【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
誤字報告もありがとうございます。いつも感謝しています。
キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。
例によって、世界観を広げるお話です。
主人公視点だと分からない部分の。
今回は三人称。
新規キャラのエピソードです。
よろしくお願いします。
勇者アレクシオスの死から、凡そ六千年の時が過ぎた。
六千年、あまりに長い間、人類は繁栄と衰退を繰り返してきた。
時に、死霊魔術で蘇らせた死者の軍勢で以て、災厄の尖兵を撃退してのけた。
その後。自我を持った死者が現れ、生者と死者の間で人類の座を賭けた大戦争が起こった。
時に、強力無比な魔導兵器を造り、災厄を払って生存圏を広げてみせた。
後に件の兵器は人類同士の戦争に使用され、結果として生存圏の半分を焦土に変えた。
時に、研究用に生み出された
後に暴走した人造粘体は街一つを飲みこみ、友であった王によって葬られた。
内と外、人類は常に何かと戦っている。
一歩進んで二歩下がるような、失敗と敗北の歴史。
登っていた階段が崩壊し、築いてきた文明の過半を失った事さえある。
だが、何があろうと人類が歩みを止めた事はない。
勇者の影を追う者達を筆頭に、どんな困難も力を合わせて乗り越えてきたのが人類だ。
例え、絶望的な戦いであっても。
人類の魂に刻まれた勇気は、絶えた歴史がないのである。
人類生存圏外、最西端。
灰色の空の下、赤茶けた荒野の一角に、統一された装備を身に纏う騎士たちの姿があった。
戦士団、魔導士団、治癒師団。それらを纏めて王国騎士で括る。即ち、ラリス最精鋭の者達だ。
整然と並んだ騎士の姿には、揺るぎない覚悟と戦意が感じられた。
彼等の視線の先、小高い丘の上に漆黒の馬に騎乗した男の姿があった。
それは、滾る血潮の如き赤髪の偉丈夫だった。上背があり、筋骨も隆々としている。地平線の向こう側を睨みつける双眸は、まさに歴戦の戦士そのものだった。
彼の纏う装備もまた、並みの代物ではなかった。使い込まれた真紅の鎧に、人の手にならぬ深域由来の豪奢な槍。その背では、王家の紋章が刺繍されたマントが翻っている。
彼の名は、ディミトリス・アレクシスト・モノラリス。何を隠そう、ラリス王国の第一王子である。
戦いを前に、王国騎士はディミトリス王子の背を眺め見ていた。
絶対強者は心の支えになる。流石ラリス王家の長男様は、頼もしさの化身であった。
「あー、行きたくないなぁ……」
が、頼もしいのは見た目だけであった。
幸い誰にも聞かれなかった呟きに、彼の愛馬はブルルといなないて気弱な主人を叱咤していた。
王子の騎乗するこの馬はただの軍馬ではなく、王子の手にある深域武装から召喚された守護獣である。その眼には野生動物に不相応な理知と、肉食獣めいた獰猛さが矛盾なく同居していた。
「はぁ……もう二カ月も会ってないよ。帰りたいなぁ、皆は元気かなぁ」
戦いを前にぼやくのは、王子にとって大事なルーティンの一つだった。心の靄は吐き出せる時に吐き出さないと、生死の際では判断の妨げになる。
ぼやきつつ思うのは、愛すべき妻達の事だった。三十路を超えた今となっては、彼も立派なおじさんだ。第一王子という立場もあり、彼は既に数人の妻を娶っていた。
皆が皆、政略で結ばれた関係なのだが、彼は妻達全員を愛していた。可能なら、ずっと家にいたい。贅沢を言えば田舎で馬を育て、笛を吹き、仔馬と遊んで暮らしたかった。
そんな生活を夢見るくらいには、この王子様は素朴な気質の持ち主であった。
「顔が崩れてるぞ、直せ」
そこに、声をかけてくる者がいた。いつの間にいたのか、彼の隣には長身の女戦士が立っていた。
黒い髪を短く切りそろえた、妙齢の美女である。装飾のない革鎧を纏い、長外套を羽織っている。彼女もまた、ディミトリスと同等の戦闘経験を持つラリス女傑であり、昔馴染みの友だった。
無二の戦友である彼女は、いと尊き身分であるはずの王子に厳しい視線を送っていた。一見恐ろしげな眼光も、ディミトリスからすると安心材料の一つだった。
「将がだらしない顔をしてるのは士気に関わる。お前が何を考えようが勝手だが、顔くらい引き締めとけ」
「そうだね。ん~、こうかな?」
言われ、ディミトリスは少々の変顔の後、如何にも頼りがいのある巌のような顔面を作った。
その面貌は誰がどう見ても威厳に満ちた理想の将だった。自然に姿勢が持ち上がり、ただでさえ高い身長も手伝って見た目の頼もしさは倍増である。
「ムルズはさぁ」
「ん?」
威厳のある顔のまま、王子はのっぺりと口を開いた。
これもいつもの事である。初陣からこれまで、ずっと繰り返してきた戦の前の儀式だ。今となっては、彼の初陣を知る者は彼女しかいないが。
「一党抜けて、隠遁したいとは思わないの?」
「いや全く」
ムルズと呼ばれた女傑は、あっけらかんと答えた。これに王子は、表情を変えずに「だよねー」と返した。
ムルズ・ガル・ディフィート。ラリス王国辺境伯の娘であり、僅か八歳で迷宮を単独踏破した生粋の戦闘狂。然る後、より規模の大きな戦いを求めて王の一党に加わり、以後はディミトリスの右腕として戦場を住処に生きてきた。
そんなムルズからして、馬上で怯える王子の心境は理解こそすれ共感のできない感情であった。
「アタシは好きで此処にいる。死ぬなら戦場でって決めてンだ。幸い、跡継ぎは育ってるしな。ようやっといつ死んでもいい歳になれた。お陰で心置きなく戦えるってもンよ」
「勇ましいこと。僕はいやだけどねー。こんな戦いなんてさ」
王子の瞳の奥底には、郷愁と諦観を主とした様々な感情が入り混じって沈殿していた。
この戦いに、勝者はいない。何度も何度も戦って、王子と彼女だけが生き残った。失った友人とは二度と会う事はできないのだ。
度重なる戦場を駆け、ディミトリスの精神は疲れきっていた。けれども身体は頑丈極まりなくて、それに引っ張られて心もギリギリで耐えている。
八割の義務感と、一割の愛と、もう一割のその他の感情によって。まだ戦えるから、戦っているに過ぎない。
「僕はね、家族と平和に生きたいだけなんだ。母馬のお産を助けて、仔馬の世話をして、時々妻と草原を駆けたいんだ。ああ、今すぐ会って、あのしなやかな身体にハグをしたい……。普通に生きたいんだよ、普通に」
「馬人にしか欲情しないのは普通ではないぞ」
「失礼な。天馬人も大好きさ」
夢心地に語る王子に、昔馴染みの戦友はぴしゃりと言った。この男、大の馬好きが影響してか、娶った妻は人間族の第一夫人を除いて馬人系で固めているのである。
付け耳や付け尻尾などをしてみても、馬人以外は全く股間にこなかった。人として愛しているのは確かだが、こればっかりはどうしようもない。繊細な性の事情故、現王である実父さえ何も言えなかった程である。
それでも王族の務めとして、他の妻に手伝ってもらって人間妻との営みもしてるあたり、戦い同様に仕事はしっかりこなす男だった。
「どうしてこう、強ぇ男ってなぁ難儀なもンかねぇ。人間とくりゃあ、誰かれ構わずおっ勃てるもんだろうに」
「どうしようもないよ。うん、どうしようもないのさ」
どうしようもない。それが、戦嫌いの第一王子の口癖だった。
ディミトリスは、ラリスの王の器ではない。少なくとも本人はそう自認している。なまじ能力と立場があるせいで、背負った責務を放棄できないでいるのだ。これまた、人並みに持った責任感によってである。
王家に生まれたから、どうしようもない。自分にしかできないから、どうしようもない。お勤めとあらば、最低限全力で。ある意味、不器用な真面目くんで、有能な怠け者なのだ。
「強敵からも政治からも逃げないあたり、戦士としての好感は持てるがな」
「苦手な野菜を食べる程度のお話さ。本音を言えば逃げたいよ、そりゃあね」
逃げ出した経験こそないが、常々逃げたいとは思っている。幼少の頃など、武術の鍛錬が嫌で仕方なかった。馬術の方は楽しかったので、バランスが取れて続けられただけだ。
ラリス王家は単なる世襲君主制ではない。最も力の強い王族が頂点に立ち、次代を残す。そうして築かれた血の成果が、ディミトリスなのである。
ただ、王の精神まで受け継がれる訳ではないあたりが厄介なのだ。それを想うと、現状では自分が国を治めるのが最も丸い。野心ではなく、諦観によってである。
「王位を継ぐってのも、どうしようもないからか?」
「ん、まぁね……。上の弟はアレだし、妹はおバカさんが過ぎる。で、下の子は……」
「お前以上の器だろう」
「でも本人は嫌そうだった。あんまりに可哀想じゃあないか。僕にとっての妻や馬が、今のあの子には無いんだから……」
人並みに責任感のある兄は、人並みに家族を大切に思っている。それは妻や愛馬だけではなく、血を分けた兄弟に対してもだ。
そんな兄からして、適性があるからという理由だけで玉座に縛りつけられるだろう弟を放ってはおけないのである。
これまた、ディミトリスには人並みの善性があるのだ。
「僕が十の頃なんて、戦に出る度に漏らしてたよ。それを、あの子は表情一つ変えずにやっちゃうんだもん。いやぁ格が違うよねー」
「では、在野から募るか? ちょうど、何人か英雄候補がいる。長じればお前を超えるかもしれない逸材もな」
「そしたら国が荒れちゃうじゃあないか。歴史の勉強は得意だったんだよ、僕は」
王子は英雄に期待しない。適材適所、国の危機を救うのは英雄ではなく王であると考えているからだ。
ただ強いだけの民を英雄なんぞに祭り上げるなど、どうかしている。世界の都合で動かされるのは、王という駒だけで十分だ。英雄なんてのは庶民の守護者が最適で、それ以上を求めるべきではないのである。
「どうしようもない。僕が頑張れば何とかなるんだから、何とかしようとしているんだ」
結局、そこに行きつく。
所詮、自分は馬が好きなだけのおじさんだ。前途ある若者へはせめて今より良い時代を届けてあげるのが善き馬おじというものだろう。王位も栄誉も戦いも、そういう負債は適者が務める。
ディミトリスにとって、世界平和の維持は単なるお仕事の一環であった。槍を振るのも鍬を振るのも変わらない。むしろ、真に世界を回しているのは農のできる民なのだから、統治者なんてそれほど偉くないとさえ思っている。
「けど、槍働きに相応の見返りは欲しいよね。砦には何がある?」
「淫魔王国産の馬乳酒がある。お前の我儘で作らせた、お前しか飲まん酒がな」
「お、いいね。帰ったら一杯やろうか」
言いつつ王子が振り返ると、そこには今代の戦友達が揃っていた。
眼帯を付けた寡黙な男に、笛を抱えた魔族の女。大弓を持った森人男に、杖をついた翼人女。
戦いを前に、彼等には余裕があった。頭目であるディミトリスへの信頼故である。
「皆もどうだい?」
王子からの呑みのお誘いに、一党員は各々返答した。残念ながら、馬乳酒は不人気だった。
弛緩と緊張。もうそろそろ、腹を括らないといけない。見れば、騎士団も陣形を整え終えていた。
「さてと……」
そうして弱みを吐き切った王子は、深い呼吸と共に瞑目した。
瞼の裏で思い返すのは、かつての仲間達の姿だ。魔物と相打ちになって散った勇士。退路を作る為に死んだ初恋の女性。王子を助ける為に、孤軍奮闘した忠義の騎士……。
ぶわり、可視化される程の魔力が湧き上がり、彼のマントを舞い上げた。
覚悟を決め、目を開けたディミトリスは、紛れもない王の瞳をしていた。
「じゃ、行こうか」
圧倒的な王気が放たれる。絶対的な強者の圧が、軍勢の士気を上げていく。
王の一党に加え、総勢百の精鋭騎士団。後詰の兵は砦につき、ディミトリスの勇姿を見届けている。
視線の先、地平線で途方もない数の影が揺らめく。
迷宮の主が両手の指では足りないほど。二つ名付きの姿もある。最も危険なのが、群れの中心にいる山の如き巨獣。
誰か何かに率いられるように、奴等は真っすぐ砦を目指していた。一匹でも逃せば、背後の街が焼け野原だ。
「作戦は伝えた通りだ! この変態王子をあのデカブツへお届けする! あとはこいつが何とかしてくれる! 気合入れろォ!」
女傑ムルズが群れに吠えると、此度の戦友は威勢の良い返事をした。
第一王子ディミトリス。人徳においては兄弟随一の逸材であった。
「変態とは不敬な。ここが王都だったら打ち首だよ、打ち首」
冗談めかして返す王子に、馴染みの仲間の顔に笑みが浮かぶ。
今日で死ぬかもしれないが、今日死ぬつもりは毛頭ない。当然、皆を死なせる訳もなし。死んでたまるか、死なせてやるか。あいつを殺して、生き残る。
勝って帰って、妻と一緒に過ごすのだ。
「目標、人類の脅威……」
高らかに、王子が槍を掲げた。騎士団の中心にいた指揮官が身構える。
それから、迫りくる影の列へ切っ先を向けた。
「出撃!」
駿馬が駆ける。一番槍、それこそラリス王家の本懐だ。
追随する一党の精神は、王子の背中を見て燃え盛っていた。
研ぎ澄まされる意識の中、ディミトリスは思う。
戦いは嫌いだ。何が楽しくて、死ぬかもしれない行為をしなきゃいけないのだ。痛いのも嫌だし、痛い思いをさせるのも御免だ。
けれど、血の運命か。百戦錬磨の王子は、戦の高揚を否定できなかった。
今はただ、魂の猛りに身を任せた。
〇
人類生存圏外、最北西。
名残雪が残る地に、夕陽の赤が沈んでいく。そこに、長い影を重ねた集団の姿があった。
王国騎士の旗が揺れる。張られた陣幕内にはローブ姿の魔術師が多く、彼等はキビキビと規律正しく行動していた。
騎士団は陣幕の出入り口を往来し、地平線を望める場所で土木作業をしていた。戦士は黒い棺桶を運搬し、魔術師は等間隔に並べられた棺桶の中心で祭壇らしき台座を造っていた。
熟練した魔術師であれば、その祭壇が大規模魔術の発動媒体である事が分かるだろう。これからこの場所で、広域殲滅魔法が使用されるという証左だった。
そんな慌ただしい陣幕の中に、一際大きな天幕があった。
豪奢な天幕の入り口には、屈強な護衛の姿があった。それだけで、この中にいる者の身分が分かるというもの。
魔道具知識の粋を集めて作らせた天幕は、内側の音を漏らさない。例え、如何なる冒涜がなされようとしていても。
夜を待たずして、その天幕の内にはどす黒い闇が満ちていた。
薄暗い魔導照明の下、二つの影が重なっていた。人間の男と、天使族の女である。
肉を打つ音。水気を伴う擦過音。断続的な打撃音。凡そ、男女の営みとしては無機質に過ぎる光景であった。
影の一方、虚ろな表情をした男は、黙々と女天使の顔面を殴り続けていた。
その拳には粘着質な血液がこびりついており、振るわれる度に女の顔の中身が露出していた。
元よりそうであったように、無抵抗に殴られ続ける女天使の美貌には不自然な程に生気が無かった。
どれだけ傷つけられようと、種族的特性によって天使族は瞬時に回復する。顎が外れ、歯が折れ飛び、眼球が破裂してもなお、拳が離れた瞬間には元通りなのだ。
痛みはあるはずだが、それを感じている風はない。間違いなく死に向かっているはずだが、怯える様子もない。対し、男もまた淡々と女の生命力を削り取っていた。
幾度目かの打擲、ようやっと天使の再生が遅延する。この女はそろそろ死ぬ。死の境界線が見えて来ると、萎えかけていた男の矜持が硬くなった。
暴力のペースが速くなる。使い心地が良くなった。手加減ができなくなり、とうとう頭蓋骨にまで穴を開けてしまった。飛び散った脳漿が男の頬に付着する。
女の魔力が消えかける。男は女の細首に手をかけ、ゆっくりと力を籠めた。
やがてコキりと音が鳴り、人形めいた天使は呆気なく息絶えた。
同時、男は上り詰めた。ほどほどの快楽と、飽きはじめてきた満足感。結局のところ、暇つぶし以上の行為にはなり得なかった。
事を終えると、男は天使だった物の姿勢を整えてやり、躯に対して【保存】の魔法をかけた。
それから、硬くなった躯の腹に腰を下ろすと、男は一息吐いた。まだ、外の準備が整わないらしい。
そして、不愉快な魔力を感じ取り、忌々しげに口を開いた。
「……覗き見とは、随分と高尚な趣味だな」
「申し訳ありません、盛り上がっていたようですので……」
虚空に向けて吐き捨てると、物陰から滲み出るように一匹の黒猫が姿を現した。
それは人語を操る猫であった。闇の中、黄金の瞳が浮かび上がる。
「国民のお金だというのに、随分と雑に扱いますのね」
「民草の戯言など、知った事か。それにいくらでも作れるだろう、この程度の粗製天使……」
死骸となった天使の翼を引き千切り、男は女の残り香を嗅いだ。
死んだ匂いがする。男は何にも代え難い安心感を得た。
「何故ここに来た?」
羽根を捨て、男は葉巻を取り出し、指先に灯した魔法で火を付けた。
無詠唱に加え、卓越した制御技術の賜物だった。男が並みの魔術師ではない証左である。
天使の躯に座し、裸の魔術師は黒猫と向き合った。
「話せ」
絶対的な王の下知。圧するでもなく、構えるでもなく、男の声は上から降りてきた。
闇よりもなお暗い、妖しい美貌の男だった。紫紺の髪に、夜色の瞳。怜悧な眼光はごく当然とした酷薄さを湛え、無防備な佇まいには強者としての自負が満ちていた。
白磁のような肌は返り血による斑模様で彩られ、しかしそれは汚れというより色気を増させる為の化粧のようであった。
「ええ、ヴァシリゲス様……」
彼の名は、ヴァシリゲス・アレクシスト・ジラリス。
ラリス王国の第二王子にして、ディミトリスの弟。当代において、最も多くの魔物を屠った個人。
人類最強の魔術師である。
「まず、地下の件についてですが……」
それから、人語を介する黒猫は、淀みなく現状を報告していった。
対し、王子は聞いているのかいないのか、虚空を眺めながら煙の味を楽しんでいた。
「最後に、リンジュで末妹が殺されました。在野の銀細工に」
「ふぅん……?」
黒猫の言葉に、ヴァシリゲス王子はここで初めて反応した。
僅かに混じった苛立ちが魔力に乗って放散される。それにより、黒猫の輪郭が飴細工のように歪んだ。
「ブツは手に入れたんだろうな?」
「九割は。ですが、本人の予備複製を更新していなかったので、蓄積された式は五十年前のものになります。今から復活させたとしても、尋常な手段では間に合わないでしょう」
「それはどうでもいい。できるか、できないかだ」
「代案はございます」
「ならいい……」
男は躯の上で脚を組み替え、改めて黒猫と視線を合わせた。一見、見下ろす強者と見上げる弱者に見える。それは半分正解で、半分不正解であった。
男の右眼が黒猫の目を射抜く。淡く発光する瞳には、猛獣のような凶暴性が潜んでいた。
「そんなつまらねぇ事を言う為だけに、此処に来たって訳か」
男の右眼の光が増すと、黒猫の身体はドロドロと溶けだした。やがてヒトガタを取ったそれは、崩れる泥人形を巻き戻すようにして黒髪の猫又美女の形を取った。
「もう、それなりに気に入ってましたのにニャ~……」
言いつつ、猫又美女は影を掴む動作をすると、まるで闇を纏うように同色のドレスを身に着けた。
ドレスの背後には、通常の猫又族にあるはずのない
「疾く去れ、次はお前の魂を
「まぁ怖い……」
お道化てみせた猫又は収納魔法に手を沈めると、中から長方形の木箱を取り出した。
封印紐を巻かれているにも拘わらず、木箱からは棘々しい負の魔力が漏れていた。葉巻を捨てた王子は手渡されたソレを手に取ると、木箱の中を検めた。
そこにはリンジュ様式の巻物が入っていた。王子は触れるまでもなく気づく事ができた。巻物の素材は、人間の顔の皮だった。恐らく、成人前の少年の。
「
「効果は……ふむ、なるほど」
左眼が光り、巻物を見分し終えた王子は納得の声をあげた。
既存の魔法でも呪術でもない、有用な武器に成り得る代物だった。同時に、王子はこの巻物の弱点をも見抜いていた。
もし、これが量産できれば、ヴァシリゲスの目標に一歩近づく事ができるだろう。
「量産は?」
「末妹が死んだとお伝えしたはずです。ご入用ですか?」
「蘇らせろ。材料は追って寄越す」
「ありがとうございます。では、私はこれで」
言って、満足げな笑みを浮かべる王子に背を向け、猫又美女は階段を降りるように影の中へと沈み込んでいった。
猫又の気配が消えた頃、王子は魔封巻物を自身の空間に収納すると、獲物を見つけた餓狼のように歯を剥いた。
「待ってろよ、腐れ外道共……!」
ラリス王国第二王子、ヴァシリゲスは思う。
この世界は、どいつもこいつもクソばかりだと。
気弱で軟弱な兄、愚昧で愚鈍な妹。思考停止した父親に、日和りきった貴族共。
そして、唐突に現れた忌々しい弟。聖王子などという、過去の遺物の紛い物。
「早く来てくれねぇかなぁ」
来るべき大災厄。王子はそれが、待ち遠しくて仕方が無かった。
ヴァシリゲスは、自身を綺麗好きな気質だと思っている。
気分的には、大掃除の前日といった感じ。
一刻も早く、自分の部屋を掃除したくて堪らないのである。
あの日、禁書庫で見せられた歴史書の挿絵。
禁忌魔術の発動、その顛末。
素晴らしいものを見て、幼少の第二王子は……。
生まれて初めて、勃起したのである。
〇
「ん?」
空飛ぶヘラジカの上で、イシグロは違和感を覚えた。
誰かに名前を呼ばれたような、そうじゃないような。これが誰かが俺の噂をしてる、とかそういうのだろうか。
皆を見てもそんな感じじゃないし、気のせいだろう。分からない事を気にしてもしょうがない。次の瞬間には、イシグロの興味は別のところに移っていた。
「おっ、ラピュタ発見。あれ? でも前はもっと北側になかったっけ?」
「聖輪郷は常に動いているのよ。強い種族に狙われないようにね」
「相変わらずエリーゼは天使族に辛辣ですね」
「天使族のぅ。リンジュでは見た事ないのじゃ」
「天狗と天使って似てるッスよね。どっちも翼あるし」
「お互いの種族の前では言わない事ね。こんなのと同じにするなって……ふふっ」
「異世界ブラックジョークか。気を付けよう」
空の上での、和やかな会話、
こうして、イシグロ達は次の街へと飛んでいくのであった。
世界の外側の裏事情など、この男にとっては心底どうでもいい話であったとさ。
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ラリス王国は他にも大量のしくじりをやらかしています。
魔物と友達になろうとした奴とその支援者のせいで何個か街を失ったり(以降、魔物融和路線を唱える人は問答無用の極刑扱いです)、宗教組織を自由にさせてたら暴動が起きて危うく滅びかかったり(全ての宗教組織を根絶やしにしました)、レベルアップポーション作った結果廃人を量産したり(禁忌指定しました)。
結果として、今のラリス王国があります。イシグロが転移してきた現代が一番安定しています。