【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚   作:いらえ丸

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 誤字報告もありがとうございます。感謝の極みです。
 キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。

 最後だけ三人称です。
 よろしくお願いします。


ロリの方舟

 第三王子からのお手紙は、俺とその一党員の召喚状だった。

 場所は止まり木協会の西区支部。この一件の指揮は、“翡翠魔弓”のアリエルさんが執る。現状を確認し、指示を仰ぎに行くのである。

 

 当然、当事者たるシャーロットも同席する。

 彼女の経緯と、彼女の持つ魔物の情報は既に伝達済みだ。その上で、共に向かうのだ。

 復讐の為に。

 

 

 

 雪を溶かし切るような晴れの日。俺達は正装を纏って止まり木協会西区支部にやってきた。

 念の為、俺は協会に寄付する体での来訪だ。此処なら、誰に見られても怪しまれない。

 いつになってもこういうのは慣れない。緊張しつつお邪魔すると、俺はVIP待遇で迎えられた。

 

「失礼します」

 

 そうして灰髪の森人に案内された会議室は、想像よりも質素だった。

 部屋にあるのは、木製の円卓と人数分の椅子。調度品の類いは最低限で、全体的に視覚からの情報量が少ない。

 

「よく来てくれた、イシグロ殿。礼は結構。座ってくれ」

 

 その中で、ただ座しているだけの上森人が自然に一等目を引いた。

 大きな円卓で、アリエルさんがゲンドウポーズを取っていた。黄金の髪に、翡翠の瞳。彼女こそ、ラリス王国にて遠隔最強の金細工と名高い冒険者だ。仙姿玉質ってやつだろうか、相変わらずの美人っぷりである。

 また、彼女の隣には以前ちょっとだけ顔を合わせた魔牛族の女性がいた。殿下直属の侍女で、名前は確かキルスティンさん。本日はメイド服は着ておらず、女性物の正装を着ていた。こっちはこっちで相変わらず胸が大きい。

 

「シャロ?」

「あ、いや、その……」

 

 円卓には合計九人分の椅子があった。アリエルさんとキルスティンさん。それから俺の一党でピッタリの数である。言われた通りに座ろうとすると、家からこっち緊張しきりだったシャロが固まっていた。ぽかんとした彼女の視線は、ザ・眉目秀麗といった風の上森人に向けられている。

 曰く、上森人(ハイエルフ)森人(エルフ)は貴種と平民に近い関係性らしい。竜族と翼竜族ほどではないにしろ、言葉にしがたい本能的な上下関係があるというのだ。そして、ルーン使いの一族は他でもない上森人によって迫害され、故郷の森を追われた歴史がある。

 しかしだ。血か種族特性か、上森人を前にしたシャーロットは、自然に委縮なり尊崇なりをしてしまうようだった。アリエルさんを見つめるシャロの目には、複雑な感情が見受けられる。

 対し、アリエルさんは無表情だった。けれども存外に冷たい印象は感じない。何となく、どんな表情を浮かべればいいか分からないって雰囲気がある。こう……神妙な顔になればいいのか、優しく微笑みかければいいのか迷ってるような? まぁ勘だが。

 

「……ルーン使いへの迫害については、承知している。全て、我が一族の過ちだ。許してほしいとは思っていない。ただ、謝罪させてほしい。この通りだ」

「い、いえ……! そんな事は……」

 

 ゲンドウポーズを解いたアリエルさんは、シャロに向かって頭を下げた。

 視界の外で身動ぎの音がした。見ると、案内してくれた灰髪の森人が目を丸くしていた。

 経緯はどうあれ、奴隷身分の下位種族に向かっての謝罪である。当のシャロは慌てて頭を上げるよう懇願していた。

 異世界の価値観は分からないが、俺はそんなアリエルさんに好感を持った。実るほど頭を垂れる何とやら。

 

「イシグロ殿を呼んだのは、ケナズの里を襲った魔物災害についての会議を行う為だ。無論、我々は……私個人としても全力で事に当たるつもりだ。どうか、この円卓に座してはくれないだろうか?」

「わ、分かりました」

 

 頭を上げたアリエルさんに再度促され、俺の一党は全員席に着いた。

 円卓の構造上、属しているグループによる区分けは存在しない。俺の正面にアリエルさんとキルスティンさんが来て、彼女等の隣に物怖じしないエリーゼとルクスリリアが座っている。俺の隣には、戦闘力の低いシャロとレノが座った。

 

「どうぞ」

 

 するとすぐに、灰髪の森人がお茶を淹れてくれた。今回は彼女が給仕をしてくれるらしい。

 出されたお茶は、ラリスでよく飲まれている紅茶だった。

 

「改めて、よく来てくれた。久しいな、イシグロ殿」

 

 全員にお茶が行き渡ると、さっきよりも表情をやわらげたアリエルさんが口を開いた。俺は失礼にならないよう慎重に応答した。

 続いてキルスティンさんからも挨拶された。手紙にあった通り、彼女が現在遠征中の第三王子の名代を務める。メイドさんってそんな事もするのか。

 それから暫く、当たり障りのない世間話が続いた。俺は緊張を悟られないようエリーゼ先生のマナー教室を思い出しながら応えていった。パーフェクト・コミュニケーションだと思っておこう。

 

「すまないが、私はルーン技術を見た事がなくてな。確認の為、今ここで何か使ってみてはくれないか?」

 

 場の空気が和らいだところで、紅茶で舌を湿らせたアリエルさんがシャロにルーンを使うよう要請してきた。

 既にシャロがケナズの里のルーン使いである事は伝わっているはずだが、念の為に確認させて欲しいというのだ。

 残念ながら里長の証は野盗に奪われてしまっているので、シャロの身分を証明するには実際ルーンを見せるしかない。少なくとも、ルーン使いである事は証明できる。

 

「こ、こんな感じです」

 

 上森美女を前に、尚も萎縮しているシャロは人差し指をちょいちょいして簡単なルーンを使ってみせた。

 さらっと一筆書き。空中文字をタップすると、何の予兆もなく円卓の中心に単水晶型の氷が生成された。

 通常あり得ない現象に、部屋の隅に控える灰髪の森人が身構えていた。流石というべきか、アリエルさんもキルスティンさんも姿勢どころか視線一つ揺らぐ事はなかった。

 

「本物のようだな……。刃を使わず指で描いたあたり、始祖に近しい血の持ち主である事の証左と言えよう。ありがとう、もう消してもらって結構だ」

「あ、はい。そろそろ消えますので……」

 

 シャロの返事より先に、ルーンによる氷は消失した。

 魔力の予兆もなければ、残滓もない。魔力感覚に敏感な人からすると、ルーン技術は摩訶不思議な現象に見える事だろう。

 先の無表情に戻ったアリエルさんは、じっとシャロの目を見ていた。

 

「……シャーロット・ケナズ・ルーニア殿。聖樹の陰の者として、貴殿の命に最上の祝福を」

 

 朗々と言って、アリエルさんは胸の前で手を組み、祈りを捧げるように瞑目した。

 以前、エリーゼに教えてもらった古い森人の所作である。対するシャロは困惑していた。

 

「ついては、貴殿より齎された情報を確認し、現状を共有したい。ネフリティス」

「承りました」

 

 会議の始まりを宣言すると、ネフリティスと呼ばれた灰髪森人によって各々の前に羊皮紙が配られていった。

 これは現状判明しているケナズの里についての報告書で、隣接するラリス貴族の私兵が集めたものである。

 しかし、あくまでも第一報といった風であり、そう多くの情報は記載されていなかった。これから、第三王子直属の諜報部が詳しく捜査するそうだ。

 

「書いてある通り、災害の発覚には相当な遅れがあったそうだ。その情報はケナズと関わりのある商会から齎されたものだ」

 

 元々、ケナズの里は外部との接触が希薄だったらしい。

 衣食住は自給自足できており、その他の消耗品はルーン彫刻を施した陶磁器を売った金で購入していた。そのルートはケナズの里長が認めた商人のみだったそうだ。

 また、いざ調査を始めようとしたタイミングで大雪が降ったせいで遅れたとも書かれていた。

 

「くっ……!」

 

 シャロの持つ羊皮紙に、くしゃりとシワが寄る。その目は食い入るように淡泊な文字列を睨みつけていた。

 簡素な情報しか載っていない報告書には、「生存者発見ならず」との一文。

 

「これは第一報だが、現時点でも奇妙な情報が認められる。特記事項の欄を見てくれ」

 

 特記事項には、発見された全ての遺体から頭部だけが見つからないとの情報があった。加えて、全ての遺体に獣に食い荒された痕跡が無かったという。

 どう考えても、尋常ではない。遺体を貪る獣の仕業でも、人類抹殺を優先する魔物の所業でもないのも明白だった。

 

「ん、シャロ、大丈夫……?」

「ああ。大丈夫だ……」

 

 シャロは顔面を蒼白にしつつも、歯を食いしばって耐えていた。

 

「未だ件の魔物の特定はできていない。諜報部が現着すればもう少し分かるだろうが、今はどんな小さな情報も欲しい」

 

 ふぅとひと息。羊皮紙を置いたアリエルさんが真っすぐにシャーロットの目を見る。

 

「今一度、君が見たという魔物の事を聞かせてくれ。どんな小さな事でも構わない」

「はい……」

 

 書面のやりとりで、既に魔物についての情報は共有済みだ。その上で、確認の為に当人の口から絶望が語られる。

 ぽつぽつと、シャロは感情を排して言葉を継いだ。とはいえ、だ。シャーロット自身、当時はパニック状態だったようで、詳細な記憶は殆ど覚えていないらしい。

 

「ありがとう。辛い事を思い出させてしまったな」

 

 と言うアリエルさんによって、当事者によるお話は終了した。

 ことりと、シャロの前に新しい茶が置かれる。ネフリティスと呼ばれていた給仕の森人さんだ。器から漂う匂いからして、何かしらの薬草茶だろう。恐らく精神を整える類いの。

 

「なるほど。極めて強力な炎を操り、長く鋭利な爪を持ち、家屋を超える巨体であったと……。やはり、覚えはないな」

「捕足致しますと、王家の書庫にもその特徴と一致する魔物は存在しませんでした」

 

 アリエルさんの呟きに、王子の名代であるキルスティンさんが口を開いた。

 どうやら、魔物学の専門家に調べてもらっても件の特徴に該当する魔物はいなかったそうだ。

 

「そして、ルーンを封印されて逃げ切る事ができた……」

 

 そんな魔物相手に、シャーロットは逃げ延び、今こうして生きている。

 そういう魔物がいると分かっただけで、これ以上後手に回らずに済んだのだ。彼女の生存はラリス王国、ひいては異世界にとって万金以上の価値があったと言えよう。

 

「今のところ、周辺の村々に被害は出ていない。口惜しいが、警戒を続ける以上の対策はできていないのが現状だ」

 

 逆に言うとだ、とアリエルさんが続ける。

 

「件の魔物は無暗矢鱈に暴れる個体ではなく、逃げ隠れる知性と能力を持っているという事だ。場合によっては年単位の長期戦になるだろう。だからといって、ルーニア一族を滅ぼした脅威を放置する訳にはいかない」

 

 ルーン使いを狙って殺し、頭部だけが未発見であるという事実。現地の周辺を襲撃せず、長期にわたって逃げ隠れる事のできる知能。

 その事から、件の魔物は特異個体であると推定された。あるいは新種の可能性もあるが、曰くその確率は低いらしい。

 いずれにせよ、厄介極まる。曲がりなりにもケナズの里は長期にわたって独立独歩を維持していた精強な集団なのだ。それでも一方的に壊滅させられたあたり、並みの主級を超える脅威であるのは確実だ。

 

「シャーロット殿は、それでも復讐を成し遂げたいというのだな?」

 

 どう考えても、尋常な敵ではない。

 それを理解した上で、シャーロットは復讐を誓っている。

 その気持ちに、迷宮を潜って以後も変化は無い。

 

「はい。このまま一矢も報いず逃げてしまっては、ルーニアの名が廃ります」

 

 決然とした返答は、彼女の出自を確信させる威厳があった。

 異世界において、時に人は命よりも誇りや誉れを重んじる。一般人にその傾向は希薄だが、ラリス貴族やリンジュの武家はそういった価値観で以て生きているらしい。

 武士道と力ある者の義務(ノブリス・オブリージュ)の合いの子だろうか。故にこそ、シャーロットは里を滅ぼした魔物に応報せねばならぬと考えているそうだ。

 この感覚について、エリーゼとイリハは深く共感し、他のメンバーはいまいちピンと来ないらしい。俺とて、理解はできるが共感はできなかった。

 

「……そうか」

 

 小さな里とはいえ、長の矜持を見たアリエルさんは戦士の目をして頷いてみせた。

 それから、翡翠色の眼光が頭目たる俺を射貫いた。

 

「イシグロ殿は、何故彼女の復讐に協力をするのだ? 貴方とケナズには何の関係も無いはずだ。差し障りが無ければ、その理由を教えてほしい」

 

 アリエルさんからの言葉は、俺の覚悟の程を問うものであった。

 魔物が相手とはいえ、これは復讐の幇助である。現代日本なら眉を顰められるだろう行いだが、前述の価値観もあってアリエルさんやキルスティンさんからの悪印象は感じ取れない。

 ただ、俺が彼女の復讐を手伝う理由が分からないのだろう。一応、事情を知ってるキルスティンさんは沈黙を選んでいた。俺がロリコンな事は第三王子とその側近しか知らないのだ。

 

 さて、背景から話すべきだろうか。

 いや、結論だけを話すべきだろう。

 弱みを知られる訳にはいかない。極論、俺はルクスリリア達以外の誰も信用していないのだ。

 

「困っているロリ(じょせい)を助けるのは、当然の事と存じます」

「だから、鍛えたと?」

「はい」

「そうか……」

 

 やがて、肩の力を抜いたアリエルさんは、小さく微笑した。

 その眼差しは円卓を囲むロリ達を見ていた。

 とても優しい瞳だった。

 

「では、指揮を執る者として、黒剣の一党に指示を出そうか」

 

 アリエルさんの言葉に反応し、灰髪の森人は俺に見えやすい位置に地図を広げてみせた。

 

「ラリス王国北東、ゲパルト領とアルヴの森の境。ケナズの里に向かい、諜報部隊と合流し、調査の補助をしてくれ。件の魔物は、未だ現場の周辺に潜伏している可能性がある。念の為、戦いの準備をしておくように」

 

 ぶるりと、シャーロットの肩が震える。

 

「承りました」

 

 出来るだけ真摯に見えるよう、俺は指揮官たる上森人に向かって古式の一礼をしてみせた。

 これは、「あくまで第三王子の命令で貴女の指示に従いますよ」のポーズである。

 同じ派閥でも、立ち位置はしっかりしないとな。視線の端、キルスティンさんと目が合った。

 

 迷いはない。

 覚悟はある。

 変な話だが、嫌な事はさっさと終わらせるに限るのだ。

 

 

 

 仮名、炎爪。

 いつまでも“件の魔物”では面倒だというので、件の魔物は炎爪カッコカリと名付けられた。

 

 ササッと名付けが完了した後、会議はアリエルさんとキルスティンさんの二人だけが話していた。

 何故なら、俺はその内容を覚えるのに必死になっていたのと、発言しても仕様がない議題だったからだ。

 俺みたいな奴は、指示を受けて動くので手一杯である。

 

 善は急げと、出発は翌朝に決まった。

 今回、俺達に下された指令はケナズの里に向かった諜報部の護衛と周辺地域の捜索である。

 状況的に、炎爪との遭遇確率は低いと見做されている。王都や対策本部との行き来も考慮して、フットワークの軽い俺達にお鉢が回ったという話だ。現着次第、エージェントの指示に従う予定である。

 

 あと、会議が終わってから、ついでに止まり木協会へ寄付しておいた。

 シャロのレベリングの過程でまた儲けたからな。金を払って媚びを売るのだ。

 

「えーっと、他に用意してくものあるかな」

「冬用の野営道具って持ってたッスか?」

「使うかどうか分からんがのぅ」

「いえ、備える余裕があるなら備えておくべきだと思います」

「そうね。同じくらい、戦いに向かう気構えも必要よ」

「ん、じょーざいせんじょー」

 

 冬の夕焼けが照らす中、協会からの帰り道で、馴染みの商店街でお買い物。

 件の魔物への対策アイテムは既に個人で用意してある。なので、雪が積もってるらしい現地で必要そうな物品を買い足していた。

 

 シャロのレベリングは及第点には到達していると思う。一応、上位職まで上がったし、迷宮とはいえ魔物との戦いも経験した。

 人事は尽くした。後は天命を待つのみだ。

 

「アタイさ……」

 

 商店街を抜け、借家に向かう夜の道。止まり木協会を出てからこっち、静かにしていたシャロがおもむろに口を開いた。

 王都の喧噪は遠く、石造りの壁に阻まれていた。小さな唇から漏れる弱々しい声音が、閑静な住宅街に響く。

 

「復讐だってんで、割と勇んで戦わせてもらってたよな。外にも連れ出してもらってよ。変な話、けっこう楽しかったんだ……」

 

 歩みを止めず、独り言のように呟く。深紅の瞳が夜闇の先を見つめていた。

 

「飯食って酒呑んで、まぁダチみてぇのが出来て。実んトコ、ずっとこのままの生活でいいんじゃねぇかなんて、思ってたんだよな……」

 

 不自然な沈黙。喉の奥に、何かが引っかかったような。

 やがて、一つ息を飲んだシャロは、何事もなく言葉を継いだ。

 

「いざ、迫ってきたらよ……。なんつーか、すげぇ虚しい気持ちになった。もう、終わりなんだなって……」

 

 戦う覚悟はしていたのだろう。

 復讐の為、強くなる為、とにかく前に進む為に、我武者羅になって走っていた。

 しかし、目に見えないカウントダウンが終わると、次の一歩が急に恐ろしくなったというのだ。

 彼女の言う事を、俺はよく理解できた。

 

「日和ってる訳じゃねぇ。復讐してぇ気持ちはあるんだよ。けど、やっぱ……アタイに戦士ぁ無理だ」

 

 異世界人は血の気が多い。

 けれど、そういう人ばかりじゃない。

 シャロは迷宮探索に積極的だが、それはあくまで目的あっての事で、エリーゼのように戦い自体が好きな訳ではないのだ。

 

「ええ、そうね。貴女の心根は戦士ではないわ」

 

 そんなシャーロットを、銀竜令嬢が優しい声音で以て肯定した。

 竜族は戦闘種族だ。けれど、エリーゼは弱者の心に寄り添える竜族なのだ。

 

「安心せい。お主のその感覚は健全じゃよ」

 

 復讐したいけど、日常を離れたくない。

 魔物を殺したいけど、戦いたくない。

 人は矛盾を抱えて生きるものだ。それは、千年以上を生きる森人も同じなのだろう。

 

「ああ。分かってる。分かってンだ。感謝してる。だからよ……」

 

 そっと、袖を撮まれる。

 俺を見上げる双眸は、強く真っ赤に燃えていた。

 

「連れてってくれ、亭主殿。アタイに、ケジメぇつけさせてくれ」

 

 戦意はあるが、復讐に飲まれていない。

 ただ、強い意思だけがあった。

 

「あぁ」

 

 この人を、日常に送り還す。

 理不尽な鎖から解放する。

 それこそが、今の俺の使命だ。

 

 

 

 

 

 

 邪仙の住処は、さながら巨大生物の体内のようだった。

 秘匿された人工洞窟である。壁、天井、床……見渡す限りの全方位に粘液が纏わりついており、けれどもそこに不潔さはなく、むしろ異常な程の潔癖さで以て空間内の菌の全てを殺し尽くしていた。

 不自然に匂いはなく、いやに生暖かい。見る者が見れば、美しいと感想を漏らすかもしれない。機能の全てが無駄なく循環する構造は、さながら一つの魔道具のようであった。

 そして、思うだろう。まるで、母の中にいるようだ、と。

 

 そんな一室。肉の鍾乳洞の中心に、大樹のように膨れ上がった肉の繭があった。

 ドクドクと、繭は胎動するように震え、やがて中心線に沿って裂けていき、ズルリとその中身をひり出した。

 

 それは、女の形をした化生であった。

 全身、羊水塗れである。黒く艶やかな髪の上には猫人を思わせる耳があり、ぷっくりした肌は生まれたての赤子の様。丸い尻の上、尾骨からは三本(・・)の尻尾が生えていた。

 その女は、黒髪の猫又であった。

 

「うぅ、ここは……?」

 

 目を覚ました猫又は、半開きの目を巡らせて肉に埋もれた空間を眺め見た。

 頭痛が酷い。身体が怠い。ここに来るまでの記憶が無い。何故、自分がここにいるのか、さっぱり覚えていなかった。

 そも、自分が何者であるかさえ、曖昧である。

 

「おはようニャ。愚妹」

 

 肉の床を踏む靴音。ぼやけた視界の奥から、何者かが歩み寄ってきた。

 見覚えのある軍服を着た女――それは、生まれたての猫又と極めて近い造形をした同胞だった。

 

「一年ぶりの目覚めはどうかニャ?」

 

 裸の猫又が見上げる先で、上等な衣服を纏った猫又が見下ろしている。

 後者は実戦用の軍服を身に纏い、汚れ一つない革靴を履いていた。権威を誇示するような外套の下、左の腰に華美なサーベルが下げられている。

 状況も、性格も、対照的な姉妹だった。

 

「一年……?」

「死んでたんニャよ」

「死んで……!?」

 

 瞬間、裸の猫又は跳ねるようにして身を起こした。

 今一度、周囲を見る。無味無臭の粘液に塗れた此処は、姉妹の故郷だった。

 つまり、ここにいるという事は、目の前の猫又の言う通りに相違なかった。

 

「だ、誰にやられたニャ!? ていうかこれ何時の身体!? 何故、何も覚えていない!?」

「あーもう、黙るニャ。いきなり質問してくるニャ。馬鹿は嫌いニャ」

「わ、悪いニャ……」

 

 軍服の猫又は心底不愉快そうに裸の愚妹を睨みつけた。

 血を分けた妹とて、敗者にかける情けはなかった。

 

「気になるんなら、後で記録でも読むニャ。それよりさっさと着替えてそこ退くニャ。こっちは忙しいのニャ」

 

 ポイッと、軍服猫又は収納魔法に入っていた服を裸の女に投げつけた。

 それは、リンジュ共和国で発祥した魔術体系の使い手――陰陽術師の恰好だった。

 

「一応、アンタには母様から別の仕事が与えられてるニャ」

「仕事? あ、あたしはちゃんと全うしたニャ……?」

「それはまあ、最低限?」

「それなら、よかったニャ」

 

 安堵したような声音を漏らし、裸の猫又は陰陽術師の装備を身に纏った。

 軍服猫又の言葉は、事実ではあるが全てでは無かった。目の前の馬鹿に余計な事を教える必要はない。冷たい目の軍人は、そのように判断していた。そういう方針なのだ。

 

 その点、工場長とはソリが合わなかった。

 全く以て、奴が捕まったのは痛かった。魂を握られてる現状、愚妹のように再生させる事も出来ない。

 そのせいで、今こうして仕事を押し付けられているのである。

 

「とりあえず、お前は次の任務が来るまで休むニャ」

「わかったニャ!」

 

 着替え終わった愚妹は、いつもの調子を取り戻して繭の部屋を出て行った。

 今から必死こいて死因を調べ、勝手に憎悪を燃やすのだろう。それで制御がしやすくなるなら、それはそれで構わなかった。

 そろそろ、隠れ続けるのも難しくなる。表に出ざるを得ない事を考えると、戦意を燃やしてくれるなら万々歳だ。

 

「にしても、あいつも馬鹿な事したニャ」

 

 軍服の猫又は、妹を再生産した肉の繭に触れ、作業を開始した。

 工場長は飼育していた人工天使に謀反を起こされ、捕まってしまったらしい。

 それもこれも、手駒に考える頭を持たせたのが間違いだったのだと、この猫又には思えるのだ。

 

「戦士より兵士。兵士より兵器、そう思うんニャけど……」

 

 自立兵器には、役割を全うできるだけの性能さえあればいい。

 高度な思考能力など要らない。学習能力も不必要だ。個性、浪漫、感情など、無駄の最たるものである。

 捨て駒こそが、戦場の要なのだ。

 

「さてっと……」

 

 益体も無い考えを回しているうち、肉繭は餌を生産した。

 籠いっぱいにエサを詰め込み、軍服の猫又は通路を進む。

 やがて、井戸のような大穴に辿り着いた。

 

「さあ、しっかり食うニャ」

 

 籠をひっくり返し、底の見えない深い穴に出来立てのエサを投入する。

 地獄のような穴底で、僅かに火の粉が舞い上がる。手ずから兵器にエサをやるのは、状態を確認する為だった。

 

「っと、一個残っちゃったニャ」

 

 籠の隅に、エサが一つ残っていたので、そっと撮んで穴に放る。

 放物線を描き、暗い深淵に落ちていく。エサであり、燃料であり、指示である。

 

 それは、笹の葉に似た形をしていた。

 それは、肉と皮と軟骨で出来ていた。

 それは、森人の耳だった。

 

 呑まれていく。呑まれていく。

 憤怒の炎を燻らせる、復讐の化身の腹に。

 

「フン……せいぜい、我等の役に立つのだな」

 

 外套を翻し、歩み去る。

 その胸には、かつて存在した軍の徽章が付いていた。

 

 捻じれた角に、魔の翼。

 即ち、魔王軍の証である。




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