とある下水処理施設。地下水路を下へ進むと、さらに深い下層に拡がる貯水槽が覗く事ができる。
「早く紛い物の子から、本物の子を産みたいわえ。」
その暗闇の中立ちすくむ黒装束の女。姫だ。
フィンガーレスのグローブから突き出る白く細い指先を貯水槽に伸ばすと、水面が突如上がって魚が一匹飛び上がってくる。全長は約30センチほどでヒゲが生えており、姫の掌の中で必死に逃れようとのたうっている。もう一方の手には、筒状のガラスケースがあり、禍々しい色をした液体が揺れて波打っている。
ケースに無理矢理ねじ込むと、あれほどもがいた魚が微動だにしなくなり、液体の色がやや赤く濁る。そのケースを立てかけておいたあの奇怪な造形の杖に装着する姫。
滴る、
貯水に杖を差すと、杖に沿って禍々しい液体が変色しながら流れ出て、貯水槽に拡がっていく。
「ここは人の瘴気が豊かや。食べ過ぎるでないわえ。」
それが200年近く前から行われている魔化魍誕生の瞬間だった。
「いっそ宗家を除名された方が良かった。」
ショッピングモールの一角に喫茶店がある。日差し、見晴らし、そして肝心のロイヤルミルクティーへのこだわりの全てを満足させる、妻にすら内緒にしているイブキだけの居場所であった。
「いい加減、兄や父のパフォーマンスには呆れる。」
イブキは奈良吉野の猛士総本部で、代々重要な役職についてきた和泉宗家の末っ子である。父は総本部長であり、兄は既に父の後継者に指名され、金将という猛士の官房庁のような部門の中心となって働いている。その父と兄が揃って1ヶ月前の房総の失態を居合わせた宗家の人間、つまりイブキに理由の如何を問わず全責任があるとして宗家から除名しようとした。もちろんそれは周囲が止めに入る事を計算した上での虚勢である。イブキにしてみればイブキを必要以上に護る為の措置であった。
「実際はヒビキさんが弟子を勝手に鬼にしてた訳だし、あの戸田山が勝手に暴走しただけって一目見れば分かるだろう。」
そして自分は何も出来なかった。イブキがまどろんでいる理由はそこが出発点である。
「僕は姫を対手にできなかった。」
魔化魍退治は鬼の役目である。だが宗家ともなると、それを背後で操る童子や姫の相手ができなくてはならない。それが周囲の期待というものである。
童子と姫のツガイが魔化魍を作る。魔化魍は人の存在を食い、そして魔化魍同士食い合って存在を拡充していく。それを鬼が食い止める。これを千年以上に渡ってしきたりのように繰り返してきた。
そのしきたりに終止符を打ったのが、朱鬼という女性の鬼だった。19世紀の初頭、禁断の技を用いて童子を討ったと言われるが、いったいどのような方法で討ち取ったのかは、おそらく朱鬼とその弟子以外知らない。朱鬼は元々吉野の父親が掲げる、健全で充実した心身を鍛練する事が鬼、という教義に反発していたし、実際200年近く延命する禁断の呪法も使っていた。いやむしろ朱鬼を嫌っていたのは吉野の父だったかもしれない。朱鬼が体得した数々の古代の技は現時点ほぼ朱鬼の独占であり、現代の鬼と古代の鬼の技術的リンクは隔絶していると言っていい。
「僕がやらなければならないのに。ヒビキさんまでいたのに。」
鬼は親が存在を食われた者達で構成される。そうでなければ鬼になれない。問題は、本質的に存在が希薄であり、なまじ霊力が過敏である為に、圧倒的な存在であるあの姫に、小さな波紋が波にかき消されるように、存在を失いそうになる事である。房総でイブキも他の弟子達も全く敵わなかった理由がそこにある。
だがやはり例外はある。鬼ではないただの人間は、姫の存在に鈍感である。しかしそもそも鬼の素養が無い為に魔化魍や姫の存在を見る事すらできない。できないはずだった。
『貴方は別格でしょ。だって魔化魍となんの関りも無いただの高校生だったんだから。私の言う事信じて、魔化魍を必死で見られるようになって、鬼になって。普通と全然違うじゃん。』
ヒビキは全く魔化魍の被害にあっていないにも関らず鬼になってしまった。ほぼ独学で。故に姫からなんの影響も受けずに戦うただ一人の鬼となった。昔イブキは吉野の父と語った事がある。
「ヒビキさんは天才ですね。」
「違うな。伊織。ヒビキは天才ではない。言うなれば、麻痺した人間だ。」
「父さん?」
「いいか伊織。人間は時に麻痺しなければ努力できないし、信じる事もできない。自分も他人もだ。教えてやろう伊織。天才とは、人間が数千年かけて築いてきたモノを、一瞬で飛び越えて悟れる人間の事だ。」
いる訳ないじゃないか、父は自分をバカにしていると思うイブキだった。
「ハラホロヒレハレ」
そんなイブキの真正面にいきなり座っているオバさんが一人。
「あの・・・知り合いでしたでしょうか。」
驚いたイブキだが、そんな素振りを見せる前に、いつもの誰に対しても優しく温和で気さくで優柔不断な末っ子イブキの仮面を着ける。
「いや、いい男だなぁと思ってね。死んだ旦那にそっっくり。」
と合間合間に逐一腰をクネらせるスーツ調の制服のオバさん。という事は垢の他人であるイブキの向かいの席に、図々しくも座り込んできただけではないか。
「はぁ」呆れながら笑顔を取り繕うイブキ。「光栄です。」
さてどう追い払おうかを考えていた時、知り合いの顔が見えた。同じ猛士の女性だった。
「彩乃さんじゃないですか。」
「あら、イブキくん、明日夢くんのお母さんも。お二人知り合いだったんですか。」
イブキの知り合いは、奇遇にもオバさんとも知り合いだった。
「あら、どうも。」
やや大人しい反応をするオバさんだった。公な立場上の関係と伺える。
「お久しぶりですぅ。明日夢くんが卒業してもう4ヶ月経つんですね。」
明日夢、イブキはその名前を記憶のどこかに留めていた。
「あぁ、先生には大変お世話になりました。」
「明日夢くん、高校でどうですか。」
「ええ、がんばってやってますよ。この間なんか部活で誉められてました。」
「ああ、彼ブラバンがんばってましたもんね。」
「そうそう、あ、私そろそろ予約のお客があったんだ。」
と言って立ち上がる制服のオバさんは、帽子を被る。背広にしては妙な色合いだと思っていたイブキだが、帽子とセットになってようやくそれが運転手の制服であると分かる。
「明日夢くんによろしく。」
あくまで社交的に振る舞う二人の女性だった。
「あの人客だったかしら。結婚した事も無いこのピチピチの私を捕まえて。ま、私も死んだ旦那なんてブってるのが悪いんだけどさ。」
背を向けた安達郁子のその言葉を、残された二人の男女は聞いていなかった。
「ねえ、イブキくん、」彩乃と呼ばれた女性は髪をかきあげた。「香須実とはどう?もう1年だっけ?」
イブキにとって香須実との結婚は、幼少の頃からのほのかな希望だったし、親への反抗が成功した数少ない例だった。
イブキの父と勢地郎は、昔チームを組んで戦友という程の交わりであったが、今ではこじれ、感情の深いところで交わった分蟠りが消えない。だから勢地郎は父の事を、吉野の方では、とあまりに他人行儀な言葉で言い表す。
そんな勢地郎が突如2人の娘を嫁に出すと言い出した。理由は勢地郎の妻であり、香須実達の母である、吉野銀将の総取り締まり役が、魔化魍ヨブコと偶然遭遇、存在を捕食されたからである。このままでは娘二人が存在を消失させる。勢地郎としては背に腹はかえられない選択だった。
「え、まあ、できれば仕事の上でも側に置きたいけどね。」
イブキは消えていく事に不安がる香須実に取り入り、既成事実を作った。父はそれでも反対し、綾彩乃を許嫁に用意する。しかしそれもイブキが他の男と縁を繋いで、まんまと婚姻に成功する。父親と勢地郎はその段取りの良さに舌を巻いたものだ。
「ねえ」彩乃は前髪をいじりながら、ややイブキから目線を逸らし窓の外を眺めやる。「ヒビキさんと香須実がお祭りしてんならさ、イブキくんも適当に祭りしちゃえばいいじゃない。香須実も自業自得よ。」
彩乃も噂にノセられているクチだな、とイブキは思う。
「僕は、彩乃さんの旦那さんが怖いですから。」
イブキから見たヒビキは、そこまでやる男としての度胸はない。しかし香須実の心の中には絶えずヒビキがいるのは確かである。かと言って亭主であるイブキへの想いが両立していない訳ではない。恋心は1か0ではない。
「あんなの、ダジャレばっかりでつまんないわ。失敗したなって思うのよ時々。」
そうして、彩乃が人波を眺めるそれと視線を揃えるイブキ。
「なに?」
刹那、目眩がする。確かに視界にそれが入ってきた。
「イブキくん?」
彩乃もこめかみを抑えた。
「彩乃さん、窓から目を逸らして。これは、姫だ。間違いない。今度は逃さない。」
立ち眩みする自分を奮い立たせるイブキ。
「あ、たちばなですか。なんだ香須実さんか。今ね、どうやら姫と遭遇したみたいだ。大丈夫だ、大分対手はダメージを蓄積して、存在が弱まっている。彩乃さんと、そう彩乃さんもいっしょ、今すぐあきらに烈風を持たせてこちらに。僕は大丈夫、なんとか追跡してみる。烈風があれば、どうにかなる。」
「大丈夫なの。」
「無茶はしませんよ。」
イブキは腰から3枚のディスクを取り出した。
「鬼さんこちら手の鳴る方へ・・・・」
イブキ達のいる街から、数百メートルもいかないところに廃工場がある。壁や屋根は所々穴が空き、隙間から光が差している。
「・・・・」
黒装束の姫は、一人の女性をひきつれていた。社員証を胸につけているメガネの女性は、やや遅い昼休みを取って、弁当売りのワンボックス目当てに職場から抜け出してきたところだった。目がうつろになり、上から糸で操られているかのように、姫の誘うままに歩かされている。
「餌だよ。」
姫は踵の高いハイヒールで、マンホールの蓋を2度打つ。次の瞬間、地中から無気味な音が鳴り響き、姫が退いたマンホールの蓋がまるでクジラの潮吹きのように飛び上がった。
「元気のいい子。」
開いたマンホールの暗闇から出現する黒い触手。触手の先端は無数の突起が生えており、ヌメヌメとその全身を粘ついた液体が纏わり着いている。触手は宙を踊りながらメガネの女性に迫る。触手から溢れる液体が女性の服に滴る。すると白煙を出して服が溶けいびつに穴が開いた。
「でやぁぁぁぁ」
それは威吹鬼、跳撃が触手の先端を擦る、女性から退く触手。
「鬼さんかえ」
そして直線上にある姫の脇腹へ勢い直撃、地面に伏す姫。
「よし、」
威吹鬼のそれは奇襲だった。式神の探索で姫の居場所を突き止めたイブキは、捕食の状況である事を察知。即座に女性を奪い返そうとせず、食す瞬間、もっとも敵が油断している状況を見計らって一撃に賭けた。
姫の妖術が解けた女性には、そんな威吹鬼や魔化魍は見えていない。意識を取り戻し、首をかしげ、時計を見た途端慌てた仕草で駆けていった。
「姫の影響が失せている。今なら、烈風ナシでも、」
威吹鬼は一撃に賭けるしか無かった。姫に接近し過ぎれば自身失神するか存在が失せてしまう。かと言って遠距離から攻撃できる訳ではない。従って一撃でしかも一瞬で葬るしか無かったのである。
グゥーっ、
触手が女性を追おうとする。しかしアサギワシとリョクオオザルがその触手に絡み付いて妨害した。
「はぁ!」
式神が魔化魍を抑止している間、なにやら念を込める威吹鬼。途端、威吹鬼の周囲に竜巻が纏わり吹く。
「旋風刃!」
駆ける威吹鬼。触手に急接し跳躍、そのまま回し蹴りを打つ。驚くべき事に、その威吹鬼一つ一つのアクションに風が纏わりつき、肉体の力を倍加している。響鬼の重い筋肉の躍動とは違う、必要最小限己が肉体への力を絞り込む事で生まれる疾風の動きだった。
苦しむ触手、
一撃食らって宙を無作為にふらつく触手は、痙攣して苦しんでいるように見える。しかし次の瞬間、その触手のトゲのような部分が一本威吹鬼に向かって伸びてくる。
「はぁぁ」
だが軸回転の慣性と速力を残しつつ着地した威吹鬼は、そのまま勢いに乗って裏拳で触手を弾く。
続けざまに数本のトゲを伸ばしてくる魔化魍、
「キリがない。」
回転を止めない威吹鬼はそのトゲをことごとく弾き飛ばし、触手に肉迫する。
「ふん」
腕を一振りすると、風が伴って起る。その風の疾さは鋭い刃となって触手のふくらみを切断した。血飛沫にも似た例の液体が威吹鬼の肉体に降り懸かる。
「う」呻く威吹鬼。「これは酸か、それとも酵素・・・」
鬼のスーツは実際スーツではなく、肉体のオーラの姿、幻覚である。鬼は鬼と化す事でその身を強化するが、受けるダメージは直接肉体に及ぼされる。威吹鬼のダメージは音撃管「烈風」を以って遠距離から攻撃すれば回避できるダメージだった。
「もう風を練る力すら残ってないだろうな。」
姫の圧迫感と魔化魍の溶解液によって蓄積されたダメージは、威吹鬼の体力を限界まで削り取っている。朦朧とする意識の中、威吹鬼は、触手の全身を改めて眺める。パイナップルかドリアンのようなトゲだらけの先端、そこから地中に向かって細く長く一本だけ管が伸びている。
「あっちにしてみるか。」
伸びる鬼ヅメ、
直覚に縋った威吹鬼は、右の拳を握り締める。途端手の甲から伸びていく蛇腹の爪が4本。鬼達の基本武装である鬼ヅメだ。
「式神、先端を。」
傷口から酸を溢れさせながら踊り狂う触手の先端、それを式神達に抑えさせ、威吹鬼は背後へと突進。
刺す、
「・・・・う」
マンホールの蓋近く、管を片腕で抑えつけて、一方の鬼ヅメを深々と突き刺す。触手全体が一際暴れ回った、その様態だけで致命的な一撃だった事が分かる。しかし、同時にその管の突き刺した穴から溶解液が飛沫を上げ、威吹鬼は腕から胸にかけて浴びてしまう。皮膚が焼ける激痛で失神しそうになる威吹鬼。
シクーっ
だがよりダメージが大きいのは触手の方、即座に管を地中に引き戻し触手を回収していく。
「待て・・・・」
拳の激痛に苛まれ、身動きが取れない威吹鬼。触手はそのまま地中深く降っていった。このまま見逃せばいったいどれだけの被害が出るか分からない。
だがしかし、差し迫って威吹鬼の背後にその身を危うくする存在が迫っていた。
「鬼は外・・・・」
砕けた脇腹から肋が露出しているそれは姫。威吹鬼は背後を向いたまま魔化魍に向かって憤りを叫んでいる。
姫は、杖を振り上げる。
杖を打つ、
交錯する脚、
威吹鬼は杖の攻撃を脚をすり上げ受け止める。
「僕は今分かった。僕が悩んでいたのは、」
すり上げた脚を軸に体全体を一回転、頭足が天地と逆になる、
「僕がオロチを沈める覚悟だ!」
オーバヘッドキック!
巻き起こる疾風、
へし折れる首、
辛うじて皮一枚だけで胴体と繋がっている姫の首だった。
「鬼のくせに・・・・」
姫は仰向けに倒れ、そのまま沈むように地面をすり抜けていく。
「僕の覚悟がここまで姫を耐えられたんだ・・・」
姫を倒した威吹鬼もまた、仰向けに廃工場へ倒れた。
葛飾柴又「たちばな」地下。
「だからですねイブキさん、そんな特徴を持った魔化魍はデータのどこ漁っても見当たらないんですよ。たぶん新種か合体モノなんじゃないかと思うんですけど、」
日奈佳の感情を抑え気味の怒鳴り声が1階まで聞こえてくる。
「おいおい、日奈佳くん、店を閉めたからいいけど、大声はみっともないね。」
姫発見の報から緊急体制を敷いた勢地郎は、ただちに上の客を丁重にお引き取り願っていた。この手際は日奈佳では荷が重いので自分が受け持ち、イブキの情報から魔化魍の特定を任せていたが、電話の子機を片手にした日奈佳からは難航してる事が伺える。
「日奈佳くん、ヒフキくんは無事かね。」
「そんな呑気な事言ってるから、関東はダメだって吉野で言われるんですよ。大体イブキさんですって。まあなんとか一命は取り留めたようですけどね。ただどうもイブキさんが言ってる魔化魍の特徴がデータベースに見当たらないんですよ。」
日奈佳はパソコンのマウスをグリグリ動かしてついにはコードが腕に絡まってしまっている。
「じゃあ私が、」
代わろうという仕草をする勢地郎。
「だってお父さんが聞いてもダメじゃない。データに載ってないんだから。」
それでも慰労だと言って強引に子機を奪い取る。
「やあ、フブキくんかね・・・・、え、イブキくんって言いましたよ。そう、よくがんばったねえ。まず香須実に連絡取るようにしてね。ところで・・・・そう・・・・・、それは確かに酸によるダメージなんだね・・・・、」一旦子機を塞いで、オオナマズ、と日奈佳に指示する。「どうやら、オオナマズの胃袋と戦ったみたいだね。そう、だからしばらくおとなしくすると思う。オオナマズだとその柔らかな皮膚は鬼石を通さないよね。切り裂くのが一番いいんだけど。」
「水温15度だから、えっと今の季節で、」
「たぶんどこかの下水処理施設で絞っていいと思う。」勢地郎はまたも子機を手で抑えた。
日奈佳は戸惑いながらも、言われたオオナマズの資料を打ち出し、政府から譲られている測量調査の最新データを棲息しうる水温、立地面積等でソートして場所を割り出していく。
「イブキさん!」今度は日奈佳が子機をふんだくる。「行徳、八丁堀、東雲、この三ヶ所に取り敢えず絞りこんだ。」
再び子機を奪い取る勢地郎。なにか壮絶な状況と化す地下室だった。
「いいかい、僕がお父さんと組んでた頃は、オオナマズ全盛の時でね。よく対手にしたものだよ。・・・・・、一人で東雲に、そう、じゃあ香須実達には取り敢えず行徳に行ってもらうよ。」
「お父さん、取り敢えず合流するのがですね、」
「今はお父さんは言っちゃダメだって。言霊を言うと一番間近にいる自分の耳がその術にかかり易いと言ってあるでしょうに。」
「だから支部長、分散させたらマズいでしょ。一刻も速く合流させないと。」
「それより早期に発見して被害を抑える方が優先です。アマチュアじゃないから、対手した時の状況判断は相談しなくても連携が取れるでしょうし、言わなくても合流できるように絶えず手は打ちますよ。きっとね。」
「ところでぇ、一つ今後の為に聞いておきたいんですけど、なんでオオナマズと分かったんでしょうか。」
「まあコンピューターの時代になっても、経験には勝てないって事だね。日奈佳くんももうちょっと鍛えた方がいいな。」
「父さんが・・・、」
携帯を切ったイブキは、彩乃が見守る中、まだ仰向けに倒れている。
「鬼ってホントすっぽんぽんになんのね。後方の私、けっこう疑ってたんだけど。」
「すいませんが、着替えを持って来てもらいますか。その間しばらく寝てます。」
「惜しいな・・・・、ねえ、なんかそれよりさ、ラッパでオオナマズ相性悪いよね。」
「問題はそこなんです、けどね。」
「あ、その顔は考えてんだ一応。」
「さあ、僕の妄想かもしれないんですけどね。烈風があればどうにかなるんですよ。早く服を。」
「あ・・・、選択過ったな、惜しいな・・・・」
鬼の変身は、服が燃えるか千切れて失せる。
携帯はアサギワシが持ってきたが、さすがに替えの服一式持ってくる事はできない為、彩乃に頼んだ全裸のイブキだった。
「みどりさんの理論は証明されたな。微弱な音撃は鬼の肉体を活性する。確かに回復が早い。」
傷口に絡み付いている式神ニビイロヘビ。僅かな音を発すると、傷口は見る見る内に回復していく。だがそれだけ肉体が活性しているという事は痛覚に異常な負荷がかかるという事である。汗だくになるイブキ。
「僕は決心を固めていたんだ。姫が彩乃さんでも耐えられる程に弱っていても、決心していないとあそこまで戦えなかった。後は、魔化魍を倒すだけ・・・・」
失神するように、その後15分程の眠りについたイブキだった。
「はぁ、今そんな話はいいでしょ。分かったわよ、卵焼きね。ハイハイ。それで。分かってるわよ。あきらはちゃんと武蔵野線で向かわせたって。ヒビキさん達はここ、ここよ、行徳に決まってるじゃん、で、私は八丁堀に回るから。私にその手の段取りで抜かりがあると思ってるの。いい、貴方怪我人なんだから、こっちを待ってるのよ。それからそれから、アンタ最近食べ物の趣味がしょっぱいわよ。」
行徳駅入口交差点、ヒビキと明日夢は香須実の4駆を降り、明日夢のリュックの中に、数十枚の式神を詰め終わったところである。
「少年、この辺り探索し終わったら、オレ達どうすんだっけ。さっき香須実の説明早過ぎてよく分からなかったんだけど。」
「僕もよく分からないですけど、たぶん魔化魍が見つかればそこに向かえばいいんでしょ。」
「どうやって向かうの。」
「電車ですよね。たぶんこっからだと西船橋から武蔵野線に行った方が両方に、」
「船橋!そりゃ千葉って事じゃん、思えば遠くへ来たもんだと。」
「そうでもないですよ。柴又だと新宿より千葉の方が近いんですから。それより、この辺って魔化魍いないんですか。」
「ん、まあな。なんとなく、いないっ、て感じ。」
「すごいですね。ここに立ってるだけで。」
「そりゃまあ、鍛えてますから。」
「いい加減な事言ってないで、さっさと調査する、時間との勝負なんだから!」
ボケ師弟が呑気に談話している姿が香須実の癇に障った。
「すいません・・・・」
「少年、まあ旦那が心配で気が立ってるんだ。今回はそんなに少年のせいじゃないって。香須実、まあこっちはこっちでよろしくやってるって。」
「ホントにね!」香須実がイブキとの携帯通話を済ませ、4駆を発進させようとしたところだった。「はい、あきら、えっ、電車止まっちゃった。分かってる、貴方のせいじゃないから。全部自分に引き寄せるのは貴方の悪い癖よ。分かった、京葉線に乗り換えるのね。了解。」
「あらら、なんかあきらちゃんトラブってるみたいだな。」
「ヒビキさん、質問していいですか。」
「なんだ少年。」
「さっき天美さんが、言ってた事、ホントなんですか。」
「んー、えーと、なんの話だっけ。」
「えっと今見つけようとしてる魔化魍、イブキさんやヒビキさんは向かないって。」
「そうね、オオナマズって確か音撃斬が得意なのかな。」
「ていうか、ヒビキさんの枹はその、」
「ああ時代遅れって言ってたね。みどりにも言われてるからもう気にならないけどね。」
ヒビキは眉間に皺を寄せ、鼻頭を掻いた。
「それって、」
「んん、ラッパとギターが発達してね、そんなに1打に全部込めなくても良くなってね。」
明日夢はそのラッパもギターも見た事がないのでよく話が掴めない。
「でもさ、オレは1打1打に全てを込めたいんだよね。まあそのせいでみどりにもけっこう迷惑かけちゃってるんだけどね。」
ヒビキは両腕で打つ真似をした。
「ヒビキさんそれでも、って何か言いかけましたよねあの時。」
「一つの技を極めるという事は、万事に滞り無くって事さ。いくぞ。少年の初仕事だ。まず人目のつかないマンホールを自分で探し出す。よろしく。シュっ」
「待って、ちょっと待ってよ、」香須実は携帯を抑えるのも忘れている。「ヒビキさん、イブキくんがアタリ!」
「少年、急展開だ。」
「魔化魍は東雲って事ですか。」
「そうだ、良かった。俺切符買うの苦手だったんだよ。少年普通はこういう訳にいかない。本当は支部からデータ貰って、それを元に効果的に式神を放って、的を絞り込んで、さらに式神を送り込んで、厚みのある情報を、ローラー作戦で、絨毯爆撃するんだ。」
「ってやってるのはいつも私でしょ。それよりヒビキさん、彼説得して、行くって聞かないの。魔化魍を止める事が先決だって。イブキくん、せめて音撃管が届くまで待って。それじゃ犬死にじゃない。」
香須実が4駆から降りてヒビキの元へ駆けてくる。またイブキから連絡が届いたようだ。ヒビキは目を閉じて香須実のN701iを受け取る。
「行くしかないよねえ。」香須実は怒鳴りつけた。それを手で制するヒビキ。「だって時間経ってそろそろ人食いだすでしょ。あ、こっちの話。じゃあさ、侵入路だけ分かるようにして。地図はたちばなから貰うからさ。」
明日夢はたちばなから貰ったW-ZERO3を取り出す。PDAもしくはそれに準ずる機能を持つ携帯電話は弟子やサポーター必須である。
「ヒビキさん、こっちに携帯向けて。」
香須実は呆れながら4駆に戻ったかと思えば、すぐなにやら持って帰ってきた。
「がんばって。シュ」
ヒビキはそれが火打ち石だと分かる。
軽やかに響く、
それは金属同士の高い音とも違う軽やかな石の掠れ合う音。やはりこれも祓いの倣いである。香須実は思い切り笑顔を作った。
「がんばってーっ、バカ。」あまりの大声に立ち止まって注視する行徳の人々。香須実はそんなものもはや気にしていないようだ。「一応鬼なのねアレも。」
だが笑顔のままの香須実だった。
「あの、ヒビキさん。」
「なんだ少年、」
そんな香須実を余所に明日夢は懸念をヒビキにぶつける。
「天美さん、間に合うんでしょうか。」
「今から俺があきらのところに行くさ。この一粒800メートルの脚でな。」
「なんです?」
「お母さんに聞いてみよう。」
「あの、ヒビキさんが走るの速いのは分かってるんですけど、実際何キロくらいです?」
「全速力で100メートルを3秒くらいだけど。でもそれ以上速い方法は確かに無いでしょ。」
ヒビキでは話にならない事を分かっている香須実が横から師弟の会話に入る。ヒビキは案の定、そうそうそうとくり返すだけだ。
「そうなると、こっからだとどのくらい時間が。」
「そうね、こっから東雲だと大体6~7キロくらい。ヒビキさんならあきらのところに行って、まあ全速力って訳にいかないから、せいぜい20分ってとこかな。」
「じゃあ、これだと、どうです?」
明日夢が取り出したのは一枚のディスク、ハガネタカである。