UA2万越え、感想200件越えました。皆さん、ありがとうございます!
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「マックイーン! メジロのイメージがとかって言ってたけど、9割くらい自分のせいって気付いてる?!」
「スペちゃん、流石にみっともないから止めましょう? ……スペちゃん?」
「オグリ、せめて涎は拭いとき」
各々のツッコミ役に引き剥がされていく飢えた獣達。
「スイープ、彼女達は?」
マジでビビり、士郎の後ろに隠れていたスイープが顔をひょっこりと出す。
「髪の短いのがスペシャルウィーク、その横にいる緑の耳飾りがサイレンススズカ」
「何作ってるんですか?!」
「スペちゃん……」
元気溌剌なフードファイター、スペシャルウィーク。生まれ育った北海道のような胃袋を持っている。
「白くて大きいのがオグリキャップ。白くて小さいのがタマモクロス」
「美味しい(むしゃむしゃ)匂いが(むしゃむしゃ)してたか(むしゃむしゃ)らつい」
「食いながら喋るな! 後、誰が白くてこまいって?!」
静かなるフードファイター、オグリキャップ。あっちこっちの飲食店で出禁を言い渡されているとの噂を持つ。
「あそこにいる似非お嬢様がメジロマックイーンで、あっちがトウカイテイオー」
「……はっ。誰が似非ですって!」
「オーブン見ながら怒っても説得力ないよー」
スイーツ限定のフードファイター、メジロマックイーン。レースのために食事制限をしている時の形相は、鬼も裸足で逃げ出すと言われている。
「ふむ」
見覚えのある顔もない顔も含め、全員の紹介をしてもらった所で士郎はこの世界に来てからずっと感じていたちょっとした疑問が再燃した事を自覚した。それはズバリ、呼び方だ。どこで区切るのかは分かるのだが、上下の概念がないせいでどちらで呼ぶべきなのかが全く分からないのだ。マナー的にNGと言う事を考えると、フルネーム呼びが安牌なのだが、何せ長い。疲れるような事ではないのだが、違和感が強いのだ。
「知ってるかもしれんが、私は衛宮士郎だ。それで彼女達は何か用事があって来たのではなく、本当に生地の香りに釣られて来たのかねタマモクロス」
「……あ、ウチ?」
自分に振られるとは思っていなかったらしく、暫しの間を置いて反応するタマモクロス。
「年長者だと思ったのだが違うかね」
「……!! その通りや、見る目あるな!」
中学生、下手をすれば小学生にさえ間違われるタマモクロス。そんな自分を一目で年長者と見抜いた士郎の評価は、彼女の中で爆上がりしていた。
「せやな。この3人ならそれぐらい出来てもおかしくないわな」
「……そうか」
金色の騎士もここまでは無かったな、と思う士郎だった。
──それで、どうする?
──どうするって何が?
──ケーキを分けるかどうか、だ
──……分けるのは良いけど、作るのを手伝わせるのはダメ。アタシと士郎だけでやるんだから
──ふっ、了解した
とは言え、流石に6人追加となると1つでは足りない。幸い、今から新しく作り始めればそこまで進捗具合に差は出ないだろう。
「さて、このまま食欲旺盛な子達を無視するのは心が痛むのでね。午後まで待てて、且つ私の仕事の手伝いをしてくれるならご馳走しよう」
「もちろんお手伝いしますわ!」
「やります!」
「やる」
間髪入れず3人から了承の言葉が飛ぶ。
「やる気があるようで何よりだ。但し、次はこんな風に飛び込みで来ても作ってはやらんからな。気持ちよく食べるには、きちんとした礼儀が必要だからな」
流石に少しは自覚があったのか、士郎の指摘を素直に聞き入れる3人。
「それで君達はどうする? 監督官をやってくれるなら手当が付くぞ」
そんな小狡い言い方をされては、答えなど一つしかない。
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いちごムースを作り、それを底にスポンジを詰めた型に流し込む。スイープに指示を出しながら、並行してもう1つのスポンジを作り、同じようにムースを重ねる。スイープの手際を見つつ適切な指示を出しながら自分の作業を淡々と熟していく士郎の器用さに、感嘆の声が漏れる。
そこまで進むと、熱を取り固めるため2時間ほど冷蔵庫に冷やす。
仕舞われるケーキを名残惜しそうに見送る3人がいた。因みに、その上にゼリーを掛けるから+2時間冷やすと言うと、絶望と希望が綯い交ぜになった何とも味わい深い顔をしていた。
「では昼食が終わったら、13時頃に用務員室に来るように。遅刻したら食事会は見学になるから気を付けるように」
・
遅刻厳禁を言い渡された3人は絶対に遅刻しないため、満腹ではなく腹八分目に抑え、時間になるまで扉の前で待機していた。
おかわりも程々に済ませた3人に、友人達は何かあったのでは、と頻りに心配したがスイーツのためと分かると平常運転だと皆安心した。
「全員揃っているな。感心感心。では君達には整形したこの板に塗料を塗ってもらう。誰かが広範囲の柵を蹴り破ったみたいでな」
目撃者がおらず、事件は迷宮入りかと思われたが犯人は翌日に問答無用で現行犯逮捕された。
「ちょっとテイオー! 刷毛を持ったまま手を振り回さないで下さい!」
「スペちゃん、それは塗りたて……!」
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「次は動きの悪くなっている教室のドアの整備だ。私がローラーの整備を行うから、溝の掃除をしてくれ」
ウマ娘用に作られているとは言え、学舎の中で特に雑に使われる存在と言って良いだろう。同時に動きが悪くとも特に騒ぎ立てられる存在でも無いのだが。
「まず掃除機で埃を吸ったら、この粉を掛けてくれ」
「砂糖か?」
「アホか。砂糖を何に使うねん。重曹や。料理に掃除とマルチプレイヤーや。じゃあこっちはオキシドールか」
「その通りだ。ではそちらは頼んだぞ」
「了解や。オグ、オグリ舐めんなや!」
「苦い……」
・
「次は傘立てにずっと残っている傘をゴミと使えるものへの仕分けと、傘立ての掃除だ」
「あ、これ私のだ。こっちも。ここにあったんだあ」
「見て見て、お猪口!」
忘れた事も忘れられていた傘が無事持ち主の下へ帰った。
テイオーも同じようにずっと忘れていた──本人曰く置き傘との事──傘を振り回して遊んでいた。
「かー! まだ使える傘を忘れてそのまんまにしてくなんて贅沢やなあ」
「傘無いのか。予備渡そうか?」
綺麗な傘を見付けては勿体無い精神に誑かされそうになるタマモクロスと、少しズレた心配をしているオグリ。
「このやたらアクセサリーの付いた使いにくそうな傘はどなたのかしら」
「フクキタル……」
大きさ、形、種類と、何一つ共通点の無いアクセサリーが、持ち手にこれでもかと強引に結び付けられた実用性皆無の傘。否、最早傘としてのアイデンティティーを喪失した何かだ。
空になった傘立てを縦向きにし、受け皿のゴミを落としていく。落ちにくいゴミを箒で落とそうとしたが、足元にあったはずの箒がない。はて、と思うと玄関の外で箒に跨っているスイープがいた。
「何をしてるのかね」
「飛べないかなって。安物じゃダメなのかしら。やり方知らない?」
「学園の備品を安物扱いするな。後、飛行魔術に関しては古代の魔女でもなければ出来ん芸当だ。少なくとも私の知る限りはな。そら、箒を使いたいならそこのゴミを落としてくれ」
「はーい」
中に戻ると、2人の会話が聞こえていたのか、視線が士郎に集中していた。
「そう言えば士郎ってば魔術師だか使い魔だかだったんだっけ。それっぽい格好も、それっぽい事もやんないから忘れてたよ」
「寮のみんなも、やたら色んな場所で見る働き者さんって言う認識になってますね」
「派手な魔術を披露する機会などないし、用事も無いのに見せるつもりもないからな」
こびり付いてる汚れかゴミか分からない染みを一生懸命擦っていると、もしかして士郎が凄い魔術を使えると知っていて、且つその産物を持っている事はかなり自慢出来る事なのでは、と思った。そんな風に考えていると、スイープは自然とニンマリとした笑顔になる。そしてそれを皆に言いたい。しかし自分から言うのは少しみっともないので、誰かに聞いて欲しい。
と、そんな事を考えているのだろうな、と士郎には見破られていた。
「えー見せてよ〜。本物の魔術なんて見るチャンスなんて絶対無いんだからさあ」
「よしなさいテイオー」
「因みにアタシは見た事あるわよ」
まさかの1分経たずのポロリ。予想していた以上の堪え性の無さだった。
「ええ──! スイープだけずるーい! ボクも見たい〜〜!」
地団駄を踏みながらキャンキャンと吠えるテイオー。その内地面に寝転がってしまいそうな勢いだ。
「ちょっとテイオー! みっともないからよしなさい! 衛宮さんも困ってるでしょう!」
士郎はレース場整備の折にテイオーの走りを一度だけ見た事があった。詳しい解説が無くとも彼女が一流のアスリートである事は走りで分かった。幼いながらも競技者としての顔で後続を引き離していく姿を良く覚えている。そんな彼女が目の前で駄々を捏ねている姿にギャップを感じ、思わず笑ってしまう。
「あー! 何笑ってるのさあ!」
「いやすまない。ふむ、そうだな。少し待っていたまえ」
そう言うと姿を消す士郎。
何の前触れもなく行われた霊体化に、スイープ以外全員の尻尾が槍のようになっていた。駄々を捏ねていたテイオーも、そのままの顔で固まっていた。スイープはふふん、と後方腕組マスター面していた。
ややしてから歩いて戻って来た士郎。
「皆どうした。幽霊でも見たような顔をしてるぞ」
「原因も幽霊もアンタや!」
タマモクロスに流れる関西の血が、英霊のボケと言えどツッコミを放棄する事を許さなかった。
「そう言えばそうだったな。用務員の仕事しかしてなかったから私も忘れていたよ」
「自分の事やろ!」
楽しそうにボケ返す士郎。
意外と愉快な人だったんだな、とタマモクロスと士郎のやり取りを見た皆はそう思った。
「そうだトウカイテイオー。最後の仕事まで我慢すれば良いものを見せてやろう」
「え、あ! そうだ、さっきまで駄々こねてたんだった! 分かった我慢する!」
「我が儘言ってる自覚あったんですか」
「では再開しよう。これが終わったら一度家庭科室に戻るぞ」
その言葉に露骨に目の色を変える3人。
・
2時間の冷蔵でしっかりと固められたムースは、綺麗な薄いピンク色で仄かにいちごの香りが漂う何とも甘味欲を誘う出来栄えだった。
つまみ食いしたら見学になると言い付けられた3人は椅子に行儀良く座っているが、尻尾は正反対に忙しなく動き回っていた。「待て」を命じられた腹を空かせた大型犬にしか見えなかったが、流石に心の内に留めておいた。
「では最後にゼリーを作るぞ。私はゼラチンを混ぜておくから、いちごをミキサーで混ぜてピューレにしてくれ。細かく止めて確認しながらやるんだぞ」
「分かったわ」
大粒のいちごが忽ち形を崩し、器一杯に広がっていく。帽子の鍔が器に当たるくらい近くで見ているスイープと、ミキサーの音に合わせて体を揺らすフラワーロック3人娘。
「それぐらいで十分だろう。グラニュー糖と一緒に鍋で沸騰直前まで煮てくれ。火傷には気を付けるんだぞ」
腕を組みながら鍋を真上から覗き込むスイープと、匂いを嗅ぎに行こうとして飼い主に止められる3匹の大型犬。
「今!」
摘みを捻り火を消す。大仕事をやってのけたように、ふいー、と出てもいない額の汗を拭うスイープ。
「ご苦労。ゼラチンを入れたら次は粗熱を取るぞ。これは私がやる」
鍋底を水の張ったボールで冷やす。ただの水だから冷やし過ぎる事は無いが、流動性が低くなって型に流し込みにくくなるため、見極めは必要だ。その塩梅は長年の勘が教えてくれる。
「今!」
スイープのセリフを真似たのは態とだ。皆がクスクスと笑うが、当の本人は気付いていなかった。
鍋を渡し、ムースの上に流し込む。均一になるよう型を傾ける。
「そして2時間冷やして飾り付けをすれば完成だ。仕事終わりの一服と言う奴だな」
・
所変わって体育館。本日最後の仕事場である。次は何の修理なのかと皆で予想し合う。ボール籠のキャスターか、倉庫の扉か、放送機器の修理か。
「残念だが、修理ではないぞ。理事長とたづなに頼まれたのはアレだ」
顎で示したのは天井。正確にはちらほらと見える、部材の隙間に挟まりどうしようも無くなったバレーボールだ。孤独なボール、落とそうとして二次、三次被害を出して固まっているボール達。初めの内は皆も思い出すが、いつしか風景の一部になり認識されなくなる悲しき存在だ。
「あー……。アレな。数えると結構あるなあ」
男子中学生でも、手足、特に足に当たった時の角度や力の入れ具合で簡単に天井まで飛んで行くのだ。ウマ娘ともなれば、もっと簡単に届いてしまう。
照明交換のタイミングで業者についでに頼んでいるのだが、LED化した事で交換の頻度がグッと低くなり、数は増えていく一方。それのためだけに業者に依頼するのはあまりにコスパが悪く、頭を抱えるほどではないが、ふとした拍子に思い出しては「うぅ〜ん」とたづなの眉間に皺を寄らせる、魚の小骨みたいな問題だった。
「それでそれで! どんな方法で取るの?!」
「まあ見ていろ」
皆に見せ付けるように掌を上に向けて腕を差し出す。
「
瞬間、光を放つ幾何学的な模様が腕を奔る。無手であった左手に、一瞬にして漆黒の洋弓が握られていた。
「なになになになに今の! それ触らせてえ!」
一瞬にして出現させた魔術に、漆黒に彩られた中でシルバーのハンドガードが文字通りアクセントとして光るデザイン。少年マインドを持つテイオーには、そのどれもが直撃であった。キラキラした目で尻尾をブンブンと振りながら士郎に纏わり付く。食欲ではなく好奇心旺盛な大型犬が1匹増えた。
「今のが投影と言う魔術だ」
「へえぇ〜〜〜!」
ウキウキを全面に押し出しながら、洋弓を撫で繰り回そうとするテイオー。をタックルで止めに入るスイープ。
「コラー! ご主人様差し置いて何最初に触ろうとしてんのー!」
「グエ──!」
ヤ○チャみたいに床に転がっているテイオーを一瞥もせずに、洋弓をこれでもかと撫で回すスイープ。アゾット剣を貰っている彼女からすれば洋弓自体にそこまで魅力を感じてはおらず、セリフ通り士郎の一番を取られたくないと言う独占欲で阻止しただけだ。
「……ツルツルしてる!」
「ほんまやな」
「でも凄く硬いですね」
「そのトレース・オンは食べ物も出せるのか?」
士郎はオグリがどういうベクトルで食いしん坊なのかを、何となく理解した。
「ちょっとー!」
誰にも心配されなかったテイオーがプンスカしながら大股で詰め寄って来たが、洋弓を渡されると一気に鎮火。見様見真似で構えたり、弦を引いたりして遊んでいた。
「それでこれで何するの? ボール撃ち落とすの?」
「当たらずとも遠からずだな」
左手で洋弓を構え、右手にある物を投影。それは紛う事なき矢である。しかし先端に付いているのは鏃ではなく吸盤。そしてシャフトの根本に近い部分には紐が結び付けられていた。
「引っ張って落とすの?」
「その通りだ」
構え、放つ。ピョウ、と真っ直ぐに10m以上を飛び、見事ボールに命中。おお、と皆の口から感嘆の声が漏れる。
その場から動かず、次々と命中させていく士郎。
「何てったって士郎はアーチャーでもあるんだから! 凄いんだから! 足も速いし!」
あ、と誰かが言ったのも束の間。スズカがノーモーションでスイープに詰め寄っていた。真顔なのに滲み出る速さへの執念。そう彼女こそ、誰が呼んだか人呼んで「先頭民族」。
「な、なに?」
「速いの? 衛宮さんて」
「え、えっと」
「速いの??」
「そ、その」
「スズカさん落ち着いて下さい! スイープちゃん怖がっちゃってますから!」
後ろからスペシャルウィークが引っ張り離そうとするが、地蔵のように動かないスズカ。その隙に士郎の下へピャー、と逃げるスイープ。
「ふむ。彼女はツッコミ枠だと思っていたのだが違うのかね」
「ウチらウマ娘は総じて走る事への欲求が強いんやけど、スズカはそれに加えて先頭で走り続ける事への欲求も強めなんや」
「なるほど。それでスイープの迂闊な発言に食い付いた訳か」
「大方併走でも頼もうとしてたんとちゃうか」
話しながらも、何なら見もせずに澱みなく放たれ続ける吸盤付きの矢。ちょうど10本を数えた所で全てのボールにくっ付け終えた。
「ではこの紐を引っ張って落としてくれ」
散り散りになって落としに行く皆を、オロオロと見送るスペシャルウィーク。サボってるような気になって落ち着かないようだった。その隙を突いて拘束を脱出するスズカ。
「ああスズカさん!」
「ひゃあ来たあ!」
「速いんですか衛宮さん」
「少し落ち着きたまえ」
「速いんですか??」
「言語野が退化してないか? 人よりかは速いが、残念ながら君達ほど速くはないな」
「そうですか……」
「嘘よ! スズカなんてケチョンケチョンに出来るくらい速いんだから!」
「!! 併走しませんか!」
「何故煽る……。スペシャルウィーク、君の相棒を止めないと君の分のケーキが半分になるぞ」
「スズカさん、お覚悟を!」
・
体育館での仕事を終え、料理室に戻った一行。
スズカはスペシャルウィークの泣きの入った懇願で渋々引き下がったが、内心では全く諦めておらず機会を虎視眈々と狙っていた。
「手をしっかりと洗って待っていたまえ」
ヤカンを火に掛けてから、冷蔵庫から取り出され机に置かれたムースケーキ。最上段のゼリーはしっかりと固まっていた。
「まあ、まるでルビーみたいに綺麗ですわ!」
「え、えっと、あ! まるでガーネットみたいですね!」
「!! ──、……ま、まるでいちご、みたいだ」
「せやな」
型から取り外し、カットしたいちごを飾り付け完成。
「切り分けは私がやるから、スイープは皿に移してくれ」
迷いなく包丁を入れていき、均等に分かれたケーキ。しかしここにいる人数分以上にあり、おかわりか、と目の色を変えながら立ち上がりそうになるが、それは残しておいてくれ、との言葉に椅子に座り直す。
ケーキサーバーで皿に移していく。
皆の前にケーキが行き渡る。今すぐにでも食べたかったが、士郎がまだ席に着いていないのだ。流石にそこは我慢する理性があった。
「あら、この香りは……キームンですか?」
「ほう、よく分かったな」
士郎の手元に置かれた2つのポット。片方は空だが内部が曇っており、温められていた事が分かる。もう片方では茶葉が蒸らされている。抽出用ポットとサーブ用ポットを分けているのだ。秤もある。
「そう言えば酸味のあるフルーツと合うと聞いた事がありますわ」
「そう言う事だ」
蒸らし終え、サーブ用ポットに注いでいく。この際、最後の一滴が自然に落ちるまで待つ。そうして落ちた最後の一滴をゴールデンドロップと言う。ポットを軽く回し、濃度を均す。
片手で保持し10cm程の高さからカップに注ぐ。因みに片手である理由は、出来立ての熱い紅茶を提供する事がマナーであり、ポットに手を添える事は冷めた物を提供しているとしてマナー違反とされているからだ。
手慣れた美しい所作は、マックイーン以外の腹ペコ達の空腹をも一瞬忘れさせていた。
「さて、待たせたな」
行き渡ったケーキと紅茶。ティータイムの準備は完了だ。
『いただきます』
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「紅茶とケーキを交互に食す事で、舌がリセットされて常に新鮮に味わえますのよ」
「へえーそうなんですね! マックイーンさんて物知りですね!」
「口の端にクリームが付いてるわよ」
「なんと!」
「メジロ家の者として当然の知識ですわ」
「おいしー!」
「あかん美味しすぎる。慣れたら舌がバカんなる」
話を聞く限り、どうやらメジロマックイーンは上流家庭のようだ。飲食のマナーも当然のように出来ている事からも分かる。故にファーストコンタクトが何故あんな事になっていたのか不思議でならなかった。
「士郎は何でそんな事知ってんの? 後何か紅茶の淹れ方とか」
「そうだな……」
まあ考えるまでもなく、生前に教わった事だ。しかしそれがどういった経緯だったかを思い出す事が出来ず、記憶の海に身を委ねていると、不意に「プロレス」と単語「テムズ川に落とされる」と言う情景が浮かび、加えて頭痛に襲われた。これ以上は思い出すなと言う迫真の警告だ。
「……恐らくロンドンにいた頃に習ったのだろう」
「覚えてないの?」
「『プロレス』と言う単語と『テムズ川に落とされた』と言う事しか思い出せん」
「…………???」
・
「ありがとうございました。突然訪問した上、こんなに美味しいスイーツと紅茶を頂いてしまって。このお礼は必ず」
「非常識だったって自覚あったんだ」
「とても美味しかった。美味しい紅茶と一緒に食べると量が少なくても満足出来ると分かった。でも今度は1ホール食べてみたい」
「こんな美味いデザート食ったの久しぶりやったわ、あんがとな。ただ今後オグリに遭遇しても気軽に食べもんやったらアカンで。上げたら最後や」
「お礼に併走しませんか?」
「スズカさん?! それはお礼じゃ無いですよ!」
概ねホクホク顔で帰って行った6人。
使用した食器を洗っているスイープは、まだ残っているケーキをどうするのか尋ねた。
「世話になった者への土産だな」
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『フジさん、いる?』
「いるよ」
『ちょっと両手塞がっちゃってるから開けてもらっていい?』
「はいはい。どうしたのかな」
扉を開けると、片手に水筒、片手にケーキボックスを持ったスイープがいた。
「これアタシと士郎で作ったケーキ。こっちは士郎が淹れた紅茶。フジさんには世話になったからって」
机の上にケーキボックスを置き、蓋を取る。閉じ込められていたいちごの香りがふわっと部屋を漂う。水筒から注がれた紅い液体に満ちるカップ。湯気と共に立ち上る香り。
「……衛宮さんて凄いマメって言うか、凄い真面目って言うか。うんありがとう。衛宮さんにも今度会ったらお礼言っておくよ」
「美味しいからしっかり味わってね!」
・
『衛宮だ。2人ともいるかね』
所変わって理事長室。レース場整備に行く1時間ほど前の時間に士郎が訪ねて来た。
「いるとも」
『失礼する』
残業突入前の息抜きのタイミングであり、2人は士郎が手に持っている物を見て目を輝かせた。
「2人には色々と世話になってるからな。ささやかではあるが、その礼だ。残業前の一服に如何かな?」