【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚   作:いらえ丸

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 感想・評価など、ありがとうございます。お陰で執筆が継続できております。
 誤字報告もありがとうございます。感謝感激です。
 キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。

 今回は三人称です。よろしくお願いします。


あさきゆろりし(転)

 その夜の月は、今にも落ちてきそうな程に大きく、眩しい程に輝いていた。

 

 不夜街の外れ。木立に隠れたその場所に、静寂が覆う稽古場があった。

 ろくに手入れもされていない道場跡である。温い夜風が吹く度、締め切られた木戸が揺れ、年季の入った支柱が軋みを上げていた。

 墨汁を垂らしたような闇の中、燭台に飾られた蝋燭が等間隔に並んでいる。さながら不死戦争の発端となった魔術儀式のように。

 

 僅かに揺れる仄かな火が、向かい合って座す八つの人影を照らしている。

 背格好からして、影の正体は女だった。しかしその風体はただの町娘とは到底思えぬ程に異様だった。怪しい女達は、頭からつま先までを覆う純白の衣を纏っている。それは白無垢のようであり、死に装束のようでもあった。

 静かに座す彼女等の膝元には、揃いの刀が置かれている。刃物を前に心を研ぎ澄ましている様は、一端の武芸者といって相違なかった。

 

 稽古場の最奥、威圧的な文言が書かれた掛け軸の前に、枷を嵌められた少女の姿があった。

 天を衝くような双角に、額に巻かれた手拭。瞼を閉じる顔は、年齢相応に幼い。誰あろう、鬼人少女シズクである。

 彼女の上衣は脱がされており、豊満な胸を隠す漂布を残した上半身は殆ど裸の様相である。玉のような肌には、腹から全身にかけて蛇が這っているような文様が描かれていた。

 

 眠るように沈黙するシズクの隣では、羽織に袴姿の女が胡坐をかいていた。

 女は森人だった。若草色の髪はザンバラで、その顔は性別を超越したような美を体現している。膝元にある刀掛けには、白鞘の刀と脇差が置かれていた。

 若草の女からは、肌を刺すような殺気が染み出ている。剣呑極まる双眸が枷を嵌められたシズクを一瞥し、厳しい顔のまま口の端を歪めた。

 

「そう怯えるなよ。きっと来てくれるさ。来てくれないと、我等が困る」

 

 笑声混じりの女の言葉に、瞼を閉じたままのシズクの身が震えた。

 ゆっくりと開かれたシズクの瞳が、恐る恐るといった風にこの場にいる者達を窺う。

 白装束の剣士の集団に、怨讐に染まった森人女。異様で、奇妙で、尋常ではない空間である。平衡感覚を狂わせるような静寂にあっては、自身の実在さえも怪しい気がした。

 怖い、寂しい、助けに来てほしい。初めはそのように願っていたシズクだったが、今はそうではなくなっていた。

 

「来たか……!」

 

 その時だ。森人女の耳が震え、やがて人食い鮫の如き凶笑を浮かべてみせた。

 歓喜と殺気。主の激情は白無垢達にも伝播し、息の詰まるような緊張感が一気に高まった。

 

 若草女がほくそ笑む。準備は万端だった。奴が何処にいるのか、手に取るように分かる。しっかりとした足取りで、油断なく真っすぐ此方に向かっている。そうだ、それでいい。状況を弁えている。

 やがて両開きの引き戸が開き、暗い稽古場に月光が差し込んだ。ヒトガタの影が伸び、男の輪郭を浮かび上がらせる。

 九つの双眸が男を見た。男は奥で拘束されている少女を見た。それから、少女の隣に座す女を見て、眉間の皺を深くした。

 

 こいつが、イシグロ・リキタカ。ついに見えたラリスの剣豪を前に、女は訝しげに眉根を寄せた。

 確かに、黒髪である。確かに、革の鎧を纏っている。しかしその貧弱な筋骨は何だ。素人に毛が生えたような立ち姿とくれば、どうだ。あまつさえ、その腰にある木刀はどういう了見だ。

 偽物か? 無礼(なめ)められているのか? そう直感し、激怒しそうになった若草女は、奴を映すシズクの瞳を見て、荒ぶりそうになった心の波を鎮めた。

 

「私の負けか……」

 

 座したまま刀に手をかける事もせず、女は呻くようにして呟いた。

 開け放たれた扉から、強く湿った風が入ってきた。蝋燭の火が消え、月明かりだけが稽古場の灯りになる。

 月を背にした逆光の中、迷宮狂いの双眸が白無垢達を射貫いていた。

 

「唯心無月流、イシグロ・リキタカだな」

「ああ。そう言うお前は逸物狩り」

「そう呼ばれているらしいな。不本意極まるが」

「……約束通りに来たぞ、その娘を解放しろ」

 

 若草女に応えるイシグロの声に人間らしい抑揚はなく、さながら巨大な肉食獣の唸りのようだった。聞き覚えのない低声に、シズクはびくりと身を震わせていた。平和ボケした町娘とは対照的に、若草女は全身を撫でる悪寒に歓喜していた。

 イシグロの声には、眼力には、紛れもない銀の圧があった。ナリはコレだが、間違いなく本物だ。そうでなければ意味がない。

 

「それはできぬ」

「理由は?」

「できぬようにしたからさ」

 

 顎を使って指し示されたシズクの身体には、腹から全身に及ぶ文様が描かれている。生憎、イシグロにその文様の意味は分からない。けれども、その塗料に魔力残滓がある事は感知できた。

 その用途と目的は、あまりにもあからさまだった。こういう事を予測していたからこそ、こうして単独で姿を現したのである。

 

「無事なのか」

「命に別状はない、がねぇ?」

 

 パチン、と。女が鳴らした指に合わせ、八人の白無垢が立ち上がる。

 その手には、鞘に納まったままの刀が握られていた。操られている雰囲気はない。奇妙な集団は、誰でもない自分の意思でこの場にいて、刀を取っていた。

 

「リンジュ式陰陽術……決闘術式だ。戦場は此処、この稽古場。貴様が逃げたらシズクは死ぬ。シズクが逃げてもすぐに死ぬ。貴様以外の者が入らば、シズクの身体は弾けて死ぬぞ」

「お前等が逃げたら?」

「何も起こらない。が、逃げられないさ。どうせ此処で散る。そういう覚悟で刀を取った。そして……」

 

 見せつけるように、森人の女は手に巻かれた包帯を解いてみせた。

 晒された手の甲には、シズクの身体にある文様に似た印があった。

 

「私が死ねば全て解かれる。ここまで言えば、分かるよなぁ?」

 

 ぶわりと、女の痩身から抑制されていた濃密な殺気が解放される。呵責なく放たれた圧を合図にして、白無垢は一斉に刀を抜いた。

 応じるように、イシグロも木刀を手に取り、脱力するように提げてみせた。

 

「我が名はモーヴ、“影柳”のモーヴ! 我等、至高の剣たる澄刃流の門徒なり!」

 

 森人の女は、刀掛けにある白鞘を手繰り寄せた。

 いつでも抜けるように、いつでもシズクを斬れる距離で、いつでもイシグロに斬りかかれる位置であった。

 

「たった数年外にいて、帰ってみれば道場が無くなっていた。ジャグディ師範代の罪を贖う為、我が師デイビットは領域外へ向かったそうだ。そして、この刀を見た時に全てを悟った。武人同士のこと、試合の結果は受け入れよう。しかし、貴様の存在は許しておけぬ! 棒振り風情が、英雄だ何だと良い気になりおって! 己がカムイバラの武術界に何を齎したか……」

「あのさぁ」

 

 口上の途中、イシグロは無遠慮に言葉を遮った。

 嚇怒だ。憤怒である。気怠げな声音に、煮えたぎった怒りが混ざり始める。微睡んでいた獣が瞼を開くようだった。

 木刀を肩に。こきっと、首から音が鳴る。滲み出る怒りとは対照的に、漆黒の双眸は冷たい光を湛えていた。

 

「その話、長い?」

「なに……?」

 

 主の怒りに呼応するように、刀を握る白無垢達の手に力が籠る。

 臨戦態勢の剣士を前に、イシグロは喜色のない薄笑いを浮かべてみせた。

 

「萎えるんだよなぁ、悪人の自分語りとか。加害者のくせして被害者意識むき出しで、可哀想だと思われたいのかね? 正義は我にあり、自分には復讐の権利があるんですよって? 馬鹿かお前。児童誘拐犯の分際で、大見得切ってんじゃねぇよボケが」

「貴様、我々がどんなに……!」

「で……」

 

 声を荒げる白無垢の言葉に、またも冷たい声を被せる。

 ぐるりと、イシグロはこの場の全員を見渡して、小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 

「だから何?」

 

 その時、都合八つの血管がブチ切れた。

 

「ラリス人が!」

 

 白無垢の一人が悪態を吐くと、八人の白無垢剣士は一斉に異邦剣士へ襲い掛かった。

 怒りに飲まれたように動き出した白無垢達だったが、その体捌きは存外と洗練されていた。各々同一の武器を持ち、前列四人後列四人の連携からは確かな熟練を感じ取れる。

 

「「「「死ね! イシグロ! 死ね!」」」」

 

 逃走不可の屋内で、前列四人の刺突が迫る。対するイシグロは、提げた木刀を両手で構え、ゆっくり呼気して腰を落とした。馬鹿めと、後列にいた白無垢が嘲った。迎え撃とうというのである。

 防御軽視回避重視の異世界バトルにおいて、多勢に無勢はジャイアントキリングの基本である。実際、ラリスの衛兵は数人で銀細工を抑えられるし、リンジュの同心も多対一の連携剣術で以て大捕り物を行うのである。

 四方八方、回避先に剣を置く。目、腱、手、どれか一つに傷をつければ、そのまま数で圧殺できる。白無垢達の剣はその原則に則ったもので、集団戦の基本に忠実といえた。同様に、これまでの鍛錬を窺えるものであった。

 

「「「「ぐべっ!」」」」

 

 しかし、圧倒的な個の力には、その全てが無意味である。

 木刀ひと薙ぎ。剣を合わせた四人の白無垢は、芸術的な山なり軌道を描いてふっ飛ばされた。

 まさしく、鎧袖一触である。

 

「五つ……!」

 

 続く後列、四人中の一人が動揺している。心の穴を縫うように、イシグロは崩れかけた後衛に突貫。辛うじて刀を合わせた白無垢は、ガード越しに顎を打ち上げられ天井に突き刺さった。

 木刀を振り抜いたイシグロの背に、恐れを孕んだ突きが差し出され、それはぬるりと流された。背中越し、片手の【受け流し】である、恐怖のままに隙を晒した白無垢に【回転斬り】が打ち込まれる。水平に吹っ飛んだ白無垢は、建てつけの悪い木戸を突き破って木立の奥に消えていった。

 最初に飛ばされた四人にも、天井でぶら下がる白無垢にも、辛うじてだが息があった。射殺すような視線の割に、イシグロはこの場の剣士を殺す気は無いらしい。民衆に晒して、自身の栄誉の糧にするつもりなのだ。

 

「生け捕りのつもりか!」

「怖気るなよ姉者!」

 

 残る白無垢は二人。前衛の崩壊と共に退き、追撃を免れた手練れである

 次の瞬間、上下左右に息の合った剣技が振るわれた。その二つの刀に生じる真空状態の圧倒的破壊空間は、まさに神業的剣嵐の小宇宙。これまでのイシグロなら、舞い踊る二刀に翻弄されて得意の【受け流し】ができずに敗北していたことだろう。

 されど、今は違う。迷宮踏破によるレベルアップ。鍛錬による技術の向上。夢魔や熾天使や猫又との実戦経験が、ただのロリコンを戦士に変えていた。

 

「ふんッ!」

「ぐげっ!? がぁああああ!」

 

 小細工など要るものか。振りかぶり、踏み込み、叩き斬る。正面からの攻撃が掠った一人は、あまりの剣圧に押されて木戸を突き抜けて気絶した。

 転瞬、眼前にあった剣撃を魔力障壁で【弾き返し(パリィ)】、獣めいた姿勢のまま【軽功】と併せ【切り抜け】た。結果、最後の一人も他の白無垢と同じ末路を辿った。

 

 道場通いのシズクをして、瞬きの間の出来事であった。

 白無垢八人は、木刀一打によって戦闘不能。黒髪の剣士・イシグロ・リキタカは、あっと言う間に数的不利を覆してみせたのである。

 

「……なるほど、確かに強い。我が師を負かしたという噂も、強ち嘘ではないのだろう。隠した爪は鋭く、その身の力も精強極まる」

 

 僅かな静寂の後、若草髪の森人が立ち上がった。

 そして、白鞘の刀を抜き放つ。蝋燭の消えた闇にあって、月光を反射する刃は澄んだ泉のように優美な輝きを湛えていた。

 

「だが、貴様の剣は()たぞ」

 

 鞘を帯に下げ、切っ先を向けて言い放つ。

 言葉通り、モーヴは男の剣を見切っていた。噂に聞く受け流し剣法は視た。大会で披露したらしい跳躍技も、この脆い狭所では使えまい。無月流の技は対策済みだ。人質がいる現状、魔力任せの攻撃魔法は使用しないはず。あまつさえ、奴はモーヴの剣を知らないのだ。

 つまりだ。これより勝敗を分かつのは純粋な剣の技前で、ならばモーヴの土俵である。

 

「さぁ楽しい斬り合いをしよう」

 

 有利状況にほくそ笑むモーブに対して、イシグロは怒気を燃やしたまま冷静に現状を俯瞰していた。

 先ほどの戦い方は、当人としては下の下といったところだった。動ける場所が制限されて足を使えず、吹き飛ばす方向も調整してシズクに当たらないように加減をしなければならなかった。そのせいで見せる気のない技を見せてしまったのである。

 その上で、まぁどうにでもなるかと楽観した。油断している訳ではない。ただ、負けないようにしてきたから、余裕を持って当たれるのだ。

 あの時と同じ轍は踏まない。怒って暴れて強くなれる程、イシグロの心は純粋じゃない。だから、鍛錬してきたのだ。怒りを制御し、力に替える技術を。身体をホットに、頭をクールに。即ち、極限集中(ゾーン)状態を超えた過剰集中(ゾーン)状態である。

 

「参る……!」

 

 刹那、両者は爆風のような衝撃波を伴って激突した。

 木刀と鉄刀の鍔迫り合いで、眩い程の火花が散る。囚われた少女の前で、銀細工同士の戦いが始まった。

 

「やはりその木刀、並みではない! まともに防がば崩されるか!」

 

 一合、二合、流麗に剣を合わせたモーヴは、イシグロの持つ木刀の性能を看破した。

 件の木刀は、一見ただのリンジュ土産である。しかし中身は一級武装。なるほど、噂に聞く森人製法か。近くで見て分かったが、その芯からは異質な魔術刻印が施されているのを感じ取れる。加えて白無垢との戦いで見た不可思議な現象。如何な仕掛けか、下手にガードしようものなら跳ね飛ばされるのだ。

 後手に回ると崩されるなら、受けずに攻めて競り勝ち切るしかない。モーヴの得意がソレである。

 

「雑な剣!」

 

 幾閃の剣撃、互いの刀が縦横無尽に翻り、爆発めいた火花を伴い間髪入れず擦過する。

 イシグロをして、単純な剣の腕はモーヴが勝っているように思われた。それどころか、かつて戦ってきた強者達にも勝る。ニーナやジャルカタールを超える技量、ともすれば剣だけなら澄刃流師範のデイビットや剣鬼流師範代ウラナキをも超えるか。

 何より、モーヴは正面きっての斬り合いに慣れているようだった。対人戦、とりわけ剣術同士の競り合いに強く、イシグロは徐々に押されていった。

 けれども、だ。ゲルトラウデと比べればどうだろう。銀竜剣豪ヴィーカとは比べるべくもない。余裕で視える、普通に追える。なら無問題。イシグロはイシグロの戦いをすればいい。刀法については、全ての山札を晒しても構わない。その間に、相手の手札を剥がすのだ。

 

「チョイサーっ!」

 

 何かしらの能動スキルの予兆。瞬間、合わせた木刀が巻き上げられ、宙を舞っては天井に突き刺さった。

 武器を失ったイシグロは反射的に間合いを詰めようとした。無月流の無手術で制圧しようと思ったのだ。

 しかし、それこそ術中であった。イシグロの踏み込みと同時、森人剣客もまた後方に跳び、流れるように納刀した。ぞくりと、イシグロの脳裏に幾百の死の閃が視える。

 かつての戦いの記憶――風来坊めいた剣士の構え、異世界抜刀術が来る。

 

「澄刃流奥義、【奔泉乱舞】!」

 

 逃れ得ぬ刃の雨が解き放たれる。鞘走りの過程が感知できなかった。あまりにも疾過ぎる。剣がない今、受け流せない。勘である。イシグロは咄嗟に右の腕を上げ、最初の一刀を受けた。

 両断される覚悟だったが、初撃は存外軽かった。鎧越しに肌肉が切られ、骨に傷がついただけ。痛いだけなら、耐えられる。イシグロは半ば転倒するように軸をずらし、左手で盾を取り出し構えた。

 

「小癪な……!」

 

 刹那、縦横無尽の連撃が強固な盾と魔力障壁によって阻まれる。異世界物理法則に従い、連撃を受けたイシグロは床を滑って後退。

 追撃せんとするモーヴだったが、負傷したはずのイシグロの右手に握られたモノを見て反射的に身を捻った。

 

「チッ……」

 

 投げられたのは短剣だった。背後の壁が爆散する。凄まじい破壊力だ。駆けるがままに斬っていたら、刀の方が砕かれていたかもしれない。

 再度、短剣が迫る。体勢を崩したモーヴは床を殴って回避。しかし二度目の方は壁を貫通しただけで、破砕するには至らなかった。ブラフだ。あの短剣が特別だったのだ。

 連続の緊急回避のせいで、一手与えてしまった。その間に、イシグロは治癒魔法を唱えて己の身を癒やしきった。併せて鎧も修復されているあたり、見た目に似合わず一線級の鎧なのかもしれなかった。

 

「迷宮潜りが!」

 

 戦の流れを仕切り直すべく、モーヴは稽古場の外に出た。盾を放り捨てたイシグロは奇妙な形の杖を構え、眉を顰めたまま不動を保っていた。

 見れば、両者の間に虫の息で倒れ伏す白無垢の姿があった。微弱な攻撃魔法を受けただけでも死んでしまうだろう。イシグロの杖先に灯った魔力が霧散する。

 この期に及んで、イシグロはモーヴに手心を加えるつもりなのだ。

 

「英雄馬鹿が! そこまでして……!」

 

 今しかない。ここで決める。先ほどのお返しとばかりに、モーヴはイシグロ目掛け脇差を投擲した。

 弩めいた杖を触媒に、魔力障壁が展開される。イシグロが脇差を【弾き返し(パリィ)】た瞬間、足元に拳大の球が投げ込まれていた。煙幕である。

 暗い稽古場の中に、異常な程の白煙が舞い上がった。匂いもない。毒もない。イシグロは右手に新たな武器を取り出し、銃杖を下げて瞑目した。

 

「澄刃流、奥義……」

 

 背後、身体を丸めた影が浮かび上がる。疾走と跳躍の勢いを乗せ、モーヴは必殺魔剣の抜刀術を構えていた。

 間違いなく、一度目よりも疾い。人生最高の技だ。これで殺れねば、二度目はない。

 

「【奔泉乱舞】ッ……!」

 

 魔剣解放。死の閃が迸る。防がれてもいい。耐えられてもいい。例えこの身が断ち切られても、相手が死ぬまで何度も殺す。そういう覚悟で剣を振った。

 しかし、剣と一体化した精神は、拍子抜けするほど呆気なく止められた。切り裂けない。刃が刃に食い込んでいる。頑強で、重厚で、剣呑極まる鋸が、森人剣士最高の剣技に食らいついていた。

 瞬間である。耳をつんざく轟音を伴い、鋸状の粗い刃が回転する。激しく廻る刃に巻き込まれ、モーヴの刀はあっさりと両断されてしまった。それだけに止まらず、回転鋸は森人の手首に食い込んで、何の抵抗もなくすっぱり断ち切れた。

 

「がっ、ぐがぁああああ!?」

 

 鮮血が噴き出る。剣ごと利き手を破壊され、反射的に逃げようとしたモーヴの腹に強か蹴りがぶち込まれる。魔法剣士にあるまじき蹴撃に押され、女の痩身は木戸を突き破った。

 

「逃げんじゃねぇよ」

 

 それと同時に、森人の腹に鎖の付いた矢が突き刺さり、稽古場の真ん中に手繰り寄せられた。されるがままに最接近させられたモーヴの顎に、鋸を手放したイシグロの拳が突き刺さる。

 唯心無月流は、言ってしまえば喧嘩殺法。下品で卑劣で粗暴な技は、こうも使えば形になる。間違いなく、イシグロは唯心無月流の本懐を体現していた。

 

「虫とか入ってねぇだろうな。駆除してやるよ」

 

 モーヴの顔面に炎を纏ったメイスが叩き込まれた。倒れるモーヴに追撃の槌が迫る。

 防ぐ手段がない。避ける足が動かない。辛うじて鞘で受けたが、力任せに破壊された。

 殺す気のない連撃。痛めつける為だけの攻撃。無表情で槌を振り上げるイシグロは、街でよく聞く英雄象とは真逆の存在に思われた。

 

「……無関係か。じゃ、もういいや」

 

 言って、イシグロは肉厚な直剣を逆手に持った。

 首に添えられる。さっきまでそうしなかったのに、今になって殺す気なのだ。白無垢捕縛で十分と考えたか。それともシズクを助ける為か。

 

「はっ、甘ちゃんが……」

 

 笑声混じりの辞世の句である。イシグロの存在、その有様が笑えたのだ。

 鈍く光る切っ先が堕ちる。肉厚な刃だ。歴戦の剣である。死の寸前、モーヴは自身の血がこの剣の錆にさえ成れない事を確信した。

 徹頭徹尾、イシグロはモーヴを敵とは見ていなかった。平穏を乱す害獣。少女を汚す害虫。そのようにしか映っておらず、それは間違いではなかった。

 

 黒剣が突き立てられる。

 喉笛が、頸椎が、数瞬後に砕かれる。

 それでいいのだと、死んだように生きたモーヴは目を閉じた。

 

「待ってくださいッ!」

 

 その時である。

 少女の悲鳴が木霊した。

 首の皮一枚貫いたまま、黒剣の持ち手が静止した。

 

「私に! そんな呪いありません!」

 

 声の方を見れば、そこには枷を外されたシズクがいた。

 拘束を解き、自力で口枷を外していた。流れる涙によって、それっぽく描かれた文様が薄れている。

 ただの、魔法軟膏であった。

 

「そうか……」

 

 呟くと、イシグロは剣を戻して数歩下がった。

 それから木立に向かって手を振ると、影の奥から奴隷達が姿を現した。ついでに吹き飛んでいった白無垢を縛っている同心も出てきた。

 

「ごめんなさい! ごめんなさいイシグロさん! オレのせいでこんなトコまで来させて! 怪我までさせて! ごめんなさい……!」

 

 滝のように涙を流しながら、シズクはイシグロに頭を下げた。

 何故彼女が謝るのか、イシグロには分からない。武行によってテキパキと拘束されるモーヴから目を離し、イシグロはシズクと目を合わせた。

 

「何があったか、聞かせてくれる?」

 

 そうして、シズクは嗚咽と共に語り出した。

 どうしようもなく幼稚で、無知で無思慮で浅ましい、罪悪を。




 新年あけましておめでとうございます。
 今年も、本作をよろしくお願いします。

 毎度しつこく書いている通り、頂ける感想や誤字報告にはいつも助けられております。
 ウェブ小説なんて感想なかったらマジで続けられませんからね。それは他の作者様も同じなんじゃないかなぁと思ってます。知りませんけど。

 改めまして、フォローするだけでリスクになりそうな本作ですが、今後とも楽しんでって頂ければ幸いです。
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