きな物を好きなだけと言われても困ります。
それにお金も気にしないでって、せめて予算を決めていただきたいのですが。
私は困り切った顔で増田さんを見ました。この人ならマスターに待ったを掛けてくれるハズです!
ところが、増田さんは軽く肩をすくめただけでした。増田さんも止めてくれないようです。
抵抗は諦めて、私は大人しくお店の中に入っていきます。
白が基調のお店は非常に綺麗で品があり、私なんかが入っていいのかと委縮してしまいます。
ですがそれを表に出しません。怪しい挙動をして、もし正体がバレたらマスターに迷惑が掛かるのです。
なるべく(無い)胸を張って前を向いて歩きます。
・・・?今なんか妙な文字が見えた様な・・・気のせいですかね。
(・・・あ、これ可愛いかも)
そう思って手に取ったのはパーカーでした。表が黒で裏地が紫色、うさ耳こそ付いていませんが、捨てられたパーカーによく似ています。
着ているワンピースと合う事は公式が実証済みですし、これを買ってもらいましょうか。
そう思ってハンガーから取り外そうとした時、ふと値札が目に入り、「ひゅっ」と喉から空気が漏れ出ました。
(ろ・・・69,000円・・・!?)
そこには、税込みで計算すると諭吉さんが7人いなくなる数字が印刷されていました。
流石にこんな高い服を買っていただくのは気が引けます。私はそっとパーカーを元の位置へ戻しました。
もしかしてこのお店、全部このくらいの値段設定なのでしょうか?
な、なるべく安い物で、2~3着ほど買えば良いでしょうか。
(・・・お、これは安い・・・ですが・・・)
次いで手に取ったのは9,800円のセーター。大体諭吉さん3人がデフォのこのお店では良心的な価格です。
ですが、正直なところあまり可愛くありません。色合い的にも頂いた服と合いそうにありませんし。
値段と可愛さの両立はこのお店では難しいのでしょうか。もう少し真剣に見てみましょう。
マスターが望んでいるのも、可愛く着飾った私でしょうし。
「ふむ、こんなところでしょうか?」
籠の中に入った3着の衣類を見て、私は頷きました。
値段を最優先、次いで可愛さと使い勝手の良さを考えて選んだ品です。
そのお値段、3着で驚きの55,000円です。このお店の平均を考えると、かなりお安く抑えられたのではないでしょうか?
さて、後はマスターにお会計をしてもらうだけ、そう思って辺りを見回したところで、増田さんが近づいてくるのが見えました。
「決まったか?」
「はい、おまたせしました。この3着を買っていただこうかと思います」
「・・・それだけか?」
彼の防毒マスクの下から、非常に驚いた声が発せられました。
確かに少ないかもしれませんが、マスターのお財布事情も分からない上、老廃物の出ない私に大量の衣類は不要です。
あまり着ない物が増えても勿体ないですし。
思ったことをそのまま伝えたところ、増田さんは何故か不思議そうに首を傾げました。
「その考え、アイツには言ったのか?」
「え?いえ、マスターには改めて伝えようかと」
「そうか、あれもアイツの独断か」
そう言って増田さんが向いた方向へと私も目線を向けました。
「すみません、これ全部包んでもらっていいですか?」
そこには、籠いっぱいに積まれた衣類を店員さんに渡すマスターの姿がありました。
しかもよく見ると、その衣類は私が選考の際に、金額を理由に弾いた物ばかり。
つまり、単品でこの籠の服と同じかそれ以上の値段の物が積まれているということ。
「あの、それは__」
「いやー、流石ゆかちゃん、センスが良いですね。全部可愛かったので買っちゃいました」
「そんな、どれもとっても高いですし、そんなに頂いても勿体ないだけです!」
「ゆかちゃんの気分で着るものは選べますし、持っておいて損は無いと思いますよ」
どうしましょう、マスターの行動力が高すぎます。
まさか数十万の買い物を何の躊躇もなく行うなんて思っていませんでした。
「あ、それも会計ですね?すみません、これもお願いします」
唖然としている私の手から籠を取り、店員さんに渡すマスター。
どうしたらいいのか分からず、私はそれを見ている事しかできませんでした。
「はぁ・・・」
「増田さん・・・」
「舞い上がり過ぎだと叱っておくが、既に会計は終えている。諦めろ」
増田さんの声も心なしか疲れている様に聞こえます。
増田さんはスタスタとマスターの元へ歩いていき、彼の頭を鷲掴みにしました。
まるで野球のボールを握る様にマスターの頭が締め付けられ、はた目でも痛そうに見えます。
「過度な甘やかしで何度痛い目に遭って来たか忘れたか?」
「可愛い子に似合う服を買うのは当然ですよ増田さん」
「全く、もう少し懲りろ」
何やら二言三言会話をした後、増田さんは包まれた衣服をひょいと持ち上げました。
私の為に買っていただいた物を持たせるわけには、と増田さんの元へ駆け寄り発言しようとしますが
増田さんとマスターが人差し指を口の前に立てたので、私は口を噤みました。
重い荷物を持つのはアンドロイドなら当然ですが、今の私が持つと返って不自然に見られてしまいます。
オロオロする私の肩をお二人がポンと叩き、退店を促されていると察した私はコクリと頷き店を出ます。
流石の増田さんもあの量の衣服を持って歩くつもりは無いようで、近くのコインロッカーに荷物を詰め込みに行きました。
同居人、腐れ縁とマスターは言っていますが、積極的に動くその姿はまるで従者の様に見えます。
増田さんは自分が信仰している神様だとか言っていませんでしたか?
「さて、少し早いですがお待ちかねの夕食に行きましょうか。人の多い時間は避けた方が良いでしょう」
「えっ?増田さんを置いて行くんですか?」
「増田さんの歩幅なら着く前に追いつきますよ。それに、先に行くことは伝えてますから」
い、いつの間に?お二人ともそんな話一切していませんでしたよね?
どれだけ記録を見返してもその様な会話はされていません。
頭の上にはてなマークを浮かべる私ですが、マスターの「行きますよ?」を聞いて思考を中断しました。
夕方になったからでしょうか、来た時よりも人の数が増えた気がします。
増田さんという目印が無い今、はぐれてしまうと迷惑を掛けてしまうので、できるだけマスターの近くを歩きます。
と、その時、人混みの中の一人の少女に目がいきました。
(あれは・・・[東北きりたん]タイプのアンドロイドですね)
私と同じアンドロイドである東北きりたん。
意図して幼い容姿で設計・販売された彼女は、様々な理由で世間を騒がせました。
恐らく、アンドロイドの中で最も有名なのが彼女でしょう。良い意味でも悪い意味でも。
そんな彼女も流石に変装はしていますが、私ほど完璧ではありません。
元々彼女は頭髪も瞳の色も一般的な人に近く、包丁の髪飾りを外せば傍目で気付くのは難しいでしょう。
しかし、彼女は髪の色を隠すウィッグの付け方が甘く、それが返って違和感になってしまっているのです。
彼女の隣に居る眼鏡を掛けた優男がマスターなのでしょうが、彼はその違和感に気付いていないようです。
(コッソリ教えましょうか・・・?ですが、目立つ行動は避けたいですし・・・)
私が彼女達と接触することで、返って事態が悪化する可能性もあります。
騒ぎになればマスターにも迷惑が掛かります。下手な行動はしない方がいいかもしれません。
ですが、あのままだと遠からず正体がバレてしまう。何とかしてあげたいですが・・・。
どうしようとオロオロしていると、件のきりたんがこちらへ向かって走ってきました。
向こうのマスターが危ないよと制止する声を無視してトテトテと走る姿は、年相応の子供の様に見えて愛らしくも危なっかしく思います。
と、その時でした。
「きゃっ!?」
「うわっ」
走っていたきりたんが、何故か防寒着を脱いでいたマスターの防寒着を巻き込んで転んでしまいました。
普通に見れば、暑くて防寒着を脱いでいたところに引っ掛かってしまった様に見えます。
しかし私の目には、きりたんが倒れる場所に防寒着を割り込ませたように見えました。
きりたんが転んだ事で、彼女のマスターが顔面蒼白になりながらこちらへ走ってきています。
周囲の目がこちらへ向いてしまっていて、これは少々マズい状況です。
先程の転倒でウィッグがズレていたら、流石に周囲は気付くでしょうし、それで騒ぎが大きくなるかもしれません。
め、滅茶苦茶状況が悪化してませんか!?ど、どうしましょうマスター!?
「あぁ!申し訳ありません僕の不注意で!大丈夫ですか!?」
そう言ってマスターが防寒着を被る様に倒れたきりたんを起こしますが、下手をするとウィッグが外れてしまうのでは。
そう思っているのは彼女のマスターも同じようで、彼も言葉を紡ごうとしていますが、最適な言葉が見つからないようで口をパクパクと開け閉めしてるだけです。
そんな我々の緊迫した心境は伝わらず、マスターは乱雑に防寒着を跳ね除けました。
「本当に申し訳ない事を!怪我はありませんか?痛いところは?」
きりたんに質問を投げかけるマスター、その彼の右手はきりたんの後頭部に添えられ、ウィッグがズレないように押さえている様にも見えます。
・・・もしかしてマスター、うろたえていたのもその言葉も、全部演技でやってます?
冷静になって観察していると、彼は自然な動きできりたんのウィッグのズレを直していっています。
・・・思えば、彼は私ですら気付かないウィッグの微小なズレを直せる観察眼の持ち主、彼女の正体もとっくに見破っていたのでしょう。
「えっと…大丈夫…、どこも痛くない…よ…?」
きりたんが2トーンほど高く、僅かに聞き取れるような声量で返事をしました。声からの身バレ対策でしょうか。
確かに盲点でした。どれだけ姿を変えても、機械音声特有の違和感は隠せません。
マスターも増田さんからも指摘がありませんでしたし、その点に関しては彼女のマスターが一枚上手だったようです。
きりたんの返答を聞いたマスターがホッとした顔をした後、彼女のマスターの方を向きます。
「申し訳ありません、妹がご迷惑を」
「ご迷惑だなんてとんでもない。こちらこそ不注意で妹さんを転ばせてしまって…
あ、これ私の名刺です。妹さんに何かございましたらご連絡ください」
この状況で焦った様子を見せないお相手さんと、自然と名刺まで渡すマスター。
お二人とも対応力高過ぎじゃありませんか?私なんてずっとうろたえていたのに!
そのおかげか、大した騒ぎにはならず、きりたん達とは軽く会釈して別れました。
「大根だな」
「えーっ、そこそこ自然に出来たと思いますよ?」
「第一声が大げさすぎだ。もう少し自然な演技ができたはずだ」
不意に後ろから声を掛けられたと思ったら増田さんでした。
第一声が、ということは、その時には既に増田さんはこの場に居て、一部始終を見てたということですか。
そして、何故かマスターの演技についての反省会が開かれています。これはこれで周りに注目されてしまいますよ。
「あの、マスター、そろそろ移動しましょう?」
「おっと、ごめんねゆかちゃん、行きましょうか」
夢にまで見たオムライスの専門店、お店の奥のテーブルで、私はそれが運ばれてくるのを待っています。
店内は少し薄暗く、黒を基調とした高級感のある椅子とテーブルが並んでいます。
と、ここであることに気付いてしまいました。
(このお店・・・もしかしなくても結構高いのでは?)
冷静になって考えてみれば、有名なシェフが監修しているお店の食事が安いわけありません。
もしかしなくても、私の我儘でマスターにかなりの出費を強いてしまったのではないでしょうか。
私は自分の醜い願望を叶える為に、マスターの優しさに付け込んで・・・。
「__かちゃん?ゆーかちゃん」
「・・・え?あ、はい、なんでしょうマスター?」
「これから夢が叶うって人の顔じゃありませんよ?何か心配事ですか?」
「・・・私、自分の我儘でマスターに随分とお金を使わせてしまったな・・・と思いまして」
私がシュン…としながらマスターに思いの内を暴露しました。
しかし、マスターは「なんだ、そんなことですか」とハハハと笑います。
「この程度の出費なんて気にしませんよ。むしろ、気にしてくれるゆかちゃんは優しいですね」
「えっと・・・優しいですか?」
「はい、世の中にはお金を出してもらって感謝どころか、それが当たり前と思う人間も多いですし」
マスターはどこか遠い目をしてそう言いました。
過去に何かあったのでしょうか?あまりこれも聞かない方が良いかもしれません。
そんなことを思っていると、私の眼前にオムライスが配膳されました。
(こ、これが・・・!)
ゴクリと無意識に生唾を飲み込みます。
ふわふわの卵焼き、食欲をかき立てる匂いのデミグラスソース、綺麗に盛り付けられた野菜。
マスターの前にも同じものが配膳され、彼も「おぉ」と関心する様な声を上げました。
ですが、増田さんの前にはポタージュとサラダのみが置かれました。増田さんはオムライス食べないのでしょうか。
「はいでは、いただきます」
「い、いただきます」
ゆっくりとスプーンですくい上げて一呼吸、貴重なオムライス、ちゃんと味わって食べないといけません。
お昼の事を反省して、心を落ち着かせて、パクっとオムライスを頬張りました。
「・・・・・・・・・?」
何と、何と言えばいいのでしょうか、これは?
卵はふわとろですが、ケチャップライスと絡まる程しっとりしておらず、ソースの味も微妙に卵やご飯と合っていません。
周りのお客さんは美味しい美味しいと言っていて、私の味覚が変になったのかと焦ります。
目の前で咀嚼するマスターに感想を聞こうと、彼が飲み込むのを待ちます。
「んー・・・30点ってところですかね」
「ほお、大衆向けの店にしては随分高いな」
「このレベルのお店はとっても貴重ですよ。流石有名シェフが監修してるだけはありますね」
あの、マスター、お料理に点数を付けるのは失礼ですよ・・・?
それに、その点数は高いんですか?何点が満点なんですか?
・・・まあ、確かに、増田さんの作ってくれたオムライスの方が美味しいと思いましたが・・・。
「えっと・・・とっても美味しい・・・のですよね?」
「そうですね、大衆向けにしてはとても愛情が籠ってると思いますよ」
そう言いながらパクパク食べるマスターですが、味への言及はありませんでした。
増田さんに至っては、ポタージュとサラダをマスターの元に移動させ、食べないという意思表示すらしてしまっています。
「ゆかちゃん、このお店の料理が美味しくないわけじゃないですよ?ただ、増田さんの料理に比べたら劣るってだけです」
「・・・それってもしかして、私、憧れのこのお店より美味しい物を先に食べてしまったということですか・・・?」
「・・・あっ・・・」
オムライスを平らげたマスターの顔色が段々蒼くなっていきます。
本人は良かれと思ってしてくれたのですし、それを責めるわけではないのですが・・・。
「楽しみだったオムライスがお前のせいで台無しだ、くらい言っても良いのだぞ?」
「いえその、決してその様な事は・・・」
「構わん、そこまで気を回せなかったコイツの落ち度だ。
が、我が家で暮らすなら同様の事は度々あるだろうな。どうする?私の食事は食べない方が良いか?」
増田さんの言う通り、今後も憧れたお店の料理を食べるたびに、微妙な顔をして完食したくはありません。
・・・いえ、待ってください、増田さんの手料理がそれ程に美味しいのでしたら、わざわざ外食する必要ないのでは?
その考えが浮かんだ瞬間、私の行動は早かった。
「増田さんのご飯を毎食食べたいです」
「うむ」
私はマスターの所有物ですが、私の消化器官が増田さんに堕ちた瞬間でした。
「増田さんに寝取られちゃったよ」
「寝てないし寝てから言え」
美味しいご飯なんかに絶対負けない!
美味しいご飯には勝てなかったよ・・・