【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚   作:いらえ丸

146 / 322
 感想・評価など、ありがとうございます。お陰でモチベを維持できます。
 誤字報告もありがとうございます。感謝です。
 キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。


ロリ越の祓

「ありがとうございました」

「うっす……」

 

 夕方頃、いつもの転移神殿で本日最後の訓練相手とお別れする。

 彼は別の街を拠点にしている銀細工持ち冒険者で、俺との手合わせの為にはるばる王都まで来てくれたらしい。

 

「ぶっちゃけ、勝てるとは思ってなかったのじゃ……」

「何を言っているの? 今の貴女は十分強いのよ」

 

 結果、当初イキり散らかしていた彼はイリハ含む全員に分からされる事となった。肩を落として去る背中は、ギャンブルでボロ負けした後のように煤けていた。

 本当に、イリハは強くなった。これは偏に彼女の努力の成果である。

 

「あー、イシグロ、ちょっといいか?」

「はい、何かありましたか?」

 

 依頼についての報告を終え、さて帰ろうとなったところを受付おじさんに呼び止められる。

 

「お前に客だ」

 

 何の用かと思っていると、おじさんは俺の背後を視線で指し示してきた。

 振り向く。視線の先には、陰陽術師風の装備を身に着けた狐人の男がいた。身なりは術師っぽいが、その腰には太刀がある。イリハと同じ退魔士だろうか。

 目が合った狐人退魔士は、一度目礼した後に俺達の方に歩み寄ってきた。

 

「お初にお目にかかります。私はリンジュにて金細工を授かった者で、名をシラヌイと申します」

 

 そう言って会釈した彼の髪は、イリハと同じ桜色だった。同じく、その身からはイリハに似た質の魔力を感じる。この人、たぶん天狐だ。

 目が合う。彼は糸のように細い目をしていた。その口元は柔らかく持ち上がり、温和な印象を与える。姿勢から何から、質の高い教育を受けている事が察せられた。

 

「イシグロと申します。見ての通り、ここ西区で迷宮探索をしています」

「お噂はかねがね。桜闘会でのご活躍は聞き及んでおります。早速ですが、少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか? どこか、落ち着ける場所で……」

 

 僅かに、その視線がイリハへと移る。目を向けられた彼女は僅かに身体を震わせていた。

 シラヌイさんの物腰は丁寧で、いち冒険者に過ぎない俺に対しての軽侮は感じられない。キツネ面のように細い目は、俺という個人を真摯に見つめていた。

 だからといって、胸襟を開く気にはなれない。リンジュの金細工で、天狐の客人。極めつけにイリハに用があるときた。トリプル役満である。間違いなく、アレ関係の厄介事だ。ぶっちゃけ面倒だし、関わり合いになりたくない。

 とはいえ、今ここで逃げるのが悪手な事くらい俺にも分かる。

 

「わかりました」

 

 とにかく、話くらい聞くだけ聞くべきである。

 俺達は転移神殿を離れ、冒険者御用達の酒場へと向かった。以前、エリーゼとのデートに使った店である。騒がしい店だが、二階席なら問題ないはずだ。

 

 店の扉を潜ると、冒険者達の視線が突き刺さった。店内にはリカルトさんや元童貞魔術師君といった顔見知りの姿もあれば、休憩中と思しき衛兵達も居てビールなど呑んでリラックスしていた。

 なんで酒場に衛兵が? と、ちょっとビックリしたが、まぁ警察官がコンビニに寄るような感覚だろう。むしろ、今ここに衛兵が居てくれるのは好都合だった。こういう時、他人の視線は武器になるのだ。

 

 二階に行き、二組に分かれて着席する。俺とイリハが隣り合って座り、シラヌイさんと対面だ。彼の後ろのテーブルにルクスリリア達が座し、いざとなったら挟み撃ちできる状況を形成する。

 地の利を得たぞとなったのは確かだが、異世界常識的にこれはスゴイ・シツレイにあたる行いである。言外に「お前信用できねぇわ」と言っているのだ。実際、警戒心はマックス一歩手前である。

 対するシラヌイさんはというと、ごく平然とした面持ちで飲み物を注文していた。俺達も適当に注文する。シラヌイさんはリンジュ茶で、俺達はラリス・ティーを頼んだ。

 

「改めまして、シラヌイと申します。先ほども申し上げた通り、リンジュ共和国にて金細工を授かった者でございます。この度は貴重なお時間を頂き、誠に有難う存じます」

「いえ……」

 

 お茶が届いた後、堅苦しい挨拶を交わす。まだるっこしいので、さっさと終わらせる事にした。

 そうして一通りの挨拶を終えると、彼は朗らかな印象の糸目をイリハに向け、世間話でもするように口を開いた。

 

「それと、末席ながら私はリンジュカナエの姓を継いでおります。イリハ様の遠い親戚にあたりますね」

 

 彼の言葉に、イリハの耳がピクリと震えた。見れば、イリハは無に保っていた表情を崩し、何か苦いものを飲み込んだように眉根を寄せている。

 リンジュカナエとは、イリハの母が捨てさせられた苗字である。要するに、リンジュ共和国を建国した九尾の末裔を意味する名前なのだ。

 つまり、シラヌイさんの正体は、予想通りあの家の使いという事になる。

 

「市井の者たちからは、枝の家と呼ばれたりもしますね」

 

 そう言って。シラヌイさんは僅かに微笑を深くした。

 枝の家とは、この世界流の分家の蔑称である。シラヌイさんの言う枝とはつまり、今現在九尾の末裔を名乗っている家の事だ。

 

「で、その枝の方が何用ですか?」

 

 ぶっちゃけ、いつか来るだろうとは思っていた。なので、もしもの時の対処法は予め決めてある。今の俺にはライドウさんのお墨付きと、第三王子の後ろ盾があるのだ。大きすぎる虎の威である。恐れるモノなどあんまり無い。

 なので、あえて汚い物言いをしてみたのだが、シラヌイさんは変わらず薄い笑みを浮かべ続けていた。

 

「そうですね。単刀直入に申しまして、本日はイリハ様の身請け交渉に参った次第でございます」

 

 これも予想通りだ。驚きはなかったし、怒りや憤りといった負の感情も湧いてこなかった。

 けれども、我知らず俺の思考回路は迷宮用のソレへと切り替わっていた。

 

 イリハの身分は借金奴隷である。所有者の了承があれば、借金奴隷は金銭による譲渡が可能だ。彼の申し出は、ラリスでもリンジュでも全く以て合法である。

 こうなった時の事を、考えていないはずがなかった。ホウ・レン・ソウ。皆と相談し、イリハの意思も確認済み。だからこそ、迷いなく返答できる。

 

「お断りさせて頂きます」

 

 当然、一も二もなく断る。俺は主人らしく毅然とした態度で応えた。

 対し、シラヌイさんはなおも表情を変化させなかった。さも、織り込み済みであると言わんばかりに。

 

「左様にございますか。ですが、これは九尾の血族に関わる事。一度、私の話を聞いては頂けませんか?」

 

 シラヌイさんはなおも真摯な態度を維持している。

 思ってたより、穏便だ。イリハとアイコンタクトを行い、俺はシラヌイさんに話を促すよう頷いてみせた。彼は軽く礼を言った後、真剣味を増した声音で話し始めた。

 

「現在、我が九尾家は苦しい立場に立たされております。表向きは健在であるかのように見せていますが、実情はその真逆なのです」

 

 そうして語られたのは、崩壊を前にした枝の家の惨状だった。

 曰く、本家を乗っ取った枝の家は戦から離れて久しいのだという。血統を背景にした婚姻政策で立場を固め、蓄えた財力で土地を転がし、あの手この手で権力を維持してきた。各勢力に影響力を持つ重鎮。それが九尾の枝である。

 そんな名家が、間もなく滅びるというのである。誰あろう、堪忍袋の緒が切れたラリス王家によって。

 

「凡夫極まる当主。口だけ達者な家老共。城から出た事のない軟弱な姫様方……。過去の栄華を笠に着て、その血の務めを果たしていない。現状を鑑み、とうとうラリス王家は粛清を決意したそうです。その情報を掴んだ頃には、既に遅きに失していました。多少の反発など、災厄を前にしては些事と言えるでしょう……。そもそも、発端は内部からの告発だったのですから、むべなるかなという話でございます」

 

 以前、リンジュを発った時に、ライドウさんはこう言っていた。「詳細は言えないが、既に枝の家は脅威ではなくなった」と。なるほど、そういう事だったのか。

 俺視点、内政干渉どころの騒ぎじゃあない気がするのだが……いや、今はいい。

 

「人類生存圏外、北東最前線の維持。宗家を含めた一族は、ラリスを後ろ盾にした議会からこのような命令を下されました。恐らくですが、無駄な抵抗をさせぬように一人一人別の砦に送られる事でしょう。罪人のように、死ぬまで戦わされるのです」

 

 言葉の内容とは裏腹に、彼の声音は平坦だった。それどころか、僅かに笑みを深くしているようにさえ見える。

 

「私とて、苟も金細工を授かった身。当主の代わりに、圏外で戦った経験がございます。その凄惨さは、今でも明瞭に思い返す事ができます。この世に地獄があるとすれば、きっとあのような景色なのだろうと。そう思える戦でございました」

 

 その時、シラヌイさんの糸目が僅かに開かれた。

 輝きのない、人形のような瞳。薄い微笑が何を隠していたのか、あまりにも明白だった。

 

 つい、先月の事である。

 異種間交流会にて、俺は貴族子息のミラクムさんと知り合いになった。貴族と平民という立場の差こそあったが、あの時俺は彼から色んなお話を聞く事ができた。

 曰く、ラリス貴族は戦死者だけが故郷の墓に名を刻む事ができるらしい。そして、長兄の名が刻まれた墓を見て、ミラクムさんはいつか自分もそうなりたいとキラキラした目で語っていた。

 はっきり言って、少し怖い価値観だと思った。ラリス貴族はガチで誉れ第一主義なのか、それともナチュラルボーンヒーローなのか。俺のような凡人には、全く以て共感できない感覚だった。

 

「御当主様は憤慨しているご様子でした。しかし、圏外戦を経験した私には、穏健派の多くがラリス王家を尊崇する気持ちが理解できるのです。彼等はこの世界の誰よりも多くの戦場を駆け、誰より多くの土地を守っているのです。それに比べて……申し訳ありません、話が逸れました」

 

 そんな国家だからこそ、ラリス王国がこの世界の中心たり得るのだ。

 共感できない価値観なのはその通りだが、それを実践している貴族や王家はリスペクトできる。否、感謝しているのだ。

 どんな理由や思惑があったとて、人類の未来の為に戦った人達は誰であろうと偉大な英霊なのである。

 

「かの国が動いたと同時、銭で繋がっていた他家は我が家から離れていきました。また、先んじて逃亡した家老の家は、全員捕縛され後々に罪人として処刑されるそうです。国内の味方はいなくなり、三勢力も決断済み。既に、八方ふさがりでございます」

 

 先祖代々、積み重ねてきた怠惰の罪を当代の九尾一族が償う。

 その構図は、現代日本を生きてきた俺からするとラリス貴族の価値観と同じく共感し難いものだった。

 けれど、共感はできずとも理解はできる。

 

 リンジュの名家にとって、人とは即ち家の一部であり、積み重ねてきた家の歴史はそのまま人が背負うものなのだ。例えそれが、その人とは無関係の罪であっても。

 とはいえ、これは証拠も分析も不十分な浅い憶測である。今の九尾がどう思っているかなど、分かるはずもない。ただ、今こうしてイリハの身請けを打診してきた事実だけが確かだった。

 

「女子供を含め、少しでも力がある者は全員が死地に向かわされます。残されるのは物心つく前の幼子と、ほんの僅かな下人のみ。戦功あらば帰国できるとのお話でしたが、迷宮に潜った事もない御当主様がどうして生きて帰って来れましょうか。こればかりは、もうどうしようもありますまい」

 

 話し終え、元の表情に戻ったシラヌイさんは、改めてイリハを見つめていた。

 ここからが本題とばかりに、彼はリンジュ茶で唇を湿らせた。

 

「イリハ様、貴女には復興の旗頭になって頂きたい。今一度、始祖の理念に立ち返り、新たなる九尾となられませ」

 

 そうして、彼は深々と頭を下げた。

 破滅した後の家を建て直す為、イリハに当主の座に座ってほしいというのである。

 俺は、湧き出そうになった感情を強いて押さえ込んだ。イリハより先に、俺が冷静さを失う訳にはいかないからだ。

 

「私には、今年で三歳になる息子がいるのです。あの子が生まれた家は穢れていようと、これから生きる家には希望が必要でございます。イリハ様、貴女こそ真の九尾に相応しい。どうか、次代の子等を導いて下さいませ」

 

 頭を下げたまま、彼はこのように言って話を終えた。

 最後に来たのは感情論だった。小さく息を吐く。胸に沈殿する嫌なものを追い出す必要があったからだ。

 何とも、小賢しいとか思ってしまう。

 

 まとめると、こうだ。

 怠け者だった枝の家は、親分の怒りを買って赤ちゃん以外一族郎党圏外送りで実質死刑。助けてくれる友達もいないので、もうどうしようもない。

 で、始祖に近い存在である――と、最近判明した――イリハに新生九尾になってもらい、衰退したお家を再興してほしいのだと。

 

「イリハ」

「うむ」

 

 これに答えるのは、イリハ当人が相応しいだろう。

 俺は……否、俺を含めた我が一党の全員の意思は、今よりずっと前に決まっている。

 

「お主の話は聞かせてもらった。返答の前に、いくつか問いたい事がある」

「何なりと」

 

 言葉を紡ぐイリハの声音は平常で、その面持ちも常と大きな変化はなかった。

 そんな中、淡く輝く始祖の瞳が、眼前の天狐を見定めていた。

 

「仮にわしが当主になったとして、その先はどうすればよいのじゃ」

「婿を取られませ。それについては、此方に用意(・・)がございます」

「そうか」

 

 イリハの問いに、シラヌイさんは淀みなく答えていた。

 そんな彼に、俺は微妙な違和感を覚えた。

 

「もう一つ。見ての通り、わしのナリはこうじゃ。婿を取るにしても、子など成せようものかのぅ?」

「九尾の家には秘伝の房中術がございます。いざとなれば、妾を使()えばよろしいかと」

「そうか」

 

 二回目の違和感。ここで、俺はシラヌイさんに対して覚えた違和感の理由に見当をつける事ができた。

 

「最後に、一つ」

 

 ここにきて、イリハの表情が変容した。

 常のロリフェイスから、かつて遺宝の処遇を決める際に一度だけ見せた上位者然とした面構え。

 尊い血統を表すような、冷酷な双眸が枝の狐を見下ろしていた。

 

天之鏡(アマノカガミ)は、わしが持つ事になるんかのぅ?」

 

 最後の問いに、シラヌイさんは返答をしなかった。

 いや、できなかったのかもしれない。まるで、何も聞こえていなかったかのように、彼は人の良さそうな笑みのまま口を噤んでいた。

 暫く後、彼の薄い唇が僅か開いた。

 

「天之鏡は紛失したと伺いましたが……」

「……お主、嘘が下手じゃのぅ」

 

 上位者の面のまま、イリハは嘆息するように呟いた。

 天之鏡とは、九尾の遺宝で最も価値ある物の一つである。過去、イリハはそれを蔵強盗によって盗まれたのだと思っていたらしい。

 だが、今はそう考えてはいないようだった。

 

「おかしいと思ったんじゃ……。母上の結界術は血統に根差した特殊な術式じゃった。改めて陰陽術を学び直したから分かったんじゃが、アレは九尾の者にしか開けられぬ仕組みだったのじゃ。例え銀細工持ちの忍でも、仮に金細工持ちの陰陽術師であっても、あの蔵から宝を盗むなんて不可能なんじゃよ」

 

 そうして、イリハは汚泥を見下ろすような表情で、どうしようもない推論を吐き捨てた。

 

「遺宝を盗んだのは、お主等……枝の者じゃな」

 

 沈黙するシラヌイの表情は、なおも薄い笑みのままだった。

 まるで、仮面でも付けているような、感情の窺えない顔。否定も肯定もしていない。どうあれ、彼の立場からしたら何も言えないだろう。

 

「万が一にも敵派閥の家に疑われぬように、買取予定だった商人共に手を回して真に価値ある遺宝のみを盗んだ。他の宝はあえて市場にバラまかせ、モノによっては後から回収すればいいと踏んで……。正規の手段で購入すれば、誰も文句は言えんからのぅ?」

 

 それは修行を続ける中、彼女自身が思い至った事だった。

 如何にイリハの母が偉大であったか。母と枝がどんな関係であったのか。それを誰よりも知るイリハだからこその気づきだったのだ。

 所詮、取り返しのつかない過去の話である。それを聞かされた時も、どうしようもないと諦めていた。例えそれが事実でも、彼女は報復は望まないと言っていた。

 ただ、事実を確認したかった。それだけの問いだったのだ。

 

「……前御当主様の真意は、私には測りかねます」

「で、あろうのぅ」

 

 つまり、こうだ。

 母の死後、本命の宝だけを回収し、他は口止め料として商人に譲った。独占しなかったのは枝の家に捜査が向かわないようにする為。

 何故、金持ちなはずの枝の家がイリハの母と正規の取引をしなかったのか。それは分からない。あるいは、できなかったのか。ともかく、母を亡くし失意に落ちたイリハを貶め、彼女を奴隷の身に落とした者に、今こうして改めて確信を深めたのである。

 末裔のイリハを確保するなり殺すなりしなかったのは、事情あっての事なのか無関心故なのか。もしくは、いざという時の為の保険だったのかもしれない。シラヌイの言う事が正しいなら、その真意は先代当主だけが知っているらしい。

 とはいえ、全ては終わってしまった話である。それが事実であれ、間違っていたとして、これはもうどうしようもない過去に過ぎなかった。

 

「さて、お主の申し出に返答をするかの。結論から言うとな……」

 

 フンと鼻息ひとつ。

 イリハは、冷たい始祖の眼を光らせ、吐き捨てるように云った。

 

「断る。どうでもよいのじゃ、そんなのは」

「それはっ……?」

 

 シラヌイは糸目を開き、小さくなった目をイリハに向けていた。

 ここにきて、分かり易い表情をしていた。「こいつは何を言ってるんだ?」って感じの顔である。

 

 そう、これだ。俺が抱いた違和感の理由が、この表情の変化に表れている。

 恩とか情とか恨みとか。例え実家に対してどんな感情を抱いていようと、この人はどこまでいっても旧家の価値観で生きる狐人なのだ。

 だから、イリハ自身の境遇に合理的な配慮こそすれ、真に彼女の心を慮る事ができない。自分がそうであるように、九尾の末裔たるイリハにも同じように判断する事を望んでいる。否、当たり前にそう考えるだろうと思っているのだ。

 

「……イリハ様、貴女が九尾最後の末裔でございます。このままでは、リンジュ始まって以来続いてきた護国の名家が滅びてしまいます。それで、よろしいというのですね?」

「くどい。そもそも血が繋がっとるというだけで、会った事も行った事もない親戚の家の為に動く事などできる訳なかろう。恨みこそあれ恩義などあるかって話じゃ。どだい母上が嫌っとった家をわしが好く訳がなかろうに。なにを、今更」

 

 じっと黙り込むシラヌイを前に、イリハは朗々と言葉を継いだ。

 

「何もかも、お主等は最初から履き違えておるのじゃ。歴史ある家だから尊いのではない。強き血そのものが尊いのではない。真に尊いのは、人の輪を成し国を興して民を育んだ始祖九尾の心じゃよ。美しいから、役に立つからと物に執着するような旧家など、墜ちて然るべき遺物に過ぎぬ……!」

 

 話しているうちに昂ってきたのか、普段完璧に制御されているはずのイリハの魔力が乱れ始めた。

 そして、それは九尾の象徴として、一つ一つ現出していった。

 

「血統も……」

 

 イリハの背で、三本の尾が揺れる。

 

「九尾の家も……」

 

 六本に増え、

 

「空虚な言葉で、貴様の讃する全てが……」

 

 やがて、イリハは九尾の狐へと姿を変えた。

 

「無価値じゃ」

 

 淫魔女王や第三王子といった、真正の上位者だけが放つ特有の圧。

 それを、今のイリハは眼前の狐人に向けていた。

 眼を見開いたシラヌイの額に、一粒の汗が流れた

 

「痴れ者め。二度とその(つら)見せるでない」

 

 眼前の天狐は、真に始祖の力に圧倒されていたのだ。

 やがて、その顔は常のキツネ面めいた表情へと戻っていった。

 

「そう、ですか」

 

 イリハ当人から否を突き付けられたシラヌイは、いやに冷静だった。

 先ほどの進言も演技だったかのように、そこに落胆や失望の念といった感情は見受けられない。

 

「私もそう思いますよ」

 

 彼は、笑っていた。

 イリハの言う「無価値」という評に心底同意して、腑に落ちたと言わんばかりに。

 それから、シラヌイは九尾のイリハを見つめ、喘鳴のように喉を震わせた。

 

「私は……私の意思で武技を修めてきた訳ではございません。全て、命じられたからというだけに過ぎぬのです。上の者の尻拭いをする為に、惨たらしい屍山血河を築いて参った。お家の為と、汚れ仕事も請け負った。汚濁に満ちた悍ましき凌辱をさえ、私は見逃してきたのです……」

 

 血を吐くような独白には、これまで積み重ねてきたのだろう様々な激情が混ざり込んでいた。

 天狐の面を被りながらも、その口から漏れ出ているのはドス黒い怨嗟の煮凝りだった。そこに、先程までの誠実な忠臣の姿はなかった。

 

「武功が認められ、分家の出の私に本家の妻があてがわれました。美しい女でした。初めて抱いた女というのもあり、すぐに虜になってしまいました。しかし、あの女狐はとんだ淫売でした。今、奴の腹にいるのは、私の子などでは断じてない……。なにせ、奴とは一度しか交合しておらんのですから……!」

 

 徐々に、徐々に、彼の身体から得体の知れない狂気が染み出てきた。

 さっきまで騒がしかった酒場に静寂が落ちる。誰も彼も、異邦の金細工が放つ異様な雰囲気を察して沈黙していた。

 

「実の子も本家に取り上げられました。齢三つで尻尾が三つ。あまつさえ低級ながら魔眼持ちときた。末恐ろしい……種馬にでもするんですかねぇ? 先ほどはああ言いましたが、実のところ親子の情など無いのです。もう一年も顔を見ておりません。それ以前に、奴の股から出たモノと思えば汚らわしくって抱く気になれぬ……!」

 

 一度爆発しかけた激情は、やがて位階相応の理性で以て沈静化していった。

 しかしそれは負の感情を上から押さえているだけで、飲み込み切った訳ではない事は明白だった。

 

「ですが、こんな私にも貴ぶべき信条というものがあるのですよ。いいえ、そう刷り込まれているのです。呪われているのです。お分かりでしょう? 才ある旧家の子が、どのように教育(・・)されるか……」

 

 糸目が、開く。刀のように鋭い瞳が、俺の隣にいるイリハを睨みつけていた。

 

「御家は絶対。御恩は、返さねばならぬのです」

 

 瞬間、シラヌイは腰を浮かせ、刀の柄に手をかけた。

 けれども、迷宮帰りの神経には、それはあまりに遅すぎた。

 

「はい、そこまでッスよ~」

「遅いです」

「武器から手を離しなさい。然らざれば消し飛ばすわ」

 

 既に、彼の首筋には二つの刃が沿えられていた。ルクスリリアとグーラである。

 その後ろには、活火山のように魔力を噴出するエリーゼの姿。その手に握る王笏には、人を殺して余りある黒い稲妻が迸っている。

 

「そんな事をしたところで、何の意味も無かったでしょうに……」

 

 抜刀直前の姿勢で固まったシラヌイを前に、俺は思考より先に呟いていた。

 別に、彼に感情移入したとかではないが、それはそれとして可哀想な奴だとは思った。汚泥を啜り、恩の返済に追われ、あらゆる柵に雁字搦めにされた彼に対してそう思うのは、果たして傲慢なのだろうか。

 俺の隣では、冷めた目のイリハが八本の尻尾を納めているところだった。

 

「はは、はははっ……」

 

 シラヌイは笑っていた。横隔膜が震え、喉奥が鳴っただけといった風の、乾いた笑声だった。

 

「今、分かった。イリハ様、私は貴女が憎いのだ。九尾の血を引きながら、始祖の魔眼を持っておきながら、かつて私の欲した全てを何食わぬ顔して手にしておられる。貴女はずっと、惨めであれば良かったものを……! 何故、貴女だけが呪われていない……!? 何故、貴女の心は清いままなのだ……!」

 

 対し、イリハは無感動な眼を向けていた。

 柵越しに吠える犬を見るような、そういう視線だった。

 彼の眼を通して、イリハは自身の過去を見るでもなく眺めているのだ。

 

「哀れな男じゃ、ほんに……」

 

 小さな呟きを聞き、シラヌイは目を見開いた。

 眉間に皺。拡大した瞳孔。戦においては致命的な程に、体内魔力が揺らいだ。

 

「忌み子が……!」

 

 今度こそ、刀を抜こうとした。グーラの短剣が閃き、ルクスリリアの刺剣が突き出され、エリーゼが魔法装填を起動させる。

 その、寸前だった。

 

「そこまでッ!」

 

 店内に響き渡る大喝。その場にいた全員が一瞬ピタリと静止した。その間に、再度膠着状態が生まれた。

 次いで、一階で酒を呑んでいた衛兵達がずんずんと二階に上がってきた。さっきの声は少し豪華な鎧を着た隊長っぽい人か。

 

「はいはいそこまで! なに、衛兵の前でそれ以上やっちゃう訳? 頭からケツまで見させてもらったがよ? いやぁ、拙いなぁ! 拙い拙い! いくら他国の金細工でも、ラリスの法には従ってもらうぜ! おい、お前ら!」

「「「了解!」」」

 

 ルクスリリア達に目線で退くように言う。迅速に動いた衛兵たちは、あっと言う間にシラヌイを拘束した。

 不思議な事に、シラヌイは衛兵達に抵抗しなかった。取り上げられた刀を、他人事のようにボーッと眺めている。

 

「連れてけ」

 

 武器を没収され、鎖で捕縛され、前後左右を衛兵に取り囲まれて連行されていく。

 その最中、シラヌイは感情を吐き出しきった瞳で俺を見ていた。

 

「何故……」

 

 目が、合う。

 彼は、弱い瞳になったシラヌイは、小さく口を開いた。

 

「何故、私()を助けては下さらなかったのですか……?」

 

 返答する前に、彼は衛兵に連れていかれた。

 いやまぁ、する気もなかったけどね。ぶっちゃけ、そんな事を言われても困るってのが本音だった。

 勝手に期待して、勝手に失望する。そして期待外れだと喚いて恨むなど、現代日本でもありふれ過ぎたキッズ思考だ。そんな奴への対処法など、古今東西決まっている。

 スルー安定、この手に限る。

 

「いやぁ失礼しましたね。こっちは一部始終見てましたんで、事情聴取とかは大丈夫です」

「はい。ありがとうございます」

 

 そう思っていると、その場に残っていた隊長らしき人は俺に対して三回(・・)頬を掻きながら言った。

 あー、なるほど。この衛兵、第三王子派閥の人だったのか。

 

「彼はどうなるんでしょう?」

「さぁ? まっ、悪いようにゃあしないでしょう。うちの上司はああいう人がお好きでいらっしゃるので。では、自分はこれにて失礼」

 

 何となく訊いてみると、隊長は気楽そうな声音で言い切り、後ろ向きに手を振り立ち去って行った。

 再度、イリハを見る。彼女は手つかずの紅茶に映る自分を見つめていた。

 赤い水面の天狐は、憂いに満ちた瞳をしていた。

 

 これから、シラヌイという男がどうなるのかは分からない。

 感情移入などしてないし、今ここで俺が殺したところで、特に何も思わなかっただろう。

 けど、隊長の軽口には少しホッとする心地がした。

 

「すまんのぅ。変な因縁に巻き込んでしもうて……」

「いいんだよ」

 

 ただ、彼女の心境だけが心配だった。

 

 

 

 

 

 

 帰路。暗くなり始めた王都を俺達は並んで歩いていた。

 隊長の言った通り、あれから俺に事情聴取なんかがされる事はなかった。

 所詮、刃傷沙汰未満のいざこざである。相も変わらず、王都は賑やかなままだった。

 

「にしても、勿体なかったんじゃないッスか? イリハ、あれ受けてりゃあ奴隷から成り上がって当主様になれたッスよ~。出世も出世、大出世ッス!」

 

 そんな中、頭の後ろで手を組んだルクスリリアが気楽そうに言った。

 からかうような口調や声音とは裏腹に、その言葉は仲間の心境を慮っての問いである事は明白だった。

 

「出世のぅ?」

「ええ。家臣団に傅かれて、アレやコレや好きに命令できたわよ」

「毎日お寿司や天ぷらを食べられたかもしれません」

「それどころか、すんげぇイケメン侍らせて毎夜毎夜淫蕩三昧ってのもできたかもッスね!」

「そんなの、それこそどうでもいいのじゃ」

 

 便乗してきた皆に、イリハはあっけらかんと答えてみせた。

 尻尾が揺れる。誰でもないイリハの瞳が、愛おしげに一党の仲間を眺めていた。

 

「ご飯作って。掃除して。洗濯して……。好いた男子とまったり暮らす……」

 

 最後に、俺と目が合った。

 彼女の眼は少女然とキラキラ輝いて、モフモフの尻尾はご機嫌に揺れていた。

 

「そういう生き方のが、わしには向いとるのじゃ」

 

 そして、満開の桜のような屈託のない笑みを咲かせてみせた。

 一瞬、息が詰まる。可愛い、可愛すぎる。けど、ここでニヤつくのは空気が読めていないクソダサムーブだろう。

 

「俺も似たような感じかな」

 

 俺は、努めて紳士で真摯な顔を作って答えた。

 小さな手を握る。細く、柔らかく、艱難辛苦を乗り越えてきた手。

 俺は、そんな手の彼女だからこそ、こんなにも好きになったのだ。

 

「でも、なんだか今日は外食したい気分じゃの~。グーラじゃないが、寿司とか天ぷらとか食べたいの~」

「いいね、食いに行こう」

「あれ? 王都にリンジュ料理店ってあったッスか?」

「天ぷらは分かりませんが、寿司の匂いなら以前嗅いだ事がありますよ。こっちです」

「あら、そんなに急がなくてもいいでしょう?」

 

 そんなこんな、枝関連に決着をつけ……。

 こうして、俺達の日常は過ぎていくのであった。




 感想投げてくれると喜びます。



 現在、本作に登場するキャラクターを募集しています。
 ご興味のある方は是非、気軽にご応募ください。
 作者のやる気に繋がります。

https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=296177&uid=59551

https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=297167&uid=59551



 こっちも投げてくれると喜びます。

 X(旧ツイッター)はじめました。よければフォローしてやってください。
 更新通知とか、更新の予告とかします。

https://twitter.com/iraemaru



◆この世界の防御事情について◆

・防具は武器とは別カテゴリーで、頑強・魔防の能力補正が入る。
・高い頑強値を持つ戦士が高補正値の鎧を着た場合、ステータスを参照した防御補正を獲得する。気絶耐性やノックバック耐性など。魔防も同じく。
・逆に、頑強の低い戦士が高補正値の鎧を着ても、大して防御力は上がらない。
・防具に付与された補助効果はセット装備時のみ発動する。
・盾は武器カテゴリーだが、防具同様に頑強・魔防のステータス補正がかかる。モノによっては膂力・技量などの補正も加算される。
・盾は手に持って使わないと装備扱いがされない為、腕に括りつけても単なるオブジェクト判定がされて能力補正が入らない。
・高い頑強値の戦士が同じく高い頑強補正のある鎧と盾を装備した場合、かなりガチガチになる。しかし、あくまで人類相手で通用する防御性能である為、魔物や迷宮の主の攻撃を受け切るのは頑強特化ビルドでもかなり厳しい。
・魔物の攻撃は回避かジャスガが最適解なので、そもそも視野を狭める兜や関節可動域を狭める全身鎧は好まれない傾向にある。全身鉄の騎士甲冑より、胸当てや脚甲といった部分鎧がポピュラー。
・上記の理由もあり、この世界のタンク人口は極めて少ない。
・しかし、衛兵や騎士団といった対人・拠点防衛・集団戦・騎馬を重視する人達は冒険者より重装な傾向である。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。