【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
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月のような太陽が真上に在って、動かないまま灯っていた。
貼りつけられたような青空に、青白い雷雲が浮かんでいる。遠く地平線には星々が並び、反対の空は曙色に滲んでいた。
朝と夜の狭間、それが魍魎の造りたもうた世界だった。
そよ風が吹いた。草花が揺れ、小さな波になる。透明な細流が混沌の空を映し煌めいた。しかし、生き物がいない。鳥も虫も魚も、この箱庭にはいなかった。
美しさだけを切り取った、不自然な小自然。まるで観賞用のビオトープのようだった。
人工異境の畦道を、二人の男が歩いている。
片や異邦の冒険者。片や世界の創造主。二人は道の先にある町に向かっていた。
二人の視線の先、町のように見える建物群の周囲には、本来あるべき防護柵の類いは見受けられなかった。
「事の始まりは、二代目武帝との契約でした。娘を差し出す代わりに、クーシェンを守るようお願いしてきたのです。当時、今よりずっと支配的だったラリス王国から、領内に生まれる魔物から。彼等の手は短く、私の助けが必要でした」
長い髪の創造主――ミヅチは、心底楽しそうな声音で語る。
「清い魂の娘でした。また食べたい。そう思い、私は以降もクーシェンと契約を結び続けました。それが、今も続いている私と武侠国との関係なのです」
道すがら、魍魎の男は口を閉じる事はなかった。
彼の話題は次々に切り替わり、変わらぬ表情とは裏腹に高揚した声音からはその浮かれ具合がよく分かる。
そんな魍魎の隣を、異邦の男――イシグロが足を引きずるようにして歩いていた。
「時に、ヒトの幸せとは何でしょうか。美味しい食事でしょうか? 愛する人との逢瀬? それとも娯楽? どれも正解ですが、本質ではありません。ヒトは安心したいのですよ。安心したいから食事を摂り、安心したいから群れを成す。とかくこの世界には脅威がありふれていますからね。弱者は強者に守られて、強者は弱者に支えられて、それで互いに安心する。これでようやく幸せを感じるのです」
やがて、二人は件の町に到着した。牧歌的な風景が続く外に比べ、異境の町は洗練された設計をしていた。
あちらこちらに魔導街灯があり、建物の前には控えめな花壇が並んでいる。時折通る大きな蜘蛛が糸を使って汚れやゴミを食べていた。
「ですが、魔族にとっての幸せはそうではありません。生きる為に安心したいのではなく、楽しみたいから生きているのです。何せ、心が死ぬと身体が滅びる。同じ長寿種族でも、森人や天使とは精神の造りが違うのですよ」
魔族の生命は魔力そのものである。
心が死ぬと体内魔力の制御と生成が出来なくなり、やがて暴走して散ってしまう。故に魔族は自分の心に正直に生きるのだ。我慢をすると、寿命に関わるからである。
「私の場合、食事こそが最高の幸福でした。美味しい魂を食べた時にだけ、心の底から幸せを感じられるのです。昔は戦ってから食べていましたが、今はそんなの必要ありませんからね。人間風に言うなら、大人になったのです」
ヒトは安心して初めて幸せを感じる。
魔族は娯楽や快楽によって幸せを感じる。
「なので、安心させてあげる事にしました」
言って、ミヅチは目的地の前で両腕を広げた。
自信満々に、誇らしげに。
二人の前に、大きな建物があった。
一階建ての、広い建造物だ。イシグロ視点、それは市民プールのように見えた。
入り口には、“芽吹き館”と書いてあった。
「生きる事、病む事、老いる事、死ぬ事……皆を安心させてあげる為に、この世の苦しみを取り払えるようにしました。此処に来た子達は、まずこの館で心と体を洗浄します」
中に入ると、そこは病院のような内装をしていた。
案内に従って歩いていくと、いくつかの浴槽が並んだ広間に辿り着いた。
淡く輝く液体に、呼吸器のようなものを着けられた全裸の男女が浸かっている。彼等は眠るように瞼を閉じていた。
「クーシェンの
案内は続く。芽吹き館の奥には霊安室に似た部屋があり、そこでは全裸の男女が箱詰めされて眠っていた。
ここで選別された者が箱庭で生きる権利を得るらしい。
「申し訳ありません。子供がいる時にご案内できれば、洗い立ての様子をお見せできたのですが……」
芽吹き館を出て、隣の建物に向かう。
入口には、“蕾館”と書いてあった。
「綺麗になった子には、いくつかルールを覚えてもらう必要があります。生まれたばかりの子は獣と変わりませんからね。遊びを通じて学びを得て、ヒトにしてあげるのです」
蕾館はいくつかの部屋に区分けされていて、今は誰もいなかった。
散乱している玩具を町にいた大きな蜘蛛が回収している。ガラガラと、積み木の城が崩されていった。
「蕾館を卒業した後は自由です。好きに遊んでもいいし、好きなだけ食べてもいい。ここには危険がありませんからね。皆さん幸せに暮らしていますよ」
館を出て少し歩いた先には、食堂のような施設があった。
そこには大勢の大人に加え、小さな子供の姿もあった。ビュッフェ形式で、各々好きなものを食べていた。ひと目で分かる程に誰も彼もが仲良しで、警戒心というものが無かった。
「競争はありますが、戦争はありません。ルールはありますが、罰則はありません。私は箱庭の創造主であっても、統治者ではないのです。安心、食事、自由、群れ、皆が欲しがる幸福の全てを与えました。するとですね。それはもう綺麗な魂が実るのですよ」
綺麗に整備された道を歩く。
公園から、はしゃぎ声が聞こえる。
幸せそうだった。
「そして、綺麗な魂は厳選され、配合します。これが存外楽しくて、ハマッちゃいました」
そこは“受粉館”という建物だった。
中に入る。長い廊下に部屋が並んでおり、そのうちの一つの部屋の扉が閉められていた。
窓ガラス越しに、男女が交合していた。二人分の叫び声が聞こえる。男女の目に正気の光はなく、まるでサカリのついた動物のようだった。
「夢魔や淫魔を嫌う割に、皆さん性行為が大好きなんですよね。気付けば配合中に死んでた事もあったりして、今はしっかりと管理しております。たまに嫌がる子もいますが、魔法薬を飲んだ途端にこうなるのですから、可愛いですよね」
外に出た。
空は変わっていない。
ここに季節の概念はなかった。
「幸せになった子の中には、外に行きたがる子も出てきます。そういう子の為にいくつか選択肢を用意しているのですよ。その一つが、これです」
イシグロは、目いっぱいの力で視線を上げた。
目の前には、イシグロが日本で見た事のある教会のような建物があった。
「散華館です。然るべき処置の後、対話をしながら頂きます。勿論、最期の時まで痛みはありませんよ。私の糧になれた事を、皆さん喜んでくださいます」
魍魎の男は、嬉々として語った。
直近で食べたのは生後五年の女の子で、とても美味しかったらしい。
時にはお別れ会をするのだとも。
他にも、様々な施設を見て回った。
本能で戦いを好む子の為の運動場。
知りたがりな子の為の図書館。
泳ぎたい子の為のプール。
イシグロは、箱庭の全てを見て回った。
「ミヅチ君!」
最後に“選定館”という建物を出ると、元気いっぱいな少年が寄ってきた。
「ごきげんよう。今日も元気ですね」
「ごきげんよう。ミヅチ君、その方は?」
少年はイシグロを見た。
綺麗な眼だ。冒険者への警戒心がない。鏡のような瞳に、末期患者のような男が映っていた。
「紹介しましょう。彼はイシグロ君、私と同じ存在だと思ってください」
「はじめまして! 僕は三人目のタウと言います! ありがとうございます!」
突然、何故か感謝してきた。
イシグロは、何故感謝するのか問うた。
「イシグロ君はミヅチ君と同じなんですよね? なら、それは素晴らしい事じゃないですか」
イシグロは口元だけで笑った。
少年は満面の笑みを浮かべた。
「僕、いつか皆をもっと幸せにしたいんです! その時はイシグロ君も、是非!」
タウと名乗った少年は、大きくなったらミヅチに食べてもらうつもりらしい。
ミヅチを笑顔にしたい。他者を喜ばせたいというのだ。
そして、彼は元気に去っていった。
「本当に良い子です。毎日、魂の純度を高めるべく幸せを感じて、周りにおすそわけしているのです。その時がとても楽しみですね」
再び歩き出そうとして、イシグロは転びそうになった。
「おや、どうなさいました?」
疲れたので、そろそろ外に出たい旨を伝えた。
「そうですか。まぁ人間族は歩くと疲れると聞きますものね」
納得したように頷き、次いでミヅチは「その前に」と云った。
「贈り物を用意しているのです。どうか、受け取ってくださいな」
入口の近く、広い草原にやってきた。
呆然と佇むイシグロの前で、ミヅチはショーを披露するマジシャンのように両手を広げてみせた。
「さぁ、
力ある文言。ミヅチの足元から、黒い泥が湧いて出る。
すると、どういう理屈か黒い泥溜まりから三人の裸の少女が現れた。
少女達は直立していた。目も開いている。だが、生気がなかった。
「え~っと、これですね」
言いながら、ミヅチは自身の腹に手を突っ込み、中から青白く光る球を取り出した。
その球を翼人の少女の胸に当てがうと、ソレはするりと入っていった。徐々に、少女の瞳に光が宿っていく。
「視ての通り、この娘は鳳凰族です。見てください、七色の羽根が光っているでしょう? 先祖返りなんです」
灰色だった翼が色づいていき、やがて虹色に輝いた。
長く、綺麗な黒髪の女の子だった。
「この娘は白沢族です。ご存じですか? 白沢はとても知能が高くてですね。魂の方も凄く綺麗なんですよ。あと、洗浄前の彼女は料理を頑張っていたそうです。努力家だったんですよ、この娘」
同じく、白髪の少女に青い球を入れると、二人目の少女も目を覚ました。
彼女の頭には牛人のような角があった。
「次、これは凄いですよ。なんとなんと
最後に目を覚ました少女は、額に角のある獣人だった。
角獅子は当代武帝の種族で。白虎はミアカと同じ種族だ。彼女には姉がいたらしい。
「皆さん、挨拶してください」
ミヅチの命令に、少女達は揃って頭を垂れた。
「ごきげんよう。私には名前がありません。お好きな名前をつけてください」
「ごきげんよう。私には名前がありません。お好きな名前をつけてください」
「ごきげんよう。私には名前がありません。お好きな名前をつけてください」
純粋な輝きがイシグロを見上げている。
性善説を信じたくなるような、そんな瞳だ。
その心は、あまりにも澄んでいた。
「イシグロ君が喜ぶと思って、念入りに洗浄を施した娘達です。どうぞ、お受け取りください」
イシグロは眩暈を覚えた。
浮遊感。平衡感覚がなくなってきた。
今、ちゃんと地に足をつけているのか、分からなかった。
「皆さん高い素質をお持ちで、戦によし愛玩によしの個体です。何なら、改めてイシグロ君好みの性格にしてからお譲りしましょうか? それともイシグロ君自ら躾を? ええ、ええ、分かりますよその気持ち。子供って良いですよね。育成次第で何色にも染まる。無限の可能性を持っているのですから」
声が遠い。
耳鳴りが聞こえてきた。
近いのに、遠い。
にちゃりと、ミヅチの大きな口が歪んだ。
「イシグロ君はこういうのが好きなんでしょう?」
イシグロは、目の前が真っ暗になった。
〇
気が付くと、イシグロは花壇の広間に戻っていた。
ぼんやりした視界の先で、ミヅチが楽しそうに茶の用意をしていた。
イシグロとお話をする為に。
瞬間、イシグロは激しい嘔吐感に見舞われ、その場に膝をついてしまった。
冷や汗が噴き出る。瞳孔が散大と縮小を繰り返し、悪寒が走って全身が震えた。
開きっぱなしの双眸から、滂沱の涙が溢れ出た。怒りでも悲しみでもない、溜め込み過ぎた感情の発露であった。
「イシグロ君、どうなさいました!?」
物音に気付いて振り返ったミヅチの目に、項垂れて涙を流すイシグロの姿が映った。
ふと、ミヅチの脳裏に過る記憶があった。書籍に曰く、人類の中には嬉しい時に泣く者がいるらしい。
そうか、そんなにも喜んでくれたのか、ミヅチは嬉しい気持ちになった。
「ああ、感激のあまりに……。いやぁ、あの娘達を手放す事には惜しい気持ちが無い訳ではありませんでしたが、そこまで喜んで頂けたなら贈った甲斐があったというものです」
嬉し泣きするイシグロを見て、ミヅチの心はポカポカと暖かくなった。
確かに勿体ない気もしたが、かけがえのない友とは比べられない。それに、彼の死後には小さな銀竜共々改めて譲り受ける事だってできるかもしれない。イシグロに育てられた魂の味も楽しみだ。
「……ああ、よく分かったよ」
ややあって、涙を拭いたイシグロは、俯いたまま言葉を発した。
瞬間、ミヅチの心が歓喜に包まれた。やっと理解者ができた。喜びを分かち合う友達ができたのだ。
「分かって頂けましたか……!」
嬉しさのあまり、ミヅチはイシグロに駆け寄ってその身体を立ち上がらせた。膝についた埃を払い、真っすぐに目を合わせる。
同じように、彼もミヅチを見ていた。
「ラリスも魔王国も、私にとってはどうでもいいんです。あんな下らない争いからは、共に一抜けしてしまいましょう」
手を差し出す、握られる。
魍魎の男は、迷宮狂いと握手をした。
ラリスにおいて、握手とは互いに敵意がない証明である。
今、二人は友達になれたのだ。
勢いのまま、ミヅチは初めての友人にハグをした。
これで一〇〇〇年の孤独を癒やせる。幸せになれる。彼の為なら、いくらでも良い子を作ってみせよう。
そう、ミヅチが思った時である。
「お前が本物のクズだって事がなぁ!」
「え……?」
気付くと、腹にナイフが突き刺さっていた。身体が痺れて動けない。
衝撃、数歩分距離が開く。なおも呆けるミヅチの眼前、イシグロは拳を構えていた。弓のように引き絞られた、嵐の如き拳。今、怒りの発勁が纏われる。
「ぐぼぉおおおおッ!?」
轟! という爆発音! ミヅチの鳩尾に、嵐極拳式発勁突きが突き刺さった!
ワイヤーアクションめいて水平方向に吹き飛んだミヅチは自慢のティーテーブルを破壊して、やがて花壇の縁に激突した。
「ふざけやがって、ふざけやがって! 何だよ、あぁクソ! マジで! ぁあッ! クズオブザイヤーぶっちぎりの大賞だぞテメェ……!」
低く、混乱したような声。ギョロギョロと、イシグロの眼球が震えている。受け入れ難い現実を、整理したはずの事実を、呑み込めぬまま吐き出していた。
らしくもなく、殺しの最善手を打てなかった。ただ怒りのままに殴っただけで、戦術的なリターンは大きくない。
だが、やらねばならなかった。
「え? なに、何です? イシグロ君……?」
同じく、ミヅチもまた混乱していた。
訳が分からない。友達って殴り合うものだったか? これがラリス流?
イシグロの顔を見る。怒りの兆候だ。また、ミヅチは間違ってしまったらしい。
「何か、気に障った事がありましたか? どうか教えてください。すぐに改善しますので……」
「あァ!?」
慌てて立ち上がったミヅチの言葉に、イシグロはぴたりと動きを止めた。
視線が交錯する。イシグロはミヅチを人類として見ていなかった。戦意はない。殺意だけがあった。
その双眸は、現実との間に壁を張っていた。
「……そうか、そうか。つまり君はそんな奴なんだな。クソがよ」
お道化ないと、脳が潰れる。
悪態を吐かないと、動けない。
イシグロの頭にリスクとリターンが駆け巡り、やがてシンプルな解に帰結した。
「殺してから考える……!」
呟き、イシグロは懐にあった魔道具を起動した。
仲間達に、止まり木協会に、淫魔王国に。そしてドウジュン等反逆軍に、戦闘開始を伝える為の連絡装置。
兼、最後の枷であった。
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