仮面ライダー真・響鬼SPIRITS   作:bassher

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一の巻 失せゆく少年

 

 

 

「やっぱりいるよ、ほらあそこ。」

 

 日差しは既に皮膚に刺さるような7月。

 明日夢に見えた現象はまさしく生物、朝日が産み出すムラとは到底思えなかった。

 ただし、その体は全て金属質であり、二次元的な薄いパーツを組み合わせた、まるで折紙セットのたった一枚しか無い銀で作った、クリスマスか七夕で飾る鳥。明日夢は光を僅かに反射させながら飛行するその鳥を指と目で追った。

 

「おい、持田、持田、アレだよ、この間話したアレ。」

 

 土手では制服の群れが城南高校に向かって歩いていた。明日夢と先程会って共に通学していたはずの持田ひとみは、既に先の方で同級生の紀子や克典と合流している。

 

「持田ってば!」

 

 持田の肩に手を置く明日夢。目尻が下方に垂れているのが素でも笑顔に見える持田ひとみは、明日夢と幼なじみで小学から高校まで同じクラスのガールフレンド。もはや友達とだけ思っているのは、明日夢ただ一人と言っていいだろう。だがしかし、持田は別の事で驚いている。

 

「びっくりしたぁ、明日夢くんじゃない。」

 

「さっきから話してたじゃん。」

 

 きょとんとする持田。なぜか不思議がっている。明日夢はなんだか居たたまれない気分になってただ唖然と立ち止まった。

 

「でね、その数学の先生が、」

 

 持田は紀子との会話を続けてそのまま城南に歩みを向けた。

 

「ボク・・・・持田に何かしたのかな。」

 

 

 

 何故か最近一人になる時間が増えている明日夢は、連日図書館で読書するのが習慣になってしまった。

 

『主に蜘蛛というと、日本書紀において大和朝に敵対した国や部族を指す隠語である。昆虫のように見えて昆虫にあらず。言いえて妙である。この韻が平安の世、奈良は葛城山に現れ源頼光に退治された伝説の根底である。源氏は天皇家の血を引くものとして表現され、それに付き従った四天王というのは、大和朝の同盟国を表している。蜘蛛は糸を紡いでネットにする事は誰もが知っているだろうが、もしかして繊維業を営んでいた部族だったかもしれない。あるいは大和朝に圧されるまま九州南端まで落ち延び、そこでやはり地元の人間から糸を紡いで作った布を扱う者、つまりイッタンモメンとして怖れられたのではないか、と想像を膨らませるのもおもしろいだろう。』

 

 安達明日夢は葛飾区柴又に在住し、東柴又中学を卒業、現在城南高に在籍、一学期がようやく終了しようとしている。

 中学までは、普通に思春期をエンジョイし、普通の集合住宅で、普通の親子3人仲良く暮す、フツーの少年だった。

 ところが父が去年末行方不明になってから歯車が狂いはじめる。

 母は当然父に代わって働き始めた。タクシーの運転手である。辛いのかまるで父なぞ初めから存在していなかったように振る舞う。それも死んだ事を認めたくないのか、墓も仏壇も香典すらも立てていない。

 幼なじみの持田とは、ファーストキスまで進んだ仲だった。

 

「おはよう」

 

「おはよう」

 

「今日は何個」

 

「全部で10コ」コンビニで買ったオニギリの数を数える明日夢。

 

「あっそー、そうだ、城南にしたんだ。じゃあまた同じだね。ありがとう。」

 

「うーん、城南はブラバンあんまり有名じゃないんだけどね。」

 

「やっぱり城北の方が良かった?」持田は少し寂しそうな顔をした。

 

「うーん、城北の高いレベルのブラバンやりたかったけどね。」

 

「じゃあなんで城南選んだの?」

 

「うーん、持田はどう見える?」

 

「仲の良かった私達が城南にしたからかな。明日夢くん、ノリがいいしさ。」

 

「じゃあ持田達と同じにしたかったからだろうな。」

 

 明日夢にとってあるいは、それは中学の仲良しグループからハブかれない多少臆病な選択だったかもしれない。しかし持田は違う意味に捉えた。唇を無理矢理捺しつけて、持田は顔を赤らめて走っていった。

 そんな想い出を共有した仲なのだが、なぜか最近、距離を置かれたような気がしてならない。

 おかしな事と言えばさっきの銀の折紙のような鳥もそうだ。自分しか見えない。自分は確かに見えている。しかし他の人はそんな自分をバカにした。自分が見えている、自分の確信はそんな信頼に足りないものなのだろうか。少し前は折紙のような犬、しかも手に乗るほど小さい犬を見た気がするし、たぶん折紙みたいな猿も見た気がする。自分の見た事は自分の脳の中で変な妄想に変わっているのだろうか。だからみんな自分から距離を置くようになったんだろうか。

 問題は友達やクラスメイトの間だけじゃない。

 

「先生、ボクは?」

 

「ええ、今日は36ページの和訳と過去完了形だったか。」

 

「先生、出席ボクまだです。」

 

 なぜか担任教師までが明日夢を無視するようになった。騒いでも騒いでも持田を含むクラスメイトの誰も黒板の教師を見つめて筆を走らせ、担任もまた黒板に英文を書くのに集中している。

 

「先生!」

 

 教壇までツカツカと歩いていき、担任の腕を掴んでようやく、

 

「お、安達、なんだおまえ。」

 

「だって出席でボクの名前呼んでないじゃないですか。」

 

「そんな程度でこんな前まで出てきて騒ぐ事ないだろ。授業を妨害するな。」

 

 担任は態とやっているのだろうか。高校ってもしかして担任までグルになったいじめをしてるんだろうか。明日夢はそんな風に考えるが、周囲の人間にこの寂しさをぶつけるのを避けた。ぶつけるのが怖かった。はっきり自分の存在を否定されたら、もう生きていられないかもしれない。それよりはあやふやなまま高校3年を耐えて、ただそれがフツーの高校という社会で、自分が見えてないだけで他の人も同じ思いをしているんだと考える方がまだ救われると思う事にした。

 

『以上から、蟹坊主というのは、平安仏教上の異端、そして平安期に台頭し源閥に敵対した落ち武者を言い著してると思われる。彼ら平安期に生まれた敗者にとって、古寺は恰好の隠れ場所であったに違いない。

 

~都極冬彦 妖怪の源流ガイドブック』

 

 安達明日夢が図書室で籠って3時間、午後の授業を2時限サボっても誰も何も気に留める者はいなかった。

 

 

 

「ただいま。」

 

 鍵を開けると、珍しく母が帰ってきていた。

 

「何方様でしょうか、あの失礼じゃないですか。チャイムも鳴らさずに玄関を開けるなんて。」

 

「母さんまたそのネタ。ヤだな全く自分の大切な一人息子捕まえて。」

 

 母、安達郁子の反応はいつも思い出すような態度から始まる。

 

「ハラホロヒレハレ~、明日夢ボッちゃんじゃ、あ~りませんか。」

 

 母郁子は、タクシーの運転手で稼いでいる。タクシーの運転手を縛るものは料金メーターと無線機だけであり、寝ていようが家に戻ろうがそれは大して問題ではない。昔はちょっとダークな風俗に務めていたそうだが、ごく普通の世界で生きていた父から素朴に結婚を申し込まれ、素直にハイと言ってしまったという。

 

「お腹すいたよ。」

 

 母は一人分のごはんをレンジで温め、一人分のタマゴを使ってオムライスを作っていた。

すぐに明日夢にもオムライスを作ろうとする母。

 

「明日夢、そういえばブラバン、辞めたんだって。ひとみちゃんから聞いたよ。」

 

「部長から、基本がなってない、って言われちゃってさ。」

 

 明日夢はブラスバンド部を中学の間ずっとやってきた。パーカッションを担当し、東柴又中はちょっとした賞を得た。つまり自信はあったのだ。それが高校に入って部長から、基本がなってない、と部員の面前で叱責を受けた。

 基本てなんだろう、

 明日夢は戸惑った。中学の頃は教師がその筋で有名な人だったようで、指導はかなり濃密なモノだった。明日夢の中学の頃の苦労が、高校3年の部長の一言で粉砕された。場所によって基本って違うものなのだろうか。中学の教師と高校の部長では言ってる事がまるで逆だった。まるで逆のものを同時に抱える事などできない。中学の頃に覚えたモノは高校で部長の言う通りやっていく内いずれ消え去ってしまうだろう。

 

 さあ、オレにはよく分からない、

 

 ちょっとした事なんだよきっと、

 

 中学から同じブラバンにいたクラスメイトに聞いてみると、自分の質問の答えになっていなかった。もしそんなどうでもいい事で基本を変えて、そしてまた別のところでもその基本でやって自分を否定され、そして同じようにまた覚え直してまた元の居場所に戻った時、元の基本がまるで出来なくなっていたら、結局自分は何も持っていない木偶の坊でしかない。結局2つも3つも相反する考え方を同時に抱えるなんて不可能だ。部長の無責任な一言は自分から自分の全てを奪おうとしてるとしか思えなかった。部長の言うとおりの人形になって、1年でポイと捨てられる。そんな未来図が浮かんだ。

 明日夢はそんな妄想に囚われ、練習をサボった。3日後、ブラバンが出来ない手の寂しさに囚われた明日夢は戻ろうとした。しかし窓から覗くと、部長は代わりのドラムを既に練習させ、自分のその部での役目は無くなっていた。もしこれが城北だったらどうだっただろう。明日夢は後悔した。結局自分の代わりはどこにでもいる。自分の居場所は自分だけのものじゃなかった。

 

「まあ、城南選んだ時から、母さんはいずれブラバンに興味失くすんじゃないかって思ってたんだけどね。明日夢は自分の意志よりも環境の意志だもんね。」

 

「そうなのかなぁ・・・・。そうだ、それより忘れない内に明日の昼代くれよ。」

 

「明日はちゃんとお弁当作ってあげるわさ。」

 

「そう言って朝になって忘れた事何度あるんだよ~」

 

「ハラホロヒレハレ~、ヤメテケ~レ、ヤメテケ~レ。」

 

「歌ってゴマ化すんだからもう。」

 

 夜はタクシーの稼ぎ時である。これから明日夢が寝た後でも母は働き続け、日が登る頃に寝て、そのまま正午まで起きない。当然明日夢の弁当など作れるはずがない。

 

 

 

「待ったかい。」

 

 明日夢には秘密があった。

 いつものように、僅かな小遣いをやりくりして買ってきた豚切り落とし100グラム。自分の部屋の押し入れをあけると、ダンボールに古布を敷いたその上にいる一匹の拳程の大きさの生き物。

 

「おい、それは指だろ。おまえはこっち。」

 

 4対の歩脚、口には鋏角。8つの目。頭と胸の境が無く、頭胸部と腹部は細く連結されている。昆虫のようで昆虫に分類されない。即ち蜘蛛のそれに見える。しかしその大きさと言うとオオジョロウグモやトリクイグモなどを遥かに越えて少年の握り拳程もある。蜘蛛は自分と同じ大きさの生き物を捕食するというから、鼠は言わずものがな、子猫くらいは食らいそうだ。ただしその4対の脚はまだ短く、自重を支える事も歩く事も困難なようで、未だ畳んで丸まっている。

 それがくるくると軸旋回して明日夢を眺め、指をその鋏角で咥え込んでくる姿に明日夢は無上の可愛げを感じた。

 

「もうボクしか頼れるものが無いんだな。おまえ。」

 

 その日の四谷は突如局地的な暴風雨が起ったそうで、街路樹が所々なぎ倒され、行方不明の人まで出たという。明日夢も屋久島から東京見物に出てきた親戚の千寿がそこで用事があると言わなければ行かなかっただろう。結局千寿の用事は男友達と会う事だったようで、明日夢と2時間程お茶をして別れた。その帰りである。記憶のまま有名なたい焼き屋を探し裏路地に入った明日夢の脚に鼠程もある蜘蛛が飛び掛かってきた。最初は気味悪がった明日夢だったが、その内脚にしがみついてブルブルと震えるこいつを見捨てられなくなった。以来、明日夢にとって最近は唯一構ってくれるトモダチになった。

 

「今日図書室で調べたら、おまえが益虫だって分かったんだ。おまえすごく人間の役に立ってるんだよな。」

 

 生肉を溶かして、吸い取る姿を眺めながら微笑む明日夢。

 しかし彼はそれが蜘蛛という生き物でなく、魔化魍である事を知らない。

 

「ん、まただ。」

 

 明日夢の部屋は東向きに窓がある。西日は受けず、暗くなるのが早い。その窓に例の金属板を折ったような小さな、トモダチの蜘蛛よりも小さな猿がいたように見えた。

 

「おっかしいな。」

 

 今度こそ、光のムラが産む悪戯なのか確認しようと窓を開けた。いない。どこにもいない。

 

 チャイム、

 

「はぁい。」

 

 玄関の呼び鈴が鳴った。なにもかも忘れてとにかく玄関まで踊り出る明日夢。だが扉を出る時脚の小指をキツく打って足を抱えた。

 

 チャイム、チャイム、

 

「はぁい。お待ちを。」

 

 なんとか激痛を堪えて、ややぎこちない笑顔まで作って玄関を開けた。

 

「はぁい。お父さん元気かな。やっぱ止めよう。少年、実は君の部屋へ、ええい、ままよ。よろしくな。シュッ」

 

 それが少年と彼との出会いだった。明日夢にとって男は第一印象から心に食い込んでくる存在だった。

 男は険しさと威圧感と色気が見え隠れし、そして気さくさと柔和なマスクがそれらを必死に抑え込んでいる複雑な印象を受ける。ミリタリーグリーンのシャツ一枚というラフなスタイルの男は、少年にその独特の中指と人差し指を揃えてくるりと翻す挨拶をした後、少年の言葉も聞かずに強引に宅へ上がり込んできた。

 

「いったいなんなんですか。」

 

 明日夢少年の反応は当然だ。だが常識などこの男には歯止めにもならない。

 

「ヒビキです。」

 

「警察を呼びますよっ」

 

「あっちか。ヤツは。」

 

 法規すらもどうでもいいのか、ヒビキはただ目線を下に、明日夢の部屋へまっすぐ歩みを進める。

 

「あれは・・・」

 

 明日夢もまたヒビキの目線の先に注目した。それは金属質に光る、二次元的なパーツを立体に組み合わせて作った小さい、掌に乗りそうな4つ足の青い犬であった。なにより驚くのが、このヒビキという胡散臭い男が、いままで自分だけが見えなかったそれと会話すらしている事実である。

 

 鳥が明日夢の周囲を撹乱する、

 

 あの人は大丈夫、

 

「え?なんだって、」

 

 君の大切に人になるよ、

 

 同じく金属の折紙で作ったような赤い鳥が開いた玄関から飛んできて明日夢の周りを旋回し、ヒビキとの間を割く。不思議な事に、鳥の甲高い鳴き声が明日夢には言葉となって脳に雪崩込んできた。それはとてもとても穏やかな声だった。

 

「押し入れの中か。」

 

 唖然とする少年を余所に、ヒビキは明日夢の部屋、そしてあのトモダチのいる押し入れを開けようとしていた。ヒビキは右腕を腰の裏に回し、隠し持っていた棍棒のようなものを取り出す。

 

「やめろっっ!」

 

 トモダチを撲殺される危機を感じた少年は、鳥、アカネタカを振り払ってヒビキのその右腕に飛び付いた。

 

「少年、こいつはな、ツチグモなんだ。」

 

 押し入れを開けると、まるで状況が分かっていたかのように、ヒビキに向けて尻を向ける蜘蛛。

 

 糸、

 

「こいつ、頭いいヤツだな。」

 

 ツチグモの放った糸をまともに顔に食らうヒビキ。左腕でそれを引き剥がし、少年を抱える右の手首だけで、棍棒、音撃棒を左へ持ち替え。そのままツチグモの幼体を叩き潰そうとする。

 

 跳躍するツチグモ、

 

 しかしツチグモは4対の脚をいきなり倍に伸ばし体躯を一気に跳躍させる、その先は窓。

 

「逃がしたか。」顎を撫でながら、式神に追うよう命じるヒビキ。

 

 透過する、

 

 ツチグモは驚くべき事に、窓ガラスなど無いかのように動きを止めずに透過していく。逆に追いかけようとしたアカネタカとルリオオカミは、部屋から出られず追跡できない。

 

「なんなんですか。あれは、あれはボクのトモダチなんだ!」

 

 眉間に皺を寄せ手を振り払い、はじめて少年の顔をヒビキは観た。

 

「少年、そうか、少年にはトモダチなんだな。」そして振り払った腕を明日夢の腰回す。「トモダチの本当の姿を知ろうじゃないか。辛い事だけど、見なきゃダメだ。」

 

 未だ少年を片腕で抱えるヒビキは、部屋の窓を全開した。

 

 飛び降りる、

 

 ぁぁぁぁ

 

 明日夢は叫んだ。明日夢の宅は、5階の高さにあった。

 

 

 

 葛飾の外灯が眩しい夜八時。街路は仕事や学校、あるいは遊び惚けて家路へつく人と車の波である。

 

「なんだ、これはぁぁぁぁ!」

 

 コートを着た40代後半の男が突如絶叫を上げた。黒板に書いた絵を消すように足元から肉体が失せていく。徐々に体が無に侵食され、ついに頭が半分無くなった時、声すら消失した。

 むしろ問題なのは、その周囲の人々である。消え入るまでは注視し、一部始終その不可思議な現象を眺めていたにも関らず、消え去った直後、まるでそんな事が無かったかのように再び平然と街路を歩きだした。

 

「パパは、ねえパパは。」

 

 ただ二人、コートの男の連れらしき熟年の女性と、まだ4、5歳の少女は、未だアスファルトの上に立ち止まっている。

 

「ひゃぁ」

 

 熟年の女も見る見る内に消失していく。やはり街行く人々はその光景を唖然と目撃するも、次の瞬間何事も無かったかのように日常を続けた。

 

 少女の呻くような泣き声、

 

「あらあら迷子かしら、」

 

 と少女に構う通りすがりの老婆は、少女が戸惑っているというより、怯えているような印象を受けた。少女はただ指を差し、ただ食べられた、食べられたと繰り返した。

 その老婆も瞬時に消失した。そしていつのまにか街路には泣きやまぬ少女だけが残った。

 

「オバケ」

 

 と少女は叫んだ。少女は見えていた。父親がそれに糸で絡められ、瞬時に溶かされ体内に摂取された時から、その魔化魍が次々と人を溶かしながら呑み込んでいくのを。

 大人の拳、子猫程の大きさだった明日夢のトモダチ、ツチグモは、今や十数人の人間を呑み込んで巨大化し、人の数倍する体躯に成長していた。そしてさらにその体躯に見合う捕食を続けるべく、泣き叫ぶ少女にくの字に曲がった歩脚を伸ばそうとしていた。

 

「おっと」

 

 空中を一回転、左腕に少女を抱きかかえツチグモの歩脚を掻い潜る男がいた。ヒビキだ。

 

「おい幼女、いつまでも泣いてると、オジさん困っちゃうぞ。オジさんが困っちゃうとそりゃもう大変なんだから。」

 

「・・・・」

 

 少女をアヤすヒビキの屈強な脇から前腕にそれまでずっと抱えられていた明日夢は、あまりの状況に顔が火照ってしまった。5階からダイブしたヒビキはそのまま跳ねるように疾走して、糸を垂らしながら空中ブランコのように家屋から家屋へ飛び移るツチグモ。それを追うヒビキも家屋から家屋を脚力で跳び移った。抱えられた状態から車を幾台もオーバテイクするヒビキに明日夢はただどよめき、さらにそのヒビキより徐々に距離を放していくツチグモに、自分の知らない事だらけだったトモダチに哀しさを覚えた。あるいは騙されていたという哀しさである。

 

「少年、取り敢えずオレの後ろから出るな。」

 

 自棄の状態に陥っている少女を明日夢に預けたヒビキは、その二人を庇ってツチグモの前面に立つ。ツチグモは既に8メートル以上にその寸借を拡大している。

 

 おもむろに取り出す音角、

 

「変身」

 

 囁いて腕時計の金属を弾き音角を鳴らす、

 

 額に音角を翳す、

 

『ヘンゲ』

 

 ヒビキの肉体に音叉の振動が伝達する、

 

 炎を上げていく屈強な肉体、

 

 炎のシルエットが目に見えて変化していく、

 

「はぁ!」

 

 身に纏う炎を吹き払うと、角度によって色味が変るダークな体表面、まるで歌舞伎の隈取りのような顔面の紅のライン。額の鬼面の両眼が灯る。2本の角を持った響鬼がその姿を晒す。

 

「あれは、鬼?」明日夢は体が震えた。しかしそれは恐怖によってではない。

 

 巨大化したツチグモは、いままで逃げ回っていた響鬼に、一転して4対の足を向けてきた。

 

「餌を横取りされて逆ギレしたな。」

 

 といいつつ枹を2つ取り出す響鬼。取り出し様、両掌でクルリと3回転。鬼石が頭と水平になるよう枹を立て、ハァと気合込める。

 

「鬼棒術、烈火弾」

 

 枹同士を交差させ、押し出すように前面に振り抜く、

 放たれる火の弾、

 ツチグモの8つの目の内5つが焼かれる、

 鬼石から吐かれた火の弾は、響鬼の半ば唯一の遠距離技。鬼石のミクロ単位の小さな破片を剥離して炎を放つ。

 目を焼かれ身もだえするツチグモに、チャンスとばかり攻撃をかけようとする響鬼。

 

「やめて!!」明日夢は響鬼が何をしようとしているか皆目分からなかったが、ツチグモを殺そうとしている事だけは察しがついた。「やめて、ボクのトモダチなんだ!」

 

「少年。」振り返る鬼。振り返り様、バックルを放り上げる。「ヤツが見えていないのか。ヤツはその女の子の両親を食ってしまったんだぞ。」

 

「それは・・・、生きたい、生きたいんだきっと。」

 

「食われた人も生きたかったんだぞ。少年は食われてもいいのか。」

 

「ボクは・・・・ボクもそうなったら怖い。でも、出会う事は仕方ない事で、トモダチがそうしないと生きていけないのも仕方ない事だし、ボクは仕方ないと・・・・」

 

「そうか、仕方ないか。そうか。そういう少年か。」宙で回転するバックル、音撃鼓を掴む響鬼。「しかし少年、そんな君でもいずれ自分の命の為に他の命を押し退けなければならない時が来る。生きなきゃいけない時が来る。」

 

 そうしてツチグモに振り返る響鬼だった。

 

 糸が飛ぶ、

 

「しまった、」

 

 だがしかし、ツチグモは既に体勢を立て直し、口からその粘性の糸を音撃鼓へ直射、響鬼の手元から奪い取って引き寄せ、口の中へ。

 

「おまえ、せめて蜘蛛の姿してんだったら、尻尾から糸出せよ尻尾から。」

 

 続いて糸を吐き出すツチグモ、

 だが足下を狙ったそれは響鬼の一跳躍でアスファルトにのみ粘り着く。

 

「はぁぁぁ」

 

 ツチグモの背中に飛び乗る響鬼。

 

「音撃打!火炎連打っ!!」

 

 激しくのたうって振り払おうとするツチグモに、ロデオでも楽しむかのような響鬼は、太鼓ナシでの清めを敢行する。

 

 打つ、

 

「ダメだ」

 

 だが太鼓の共鳴を伴わない音撃は、ツチグモを倒すどころか、動きを止める事すらできない。むしろ揺さぶりがさらに激しくなる。

 

 脚をまともに食う響鬼、

 

 ツチグモは歩脚の2本を自らの筋力で180度ねじ曲げて高くかかげ、響鬼を背中から弾き跳ばした。その蜘蛛の肉体構造上無理な動きに外骨格が砕け、もう曲がる事なく、地面を引きずる2本の歩脚。

 

「油断すると、鈍っちゃうんだよな・・・」

 

 跳ね飛ばされた響鬼は、胸から腹にかけて異様に窪み、激痛とショックで仰向けのまま動かなくなってしまう。

 

「おじさんっ!」

 

 駆け寄ってくる明日夢。死んだように見えた。

 

「・・・・」

 

「おじさん・・・、気を失ってるんだよね、そうだよね!」

 

 響鬼を見捨てて逃げようとしないだけまだマシな少年かもしれない。明日夢は響鬼を揺り動かし、もはや頼れるものの無い絶望的状況にパニックになった。

 

「もうやめてよ、トモダチだったじゃないか!!」

 

 ツチグモに涙を流しながら叫ぶ明日夢。だが結局全ては明日夢の稚拙な妄想だったという現実を、獰猛な巨躯の存在が突き付けてくる。

 

「響鬼です。」

 

「え?」

 

「まだおじさんは早い。響鬼です。」

 

 まだ響鬼は死んでいなかった。やはり唖然とする明日夢。

 

「に、にげましょう、こんな大怪我なのに、」

 

「これか」

 

 さらに驚くべき事に、先程ツチグモから受けたダメージが見る間に盛り上がって復元していくではないか。響鬼はその隈取りの顔で明日夢を眺め、さらりと言ってのける。

 

「鍛えてますから。」

 

 鍛えてどうとかいう事なんだろうか、

 

 明日夢は口をパクパクさせ、なにか言いたいがなにも思い浮かばない。

 

「走れ」

 

「?」

 

「走れ少年!」

 

 明日夢が響鬼の顔から視線を移すと、既にツチグモが頭上まで迫ってきていた。腰を抜かして固まってしまう明日夢。

 

「いくぞ少年」

 

 鬼火、

 

 口からあの鬼火をツチグモの顔面に吹き掛ける。ツチグモは身もだえし、闇雲に暴れだす。

 響鬼は明日夢を抱きかかえ、疾走しながらツチグモの脚と糸の攻撃を右に左に躱す。

 

「うぁぁぁ」

 

 響鬼の前方に乗用車の渋滞。構わず横断をかける響鬼。高速路の車の中にいるような速度を体感する明日夢は衝突に怯えた。

 

「ひょい」

 

 明日夢を放り上げ、自身はその渋滞に突入していく響鬼。ただまっすぐ走り抜ける。だが突き抜けられたはずの乗用車は大きく穴を開けた訳でも、ねじ曲がる事も、裂ける事もない。しかも避けている訳ではない。透過している。鬼は魔化魍と同じく人工物をすり抜けていく。

 

「少年ひさしぶり。」

 

 明日夢は渋滞の頭上を飛び越し、再び響鬼の逞しい両腕に抱えられる。

 

 吠えるツチグモ、

 

 鬼火から回復したツチグモもまた響鬼を追って同じく車をすり抜けてくる。

 

「みどりのくれた式神を試してみるか。」

 

 響鬼はツチグモを正面に捉え、腰に吊るした3枚の式神を取り出す。

 

「頼むぞ。アサギワシ、キアカシシ、キハダガニ。」

 

 とディスクに向かって語りかける響鬼。それぞれエメラルド、オレンジ、イエローに変色したディスクを放り投げると、ディスクは不思議と宙に浮かんだまま、水平を保って回転する。

 

 はぁ

 

 響鬼は1対の枹を持って、宙に浮かぶディスクを打つ。エメラルドは腹の底をゆさぶる重低音、オレンジは耳にくる軽快な騒音、そしてイエローは頭をうつ高音。このパーカッションで小気味良くロックミュージックを刻む響鬼。

 

「行け!」

 

 ワンフレーズ演奏し終わった響鬼、未だ浮かび続けるディスク、式神達を横から打つと、ツチグモに向かって弾け飛んでいく。

 

 刺さる3枚の式神、

 

 ツチグモは響鬼に5メートルにまで近接し、今しもその触肢が襲い来ようとしていたその時。響鬼より放たれた3枚の式神たちが、ツチグモの肉体に深々と刺さった。

 

 唸るリピート、

 

「同じリズムだ」明日夢には式神から先程響鬼が刻んだリズムが聞こえた。

 

 唸るツチグモ、

 

 式神から発せられる音撃に悶え苦しむツチグモ。発狂するような悲鳴を上げた。

 

「さすがみどりの新作。録音だと音に心が籠ってないがな。」

 

 式神は、本来霊であり、それを疑似的な肉体に封印する。古来は紙を用いて神の韻を踏んだが、鬼達が使う式神はメカに封印する。メカは霊の力で動くものの、機械的な装置も取り付けられており、録音録画機能はその最たるもの。響鬼は音撃を録音してツチグモに放ったのである。

 

 ほぉ・・・・

 

 そうしてツチグモが停滞しているのを見るや、枹を1本を両手持ちで立てる。肺から大気を取り入れ練り込み、気合と筋力が充実、練気の全てが枹の先端へ。

 

 吹き上がる炎、

 

 それは鬼石から吹き上げる炎、奇怪な程指向的に収束された炎、鬼石の上方へ細く、長く吹き上げる。

 

「烈火剣!」

 

 そう、それはもはや炎の刃を持つ剣であった。

 

 跳躍、

 

 悶え苦しむツチグモへ向かって、響鬼は跳躍、側転で宙を回転、倒立気味、剣を下向け、惰性に任せてツチグモの右足4本を根元から切断した。

 

 絶叫のツチグモ、

 

「ごめんよ、ごめん。ボクが、君を拾ってなかったら・・・・」

 

 トモダチの言い知れぬ痛みを想像し、涙を流す明日夢だった。

 

「灼熱真紅!」

 

 ツチグモへトドメを刺すべく突進する響鬼。しかしその音撃を加える事はもう無かった。

 

 立ちはだかる黒い影、

 

「あんさんは余計な鬼だわえ」

 

 アスファルトの下から透過して浮かび上がってくる黒い影。黒い帽子と不可思議な杖を持つ、見事なくびれの女がツチグモと響鬼の間を割って入る。

 

「姫か」

 

 あの時の黒装束の姫に向かって枹を繰り出す響鬼。しかし杖を回して枹を弾く姫。

 

「この子は鬼にはやらせんぞな」

 

 黒装束の背後からけたたましい噴流が吹き上がる。響鬼やツチグモが見えない柴又の人々には、強い突風のようにしか感じない。

 

「なんだ、これ、」

 

 明日夢は耳を塞いだ。その轟音は地面の下から聞こえてくる。

 

 浮かび上がってくる巨体、

 

 やはりアスファルトを透過し、通行する乗用車もまた素通りして浮上してくるのは、まるで巨大な岩塊、30メートル近くある巨躯、ゾウガメのように膨らんだ甲羅、その四肢の先からは噴煙がいつまでも巻き上がりその重量級の巨体を宙に持ち上げる。頭の一角はサイのように鈍く光る。やはりそれは魔化魍。

 

「十年に一匹出るかな出ないかというオトロシ・・・」

 

 響鬼は見た。片足の無いツチグモを掬い上げるように甲羅に乗せ、そのまま宙へ浮上していくオトロシを。だが乗せただけではない。ツチグモは確実に甲羅に沈んでいっている。魔化魍が魔化魍を食う。

 

「さらば鬼」

 

 飛翔する姫。宙を浮くオトロシに飛び乗って、あの時と同じように飛び去っていく。

 

「式神、よろしくな。」

 

 響鬼は今度は攻撃にでない。響鬼の指示で一斉に舞い立つ十数羽のアカネタカ。

 

「すごい、あんなにあの鳥が潜んでたなんて。」

 

 あとでトモダチやろうね、

 

 驚く明日夢の周囲を一旦旋回するアカネタカが1羽、オトロシ追跡に加わらんと上昇していく。

 

「うっとおしい」

 

 その顔を黒く覆うマスクを外す姫。

 

 炎、

 

「ああ」

 

 明日夢は見た。姫の口から放たれた炎によって次々墜落していくアカネタカを。

 

「あの姫、オレの真似を。」

 

 変身を顔だけ解いたヒビキは、明日夢の元へ歩み寄る。

 

「ああ・・・・・」

 

 明日夢の前に1羽、黒コゲになりながら落下してくるアカネタカ。

 

「少年、これが魔化魍のやる事だ。今だけでいったいどれだけの人が存在を消し、忘れられてしまうか。」

 

 明日夢にはただ無惨な姿となった一匹のアカネタカしか見えていない。

 

「かわいそうに・・・・」

 

「だがおかげでステルスのヤツはなんとか張り付く事ができた。」

 

 柴又の街は、そんな惨事があった事を知らない。人々は毎日繰り返している日常を、余裕の無い顔でただ過ごしているだけだった。

 

 

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