7月序旬、房総沖。
「ヒビキさん、その牡蛎うまいっスか。」
岩壁と潮風に臨んで立つ一人の男。ヒビキと呼ばれた男は、近くで採ったであろう生牡蛎をナイフだけで頬張っている。薄手のシャツの上から皮のスーツを纏い、下は煤けているチノパンといういでたちの、ごく普通の壮年から中年に至ろうというヒビキである。雰囲気は華奢でも無くマッチョにも見えず、トゲがあるようにも臆したところも見えない。
「ああ、新が鮮だからね。戸田山くんさ。」
対して、戸田山と呼ばれた青年、高校は卒業して働きに出ているか大学に通っているか微妙に区別し難い青年は、上半身半裸のジーンズ一枚でひたすらに腕立てを繰り返している。
「ヤだなぁ。呼び捨てでいいっスよ。」
ヒビキはこの戸田山に、なにかやり難さを感じていた。
「じゃあ戸田山さ。オレの記憶が確かなら、前スキンにヒゲだったよね。」
戸田山はそんな他人の目など気にせずひたすらに腕立ての勘定をする。もう242回め。
「日菜佳が似合わないから止めてくれって言ったっス。」
「ああ、日菜佳ちゃんの言う事はなんでも聞くんだ。」
「そうっス。」
会話が膨らまない。
「そうそう、師匠のザンキさんどうなの。」
「義足の具合が良くないって事っス。」
263回め。
「あの黄金の右足でしょ。時間かかるのって聞いてるんだけど。」
「そうっス。ザンキさんに休んでる間鍛練サボるなって言われましたよ。」
285回め。
「ザンキさんの言う事も素直に聞くんだね。」
「そうっス。」
300回を越えた。
「じゃあさ。一応オレ、斬鬼さんと同期で、85貫目といっしょなんだよね。それにさ、こう言っちゃなんだけど、斬鬼さんと実績似たようなもんだと思うんだよね。だからさ、こうやって一時的にも預った訳だし、オレの言う事も取り敢えず聞いてくれる?」
「オレは50貫目ついに行きましたよ。これで鬼の資格持てるっス。」
「そういう話してないんだけどさ。」
「もちろんっスよ。ヒビキさーん、師匠の友達は師匠みたいなもんすから。」
実は揶揄われてるんじゃないかとすら思うヒビキだった。
「友達じゃないけどさ。じゃあ取り敢えず現場に着いたらさ、体休めようよ。」
「でもこれウォーミングアップっスから。」
「だから、素直に言う事聞くってさ。」
「あ、はい。」
ようやく止まって岩肌に正座する戸田山だった。あまりに素直にヘリ下る態度に、師匠斬鬼の日頃の教育が如何ほど厳しいか伺える。やや盲従気味なのが気になるが。
「それから、」
「ヒビキさん!」
続けて本題に移ろうとした瞬間、女声に遮られるヒビキ。
「香須実、アタリ?」
香須実と呼ばれた20代半ばに見える女性は、やや口元に強気が見えるものの、目許の丸みが美しい。髪はナチュラルで長く前はやや左寄りで分け、紫のスーツをルックス良く着こなしている。
「アタリ。Aの2の2」
Aの2は地図上の座標である。
「2の2って事は歩いていくしか無いって事だね。」
香須実は、奇怪に大きいCDに似た形質の円盤数枚と、Y字状のやはり奇妙なスティックを手渡す。
「そうね。私はここで待機、3人は、」
香須実とヒビキは約30センチの距離で目を合わせて会話している。
「あの二人、怪しくないか。」
戸田山である。
「え、今頃気づいたんですか。」
香須実は3人と言った。この岩壁にいるのは4人。ヒビキ、香須実、戸田山の他に、高校生らしき少年が座り込んで寡黙にメモを見直していた。
「そりゃマズいよ恭介。香須実さんにはちゃんとイブキさんって言う人が。」
典型的な痴話ばなしを持ち掛けてきた戸田山に、恭介と呼ばれた少年は繭をしかめた。
「昨夜もテントの振り分けはあの二人、貴方とボクだったでしょ。そんな事より、ボクは今カニ対策を頭に詰めてるとこなんで、邪魔しないでほしいんですが。」
桐矢恭介という斜め縞のシャツとジーンズで固めた茶髪の少年は、今年高校に入ったばかりだが、いきなり自主退学をして周囲を驚かせた。戸田山が斬鬼なるものの弟子ならば、桐矢恭介はヒビキの弟子である。
「生意気だおまえ。オレより後輩のくせに。」
「失礼だな貴方は。今まで我慢してたけど、昨日今日会ったばかりでその態度は無いんじゃないですか。」
二人が激化するのに水を差すように、ヤマハマジェスティ250が一台やってきた。黒皮のジャンパーとジーンズ、20代前半の青年と、袖なしのシャツの上からジャンパーを着込んだ女の子が、そのジャンパーを脱ぎ、スクーターに括りつけられた荷物を降ろし始めた。
「よう、イブキじゃないか。」
4人は一斉にイブキなる人物に注視した。
青年は女の子に荷物を任せ、爽やかな笑顔をヒビキに向けた。
「来るなら来るって事前に連絡しといてよ。」
やや驚き気味の香須実が、ヒビキとイブキを交互に眺めながら、イブキの元に駆け寄る。
「やあヒビキさん、そっちが戸田山くんと桐矢くんだっけ。はじめまして。」
「どうしたのよ。」
香須実とイブキが30センチ程の距離に寄る。
「イッタンモメンを追跡してきてね。」
「なに、逃がしたって事じゃない。やっぱり貴方ってダメね。」
そんな辛口を涼風のように受け流す笑顔のイブキ。
「あきら、あっちで使ってた地図をもってきて。香須実、そっちの地図と照合しよう。あきら、もう式神は向かわせてるよね。」
「ハイ、イブキさん。」
そう答えたショートカットの天美あきらは、荷物の中から地図を取り出しつつ、同い年の桐矢にチラとだけ笑顔を向けた。同じく素直な笑顔で返す桐矢。
「段取りいいね。相変わらずあきらは。」
ヒビキもまたイブキ達に近づいてくる。6人の人間が2枚の地図を見比べる。
「やっぱり同じ位置だね。集まろうとしている。蠱毒の儀をやるつもりなんだ。」とイブキ。
「当然でしょ。貴方がイッタンモメンを逃がさなきゃこんな面倒なことにならなかったのに。」と香須実。
「まあまあ、夫婦喧嘩は犬も食わないって言うからさ。取り敢えず現場行くか。あ、香須実はここで。連絡は恭介とあきらのケータイに。よろしく。シュっ。」
ヒビキ独特の、人差し指と中指だけの敬礼から手首をややヒネるポーズだった。
そのヒビキの一言で5人の人間が海岸縁を歩き出す。しかしイブキだけが香須実に振り返る。
「ねえ、いつもの。」
と言って香須実に1センチも無い距離に顔を持ってくるイブキ。
「え、ここで。」
意外な驚きを示す香須実。
「そうだよ。ここで。」
イブキの厭味の無い笑顔が実に厭味である。
「人前じゃない。」
「なに言ってるの、火打ち石だよ。」
「あ、態とでしょそれ。」
「ねえ、あきら後ろに乗せて嫉妬してない?」
「なにそれ、」軽く火打ち石を二つ擦り合わせる香須実。「まあ、多少は。」
「良かった。じゃあ、行ってくる。」
笑顔の変らないイブキだった。
「この辺りだ。」
岩壁に立つ5人の人間達。見下ろすと僅かな砂浜と洞窟らしき窪みが伺える。
ヒビキは、先に香須実から貰ったY字のスティック、下顎から牙を2つ生やす奇怪な人面模様のあるそれを、同じく香須実から頂戴した3枚の円盤に弾く。スティックはどうやら音叉であるらしく、金属質の高い澄んだ音を十分な余韻で響かせた。
「よろしくな。」
驚くべきは3枚の円盤である。円盤は音叉の金属音と共に赤、青、黄色にそれぞれ変化し、ヒビキが放り投げると、独りでに複雑なギミックで変形、手乗りサイズの動物の形状となって、意志でもあるかのように活動しはじめた。一体は宙を舞う「アカネタカ」、一体は岩肌を跳ねる「ルリオオカミ」、一体は水面を潜る「キハダガニ」である。
「大変です!今式神からの情報で」そして3枚のディスクと同質感のヘビのようなそれが、あきらの左腕に巻き付いてる。あきらは明らかに玩具のようなそれと会話している。「敵は、魔化魍は3体!」
金属状の円盤に変形する小さな動物達をあきらは「式神」と呼んだ。あきらの腕に巻きついてるのは「ニビイロヘビ」。
「あら、大変だ。こりゃザンキさんと同じで、労災覚悟かな。」
気軽に答るヒビキだったが、他4人の反応は明らかに違った。
「あきら、増えた魔化魍をまず教えて。」
イブキは弟子に細かな注意を与えた。
弟子の少女は、すいませんと言ったあと続けて、
「ヤマビコです」
と答える。
「まあ、なんとかなるか。」ヒビキは耳朶の裏を擦りながら、変らぬ落ち着いた物腰。「じゃあ、イブキがイッタンモメン。そして弟子3人はバケガニを、オレがヤマビコを片付けるまで式神で牽制って事で。」
「ヒビキさん!」
と同時に声を上げたのは桐矢と戸田山。
「オレ、この烈雷でカニを倒せます!」
「ヒビキさん、同じ枹使いのダンキさんがカニの甲羅で腕を複雑骨折したんですよ。ヒビキさんより弦使いのこの人に任せた方が確実じゃないですか。」
戸田山は一人大層にギターらしきモノを抱えていた。それを差して彼は「烈雷」と呼んだ。
「ダーメダーメェ、戸田山はとにかく変身するな。恭介、メモしとけ、戦いは相性ごっこじゃない。」
ヒビキは今「変身」という言葉を発した。
「ヒビキさん、出ます。」イブキが海面を指した。
先程円盤から変形した式神キハダガニとニビイロヘビが十数匹、海岸から浮かび上がってくる。同時に空より集まってくる十数羽のアカネタカが、海岸を旋回し始めた。
海面の一部から異様な高津波が起る。波より浮上する異様な生物が2匹。空を飛び立つ巨大なエイのようなそれが先程ヒビキ達が言っていたイッタンモメン、そして地上から横向きでくの字に曲がった4対の脚を連動させて歩くそれはまさに巨大なカニ、バケガニである。2匹とも確実に8メートルを超えている。この異様な生物こそが魔化魍と呼んでいたそれであった。
「ヤマビコは洞窟の中です!」
あきらの叫びと呼応するように洞窟が出現する、8メートル程の巨大な猿人とでも言うべき魔化魍。体毛が顔や皮膚をほとんど覆っている。
「イブキ、兄ちゃんに言って、特別ボーナス出してくれるよう頼んでくれよ。」
ヒビキは先程の音叉を構えた。
「ボクの立場だからこそそんな事言えないの分かってるくせに。」
笑顔を崩さないイブキもまた、奇妙な人面模様がある犬笛のようなスティックを取り出す。ヒビキと並び立ち、口元にそのスティックをあてる。
「オ、オレも、」
そして戸田山もまた、腕時計のようなそれを掲げた。やはり人面模様がある上、4本程短い弦が縦に張っている。
音叉を弾く、
『ヘンゲ』
ヒビキの持つ音叉の人面が声を発した。
笛を吹く、
『ヘンゲ』
弦を弾く、
『ヘンゲ』
イブキと戸田山のアイテムも又声を発した。そうして3人は同時に余韻続く音源を自らの額に翳す。3人の肉体にそれぞれ独特の音が共振した。
ヒビキの全身を炎が上がり、
イブキの周りを竜巻が起り、
戸田山の肉体に雷が落ちる、
シルエットとなった3人が右腕を振って、己に纏わり着いた超自然現象を掃う。現れた3人の姿はもはや異形であり、人間のそれでは無かった。黒主体のマジョーラな光彩を放つ仮面の3人。それぞれヒビキが赤いポイントを各部に設けて頭部に2本の角、イブキが青いポイントに3本角、戸田山が銀に1角である。3人の鬼の額にはそれぞれ先の音源を貼付けたような人面があり、変身完了と共にその両目がそれぞれを象徴する赤、青、白銀に光った。
「おい、戸田山、言うこときけよ。鬼を舐めてるんじゃないのか。」
角、そう、彼らは『鬼』である。
ヒビキは響鬼といい、イブキは威吹鬼という。鬼があの魔化魍と戦う。
「はい、がんばりまっス!」
全く聞いてない戸田山はバケガニに向かって10数メートルある崖をひとっとび落下していく。
「戸田山!くそあいつ人の言葉理解できるのか。」
「斬鬼さんのリペイントで銀ですか。」威吹鬼の冷静さはもしかして冷酷なのかもしれない。「あきらにフォローさせます。あきら!式神で妨害してもいい。」
はい、と答える少女は、先程威吹鬼が変身に用いた変身鬼笛「音笛」と全く同型の笛を取り出し、余韻残る高音を響かせる。これで式神を操る事ができる。
「恭介、鬼になってあきらを守れ。できればカニの甲羅がどの程度かオマエの腕で見てみろ。参考にするからさ。斬鬼は確か金か。戸田山は銀の色違い、分かりやすいな。」今度は響鬼である。
桐矢は目を輝かせ、響鬼が使った同型の音叉、変身音叉「音角」を額に掲げた。
「リペイントですよ。桐矢くんもリスク大き過ぎじゃないですか。大体45貫目でしょ。まだ吉野から許可が下りてないはず。」
威吹鬼は、奇妙なトランペットを背中裏から取り出す。奇妙とはベルとマウスピースにあたるものがない事。サイズで言えばむしろコルネットに近い。ピストンの動作を一つ一つ確認している威吹鬼。
「色違いでいいじゃん。まあ、オフレコって事で。よろしく。」
響鬼も崖から飛び降りた。
「リペイント。」
あきらを抱えた桐矢変身体が続いて崖を降り、威吹鬼一人が崖上に残った。残った威吹鬼は、アカネタカに纏わり着かれながら飛翔するイッタンモメンにそのトランペットのようなものを向けた。
弾丸バースト3連、
驚くべき事に、そのトランペットから弾丸が発射され、イッタンモメンの翼に撃ちこまれた。これぞ音撃管「烈風」であった。
10メートルを越える高さの崖から飛び降りても、まるでイスの上から降りたネコのように全くダメージらしきものが伺えない響鬼。
「いくか。」
気合を込めた響鬼に影が差す。既にヤマビコの足が響鬼に伸し掛かろうとしていた。
「おっと。ヤマビコは必ずどいつもまず踏んでみせる。」
バック転で回避する響鬼。角度によって紫にも赤にも青にも見える光彩を放ちながら響鬼は、そのまま回し蹴りから裏拳をヤマビコの足の腱に打ち込む。重低音で吠えるヤマビコは、片足を上げる。
「そして次は腕で掃おうとする。」
確かに響鬼の言う通りヤマビコは平手で横薙ぎにしようとする。響鬼、今度は避けない。避けないどころか受け止める。体の全てを掴まれ得るほどの巨大な掌を、両腕をいっぱいに回して抱えた。
「どりゃ!」
そのまま先程痛めつけた足に重心がかかるように腕を引き、そして勢い自身の4倍あろうかというヤマビコの肉体を放り投げ、宙で一回転させた。
仰向けに倒れるヤマビコ、
響鬼はそのヤマビコの腹の上に乗った。徐にベルトから円形のバックルを宙に放り上げ、そして走りながら落ちてきたそれを掴む。掴んだバックルは音撃鼓「火炎鼓」。脳震盪気味のヤマビコの胸にそれを押付けると、不思議な事に火炎鼓は円形に自転しながら、数倍の直径に広がった。響鬼はそうして腰裏に両腕を回して二つの棒を取り出す。打楽器のスティックに見えなくない。先端の球形はよく見ると鬼の頭が象られている。これが音撃棒「烈火」。
「音撃打、火炎連打っ!」
打!
大臀筋、広背筋、僧帽筋、三角筋から上腕筋まで躍動がのた打ち、枹の先端に集約される。烈火を打ち込んだ響きは響鬼の全身の筋肉を波打ち、次いでヤマビコが痙攣を起し絶叫。音撃鼓に音撃棒という枹で音撃打する。
打、打打、
一撃強烈に打ち込んでヤマビコの動きを止めた響鬼は、軽快なリズムに乗って枹を打ち込み続ける。そうして音撃の蓄積が頂点に達した時、響鬼は烈火を天高く掲げた。
「えいやぁ」
二打、
最後に発汗を伴った二打、既に動きの止まったヤマビコの肉体は爆発的に四散、大気と大地と海に溶けるように浄化されいった。魔を蓄積した魔化魍の存在を静めたである。
「一丁あがり。」
音撃棒2本を掌で2回素早く回転させ、元の腰に収める。西部劇の2丁拳銃の使い手がホルスターに収める時の扱いが原点らしい。
しかしその余裕を、完膚無きまでに打ち消す現実が、響鬼を待っていた。
陸地の魔化魍は、響鬼のように近接する必要がある。だがイッタンモメンのように飛翔する魔化魍はいったいどのように攻略するのか。その答えが威吹鬼の持つ音撃管「烈風」にある。
「全く響鬼さんも早くみどりさんと一緒になればいいのに。」
そのトランペットに模した銃から機笛のような音を3連射、即ちバーストでイッタンモメンの翼と尻尾を狙う。翼は飛翔系魔化魍にとって足である。足を弱めるのは基本である。
吠えるイッタンモメン、
吠えてその尾の先が異様に伸び、威吹鬼に絡み付こうとする。しかし威吹鬼、腕を一振りすると、先の変身の際に起った竜巻と同程度の突風が起り、伸びた尾が弾かれる。だがその間銃撃が止んだ。
突進、
銃撃が止んだタイミングを見計らってイッタンモメンが威吹鬼に猪突する。
「そうすれば香須実もふらつく事がないし、ボクもこんな不安になる事はないんだ。」
しかし先を制するのは威吹鬼。素早く銃の第2ヴォルブを押す。落ち着いて銃口を向けた。
単射っ!
同じ銃とは思えない程の低い唸りから単射された弾丸は、やはり比べ物にならない威力でイッタンモメンの突撃を殺す。
2発、3発、
胴体中央に撃ちこまれた弾丸は、確実にイッタンモメンを弱めていく。内部に抉り込んだ弾丸はイッタンモメンの肉体を透かして赤く光っている。この弾丸は、響鬼の音撃棒先端の鬼の頭と全く同じ鬼石という物質で出来ている。
「あきらが心配だ。」
敵に鬼石を撃ち込んだ威吹鬼は、烈風のピストン前面の歪曲内側から細いパイプを取り出す。それはマウスピース。銃の後方に装着。もう一つ、やはり響鬼と同じくベルトから円形のバックル、それはやはり音撃の道具、音撃鳴を取り外し、宙に放り投げ、裏返ったところを手に取る。それを銃の前方に装着、つまりアサガオであり、トランペットの形状がようやく完成する。
銃撃が止んで再び突進するイッタンモメン、
マウスピースを口に持っていき、トランペット烈風を直線に向けた。
「音撃射、疾風一閃!」
響鬼はバックルを魔化魍に捺しつけて、鬼石で打撲したが、烈風の構造はその逆、バックルを威吹鬼の全肺活量を使って震動させ、あらかじめ固有振動数を揃えておいた鬼石の共鳴効果を以って、魔化魍内部に音撃を発生させ浄化するのである。攻撃させず、先を制する冷徹さを何よりも要求する武器である。そう一切の攻撃を受けない事が絶対条件だ。
横から杖、
「しまった、」
杖が威吹鬼の烈風を突き刺し、そのまま生き物のように旋回して、投げた人物の元に戻っていく。
「あれ・・・・は」
威吹鬼の意識が唐突に喪失していく。見た途端、その人物の圧倒的な存在に失神した。威吹鬼の中に残ったイメージは、黒装束の女、そしてその細い右腕で先程投げた杖を掴み、左腕で一人の鬼の首を掴んで軽々持ち上げてる姿である。
戸田山という男は悪気とは無縁の男である。 ただ響鬼の言う事なぞ、バケガニと戦うプロセスでいっぱいで脳から吹き飛んでしまった。
「オレは、みんなの期待に応えるっス。」
いわゆる集中力があり過ぎるタイプである。もしかしてベータ波が脳から出ていないかもしれない。響鬼の制止の声なぞは、
「&∴※◆○12&($%%# 」
くらいにしか聞こえていない。聞こえないどころか自分の勘のまま、
「よし、戸田山、オマエに任せたぞ。シュっ」
と全員が言っているに違いないとまで思うのが、戸田山という男のリアリティであった。当然あきらが纏わり着かせているアカネタカやリョクオオザル達も、勇気づけてくれている、としか解釈していない。
「斬鬼さん、オレを守ってください!」
一角の鬼と化した戸田山変身体。片手にいままで担いできたエレキギターのような「烈雷」を握る。それは彼の師に当たる斬鬼より貸し与えられた音撃弦である。
バケガニはカニと同じく横歩きがもっとも楽に動け、そしてカニと同じく8本の脚全てを用いて軸回転する。そしてカニと同じく、前へ動けない訳ではない。
振り下ろすハサミ、
そしてカニの姿勢は自身より低いものに対して覆い被さるように攻撃する為の姿勢である。一直線に近接する戸田山に、戸田山の身長程もあるハサミが襲いかかる。
切断する戸田山、
烈雷のボディは鋭利な刃である。ギターという先端に重量と重心が傾く形状が産む破壊力は、バケガニの強靭な甲殻を切断してみせるちょっとした斧。この刃は切断の衝撃で弦を震動させる為、和音の単調な音撃となり、二重の破壊力を産む。
「やったっース」
戸田山はこの時点で式神達の動きが全く無い事と、あきらや桐矢の援護がまるで無い事に気づくべきだった。いやむしろ全てバケガニに集中していた事が幸運だった。
軸脚を切断、
ハサミを切断し遠心力を失わずに振り回し、懐に飛び込んだ上で、そのままバケガニの軸脚左右2本を切断、バケガニは6本の脚になってグラついた。
「でや、」
腹に突き刺す烈雷、
前のめりになったところ烈雷を逆手に持ち替えて、直線的に突き刺す戸田山変身体。
「斬鬼さん、見ててください、オレの音撃斬をっ」
素早くベルトのバックルを外す。両刃斧頭か、塘のような形状をしたそれは音撃震「雷轟」。烈雷に装着すると、ボディの先端が開き、拳よりも大きな鬼石が出現。
「音撃斬、雷電激震っ!」
装着されたバックルには弦が6本張っている。これを弾くとバックルが震動、威吹鬼と全く同じくバックルの震動に鬼石が共振し、バケガニを浄化する音撃となる。
唸るビート、
調子づいた戸田山変身体は、ビートの刻みをテンポアップし、時にバイブレーションで変調しつつ、徐々に震動を増していく。
「えいっや」
爆発四散、
戸田山が6弦全てを一気に弾き親指を立てて天高く掲げる。同時に塵一つ残さずバケガニは四散、大気へ溶けていった。爆発の中心にいながらビクともしない強靭な戸田山は完奏した恍惚に塗れ、その余韻さめやらぬまま、意識を失っていった。意識を失う理由も自覚できないままに。
桐矢恭介という16歳になったばかりの少年が、響鬼の弟子となったのは、魔化魍に母親を殺された為である。魔化魍への憎悪はストレートに復讐へ彼を駆り立て、金属バットで殴りかかろうとしたところ、響鬼に救われ、その上母の仇を討ってもらう。この響鬼に亡き父の面影を見た彼は響鬼、というより鬼というものに憧れを抱く。それから1年、‘資格’があったとは言え、鬼として目覚ましい成長を遂げ、もはや先輩格である戸田山やあきらを追い抜く勢いで免許皆伝に達しようとしている。
「あきら、下りるぞ。オレに掴まれ!」
変身した桐矢の姿は4本角の鬼である。ただし体色は淡いグレー。剥けたばかり青臭さが残る。その鬼があきらの腰に手を回し、そしてあきらの方も桐矢変身体の肩に腕を回した。
「来て!」
飛び降りながらあきらは音笛を吹く。すると操られるように式神達があきらにまとわりつき、少女が指差すままに戸田山とバケガニの間に割って入ろうとする。
「あの戸田山って人はどこまでバカなんだ。」
降り立った桐矢は、即座に両腕を腰裏に回し、響鬼と同じ音撃棒を2本手に、響鬼と同じく早いテンポで3回転。バケガニに注意を向けた。
「それより、湿度の高い山間にいるはずのヤマビコがなんであの洞窟にい・・・・・」
音笛で戸田山を制止しようとしたあきらが唐突に頭を抱えて突っ伏す。ただ掠れるような声で、姫が、とだけ洩らしている。
「あきら、どうした・・・・・・」
あきらの様子が変調し、同時に音笛で統制していた式神達の動きが乱れ、戸田山を完全にフリーにしてバケガニと対させる事になる。訝しんだ桐矢はあきらにすり寄って肩に手を置いたが、置いた途端桐矢自身も体の変調を自覚する。
「鬼かい、これはまた可愛い鬼だこと。」
背中に異様な存在を感じる桐矢。五感のどれでもない、自分自身という存在そのものが、背中にいるだろうモノの存在によって、消しゴムのカスのように簡単に吹き飛ばされてしまそうに感じた。もし振り返ってその女声の存在を視ると、いったい自分はどうなってしまうのか。だが鬼である、鬼として45貫目積んだプライドの高さが、少年を突き動かした。
掴む、
「この鬼さんじゃない。邪気が強い。」
桐矢恭介の首が掴まれた途端、あってはならない方向へ曲がる。桐矢は既に失神しており、その女の黒い装束が意識がある内に見えたかどうか。
女は黒いドレスを纏い、スカートで足下はヒールしか見えない。全縁の帽子とマスクは彼女の顔を隠しつつもその円らな瞳を強調している。もっとも不思議なのは杖、枝をいくつも切断した断面に時計のようなものをはめ込んだ、どのような目的か想像が尽きない、あるいは想像がつかない、そんな杖を片手にしている。
「桐矢く・・・アナタ・・・」
あきらは消し飛びそうな自分の存在についに失神してしまう。ちょうどその時、戸田山がバケガニを爆砕、響鬼もまたヤマビコに音撃を食らわせようとしところだった。
「もうあの子だけかえ、ようやくここまで来たんやさかい、堪忍して欲しいわ。」
飛翔、黒装束に身を包んだウエストの括れが見事過ぎる女が、桐矢を片手で掴んだまま鬼達が飛び降りた崖を逆に一跳躍で上り切る。
「音撃射、疾風一閃!」
そしておもむろに不可思議な杖を、まさにイッタンモメンにトドメを刺そうという威吹鬼の音撃管めがけて投げ付けた。
「この邪気の満ちた小鬼を食らうがいい。」
投げた杖はやはり不可思議に大きく旋回し戻ってくる。威吹鬼もまた、桐矢やあきらと同じく、その黒装束の女の存在に失神していた。女は、音撃から解放されたイッタンモメンへ向けてさらに跳躍。イッタンモメンは下から掬い上げるように女と桐矢、もはや死骸となったそれを乗せて高く上昇をかけようとする。
「弟子を返せっっ!」
その声は2本角の鬼、響鬼だ。ヤマビコを倒した響鬼は、状況の異変に気づいて女と同じく崖上へ一跳躍。失神した威吹鬼を起そうしたが断念し、仰角を上げるイッタンモメンの翼を掴もうなお跳躍する。
「おまえも違う。鬼は外だ。」
女は、桐矢の死骸を放してイッタンモメンの背に落す。弾力ある魔化魍の肉体にやや沈んだ桐矢は、沈んだまま盛り上がってこない。いやむしろさらに沈んでいく。体皮から吸収されていっている。もはや四肢の先と頭がイッタンモメンから生えているかのようだ。
「キィィサマーッ!」
響鬼はイッタンモメンの翼を後僅かのところで掴み損ね、そのまま跳躍頂点に達し落下しようとした。弟子の存在の最期を目の当たりにし、怒りのまま吠えた。
火を吹く、
「鬼がっ、番いだけでなく私までも滅ぼそう言うんか。」
だが響鬼、ただでは逃がさない。落下しつつ響鬼の面から口周りが開く。その口から出たものは火炎。灼熱がイッタンモメンと黒装束の女を襲い、ゆらゆらと火の粉を散らしつつ悶え苦しんだ。これが鬼幻術「鬼火」。
「ダメか。」
しかし黒装束の女がその杖でイッタンモメンを叩くと、空中で錐揉みして火を祓う。やや高度を落しつつも、女を乗せ、ゆらゆらと水平線に向けて進路を取る。翼を持たない響鬼は、もはやどうする事もできなかった。
「響鬼さん・・・すいません。」
崖上に呆然と立つ。音撃棒を持つ手が小刻みに震えるその響鬼の背後から、ようやく覚醒した威吹鬼が声をかけてきた。
「おまえらは仕方ない。」声は酷く事務的だ。「向こうもオロチを起すのに必死なんだ。」
「姫というものが、あれほど強力な‘存在’とは。」
「鍛え足りなかったって事だな。」
「すいません。」
「いや、オレの事だからさ。」