4月……あっという間に高校二年へ進級した五河士道の足取りは、はっきり言って重かった。
それは先輩になることへの不安でもなければ、セクシャルビーストなんかと呼ばれたりしたから……でもない。いや、気にはしているのは確かだ。
だが今回はそれ以上の問題が発生した。ため息の一つはつきたくなる。
彼が顔を上げるとそこは雲一つない快晴の空があった。
もし、その何処かに超大型飛行物体なんてものが隠れているのかもしれない……そんな風に思わなければどれだけ楽になれるか。
憎いくらいに青々しい空にもう一度ため息。
「『デレさせる』って、一体どうすればいいんだよ……」
思い出されるのはつい先日の怒涛の展開。
新しい学年を迎えて、それでも変わらない学校生活を送れていたその時、例によって空間震警報が発令された。とは言っても、来禅高校の地下シェルターに避難すれば問題なかった。
しかし士道はこの時、琴里のGPSが待ち合わせのファミレスから動いてないことに気づき、連れ戻すためにそこへ向かってしまった。
そこが始まりだった。
空間震が起こっているはずの場所にいた一人の女の子。その子へ攻撃を仕掛けるASTという対精霊部隊。
そして悲しき精霊に気を取られていると気絶してしまい、舞台は空へ。
気づけば空中艦〈フラクシナス〉の中で、秘密組織ラタトスク機関に改修されていた。妹との待ち合わせ場所であるファミレスの上空一万五〇〇〇メートルで。
何より驚いたのは、その機関の指令を務めていたのは、五河琴里……自分の妹だったのだ。態度も家でのと一変して高圧的だし、訳が分からなくなる一方だ。
そして飛び出してくる衝撃の真実の数々。精霊、AST、精霊との対話、封印……
何がどうしてこうなった。今すぐにでもこの気持ちを高らかに叫びたいのだが、世間へやべー奴と思われるのがオチだ。
そのため、こうしてため息をつくくらいしか出来なかった。
「だいたい、このゲームで攻略とか……そもそもあの女の子に話が通じるかどうか」
あの後、訓練ということで琴里や解析官の村雨令音から課されたギャルゲー……もとい、恋愛シミュレーション機をやってみたものの、とてもあの日に会った精霊と対話できるとは思えない。
これには士道自身がまだまだ未熟なチェリーボーイである自覚はある。
だがあの日、〈プリンセス〉と識別された精霊から感じ取った悲しみ、孤独であるが故の拒絶。そんな負の感情の中にいる彼女を、果たして自分が助けられるのか……
考えがまとまらない。自分の中でもたくさんの感情や事情が大渋滞を起こしていて──
「……あっ」
そして立ち止まる。目の先にあるのは少し古びた建物。掛けられているいつもの看板。
『調整屋【ミレナ】』
士道のよく知る店がそこにあった。色々考えているうちにかなり歩いてしまったようだ。
今度は初めてここを見た時みたいに立ち尽くすなどはしない。
気づけば手はドアノブにかけられていた。
「いらっしゃ〜い……あらぁ? 士道君じゃない♪」
出迎えてくれたのが彼女……八雲みたまで少し気が楽になる。
初めて出会ってから定期的に士道はこの店に通っている。そのほとんどは琴里からのダメージ回復だったりするのだが、今回のようにそれ以外で来るのは初めてかもしれない。
それに理由も『悩んでいて通りかかった』だけなので、営業妨害もいいところだ。
にもかかわらず士道は立ち寄ってしまった。
そして、それは相手に伝わってしまったようで──
「……今日はマッサージじゃないみたいねぇ」
「っ!」
群青色の瞳で一瞬で士道の状態を見破ったみたまは彼を他所にのほほんと笑った。
「そんなに身構えなくても平気よぉ〜。今はお客さんもいないし、そこのソファーにでも座っててね」
そう言いながら店の奥へと向かう。この人には一体何処まで心を読まれているのか。
だが本心では感謝しきれないと思っていた。このまま家に帰っても納得できる答えが出せるとは思えない。言われた通りにソファーに腰をかけるのだった。
「はぁい、お茶をどうぞ……それで、お節介になっちゃうけど何かあったんじゃない?」
しかし、どう説明したものか。これまでの話をそのまま伝えても信じてくれるはずも無いし、荒唐無稽がすぎる。
仕方がないので、できるだけ噛み砕いて話すことにした。
「まず、俺には妹がいるんですけど……」
「あらぁ、可愛いじゃない♪」
「……実は妹が反抗期(?)で、バイトを始めていまして……」
「ふむふむ」
「そのバイトが実はかなり大きな目標を持っているすごい職場で」
「まぁ、すごいわぁ〜」
「……それで、俺もそのバイトに誘われたって感じです」
粗方の話を終えた士道は茶に口をつける。喉が潤うのを実感しつつ感じていた。俺、普通に危なすぎる橋を渡ってるんじゃないか?
オブラートに包みまくったこの話でさえ突拍子もないものだと思う。普通ならなんの冗談話かと切り捨てるだろう。
けれど、最後までちゃんと聞いてくれたみたまはそうねぇ、と真剣に考えているようだった。
「となると、悩みは妹さんの反抗期の方? それとも紹介されたバイトの方かしら?」
「どっちも……といいより、一連の話に着いて行けていなくて」
「……そんなに難しく考える必要はないと思うわよぉ。一旦話を整理させちゃいましょう」
そう言って一本指を立てる。
「じゃあ、貴方の妹さんの反抗期はどう感じているの?」
「まぁ、驚いてはいるんですけど……琴里の新たな一面にすぎないって割り切れてます」
「そうねぇ〜、女の子は誰しも隠しているものはあるわぁ」
「あれが普段からあるとなると怖い域に達するんですけどね……」
あんなに激しい感情の裏表が世の中全ての女の子にあるなら、普通に疑心暗鬼になってしまうだろう。
だけど琴里は……そんな風なんだと不思議と受け入れている。もし、彼女がもう一つ顔を持っていても、士道は妹を嫌いになる事はない。
そうなると、問題は後者にあった。
「となると、今抱えている問題は士道君がそのバイトに参加したいかどうかね」
そう、〈ラタトスク〉の掲げる精霊との対話、無力化、封印の計画だ。
あまりにもスケールが大きすぎて、全てをこんがらせているトンデモバイトだ。
「バイトの目標が大きい、だったかしら?」
「ですね……世界平和につながるくらいの大きさと考えて貰えば……」
「それは〜……確かに、凄む目標ねぇ」
難しい表情をする士道にそれなら、と彼女は提案した。
「こう言うのは無責任かもしれないけど、単純に考えてみるのはどうかしら?」
「単純にですか?」
「ええ。確かに妹さん……琴里ちゃんのバイトは貴方にとってとても大きなゴールかもしれない。彼女たちと違って貴方はつい最近知ったのだし、それに気後れするのも当然よぉ」
このくらい高いのかしら? と手でバーを再現するみたまの言葉は納得のあるものだった。
琴里もあの組織の指令をしていて、彼女の部下もとても慕っているようであった。あの一体感こそが〈ラタトスク〉の本気が伺える。
そして、その彼らの想いに、一般人の士道が気持ちで劣るのは事実。
「そんな時は、もう少し視線を下げてみるのよ……目の前にある小さな、シンプルな目標を見ることも大切じゃない?」
バーを下げながら答える彼女の言葉は正しいと感じた。
世界平和ではなく、沢山の精霊の女の子を助ける! ……具体的には口説き落として、霊力を封印させる!
……すみません、みたまさん。ハードル低くしてもあまり難易度変わってない気がします。
静かに涙目になる士道を見て、苦笑いになりながらみたまはじゃあ、と切り替えた。
「物は試しだし、実践しちゃいましょう♪ 士道君のするバイトのシミュレーションよぉ」
「えっ……えーっと、それは……」
……あれ、ただの相談会のはずが、いつの間にか何処か変な方向に行っていないか?
そんな事を思うのも束の間、みたまはパンと手を合わせて続けた。
「私が気弱なか弱い女の子役で、貴方はそんな私を慰めちゃいましょう!」
「どんなシチュエーションですか!?」
「士道君……私、もうお店続けられなくて、家計も耐えられないの!」
「すっごい現実味のある悩みですね!」
みたまはそのままヨヨヨ、と泣き真似までする。意外と役者肌だな……そんな感想まで持ってしまう。
急遽始まるギャルゲー……というか、若干現実とリンクしているみたまワールドに困惑しつつ、士道も無意識で恋愛シミュレーションをすることになった。
「家賃は少なめのを選んだのに、お店を構える時の費用がこの数ヶ月で全然回収しきれなくて! 最近やっと常連さんが増えてきたところなのに、申し訳が立たないわぁ!」
「それ本当か嘘か分からなくなってくるんですけど!? というか、やっぱり家賃は抑えめだったんだ……」
「あー、もうどうしようもない気分だわぁ! このまま遠くの南の島で余生を過ごそうかしらぁ……チラっ」
どうやら、今のが合図らしい。いつの間にか泣き真似も終わっており、士道の反応をじっくりと待っている。この時間は完全に選択肢が出ている場面だろう。
さて、士道! 今すぐに三択の中から選ぶのだ!
① 「まだだ! 諦める段階じゃない! 心も熱くなれよ!」
② 「なら、俺と一緒に逃げないか? 」 押し倒しながら耳元に!
③ 「うるさい口だな」……迸るは熱いパトス
……脳内に浮かび上がる選択肢がろくなもんじゃない。というか、これも琴里たちのゲームのせいだろ。
でも、無意識にこんなことを思いつくあたり、大分自分も毒されているな……そう思わずにはいられない士道だった。
取り敢えず、一番マシであろう①に似た内容でみたまを元気付けることにした。
「えっと……まだ諦める段階じゃないですよ! 常連さんが増えてきているのが何よりもの証拠じゃないですか!」
「……」
「そ、それに! なんだったら俺ももっとここに来ますし! もっと宣伝します!」
「本当!? それじゃあ士道君、週三回で来てくれるかしらぁ?」
「もちろん行きますよ!」
「代金二倍にしちゃったもいいかしらぁ?」
「モ、モチロンイキマスヨ……!」
……これ、ハッピーエンドになるのか? ただただ自分の財布が軽くなるだけで、なんも解決になっていない気がする。
というか、みたまにまんまと乗せられている。
これでは完全にキャバクラで貢いでいるダメ主人公じゃないか。
冷や汗を垂らしてカタコトな日本語を喋る士道に、みたまはクスリと笑った。シミュレーションごっこには満足らしい。
「ふふっ、冗談よぉ〜言ったでしょう? シミュレーションって。そこまでお店を考えてくれるのは嬉しいけど」
「何処までが冗談か知りたい所なんですけど……」
「さぁ〜何処からでしょうねぇ♪ ……でも──」
はっきりと士道の目を見ながらみたまは言った。
「もっと単純でもいい、壁にぶつかり続けてもいい……自分のやりたい事と、その為に何を成すか。そこから始めればいいんじゃない?」
「っ……」
一番、スッと胸に入る言葉だった。今までの士道の悩みを一掃するような力はあった気がする。
こうして一回落ち着く機会があればこの結論に辿り着けたのだろうが、『調整屋』がそのきっかけになった。
単純に考える……世界平和だとかそういうのは〈ラタトスク〉に任せる。俺のやるべきことは精霊を助ける……ではなく、あの子たちを助けることだ。
思い出すのはあの日……四月十日に出会った女の子の顔だ。
俺は、あの子の顔から見えた絶望が嫌いだった。なんで彼女のような、力を持っただけの女の子があんなに悲しそうにしているのか。
……そんな顔はさせたくなかった。
……それならやる事は決まってるだろ?
目の色が戻る彼を見て、みたまもホッとしたようだ。
「そうですね。みたまさん、相談に乗ってくれてありがとうございます」
「あんまり根詰めるのも良くないし、いいわよ。それに、閑古鳥の鳴くお店が少し賑やかになったわぁ」
「うっ……今度、改めて来ますので」
「そうしてくれると嬉しいわぁ……がんばってね」
「はい!」
士道は扉を再度開ける。今度の彼の背中は少し伸びていて、何か付き物が落ちたように感じられた。
◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯
カラン、と音を残して店内は彼が来る前の状態に戻った。それに思うところがある中、みたまは彼に出したコップをカウンターへと持っていく。
五河士道……初めて出会った日から彼は律儀にここへ訪れていた。毎回、何処か痛めながら来ていたので少し心配になっていたところだが、遂に彼は真実の一端を知ることになったようだ。みたまら『調整屋』からすればやっとか、っと納得したところである。
その時の表情……心が特に荒れているようで、みたまも心の中では驚いていたりする。
同時に納得もした。たとえどれだけ彼がイレギュラーな存在であっても、一人の人間に過ぎなかったと。ここへ足を運んでいる時点で薄々感じられたが、今回はっきりとした。
彼が持つ不安と焦燥……誰もが持つ感情であり、もちろんみたまも持っている。
私は、その感情に潰されちゃったけど……
「彼は進むのでしょうね……青春ねぇ〜。あんなまっすぐな瞳で見られちゃったらどんな精霊も落ちちゃうんじゃないかしらぁ?」
まぁ、そんなことで落ちちゃえばこんな大問題にも発展してないでしょうけど。
食器の泡を流しつつそんなことを考える。彼が決断してしまったからには、運命は彼に容赦無く難題を振りかけていくだろう。
彼がこれから身を投じる、人の心が持つ絶望と希望の本流にどう立ち向かうか。もし、その全てを解決して見事なハッピーエンドへ持って行けるなら……
泡が流れ落ちたコップ……奥にあったお茶の汚れは綺麗になくなっていた。最近の食洗は目を見張るところがある。
今度からこれを買ってきて貰お〜っと……そんな小言を呟きながら──
「……私たちも、そろそろ進まなきゃならないわね」
食器を棚に戻して、机の引き出しを開ける。書類や小物類の中、一つだけ近未来を感じる小型機器……インカムを耳につける。
そして二回突いたのち、通信が繋がることを確認した。
「はぁい、『調整屋』さんよぉ……保留にしていた話だけど、受けさせてもらうわ……ええ、でも勘違いしないで頂戴? 中立から離れるつもりはない。本当の決断は精霊を助けられるか、それを確かめてからよ」
物語の内容も単純になってくれたり…しないよね…頑張って書こう