【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚   作:いらえ丸

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 感想・評価など、ありがとうございます。このお陰で続けられております。
 誤字報告もありがとうございます。感謝です。
 キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。

 今回は三人称です。
 よろしくお願いします。


インパーフェクト・ソルジャー

 空と大地の向こうから、漠然とした負の感情が向けられている。

 敵意、悪意、害意、殺意――それらを纏めて“憎悪”で括る。

 この世界の外側は、人類を滅ぼす意思に満ちていた。

 

 人類生存圏、外側。

 見渡す限りに続く荒野は、王の手が届かぬ未開の地であった。

 草木も育たぬ地平線には得体の知れない死の気配が沈殿し、迷宮にも似た瘴気の風が吹き荒んでいる。

 誰も、この世界の果てを知らない。絶滅へ至る脅威の群れは、常に向こう側から攻めて来る。

 故にこそ、戦線を張って護るのだ。自分達の生存圏を。

 

 王都から見て南西端に、カッサ砦と名付けられた防衛砦がある。

 見上げる程に高い石壁は、災厄に語られる巨人を討滅すべく想定された構造である。砦内部には長期戦を見据えた農耕地や練兵場に加え、慰安目的の施設なども備えられており、その規模は一つの村に匹敵する程であった。

 カッサ砦の中央塔では、ラリス王国の国旗が靡いている。それは古代から続く守護魔術によって、内部への瘴気の流入を防ぐ浄化魔導具である。

 石壁相応に重厚な門は、その日も堅く閉ざされていた。戦に疲れた兵士達を外の脅威から守るように。

 

 病んだ太陽が昇る頃、カッサ砦にある広場に一人の王国兵の姿があった。名をクロウと言う。

 鎧姿のクロウは、槍を抱くように座って空を眺めていた。その瞳に生気はなく、生きながらにして死んでいるかのようであった。

 石壁に切り取られた空は、やけに綺麗だった。

 

「腹が減っているようだな。これを食うといい」

 

 クロウの顔に影が差す。数拍遅れて見上げると、すぐ眼前に肉を挟んだパンがあった。フライシュ領発祥の軽食、ラリスサンドだ。豪勢に生の葉野菜まで付いている。

 ラリスサンドを持っていたのは、鎧を纏った若年騎士だった。端正な顔には先の戦いで被っただろう土埃が付いたままである。

 彼の面貌を、その出生を、勇猛なる槍捌きを、王国兵であるクロウが知らない訳はなかった。

 

「し、失礼しました!」

「構わん」

 

 慌てて敬礼しようとしたクロウに対し、騎士は鷹揚に応えた。恐縮するクロウに騎士はなおもラリスサンドを押し付ける。

 恐る恐る受け取ると、騎士は新兵の隣に腰を下ろした。

 

「食えないのだろうが、戦士は嫌でも食わねばならん。それは分かっているな?」

「はい。ですが、せっかくご用意いただいたものを、私は……」

 

 クロウを含め、カッサ砦の兵士は魔物の攻勢を凌ぎ切ったばかりである。現在は最低限の監視をつけ、英気を養っている最中だった。

 戦い抜いた戦士を労うように、食堂では酒が振る舞われている。だが、クロウはその中から逃れてきたのだ。

 広場に生い茂る芝が清浄な風に靡いている。遠くで馬のいななきが聞こえた。

 

「戦場が怖いか?」

「それは……」

 

 端的な騎士の問いに、新兵は兵士らしい返事ができなかった。

 クロウとて、ラリス王国の兵士である。正規の訓練を熟し、実地での演習もこなしてきた。兵士として死ぬ覚悟を、故郷の家族を守る為に戦う覚悟をしてきたつもりだ。

 しかし、実戦を経た現在は、夢から覚めたように現実感が遠のいていた。決意も何も、遥か昔に過ぎ去った記憶のよう。

 

「恐怖、ではないようだな……」

 

 クロウの顔色を見てとった騎士は、彼と同じ空を見上げた。

 ややあって、騎士は過去を懐かしむような声色で言った。

 

「初めて賊を討った時、私は誇らしい気持ちになっていた。やっと私も貴族の端くれになれたのだと。実際、父上は褒めて下さったからな」

 

 強い人だ。若年騎士の語りを聞いて、クロウはぼんやりとそう思った。

 実際、彼と自分では生まれも育ちも真逆だった。槍を取って数年の自分と、武器を玩具に生きてきたこの男では、戦いへの姿勢がまるで異なっている。そんな二人が、今こうして隣り合っているのが不思議なくらいだ。

 

「だが……初めて迷宮に潜った時、私は恐怖と安堵のあまり漏らしてしまったよ」

 

 かと思えば、誇り高き騎士は茶目っ気を出して微笑んだ。

 クロウ視点、驚きだった。この騎士ほどの者が庶民のように怯えるなど、想像できなかった。迷宮とは、それほどまでに恐ろしい場所なのか。

 

「これで家族と並び立てる。そういう喜びがあったのは確かだ。だが、いざ魔物と相対したら、やはり彼方と此方では何かが違う。圏外もまた、同じだった」

 

 騎士の言う通り、生存圏の内外は世界を跨いだように空気が違っている。それは迷宮の内と外の感覚に近いらしく、事実として圏外砦を守る兵士は大なり小なり冒険者病を患うという。

 クロウは迷宮に潜った事はない。森の魔物を狩った事や、山賊を征伐した経験こそあるが、圏外の防衛戦はこれが初めてだった。そして、初の実戦で心のどこかを失くしたのだ。

 そんな彼とは異なり、冒険者上がりの兵士は平然としていた。訓練課程では不良だったのに、戦場では模範的な兵士になっていた。今も勝利の宴を楽しんでいるのだろう。

 

「実のところ、私も外に来たばかりでな。圏外戦の経験も浅い。兄上から聞いていた通り、此処では何が起こるか分からんな」

 

 先の戦いを思い出す。

 今日未明、周囲を警戒していた哨戒部隊が隠密系の魔物に襲われ、否応なしに交戦した。砦に戻った後、すぐに大型の魔物と戦う羽目になり、激戦のなか救援に来た騎士の一党に助けられたのだ。

 

「戦場は恐ろしいな。だからこそ、私達は奮い立って戦わねばならん。それが貴き血の務めなのだ。君とて、少なからず同じなのだろう」

 

 新兵の心に共感しつつ、騎士は貴種としての覚悟を見せるようにして云った。

 クロウは自身の手にあるラリスサンドを見た。彼等が兵糧を届けてくれたから、戦場にあってこうも美味な糧食にありつけるのだ。

 

「……ついさっきまで、大丈夫だったんです」

 

 ギュッと、手に力が入る。ラリスサンドから肉がはみ出た。

 クロウの独白に、騎士は黙って耳を傾けた。

 

「訓練の成果を発揮できると思っていましたから。隊長の指示に従って、あくせく動いて連携して、ようやっと一匹討伐しました。生き残れた。誇らしかったんです」

 

 ですがと、そう続けるクロウの眉間に皺が寄る。

 

「戦いの後、そこに友人はいませんでした。四つの頃から一緒の幼馴染でした。妹を娶ってもらう予定でした。なのに、あいつではなく私が生き残ってしまったのです」

 

 クロウは戦いの恐怖に怯えている訳ではなかった。運がよく、従順で、兵士らしくなる事ができていた。

 生き残り病だ。騎士は幼少時の教育で知り得た内容を想起し、年上の新兵を見つめた。

 彼は生き残った事に負い目を感じている。ならばと、兵の務めを全うしたクロウに、高貴なる者の務めを果たすべく口を開いた。

 

「何であれ、貴方には生きる必要があります。それこそ妹君と再会せねばなりません」

 

 今はまだ、温かい言葉をかける時期ではない、それは生き残って家に帰ってからすべき事で、戦場では強い個人を見せるのが効果的だ。

 新兵の目に自身が映っている事を確認したラリス貴族は、あえて力強く云った。

 

「悼むのはいい。背負う必要もない。まして罪など、あり得ぬ話だ。仮にこの戦に罪があるとすれば、それは我々を害する魔物共にある。それか、貴公の友を救えなかった我々に」

「いえ、そんな事は……!」

 

 国を創るのが民であり、民を守るのが英雄である。

 兵から民に戻ったクロウに、貴族は英雄らしく振舞ってみせた。

 

「生きるのだ。それが貴公に課せられた至上命題である。生きて帰って、そして誇るべきだ。私と同じ戦場で戦ったのだと。末代までの自慢になろう」

 

 鎧を鳴らし、立ち上がる。

 誇り高き若騎士の背には、家紋の描かれたマントが靡いていた。

 

「ところで……」

 

 軽い声音。クロウの視界の中心には、年若い顔が在った。

 戦う為に生まれ、戦う為に育てられたラリス貴族は、さも庶民の子のように微笑んだ。

 

「貴公、カレーライスを食べた事は?」

「え? 何です? 初めて聞きましたが」

 

 突拍子もない問いに、またも困惑するクロウ。

 

「ではカツは?」

「ありません」

「コロッケ」

「初耳です」

「なんと……!」

 

 瞬間、ラリス貴族の目がクワッと見開かれた。

 

「勿体ない! あれらを食わずに死ぬなど、人生の半分以上を損している!」

「は、はあ」

 

 貴族の言葉には、謎の説得力があった。

 

「生きて帰って、フライシュ領を訪ねなさい。あそこに行けば、嫌でも生きていたくなるはずだ」

 

 そう言って、若年騎士――ミラクム・リント・フライシュは歩き去っていった。

 フライシュ侯爵を意味するマントが、戦場の風に揺れている。

 背中には、紛れもない誉れがあった。

 

 ふと、クロウはさっきまで己の内にあった靄が払われている事に気が付いた。

 あの貴族についていけば、大丈夫だ。安堵した結果、思い出したように腹が減ってきた。

 そうして齧ったラリスサンドは、涙が出るほど美味かった。

 

 

 

 一方、カッサ砦の状況を視察するミラクムは、表情を変えぬまま危機感を抱いていた。

 

「これが戦場の空気ですか」

 

 歩きながら、思う。軍の想定より、戦場の動きが早い。

 確実に、この近くに尖兵の統率個体がいる。故に軍が後手に回っているのだ。

 

「役者不足などと、言ってる場合じゃありませんね」

 

 仲間と合流し、ミラクムは兵の見ていない所で嘆息した。

 自分は英雄の器ではない。その事は既に自覚している。

 だからこそ、思い知るのだ。

 

 この戦場には、英雄が必要である。

 

 

 

 

 

 

 灯り一つ無い暗闇の地下道を、武器を担いだ二人の男が歩いている。

 一方は灰髪の魔人で、胸にはラリス様式の金細工が下げられていた。その腰からは鱗の生えた尻尾が揺れている。もう一方は付き人の狼人だった。

 

「こりゃあハズレかねぇ」

 

 足元から襲ってきた魔物を片手間に倒しながら、灰髪の魔人はぼやいた。

 現在、二人が歩いている地下道は、ラリス王国辺境にある廃鉱道である。かつては良質な鉱石が採れる要所だったが、廃棄されて久しい現在では魔物の巣になっていた。

 

「しかし、整備はされていたようです。慌てて逃げたものかと」

 

 同じく片手間に魔物を屠った狼人が鼻を利かせて言った。

 気安く話しながら、二人は複雑な通路を進んでいく。今回、廃鉱道の調査任務に動員されているのは斥候に秀でた傭兵達であり、それら全ては金細工魔人が盟主を務める同盟の仲間だった。

 

「恐らく此処でしょう。頭目、くれぐれもご注意を」

「おう」

 

 案内された扉を蹴り開け、魔人は案内された部屋の中に入った。

 元は何かの倉庫だったのだろうか。扉の向こうには、やけに綺麗な空間が広がっていた。人の気配はおろか、鉱道に充満していた魔物の気配さえ漂っていない。

 

「取る物取らずにってトコかね」

 

 やれやれと武器をしまう魔人に対し、付き人の狼人は勘が外れたとばかりに首をかしげていた。

 ややあって、魔人は倉庫内にあった椅子にどっかと腰を下ろした。

 

「オレ様は此処に居っから、あとはお前等に任せるわ。何かあったら呼べ」

「承知しました」

 

 この男の不真面目さは知っている。実直な狼人は、盟主の指示に従って部屋を出た。

 扉が閉まり、しばらく。無明の倉庫に静寂が戻る。

 やがて、狼人の気配が遠ざかっていくのを感じ取った魔人は、大袈裟に組んだ足を机の上に引っかけた。

 

「そんじゃ、話そうじゃねぇの」

 

 虚空に向かい、おもむろに声をかける。

 

『流石に気付くか。そうでなくば困る訳だが』

 

 次の瞬間、魔人の耳朶に男とも女ともつかぬ声が響いた。

 この部屋には通信機が仕掛けられてあったのだ。これは天使権能を再現した魔道具で、解放軍だけが持つ技術だった。

 狼人の鼻さえ欺いた仕掛けに灰髪の魔人が気付けたのは、物資の配置の中に魔王軍時代の暗号を発見した為であった。

 

『私とは初めましてといったところか。ラジアード。それともラジアード公爵と呼んだ方がいいかな?』

「バカ言え、貴族制なんざ最初から嫌だったっての」

 

 正体不明な声に、灰髪の魔人――魔毒蛇族唯一の生き残りであるラジアードは、ぶっきらぼうに返答した。

 

「挨拶の時ぁまずソッチが名乗るもんだぜ」

『あいにく私に個人の名前は存在しない。集合体を構成する単位の一つに過ぎぬのだ。所属はお察しだろうが』

 

 旧魔王軍の暗号を使った手口からして、通信相手は噂の解放軍なる組織である事は明白だった。

 解放軍については、ラジアードは最初からその存在を確信していた。元々ラジアードは魔王国の出身であり、魔王戦争時は反ラリス側として戦っていたのだ。戦後は傭兵として各勢力を転々とし、現在はラリスの第三王子に仕えている。

 だからといって、王家に忠誠を誓っている訳ではなかった。

 

『ラジアード、君の目的は知っている。単刀直入に言おう。災厄後、我々に協力してほしい。英雄の勇姿を見届けられる、最高の特等席を用意しよう』

 

 その言葉を聞き、ラジアードの口角が持ち上がった。危ない橋を渡る時こそ、この男は生を実感するのである。

 災厄の終了と同時に、ラジアードと王家の雇用契約は終了する。元魔王軍のラジアードに対しては当然として王家も警戒しているし、その辺りはお互い割り切って協力していた。

 災厄後はまた戦争が始まるだろう。その中で、ラジアードは中立的立場を取り、仲間と共に激しい戦いに身を投じるつもりなのだ。

 魔物との不毛な戦いではなく、人類同士の戦場へ戦士達を連れて行く。かつての戦争で英雄に脳を焼かれた男は、英雄欠乏症とでも言うべき病を患っていた。

 

「続けてみろ」

『よろしい』

 

 その為の布石なら、いくらでも打つつもりだ。

 誘い込まれている。既に術中なのだ。なら、相手の話は聞くだけは聞こう。戦場で生まれ戦場で育ったラジアードにとって、この程度の苦境は日常と変わらなかった。

 なに、危なくなったら逃げればいいのだ。

 

『……ところで、我が主から君宛ての伝言を預かっていてね』

「あん?」

 

 ややあって、唐突に通信相手が切り出した。

 くつくつと笑う声に、ラジアードは違和感を覚えた。策謀の匂いが消え、ちりちりとした剣呑さを感じ取ったのだ。無意識に、その手は武器に触れていた。

 緊張の糸が張り詰める中、通信相手は事もなげに言った。

 

『……よくも我々を裏切ってくれたな、クソヘビ野郎』

「ぐぶっ!?」

 

 次の瞬間、ラジアードの胸から黒い刃が飛び出した。

 歯を食いしばる。背後から心臓を刺された。警戒していたというのに、全く以て気付かなかった。己の感知力を超える刺客だ。ラジアードは腰に下げてあった鋏剣(はさみけん)を握り、関節を無視して振り抜いた。

 刃が引き抜かれ、攻撃が空振る。這うように後退するラジアード。即座に再生しようとして、抵抗感があった。刃の効果か、種族由来の再生力が阻害されている。

 

「何モンだ? テメェ……!」

 

 ラジアードの前には、漆黒の鎧を纏う剣士が立っていた。体格からして、女剣士だ。

 長い銀髪を流し、黒の装甲で以て目元を隠している。目隠しの下、艶やかな唇が僅か震えた。

 

「背中の傷は二流の証拠。戦場慣れは無能の証明。“切り裂き公”ラジアード、噂ほどの戦士ではなかったようね……」

 

 透き通った声音も紛れもなく女のものだ。戦の気迫は竜族のようだが、その身に纏う鎧は竜の鱗には見えなかった。

 こいつには勝てない。そう直感したラジアードは即座に撤退を決意した。しかし、余裕気に刃の血を払う剣士に隙らしい隙は見受けられなかった。

 逃走手段を探りつつ魔道具を起動するも、仲間からの反応がない。まさか既にやられているのか。

 

『ラジアード、今の話は全て嘘よ。考えてもみてほしいのだけれど、今更お前のような老害を欲しがる訳ないでしょう?』

 

 通信機越しの声に色が付く。混じり気のない侮蔑の感情。罠にかかった毒蛇を嗤っているのだ。

 

「言っとくがな、オレ様一人殺したくらいじゃ何も変わらねぇぞ。それにオレ様が何を裏切ったってんだ」

『さぁ? それは知らないわね。だが、お前を嫌う理由はよく分かるわ。黒幕気取りの道化師風情が、身の程を弁えなさい』

 

 通信の最中も、ラジアードは漆黒の剣士への警戒を保っていた。

 相手の得物は鎧と同色の刀だ。深域武装の気配がある。であれば、どんな権能が隠れているか分かったものではない。

 その上、件の剣士は王道の構えのまま摺り足でにじり寄ってきていた。間合いに入った瞬間、斬られてしまう事だろう。

 

「なぁ、ちょっと話を……」

 

 油断を誘うべく開かれた口は、鋭い刺突によって阻まれた。

 鋏剣を合わせて防御するもあまりの威力に姿勢が崩れた。続く二の太刀を背骨を折って回避し、ぐにゃりと退避したラジアードは深域武装である鋏剣の権能を行使した。

 

断ち切れ(・・・・)……!」

 

 ジャキン! 鋏を開き、閉じ斬る。解放詠唱と同時、異形の剣の本領が発揮された。

 あらゆる障害を無視して周囲の認識を両断(・・)する権能。一瞬、黒の剣士はラジアードを見失った。その隙に、逃げる。

 刹那、一歩踏み込んだ剣士が刃を振るった。ラジアードの身体が崩れ落ちる。肉を裂き、骨を斬った。だが、命を絶ってはいなかった。

 

「……逃げたようね」

 

 やがて、ラジアードの身体が魔力として解けていった。見れば、彼の尻尾が半ばから千切れて何処かに消えている。

 蜥蜴の尻尾切り、その魔族バージョンだ。自切による逃走は、ラジアードの十八番だった。

 

「ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいマジでヤバい……!」

 

 自切した尻尾から再生したラジアードは、寸鉄帯びぬ全裸スタイルで狭い鉱道を駆けていた。

 道中、仲間の死骸を踏みつけ、収納魔法に入れていた煙幕やアイテムをバラ撒いていく。

 これ以上ない危機的状況にあって、その口の端は裂けんばかりに上がっていた。

 

「仲間も死んだ、気に入ってた武器も捨てた、オレ様完全にマークされてんじゃあねぇか! ケヒャヒャヒャヒャ、たまんねぇ……! こんな気持ち久しぶりだぜ……! でも逃げてやる! 逃げて生きて、そんでラリスのお坊ちゃんには内緒のままにしてやらぁ! 今ぁちょっとラリス優位だったからな、ちゃんと拮抗しないといけねぇや! まさか残党如きがあんな隠し札持ってたとは思ってなかったが、これならひと安心ってところだぜぇ!」

 

 複雑な鉱道を迷わず走り、蛇系種族特有の感覚を使って隠し出口へ向かって逃走する。

 逃げながら思う。残党の戦力評価を見誤った。ありゃ王族級だ。災厄後は自由にやるつもりだったが、暫くは地下に潜った方がいいかもしれない。手下は死んだが、まだ残っている。まだまだやり直せるだろう。

 やるべき事が多い生活は、人生に潤いを与えてくれる。有体に言って、楽しいのだ。

 

「っしゃあ! 生き残ったぁ……!」

 

 隠し通路を這って移動し、ついにラジアードは外に出た。

 鉱道の外は月のない夜になっており、かつて鉱山集落として栄えた廃墟群だった。ラジアードが通った裏口はその民家に繋がっていたのだ。

 ここまで来れば安心だ。ラジアードは逃げ切った。逃げ足だけなら世界最強だと、自画自賛の気分である。

 

「さて、ここからどうすっかな。真っすぐ逃げたら追いつかれるだろうし、その前に何処かの結界潜って移動するか」

 

 収納魔法から服を取り出し、雑に着替えて歩きだす。

 人っ子一人いないゴーストタウンの暗闇は、毒蛇の未来を祝福しているかのようだった。少なくとも、悪を自覚する魔人にとっては。

 

「忘れ物よ」

「おう助かるぜ」

 

 背後に声。咄嗟に飛びのくと、ラジアードの前には例の漆黒の剣士が立っていた。

 目隠しの隙間から、尋常ならぬ魔力が漏れている。この剣士は何かしらの魔眼持ちだったのだ。

 

「まだ終わっていないわ。武器を取って、戦いなさい」

「クソが! 弱い者イジメほどダセェ事ぁねぇんだぞ!」

 

 使い捨てたはずの深域武装を投げ渡される。反射的に受け取ったソレを、ラジアードは自棄になって構えた。

 残念ながら、“切り裂き公”ラジアードは強者との戦いが得意ではなかった。良く言えば並みの銀細工程度であり、然るに王族級の剣士を前にしては鎧袖一触されるのがオチである。

 先の交錯と同様に。とにかく、生き延びなくては。今度は魔眼の届かない場所へ。ラジアードは必死に生存に繋がる手札を探った。

 そんな老蛇の様子を、漆黒の剣士は呆れた眼で見ていた。

 

「……そう、戦うつもりはないのね」

 

 やがて、剣士は敵を前に刀を下ろした。

 呆気に取られるラジアード。瞬間、彼の背筋に氷柱が押し当てられたかのような感覚が過る。

 反射だった。背後から迫ってきた魔物に鋏剣を振るい、その命を寸断した。次いで身を捻って退避すると、装甲のある魔物が群れを成して襲ってきた。

 

「噂に聞く人工魔物か! 鈍いが硬ぇ!」

 

 人工魔物に会話に応じるような情緒はない。ラジアードの悪態を無視し、ひたすら殺しの手段を講じて来る。

 小さく弱いが、数がある。あっという間に群れに包囲されたラジアードは、逃走すべく対処し続けた。

 

「うぉおおおお! オレ様は死なねぇぇえええええ!」

 

 空中では装甲を纏う翼龍が滞空し、ラジアードの足掻きを見下ろしていた。イシグロの世界で言うところの監視ドローンのように。

 鋏剣が食い込み、武器を奪われる。種族特性である猛毒を撒くも、装甲に阻まれて効果がない。徐々に、徐々に、ラジアードは追い詰められていった。

 腕を噛まれる、自切。足を噛まれる、自切。獣の群れに押し倒され、貪られるが尻尾を自切し逃げんと足掻く。

 醜態をさらす老戦士を、漆黒の剣士は見るでもなく眺めていた。

 

「おい! 上から見てんだろ! 降伏する! 情報も渡す! お前等が知らねぇような王家の秘密だ! 欲しくはねぇのか! 魔王軍に! いやいち兵卒でいい! オレ様を! この私を見殺しにするか、下郎がぁあああ!」

 

 逃げる、追いつかれる。殴打され、圧壊され、切断される。

 少しずつ、魔毒蛇の再生速度が遅くなり、やがて自切した腕が生えなくなった。

 やがて、装甲あるカマキリの爪がラジアードの首を斬り飛ばした。

 

「は……」

 

 宙を舞って、ゴミのように地面を転がる。首から下を再生できない。魔族にとっての生命力が枯渇している。

 大気の魔力に還元される寸前、生首状態のラジアードは見た。

 

「そっち側だったのかよ……」

 

 魔毒蛇の目に、見覚えのある騎士の姿が映る。

 漆黒の剣士とは対照的な、月下に輝く白銀鎧。ラジアードはその鎧の奥にある素顔を知っていた。

 知っているだけで、親しくはなかったが。

 

「後任って事になるのかしらね。まぁ肩書などはどうでもいいのだけれど」

 

 白銀の兜から、蜂蜜のような女の美声が響く。

 その声音には、隠すつもりもないであろう古魔族への侮蔑が含まれていた。

 

「オレ様、お前に何か悪い事したか?」

 

 ぐしゃり、と。

 返事の代わりに、白銀の騎士は魔毒蛇の頭を踏み砕いた。

 魔族らしい軽薄な問いが、ラジアードの最後の言葉になった。

 二度と蘇らぬように、魔族にとっての()を籠めて。

 

「ふぅ……、スッキリしたわ。やはり戦いは圧倒的でないと」

 

 魔毒蛇の魔力が散っていく。

 汚いものでも踏んだように、白銀の騎士は地面に足裏をこすりつけていた。

 そこに、刀を納めた漆黒の剣士が歩み寄る。

 

「知り合い?」

「いいえ。敵でも友でもなかったわ。そうね、強いて言うなら寝床に潜りこんできた羽虫かしら?」

「……よく分からないわ」

「分からないままでいいのよ」

 

 死んだ蛇の話題を切り、白銀の騎士は「それより」と続けた。

 

「追いつけたのはいいけれど、貴女逃げられてるじゃない。油断していた訳ではないのよね? 帰ったら訓練のやり直しよ」

「承知しています。母様」

「よろしい。それでこそ、我が娘よ」

 

 言いながら、白銀の騎士は翼を広げた。優美で強靭な竜の翼を。

 遅れて、黒騎士も翼を広げた。大きく、鋭利な翼を。

 

「さぁ、次はもっと良い獲物を殺すのよ。わかったわね?」

「うん」

 

 翼を羽ばたかせ、飛び発つ。

 白銀と漆黒。雲に隠れていた月が、二人のシルエットを浮かび上がらせた。

 

 そうして、ラジアードは死んだ。

 運よく生き残ってもいない。先の戦いを見ていた誰かが情報を持ち帰ってもいない。仲間を守り、華々しく散った訳でもない。

 誰も見ていない廃墟の隅で、伝説の傭兵は死んだのだ。

 

 魔毒蛇(ナーガ)族が絶滅した瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 晴れ渡った夏空を、翼を広げた守護獣が駆けている。

 翼ある牡鹿は、大柄な戦車を引いていた。一人を除き、その戦車には見目麗しい少女達が乗車していた。

 

「王都もそうだったけど、淫魔王国も初めてだわ。どんなトコなんだろ~」

「面白いとこッスよ」

「面白い? まぁ面白いトコじゃな、うん」

「淫魔王国と言えば牛肉をはじめとしたお肉が有名ですね。乳製品や果物も美味しいですよ」

「チィ姉が前に食べてた腸詰めも淫魔王国のやつだよ。あの時、店中の男共が鼻の下伸ばしてましたね。ふへへ……」

「あぁ~、美味ぇよな淫魔ソーセージ。アレをアテに呑むラリスビールが最高なんでぇ」

 

 見目麗しい少女達とは、チィレンを含めた草薙一行の事だった。ちなみに、イシグロは壁目線で会話を聞いている。

 これまでは一党で一杯になっていた空戦車だが、イシグロは新しい車体を購入したのである。新車と言っても特に変わったところはない。これまでがSUVだとしたら、ミニバンにサイズアップした感じである。

 

「お義母さんにも挨拶しないとな」

「え~、別にいいッスよそういうの。あそこ何も無ぇッスし」

「レノも久々に家族と再会できるわね」

「ん、ファリナ姉と会える、楽しみ」

 

 現在の淫魔王国には、レノの家族であるファリナと楽園の天使達が匿われている。また、彼女等を守る為に第三王子派閥の護衛がついている状態だ。

 その都合で、イシグロは尖兵戦の仕事が終わるまでシャーロット達を淫魔王国に預けるつもりなのだ。この事は淫魔女王にも伝えてあり、彼女は快く歓迎してくれた。

 

「大丈夫だ、へーきへーき……」

 

 言い聞かせるように、イシグロは小さく呟いた。

 ぶっちゃけ迷宮探索もよっぽど危険なのだが、何であれ外の仕事は緊張する。

 一応、イシグロなりに人事は尽くしてきたつもりだ。

 

 ルクスリリアは斥候系の能動スキルを覚えた事で、ただでさえ高かった機動力がアップしている。

 エリーゼも課題だった機動力を補うべく魔力消費系の移動スキルを覚えた。また、骨発勁によって耐久力も上がっている。

 グーラに関しては、近接に限れば既にイシグロを超えていた。現状、よーいドンのタイマンにおける一党最強は彼女である。

 イリハも剣士系スキルを覚えた事で近接能力に磨きがかかり、【受け流し】からの陰陽術で確定会心(クリティカル)を出す事だってできるのだ。

 レノは最上位職になった上、ついに完成した新型光力銃も用意して殲滅力が向上した。

 イシグロも最上位職になったのだ。必殺技ポジションである煉獄ゲージもある程度溜まっている。

 

「そもそも戦う予定ないしな」

 

 恐らく、イシグロの仕事は内と外を行き来して物資を届けるのが主な任務の予定だ。

 実際、聖輪郷の時はあちこち飛び回ったし、イシグロ宅急便には実績があるのだ。

 

「見えてきたッスよ。関所の淫魔が手ぇ振ってるッス」

「ああ。勲章見せるから一旦下りてくれ」

 

 忘れ物はない。戦いの準備は済んでいる。武器の整備は万全だ。

 何も問題ないはずである。

 

 そうして、イシグロ達は淫魔王国に到着した。

 災厄の尖兵を斃すべく。




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 本作世界は中世ヨーロッパではないので、騎士=騎士階級ではありません。どっちかというと凄い騎兵的な意味合いが強いです。



 ミラクム・リント・フライシュ
 第123話、「ラリス貴族はお願いしたい」で初登場。当時は14歳で、当エピソードでは16歳。
 フライシュ領を治める侯爵家の三男坊。美食貴族子息。一党は軍人淫魔さん含めてフルメンバーになった。

 ラジアード
 第42話、「姉の一番長い日」で初登場。
 ラリス金細工。魔毒蛇族の生き残り。元魔王軍の軍人で、魔王国時代は公爵。“切り裂き公”は当時の二つ名。
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