【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚   作:いらえ丸

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 感想・評価など、ありがとうございます。感想を薪に燃えています。
 誤字報告もありがとうございます。いつも助かっています。
 キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。

 今回は前半三人称、後半一人称です。
 よろしくお願いします。


あさきゆろりし(結)

 逸物狩りの人相書が出回った日、その昼過ぎの事であった。

 

 推しを推すには金がいる。人通りの多い商店街を、外の仕事を終えたシズクは一人で歩いていた。

 その足取りは重く、吹けば飛びそうな程に覚束ない。あどけない相貌には、年齢不相応の深い諦観が浮かんでいた。

 大袈裟でも何でもなく、この時シズクは生きる気力を失っていたのだ。

 

 家の手伝いと軽仕事の時だけ外出し、最近のシズクは何をするでもなくイシグロ祭壇の前でボーッとしている事が多かった。

 ゲルトラウデ師匠には一身上の都合で休養する旨を伝え、銀竜道場に通っていない。同じく、塾にも行けていなかった。

 どうにもこうにも、意欲も気力も湧いてこないのである。

 

 これまでのシズクは、時間さえあれば己を高めるべく努力していた。

 心身鍛錬目的の武術もそうだし、様々なシチュエーションに応えられるよう色んな学問も修めんとしていた。最近は鬼人族伝統の自家製酒の制作にも手を付け、将来は夫か主になったイシグロに呑んでもらおうと思っていたのである。

 けれど、それができない。できなくなった。無意識に酷使してきた心身は、急ブレーキを踏まれた事で故障してしまったのである。その理由は明白で、シズクの母は何となく察しているようだった。

 

「あ、シズクちゃん! 久しぶり! 長いこと見なかったから、お姉さん心配してたんよ!」

 

 夢遊病患者めいて帰路を歩いている途中、突然横から声をかけられた。ハッとなって振り向くと、それは馴染みの売店の主だった。

 こじんまりしたその店は、リンジュの外の商品や由来不明の珍品等を取り扱っている何屋とも言い表し難い品揃えの売店だった。定期的にシズクが淫魔牛乳を買っている店でもある。 

 

「淫魔牛乳あるよ! 今日も買ってくっしょ?」

 

 そういえば、ここ数日間は毎日のように飲んでいた淫魔牛乳を飲まなくなっていた。最初は抵抗があった生乳も、今となっては好物の一つになっている。

 

「ありがとうございます。でも、今日は大丈夫です」

「んぁ、そう?」

 

 けれども、今はもう飲む理由がなかった。

 姉弟子ミアカに習った愛想満点の笑顔を浮かべたシズクに対し、人の良い女商人は心配そうな目を向けていた。

 

「ちょい待ち」

 

 そう言って、商人は店の奥にある簡易氷室を開き、中から一つの瓶を持ってきた。見慣れた色形、淫魔王国産を表す牛乳瓶である。

 保存魔法のかかった淫魔牛乳に冷蔵保存の必要はないはず。そう思っていると、商人はそれをシズクの手に握らせた。

 

「え、これは?」

「淫魔牛乳イチゴ味。甘くて美味しいよ!」

「えっ、ですが……」

「試供品さ! 美味しかったら友達にも紹介してね!」

 

 淫魔王国産の牛乳は他国で生産される牛乳よりも滋養があるとされ、特に美肌や豊胸に効果があると言われている。言うまでもなく、今のシズクには必要のないものだった。

 生乳の時点で高級なのに、果実入りともなれば決して安い商品ではないだろう。慌てて返そうとしたシズクだったが、何を思ったか商人の方も譲らない。少々の押し問答の後、結局シズクはそれを貰う事になった。

 

「つっても、どうしたもんかなぁ……」

 

 やや薄紅がかった牛乳瓶を持ち、相変わらず忙しないカムイバラを歩く。

 やがて、シズクは運河に架かる大橋に辿り着いた。二年前、イシグロに助けてもらった思い出の橋である。

 通る度に幸せな気持ちになれたこの場所は、つい数日前からそうではなくなっていた。キラキラした思い出と努力の道のりが空白に切り替わり、身がすくんで立ち止まってしまう。しかし、家に帰るにはここを通らなくてはならなかった。

 息を飲んでから、歩き出す。あれだけ高かった手すりが今は低い。水底に沈んでいきそうなシズクの心とは対照的に、橋の下では元気いっぱいな船乗りの声が響いていた。

 

「はぁ……」

 

 橋の中ほどで、もたれ掛かるように手すりに身を預ける。揺れる水面を見つめ、シズクは我知らず溜息を吐いていた。

 あの夜、イシグロに向かって必ず立ち直ると宣言したものの、当のシズクはガッツリ引きずりまくっていた。全く以て、立ち直れる気がしないのだ。

 

 変な話、これまでシズクはイシグロの為にこそ頑張ってこれたのである。

 だが、どう足掻いても望む未来に辿り着けないと知ってしまえば、以前と同じ生き方はできそうになかった。

 大人の身体になったシズクも、精神まで成長した訳ではない。報われぬ恋や努力がある事を、知ってはいても納得はできなかった。

 心半分、失くしてしまったようである。

 

 ふと、額に巻いた手拭に触れる。あの日、英雄から授けられた聖布だ。

 未練がましく、未だに過去に縋っている。これを捨てれば、この重たい心から解放されるのか。あるいは、イシグロと会う前のようなシズクに戻れるのかもしれない。あの日のような、恥しかない過去の自分に。

 それでいい気もする。何故なら、そっちの方が幸せだっただろうから。こんな事なら、助けて欲しくなかった。あのまま死んだ方が、楽だったのではないか。

 こんな思いをするくらいなら、彼に恋などしたくなかった。

 

「貴様、何をするつもりだ?」

 

 背後から声。慌てて身体ごと振り返れば、眼前に森人の女性がいた。

 笹の葉を思わせる両耳(・・)に、性別を超越した端正な顔立ち。眼前の森人は遊女のような化粧と恰好をして、鋭い瞳はゲルトラウデ師匠のようだった。

 弱そうに見せかけて強そうな人だなと、シズクは鬼人的本能で眼前の森人の実力を看破していた。もし、今朝のシズクに瓦版を読む余裕があれば、そこから別の事を連想しただろう。

 

「何があったかは知らぬが、こんなところで身を投げるもんじゃない。背こそ高いが、まだ十もそこらだろう」

「あ、いえ、そういうつもりでは……」

「とにかく、今は飯を食え。奢ってやろう」

 

 どうやら、身投げする寸前だと思われたらしい。実際、今のシズクはそれくらい酷い表情をしていた。

 そのままシズクは半ば強引に手を引かれ、近くの茶屋に連れていかれた。森人は店の娘に目配せし、茶と団子を持ってこさせた。あっという間の出来事で、断る隙がなかったのだ。

 

「という具合で、今すぐに死のうとかそういうつもりはなく……」

「む、そうだったか」

 

 あまりにも速い流れに困惑しつつ事情を説明すると、女性は気まずそうな表情を浮かべた。

 

「まぁ頼んでしまったものは仕方ない。食っていけ。食えば気鬱も晴れるものだ」

 

 と言うので、仕方なく団子と一緒にさっき貰った淫魔牛乳を頂く事に。

 甘い物を食べると、確かに落ち込んでいた気持ちが上向いていくような感じがした。思えば、最近は食欲まで無くなっていたように思える。朝食も森人豆数粒しか食べていない。だから、ああも落ち込んでいたのか。

 

 そうして心に余裕が生まれると、生来が好奇心旺盛なシズクは隣で団子を食べているお節介焼きの森人が気になってきた。

 なおも厳しい顔をして団子を食べる横顔は、シズクが知っている美女の中でも最上位だと思える。未だ垢抜けないシズクとは大違いで、その容貌や立ち振る舞いには世の男が好みそうな魅力があった。

 

「何か?」

「いえ、ただ綺麗な人だなと……」

「そう見えるか」

 

 素直に応えれば、森人美女に刻まれていた眉間の皺が解けた。

 柔らかい微笑みを見たシズクから、あって然るべき警戒心が薄れていった。悪い人ではないのだろうと、行動だけ見てそう思った。

 

「はい、最近は道場に行ってません。せっかく通わせてもらってるのに……」

「そうか」

 

 気が付けば、シズクは見ず知らずの森人に自身の現状について話していた。

 言葉にし難い内心を誰かに話して心を楽にしたかったのかもしれない。

 

「唯心無月流か。呼吸の仕方に爪派古獣拳に似た雰囲気がある」

「ご存じなのですか?」

「ああ。以前は閑散としたところだったが、今は女子供が集まっている。いい道場だ」

 

 戦士でなくとも刀を携帯するのが普通のカムイバラ民にあって、森人は寸鉄ひとつ帯びていなかった。冒険者証は見当たらない。ミアカのような無手術の使い手なのだろうか?

 訊いてみると、女は元々有名な道場に通っていて、人並み以上に覚えがあるらしい。手に持つ串をサッと振るうと、シズクの団子に猫の絵が描かれた。凄まじき技前であり、子供ウケする手遊びだった。当然、シズクの好感度は一気に上昇した。

 

「シズク、お前は何故に無月流を学ぼうと思った?」

「何故……?」

 

 修めるではなく、学ぶ。それは、シズクの初志を問う言葉だった。

 答えるのは簡単だが、それを言うのは恥ずかしかった。初恋の相手が相手である。コイバナなど、これまで一度もした事がなかった。まぁもう終わっているのだが……。

 ちょっとブルーになりかけたシズクは、一度頭を振ってから口を開いた。

 

「その、恥ずかしながら、好きな人が同じ流派で……」

「ほう……?」

 

 そうして、シズクは人生初のコイバナをちょっとずつ話していった。

 道場に通い始めた理由や、決して安くない淫魔牛乳を飲んでいる理由。その他、これまで続けてきた努力の数々まで。

 顔を真っ赤にしながらたどたどしく話す少女を、森人は微笑ましそうに見ていた。

 

「そうか、そうか。さぞ良い男のようだな」

「ええ。とっても。その、私とは釣り合わないくらい……」

「そんな事はないだろう。幸せ者だよ、その男子は」

「そう、でしょうか? 相手はあの……」

「何だ、言ってみろ。有名な奴か?」

「い、イシグロ様です……」

「……なに?」

 

 一瞬にして、女の瞳に暗黒が過る。同じく楽しそうに少女のコイバナを聞いていた茶屋の娘も不自然に動きを止めていた。

 俯いて赤面するシズクは、森人美女――“影柳”のモーヴの変化に気づけなかった。

 

「……その、イシグロとは、どんな奴なのだ」

「え? ラリスの剣豪をご存じでない? よく描かれてる絵とは大分違うのですが、とても素敵な方で……!」

 

 即答するシズクは一気にテンションを高くした。布教チャンスを前に推しを語らんとするオタク仕草そのものである。

 対し、瞬きの間に仄暗い眼光を納めたモーヴは、先程と変わらぬ表情を浮かべていた。

 

「長く旅をしていてな。生憎、最近の流行には疎いのだ。詳しいのか? 良ければ教えてくれ」

「はい! ぜひ!」

 

 それから、シズクはイシグロの事を話した。話したというか、語りまくった。

 カムイバラの大立ち回りについて、桜闘会の活躍について、冒険者専門読売にあったラリス王国におけるイシグロ英雄譚について。

 終いには橋でのシズクとの出会いについても、熱くしつこくネットリと。

 

「……奴が英雄であるものか」

「え?」

 

 話し終えると、さっきまで微笑ましそうな顔をしていた女は、心底忌々しいとばかりに吐き捨てた。

 ここにきて、シズクは女の様子がおかしくなっている事に気が付いた。まるで、猫だと思って撫でていた獣が巨大な人食い虎だったように。

 

「確かに、お前からすれば素晴らしい英雄なのだろうな。しかし、私にとっては違う。英雄譚の裏には、ドス黒い影が付き物だ。物語の敵役ではない。醜く悍ましい、糞便にたかる蛆のような影が……」

「それでも、イシグロ様は正しい事をなさいました。貴女は……」

 

 言葉の途中、慌てて口を塞いだシズクに、女は怒るでもなく先を促した。

 

「……イシグロ様は優しい方です。会った事もない貴女が彼の何を知っているかは存じ上げませんが、妬まれこそあれ恨まれる謂れはないはずです」

「どうだろうな。存外、多いかもしれんぞ」

 

 色の無い声。シズクから視線を外し、森人美女は通りの方向を見るでもなく眺めた。

 その瞳は、奴隷身分の美女に鞭打って豪奢な人力車を引かせている男の姿を映していた。

 

「……本当に優しい男なら、女の奴隷など買わぬはず。甲斐性がないから、奴隷を買って悦に入っているのだろう。心が貧しく弱い証拠だ」

「いいえ、彼はそんな人じゃねぇ……です。それに彼女達はイシグロ様に……」

「では、何故貴様の願いを叶えてやらなかった? 妾や下女はともかく、一度や二度抱いてやっても良かったろう。男ではないのだ」

「それは……それとこれとは、話が別だろ! イシグロ様は、オレの将来を案じてくれたんだ!」

「選り好みしているんだよ、有益かどうか。奴にとって、女は物に過ぎぬのだ。そんな英雄モドキに感化され、勘違いした男が何人いる事か」

「ひっ……」

 

 その言葉には、深い怨嗟があった。事実と嘘が入り混じり、自身の本心さえ分からなくなったかのような混沌とした響きが。

 強者特有の圧がシズクの背筋を凍らせる。師匠のソレとは全くの別物。剛腕で以て暴れ馬を御するように、理性なき知性が身体の手綱を握っていた。

 ぎょろりと、モーヴは飢狼じみた眼をシズクに向けた。

 

「一つ、賭けをしないか? 貴様の言うイシグロが貴様の思う通りの男なら、お互い益のある話だ」

 

 答える前に、茶屋の奥に連れて行かれた。移動し変装を解いたモーヴは、シズクに自身の内情を話した。

 自身が逸物狩りと呼ばれる人斬りで、カムイバラでイシグロ似の男を何人も殺してきた事。早晩武行に捕まって、遠からず命を落とすだろう事。

 ただでさえ疲労していたシズクの精神は、悪意の権化のようなモーヴの氣に中てられ、正常な判断ができなくなっていた。

 

 賭けの内容は、このようなものである。

 今宵、同意のもとシズクを誘拐し、イシグロを呼び寄せる。

 指示通りイシグロが助けに来たら、モーヴはイシグロを英雄と認める。

 反対にイシグロが来なかったら、シズクはイシグロが英雄ではない事を認める。

 

 何もかも馬鹿げた話である。どだい賭けになっていなかった。

 どうなろうが両者共に益はなく、ただ己の心にケジメをつけられるだけ。

 逸物狩りの殺人鬼は断ってもいいと言ったが、そうすればシズクは己の発言を撤回する事になる。乗る理由など無い。一刻も早くこの場を離れ、武行法院に通報するべきである。

 どうするのが正しいかなど、明白ではあったのだ。

 

「お受けします」

「ほう」

 

 けれども、シズクはその申し出を受けてしまった。

 怨讐に染まって道理から外れたモーヴと同様に、失恋によって箍の外れたシズクの心は、安易な誘惑に勝てなかった。

 

 シズクは、イシグロの奴隷達に嫉妬していた。

 あの天狐のように、自分もイシグロに救われたかった。

 猛き英雄に、囚われの姫として助けられたなら、英雄の鑑たる男は哀れなシズクを抱いてくれるのではないか?

 打算があった。見通しの甘い計画だ。逃れ得ぬ誘惑である。その妄想は、どうしようもなく魅力的だった。

 

 故に、シズクは己の身体に嘘の呪いをかけたのだ。

 

 

 

 案の定、イシグロはシズクを助けに来てくれた。

 闇夜の中、たった一人で、不退転の覚悟を決めて。

 

 叫び出したいほど嬉しかった。シズクの胸中に得体の知れない悦びが渦巻く。彼の英雄が、シズクの為だけに、剣を取ってくれたのだ。

 これで自分もイリハと同じになれる。彼に尽くせる。あわよくば、慰めてくれるかもしれない。そうなれば、夢が叶うのではないか。

 

 そして、イシグロは全てを薙ぎ倒した。

 振るわれる武威は豪傑そのもので、不殺の太刀は英雄性に満ちていた。

 一切の惑いなき太刀筋は、あまりにも輝かしかった。

 

 そう、あまりにも恰好良かったのだ。

 身を挺してシズクを助けてくれた時と同じ。

 英雄的に過ぎて、目を焼く程に眩しかった。

 

 ふと、ぽっかりと空いた心に、邪を祓うような清涼な風が吹いた。

 目の前の彼と比べて、今の自分はどうだろうか。

 英雄を謀り、罠に嵌め、囚われの姫を演じて情けを乞うている。

 それではまるで、英雄を堕落させる悪女そのものではないか。

 

 その時、シズクの意識は地に足着いた現実感を取り戻した。

 シズクの前で、シズクを救う戦いが繰り広げられている。

 黙して怒るイシグロは、あれほど恐ろしかったモーヴさえ圧倒していた。少女に刻まれた嘘の呪いを信じて、悪女を救うべく戦っていた。

 それが、どうにも嫌だった。

 

「待ってくださいッ!」

 

 反射だった。気が付いた時には、シズクは声を上げていた。

 この段になって静止を乞うシズクの声に反応し、すんでのところでイシグロは戦いを止めた。

 

「私に! そんな呪いありません!」

 

 シズクとてカムイバラの住民だ。世の中には殺されるべき悪がいる事は承知している。悪を討つ英雄を、殺人者だとは思わない。

 それでも、イシグロにモーヴを殺してほしくはなかった。彼女の命乞いをしているのではない。ただ、こんな性悪女に騙されて戦っては、彼の剣に傷が付くと思ったのだ。

 あるいは、保身だったのかもしれない。辻斬り相手とはいえ、自身が人死にの要因になりたくなかったのか。ともかく、シズクの心には混沌とした罪の意識が渦巻いていたのである。

 

「ごめんなさい! ごめんなさいイシグロさん! オレのせいでこんなトコまで来させて! 怪我までさせて! ごめんなさい……!」

 

 自分のせいで、イシグロに迷惑をかけてしまった。危険な目に遭わせてしまった。イシグロだけではない、両親も心配させてしまった事だろう。

 腹の奥底から、罪悪感が溢れてくる。本当に愚かで、どうしようもなく性格が悪くて、自分で自分を許せなかった。

 

「反省しているんだね。なら、許すよ」

 

 告解の後、イシグロはシズクを赦した。

 そうして、確信したのである。

 

 自分はどこまでも子供で、イシグロは大人だった。

 彼にとって、シズクは庇護の対象でしかなく、そこに恋愛感情が生まれる訳もなかったのだ。

 同じように、シズクもまた、イシグロを英雄的な偶像としか見ていなかった。

 一方的に知ったつもりで、彼の心と同調した気になって、本当の意味でイシグロ・リキタカという男を見ていない。

 

「ごめんなさい……! ごめんなさい……! うぅ……本当に、何でこんな事を……!」

 

 あの日、シズクに灯った熱い想いは、恋ではあったのだろう。

 純粋であり、尊いものではあったのかもしれない。

 けれども、愛には成り得なかった。

 

 こうして、シズクの初恋は終わりを迎えたのである。

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、シズクちゃんは無事だった。

 カムイバラ男児を恐怖のどん底に叩き落とした逸物狩りとその協力者達も無事撃破。

 一件落着と言えよう。

 

 罪悪感で泣きじゃくるシズクちゃんを一党の皆で宥めすかしている間、後詰めの武行の人達に児童誘拐犯達を捕まえてもらった。

 武行にはアンゼルマさん経由で通報済みで、俺の監督役として同行してもらっている。俺が当たってみて無理そうだったら、一党の皆で突入する手筈だったのだ。

 最初は蛇的ステルス作戦でいくつもりだったが、それをしたら問答無用で殺されるパターンもあるらしいので致し方なくの正面突破だったのである。

 

「本当に申し訳ありませんでした。イシグロ様だけでなく、ルクスリリア様や武行の方々にもご迷惑を……」

「大丈夫、悪いのは全部あいつだから」

 

 個人的には、シズクちゃんに落ち度はあっても罪はないと思う。まぁ反省してるならいいよって感じである。

 どだい凶悪殺人鬼を前にして「ノー」を言うのも厳しかろうて。強いていうなら、見ず知らずの人相手に無警戒過ぎだったなとは思うが。

 

「イシグロ・リキタカ、貴様はシズクを見捨てなかった。その行為と意気については認めてやろう」

「え? 何だって?」

「だが、覚えておけ。貴様の成した善行には、必ず影が生まれる事を」

「え? 何だって?」

「だから……! 貴様のやってきた事は……」

「え? 何だって?」

「くっ、この貴様……!」

 

 強面同心に連れて行かれる際、連続殺人鬼兼児童誘拐犯が何か言ってきたが、右から左へ聞き流した。

 地獄に落ちて、どうぞ。少女を泣かせるのは大罪ゾ。

 

「シズク! ああ、生きてる! 良かったぁ~!」

「お前までいなくなっちまったら、俺ぁどうしたらいんだって思って! 本当に良かった!」

 

 それからの事。逸物狩りに誘拐されたシズクちゃんは、同心&黒剣一党&アンゼルマさんの護衛で両親の下に送り返された。

 今回の一件については、親御さんには一部をぼかして説明する運びとなった。何が悪くてどうすべきだったかは、当人が一番よく分かっている。これ以上、彼等に余計な心配をさせるべきではないだろう。

 誘拐されて、武行が助けた。それだけの話に収めたのである。俺はあくまで裏方で、ただの武力担当だ。

 何故なら、俺個人の功績にするよりもリンジュの治安維持機構である武行法院がやった事にしといた方が街の治安向上に繋がると考えた為である。

 褒賞は要らない。御用聞き代だけもらって終わりである。少女の安寧が最高の報酬だ。

 

「あちこちでこんな事やってんなら、アンタそのうちモノホンの英雄になっちまうぜ」

「いいえ、なりませんよ」

 

 俺は俺の手が届く範囲しか守れない。俺は俺の愛する者の為じゃないと戦えない。そんな奴が英雄であるはずがないのだ。

 第三王子のお墨付きで、俺は器じゃない訳だしな。

 

「その、イシグロ様……」

 

 なんて話していると、同心から説明を受けてる両親から離れたシズクちゃんがやってきた。

 その瞳は真っ赤で、あどけない幼顔には泣き腫らした跡があった。それでも、彼女は憑き物が落ちたような晴れやかな表情をしていた。

 

「その……道場。もう少し続けようと思います。勉強とか、その辺も……。いつか、立派な大人になる為に……」

「そうか。うん、いいと思う」

「は、はい……!」

 

 ぺこりと頭を下げて、彼女は両親のところへ戻っていった。

 それから振り返って、額に巻かれた手拭を取り、

 

「イシグロさん! 助けてくれて、ありがとうございました!」

 

 言って、今度こそ帰って行った。

 両親は首を傾げていたが、俺には伝わった。

 あの日の出会いは、思い出になれたようである。

 

「帰ろっか」

「あいッス!」

「一件落着でしょうか」

「さぁ? 奴に便乗した辻斬りはまだいるらしいけれど」

「それは武行の仕事じゃろう」

「ん、見つけたらぶっ倒す」

 

 長い夜も終わり。日常が戻ってくる。

 ひと仕事終えた実感を抱きつつ、俺達も宿に戻るのであった。

 

 

 

 最近は御無沙汰だった分、宿に戻るや否や皆とのイチャイチャタイムが始まった。

 外風呂で、内風呂で、脱衣所で。布団の上ではいつも以上に執拗に。

 思う存分に楽しんで、ぐちゃぐちゃになった布団に【清潔】をかける。

 暑くて熱い夜だったが、構わず肌を重ねて眠る事にした。

 

「ねぇ……」

 

 耳元、エリーゼの囁きが俺の耳朶を震わせる。

 その声は、いつもより僅かに上ずっていた。

 

「もしもの話よ……?」

 

 皆はまだ起きているようで、もぞもぞと動く感触がする。

 ケモロリ二人は耳を立て、天使の娘は首を傾げている。布団の奥から覗く真紅の双眸は、メスガキらしく三日月に歪んでいた。

 

「私達が大きくなっても、一緒にいてくれる……?」

「ああ」

 

 即答していた。

 自分でも驚きだったが、一切の逡巡なく応えていた。

 何故かと思って自問してみたら、その答えはやけにあっさり浮かんできた。

 皆を見る。イリハが不安そうな顔をしている。安心させるように、俺は彼女の頭を撫でた。

 

「俺は皆が大好きだから、何があってもずっと一緒にいるよ」

 

 俺はロリコンである。

 ロリコンだからルクスリリアと出会えた。

 ロリコンだからレノを救えた。

 だが、今の俺はロリコンである以前に、皆に惚れてる普通の男だったのだ。

 

「そう……ふふっ♡ わかっていたけれど、嬉しいものね♡」

 

 ちゅっと、ほっぺにキスされた。

 幸せが俺の心に染み渡る。こんなんナンボされてもええですからね。

 

「ご主人♡ アタシも大好きッスよ♡ ちゅっ♡」

「約束ですよ、ご主人様♡ ちゅっ♡」

「主様♡ そういうトコじゃぞ♡ んちゅ♡」

「ん♡ ん♡ 右に同じく♡ ちゅ~♡」

 

 したら、顔中に唇が落とされた。とてもくすぐったい。

 お道化てみせてお返しすると、皆はキャッキャと喜んでくれた。

 安心して、ふざけたくなっていた。

 

 何か事件が起こる度、俺は俺の至らなさを痛感する。戦いだけじゃなく、精神の方もそうだ。

 小学生の頃は、大人は何でも出来て何でも知っていて、いつか自然にそうなれると思っていた。けれど実際はそうではなくて、御年二〇歳を超えた今も俺は大人になった自覚がない。

 でも、それでいいと思っている。厚顔無恥が子供であって、大人が愛を伝える事を恥じるものだとしたら、俺にその気は全くなかった。

 大好きだから、俺は彼女達へのアイ・ラブ・ユーを躊躇わない。

 

 本当に、俺は皆に惚れているのだ。

 そう、思い知った夜だった。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、カムイバラ中に逸物狩り逮捕が報じられた。

 事前の取り決め通り、件の辻斬りを捕まえたのは頭からケツまで武行同心によるものという事になっていた。

 事実を知れば各方面が混乱するとの事で、瓦版に記された逸物狩りの犯行動機はそれらしく書かれた半分嘘の作り話である。

 また、協力者含め逸物狩りは極刑確実の見込みである。普通に死刑か圏外送りか、どのみち一度は見せしめにシバかれるそうな。

 

 後に聞いた話によると、当の逸物狩り氏は武行の取り調べに協力的らしく、復讐対象だった俺にはマジの犯行動機が伝えられた。

 曰く、俺のフリして女引っかけてた男を斬って以降、俺の名を騙る男のイチモツを斬って気を晴らしていたらしい。そこに本物のイシグロ氏がリンジュ入りして、捕まる前に例の事件を起こしたと。

 案の定、情状酌量の余地が無い普通に迷惑な輩だった。当人には当人なりの葛藤があったのだろうが、全く以て知った事ではなかった。

 あほくさ&しょーもない。俺の感想としてはそんなもんだ。奴に殺されて亡くなった方々には追悼の意を表すばかりである。

 

 そんなこんな。

 

 事件の後の事である。

 今度こそ満喫するぜ慰安旅行。浮かれ気分で宿を出た俺達は、カムイバラ中を歩き回って観光を楽しんでいた。

 船に乗って区を移動したり、銀竜剣豪の劇を観覧したり、カムイバラ陶芸を体験してみたり。一日中、朝から晩まで遊び呆けていた。

 その最中である。

 

「イシグロさん! お久しぶり!」

「アイエ!? デイビット=サン! ナンデ!?」

 

 なんと、澄刃流創始者のデイビットさんと再会した。

 彼は以前カムイバラに来た時に出会った剣術家で、桜闘会決勝で戦った仲である。

 久しぶりに会ったデイビットさんは、相変わらず星痣一族めいたゴリマッチョぶりだった。キラリと光る白い歯が実に眩しい。

 

「御久しぶりです、イシグロさん。先の道場の件については、ご迷惑をおかけしてしまい……」

 

 彼の隣には、乳母車を押すドワーフ女性の姿があった。元澄刃流師範代、フィーランさんである。彼女はデイビットさんの恋人で、今は妻になってるらしい。

 乳母車に乗せられているのは実に可愛らしいドワーフ族の赤ちゃんだった。なんか、ビックリである。そう深い間柄ではないのだが、知り合いが子供を授かったと聞くと得体の知れない感動があった。

 

「そうです。優しく、けどしっかり支えてあげてくださいね」

「こ、こうかしら……?」

「次! 次アタシもいいッスか?」

「ええ、構いませんよ」

 

 赤ちゃんを抱っこしてハイテンションになってる女子勢の傍ら、男子は男子で旧交を温める。

 曰く、桜闘会の後の二人は罪滅ぼしの為に人類生存圏外で戦い続け、無事生き残った帰りに盛り上がってデキちゃったというのである。

 

「それでね、これから僕は舞台で食べていこうと思うんだ」

「は、はあ」

 

 で、色々あって戦に飽きたデイビットさんは、舞台役者を目指しているそうだ。

 で、思い立ったが吉日とリンジュの魂であるはずの愛刀を売っちゃったらしい。実際、二人の腰には護身用と思しき脇差だけが下げられていた。

 う~ん、やっぱり異世界人は思い切りが良いっつーか何つーか。

 

「この人、旅の途中で見た新しい劇にハマッちゃったみたいで。歌舞伎っていうらしいんですけど、ご存じですか?」

「本当に素晴らしかった。僕の生きる道はコレだって確信したんだよね」

 

 この時、ふと思い出した。俺が斃した逸物狩りが持ってた白鞘の刀、アレ前にデイビットさんが持ってた刀である。

 銀竜道場を襲撃してきた事件といい、今回の逸物狩り事件といい、デイビットさん当人のせいではないがデイビットさんが原因で起きたんだよな。

 そう思うと、何ともモヤッとしてしまう。いや恨んではないけどさ。

 

「長い森人人生、楽しまないとね」

「お稽古もいいですけど、ちゃんと働いてもらいますよ」

「勿論。いやぁ下積み時代を思い出して楽しいなぁ」

 

 なんて話をして、二人はカムイバラの喧噪に消えていった。幸せそうで何より。

 それはそれとして、これほど蹴りたい背中はなかった。

 

 時は夏、日は昼、すべて世は事も無し。

 こうして、カムイバラ到着直後のいざこざは終結するのであったとさ。




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