「少年、聞くんだ少年、」
右腕を上腕から先失い、先割れした骨が露出している響鬼。
「響鬼さん、僕、僕、」
明日夢が魔神斎へ及び腰で突っ込んだその時、響鬼は見た。魔神斎が宙空から戟を一振り浮かび上がらせるのを。突くための穂先に薙ぐ為の三日月刃が左右に付くそれを方天戟と呼ぶ事を響鬼も明日夢も知らない。
「オレは、弟子を二人亡くして自分を見失っていた。教える人間としての自分に自信を失って、もう弟子を取るつもりは無かった。」
「響鬼さん、僕はとんでもない事を・・・」
魔神斎は明日夢の突撃を待ち構えて方天戟をただ前につき出すのみ。少年の無駄死にを察した響鬼、割って入って魔神斎の槍先を枹で弾き、明日夢の突きを右腕で受け止める。明日夢の破壊力は鬼の片腕を簡単に千切り飛ばした。響鬼はあの手合わせの時からこの破壊力を分かっていたのである。
「オレがいつも調子づいてフザけているのは何故か分かるか、怖いからだ。自分の命を危険に晒し、他の命を残酷に奪っていく。そして考えた。オレはなぜこうなっていくのか何年も何年も考えた。」
「響鬼さん、ボクは、」
魔神斎が方天戟を切り上げ響鬼の枹を弾く。そして明日夢を狙う。だが響鬼は烈火の刃を放出してなお凌ぎ、呆然と立ち尽くす明日夢を守る。
「少年、覚えているか。初めて会った時の言葉を。出会う事は仕方ないと言ったんだ。オレが何年も何年も探して求められなかった答えを、少年はその小さな胸で分かってしまっていた。オレは落ち込んでいる場合じゃないと思った。オレなりでもいいから少年をなんとかしてやろうと思った。」
「ボク・・・・、」
魔神斎は鍔迫り合いで封じられた戟を片手持ちに、空いた拳を無防備な響鬼右脇へ殴りつける。右腕を失って払い退ける事が出来ない響鬼は小さな呻きを上げた。何発も何発も繰り返し脇を責められおそらく肋骨は既に折れている。それでも耐え続ける響鬼。
「少年はそんなオレに応えてくれた。オレなんかの教えに、オレの期待以上に応えてくれた。オレにとって最高の弟子だったよ。そう思う人間がこの世に一人でもいるだけで、そんな一人と関りを持てるだけでも人の命は尊いものになる。」
「ボク・・・・・・」
ハァと気合を上げる響鬼。見る間に体が赤く灯り、蒸気が沸き、そして炎が全身から吹き上がる。それは幻覚ではない。その証拠に魔神斎はあまりの熱で拳を引っ込め飛び退いた。
「響鬼・紅!」
纏わり着いた炎を祓うと、響鬼のマジョーラの肉体が紅に指向する。さらに、
「響鬼、金砕棒!」
枹の先端、鬼石が響鬼の叫びに応えて2つ増え3つ増えていく。屋久杉の御神木より削り出した棒もまたその形状と容積を異様に増大させた。上部は芯を空洞にしつつ伸びながら膨らみ、増えた鬼石を表面に埋め込みながら、細い釣り鐘状に変化していく。その姿は3メートル以上の長さの紅い棒、俗に金棒などと呼ばれる武器に似ている。
「鬼のくせに!」
後退りしていた魔神斎、意を決したか響鬼に方天戟を向け突進。
「音撃打、真・灼熱真紅!」
だが響鬼の踏み込みが一歩速い。既に金砕棒を横持ちに構えた響鬼、魔神斎の刃先を掻い潜って、
腹部に一撃、
弾き返される魔神斎、衝撃が鐘状となった金砕棒の内部で鬼石全てを共振させ、魔神斎に伝って音撃を木霊させた。
爆砕する鎧、
魔神斎の鎧が微塵となって拡散する。もやもやとした塵の中から人影が。
「やあ、ひさしぶりサバキさん。」
魔神斎だった裸体の男、その倒れた横で声をかける響鬼。
「おお・・・・響鬼・・・・・またオレは気絶しちまったのか・・・・・助けてくれたんだな・・・・・・貸しができた・・・・・」
上目で眺めていた裸体の男はゆっくりと目を閉じる。同時に四肢の先から陽炎のように失せていく肉体。
「いずれその内って事で。シュ」
響鬼は消え行く男に敬礼するように、いつもの2本指をくるりと回すポーズを取った。だが視線は向かってくる数十の魔化魍へ移している。
「仁志、そうか、おまえも究極体になれたんだな。バカヤロウ。」
それはあきらを片腕に抱えた斬鬼。巨大アカネタカに跨っていつのまにか明日夢のすぐ背後に羽根を下ろしていた。
「蔵王丸、少年を頼む。殿はオレがやる。」
「響鬼さ・・・」
と叫ぶ明日夢をもう片方の腕で無理矢理抱え込む斬鬼。
「日の出だ。できるだけ道連れにしろ。」
踵を返してアカネタカを飛翔させる斬鬼。
「少年、オレが救った命なんだ。それを忘れるな。」
少年明日夢が最後に見た光景は、群がる魔化魍に囲まれて、片腕一本で立ち向かう響鬼の背中だった。
「ボク、ボクは・・・・!」
いままで感じた事の無い重苦しさを少年は感じた。心に穴が空いてそこに石を詰められたような重さだった。あまりに重くて痛くなった。響鬼に何かを言いたくてたまらなかったが、怖くて怖くてとても言えない。その内距離が遠いて行く不安と、響鬼に何も言わないで済むかもしれない安心とが入り交じった。心がとても痛かった。
「遅いかな、少し。でも車で来る方が難儀だしねえ。」
初老の男が浅間の道無き道を闊歩している。いや、闊歩などという生易しいものではない。時には岩から岩、枝から枝へ飛び移り、自らを綿毛のようにして舞っているのではないかと思える程の身の軽さで険しい山間の傾斜を駆け上がっている。まるで仙人のようなその人こそは立花勢地郎だった。
舞うはアサギワシ、
山中を駆ける勢地郎に一匹のアサギワシが纏わり着く。
「やあ、この辺りまで近づくと斬鬼くんがどんな措置をしようと式神の行動を止める事はできないようだねえ。」
相変わらずマイペースな勢地郎は肩に乗った式神の下嘴をなぞった。
「そうか、結界の中から出てきたのはザンキくんと少年少女の3人だけというのか。これは大変だな。早く届けなければ。」
勢地郎の片腕には、紫の風呂敷で端正に包んだある物が抱えられていた。
斬鬼達3人を乗せた式神がキャンプへ降下する。
「日の出と共にオレが一人で出る。おまえ達はオレが入ってからきっかり1時間後出口近くで敵を掃討し、オレの撤退を確保しろ。長い戦いになる。休んでおけ。」
半ば地面に放り捨てられた少年少女。明日夢は反射的に立ち上がって、変身を顔だけ解いたザンキに掴み掛った。
「ヒビキさんを、ヒビキさんを助けて!」
そんな半狂乱な明日夢をあっさり片手で払い退けるザンキ。
「もうヒビキはいない。そう思え。」
尻餅をついた明日夢はそれでも立ち上がり、ザンキの腰に食らいつく。
「ヒビキさんを助けてください!早く!」
「そんなに言うならてめえが一人でいけ!」
シャツを掴まれて背中から持ち上げられ、そのまま投げ飛ばされる明日夢。
明日夢は再び尻餅をついた。
「ボク、一人で・・・・」
今度はただ唖然としてザンキを見つめるばかり。それを見たザンキは途端険しい顔をした。
「甘ったれるな!てめえができねえ事を他人に頼るなんてなぁな、ガキのする事なんだ、もうヒビキはいねえ、ヒビキが囲ってくれた生温い世界はもうねえんだ、オレはなガキ、これから生涯を賭けてヒビキを越えねばならん。てめえの我が侭につき合ってられるか!」
自失する明日夢に背を向け、足を引きずりながらテントへ向かうザンキだった。
「待ってください、ザンキさん、」
明日夢を放ってザンキを追いかけるのはあきら。
「天美さ・・・・」
明日夢はそれを呆然としつつも目で追いかける。二人に見捨てられた気分になる明日夢。
「ザンキさん、私も戦えます。二人で連携して戦った方がより効果的に魔化魍を撃てます。」
「効果だぁ?そんなの知るか。」
「そんな言い方ないじゃないですか!イブキさんならそんな!」
「ああ、オレはイブキじゃない。」
あきらはその言葉で立ち尽くした。
目で追っていた明日夢はあきらはなぜザンキを追いかけないのだろうとだけ素朴に思った。
「どうかしてるわ。頭がイカれてるのよあの人。」
振り返って不貞腐れ、明日夢の元に歩み寄るあきら。
そのあきらの眉を顰めた目をただ呆然と見つめる明日夢。
「・・・・・、っ!」
「・・・・・、?」
あきらがそんな明日夢を見て怒りの表情を顕にする。明日夢はなぜそこまでの態度を取られるのか理解できなかった。
「オレはヒビキに負けた。先生の教えに反して枹を選び破門されたくせに自分を貫いて究極の姿と無敵の金砕棒を会得していた。」
ザンキは一人大型テントの中に籠って、壊れたパーツをスペアに交換、ドロの着いたパーツを丁寧に丁寧に磨いて組み直していく。ザンキの耳には平和な鈴虫の鳴き声と川のせせらぎと、自らが生む機械の軋む音と自らの呼吸音が聞こえる。人はそれを静寂と呼ぶ。
「先生はオレに変わってオトロシの犠牲になった。オレは先生と同じように犠牲になろうとしたが、結局トドロキに救われた。それなのにヒビキは弟子を助け、オイシイところを全部持っていきやがった。」
組み上げた部位一つ一つの稼動を丁寧に確認するザンキ。グリス塗りもオイル差しも適量、不足も滲みもない。
「先生もトドロキも、そしてヒビキも、オレをそんなに馬鹿にしてえのか。」
「天・・・・美・・・・さ」
「・・・・・」
押し黙ったまま2人用のテントに入った明日夢とあきら。あきらはさっさと着替えを済ませ、黙して目線を合わせず、ただ手際よく明日夢の腕の火傷を手当していた。明日夢はややオーバーに消毒液が染みる痛みを訴えたが、構って欲しい明日夢の心理など見通しているあきらは無反応。
「ごめんなさい。」
と気圧されている空気に謝罪してみるしかない明日夢だった。
あきらの目つきが釣り上がる。
「なんで謝るの。そう簡単に。」
「だって、たぶん君が不機嫌なのはボクが悪いんだろうなと思って、」
「関係ある訳ないでしょ!」
「は、はぁ」
「どうしてそんなに気が弱いの!いい加減にして欲しいわ。男なら、たとえ気弱を装っても、ちゃんと責任感があって、周りの事をちゃんと考えてて、冷静で、沈着で、準備に怠り無くて、何を言わなくても私がして欲しい事をちゃんとしてくれているものなの。貴方はただ他人におんぶにだっこしているだけじゃない。」
結局自分が悪いって事じゃないか、
明日夢は、自分が謝った為に自分が悪くされてしまうという状況の流れが掴めない。
「そんな、ボクはそんなイブキさんみたいになれないよ。」
その言葉ははっきり言ってザンキのコピー&ペーストでしかない。だがそんな形でも人と言い争う程度に明日夢の我が成長したと言えなくもない。
問題はそんな明日夢ではなく、その言葉で異常なまでに顔色を失ったあきらの方である。
「そういう、そういうんじゃ、」あきらの丸みのある柔らかな頬から一筋涙が流れた。「ないもん!」
いままで見せた事のない子供じみた態度でテントから飛び出すあきら。
「え・・・・」
言っちゃいけない言葉だったんだ、
明日夢は、なにがなんだかよく分からないが傷つけてしまったらしい事を自覚し酷く後悔した。さっきよりもっと落ち込んだ。重くなった。
「僕はやっぱりもう、ダメなんだ。」
そこは深夜の河原、
もっとも闇が深くなるのは朝日が登る直前というが、どこから回折しているのか川の流れにキラキラと反射して辛うじて光を帯びている以外、光源は皆無である。
そこにいるのは少女がひとり、両足を揃えてしゃがみこみ、ただ観るともなしに川の流れに視点を置いている。
「私はどうすればいいんですか・・・・」
あきらがそう問いかけている頭の中の人物は、誰もが想像する好青年。
「あの、天美さ・・・・・ん、」そして誰が見てもあきらの頭の中の好青年に遠く遠く及ばない少年が近づいてくる。「あの、あの、まだ大丈夫だよ。イブキさんはきっと生きてるよ。」
あきらはイブキの生死を危惧しているのだと、それだけなんとか頭から捻り出した明日夢だった。
「ヒビキさんもね。」
これでこの人は精一杯なんだ、
あきらの言葉は生返事に近いものだったが、声は温和だった。
「ありがとう。」
明日夢はなんだかよく分からないが、機嫌を直してくれた事に安心した。
「私は本当はダメな子なの。いくら勉強しても形だけ、いつも肝心な事が身につかない。だからイブキさんの足手まといにしかならない。結局私はこういう結果しか出せない人間なんだわ。」
そんな明日夢を苦笑しながら述懐するあきら。その少女の中で一番子供じみた表情を明日夢は暗闇で視る事はできない。
「そんな、そんな事、」
「イブキさんはもう死んだ。死んだのよ。そう思わないと、この先の戦いで私の足を引っ張るわ。イブキさんもそれを望まない。」
あきらは川の流れに掌を浸す。夏場は特に心地いい感触が不連続に潤いを与え続ける。
「そんな事・・・・」
あきらの強さを目の当たりにして言葉が続かない明日夢。
「そう、頭ではそう分かっているのに、気持ちが、認めてないの。貴方にもザンキさんにもイブキさんのような態度を求めている。イブキさんのようで当たり前だと思っちゃってる。イブキさんと同じように私に合わせてもらえる人なんて滅多にいないのに。」
「・・・・・」
「その時分かったの。私もイブキさんにおんぶに抱っこなんだって。偉そうな事言っても貴方と同じなのよ。ワタシは。けじめをつけなきゃ。」
暗闇でどれだけ近づいてもその表情を読み取れない明日夢は、もどかしかった。彼女はいったい自分に何を求めているのだろうかと。その気持ちが人に何かを求めている裏返しだとも気づかずに。
「ごめん。」
辛うじてそれだけ絞り出した明日夢。
「・・・・またぁ。ホント貴方って、」
「だって、誰かにそう言って欲しいんだと思って。」
あきらが衝動的に明日夢に振り返り、後はじっと動かない。やはり表情は見えない。あきらが怒ったのか、唖然としたのか、失望したのか、明日夢には伺い知れない。
「貴方って・・・・、」だがその口からは泣き声がなぜか聞こえてくる。「キリヤくんと同じ事言うのね・・・・。」
キリヤって誰だったっけ・・・
その意味がさっぱり理解できない明日夢だった。
「僕は・・・ここでもダメなんだ・・・・・」
明日夢はなにも分からない自分に、また言ってしまった。
なんで僕は分からないんだろうか、劣っている、どこまでも現実から立ち遅れている自分、居ても仕方ないんだ、みんなに引き離される自分、恥ずかしい、目の前の少女からも引き離される僕、消えてしまいたい、僕はどうしてここまでダメなんだろうか、ダメだから、ダメだったから・・・・・
「何をボーッとしてるの。ホント情けない人ね。」
いままでとは違う妙に籠った声色を使うようになったあきらが、いつのまにか明日夢と数センチのところまで迫っていた。手を握られている事も気づかない明日夢だった。
やっぱりこの子も僕を分かってくれない、
ただ、漠然とそれだけ連想する明日夢だった。
朝日が登る瞬間は、太陽を直視している人間でなければ、いつのまにか周囲が薄明るくなっているのに気づき、次いでいつのまにかいつもの明るさになっているというのが人間の時間感覚というものである。
「斬鬼斬!」
薄暗がりの中、雷光が轟き、その落下点に集結するように、方々から式神が群がっていく。
「斬鬼・輝!」
金色に輝くボディ、細く撓るように鍛え込まれた左腕の先は、刃渡り2メートル以上、幅0,6メートルの巨剣を携えている。
「斬鬼さん、脚はもういいんですか。」
「それより、おまえ達、鍛えれば鬼になれると本当に思っているのか。」
斬鬼はあきらの言う事なぞはじめから聞く気がない。
「違うんですか」
明日夢は聞いてしまう。
「言ってやろう。鍛え上げれば鬼になれるなんてウソっぱちだ。鍛え上げるのは、憑依に耐え切れる肉体を作る為だ。肉体も精神も健全である必要はない。吉野はウソをおまえたちに教えている。」
「なんでウソを、」
明日夢は素直に疑問を言う。すっかり斬鬼のペースである。元々会話にイニシアティブなど考えていないのかもしれない。
だがあきらは違った。
「今はそんな事言っている場合じゃないでしょ。斬鬼さんおかしいですよ。私だって薄々は分かっています。我々は昔鬼だった霊に憑依されるのだという事を。式神と同じ原理で鬼としての力を持てるのだと。でもそれが今話してなんだと言うんです!」
鼻で笑う斬鬼。
「感情を上げるのは焦っている証拠だ。威圧にはならんぞ小娘。そうか、イブキもヒビキもそう思っているか。鬼の霊だと。どこまでも甘ちゃんだな。いいか、オレ達に憑依しているのは、魔化魍だ。俺達鬼は、魔化魍を倒す為に、魔化魍に取り憑かれるんだ。」
唖然としたあきらだった。それはその意味を完全に理解したからである。自分達は結局魔化魍と同じものだという事を。魔化魍に両親を奪われ、そしてその怨みを晴らし、自分の存在を守る為に、魔化魍に憑かれ、魔化魍となる。
「やっぱり・・・・」
明日夢にとって、あるいは最初に響鬼と魔化魍を見た時から、頭の中に直覚していたかもしれない事実であった。何故魔化魍の命を鬼は平気で奪えるのかという答えの一端、考えようとしても、怖くて踏み込めなかった領域の想像を、斬鬼が言霊にして送ってきた。鬼達は、どこかに目を背けている事実があるのだという事を、鬼を見た最初から感じていた。
「そ、そんな事、今、」
あきらは認めなかった。そして必死に斬鬼の策意を読み取ろうと集中して、余計な事を考えないように務めた。
「ま、いつ死ぬかもしれんから、自分を見つめ直してみるんだな。それから少年。」
‘少年’と他の人間から口にされて、心の空洞がまたさらに開くのを感じた明日夢だった。もしかしてこの高鳴る動悸が隣のあきらにも聞こえているかもしれない。両脇が湿るのを感じた。
「・・・・・・」
「おまえにとってヒビキはこの世で唯一人自分を認めてくれる存在だったんだな。さっきは言い過ぎたよ。」
明日夢はそれを聞いて、抜け殻のように地面に伏した。
斬鬼・輝はそんな二人を横目に、結界の中へ踏み出していく。そして無言で立ち尽くす少年と少女をややチラリと眺め、その距離を確かめた。
「これで奴等は人形になる。ヒビキがオトロシに呑まれていれば、奴等を使う事になるからな。」
今度はあきらが相手の不可思議な態度に戸惑う番だった。しかし先の明日夢のように戸惑う顔を決して見せたくないあきらがいた。あきらはその為だけに気丈になってみせる。
「ヒビキさんはそりゃ、あの状態で助かるとは私も思わないわ。でも、まだ生きていないという保証も、」
「ううん、」
そういう事じゃないと少年は首を振った。
「私達鬼はそんな奇麗事じゃないのよ。まともに考えれば分かる事よ。私達は正義の味方じゃない。結果として正義になっているだけだって。」
「ううん、」
「魔化魍が怖いの?」
「ううん、」
それも首を振る少年。少女はこれだけ聞いたら誰も分からなくて当然、聞いても面目は保てると踏んだ。
「じゃあなんなの、なにがそんなに悲嘆に暮れる理由があるの。」
「なんだろ・・・・、でもただ重いんだ。なにか考えたくなくて、それに触れるのが怖くて、ここからもう居なくなりたい。この世から居なくなりたい・・・・・・」
「はぁ?」もっと分からなくなったあきらがいた。「ザンキさんは貴方にすまないって言ったのよ。それがなぜ4つんばいになっちゃうの?ねえ。」
いつまでも立ち上がろうとしない少年の肩を揺するあきら。しかし呆然として立ち上がらない明日夢。
「ザンキさんなんかじゃないよ、あの人は関係無い・・・・」
明日夢の耳は、意味を捉えていないが肩を揺すりながら何か捲くし立てるあきらの声が聞こえていた。その内手を放し、呆れ返ったのだろう、もはやその場からあきらが姿を消した事に気づいたのは太陽が登り切った後。
「そうか、僕は結局誰からも理解されないんだ。」
なぜそこまで落ち込むのだろう、
自分に問いかけた。
だからヒビキさんに嫌われた、まずそれが頭を巡った、
あの時、人型の魔化魍を前にしてヒビキは自分を庇ってくれた、これじゃない、
ヒビキさんに嫌われた、
ヒビキはザンキに抱えられた自分を守る為に、たった一人魔化魍の渦の中残った、そうじゃない、もっと前の事だ、
ヒビキさんに嫌われた、
なんであの少女の魔化魍と一人で立ち向かうハメになったのか、
ヒビキさんに嫌われた、
それは自分がヒビキの元から勝手に離れて魔化魍を追いかけた為、
ヒビキさんに嫌われた、
そう、自分の勝手な行動で、ヒビキを危機に陥れてしまった、
ヒビキさんに嫌われた、
違う、ヒビキさんは僕を助けてくれた、
ヒビキさんに嫌われた、
違う違う、ヒビキさんは僕の行動を制止したんだ、
『それじゃいけない・・・・』
ヒビキさんに否定された、
ヒビキさんに嫌われた、
そう、ヒビキさんにも僕はダメだと言われた、
「僕は、ヒビキさんにも見捨てられたんだぁ!」
それが君の今一番の本音だね、
「え・・・・?」
地に手足を着いて項垂れる明日夢の目の前だった。いつのまにか翼を畳んでジッと眺めるハガネタカ。
よくそこに気がついた、
「僕を見ていたの。」
ボクはずっと君を眺めていたよ、
「僕は、僕は、・・・・情けないよ、」
でも君はそこを直視するところから始めなければならない、
「え?」
それはヒビキも望んでいた事なのだから、
「え?」
君の問題点はそこにあったんだ、自分の気持ちを直視する前に自分の本音は情けなくて、くだらなくて、恥ずかしくて、誰も認めないものだという事に気づいてしまう、だけどそうやって自分にウソをつく事で、君は君が分からなくなって、なにも自分になれないんだ、ヒビキはそんな君を分かっていたよ、
「どうして・・・そんなヒドイ事を僕に言うんだ・・・・」
他人の言葉に抑圧を感じながらも他人の言葉を求める弱い心を自覚する。
現実がヒドイものだからさ、
「そんな、」
ボクは君に出会う前は、オオニュウドウという魔化魍だったんだ、それがヒビキに殺され、こんな小さな姿にされてしまった、
「じゃあ・・・君は・・・・怨んでいるの?」
ボクはボク自身を哀れみ、今でも人間達を怨んでいる、だがそれ以上に魔化魍のままでは生きられないヒドイ世界だという事も分かっている、そして鬼に縋りついてでも生きたいと思う、同胞を倒す事になっても、だからボクの今の姿がある、
「君は立派だよ、僕はそこまでして生きたいと思わない。」
君がボク達に親近感を持つのは、ボク達と同じようにこのヒドイ現実が生き辛いと感じているからだろう、
「うん、そうだと思う・・・・」
そして同じようにヒビキにしがみ着いて生きている、
「うん、」
だから、ヒビキに否定された事が悲しいんだ、
「そうだと思う・・・」
なら君の答えは決まっているんじゃないのかい、
「僕は・・・・ヒビキさんを・・・・」
ヒビキは言っていたよ、答えはいつも自分の中にあると、
「ヒビキさんを、大切にしたい・・・・助けたいよ!」
懐が熱くなる、
「なんだ」
突如ポッケから異様な熱を感じる明日夢。取り出したそれはヒビキから貰ったあのコンパス。熱を帯びているどころか陽炎のように大気を揺らめかせている。
それはヒビキの全ての想いだよ、
「想い?」
その想いを君の体内に込めるんだ、
徐に取り出すのはヒビキと同じ「音角」、コンパスにアテて響かせる。
「変身」
「なに、この波動、」
明日夢に呆れ返って、一旦テント内に籠っては武具の分解整備で気を紛らわせるあきら。しかし三半規管にクる圧迫感に苛まれ、慌ててテントを出た。
「変身」
『ヘンゲ』
大気が渦を巻いて乱れる、少年の周りを炎が纏わり、稲妻が落下する、
あきらが見た光景、それは、一人の鬼の生誕に伴った圧倒的な大自然のうねりであった。
「彼が・・・」
少年明日夢は燃えるコンパスに音叉を響かせ、額に翳す。たちまち肉体が2頭身伸びて各筋肉が充実していく。頭の角は2本、歌舞伎のような隈取り、全身は燃えるような紅。
「真響鬼・紅!」
その声はヒビキと見紛う程であった。ヒビキの全能力と全経験を加味された明日夢は、今真なる響鬼と化す。
「変身できたの貴方・・・・」
あきらは唖然としていた。未だかつて30貫目程で変身した鬼など知らない。
「うん、ヒビキさんと屋久島で鍛えてて、ちょっとコツが分かっちゃったんだけど、ヒビキさんに板についてないからまだ隠しておけって言われてたんだ。」明日夢の声は奇怪な程軽く明るかった。
という事は、20貫目程で変身していた事になる。
「貴方、辛くないの、鬼になるという事は、精神も肉体もそれだけ負荷がかかるという事よ。」
身をもってその痛みを知っているあきらだった。
「うん?まあ、でも、一人でいない時はいつもこんなもんだろ。」
この人は痛みを感じないというの、
「違う、この人にとって、普段から社会というものは凄まじい辛さに満ちあふれているんだわ。」
なぜかそういう風に少年を見ているようになったあきらがいた。
「僕ちょっとヒビキさんに会ってくるよ。」
「え?」
「まだ生きている。波動を感じるんだ。」
「じゃあ、私も行くわ。」
「別に、僕一人で大丈夫だよ。」
軽く言ってのける明日夢。
「私か後方を守るわ。あれだけの魔化魍だもの。」
「別に、大した事ないよ。何匹いようと、今の僕には。」
あきらは溢れる自信に満ちた一人の鬼を、唖然と見つめていた。
アスムは最後の最後で躓いた、
頭上を舞って、真響鬼・紅と化したトモダチを見やるハガネタカ。
アスムの最大の試練になるだろう、そこを見逃しているのはヒビキもまた同じ欠陥を共有しているからだし、だからこそ彼らは師弟となり得る、
明日夢の起した気流に乗って、天高く舞い上がるハガネタカだった。