【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
誤字報告もありがとうございます。いつもお世話になっています。
キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。
今回、最初だけ三人称です。
よろしくお願いします。
橋の手すりから落ちた時、シズクは死を確信した。
冬の水が冷たい事くらい知っている。冷たいと身体が凍る事も知っている。間違いなく、溺れ死ぬ。あんなに綺麗だった水面が、大口を開けた蛇のように恐ろしく見えた。
河を通る船が見たくて、手すりから身を乗り出してしまった。だから、死ぬのだ。あの時、母親の言う事を聞いておけばよかったのに。
そんな風に考えていたら、既にシズクは水の中にいた。冷たいというより、痛かった。全身が痛くて、勝手に身体が動いた。ジタバタと藻掻いて、息ができたと思ったら水を飲んでしまった。冷たすぎて、次第に身体が動かなくなっていった。けれどもすぐには死ねなくて、ただただ苦しかった。鬼人の身体じゃなかったらこうも苦しまなかっただろうにと、そんな事を思った。
カムイバラの子供にとって、死はそう遠いものではない。
武行に勤めていた友達の父は捕り物で亡くなったし、同族の幼馴染は人攫いに連れていかれた。顔も知らないシズクの姉は、病のせいで死んだらしい。
だから、珍しくもない。シズクは無邪気な子供だからこそ、真正面から世の無情を捉えていた。
遠くなる空を見て、シズクは目を閉じた。
心の中で、皆に別れを告げた。
その時、誰かがシズクの手を握ったのだ。
一瞬の浮遊感、急に息が出来るようになった。目を開けると、落ちたはずの河を見下ろしていて、気付けば元居た場所に戻されていた。死んでない事に驚愕し、今起きた事に混乱した。
目の前に、黒髪の青年がいた。お世辞にもカッコいい人ではなかった。その人は魔法を使ってシズクの水気を払い、温かい風と手拭で身体を温めてくれた。
どうやら、この人に助けてもらったらしい。お礼を言いたかったが、できなかった。頭と心がぐちゃぐちゃで、感情が涙と共に流れていた。
そうしてシズクの理解より先に、黒髪の彼は去って行った。シズクの手に、手拭を残して。
「お母さんを心配させるもんじゃない。次からは気を付けるんだよ」
そう言って微笑む男の声が、シズクの胸に深く深く焼き付いた。
忘れられるものではなかった。
後に知ったところによると、件の青年は“ラリスの剣豪”と呼ばれる凄腕の冒険者だったらしい。
シズクにとって、冒険者と言えば野卑で粗暴でだらしない印象の人達だった。中には鬼人英傑たるライドウのような立派な冒険者もいるのだろうが、それは金細工が特別なだけである。それも、ラリスもんとくればリンジュ冒険者よりずっと怖いイメージだった。
そんな認識だったので、あの日の出会いは余計に衝撃的だった。授業で習った建国英雄のようだと思った。夢のような体験は、彼から貰った手拭が夢ではないと示してくれた。
その後のイシグロの活躍は、快刀乱麻を断つが如くであった。
誘拐された少女を救うべく悪の根城に討ち入ったかと思えば、突然現れた怪物を公衆の面前で打倒してのけたのである。例によって英雄が大好きなカムイバラ民は、この報には大いに沸いた。
彼の英雄譚が知られていくにつれ、シズクの中のイシグロは大きくなっていった。
続く桜闘会。無理を通して観に行った会場で、彼はシズクに手を振ってくれた。
あの時だ。漠然とした憧れは好意に変わり、これまでに無かった強い感情が芽生えたのである。
明確に、明瞭に、シズクはイシグロに恋をしたのだ。
時が過ぎ、シズクが銀竜道場に通えるようになった頃には、イシグロは街を去っていた。
当時、シズクは二度と会えない寂しさを埋めるようにイシグロ関連の物品を買い漁っていた。
イシグロ祭壇を前に、シズクは毎日彼の事を妄想していた。けれど思いは募るばかりで、全く以て満たされなかった。
どれだけ深く妄想しても、そこに感情移入できなかったのである。
シズクとて、分かってはいるのだ。如何に想いを募らせようと、叶う恋ではない事くらい。
ラリスの剣豪は、カムイバラの英雄である。元より、イシグロとシズクは住む世界が違うのだ。
彼の奴隷は、皆特別な存在だった。共に迷宮を潜る仲間なのだ。あるいは、彼女達もまたイシグロに救われた娘達なのかもしれない。
対して、シズクは特別ではなかった。どこにでもいる鬼人であり、男子に混ざって駆け回るのが好きな、女の子らしくないガキである。
一度、見た事がある。イシグロに救われたという噂の天狐は、幸せそうに笑っていた。
嫉妬していた。自分もああなりたい。何をしたら、代わってくれるのか。
毎朝、毎夜。
そう考えていたら、ふと思い至った。
関係性など何でもいい。とにかくイシグロ・リキタカと繋がりたい。
英雄は色を好むのだと、相場が決まっているのである。
あの娘達にできなくて、自分に出来る事がある。
最善は妾。次善で侍女。可能ならば性奴隷。
英雄の子を産む。その役目は、頑丈な鬼人である自分にこそ相応しい。
愛して欲しいとまでは思わない。独占したいとも思わない。
ただ、彼の女になりたかった。
それから、シズクは良い女になれるよう努力を始めた。
美容については、姉弟子のミアカに教わった。少しずつ、父親譲りの言葉遣いも直していった。文武両道を目指し、道場だけでなく塾の勉強も頑張った。外で働いて得たお金で、決して安くはない淫魔牛乳を買って飲んだりもした。
積み上げてきた努力の甲斐あって、幼かったシズクはみるみるうちに美しく育っていった。
小さかった背丈は高くなり、胸や尻も膨らんでいき、全体的に肉付きが良くなった。男子の視線は勿論、大人に声をかけられた事もあった。有体に言うと、シズクはモテるようになったのだ。
けれども、イシグロ以外はアウトオブ眼中だった。
計画は順調である。
道場に通い、迷宮に潜り、力をつけて王都に向かう。そこから、全てが始まるのだ。
子供らしからぬ情念が、子供のように真っすぐ未来を見据えていた。
そして、全く以て予想外な事に。
小暑の朝、シズクはイシグロと再会したのである。
〇
「……ってな感じで、私はイシグロ様の性奴隷になりたいのです!」
なりたいのです! なりたいのです! なりたいのです……!
頭痛が痛い。シズクちゃんが語り終えると、俺の頭痛はいっそう酷くなった。こっそり治癒魔法を使ってみるも、その痛みは消えなかった。
色々と言いたい事はあるが、何故そこで性奴隷志願なのか。コレガワカラナイ。ともかく、ここが奥座敷で本当に良かったと思う。
「イシグロ様は偉大なお方です」
ショートした思考回路に苦しんでいると、シズクちゃんは胸の前で両手を組み、敬虔な信徒がするようなポーズを取った。
その瞳は眩しいくらいキラキラと輝いていて、あまりにも分かり易く浮かれていた。
「ですので……」
「うん」
「種を残すべきかと存じます」
「んっ、げほっ! げほぉ!? た、種!?」
緑茶でむせた。眼前の少女があまりに突拍子もない事を言い出したからだ。
ふと皆の様子を見てみると、その反応は三パターンに分かれていた。可笑しそうに笑うルクスリリアとエリーゼ。イリハとグーラはほんのり赤面して、レノはデザートのヒヨコういろうに夢中だ。
「な、なんて……?」
「種です。子種です。あるいはお情けと」
「うぅん……?」
聞き間違いかと思ったが、聞き間違えた訳ではなかった。聞き間違いであってほしかったところである。
う~ん、何だろう。今まで遭遇した事ないタイプの女の子だぞ、シズクちゃん。
「鬼人は頑丈なので、母体としては優秀であると言われています。必ずやイシグロ様に似た強い子を産んでみせましょう。幸い、鬼人族と人間族の相性は良いとされてますし」
「い、いやぁ、そういうのは……」
「強い男は強い血を繋ぐもの。そうではありませんか? 少なくとも、母はそう言っていたのですが」
かと思えば、なんか生々しいこと言いだした。タッパはデカいとはいえ、あどけない幼顔をしている彼女が言うと生々しい超えて背徳感がある。何だか知らんが、各方面に謝罪行脚したくなる。
だが、しかし、である。何度も心に留め置いてるが、俺のいる此処は異世界である。基本的な価値観や死生観、倫理観が日本とは大きく異なるのだ。何事も反射で拒否るってのは、健全な異文化交流とは言えまい。
どだいこっちは害獣に加えて魔物が闊歩してるのだ。そんな世界における子作り観が現代日本と違うのは考慮して然るべきだろう。レベル継承がある世界観なら、尚の事。共感はできずとも理解は容易だった。
「勿論、私がイシグロ様をお慕い申しているというのが一番の理由なのですけれど……ふふっ、言っちゃった♡」
例えそれが、御年一二歳の少女から出た言葉だったとしてもだ。
まぁグーラもグーラだったしなぁと、俺は過去回想に浸ってメンタルを整えた。
「とはいえイシグロ様の邪魔になりたい訳ではございません。当然として、皆様にもお仕えする所存です」
順繰りに、シズクちゃんの視線が皆を見ていく。
奴隷身分が相手でも、その瞳からは軽侮等の負の感情は感じ取れなかった。
「イシグロ様の最初の奴隷であるルクシア様。なんとあのヴァスラと互角だったとか」
「ルクスリリアなんスけど。そんな言いにくいッスかね?」
「ゲルトラウデ師匠の主人にして、銀竜剣豪ヴィーカの孫娘。公明正大、聡明叡智、小さくて可愛いエリーゼ様」
「ゲルトラウデから聞いたようね……」
「喰処殺しのグラ子様」
「ボクそんなイメージなんですか……?」
「イリハ様は怪物の生贄に捧げられそうになったところをイシグロ様に救われたと伺いました」
「なんじゃ、その絶妙に違う話」
「すみません。レノ様については寡聞にして存じ上げず……」
「ん、わたしはレノ。奴隷歴半年、
「はい、よろしくお願いしますね!」
微妙に事実と異なる評にモニョる一同。幼い者同士だからか、レノとシズクちゃんはさっそく意気投合していた。
「で、どうするつもりなのかしら?」
頬杖をついたエリーゼから、三日月に歪んだ目が向けられる。エリーゼは俺の内心が分かっているのか、俺の反応を見て楽しんでいるようだった。
「ふぅ~」
温いお茶を飲んで、一息。当然として、俺の心は決まっていた。
曰く、シズクちゃんは俺の妾か侍女か性奴隷になりたいらしいが、俺にその気は全く無かった。
遠回しに言っても伝わらない気がする。ミアカさんと違って、彼女は子供なのだ。ならば、ハッキリ言っておくべきだろう。
「シズクさん」
「はい」
背筋を正し、あえて敬称で名を呼ぶと、彼女から度を超えてキラキラした目が向けられた。
後悔しない確信はある。それはそれとして、罪悪感はあった。幸か不幸か、俺は子供にキツい事を言えない男だった。
「はじめに言っておくと、俺は君を奴隷にするつもりはないよ」
「しょ、承知しました。では……」
「妾にもしないし、侍女にもしない。一党にも加えないし、旅の同業者にもしない。まして恋人や養子や弟子にするつもりもない」
「えっ、それはつまり……」
「ああ。闘士として応援してくれたのは光栄だけど、君の気持ちには応えられないかな」
そう、きっぱりと言い放つ。
俺の返答を聞いたシズクちゃんは、先程までの笑顔を何処かへ失くしてしまっていた。感情の大波が来る前に、シズクちゃんの心は静かになっていた。
傷つけるのは分かっていた。それでもハッキリと伝える必要があった。こうも面と向かって好意を伝えられて、適当に返すなんて残酷が過ぎるだろう。俺は彼女に期待を持たせるような事を言うつもりはなかった。
「オレ……私にいたっ、至らない点があれば仰って下さい! 必ず改善してみせます! 足りない部分は努力で補います! まだもっと、きっと綺麗になってみせますから! どうか……!」
「君の問題じゃない。少し話して分かったけど、シズクさんはとても素敵な女の子だ。ただ俺は……」
「道具でいいんです! 金のかからない娼婦でも! 面倒でしたら、リンジュに置いていっても構いません……!」
「自分を貶めるような事を言うもんじゃない。両親が悲しむから」
ヒートしかけたシズクちゃんを、俺は努めて丁寧な態度で落ち着かせた。
子供を諭すように、上からモノを言うべきではない。対等な立場で言うべきだと思ったからだ。
子供の恋心だからといって、決して軽んじるべきものではない。始まりが一過性の病であっても、互いを尊重して長く接していれば、やがて愛は成立する。それは分かっている。けれど、俺と彼女の人生が重なる事はない。
俺には俺の、皆には皆の事情があるから主人と奴隷になっている訳で、これは然るべき時が来れば解消する予定である。彼女の望む関係は、早晩崩れて然るべきだ。これ以上、彼女の人生を狂わせる訳にはいかない。
時が愛を育むように、時は失恋を思い出に変える。少なくとも俺はそうだった。俺へ向かっていた感情は、思い出の奥で肥やしになるのが健全である。
「なっ、なんで! お、オレみてぇな……ミアカさんくらい綺麗じゃないとダメな……くっ! うぅ……!」
「さっきも言ったけど、君は素敵な女の子だよ。君の何が悪い訳でもない。だけど、俺は君の気持ちには応えられない」
感情のまま腰を浮かせたシズクちゃんは、立ち上がる寸前に歯を食いしばって感情を制御していた。
ふぅふぅと、道場で習ったのだろう呼吸音が響く。癖になるくらい努力してきたのだろう。
御年一二歳、身長は高いがシズクちゃんの心はロリである。
けど、俺にとって彼女は守るべき子供であって、恋愛対象ではなかった。自分から奴隷になろうとするなど、許容できるものではなかった。
仮に、シズクちゃんの背が低いままだったとしても、俺は断腸の思いで同じ返答をしたと思う。それは彼女が大きくなるからとか、強くないからではなく、一緒になっても互いに幸せになれないという確信があるからだ。
君みたいな娘が、わざわざこっちに来るべきじゃない。そういう話だ。
「そう、ですか……、すみません。ご迷惑をおかけしました。失礼します……」
荒い呼吸が収まると、そう早口で言い残した彼女は逃げるようにその場を出て行った。
開けっぱなしの襖から足音が遠ざかる。喧騒は遠く、静寂が過った。
「心配そうね」
「まぁ……」
覚悟はしてたので、彼女を振った事に後悔はない。
ただ、今のシズクちゃんからは今にも身を投げそうな悲壮な雰囲気が見受けられたのだ。
それがどうにも、俺の胸をざわつかせた。
「嫌な予感がする……」
「ん、予感? それはシズクが危ない目に遭うっていう?」
「ああ……」
ただの予感、されど予感である。
子供は突拍子もない事をするものだ。これまで頑張ってきた反動で自棄になって非行に走るとか、それこそ自傷行為をしたりとか、今のシズクちゃんからはそういう事をしてしまいそうな予感がしたのである。
ただでさえ治安が悪くなっているのに、夜間徘徊とかしちゃうんじゃないか。その後、夜遊びにハマッて転落したり、女衒にカモられたり、暴漢に襲われたりするんじゃないか。最悪、自殺とか……。
そんな事を考えていると、緑茶を啜ったエリーゼがふぅと細い息を吐いた。
「冷たいようだけれど、それはアナタが負うべき責任ではないわ」
「そうだな」
それは分かっている。分かっているが、俺の胸には得体の知れないモヤモヤが渦巻いている。
何があっても、何をするかは本人次第。この件について、俺の返答は間違いではなかったはずだ。全ての想いに応えるなど、それこそ無思慮で無責任である。どだいそうと決まった訳でもないのだから、単に俺が杞憂民になっているだけである。
「それでも心配なのですね」
所詮は赤の他人である。例え彼女がどうなってもいいはずだ。けれど、俺はどうにも今のシズクちゃんを放ってはおけなかった。
杞憂し過ぎだ。心配事の九割は起こらない。俺が責任を感じる事ではないのだろう。
分かっているが、何もしないのは性に合わなかった。何か、出来る事はないだろうか。
「そうだな。心配なんだろうな」
自分の気持ちを整理して。
そして、一つ思いつく。
「……少し、協力してほしい事がある」
直接どうこうしようってんじゃない。
ただ、打てる手は打っておきたい。
ちゃんと彼女が立ち直れるように。
「それは、あの娘が子供だったからかしら?」
「ああ」
「何をする気なのじゃ?」
大人は子供を守るもので、ロリコンはロリを護る者だ。
今の俺には力がある。ロリの成長を妨げる存在は、先んじて排除すべきだろう。
「ちょっと、悪党退治を……」
ロリの心を守るついでに、カムイバラの平和を守る。
それが、今の俺にできる事だ。
〇
あの後、シズクちゃんは無事帰宅できたようだった。
何故にそんな事が分かったかというと、彼女に続いて店を出た俺達がこっそり尾行していたからである。
念の為の処置とはいえ、普通にヤベー行為だ。隠密的にすら見える献身的な後方警備ってやつで、普通にストーキングである。
「うむ。そんな事があったのだな」
彼女の無事を確認した後、俺達は銀竜道場に戻ってゲルトラウデ師匠に先ほどあった出来事をお話した。
秘めておくべきなのは分かっちゃいるが、守護の為には情報共有が必須である。師匠も大人だ。口を滑らせる事はないだろう。
「元々、シズクは生き急いでいるところがあった。良くも悪くも、頑張り過ぎなのだ。貴殿に憧れているのも公言していたしな。とはいえ、そこまで考えていたとは……」
曰く、彼女は目標達成の為に人一倍努力していたらしい。
鍛錬だけでなく、料理や掃除や礼儀作法。後から入ってきた門下生に追い越されても、腐る事なく直向きに頑張っていたそうだ。
その原動力が俺の物になる事ってのはいささか不健全だとは思うが、不健全な初志で言えば俺の方がよっぽどである。
「確かに危ういな。イシグロの事は隠して、私からシズクの父親に話しておこう。間違っても夜に出歩かないようにと」
「よろしくお願いします」
言って、師匠はお茶を啜った。どこも欠けていない綺麗な湯呑である。中身も出涸らしではない淹れたてだ。
「して、貴殿は何をするつもりなのだ? これ以上、シズクに関わる事はあるまい」
「街の辻斬りを狩るつもりです」
「なに?」
辻斬り狩り。賞金首狙い。あるいは
今のカムイバラは治安が悪いらしい。それというのも、辻斬り捜索のせいで通常勤務の同心が出払っているからである。そうなると昼も夜もやべー奴等が元気になるのだ。それは良くない。
「逸物狩りか。存在は知っているが、まだ人相書も出回ってないぞ。下手な事をすれば、貴殿こそ疑われる」
「それなんですよね」
逸物狩りを捜すにしても他の賞金首を捜すにしても、他所の迷宮潜りである俺が夜道を歩き回っていたら、それこそマッポ案件である。
人相書が出ればギルド経由で討伐クエストが発注されるらしいが、今一番アツい犯罪者の逸物狩り氏は未だ討伐対象ではなかった。自分勝手にヴィジランテ行為をしてしまえば、治安維持機構を混乱させてしまうだろう。
じゃあどうしようとなったので、最近武行に入るべく勉強しているらしいアンゼルマさんに相談しに来たのである。
「え!? イシグロさん、捜査に協力してくれるの?」
と、その旨を伝えたら、アンゼルマさんは心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
いい案……というより、都合のいい奴を見つけたと言わんばかりに。
「御用聞きって言ってね。同心の下で捜査とか警備をお手伝いする仕事があるんだよ。やり手の同心なんかは町のそこら中に御用聞きがいるんだから。ちょうど困ってたっぽいし、私がお世話になってる人に繋いであげよっか?」
都合がいいのは俺視点でもその通り。
早速とばかりにアンゼルマさんについていき、俺達は近所の交番みたいな小屋にやってきた。
「おいおいおい、ラリスの銀細工はいいとして、こいつぁライドウさんの手形で、これは無月流の証書。こっちは準淫魔騎士勲章で、竜族盟友剣……それも銀竜一族のやつじゃねぇか! ら、ラリスの剣豪、やはり天才か……!」
そこで会った同心――厳密には違うらしいが――に身分証明になるブツを晒したところ、いっそ胡散臭いくらい俺の身元を示す事ができた。
カムイバラ東区において、イシグロの名は無駄に有名である。その後に軽く腕を見せたら、快く手伝いを認めてくれた。
「お前いいトコにいいヤツ連れてきてくれたな! ちょうど強ぇ人手が欲しかったんだよ! さっさと終わらせねぇとイワヌマがしゃしゃり出てきやがるからな! せっかくだ! アンゼルマ、お前がイシグロ使ってみろ! 俺ぁ別んとこ回っからよ!」
「えぇ? 私まだ見習いにもなってないペーペーですよ!?」
「推薦状書いてやっから!」
「いきましょうイシグロさん! いざいざキノコ狩り!」
「あ、はい」
俺達一党に揃いの手形が配布され、ついでに合言葉も教えられた。
アンゼルマさん指揮の下、そんなこんなで俺達は夜回り兼逸物狩り捜索その他便乗辻斬り捕縛作戦に加わる事になったのである。
「よし、行くか」
「よくお似合いですよ、ご主人様」
「じゃな。どこをどう見てもリンジュの民じゃ」
時間になるまで仮眠を取って、あえて飯屋で酒を呑む。どこにでもいる侍スタイルに着替えた俺は、大小二本を下げて夜の街に繰り出した。
遠く後ろからはルクスリリア達が尾行してくれている。要するに、テンプレ囮作戦をしているのだ。
表向きは治安向上の為の夜回りだが、本命は逸物狩りである。奴は夜に一人でいる男性剣士を狙うらしいので、現在の俺はカモに見えるに違いない。
「ふぃ~、このまま遊郭とか行っちゃおっかな~」
ひょうたん型の水筒――中身は水だ――をちびちびやりつつ、酔ったフリをして夜道を歩く。
こうして歩いていると、以前来た時のカムイバラより夜道の人通りが少なくなっているのが分かる。眠らない街が眠っているようだった。
「ん? あれ……」
しばらく夜道を回っていると、運河に架かる橋の上に見覚えのある姿があった。
額に巻いた手拭に、とても立派な鬼の角。誰あろうシズクちゃんその人である。案の定というか何というか。思いつめたような顔の彼女はボーッと水面を眺めていた。
ちょっぴり気まずいが、さりとて放っておく訳にもいかない。
「シズクちゃん?」
「ひぇっ……!?」
声をかけると、彼女はビクッと全身を震わせた。ひとまず無反応じゃない事に安心である。
「最近は危ないから、夜に出歩くのは良くないよ」
「は、はい……!」
こくこくと頷く彼女からは、昼に垣間見たような自棄の前兆はみられない。
ふと見れば、彼女の手にはとっくりサイズの瓶が握られていた。
「い、淫魔王国の牛乳だ……です。あー、オレにゃもう要らねぇかなって、でも捨てるのも勿体ねぇから、どうすっかなって思って……」
静寂を厭うような声は上ずっていて、素が出ているのか彼女は砕けた口調になっていた。
けれど、その薄笑いは徐々に堅くなっていった。
「イシグロ……様こそ、どうしてここに?」
「知り合いのツテで、武行の手伝いをね」
「あはは……やっぱ凄ぇな。イシグロ様は……ほんとに」
そっと、生温い夜風が吹いた。
半ば伏せられた瞳は、緩い三日月を描いている。諦観の奥に、小さくなった俺が反射していた。
「本当に、すみませんでした。私、イシグロさんの都合も考えずに、私のことばっかり言ってしまって……」
「いいよ」
確かに、その通りだった。それを彼女は一人で咀嚼して、謝罪したのだ。
普通の子供に出来る事ではなかった。
「もし……」
風に負けそうな声量だった。
整理してなお乱れた心を、かみ砕いてから吐き出している。
苦しげに息を飲んだシズクちゃんは、やがてもう一度言葉を継いだ。
「もし、今ここで落っこちたら、また私を助けてくれますか?」
縋るような、泣きそうな声音である。
努めて隠しているようだが、喉の奥が引きつっているような響きがあった。
彼女の思う“良い女”になる為の努力は、間違いなどではなかったのだ。
「ああ」
惑う事無く即答すると、目の前の女性はくしゃりと破顔してみせた。
「そうですか。それは嬉しいです」
「怒ると思うけど」
「なら、飛び降りる訳にはいきませんね……」
嫌われたくないですから。そう、彼女は呟いた。
それから、今度こそ俺と彼女は真っすぐ向き合った。
「ありがとうございました。私なんかの為に気を配ってくれて。情けない話ですが、まだまだ引きずりそうですけど……まぁ何とかやっていきます」
俺が何か返す前に、彼女はくるりと背を向けて歩き出した。
数歩進んで、立ち止まる。僅かに丸くなった背中からは、今の彼女の感情を推し量る事はできない。
「イシグロ様は、皆の英雄なのですね……」
背中越しの声は、僅かに湿っていた。
小走りに遠ざかる後ろ姿を、俺はその場で見送った。
「さて……」
当然、俺は一人で帰ろうとする彼女をそのままにするつもりはなかった。
彼女の姿が見えなくなったところで、斥候ジョブに切り替えてから後をつける。
こういう時、女の子はトラブルに巻き込まれると相場が決まっているのだ。
「ヨシ……!」
なんて思っていたが、別にそんな事はなかった。気持ち速足になってた彼女は、誰にちょっかいをかけられる事もなく帰宅できたようである。
これで安心だ。
「何がヨシなのかな?」
「へっ?」
その時だ。ガシッと俺の肩が捕まれて、振り向いた先には見知らぬ男の顔があった。服装からして、武行法院の同心である。
この人、隠形中の俺に気付いて、あまつさえ背後に回ったというのか……? 危機察知チートはオンにしてたはず……!
「とりあえず、お話しようか」
「まっ、待って! 待って下さい……! 俺は無実です!」
その後めちゃくちゃ説明し、御用聞きの証明書と合言葉とアンゼルマさんの証言で何とか解放してもらえた。
結局、目当ての逸物狩りは発見できなかった。そう上手くはいかないのは分かっていたので、明日以降も頑張る所存である。
「ん、マスターは良い事してる。元気出して」
「めげずに頑張りましょう、ご主人様」
「随分とやる気じゃない」
「いっそ二手に分かれるのはどうじゃ? グーラを男装させてじゃな……」
「今回もひと悶着ありそうッスね~」
例によって皆には申し訳ない事をしていた。
今回もまた、慰安旅行はPKKの後である。
忍びねぇな。
〇
夜回りを始めて、数日が経った日の事である。
早朝、とある辻斬りの人相書が号外の一面を飾った。
通称、逸物狩り。
巡回していた同心に殺害現場を見咎められ、逃走。
その際に、逸物狩りの人相が判明した。
逸物狩りの人相は、以下のようなものである。
森人の女。切れ長の碧眼。若草色の髪。中性的で端正な顔立ち。背は高く、胸は並み。
逃走中に右耳を負傷し、白鞘の刀を持っている。
人相書が出回ると、捜査は冒険者の手を借りるようになり、斥候の心得がある者は街中を駆け回る事となった。
男女関係なく道行く森人族は聴取され、調査に反抗的な森人は囲んで十手で殴られていた。
身を切るような緊張感が東区を覆っていた。
その日の夜だった。
俺が宿泊している上玉館に、俺宛ての手紙が届いた。
シズクの身は預かった。
今宵、指定の場に一人で来るように。
然らざれば殺害する。
手紙には、そのように書かれていた。
良いお年を。