今日になって、もう何度目かも分からない羞恥から立ち直り、私はハッと周りを見回しました。
配信後の跡片付けも済んでおり、マスターは増田さんと談笑しながら何やら食べています。
なんだろうか、と視線が釘付けになっている私に気付いたマスターが声を掛けてくれました。
「あ、立ち直りました?増田さん特製バニラアイス、食べます?」
「いただきます」
即答で返事をした私は、軽い足取りでダイニングの椅子に腰掛けました。
コトリと置かれたアイスは非常にシンプルな物ですが、とても甘い香りが漂ってきます。
なるほど、これがバニラの香りなのですねと感動しながら、私はアイスをパクリと頬張りました。
口中に広がり、鼻孔へと抜けるバニラの甘い香り。溶けて舌に絡みつく、濃厚なミルク。
ゴクリと飲み込めば、スゥーっと喉を通っていく、冷たくも不快感の無い感触。
白くてドロッとした物に良い思い出が全く無い私にとって、このアイスは涙が零れそうな程美味しい物です。
においも味も喉越しさえ真逆な絶品アイスに舌鼓を打ち、やっぱり気付いたら無くなってしまいました。
「悪いが、アイスはそれで最後だ」
増田さんが苦笑しながらそう発言し、心のどこかで期待していた私はガックリと項垂れました。
そんな私の様子を見ていたマスターがクスリと笑いながら口を開きました。
「ゆかちゃん、僕のアイス食べます?」
「い、いえ、大丈夫です!もう満足ですから!」
正直に言ってしまえば、もっと食べたいというのが本音です。
ですが、マスターが食べようとしている物を貰うなんてダメです。
マスターのお皿にも、アイスは一口分しか残っていませんし。
最後の一口は特に美味しいものです。それを頂くなんてとんでもありません。
「ホントにいらないの?バニラが香る特製アイス」
そう言われてスプーンに収まったアイスが眼前に向けられます。
マスターと喋っているのに、私の目線は完全にアイスに固定されてしまいました。
スプーンが右に動けば視線も右に、左に動いた時には顔が、もう一度右に動いた時には体全体が右に傾きます。
「ゆかちゃん、涎が垂れている」
「・・・はっ!」
呆れた声の増田さんの言葉にハッとして、私は口元を拭いました。
腕にベットリと涎が付きました。何でこんなに垂れているのに気付かないんですか!?
「はいゆかちゃん、あーん」
自分自身にビックリしていると、マスターがスプーンをズズイっと寄せてきました。
唇に当たってもし零れたら勿体ないと、私は大きく口を開けてそのスプーンを迎えました。
甘いアイスが口いっぱいに広がります。ああ、幸せ。
「・・・満足したなら先に風呂に入るといい」
何やら言いたい事を飲み込んだ様な、含んだ声で増田さんが言いました。
お風呂!マスターに家の中を案内された時に、密かに楽しみにしていたものの一つです。
しかし、家主であるマスターを差し置いて、一番風呂に入ってしまって良いのでしょうか?
戸惑った顔で増田さんを見ると、私の言いたい事を汲み取ってくれたマスターが肩をすくめながら発言しました。
「ゆかちゃん、この家は24時間いつでもお風呂に入れるんですよ」
マスターの言葉を聞いて、なるほど、と私はポンと手を打ちました。
ああ、いつでもお風呂に入れるから、一番風呂とかも関係ないんですね。
そういう事でしたら、有り難くお風呂に入らせてもらいましょうか。
「さてゆかちゃん、入浴のついでに神の超絶マッサージでも__
と思いましたが、かえってストレスになりそうなので、まずは我が家自慢のお風呂を存分に楽しんでね」
マッサージという言葉に、体が無意識に強張ってしまいます。
前マスター達が「マッサージ」と呼称して行ってきたセクハラのせいで、完全にそっちの意味で反応してしまいました。
それを察して下さったマスターは、私を気遣って発言を訂正してくれました。
何だか、ずっとマスターに気を遣ってもらってる気がします。
「あ、今日買った衣類の中にパジャマも入ってるから、それ使ってね」
あの時にパジャマも買ってくれているとは。
寝る時の衣類に関しては全く考えていませんでした。
折角買ってくださった物なので、有り難く使わせてもらいましょう。
パジャマを探すついでに、買っていただいた衣類をハンガーに掛けていきます。
そして気付きました、私が見たことが無い服がたくさんあるのです。
まさか、これ全部あの時にマスターが買ってくださった物?
(い、一体いくら支払ったんですかマスター・・・)
私が選んでいた衣類だけで数十万、それと同量の数が包まれているのです。
とても申し訳なくなります。私にこれほどの金額を浪費されるだけの価値があるのか。
『可愛い子に似合う服を買うのは当然ですよ増田さん』
頭をギリギリと締め上げられながらも、一切怯む事無く彼が放った一言。
私に似合うと思って買ってくださったのですから、色々な姿を見せた方が喜んでくれますかね?
いっそのこと、ファッションショーみたいな事もやってみたり・・・やめておきましょう。恥ずかしすぎます。
皴にならない様に伸ばした衣類を、丁寧にクローゼットへと入れていきます。
空っぽだったクローゼットが、色とりどりの衣類でいっぱいになりました。
いただく前は不要だと強く言っていましたが、いざこれが自分の物になるのだと思うと、早く着てみたいと思ってしまいます。
女型アンドロイドの性、というやつですかね?
「えっと・・・あ、これかな?」
バサリと広げたのは、薄い紫色でウサギの柄をあしらえたシンプルなパジャマ。
とても可愛らしいパジャマです。早くこれに袖を通したいですね。
まるで私の為に作られたかの様な配色や柄に、目を輝かせます。
ふと、足元に目をやると、まだ開けていない包みがありました。
(?これだけ包みが違いますね。なんでしょう?)
がさりと開けてみると、そこに入っていたのは下着でした。
私が今着用している物とほぼ同じ様なデザインですが、流石に高い物なのか肌触りは段違いです。
まさか下着まで選ばれているとは思いませんでしたが__
(服と比べて、こちらは少し地味ですね)
買っていただいた服を見れば、マスターのファッションセンスも高い事は分かります。
それだけに、下着がとても地味なのは意外でした。
もしかしたら、下着だと彼の好みが丸わかりになるので、敢えて今のと同じような物を選んだのでしょうか。
(・・・って、そうではなく、ここでの問題は、マスターが私のショーツを把握してるってことでしょ!)
軽く悶絶しますが、元々私の体はマスターにくまなく見られて改造されているではありませんか。
今更下着を見られたくらいで何ですかと、赤くなった顔を振るって平常心を保ちます。
これも折角買っていただいた物です、有り難く使っていきましょう。
パジャマを籠に入れ、脱衣所を改めて見回すと、備え付けのバスタオルとバスローブを発見しました。
案内の時に説明が無かった場所です。途中で切り上げてしまったので説明し損ねたのでしょう。
幾つも用意されているので、多分どちらも勝手に使っていいのだろうと判断しました。
バスローブもおしゃれですが、今回はパジャマに早く袖を通したいのでバスタオルですね。
今着ている服を洗濯機に放り込み、軽い足取りで浴室へと向かいます。
(あ、そうだ。温泉卵、温泉卵~♪)
扉の前でピタリと足を止め、卵を取りに戻ります。
真っ白な小鉢に入れられた卵を冷蔵庫から取り出し、改めて浴室へ向かいます。
「これですね。えーっと使い方は・・・」
湯舟から少し離れた一角に、火傷注意の貼り紙がされた専用の源泉と思しきものがあります。
隣には、なんで浴室内にあるのかと問いたくなる様な本格的な調理場も設けられています。
ご丁寧に、使い方が描かれた貼り紙まで付けられています。
専用の小さなステンレス製のザルに卵を入れ、そのまま熱湯の中に。
出来上がったら自動でお湯から引き上げられてタイマーが鳴る仕掛けだそうです。
お風呂を堪能する前に、気になったので調理場を軽く見ます。
醤油、ネギ、生姜、ポン酢、白ごま等、一通りの薬味が揃っています。
おうどんや豆腐の湯で時間が記載された貼り紙を見つけました。備え付けているのは卵だけではないようです。
浴室で軽食まで作れるなんて、凄い贅沢ですね。
(今回は温泉卵だけでいただきましょうか。さてでは、お風呂を堪能しましょう♪)
入浴の前に、まずは身体を洗います。基本ですね。
適温にしたシャワーで、身体についた汚れを洗い落とします。お湯が自由に使えるというのは、いいものですね。
基本シャワーしか浴びなかった前マスターの時は、ガスと水道代が勿体ないと、洗面器一杯の水で体を洗っていましたからね。
たまに湯舟にお湯が入れられたと思ったら、お風呂でご奉仕を命じられたりしましたし。
っと、いけませんいけません、こんな時まで辛い記憶を思い出してどうするのですか。
備え付けのボディスポンジはとてもきめ細かく、手に持っただけで品質が違う事が分かります。
ふわふわの泡とスポンジで体を洗えば、全身を羽毛で包まれる様で気持ちが良いです。
お風呂に入る前から、私は既に多幸感で満たされてしまっています。
ふわふわに負けない様に気を確かに持って、シャンプーで髪もアワアワにして一気に洗い流しました。
「ふぃ~・・・」
ちゃぷんと湯舟に肩まで浸かると同時に、あらゆる疲労が口から出ていく様な心情と共に間抜けな声が出てしまいます。
手足を大の字に広げても何処にも当たらない、開放感のある湯舟はとても新鮮でした。
パチャパチャとお湯を軽く叩けば、水音があちこちに反響して戻ってきます。
凄いですね、細部まで設計し尽されています。
ほぅ、と関心した声すら辺りに響きますが、時間が経って冷静になってきた私はふと辺りを見回します。
(なんだか、逆に落ち着きませんね)
自分一人というのもあるのかもしれませんが、広すぎる空間に私だけというのは孤独を感じてしまいます。
今更文句を言うのは失礼ですが、私にはあのこぢんまりした湯舟が合っていたのかもしれません。
そう考えていた時にハッとしました。ここには入浴のお供がいるではありませんか。
私はマスターに説明を受けた場所からゴムのアヒルちゃんを取り出し、湯舟に放流しました。
プカプカと浮いて、波に揺られて上下する黄色いアヒル。
その姿はとても愛らしく、先程まで感じていた寂しさは何処かへ吹き飛んでしまいました。
(しばらくはこの子と一緒に入浴ですかね)
嘴の部分をチョンと触ると、チャプンと上下に揺れるゴムのアヒルちゃん。
こういうのを見越してこの子を置いてたりするのでしょうか?
そんなことを思っていると、ピーピーと浴室内に甲高い音が響きました。
温泉卵が出来たみたいです。私は早足で調理場に向かいました。
出来立ての温泉卵をお皿に盛り、ネギと白ごまと醤油を少しずつ入れます。
おうどんと絡めても美味しそうですが、それは次回のお楽しみにしましょう。
スプーンで掬って頬張れば、プルっとした白身とトロっとした黄身が舌に絡まります。
醤油の塩味と風味が卵に絡まり、卵自体のほんのりとした甘みを引き立てます。
咀嚼すれば、ネギと白ごまの風味が口全体に広がって、さらに卵が美味しく感じます。
(ここに来てから食べてばかりな気がしますね。だって美味しいんですから仕方ないじゃないですか)
誰に聞かれているでもない言い訳を心の中でしながら、最後の一口を咀嚼します。
ハッと、食べ終えた後の小皿を無意識に未練がましく見ているのに気付きました。
1個じゃ満足できませんでした。次からはおうどんと一緒に卵を2つは持って来ましょう。
足りないと主張するお腹を撫でて欲望を抑えながら、次の湯船に浸かります。
(こっちのお湯はちょっと熱めですね)
チャプンと浸かった湯舟は、最初に浸かった湯舟より1.5℃ほど高めでした。
一度軽食を挟んで体が冷えたからか、余計に熱く感じてしまいます。
ただ、不快な熱さではありません。なんというか、体の芯から温まる熱さといいますか。
んんー、っと伸びをすれば、お湯から出た腕が空気でヒヤッとするのが気持ちいいです。
(こっちの方が好きかも)
自分は熱いお風呂が好みという新しい発見です。
ここに来てから、今まで知らなかった自分の好みに気付くのが、恥ずかしくもありますが、とても楽しいです。
作り笑いじゃない、自然と顔が緩む日常を謳歌してるんだと、改めて実感します。
(さあて、そろそろ次の湯船に向かいま・・・しょ・・・う・・・)
ザバッと勢いよく立ち上がると同時に、何故か周りの景色が遠のいていきます。
辺りが黒く塗りつぶされ、まるで夢の中の様な浮遊感と同時に、視界が完全に暗転しました。
バシャッと何かが水に落ちた音と同時に、頭の先まで暖かい物に包まれた様な感覚に襲われました。
「__体内の冷却能力が下がると、急冷の為に一時的にシステムが停止するようです」
「つまるところ?」
「人で言うところの、のぼせてしまっている状態ですね」
「大丈夫なのそれ?機械に入浴を勧めた僕が言う台詞じゃないけど」
「防水・耐水性は高いので大丈夫だとは思います。しかし、夏までに対策しないと、外に長時間居られませんね」
遠くの方で声が聞こえる。私を安心させてくれる人達の声が。
それに気付いて、私はゆっくりと瞼を開けました。
部屋を照らす照明が眩しくて、目を細めただけでは光量が抑えられず、思わず手で遮ります。
「あ、目が覚めましたか?自分の事を覚えていますか?僕たちの事が分かりますか?」
「・・・マスター?増田さん?私は・・・」
「失礼、慌てなくて良いですよ。ゆっくり体を起こしますから、氷水を飲みましょうね」
私の首にマスターの腕が回され、ゆっくりと体を起こされます。
口元に添えられたストローをパクッと咥え、冷水を体内へと注ぎます。
体内に冷水が循環していく事で、段々と頭が冴えてきました。
状況を整理しましょう。私は何故かソファーに寝かされていて、先程目覚めたようです。
服もいつものワンピースではなく、とても可愛らしいパジャマを着ています。
太ももと脇の辺りがヒヤッとしていて、確認すると、凍らせたペットボトルを当てられていました。
何故だろう、何があったんだろうと、働き始めた頭で今日の記録を振り返ります。
美味しかったオムライス、初めての外、配信でボコボコにされて悔しかった事。
マスターに入浴を促されて、パジャマを用意して、お風呂に入って、温泉卵を食べて、またお風呂に入って__
・・・?お風呂に入って、その後私は・・・私、は・・・
完全に思い出しました。私はお風呂で視界がブラックアウトしてしまったのです。
「マスターが、助けてくれたのですか?」
「中々上がって来なくて様子を見に行ったら、水死体みたく沈んでいたんですよ?ビックリしましたよ」
そ、それは確かに焦りますね。マスターに心配を掛けた事を謝らないと。
そう思っていたところでふと気づいてしまいました。
私は裸で意識を失っていたのです。体を拭いて、着替えてソファーに寝転がるなんてできるわけがありません。
冷却されたばかりの私の体が再び熱を持ち始めました。
「マスター・・・見ました?」
「緊急事態でしたから」
敢えて何をとは聞きませんでしたが、分かりきってるマスターは緊急性を強調しました。
確かに誰がどう見ても緊急事態なのは間違いないでしょうが。
でも、恥ずかしいものは恥ずかしいんです!
「うぅ・・・うー・・・!」
真っ赤になった顔を隠しながら、ソファーの上で悶絶している私の姿を、マスターが微笑みながら見ています。
やめて、そんなに見つめないで下さい!
「やり過ぎるとまた停止するぞ」
「この状態が1時間くらい続かないと停止なんてしないので問題ないですね」
問題ありまくりです!
私が恥ずかしがっている姿を見て楽しんでるなんてマスターは変態です!
私は涙目になりながら、精一杯の怖い顔でマスターを睨みました。
「そんな顔をしないで下さい、ほらいい子いい子」
って、恥ずかしいから睨んでいるのに、なんで頭を撫でるんですか!?
私は声にならない声を上げながら、赤くなった顔を隠す為にソファに顔を埋めました。
※アンドロイドは溺死しませんしないのです