皿が落ちる。
皿が人の手元の高さから落ちるという事は十分にその身を破壊する運動エネルギーを持つという事である。
「じゃあ、えーとですね、レジの方やってちょーだいね。明日夢君、黄色いボタンでお金出して、勘定するの。分かった?」
顔のパーツが一つ一つ派手な小柄の女性は日奈佳と名乗った。
バーコードリーダーがない、
明日夢は客が来ても固まったまま動けない。
「ああ、明日夢くん、伝票があるから、これ見てね、ハイ、会計打って。」
と、日奈佳と同じく二羽織の袖の短いいかにも仲居姿をした香須実、あの鬼達の戦いをバックアップしていた女性が、店内の注文を受けつつ、明日夢に作り笑顔を向けた。
さび・・・・・?
葛飾柴又5丁目にある甘味処「たちばな」店内、会計を待つ老婆がニコニコと明日夢を見つめている。伝票を受け取った明日夢は、くずし過ぎた文字を解読する以外なにもできない。
「あ、きびだんごですね。580円になります。はい、600円お預かりいたします。20円のお返しとレシートです・・・・明日夢くんは、1番の席にお茶、早く!」
日奈佳が停滞する明日夢を見かねて慌ててレジを変る。
変ると同時に開く玄関、
「いら、いらっしゃい!ただ今満席で、もうし分けないのですが。」
メガネをかけた、初老に達した細身の男が柔らかな笑顔を作りながら入ってくる。明日夢は目一杯気を回して、店員として応対したつもりだった。だが間が悪い時は全てが空振りに終わる。
「おとうさーんっ」
日奈佳は泣きそうな声を出す。もちろんこの甘味処「たちばな」の珍しい繁盛ぶりにようやく使える人材、店主が戻ってきたのだから渡りに船であった。
「そうか、君が察するに、安達くんだね。」
「は・・・」
この人はボクを許してくれそうだ、
明日夢の受けた店主、日奈佳と香須実の姉妹の父、立花勢地郎の第一印象は、とても公正で良い人であった。
「いいかい。魔化魍というのは、人の命というよりは、存在そのものを食う。そして自分の存在を拡大し、実体を手に入れようとする。だが食われた人は、存在そのものが無かった事になり、その人と関りがある人間は皆存在していなかった事実を元に、記憶を改竄してしまう。問題はその人によって成立した存在、つまり子供や孫の存在が希薄になり、周囲の人間達に居ないものとして認識され、そして最後は存在を消失してしまう。君のお父さんはおそらく魔化魍に食われ、この世に存在しない。これほど残酷な事を私が言うのは、君にその現実と向き合って欲しいからだ。」
店の奥、2階へ上がる階段の裏に、木壁を外して現れる下への階段があり、降りていくと様々な書物と巻き物が陳列した地下室があった。
「はぁ・・・」
明日夢は少し窮屈な思いがした。 過剰になにか役目を圧しつけられているようで重い。重いのはイヤだ。
「鬼は、そんな犠牲者の子達が長い長い年月をかけて、魔化魍と戦う力を持った姿だ。存在が希薄になる代わりに普通は見えない魔化魍が見え、霊的な存在に近づく訳だから、様々な力を持つ事ができるようになる。もちろん、それなりに鍛えて、貫目の呪を積まなければならないんだけどね。まあ君は君なりに、たくさんの時間を費やして考える必要があると私も思う。取り敢えず弟子見習いとして、ヒビキ君の元で学びたまえ。」
「はぁ・・・」
このまま鬼にさせられるんだろうか、明日夢は自分の判断が介在しない流れに乗せられ、いつのまにか自分で判断したかのように責任を負わされていく、その理不尽さを圧しつけられる感覚がして不安になった。
「不安かね。なにか質問したい事があるんじゃないのかね。」
勢地郎はそれを察し、明日夢の不安を解消してやろうとする。何人も鬼を育ててきた人間なのだから、大体相手が何を考えているか分かる。
「あの・・・、」
できるだけ気を使おうとするが、悩みの形すらおぼろげなのに、どの言葉から述べればいいのかよく分からない。だから、
「魔化魍って、倒していいものなんでしょうか。」
と魔化魍と戦う者に対して、禁句に近い事をつい言ってしまう。
頭を掻いて笑う勢地郎。
「君のお父さんを食ってしまって、君自身が存在を失いつつあるんだよ。それが理由にならないのかね?」
「でも、それはあの蜘蛛が、そのマカモーというのが生きたいからじゃ、ないんでしょうか。」
もはや目線を合わせられない明日夢。マズい事を言ったらしいというのは、漂う雰囲気で分かる。
「アレ等が生きたいというのなら、君は命をくれてやるというのかね。」
「そういう事じゃ、ないんですよ。オヤッさん。」無言で隣にいたヒビキが、ついに口を開いた。
「鬼になりたくないのかい?」顔は笑っている勢地郎。
「そういう事でもないんですよ。」代わりに答えるヒビキ。
しばらく考え込んだ勢地郎は、顎を摩りながら言った。
「魔化魍は悪意の存在なんだ。人にとって。」
「なんでそんな決めつけられるんですか。」
明日夢は不可解でしか無かった。
「そこに存在しているから、人という我々の存在が害されるからだ。だからその悪意を我々は排除するしかない。」
明日夢は傲慢だと感じた。
「いいかい。存在するという事は全てそれ以外の者にとって悪意なんだ。そこに在るべきイスの数が、生きている我々より少ないからね。イスに座らず立っていればいいというかもしれない。だけど、立っていられる場所すら、もう他の存在で埋まってたら、君は存在を消す、つまり死ぬかね?」
じゃあ、鬼も悪意で、マカモーを殺してるんじゃないのか、明日夢は黙ったままだ。
「だから、実は他人は悪意で生きてるし、鬼も悪意で殺す。」
自分の考えをピタリ当てられて、明日夢は勢地郎の目を見た。
「そして人はそれぞれ生きるために、自分の悪意を他人と折り合いをつけ、そして社会というものを成立させた。つまり、僕と君がこうして話ができる環境を作ったという事だ。でも魔化魍の悪意は、倒す以外方法がない。」
「本当にそうなんですか?」
明日夢は潰されそうな圧迫感からなんとかその言葉だけ押し返した。
「まあ、その辺はおいおいでいいじゃないですか。少年、みどりが渡したいものがあると言ってたぞ。」
ヒビキが水入りにした。そして隣の研究室に向かうよう指示し、明日夢を退席させた。
「あれは何だね。」勢地郎は呆れた。「いきなりタケシの存在を否定したよ。参ったね。」
笑うという事は感情が動くという事である。動く感情の喜怒哀楽など、表層のそれとは違うものだ。
「おもしろい子でしょ。」
「要するに我が弱いのかね。」
「他人に自分の何かを押付ける事がおこがましいとまで思ってますね。」
「自分を大切に、もっと自信を持つところから始めないといけないだろうね。」
「そこが問題なんですよ。自分の命よりも、魔化魍の方を気遣ってる風でした。たぶんそれで自信を持てなんて押しつけても、感受性を麻痺させて自棄になるんじゃないかって思っちゃうんですよ。オレは。」
「自分をまず大切にしていかないとダメだろう。」
「オレもね。そう思うんですけどね。少年は他の人とズレてて、そういうのを、頭でしか考えられないんですよ。鈍感なんですよね。魔化魍に襲われている際中に、魔化魍の気持ちを考えてやれる子なんですから。」
「そりゃいい子なんだろうけど、」
「そうなるとですよおやっさん、他の人は普通自分が大切なところが出発点で、そうだな、モチベーションってヤツの原点じゃないですか。でも頭で考えてる少年は、どうしても一歩弱い、今と変らないかもっと酷くしか社会的に適応できない、そう負けていくんですよ。自分よりも相手の事を考え過ぎちゃうから。」
「でも、君はただ自信を持つって事には反対なんだね。」
「はい、オレはねおやっさん。ただ自信を持てって押付けちゃうと、少年のそういう部分、ホントに麻痺させるだけだと思うんでよ。大切にしてやりたいんですよ。ただだから、少年は少年なりの、モチベーションの在り所を探せばいいんじゃないか、そっからはじめようと思ってるんです。」
「困りモノだね。」
勢地郎は呆れた。
「手がかかるけど、オレはオレをありのまま見せてくだけだと思うんですよ。」
「違うよ。」
「なにがですか。」
「君だよヒビキくん。君は大体謹慎中だったんだ。それを無断で変身するし。君が弟子にした津村くんは鬼を断念し、吉野が探し当てた虎の子の桐矢くんもああいう事にしてしまった。責任はちゃんとしなきゃいけないからね。君はしばらく弟子を取らずに謹慎してもらったのに、半月もしない内に見習いでいいから弟子を一人つけてくれなんて。吉野を説得するのに骨を折ったよ。」
「すいませんでしたね。へへへ。それより、戸田山が鬼として正式に独立したそうじゃないですか。」
「んん、トドロキ、轟鬼だそうだ。55貫目に増加されたし。まあ実際あの時の惨状で少しは認める部分を、無理にでも作ってやらないと、宗家のイブキくんや君にそれだけ厳しい評価を与えないといけないからね。仕方なかったって事を吉野も示したいんだろう。」
「戸田山は棚から牡丹餅ですね。吉野へはそれだけで?」
「まあ、私はそれだけなんだけど、吉野の香車の方からこの品を渡されてね。」
勢地郎は、風呂敷で巻いたその品を丁寧に広げた。
「香車って言うと、あの占い部門の。金の総本部と仲が悪い。」
「これなんだけどね。香車がどういう未来を見て、これを私に託したかよく分からないんだが。」
それは一刀の特異な形状をした剣だった。全身が金属質、唾は金槌のように円筒状の形状、そこから脇差程度に刃が伸びている。ヒビキが手に取った。
「ああこれですか。誰も使いこなせない音撃武器っていう。20貫目くらいの時一度やってみたんですが、これだけは全然使えなかったな。鍛えるの諦めようかって悩んだ程ですよ。」
「信じられるかい、こんなメカメカしたものが鬼やタケシの創設時から存在して、いずれ魔化魍を滅ぼす武具になると唄われているんだ。」
「これでどうしろって言うんです。あの占い屋達は。」
「近々これでオロチを滅ぼす時が来るだろうってね。」
「ちょっと待ってください、それは近々この辺でオロチが起るって事じゃないですか。」
「そうなんだよ。だからね。総動員体制を敷かないといけないんだけどね。」
「じゃあまたシフトか密になるんですか。」
二人はため息を同時についた。
「どれどれ、肩の印見せてよ。」
白衣と黒縁メガネがやや似合わない、故にそれがチャームポイントになっている。目、口、鼻、繭、顎の輪郭、耳までも全てが作り込まれた上で丁寧に配置された美人、猛士関東支部科学実験室室長、と言っても配属は一人しかいないが、の滝澤みどりが気さくに話し掛けてきた。
「あ、はい。」
「20貫目なんだ。じゃあもう陸上競技者くらいの基礎体力と精神力は出来あがってるって事ね。ねえ、最初、絶対ゲロ出すでしょ。」
「三日間吐き続けました。屋久島で二人きりで大変でした。この貫目ってどういうものなんですか。」
「肉体と精神にまあ、重石を乗っける古代の呪法なんだけど、鬼が日常の中での鍛練と、鬼の強過ぎる力を抑制する為に用いられてるポピュラーな方法よ。この貫目の数字で、その人が鬼としてどのくらい強いかを計る基準にもなるわ。10貫目が普通の人くらい。20貫目が陸上選手くらい。指を動かすだけで辛くなってくるけど、精神的にも段々鬱傾向になって自信を喪失していく。30から40貫目でオリンピックに軽く優勝できる体力持てるけど、ストレスですぐ自殺したくなるの。だからこの期間は一番年月をかけて体と精神を鍛えていくの。そうしてなにもかも越えて50貫目になった時、はじめて吉野から鬼としての資格が与えられて、そっから先は本人次第かな。ヒビキくんは何貫目だっけ?」
「確か88貫目って。屋久島へ行った時、末広がりが並んで縁起がいいって言ってました。」
「そうなんだ。ヒビキくんと屋久島行ってきたんだ。一ヶ月だっけ。」
「はい。僕用の枹を作ってもらう為に。」
顔を赤らめる明日夢だった。
「鼾が煩いでしょ。彼。」
室内は書類や実験器具、ダンボール、そしてなぜか駄菓子の袋が幾種類も散在しており、それをひっくり返して探し物をしている。
「はい・・・少し。でもヒビキさん親切でした。」
「そうなんだ。私とヒビキくんとの事聞いた?」
「ただ研究所の所長と。」
「またヒビキくんいい加減なんだから。私は関東支部実験室室長。ヒビキくんとは幼なじみなんだけどね。私ね、ここに入ったの、ヒビキくんのせいでね。でもヒビキくんに言わせると鬼になったのは私のせいなんだって。」
「はぁ」
明日夢は訳の分からない事を嬉しそうに話すこの女性が親切だが苦手になってきた。
「吉野へは行った?」
「吉野?」
「奈良の、猛士の総本山。やっぱりね。ヒビキくんなんにも教えずに、ただ屋久島エンジョイしてたんだ。」
「僕、明日夢ですけど。」
みどりは大笑いした。
「そのギャグひさしぶり!」キャアキャアと30代に突入したと思えないハシャギぶりのみどり。「そうね。猛士って鬼達を総括する組織の名前なの。本部が吉野にあって、ここみたいにお店擬装しながら、魔化魍を駆除する、あらいけない、退治してる組織。ここは関東支部、私はその関東支部の銀の実験室の、ええとなんだっけ、とにかく装備や式神や車なんか開発や整備してるの。」
「複雑、なんですね。」
「まあ猛士も500年以上続くと、貫目制度とか、仕来りとかいろいろ考えちゃうんだよね。あった!」
みどりが10分かけて探り出したのは、3枚のディスク。
「式神ですか。」
「これが、ヒビキくんの弟子見習いである明日夢くんに受領される式神です。」
「どうも・・・」
唐突に畏まったみどりに、なんだか理由は分からないが畏まってしまう明日夢。
「まあ、一応重要機密だから、いろいろ書類提出しなきゃいけないんだけど、その辺はお姉さんがやっとくわ。」
みどりは、ポケットの中から、ヒビキが使うのと同タイプの音叉を取り出し、ディスク3枚を弾く。途端に濃い紅に体表面を変色させ、変形する3枚のディスク。
トモダチやろうよ、
「おまえ、あの時のアカネタカかい!」
喜ぶ明日夢に纏わり付く3匹の式神。
「それと会話して、使いこなすところから、弟子の修行が始まるのね。名前は、」
「ハガネタカになったんだ。君はカブトオオザル、君はヨロイカニ、そう水の中が得意なんだ。」
少年と式神の交流を微笑ましく見つめるみどりだった。
「ねえねえ、明日夢くん、今枹持ってる?」
「あ、はい、ヒビキさんが肌身離さず持ってろって言ってますから。」
腰裏から手を回して枹を2本取り出す明日夢。
「この式神はね、」みどりは音叉で再び式神達を弾く。たちまちディスク状になって宙を浮かび回転する式神。「前のアサギワシを参考にして鬼石のコーティングと硬度をちょっと調整してみたの。だから、枹一本貸してみて。」
枹でディスクを打つみどり。低く透き通った音が響く。
「あ、ヒビキさんが同じ事してました。」
「う~ん、私じゃこの音で限界かな。」みどりは計測器の針を眺めている。不満気な顔をしている。「明日夢くん、魔化魍を倒すのが音撃だって知ってるよね?」
枹を明日夢に返すみどり。明日夢もまたディスクを打ってみる。みどりよりもやや鈍い音がする。あの時響鬼が打った音色とは違う、耳に不快なものに聞こえた。
「はい、見ました。」
「昔は、横笛や声だけで魔化魍を退散させたって聞くけど、現代はちょっと科学の力を借りてね。鬼石と鬼石を共鳴させるの。ヒビキくんは、枹の先の鬼石と、同じ固有振動数の音撃鼓を使うの。」
みどりは不満気な顔を消せないでいる。
「音がおかしいんですか。」
「あ、違いが分かるオトコ?ゴールドブレンドね。」
「あの・・・すいませんわかません。」
「音楽部かなにかやってた?」
「はい、ブラバンでした。」
「ああ、そうなんだ。音撃の音感を理解するのもけっこう慣れが必要なんだけどね。ちょっと待って、ヒビキくん呼んでくるわ。」
みどりはそう言って、明日夢が入ってきたドア、勢地郎達がいる部屋の方へと出ていった。
「調整の問題なのかな。」
もう一度弾いてみる明日夢。しかし先と同じ鈍い音しかしない。
「基本がなってないのよ。」
みどりが出ていった真反対の壁から突如声がした。途端壁が軸回転して少女が一人現れる。それはあの威吹鬼の弟子、天美あきらだ。
「え、え?、ここカラクリ屋敷?」
驚く明日夢をよそに、少女は明日夢の枹を取り上げ打ってみせる。
「こうよ。」
響き渡る透き通った音色。
「これだ、ヒビキさんと同じだ。」
明日夢は興奮した。
「手首のスナップ、打つポイント、握り、全て基本がなってないから鈍い音しか出ないの・・・、そう、貴方、ヒビキさんの弟子になった子ね。」
「き、君すごいね。あ・・・ごめん、僕安達明日夢。」
あきらは険しい顔つきになる。
「なんで謝るの?」不機嫌な声だった。
「だって、ほら、挨拶だって、」
途端に苦手意識を顔に出す明日夢。あきらと目を合わせようとしない。
「貴方そうやっていつも他人の顔色伺ってるの?」怒声となってしまっていた。
君がとっつき難いんじゃないか、などと初対面で言えない明日夢。
「いや、うーん、ごめん。」
「また。私は別に貴方に謝ってもらっても喜びませんから。貴方そんなんで鬼務まると思ってるの?」
「・・・」ごめんと言いそうになるのを自制する事で精一杯の明日夢。「その・・・」
「学校辞めた?親御さんとのお別れはもう済んだ?」
「え?」
あまりに突拍子も無い事を言われ困惑する明日夢。
「なにそれ、それじゃまったく覚悟が足りないって事じゃない、貴方鬼をナメてるんじゃないの!!」
よく分からない内にヒートアップするあきらにしどろもどろするしかない明日夢だった。
「あちゃ」
というタイミングでドアから入ってきたのはヒビキ。二人の様子から、マズい状況だという事を即悟った。
「ヒビキさん、監督不行きとどけです!」
「あ・・・・先に会っちゃったのねえ。」
「もうちょっとちゃんと教育してください!」
「ははは、まあ、これからだからさ。お、少年、さっそく式神貰ったんだな。」
それでも依然3枚のディスクは宙を回っている。
「ヒビキさん、この方は・・・」
もはやあきらに丁寧語を使ってしまってる段階で両者の上下関係は決定したと言ってよい。
「あきら。少年と同じ鬼の弟子なんだけどな。」
「こんなのと同じにしないでください。それから紹介する時はちゃんとフルネームで言ってください。天美あきらです。」
「はぁ」としか言えない明日夢。
「まあまあ。この子は、うーん、いろいろ事情があるんだ。ここは抑えてな、少年。それでさ、枹貸してみ。」
訳も分からなかったが、ヒビキの言う通りにする明日夢。
このリズムを覚えろ、と打ってみせると、あきらよりもさらに渋く、するどく、海のように拡がる、しかも小気味良く複雑にビートを刻んだ心地好い響きを明日夢の耳に残した。
「パーカッションの要領ですね。」
再び枹を持った明日夢、目を閉じてイメージをできるだけ損なわないように打ってみせる。
「うそ、どうして一打もロクにできない人間がこんな難しいリズムを刻めるの。」
あきらが驚いていた。そう言えばさっきよりはややまともな音が出せたようなそうでないような。明日夢はリズムの事で頭がいっぱいで、一打一打の音色など気にしてなかった。
「うん、よしよし、じゃあ一打うってみせろ。」
明日夢は鈍い音を響かせた。
「私を揶揄ってるの!」
あきらが怒声をあげた。しかし明日夢は精一杯叩いたつもりだった。逆になぜこんなにも文句を言われるのか理解できない。ヒビキはそんな明日夢をにんまり眺めている。
「よしよし、じゃあさっきのリズムを手首が痛むまで繰り返してみせろ。それから屋久島でも散々言ったけど、日常の行動鍛練と思えば全て鍛える事に繋がる。忘れるな。」
「はい。」
再びリズムだけ気にしながら打撃を刻む明日夢。
なにか言いかけるあきら。そのあきらの肩に手を置いて、ドアを開け、共に部屋を出るヒビキだった。
明日夢は既に自分の刻むリズムに夢中になっている。
みどりとヒビキとあきら、しばらく店の和菓子を頬張りながら、坦坦とした会話が地下室に続いていた。だがやはり明日夢の話題となるのはしょうがない。
「あれ、なんなんです。」まずあきらが吠えた。
「ヒビキさんの悪いとこだけで全部固めたって感じね。」そして偶々香須実が降りてきた。
「どうして当たり前の事、当たり前に出来ないのかしら。ああなんか生理的にアタシダメだわ。」日奈佳もまた手を布巾で拭いながら降りてくる。
3人の女がヒビキを取り囲み、一斉に吠えた。
「みどり、見てないで助けてよ。」
勢地郎は姉妹に代わって店に上がって地下室にはいない。みどりは室内の冷蔵庫から2リットルのコーラを取り出し、ラッパ呑みしている。目許はサディズムな微笑みに満ちている。
「んん、鬼の才覚は割とあるように、私は思ったけど。でも桐矢くんの代わりになるかと言うと、ちょっとね。」
3人の女がそのみどりの一言で一斉に青醒める。そして部屋中の全員があきらに視線を移した。
「みどり、相変わらず一言多いよね。」ヒビキは呆れ顔を装う。
「あ、ごめーん、私一言多くて。契りまで結んでたんだもんね。思い出させちゃったね。」
それはこれから気をつけるという事ではなくて、私はいつもこうだから仕方ないじゃないという含意である。
「まあ、オレもね、あきらは少年に会わせる前に、ちゃんとオレからさ、話しとく必要あるとは思ってたんだけどさ。最悪のファーストコンタクトっての。回避したかったんだけどね。」
ヒビキは鼻を掻いた。
「私が悪いんですか。」あきらは食ってかかる。
「そう言ってないからさ。契りを結ぶのは、魔化魍に親を食われた人間同士が、存在をお互い失わない為の大事な儀式の一つだし、だから相手を選んで、認め合うのは大事な事だから、相手がこの世の中で一番大事な存在になっちゃうよね。だから、失っちゃうと、つい感情的になっちゃうよね。」
「そんなんじゃありません!」
ムキになる態度が他人に正解を印象づける事もある。
「あきら、恭介はオレの弟子だったが、オレはあの少年を恭介の代わりにしようと思ってない。あきらもその辺りの、ケジメって言うの、オレ上手く言えないんだけどさ。まあ気ぃつけて、少年に余計な負担与えないでくれ。」
なぜ私があんなのの為に、これ以上我慢してやらなきゃいけないの、
あきらは耐え切れなくなった。
「ヒビキさんは、桐矢くんの事もう半分忘れてるんです、だからそんな事言えるんです、桐矢くんへの当てつけであんなの!」
そう言って地下室を出て行くあきらだった。
「まあ、食べた魔化魍倒さないと、その人を思い出せなくなるんだけど、たぶんヒビキくんは鍛えて忘れないでしょうね。はいこれ。」
冷静に眺めていたみどりはヒビキに音撃管を渡した。
「なにこれ、」
「イブキくんの。今日これを受け取りに来たのよ彼女。律義よね。店から入るのはいかにも怪しいからって、彼女、入る時も出る時もちゃんと裏口使うんだから。」
「まあ、その辺があきらの可愛いとこなんだけどね。え、オレ渡すの。気まずいよ。日奈佳ちゃん急いで、」
「私は・・・お店、お店がそろそろ、」
逃げるように上がっていく日奈佳。
「亭主のもんだから、私が直接イブキくんに渡すわよ。」
みどりとヒビキの間になんとか割って入ろうとする香須実だった。
「ダメ、これはヒビキくんの役目。行きがかりでしょ。鍛えてるんでしょ。88貫目なんでしょ。」
「うーん、はい。」
みどりはそんな香須実の介入を拒絶する。この辺りは年の功と、ヒビキとのつき合いの長さがモノを言う。
「でもさ、桐矢くんへの当てつけっていうのは彼女の言う通りね。ヒビキくん分かってないでしょ。」
「そう。そうかな。」
「あ、明日夢くん、悩む態度がどっかで見た事あると思ったら、ヒビキくんだわ。ほら、その右手で髪いじったり、その唇の形とか。」
香須実は複雑な思いでそんな二人の態度を見ていた。いや単刀直入に悔しいのかもしれない。
「ヒビキさん、あの明日夢くんって少年、見所あると思ってるの。」
まあね、とヒビキが言おうか言うまいかというところでみどりがまたも割って入った。
「あるわよ。彼さ、もう式神たちと会話できるみたいなの。鬼の素養があっても何年もかかるのにね。私なんか未だに片言しか分からないもの。」
「へえ、そうなんだ。」
一応みどりに笑顔を向けてみせる香須実だった。
「まあオレも5年くらいだったかな。」
「貴方は別格でしょ。だって魔化魍となんの関りも無いただの高校生だったんだから。私の言う事信じて、魔化魍を必死で見られるようになって、鬼になって。普通と全然違うじゃん。」
「鍛えてますから。シュ」
「じゃあ、私もお店に上がってます。」
流れの悪さに今日は諦めた香須実だった。
必然、あきらがドアを開けると、実験室を通る事になり、再び明日夢少年と対面する事になる。
「ほら、見てよ。君みたいになんか叩けるようになってきたよ。」
明日夢が一打ディスクに加えると、先のあきらと同じような音色が響いた。
「はぁ」と怪訝な顔をするあきら。その目には涙が溜まっている。「基本のできてない貴方なんて、絶対通用しないんだから!」
そうなのかな・・・・
と素直に困惑するしかできない明日夢。しかしその涙にはさすがに気づいた。
「ちょっと、」
「少年、」続いて出てきたヒビキ。「聞こえたぞ。手首が疲れて楽な打ち方をようやく見つけたようだな。それが基本中の基本だ。もっと体に染み込ませろ。いいな。じゃあオレは。」
「待ってください、ヒビキさん、彼女いったい。」
明日夢は、少女の涙が気になって足が自然動いていた。
あきらが桐矢恭介という人間に対面したのは、高校へ入学した春。
「君はつまらない人間だな。親を殺されたって私怨で魔化魍と戦おうというのか。僕は君なんかとは違うね。仕事なんだ。男のね。僕の父親は消防士だった。火に包まれたマンションの中から勇敢に子供を助けた事もある。それが父親の仕事なんだ。男はね。仕事の為には自分がどうなっても構わないんだよ。」
といいつつ自分の事しか言わないし、人の事など気にも止めていない少年だった。あきらは日に日に彼との縁組みを破談したかったが、仕来りは仕来りであり、イブキや関東支部の人間の顔を潰す事を懸念して拒絶できなかった。
「なんだい、こんなところに呼び出して。」
だが、どうにも我慢できずに桐矢を帝釈天まで呼び出した。
「私、この縁組みは、」
「ごめんよ。」
あきらは唖然とした。こんな一人よがりな人が自分に謝ってきている。自分を視界の中に留めているという事なんだろうか。
「わ、分かっているようね、私は」
「勘違いしてもらっちゃ困る。」桐矢は目線をあきらから遠く逸らした。「君は誰かに謝って欲しかったんだ。誰かがそう言ってあげなきゃいけないんだったら、僕が言おうと思った。それだけの事だ。」
この人、強がりなんだ、
と思ってしまったあきらがいた。
「ねえ、草だんご食べない。」
「あ?」
唖然とする桐矢の手を強引に引くあきら。
これが二人のはじまりの場所だった。
「少年は、付いてこなくていい。」
「もう付いてきちゃってますよ。」
「だから、来た道戻れば迷子にならないよ。」
「僕もう高校生ですよ。この辺近所ですし。第一彼女、僕のせいだったら。」
「まあ、半分、いやいや、この場は経験豊富なこのヒビキさんに任せなさい。」
「だって女の子が泣いてるんですよ。」
ぞろぞろと帝釈天参道を尾行するデコボコ師弟。商店街のおばさんや店主が、またヒビキさんなんかやってる、とひそひそ笑いあっている。
柴又帝釋天と彫り込まれた石碑の前で立ち止まるあきら。
「少年隠れろ。」
「なに、してんですか彼女。」
慌てて柱に身を隠すデコボコ師弟。
「桐矢くん・・・・忘れたくないよ、貴方を忘れたくないよ・・・・」
神社にありがちな2体の羅漢像を見上げるあきら。首から下げているペンダントを握り締め涙する。
「たぶん想い出の場所なんだろうな。二人とも忙しかったから。」
ヒビキがそう察した。
「二人って?」
「あきらの許嫁が1ヶ月前に、魔化魍にやられちゃってね。」
「許嫁!」
自分と変らない年頃の少女に婚約者がいる事に衝撃を覚える明日夢。途端ヒビキに口元を抑えられる明日夢。
「魔化魍に食われた親を持つものが、それに近い絆でこの世に留まる為に必要な事なんだ。特に親を食われた魔化魍が分からない場合はね。」
「じゃあ、彼女、生きられないって事じゃないですか。」
「少年も実はそうなんだけどね。」
「彼女、大変じゃないですか!」
「だから煩いって。まあ、こっからはオレ一人の想像なんだけどね。年が近いのは少年、君しかいないから、いずれ代わりに君が彼女と婚約・・」
えっ、と驚くばかりの明日夢。慌てて口を塞ぐヒビキ。
「な、なんでですか。彼女の気持ちは、」
「だから、選択肢が無いって事だよ。」
その時、鳴る着うたはパッフィー。あきらのだ。
「はい、天美です。」
ヒビキと明日夢は改めて身を潜める。
「イブキさん。分かりました。」携帯を閉じて振り返るあきら。「ヒビキさーん、魔化魍です!」
やはりあきらに気づかれてたヒビキ達であった。
「よう、奇遇だね。シュっ。」
唖然とヒビキを見る明日夢。引き攣った笑顔を作って、音撃管で頭を掻くヒビキ。
「ウダウダ言ってないで、それ、渡して!早く!」
「ハイ」
直立不動であきらの命令を受けるデコボコ師弟だった。
四駆、
青い四駆がヒビキ達3人の目前で止まる。
「3人とも、乗って!」
男前に叫んだ運転手は香須実だった。