【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
誤字報告もありがとうございます。いつも助かっています。
キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。
今回、前半少しいつもと違う書き方をしています。
よろしくお願いします。
イシグロさん。あたしね、結婚するの。
他所に嫁ぐのよ。それで……ユゥユゥとはお別れ。
だからね、あの子を連れて行ってほしいんだ。
武侠会の手の届かないところまで。
クーシェンの外に……。
あー、ちょっと訂正。
ユゥユゥをお妾さんにって言ったけど、別にお妾さんじゃなくてもいいの。
要はユゥユゥを守って欲しいって話だからさ。友達でも、師匠でも、何でもいい。
ルクスリリアちゃん達を見てたら分かるわ。イシグロさんは、皆を家族みたいに大事にしてるよね。
奴隷身分のままにしてるのも何か理由があるんでしょ? 実際、ラリス王国的にはイシグロさんの奴隷なら、並みの庶民より地位高いだろうし。
だから、奴隷でもいい。召使いでも従者でもね。皆みたいに、家族みたいに扱ってほしいとは言わないから。
それとね、ずっとユゥユゥの面倒を見てほしいって訳でもないの。
あの子が安心して生きられるように、自立するまで見守っててくれない? って。
本音を言えば、ずっと貴方に守ってほしいんだけど。まぁ流石にね。
……ううん、この事はまだユゥユゥには言ってないよ。ああ、お妾さん云々の話ね。
勿論、あの子の気持ちが一番大事よね。今時、勝手に妹の将来を決めるなんて、ねぇ?
けど、このままじゃユゥユゥは一人になっちゃうの。ずっと一人で、誰も来ない店を守り続けるわ。
あの子の事だから、死ぬまでそうする。飢えて倒れても、店の食材は残すでしょうね。
まず削るのは自分の命。そういう子なのよ、ユゥユゥは。
そうなるよりはさ、打てる手は打っとくべきかなって。
さっきも言ったけどさ、あたし結婚するんだよね。
そしたらね、ユゥユゥとは二度と会えなくなる。
クーシェン城に住むんだもん。一生外には出られないわ。
武帝祭、知ってるでしょ? あれのご褒美になっちゃったんだよね、あたし。
新しい武王のお嫁さん的な? そうじゃなくても、今いる武王の誰かの側室とか。
古くからの慣習なんだってさ。新しい血の猛き王には、貴き血を継ぐ麗しき乙女が相応しいって感じの。まぁ? これでも見た目には自信ありますからね。
つっても、あたし以外にもいるけどね、武王のお嫁さん候補。ていうか、その為に生まれてその為に教育されてる娘に会った事もあるよ。その娘等、あたしに敵意バチバチでさ……。
英傑に嫁いで血を繋ぐのは、とても名誉な事なんですよ……って、武侠会の人が言ってたわ。
何故って、決まってるでしょ。
お金よ。それと、自由。
あたしが嫁げば、ユゥユゥにお金と自由が与えられる。
そういう約束で、あたしは武侠会に買われたの。
ううん、売ったのよ。自分から。
ユゥユゥの料理、美味しかったでしょ?
けど、店を続けるのもお金がいるから。住む所だって、毎月お金を払わないといけないわ。
そう、うん……分かるでしょ?
逆らえないかな、シエジー組には。
あたしの事?
いやいや、イシグロさん別に興味ないでしょ?
ユゥユゥとは正反対の姉。馬鹿で不器用で、情けなくて弱い女。それがあたし、それだけ。
あの子の優しさに甘えて、あの子を縛りつけていたの。少しくらい償わないと。
せめて、生きていけるだけのお金をね。
あたしの身体で済むなら、安い安い。
……って、思ってたわ。
イシグロさん、貴方が来るまではね。
お金を貰えるったって、一生遊んで暮らせる程じゃない。
クーシェン城に住むんだもの。ユゥユゥの様子は分からない。手紙だって、先に見られちゃうだろうし。間違いなく、死に目には会えないでしょうね。
自由って言っても会の機嫌一つで奪われる。良いお嫁さんでいなくっちゃね。
クーシェンにいる限りは、あの子はあたしの人質なのよ。
ならさ、イシグロさんに任せる方が全然いいじゃん。
イシグロさんは優しいから、一度手元に置いちゃった子をそう簡単にハイサヨナラって出来ないわよね。
それに下世話な話、お金持ちでしょ? ふふっ、冗談……。
そりゃあね、タダでとは言わないわ。
クーシェンはね、外に出るのにお金がいるの。
もし許可も貰わず外に逃げたら、武侠会の人が追いかけてきて、連れ戻してから見せしめに処刑するのよ。
子供の頃にね、近くで見せられるの。殺して治して、それの繰り返し。すごく怖かったわ。
でも……ちゃんとお金を支払えば、国を出る事ができる。あたしが貰えるお金を使って、ユゥユゥを外に出してほしいのよ。
そのお金の余りを、全部イシグロさんに譲るわ。貴方からしたら、はした金かもしれないけど。
会って間もない女の子の面倒を見ろだなんて、イシグロさんからしたら迷惑な話よね。
残念ながら、うちにはもう価値の高いお宝なんてないわ。家宝の武具も取られちゃったし、ぶっちゃけあの剣のが強そうだったしね~。
だからね……今、あたしにしてほしい事があったら言ってほしいんだ。
ええ、覚悟してるわ。
イシグロさんの事は好きだしね。
強くて優しい男の子。ラリスじゃ結構モテるでしょ?
ワタシも見た目には自信があるの。もちろん、身体もね。
慰めて欲しいって気持ちもあったりします。
だから、さ。
……ごめんなさい。今のはイシグロさんを貶める発言だったわ。
貴方はそういう人じゃないものね。
うん、そうね。羨ましいな、ルクスリリアちゃん達が……。
分かってるわ。いくら何でも急過ぎると思う。
会ってまだ一週間だもんね。
けどね、そうしなくちゃいけなくなっちゃったんだ~。
明日、私は家を出るわ。
武侠会の人が迎えに来て、クーシェン城に行くの。
花嫁修業? とか聞いたけど。ともかく、そこで妹と一生のお別れ。
明日の朝ご飯、それがあたしの最後の朝餐ね。
その時が来るまでいつも通りでいようって、約束していたのよ。
思ってたより、早かったけど。
ふぅ……。
うん、まぁそんな感じ。
……イシグロさん。
どうか、お願い。
妾なんて贅沢言わない。愛してあげてとも言わないわ。
あの子は……ユゥリンは、一人で生きていける子じゃないの。
他人が怖いくせに、独りが怖い寂しがり屋。
友達もいない。両親もいない。あたしも明日、いなくなる。
お願い、ユゥリンを守ってあげて。
〇
チィレンさんは結婚するらしい。
お相手は未定。お見合い無し。家を出るのは明日の朝。その理由は、全て妹の為だった。
そこで、俺にユゥリンを引き取ってもらい、生活の面倒を見てほしいとの事だった。
「なるほどね……」
「あの目は別離を覚悟していた目だったんじゃな」
当日、夜。屋上から戻った俺は、一党の皆に屋上で聞いた話を共有した。
反応はマチマチだった。最も動揺していたのはレノで、最も落ち着いていたのはルクスリリアである。エリーゼは思案するように目を伏せ、グーラとイリハはしょんぼりと耳と尻尾を垂れさせていた。
「ご主人様はどのような返事を?」
「とりあえず、ユゥリンには最大限配慮するって答えたよ。皆に無断で決める訳には行かなかったからさ」
チィレンさんからのお願いには、一旦保留と返した。
俺の独断で決める訳にもいかなかったし、それ以前にユゥリン自身の意思を聞いていない。
ただ、明日以降のユゥリンのケアはするとは伝えておいた。
「チィレンさんが武侠会の誰かに嫁ぐ事は、ユゥリンはご存じなんですよね?」
「ああ。お互い納得するまで話し合ったらしい」
無論の事、妹は姉の結婚については知っていた。結納金で店を続けるってのは、当時の彼女の意思だ。
明日以降、彼女は一人で店を回す事になる。ずっと、ここに一人で居続ける気なのだ。
それはチィレンさんの言ってた通り、破綻を先送りにしているだけだ。ユゥリンは二度と会えない姉の為に、かつて家族がいた店を守り続けるというのである。
俺視点、あまりにも哀しい覚悟だと思った。
「ん、今すぐシエジー組に殴り込むべき。一回全員ボコボコにして、二度としませんって契約させる」
「それで解決する事じゃあないッスよ。んな事したらご主人がお尋ね者に早変わりッス」
「王子様の手もここまで届くとは思えんしのぅ」
「外に連れて行くにしても、ユゥリンはそれを望むものかしら? チィレンの大切な物を守ると、そう誓っているのでしょう?」
「まずはユゥリンの本音を聞くべきでしょうね。ボク達に明かすとは、思えませんが……」
「そうだな。けど……」
仮に、ユゥリンが今のままクーシェンに一人で居続けたいのだとすれば……。
ユゥリンのやろうとしている事、それは遠回りな自殺に他ならない。
彼女の望みとはいえ、それを俺は見て見ぬふりすべきなのだろうか。
時に、自殺志願者に自殺を止めさせる方法は、倫理的にも現実的にも存在しないらしい。
当事者ならぬ他人に出来る事は、せいぜい「貴方が死ぬと私は困る」と伝える事だけだ。
そもそも、本来俺みたいな余所者が首を突っ込んでいい問題ではないのだろう。
「ユゥリンの気持ちは明日訊くとして、ご主人はどうしたいんスか?」
「俺……?」
「ッス。アタシはご主人の心に従うッスよ」
問われ、考える。
彼女達姉妹の状況を知って、俺自身はどう思い、どうしたいか。
チィレンさんの言う通りに、ユゥリンを妾なり何なりにして手元に置くとしてだ。
金の心配はしなくていい。家の事を手伝ってもらえれば、それで十分なように思える。彼女が望むなら、迷宮でパワーレベリングをして自衛手段を持たせる事もできるだろう。
あるいは、俺の有り余る資金を使って王都にロリ中華屋をぶっ建てるってのもアリだろう。味はいいのだ。俺はリピるし、上手く回せば自活できるはず。
そこまで考えて、これは違うと確信した。
例え外での生活が上手くいったとしても、ユゥリンは心の底からは笑顔になれない。
何故なら、彼女の為に姉が犠牲になっているからだ。我が希薄で姉想いなユゥリンは、家族の不幸の上で幸福になれる性分じゃない。
だったら、俺の目指すべき道は決まっている。
「二人とも助けたい……」
ふと、中身もない言葉が漏れた。
虚空に溶けた浅はかな願望に、やがて思考が追い付いた。
そして、これしかないと思い至る。
「大団円のハッピーエンド。ビターもメリバも勘弁だ。俺は、可哀想なのは嫌だ……」
我知らず、グッと拳を握っていた。
銀細工らしいエゴが湧いてきて、自分の事ながら眼に力が籠っていくのが把握できた。
ロリが覚悟を決めたのだ。ロリコンも腹を括るべきだろう。
「マスター……!」
「ッスね! そう言うと思ってたッス!」
「夜じゃ夜じゃ、もそっと静かに」
皆もやる気満々のご様子。次いで決を取ると、案の定助ける方針で合致した。
流石、皆さん俺よりよっぽど善の人である。彼女達に見合う漢を目指さなくては。
「けれど、そう都合の良い解決法などあるのかしら? さっきも言ったけれど、今回ばかりは単純な暴力で解決する問題ではないでしょう?」
「それなんだよなぁ」
エリーゼの言う通り、まだ解決の筋道は見えていなかった。
文殊の知恵的なサムシングで、ロリコンとロリで何かナイスな案は出てこないものだろうか。
「ご主人様」
「ん?」
なんて思いつつグーラの方を見ると、彼女は最近愛読しているクーシェンの本を抱いていた。
「なくはないと思います」
そうして、彼女はその本を開き、とあるページを指し示した。
その内容を見て、俺達は顔を見合わせ、頷いた。
行けるかどうか分からないが。希望はある。
後は勇気で何とかするだけ。
いやマジで本当に、勇気が最重要テーマだったのだ。
〇
時は進み、別れの朝が来た。
その日も、昨日と代わり映えのしない朝だった。
「ん~! これ、何もかけてないのに美味しいね!」
「今年はキャロの野菜が豊作みたいです」
ユゥリンの作った朝食を皆で囲んで食べる。
言葉の隙間に、やけに食器の音が響く。
沈黙を厭うような会話は、さながら進み続ける時間への抵抗のようだった。
「でね、もう歩けるようになったんだって。早いわよね~」
「うん……」
少しずつ、ユゥリンの言葉数が減っていく。
チィレンさんは、昨日と変わらない笑みを浮かべ続けていた。
他方、俺は覚悟を持って二人の語らいを見届けていた。
「そろそろ、かなぁ……」
ことりと、チィレンさんが茶器を置いた。
店の外、静かに佇む気配がある。
終わりの時が来たのだ。
「失礼します」
涼しげな声と共に、来客を知らせる鈴が鳴った。
逆光に男の影が差す。シエジー組の長、ドウジュンである。
彼は俺を一瞥した後、武王に売られた看板娘に対して恭しく首を垂れた。
「チィレン様、お迎えに上がりました」
「……はい」
チィレンさんが席を立つと、ユゥリンも遅れて立ち上がった。
やがて向かい合った二人は、ひしと抱擁を交わした。
温もりを確かめ合うような、強く優しい抱擁だった。
そこに、涙は無かった。
諦めに端を発する、悲痛な覚悟があった。
ずっと一緒だった姉妹が、離れる。
一歩下がったチィレンさんは、慈しみの眼で妹を見た。
瞑目し、唇を引き結ぶ。その耳は、僅かに震えていた。
そして……。
「行ってきます」
笑顔を浮かべて、そう云った。
友達と遊びに出かける時のような、自然な微笑みだった。
「行ってらっしゃい」
澄んだ声が応じる。
これまで聞いた事のない、腹の底から出したような言葉。
誘うように、扉が開かれる。
チィレンさんの背中が、逆光の中に消えていく。
やがて扉が閉まり、聞き慣れた鈴が鳴り響いた。
静寂だけが残った
昨日、チィレンさんから何も聞かされていなかったら、混乱していたと思う。
それくらい唐突に、あまりにも自然に、チィレンさんはいなくなったのだ。
「は……」
ユゥリンさんの中から、何か致命的なモノが漏れ出た。
くたりと、その場に崩れ落ちる。支えを失ったように、糸を切られた操り人形のように、全身から力が抜けている。
彼女はただ、茫洋とした目で扉を見上げていた。
「はぁ、はぁ……く、うぅ……ぁああ……。うぁああ……っ」
息が荒れている。小さな肩が震えていた。
寒さに耐えるように、ユゥリンは自身の腕を抱きしめた。
彼女の奥底から、何かが軋む音がした。
「うぁあああああ……ッ! ああッ! あぁぁぁぁ……! ゃぁああ……!」
慟哭だった。
我の希薄な彼女は、唯一の生きる意味である姉を失ったのだ。
今、本当に、一人になった。覚悟していた現実を前に、彼女はこれまで強いて抑え込んでいた涙を流していた。
母と父が残した家。姉の思い出。自分以外を守り続ける。これから、彼女は少しずつ死んでいく。過去と未来が、ユゥリンを追いかけてきた。
「ごめんなさいごめんなさい! ごめん、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
涙を流しながら、彼女は何処かにいる誰かへの謝罪を繰り返していた。
許しを乞うものではなかった。ひたすら、自分を責めていた。罰を求めていた。
一方、俺は今にも動きそうになる身体を抑えていた。
今日この時まで、彼女は別れの寂しさを我慢していたのだ。今泣かないと、早晩壊れてしまうから。
悲しみがないと、心が死ぬのだ。
「……ユゥリンさん」
どれほどの時間が流れただろう。
苦しげな嗚咽が引いてきたところで、俺は彼女の前に片膝をついた。
そして、あえて敬称で名を呼んだ。
「……すみません、今日は何もできません。屋上も厨房も、好きに使ってください」
真っすぐに、彼女の眼を見つめる。
春空のようだった瞳が、今は何も映していない。
「昨夜、チィレンさんから婚姻についてのお話を伺いました」
「そう、でしたか。驚かせてしまい、申し訳ありません……」
抑揚のない声である。
だが、聞いてくれている。
今はそれで十分だ。
「そこで、チィレンさんから貴女の身を託されました。結納金を持って、クーシェンの外で暮らすようにと」
「……え?」
一拍遅れて、彼女は顔を上げた。
涙の跡が痛々しい。可愛い顔が台無しだ。
「な、なんで。お店は……」
「店よりも、ユゥリンさんの事が大切だったのでしょう。チィレンさんは貴女が自由になる事をお望みのようでした。幸い、私にはコネがありますから、ラリスで暮らすだけなら難しくはありません。今より多くの選択肢をご提供できるかと存じます」
「でも、チィ姉にとってこの店は大切な……。それに、イシグロさんにご迷惑をおかけする訳にはいきません……」
「そこは考えなくて結構です。私が聞きたいのは、貴女の意思です」
「意思……?」
何かに怯えるように、大きな瞳が揺れている。
「ここで店を続けるのも構いません。クーシェンを出るのも貴女次第です。どちらにしても、最大限の援助を約束します」
ユゥリンはチィレンさんの過去を選んだ。それは姉の為を想っての選択である。
チィレンさんはユゥリンの未来を願った。それは妹の為を想っての選択である。
それぞれ、己を捨てた選択だった。だが、互いの幸福を願う一方で、二人とも己の幸福を勘定に入れていない。
そして、姉妹共々心も体も弱かった。だから、立ち向かう事ができず、諦観によって覚悟を決める羽目になったのだ。
「ですが、私は三つ目の選択肢を提示できます。それはチィレンさんもユゥリンさんも現状より幸福になれる可能性のあるものです」
今から、その現実をぶち壊そうというのだ。
俺は収納魔法から一冊の本を取り出した。それから目当ての記載があるページを開き、ユゥリンさんに見せた。
「武帝祭に出て、貴女がチィレンさんを取り返すんです」
そこに書かれていたのは、武帝祭の概要。それと参加要項だった。
個人単位か武館単位か。武術流派の免許と、その証明。畢竟、お強い武芸者なら武帝祭に出られるのだ。然るべき手続きを踏めば、今ならギリギリ間に合う。立ち向かえるのだ。
チィレンさんは、次の武帝祭の優勝賞品になっているらしい。なら、妹であるユゥリンがかっさらってもいいはずだ。
過去には女の武王が妻を娶った事もあったらしいし、妹が姉を娶っちゃダメなんてルールは武帝祭にもクーシェンにも存在しない。当然、確認済みである。
「む、無理ですよ……! ワタシなんかが出られる訳……それに、ワタシは乱暴なの苦手で。そもそも勝てる訳ないじゃないですか……」
「確かに困難でしょう。見通しも立っていません。例え上手くいっても、今まで通りとはいかないでしょうね」
だが、それしかない。今しかないのだ。
「出来ません。ワタシにはそんなの……」
「出来るかどうかではありません。するか、しないかです」
俺自身、説教臭い事を言っている自覚があった。誘導してるみたいで、気分が悪い。
前世、生まれてから転移するまで怠惰の道を選んできた俺からして、何様のつもりで言ってんだって話である。
「諦める覚悟はできたのですから、抗う覚悟も出来るはずです」
だが、彼女は違う。ユゥリンには覚悟があった。己を殺し、他者の意を汲む優しさが、彼女に覚悟を決めさせた。
確かに、人としての強さはないのだろう。何より現実を前に立ち向かう勇気がなかった。
俺達は、その背中を押す事ができる。
「成功するかどうかなんて誰にも分かりません。ですが、可能性はあります。その決断は、貴女がしなければなりません。例え失敗しても、私が責任を持ちます。だからどうか、後悔のない選択をして下さい」
言うと、彼女は怯えるように目を逸らした。
葛藤するように、頭を抱える。それから、おずおずと顔を上げた。彼女の視線の先、俺の背後にはルクスリリア達の姿があった。
涙に濡れた瞳が、見開かれた。
「……ワタシ、怖いです。戦う勇気なんて、ありません。心が弱いんです」
「ッスね。まぁ皆似たようなもんッス」
弱々しい言葉に、ルクスリリアはあっけらかんと答えた
「ワタシにも家にも、もう何も残ってません。何もお返しできません」
「英雄が少女を救う事に、理由など要らないでしょう?」
余裕たっぷり嫣然と、エリーゼは銀の髪をかき上げた。
「皆さんを危険な目に遭わせると思います。武侠会の人達に目を付けられては、クーシェンで安心して暮らせません」
「迷宮よりは安全かと。それに、その時は逃げちゃえばいいと思いますよ」
英雄的行いを前に、グーラは自信に満ちた笑みを浮かべていた。
「こんなのご先祖様に顔向けできません。末代までの恥です」
「それでも、いずれ思い出に変わるのじゃ」
最も長く苦しんだイリハが微笑みかける。
「本当に、本当に酷い迷惑をかけると思います」
「マスターはそれを望んでる」
淡々と、されど熱く、レノは事実を言いきった。
「うぅ……! うぁあ……!」
呻き、俯く。
心を抑えるように、胸に手を当てる
ユゥリンさんは、胸の奥に溜まった膿を吐露するように口を開いた。
「……い、嫌です! 嫌なんです! チィ姉と、二度と会えないなんて!」
やがて、自ら殺してきた激情が堰を切ったように溢れ出た。
「わた、ワタシが……! 接客なんて、出来る訳ないじゃないですか! 仕入れの時も、いつもの人じゃないと心臓が痛いんです! そもそも、お店なんてどうでもいいんです! 品目数も多すぎです! もう少し削るべきでしょう! 拳法だって、何の為に続けてるのか分かりません! 最初からやりたくなかったのに、素質あるからってさせられてたんですよ! 友達なんて一人もいないんです! でもチィ姉にはいっぱい居て! モテモテで! 何なんですか! 羨ましかったです! ワタシが欲しかったもの全部持ってるのに! なんであんな悲しい事言って、勝手に何処か行っちゃうんですか! チィ姉がいなくなったら! 家に帰っても、もう誰もいないじゃないですか……! 夜が怖いんです……! 寂しいんですよ……もう、なんで! 何でみんな居なくなるんですかぁ……」
悲痛な叫びを、全て受け止める。
嗚咽か、咳か、最後に喉に引っかかったモノが、呼気と共に吐き出された。
誰にも言えなかった本音の後には、ユゥリンさんの本心だけが残った。
「……お願いします。チィ姉を……ワタシ達を助けてください」
「はい……!」
それを聞きたかった。
俺は、俺達一党は、彼女の前に跪き、胸の前で右の拳を抱えてみせた。
クーシェン武術界における、相手への尊敬を表すポーズだ。
「どうか、我等の拳を捧げさせて下さい」
「わかり、ました。貴方達の弟子入りを認めます」
師と弟子の契約だ。
この時、俺達は客分ではなくなり、嵐極拳正当後継者のユゥリンに正式に弟子入りしたのである。
武館の仲間は家族も同然。であれば、家族の危機には弟子総出で立ち向かう。
俺はロリコンだ。
ロリコンだから、彼女の涙を見逃せない。
国の事情とか、うるせぇ知らねぇである。
「これより、我等の拳は貴女の拳……。よろしくお願いします、ユゥリン師匠」
「はい。此方こそ、よろしくお願いします」
そうして、俺達は立ち上がったのだ。
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