【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚   作:いらえ丸

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 223話、「比翼連理のアンドロリュノス」の続きは避難所の方に投稿しています。
 なので、本エピソードは避難所の「天叢炉劍」の続きになっております。よろしければ先に其方からどうぞ。

 今回は三人称。
 よろしくお願いします。


燃えろ、炉利魂!

 武帝祭とは、四年に一度行われる祭であり、戦闘力によって新たな武王を決定する政治色強めな武闘大会である。

 傭兵業を国家事業にしているクーシェンにとって、武力の誇示は死活問題に直に繋がる。その為、武帝祭には各国の重鎮が招かれるのだ。

 国の意向はともかくとして、いち武芸者にとっての武帝祭は色んな国のお偉いさんにアピールできるチャンスでもあった。

 

 武の道を志す者なら、一生のうち一度は夢見る“史上最強の武侠”。

 ラリスでの成り上がりが迷宮ドリームからの貴族ルートや金細工昇格なら、武芸者ドリームは武王入りか武館持ちか、あるいは他国重鎮からの武官スカウトである。

 例え武王になれずとも、武帝祭に出れば出世の道が開かれるのだ。

 

 そうなると、どうなるか。

 武王候補がいっぱい集まる。

 

 世界中の腕自慢が集まれば、当然として玉石混交の様相になる。なので篩は必須と言えた。

 武帝祭に参加するには、まず参加条件を満たした上で審査を通る必要があるのだ。その後、各グループの予選を勝ち抜いて、残った八組が本戦に出られる仕組みだった。

 本戦はトーナメント方式になっており、そこで優勝した者が現武王の誰かと戦い、これに勝てば新武王となるのである。

 

 要するに、武帝祭は世界中の強ぇ奴等が集まって来る大会で、勝った奴が出世できる夢いっぱいのお祭なのだ。

 上手くいけば、武王の上の武帝にさえ手が届くかもしれない。野心があるなら、これが成り上がりの最短ルートだ。

 強いのならば、乗るしかない。このビッグウェーブに。

 

「し、失礼します。参加の手続きをしたいんですけど……」

 

 そんな荒くれヒャッハーフェスティバルに、新たな参加者が現れた。

 それは、珍妙な一団だった。男一人に少女三人。おまけに師範はチビ麒麟。通常九人で参加するところ、四人一組のグループ参加。しかも武術流派は嵐極拳とかいう今は廃れた古武術だ。

 ちょっと怪しい一団だが、規定通りに奥義は使えた。なのでお役所仕事的にあっさり参加が認められ、「はい次の方」と捌かれた。何の問題もないのだ、何の問題もないだろう。

 

「よし、これを持ってギルドで指名依頼NGの手続きをしよう」

「それは何故ですか?」

「いざとなった時の証拠になる」

 

 イシグロ視点、ここが何気に一番の難所だと思っていたので、これにはホッとひと心地である。珍妙な集団の黒一点は、盤外戦術をこそ警戒していた。

 だが、もう安心だ。あとは勝つだけで済むフェーズなのだ。

 

 

 

 翌日である。

 締切直後、さっそく予選が始まった。場所はクーシェンにある広場のステージで、各グループごとに時間を分けて行われる。参加人数は膨大故に、一回負けたら即終了。しかもチームにつき一人が代表として戦って、敗者復活戦無しというスピード感である。

 勝って沸く者。負けて泣く者。流れるように試合は進み、今回も多くのドラマが生まれて消える。本戦前の喧噪を、観衆達はおやつ片手に眺めていた。予選はそういう空気感なのだ。

 

「勝負あり!」

 

 そんな予選のとある試合で、一人の少女が旋風を巻き起こし、完勝した。拳一つ、嵐の如き一打であった。

 試合終了後、少女は試合相手と観衆に一礼し、大きく息を吸って、口を開いた。

 

「わ、ワタシの名はユゥリン! 嵐極拳、正統後継者! 武帝祭には、武王に成りに参った!」

 

 一応、試合後の流派アピールは認められている。けれども長すぎると審判に追い出されるので、件の少女は己が拳を握った理由を簡潔に述べた。

 

「理由はただ一つ、家族を取り戻す為だ! 我が姉、チィレンは次の武王の妾として召し上げられた! それは武館を守る為の決断だった!」

 

 観衆達の中には、この娘が何者か知っている者がいた。美人で有名な姉の存在も、また。

 最近噂の鋼鉄札。クーシェン最速の昇格記録保持者(レコードホルダー)。異常な程の迷宮踏破数。彼女の事を知り、その言葉を聞いた者は、これまでの彼女の奇行の理由に納得した。

 

「故に、鍛えた! 故に、戦う! 流儀に則り、武王となりに参ったのだ!」

 

 ざわめく観衆達は、彼女に付き従っている弟子を見た。

 余所者、ラリスの銀細工だ。隣に立つ奴隷を見れば、彼が立ち上がった理由も自ずと分かる。姉を想う妹に、彼が手を差し伸べたのだ。

 全て、この時の為に。

 

「今一度宣言する! 祭を勝ち抜き、武王となり、ワタシは家族を取り戻す!」

 

 一瞬の静寂。

 しかし、それは嵐の前の静けさだった。

 

「「「わぁああああああ!」」」

 

 大喝采が響き渡る。

 義侠心で立ち上がった娘と、それを導く異邦の英雄。武功と義侠を重んじるクーシェン民は、こういう物語が大好きだった。それは、推しを推すに十分な動機と言えた。

 中には彼女と同じく娘や孫を武侠会に取られた人達もいたのだ。その人達からすると、ユゥリンの覚悟は他人事とは思えなかったのである。

 この日から、嵐極拳およびユゥリンは一躍人気者となったのだ。

 

「へっ、古臭い拳法だな。俺様の千の足技はゴブェ!?」

「勝負あり!」

 

 翌日の予選試合もまた、嵐極拳チームは勝ち残った。

 例の銀細工ことイシグロもまた、観衆達に圧倒的な力を見せつけた。

 観衆の中には他国の銀細工が武帝祭を荒らすのを嫌う層もいたのだが、奴はしっかり嵐極拳の動きをしていたので認めざるを得なかった。ぶっちゃけ大手武館はもっとズルい事やってるし、それよりは素直に応援できる。

 

「へぇ、角端園だって。なんか懐かしいな。そっか、あそこの姉ちゃん居なくなっちまったのか……」

「それを妹が取り返そうってんだよ。ラリスの何だっけ、何とか狂いって冒険者が鍛えてやってよ」

 

 それまた翌日の事である。

 予選の熱が収まらぬ中、ストゥア商会が発行する新聞に彼の嵐極拳士のインタビュー記事が掲載され、それは瞬く間に広がっていった。

 格安でバラ撒かれた紙面には、予選一回戦で語った内容が多少の誇張と脚色付きで概ね正確かつ詳細に載せられていた。

 記事や試合の影響で、今のクーシェンはまさしく嵐極拳ブーム。ユゥリン達はどこへ行っても歓迎され、彼女等もまた愛想よくファンサをしまくっていた。

 

「嵐極拳代表、前へ」

「はい!」

「おっ、次は獣の娘か。さてどんなもんか」

「負けんじゃねぇぞ~!」

 

 以降、嵐極拳組の出る予選試合では、他の会場より多くの観衆が集まる事となった。まんまスター選手の試合である。

 

「おいおい、ご主人様に代わってもらわなくていいのかぁ?」

「其方こそ、足元が覚束ないご様子ですが」

「ちちち違ぇわ! コレはそういう拳法なんでぇ!」

「だ、ダメだ。あいつ酒が切れてるから……! 予選じゃ酒呑んじゃダメだから……!」

 

 また、師範や主人だけでなく、彼の奴隷達もクーシェンらしい力を見せつけていった、

 桜色の狐人は嵐極拳の奥義を使いこなし、獣系魔族はド派手な炎拳で以て会場を沸かせた。

 

「食らえゴボォ!」

「勝負あり!」

 

 彼女等の試合の全てが、嵐極拳強しを知らしめる事となった。

 忘れ去られた古の武術、嵐極拳が帰ってきたのだ。これにはオールド武術ファンもにっこりである。

 

「よう、明日も試合あるんだってな。頑張れよ」

「あ、ありがとうございます……!」

「なんだ舞台の外じゃ大人しいんだな」

「あの時は無我夢中で……」

 

 予選は続き、嵐極拳組は勝ち続け、クーシェンの街は本戦を前に大盛り上がり。

 日に日に熱を増していく武帝祭にて、ユゥリン達は多くのクーシェン民から応援されていた。

 誰の目にも明らかな、善玉選手(ベビーフェース)として。

 

「ふっ、そういう事ですか……」

 

 そんな一党を、ずっと頑張ってきた少女を、受付嬢ベレニケは後方受付嬢面で眺めていた。

 イシグロは見立て以上の存在だった。もっと媚びときゃ良かったと思えるくらい。何なら普通に推していた。

 ラリス銀細工は、強いだけの阿呆ではなかったのだ。

 

 クーシェンの美人受付嬢は、つい先日に行った手続きを思い出し、口角を上げた。

 大波が来る。

 

 

 

 哀れな姉妹を救うべく、イシグロが武帝祭に出場した。

 その報は第三王子派閥のエージェントを経由して、様々な方面に伝わっていた。

 そしてそれは当然に、同派閥の著名人の耳にも伝わった。

 

「なに? リぃ……イシグロ殿が武帝祭に出るだと?」

 

 止まり木協会創始者にして、上森人の王族。誰あろう、“翡翠魔弓”のアリエルである。

 王家や故郷やルーン関連のゴタゴタを終わらせて、暫く放置していた机仕事の真っ最中の出来事だった。

 

「はい。この事は事前に便りが来ておりますね」

「そういう事はもっと早く……いやすまない、忘れてくれ。それより、武帝祭の招待状は……! 何処だ何処だ何処だ……!? あった!」

「アリエル様、先日にも断りの手紙を書いていたではありませんか。名代としてイスラ様が出ると」

「そうか、そうだな。で、いつ出発するんだ? 私も同行する」

「えぇ……?」

 

 武帝祭が開催される度、アリエルは毎回招待されていた。しかし、これまでアリエルは件の大会を観戦した事はなかった。偏に招待状から下卑た欲望を嗅ぎ取っていた為である。

 が、今回は行く。さっき決めた。何たってイシグロが出るのだ。しかも、例によって彼は哀れな少女の為に戦うというのだ。これはもう特等席で観るっきゃない。完全に推し活の感覚だった。

 

「ですが、その余裕はないものかと」

「な、何故だ? この程度、今日一日あれば終わるはずだ」

「いつからこの部屋にある書類が全てだと思っていたのですか?」

「なん……だと……」

 

 行く気満々のアリエルだったが、立場がそれを許してくれない。

 しかし、彼女は歴戦の金細工だ。この程度の窮地、何度も乗り越えてきたのである。

 

「いいや、行く。絶対行く……!」

「はあ」

 

 どっかと椅子に座り直し、上森人に伝わる呼吸法を一つ。やがて仮面(ペルソナ)使いの如くカッと目を見開いた翡翠魔弓は、過剰集中(ゾーン)状態に入って書類退治に挑みかかった。

 

「うぉおおッ! 間に合えぇえええええ!」

 

 それから、アリエルは今年中に終わらせなきゃいけない仕事の全てを終わらせて、クーシェン宛てに手紙を出した。

 是非とも観戦したい、と。

 

 また、件の報を知って同じ事を考えたのは、アリエルだけではなかった。

 

「むっ!? それは本当ですか! いやはや武帝祭の楽しみが増えましたな!」

「あら、今回の武帝祭にはイシグロ君が出るのね。ちょうど空いてるし、観に行こうかしら」

「黒剣殿と言えば我等の英雄ではないか。どれ、余の代わりに行ってくるといい」

 

 リンジュ金細工、“豪傑”のライドウ。

 淫魔王国の国主、淫魔女王。

 兵糧関連でクーシェンと縁深いラリス貴族、フライシュ侯爵。

 イシグロが出ると聞き、これまでイシグロに関わってきた人達が、武帝祭を観戦すべく動き出したのだ。

 時期的にはギリギリのギリである。これがノーマル馬車移動が基本のファンタジー世界なら無理だったろう。だが、この世界は違う。何たって一般軍馬がリッタースポーツバイク並みに走る世界なのだ。行こうと思えばすぐ行ける。

 

「へえ、思ってたより人気なんだね、イシグロさんは」

「普通なら金細工に勧誘するところでしょうけれど」

「しないさ。誰も幸せにならない」

 

 無論、これらはイシグロが意図しての行為であり、その手引きは第三王子によるものだった。

 ポケベルもメールもメッセージアプリもない異世界である。にも拘わらず、この情報の伝達速度は明らかに異常と言えた。

 これはイシグロが装備発注時に同派閥のエージェントに連絡し、一連の流れを知った第三王子が王族的直感を働かせて入念に準備していたからに他ならない。

 結果として、王子の想定を超える著名人が集まる予定となった。当のイシグロは「止まり木の誰かか、シラノイさんあたり来てくれないかな~」とか思っていた。

 

 大衆の目に、ギルドの証明。それから各国の重鎮達。こうも揃えば、正々堂々戦える。

 実のところ、イシグロはハナから武帝祭の運営サイドを信用していなかった。ただの勘だが、絶対何かしら嫌がらせなり何なりやってくる。何故か? 映画では大体そうだからだ。

 故に、そうさせないよう立ち回ったのである。実際、前に推定シエジー組の刺客が襲ってきた訳で、予選中とか本戦中の妨害はあって然るべきだと思っていた。

 

 全てはユゥリンの為。

 多少のリスクは覚悟の上だ。

 

 

 

 時は進み、予選最終戦。

 ユゥリン率いる嵐極拳は、同じ英雄を祖とする流派と相対していた。

 

「ワシら真・嵐極拳は常に最新の技術を追求してきた。古臭い方の発勁使いには消えてもらうぞ」

 

 奇しくも同じ拳法使い。相手は六人で、ユゥリンチームは四人である。最終戦は人数分の試合をするのがルールである。つまり、嵐極拳側の誰かは二回以上戦う必要があるのだ。

 その試合にて……。

 

「勝負ありッッッ……!」

 

 全て、ユゥリンが斃してのけた。

 一打一勝、无二打(にのうちいらず)、師範一人で九連勝。

 これにより、新旧の格付けは完了した。

 

「うぉおおお! マジでやりやがった! 嵐極拳すげぇ!」

「頑張れー! ユゥリンちゃーん!」

「チィレンさん取り返してくれぇええええ!」

 

 姉を救うべく立ち上がった少女に、割れんばかりの喝采が贈られる。

 遠く聳える鋼鉄城を睨むユゥリンは、拳を強く握りしめた。

 

 嵐極拳、本戦進出決定。

 武帝祭が始まる。

 

 

 

 

 

 

 その日のクーシェン城も、陰鬱とした静寂に満ちていた。

 呼吸一つを躊躇する程に。

 

 武侠国の中心に聳えるクーシェン城は、鉄と石で出来た迷路のようである。通路には窓がなく、今が昼なのか夜なのかさえ分からない。仮に此処に子供が迷い込んだなら、外に出るまでに餓死してしまうだろう。

 そんな城の長い廊下を、案内役の男と煌びやかな服の女が歩いていた。シエジー組のドウジュンと、角端園のチィレンである。

 二人の間に会話はなく、重さの異なる靴音が反響していた。方向感覚を狂わせる道をドウジュンは一定の歩幅で歩き、時折振り返ってはチィレンの様子を確認していた。

 

 色のない大角族の目を見て、チィレンは身震いしそうになった。この城は、あまりにも冷える。

 思い返せば、あの日から太陽を見ていなかった。城に来てからというもの、チィレンは礼儀作法の勉強に忙殺されていたのだ。かと思えばよく分からない武術の型稽古をさせられて、一定の時間が過ぎると味気のない食事を食べていた。

 これは、武王の妾に対する扱いではない、さながら牧場の家畜になったようである。だが、こうなる事も覚悟はしていた。

 

 そして、現在。今日も同じ日になると思っていたところ、突然現れたドウジュンについてくるよう呼び出されたのだ。

 これから会う方には決して失礼のないように。そう、強く言われて。

 

「どうぞ、お入りください」

 

 声に反応して顔を上げると、ドウジュンは手ずから扉を開けていた。

 見るでもなく前を向き、習った通りの歩法で扉を潜る。

 何故か、鉄の匂いがした。

 

 扉の先は、花でいっぱいの広間だった。

 等間隔に並ぶ花壇には色とりどりの花が咲き誇り、天井に下がった水晶によって眩い太陽光が取り入れられている。部屋の中心には、さながら吸血鬼族の貴人が使うようなティーテーブルが置かれていた。

 テーブルの席に、一人の男が座している。男は食事中と見え、ほんの僅かに食器の音が聞こえてきた。

 

「貴女が新しい麒麟族ですか」

 

 チィレンが挨拶の口上を述べる前に、男はすっくと立ち上がった。目線を合わせてはならぬ。チィレンは慌てて首を垂れた。

 

「ああ、そういう習性でしたね。顔を見せてください。お名前をお聞かせいただいても?」

 

 ゆっくりと、顔を上げる。すると、いつの間にかすぐ眼前に長身の男が立っていた。

 落第拳士のチィレンにも分かる、この男は素人だ。種族は恐らく魔族。少なくも人間族ではない。その顔立ちはリンジュ的で、衣服は大戦前の吸血鬼風だった。

 長い髪は鴉の濡れ羽の如くに美しく、温和に歪んだ目は糸のように細かった。一見、人の良さそうな表情を浮かべている、端正な面貌だが、そういうお面と言われれば納得しそうな造形をしていた。

 この男は、ドウジュンよりも上の立場にいるらしい。チィレンは腹に力を入れ、習った通りに再度頭を垂れた。

 

「チィレンと申します。お会いできたこと、光栄の至り……」

「あー、そういうのは結構。大事なのはそこじゃないですからね。うん、チィレンさんですね。覚えましたよ」

 

 挨拶を遮られ、チィレンは硬直してしまった。

 そんな彼女に、未だ名乗らない男が更に接近してくる。一瞬、腰を引いてしまいそうになったものの、意思力を総動員して耐え忍んだ。

 やがて、背を屈めた男の顔が迫ってきた。

 

「……可愛いですね。あなた」

 

 言って、男はチィレンの髪を手に取り、恍惚そうに息を漏らした。

 生暖かい吐息が頬に当たり、チィレンはぞわりと身を震わせた。

 

「毛艶もいい。流石麒麟族といったところでしょうか。相変わらずいい仕事をしていますね。ご褒美をあげなくては」

 

 顎を掴まれ、上を向かされる。

 開かれた瞳と視線が重なる。

 虫のような、無機質な眼だった。

 

「情報通り、瓜二つですねぇ。内包する力は遥かに劣っているようですが、まぁ良いでしょう。いやはや、本当に可愛い……」

 

 顎のラインを撫で、右の耳に触れられる。

 弾力のある麒麟の耳を、男はギュッと撮んだ。

 

「食べちゃいたいくらい」

「うぎ……!?」

 

 次の瞬間、チィレンは右方向に引っ張られ、勢いよく転倒した。

 引っ張られた耳が熱い。反射的に耳に手を当てた。

 

「……え?」

 

 すると、その手は水に触れていた。

 温かい。ドクドクと、絶えず何かが流れている。それは手のひらから手首を通り、チィレンの腕を真っ赤に染めた。

 

 血だ。

 耳が、なくなっている。

 

 否、千切られたのだ。

 まるで、果実でも摘むように。

 異常な程の力によって。

 

「いだぁ……ひっ!」

 

 そう理解が及んだ瞬間、痛みと熱が膨張した。チィレンは、悲鳴を上げそうになった。

 

「流石、純血の麒麟なだけはありますね。これなら将来に期待できるというもの……」

 

 しかし、その下手人を見た途端、チィレンの悲鳴は喉の奥に消えた。

 見上げた先、男は捥ぎ取った麒麟の耳を手に取って、上等な服に血が付く事も構わず匂いを嗅いでいた。

 

 純然たる、恐怖だった。

 街の荒くれ者を前にした時とは桁が違う。強者を相手にした時とも別だ。想像しかできないが、例えるなら迷宮の主と相対したような感覚だった。

 力の加減を間違えたのではない。言う事を聞かせる為に暴力を行使したのでもない。より近くで見分する為、その為だけに他人の耳を千切り取ったのだ。

 全く以て、理解ができなかった。

 

「おや、どうしました?」

 

 男は、転んだ姿勢のまま呆然とするチィレンを見下ろした。

 やがて、合点がいったとばかりの表情に切り替わる。

 表情の変化が、あまりに分かりやす過ぎた。

 

「申し訳ありません。麒麟族は再生に時間がかかるのでしたね」

 

 言って、男は胸ポケットのハンカチでチィレンの耳を包むと、同じくポケットにしまった。

 

「確認は終わりました。ドウジュンさん、治療してから戻してください」

 

 言われるがまま、ドウジュンに連れられたチィレンは箱庭を出た。

 失くなった耳を押さえ、ここにきてチィレンはクーシェン城の静寂の理由を知った。

 あの男だ。あの男なのだ。

 

 クーシェンを統べているのは武帝ではない。

 まして武王の協議でも、武侠会やシエジー組などでもない。

 あの男が、管理しているのだ。広間の花壇のように、この城とクーシェンを。

 

「うぶっ……」

 

 吐き気一つ。

 チィレンは、それを強いて吞み込んだ。

 この城に住む誰もがそうするように。

 それが賢い生き方だから。

 

 

 

 一方、当の男は上機嫌そうに花に水をやっていた。

 

「あの娘が、イシグロさんの目的なのですね」

 

 彼女の妹は、姉を救うべく武帝祭に殴り込んできたそうだ。

 その後ろには、イシグロ・リキタカがいるらしい。

 

 イシグロという冒険者については、男の耳にも入っている。

 協力者からは警戒するよう言われている。けれども、男はイシグロを積極的に排除する気にはなれなかった。

 

「イシグロさん、お会いするのが楽しみですね。きっと、勝ち上がってくるでしょうから。ふふふ……」

 

 何故なら、気が合いそうだと思ったから。

 きっと友達になれる。男にはそんな確信があった。

 

 彼は子供が好きなのだ。

 自分も子供は大好きだ。

 そこに種族の差はないはず。必ずや気に入ってくれるだろう。今からでも、贈り物(・・・)を用意すべきだろうか。

 

「ああ、考えていたらお腹が空いてきましたね……」

 

 ふと、腹が鳴った。

 間食はしない主義だが、次の食事まで待てそうにない。

 麒麟の匂いを嗅いだせいだ。

 

 きょろきょろと、男はこの部屋に誰もいない事を確認した。

 それから、胸ポケットに入っていたモノを手に取り、真っ赤なハンカチを広げた。

 

 生物(ナマモノ)は鮮度が命である。




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