ポチは、いつも不機嫌そうに喉を鳴らしている。
低く、唸るような。まるで狼が威嚇しているように。
少なくとも、僕が見ている間は、四六時中ずっと。
いや、その身が奴隷となり、人間という下等種族のペットにされているのだから、それも仕方の無いことか。
それに、僕がポチを買った理由は・・・その、そういう・・・アレ目的だ。
ポチにその事を伝えてはいないけれど、薄々勘づいてはいるのだろう。
だって、あんなにも綺麗で、おっぱいも大きくて、お尻も、太腿だって、何処を見ても魅力的なんだ。
文化が違うとは言え・・・いや、魔獣族の文化が野性的だからこそ、弱肉強食。敗者がどういう扱いを受けるかなんて、僕なんかよりよっぽど分かってる筈だ。
だから、ずっと反抗的だし、ずっと威嚇し続けているんだろう。ポチを買ってもう一ヶ月以上が過ぎようとして、それでも尚僕が手を出していなかったとしても。もう僕に、ポチに手を出す気が無かったとしても。ポチが威嚇をやめることはなかった。
最初は、確かにそういう目的だった。
山も谷も無い人生だった。刺激も無ければ、彩りも無い。
女の人と、全く縁のない人生だったから。偶々目に付いた宝くじを買って、それがどういう訳か当たっちゃって。
舞い上がっちゃって、でもいきなり過ぎて使い道に困ってた所に、宝くじを売ってたローブの人に奴隷を勧められた。魔族の美女との、やけに鮮明な妄想が頭に過ぎって、その勢いのまま購入しちゃって。
それで、牢屋の中で傷だらけになってたポチを見て、正気に戻った。
血だらけになって、人間を圧倒する力強さなんて見る影も無くて。それでもこちらを睨み、気高くあろうとするその姿に、僕は自分の浅ましさに胸を締め付けられた。
・・・まぁ、その後、怪我なんて無かったかのように振る舞うポチにアタフタしたり、自分で自分にもっと凄い傷を付けたり、それをアッサリ治したりと、幻覚を疑うような現実が色々あったけど。
それでも、未だに主従の関係を続けているのは、単なる醜い独占欲だった。
だって、魔獣族の、それも飛びっきりの美人さんだ。
人間ではまずお目にかかれないような絶世の美女だ。世の男共が羨むほどの恵まれた肢体の持ち主だ。
それが、今や、僕のモノなんだ。
手放したくなんて無かった。
ずっと、僕の手元に置いて、そして、出来ることなら自分色に染め上げたかった。
そんな、男の醜い欲望が、汚い感情が、ポチを縛り付ける。
それが一層、胸を掻き毟りたくなるような自己嫌悪に陥らせた。
「・・・はぁ、やっぱり・・・手放すべき、だよね・・・」
湯船に浸かって、頭の中を整理して、やっぱり最後にはその結論に落ち着いた。
脱衣所に居るポチには・・・多分、聞こえてないだろう。ゴソゴソと物音がしてるから、多分また僕の服に悪戯をしてるんだろうな。
湯船から出て、腰にタオルを巻いてから脱衣所に出れば、ほらやっぱり。
いつもの様に僕の服を咥えて、こちらを凝視したまま微動だにしないポチが居た。頑張って服を引き抜こうとして、再起動して襲いかかろうとして来たポチが紋様の効果で悶絶する。
毎日やってる光景。いつも襲いかかって来ては、海老反りとか言うちょっと絵面が面白い事になってるのを見ると、もしかしてポチってアホの子なんじゃないかな、なんて思ったりして。
ポチがこうして襲うのは、僕が憎いからだからってのに、勝手に親近感とか感じちゃって。
「・・・あーぁ、惨めだなぁ・・・」
そうして、いつものようにポチを無理矢理寝かせた後、一人ベッドの中でそう呟いた。
呟いて・・・涙が出そうになって・・・。
でもやっぱり、ポチとずっと一緒がいいから。
全部忘れたフリをして、今日も僕は夢の中に落ちて行った。
◇
真っ白な、空間だった。
酷く曖昧で、フワフワとした感覚だった。
立っているのか、座っているのか。目を開けているのか、閉じているのか。それすらも分からないほどにあやふやで。けれど、目の前に佇むその人物だけはやけにハッキリと認識できた。
「こんばんは」
なんて事無い風に。
宝くじを買った時と同じように、一言挨拶をされた。
何が何だか分からない筈なのに、何も疑問に持つことは出来なくて。フワフワとした意識のまま、目の前のフードの人は淡々と話を進める。
「こうして会うのは五回目ですね。さて、前置きはこのくらいにして。本日はどうされましたか?」
少し首を傾げるフードの人に、何故だか既視感を感じた。
初めてな気がするけど、前にも似たようなことがあったような・・・無かったような・・・。
でもそんな疑問は無意識の内に綺麗に洗い流され、上手く考えがまとまらない想いだけが、頭の中を駆け巡った。
「ふむ、ふむ・・・なるほ、ど? ・・・え、ん? あー・・・そうなっちゃうのか。・・・・・・え、なんで?」
いつも飄々とした態度で、こちらの悩みを的確にアッサリ見抜く筈なのに。初めて見せる困惑した雰囲気に、少し戸惑ってしまう。
・・・ん、いつも? あれ、おかしいな。これが、初めての筈なのに・・・。あ、いや、前にもこんな事があったような・・・いや、これが初めて・・・?
まぁ、どっちでもいいか。
「んー・・・はい、はい。なるほど、把握しました。把握しましたが・・・対等な立場になりたいから淫紋を消して欲しいとか。・・・えー、なんでそうなるのかなぁ。これどう見ても求愛じゃん。威嚇ってお前・・・ふふ、ウケる」
対等・・・対等? あぁ、はい。そうです。対等な立場。
あ、いえ。ちょっと違くて。ポチには自由になって、出来れば故郷とか。自分の行きたい場所で、好きなように生きて欲しいと言うか。
「・・・分かりました。しかし、淫紋を消すことはオススメ出来ませんし、こちらにも色々とルールがあります。ですので、淫紋の自動発動機能を外しておきましょう」
ありがとうございます。いつも、何から何まで。
「ふふ、おかしな事を言いますね。私と貴方が出会ったのは、これが初めてですよ」
あれ・・・あぁ、そうでした。はい、そうですね。
「では、私はこれで。またのご来店をお待ちしております。・・・・・・はぁ、早く帰ってイチャイチャしたい」
はい、はい・・・ありがとうございま・・・す・・・。
ん、あれ。僕は、今まで何を・・・。
◇
朝、普通に目が覚めた。
いつもの大きな足音は聞こえない。
珍しい、今日は狩りに行ってないのだろうか。
なんだか、妙な夢を見てたような気がするけど・・・なんだったかなぁ。まぁ、覚えてないってことはそんなに大した事じゃないんだろう。
ポチが寝てるはずの寝床を見に行けば、やはり居た。
こちらに背を向けて、シーツを抱き締めて、規則正しく寝息を立てていた。
思えば、眠ってる姿を見るのはこれが初めてだ。
ずっと、警戒されっ放しだったし。流石に一ヶ月以上も警戒し続けるのは疲れたのかな。
「気持ち良さそうに寝てるなぁ・・・」
傍にしゃがんで頭を撫でれば、獣耳をピクンとさせて、むず痒そうに身動ぎをした。
起こしてしまったのか、眠そうなポチが何度も瞬きをして。それから僕の方を見て、固まった。
「・・・・・・」
「お、おはよ、ポチ。朝だよ」
動かない。微動だにしない。
気まずくなって、別のことに意識を逸らそうと頭を撫でるのを再開する。
なでなで、なでなで。
「・・・・・・ぅゥ゛」
「ぁ、ご、ごめっ・・・わっ!?」
状況を理解出来始めたのか、次第に唸り声を上げ始めたポチに謝ろうとして、それより先に身体を衝撃が襲った。
懐かしい衝撃だった。ちょうど一ヶ月くらい前にも似たようなことがあった。
そうだ、押し倒されたのだ。誰って、もちろんポチに。
「グルルルッ・・・!」
「ぁ、いゃ・・・あの、えっと・・・・・・あ、あはは・・・」
四肢を押さえ付けられ、身動き一つ出来ない。
飢えた肉食獣のように歯茎を剥き出しにして、今にも喰われてしまいそうだ。端正な顔が歪んで、その顔は正に悪鬼のようだったけど・・・。
それでも不思議と恐怖を抱かなかったのは、何処かこれでいいんだと納得する自分が居たから。
多分、僕はこれから殺される。もう彼女を縛る枷は無くなったのだから。
僕も、あの紋様の効果を使うつもりは毛頭無い。
・・・って、あれ? なんで紋様の効果がもう切れたって知ってるんだっけ?
「グルルル・・・ッ!? ッ? ッ??」
妙な感覚に首を傾げていたら、ポチが何かを思い出したのか、咄嗟に身構えた。
いや、あれは身体が覚えてるんだ。一ヶ月もほぼ四六時中、身体を蝕み続けて来た紋様の効果を。ご主人様を傷付けようとすると、その身に降り掛かると。
それなのに、何も起きない。だから困惑しているんだ。
でも大丈夫。僕はもう君のご主人様じゃなくなったから。
その鎖はもう、断ち切られた。
「ポチ」
「・・・ッ?」
「ねぇ、ポチ。聞いて」
「・・・・・・」
押し倒されたまま、格好は付かないけど。
「僕はもう、君のご主人様じゃない」
「・・・・・・ぇ」
「その紋様は、もう効力を失ってる。君を傷付けることは、もう無い」
「・・・?」
「これから君は自由だ。今ここで僕を食べるのもいい。故郷に帰って、家族と再会するのもいい。何をするにも自由だ。君を縛り付けるものはもう、何も無いんだ」
「・・・・・・、・・・・・・」
「・・・へ? ちょ、ポチ、何して・・・」
僕の言葉が本当か、確かめようとしてるのだろう。
いきなり顔を近付けられて、美人の顔がドアップにあってめちゃくちゃドキドキしたけど。
顔を寄せて、スンスンと鼻を鳴らし、ペロリとひと舐め。身構えても、予想した紋様の衝撃は来ない。
紋様が刻まれた下腹部を不思議そうに撫でて、それから状況を把握したのか、ギロリとこちらを睨み付けて来た。
あぁ・・・うん。まぁ、そうだよね。
許せないよね。殺したくて堪らないよね。
どうなるんだろう。
どうされるんだろう。
食べられちゃうのかな。それともただグチャグチャに殺されるのかな。
もしかして、生きたまま食べられちゃったりとか。
あぁ、でも出来れば痛みは極力感じないやり方だと嬉しいなぁ・・・なんて。
全てを観念して、僕は大人しく目を瞑る。
口の中に、何かが入って来た。
「んぶっ!?」
「んー・・・♡」
なんっ・・・ぇ、これっ・・・んんっ!?
どっ・・・えっ、ちょ・・・んん?
「んー♡ はむ♡ はぁーむ♡」
「ちょ、ぇ、待っ・・・んんっ!?」
訳が分からないまま口の中を粘ついた何かが蠢いて、隅から隅まで堪能された。
え、ぁ・・・なに・・・? どういう・・・えぇ?
だ、ダメだ。状況が全く理解出来ない。
え、キスを・・・キスを、された?
時間は、分からない。分からないけれど、窒息しそうになるほど長く、濃厚なキスを・・・。
「ぇぁ・・・? ぽ、ぽひぃ・・・? ない、ひてぇ・・・」
「・・・♡」
横抱きに、抱き抱えられた。ブンブンと聞き慣れた尻尾を振る音が聞こえる。
ベッドに連れて運ばれたのか? ポチがいつも使ってるキングサイズの・・・ぁ、良い匂い。野性的で、でも甘くて・・・脳が、痺れる・・・。
「・・・愛してるぞ、ご主人様♡」
囁かれた、情熱的な愛の言葉。
その日、僕が覚えていたのは、その甘く蕩けるようなポチの声と。
何処までも轟く、狼のように力強く、逞しい遠吠えだった。
後日談とかはその内。
魔獣族編はこれで一旦一区切り。