【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
誤字報告も感謝です。ありがとうございます。
キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。
ネザーレは今日も夜だ。
空には紅白二つの月が浮かび、白月と紅月の満ち欠けによって一日と成す。いずれにせよ、夜である。
太陽のない生活はネザーレ民からすれば普通でも、慣れてない身からすると時間感覚が狂ってしまう。まるで迷宮みたいだと思った。
「以前より霧が濃くなっているわね。霧の中に純血魔術の残滓が溶けているわ」
「はえ~、そうなんや。そのへんウチには分からんなぁ」
暗夜のネザーレは一等地。一番いいホテルの窓際テーブルで、月光に照らされた二人は外を眺めながら茶をしばいていた。
エリーゼ曰く、この都市は「風が騒がしい」くらいには魔力の流れがおかしいそうだ。例によって彼女以外には分からない感覚ではあれど、エリーゼが言うなら間違いない。
とはいえ、俺も俺で何となく違和感を覚えていた。魔力云々ではなく、衛兵が妙に厳しい顔をしているあたりに。いや王都兵も半分マル暴みたいなのばっかなんだが、ソレとは別で殺気立ってるのだ。
少なくとも、平時の衛兵なんて適当に散歩してたり酒呑んで休憩してるのがデフォなのである。にも拘わらず、という話で。
「ふぃ~、久しぶりの泡々吸精最高だったッス~! 流石ネザーレはお風呂が広くていいッスね~!」
「俺等は平気だけど、二人は大丈夫?」
ネザーレ到着から一週間、外交官との接見待ちをしていた俺達はずっとホテルに引きこもっていた。
軽く通りを見て回ったりはしてみたが、外の有名観光スポットには行っていない。その間、ホテルで出来る暇潰しばかりしていたのだ。俺とルクスリリアはともかく、そんな生活してて二人は大丈夫なのかと。
「まぁウチは種族がら出無精やし」
「ああも睨まれては鬱陶しくって堪らないわ」
そうなのだ。俺達が外に出ると、何故だか衛兵に睨まれるのである。
何をそこまで警戒しているのか。そんなんじゃ満足いくまで観光できない。そんな訳で引きこもっている訳で、警戒されてる理由を知りたいと思うワケ。
「まぁ待つしかないわな。その間にもっかいお勉強でもしよか。相手はネザーレ屈指のお貴族様やしな」
「ああ。何回やっても身に着く感じないし」
「アナタはもう少し自信持ちなさいな。なってなくても、堂々としてるだけでいいのよ」
「真面目ッスね~、ご主人もヘカテーも」
そんな風に過ごしていると、ようやく外交官との接見日が決まった。
呼ばれたのは俺とヘカテだけで、残る二人はホテルで留守番である。こういうトコからも警戒されてる感あるんだよなって。
そんなこんな。
接見当日、白月の出始め、俺とヘカテーニャはホテルの玄関を出た。ホストからお迎えが来ているはずである。
すると、ロータリーには素敵な舞踏会に行く感じの馬車が停まっていて、馬車の前には吸血鬼族の女騎士が立っていた。
女騎士は紫紺の髪の美女だった。吸血鬼らしい蝋のような白い肌に、同じく血のような赤い瞳。俺達を認めた彼女は、騎士らしいキビキビとした所作で一礼してきた。
「あれ? 君、もしかして……」
そんな彼女を見て、ヘカテーニャは目を丸くしていた。
対する女騎士はというと、一礼を解いた後に柔らかな微笑を浮かべた。
「イシグロ様、お迎えに上がりました。ラドゥ騎士団員、ベアトリスにございます。それから……お久しぶりです、ヘカテーニャ先生。不肖ベアトリス、恩師の出迎えに参じさせて頂きました」
「ベティちゃん! ベティちゃんやないの! ホンマ久しぶり~! あらまぁ立派になって~! どない? 元気しとん?」
「この通り、先生のお陰で騎士になれました」
知り合いだったらしい。俺を前に騎士らしい態度を崩さないベアトリス女史に向かって、ヘカテは大阪のおばちゃんのように気安く話しかけていた。
「アレから色々ありまして。どうぞ、馬車にお入りください」
促されて馬車に乗ると、二人は俺そっちのけで女子トークを開始した。
曰く、ベアトリスさんは教授時代のヘカテの教え子であり、現在は貴族に仕えているそうだ。で、この度は主に直談判してお迎えに参じたのだという。
「ええ、私も驚きました。先生が奴隷身分になっていて、それも誉れ高き彼のイシグロ様の奴隷だとは。先生も尖兵戦に参加していたのでしょうか??」
「いんや? ウチはこの夏なったばっかやで、圏外の戦いはさっぱりや。あぁでもベティちゃん卒業してから一回ルーゴウンの森にフィールドワーク行った事あるんよ。知っとる? あそこには上森神樹の実から育てた小神樹があってな……」
大事なところはぼかしつつ、ヘカテが奴隷身分になった事情なんかの話もしていた。
ヘカテが魔力障害に苦しんでいた頃の話をすると、ベアトリスさんの表情は徐々に曇っていった。
「そ、そんなヘカテーニャ先生……! 今は大丈夫なんですよね?」
「モチのロンや。ダーリンの血ぃ飲ませてもろたら一気に回復してってなぁ」
「な、なるほど英雄級の血を……」
「しかもなぁ。なんと……生で頂いたんやで!」
「生ぁ……!?」
如何にもお堅い女騎士といったベアトリスさんだったが、恩師と話しているうちに学生のノリに戻ったのか表情を二転三転させていた。
ベアトリスさんの態度からは、如何に彼女がヘカテーニャ教授を信頼しているかが伝わってくる。
「学生時代、先生は落ちこぼれだった私を何度も助けて下さいました。先生がいなければ今の私はなかったでしょう。返し切れない程の恩があるのです、先生には」
昔の話を聞くに、学生時代のベアトリスさんは落ちこぼれ吸血鬼だったらしい。
ヘカテーニャ教授はそんな彼女の相談に乗り、訓練に付き合い、出来るようになるまで支援してくれたという。
そして、卒業後はこうしてネザーレ貴族に仕える騎士になれたのだ。騎士になる事は昔からの夢だったそうな。
「イシグロ様。どうか、これからも先生をお願いします。末永く」
「はい」
場合によっては戦闘も辞さない。そのくらいの覚悟を持った言葉に、俺は迷わず返答した。
末永くよろしくする為に地下まで来たのだ。始祖の血云々は言ってないが、ある程度察してそうである。
「まぁまぁあのベティちゃんが真面目な騎士様になってもうて。昔はもっとこうルールなんざクソ食らえーってゆぅ感じやったのに」
「か、からかわないでください。今は反省しております……」
それからは、和気藹々とした時間が流れた。ヘカテの語る学生時代のベアトリスさんは割とポンコツで、先生共々楽しそうな生活をしていたようだ。
これから偉い人と会うのだ。べらぼうに緊張していた俺からすると、彼女達の会話は実に有難かった。
「ようこそおいでくださいました、イシグロ様」
馬車が停まり、大きな貴族屋敷の前に着くと、そこからは悪魔で執事っぽいイケメン家令へとバトンタッチされた。
そのまま応接室に行くものと思っていたが、しばらく客室で待機するようにと言われた。エリーゼ曰く、こういう時は応接室に直行らしいが。何かあったのだろうか。
「にしてもラドゥ侯爵かぁ。ずいぶんと大物が来たって感じやな」
客室でまったりしている間、肖像画を眺めるヘカテが口を開いた。
ラドゥ侯爵とは、この屋敷の主にして今から接見する外交官の名前である。
客室の肖像画に描かれた侯爵は、お耽美ドラキュラって感じの色気ムンムンなロン毛紳士だった。
「武闘派とは聞いてたけど、見た目は優男系なんだな。足長すぎで草」
「吸血鬼は力抑えとる人多いしな。ちな尖兵戦にも出とるはずやで」
そんなラドゥ侯爵だが、彼はネザーレ屈指の武闘派貴族なのだという。
普段は領域守護に専念しているが、俺のような個人武力の高い人相手の時は外交を行う事もあるらしい。武人には武人をぶつけんだよスタイルだ。
「イシグロ様、閣下のご支度が整いました。どうぞ、応接室へ」
なんて話していたら、お耽美家令に呼び出された。身だしなみをチェックし、彼の後ろをついていく。
やがて扉の前に辿り着く。家令がドアをノックすると、中から「通しなさい」との美声が聞こえてきた。
優雅な所作で扉が開かれ、俺達はラリス式の礼儀に則って入室した。
扉を潜ると、そこは応接室だった。当たり前の事を言っているようだが、マジでそうだったのだから仕方ない。
黙したまま軽く一礼し、無月流で習った通り内装を観察する。応接室は全体的に落ち着いた色調で、且つ威厳を感じるよう設計されているように思われた。
真っ先に目についたのは温かな火が灯る暖炉だった。暖炉の上にはラドゥ侯爵家の紋章が飾られ、奥の壁には鮮血大公・リアルイーザの肖像画が掛けてあった。
家具は上質そうな木製で、天井には豪奢でクラシックな蝋燭のシャンデリア。その他、小さなキャビネットや本棚に至るまで派手過ぎず地味過ぎずといった絶妙なバランスを保っている。
ラリスが“動”の威圧なら、ネザーレは“静”の威厳といったところ。無論、小市民の俺は部屋のセンスに圧倒されていた。
「よくぞ参られた、黎明の英雄よ。私が当代ラドゥ侯爵である」
そして、暖炉の近くの椅子に座っていたイケメン吸血鬼こそ、ラドゥ侯爵その人であった。
椅子から立ち上がった侯爵と握手を交わす。その時、俺は得体の知れない違和感を覚えた。
「茶を用意させよう。座るといい」
違和感を解消する暇もなく、着席を促された俺達は侯爵の対面の椅子に座った。俺と侯爵が暖炉を挟んで向かい合い、ヘカテが俺の後ろで控える構図だ。
家令がお茶の用意をしている間、侯爵は猛獣を観察するような目で俺達を見ていた。同じように、俺も失礼にならない程度に見つめ返す。にしても顔が良いなこの吸血鬼。
顔はともかく、この世界に来てから幾度となく戦ってきたからこそ分かるのだが……。
この人、俺より強いぞ。
少なくとも、今この瞬間バトルになったら勝てないと思う。
なのだが、それはそれとして負けない気もする。それは恐らく今の侯爵が万全な状態ではないからだと思う。
というのも、この人めっちゃ疲れてるっぽいのだ。魔力……いや血が満タンじゃない気がする。武闘派貴族ラドゥ侯爵には、迷宮探索後のヘカテに似た雰囲気があった。
「ネザーレに来たのは初めてのようであるな。して、貴殿の目にはこの国はどのように映った?」
マルチタスクで戦闘思考を走らせつつ、定石通りの会話デッキを回していく。
エリーゼからは一通りの礼儀作法は習っているものの、こういう場にはいつになっても慣れやしない。失礼はないか、間違ってないか、内心冷や汗ものだった。
さっきはあんな事を考えてたが、もう拳で語り合った方が早いんじゃないかな。マナーバトルなんてやめましょうよ。時間がもったいない。
「ところで、殿下よりお手紙を預かっておりまして……」
ある程度お茶を味わったところで、第三王子からのお手紙を取り出してみせる。ともあれ、ここからが本題だ。
銀盆を持った家令に手紙を渡し、侯爵へと届けられる。この場で確認するよう促すと、侯爵の目配せを受けた家令は控室に入っていった。
応接室が三人だけの空間になる。パチパチと暖炉の薪が燃える音がやけに響いた。
「では、読ませてもらおう」
優雅なナイフ捌きで封を切り、侯爵は王子からの御書を読み進めていった。
御書の内容は、始祖の血をヘカテに譲ってほしいという王子からのお願いである。そう、あくまでもお願いだ。それも国王ではない第三王子からの。果たして、これにどの程度の効力があるだろうか。
「……ふむ」
内容を読み終えたらしい侯爵は、長考に入ったチェスプレイヤーのように黙り込んだ。
俺の目的は一つ。ヘカテーニャを救う為に始祖の血を譲ってもらうことだ。けれども此処はラリスの法が届かぬ地下世界。いくら第三王子からのお手紙があっても、侯爵の言葉次第でヘカテの進退は決まってしまう。
沈黙が痛い。暖炉の熱で肌が焼ける心地だった。
ラドゥ侯爵が瞼を開く。切れ長の目が真っすぐ俺を射貫いた。戦士ではない、上位者の瞳。
鋭い目のまま、侯爵は口を開いた。
「結論から述べようか。内密の譲渡は不可能ではないが、現時点では断らせてもらおう」
彼の言葉を解釈していくにつれ、俺は心臓が凍っていくような錯覚を覚えた。
心身が冷えて動けなくなる直前、俺は膝に置いた手を握りしめて奮い立った。こうなる事は分かっていたはずだろう。むしろ、ここからだ。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「詳しくは語れぬ。だが説明はさせてもらう。この場は我が屋敷ゆえな」
言って、ラドゥ侯爵はその長い足を組んでみせた。
外交官としての仮面を脱ぎ捨てた侯爵は、いっそ明け透けに思えるほどの上位種族の圧を放散していた。
「理由は二つ。第一に、我が国に利益がない。如何にヘカテーニャ殿がラリスにとって有益な存在であろうが、ネザーレにとっては無益である。第三王子の申し出なれど、天秤に掛けるまでもない」
それは純粋な損得勘定だった。国益に繋がらない限り、始祖の血を渡すこと能わぬという。
確かにその通りだ。メリットは王子に貸しを作れる事だが、逆にいうとその程度しかないのだから。
「二つに、ヘカテーニャ殿……いや、イシグロ殿が始祖の血に相応な格を持っているか分からぬ。貴殿の事は言伝でしか知らぬ故、今すぐに判断する訳にはゆかぬのだ」
次に格の話が出てきた。始祖の血を渡すには、相応の格が必要不可欠である。例え内密な譲渡であっても、と。
しかし、そこに関しては違和感があった。一つ目はともかく、二つ目の理由については「格が証明できたら渡してもいいんだけどな~。チラッチラッ」とでも言っているかのようである。
「……つまり、私が始祖の血に見合う格を証明できれば、問題ないという事でしょうか?」
「迷宮潜りらしいな。私人としては好ましく思う、が……」
貴族というより、戦士のような笑みを浮かべるラドゥ侯爵。
ヘカテの言ってた通り、見た目はお耽美なイケメン吸血鬼なのに、強さや力といったワードには食いつきが良かった。
「貴族の私からすると、それだけでは足りぬな。いくら秘密裏に贈るにしても、君が始祖の血に見合う英雄だとしても、我が国にとっての利益がなければ
その通りである。そして話が巻き戻った。
理由は二つあるのだ。もはやこれは交渉ではない。試練である。
考える、考える。俺が提供できるもの、もしくはヘカテーニャが提供できるものを。頭を回せ、彼は何を欲している? ネザーレに今一番必要なものは?
始祖の血は金で買えるものではないらしい。なら、俺が持つ手札は自前の戦闘力くらいなものだ。しかし、ラドゥ侯爵程の強者が政治的にも武力的にも扱いの難しい他国の銀細工を欲するものだろうか
誰か知恵を貸してほしい。ふとヘカテーニャの気配を窺う。ダメだ落ち込んでて呼吸止めてる。そうだった、ヘカテは割とメンタルが脆いのだ。
ロリを想って一秒半。気持ち、整った。
状況を振り返ろう。
何が何だか知らないが、現在のネザーレは問題を抱えているように思える。エリーゼ曰く魔力の流れがおかしくて、兵士の空気が剣呑だ。
しかも、ネザーレはこの問題を表に出そうとしていない。内内に解決したがっているのか? なら、それを解決する手段を用意できれば……。
待て、彼相手に戦闘力は売り物にならない。ならヘカテの技術力ならどうだ? しかし彼女は奴隷身分の妖血娘だ。それこそ格関連で突っ込まれる。彼女個人への問題解決のご褒美って路線は、ネザーレの情勢的に厳しいか。
何か、何かないか。ネザーレの国益に繋がり、始祖の血の格を保ちつつ、ネザーレ貴族が納得し得る方法は……。
「僭越ながら……」
ウルトラCを閃いた訳ではない。ただ、これしかないと思って、思考を纏める前に声を発していた
冷や汗を押し止める。表情を制御する。尖兵戦で思い知った、自信があるフリをするのが頭目の仕事なのだ。
「ネザーレが……いえ、ラドゥ侯爵がお困りなら、我々“草薙の剣”がお力になれるかもしれません」
「不躾な。だが許そう。しかし、いや何についてかは知らぬが……力を貸す褒美として始祖の血を譲れというのなら、貴殿等は吸血鬼族を少々誤解しているように思われるが」
「いいえ、そうではありません。ラドゥ侯爵」
仮に助力を必要とする問題があったとして、ご褒美に譲り受けるのは論外だ。それこそ始祖の血の格が落ちてしまう。
だから、誰も文句をつけようのない商材をお出しするしかない。
恐らくそれは、心だ。
「私はただ、ラドゥ侯爵の御人徳に感服し、個人的に友誼を結びたいと思っただけにございます」
「大きく出たな。して、どのようにだ?」
「客将として、ラドゥ侯爵と共に戦いたく存じます。その証に、我が血をお贈り致しましょう」
「ほう……」
言うと、ラドゥ侯爵は貴族とも上位者とも異なる笑みを浮かべた。
自ら吸血鬼に血を献上するという行為は、友誼や信頼といった特別な関係を示すものである。
俺が提案したのは、その覚悟の証だった。
王子のお願いでも、ご褒美でもない。ただ、俺個人と侯爵の友好関係をこそ国益として提示する。その証として、互いに血を贈り合おうというのだ。
あとは、侯爵の友に見合う格を証明できれば吸血鬼流の筋は通るはず。いや、通すのだ。
「……貴殿には、黎明の血には、それほどの価値があるというのだな?」
「証明する機会がありますれば、必ずやご納得頂けるかと」
客将としての益。友としての格。贈り物としての血の質。
全てを証明しなくちゃならないのが頭目の辛いところだな。無論、覚悟はある。
「よろしい。では、さっそく証明してもらおうか」
にやりと、三つの顔を使い分ける侯爵は鋭い牙を見せて笑った。
今度のは、戦士としての笑みだった。
「戦いだ。我等の十八番だろう?」
やはり、暴力だった。
何事も暴力で解決するのが一番なのだ。
実際、得意分野である。
〇
薄々は察していたが、誘導されたと確信を得たのは地下にあるという訓練場に来た瞬間だった。
地下訓練場にはラドゥ侯爵に仕える騎士達が勢ぞろいしており。皆さん必死に訓練に励んでいらっしゃった。中にはこの屋敷まで護衛してくれたベアトリスさんの姿もある。
騎士達の訓練風景は優雅さを貴ぶ吸血鬼族のイメージには合わぬほど過酷極まりなく、誰も彼も鬼気迫った顔で己の心身を痛めつけていた。
そして、これまた驚いた事に、ここにいる騎士は全員銀細工級の強さに見受けられた。さすが竜族に次ぐ世界二位の上位種族。吸血鬼は魔族にて最強なのだ。
「閣下、既に整っております」
「うむ」
隊長格っぽい人に挨拶すると、彼は訓練中の騎士達を整列させた。
するとズラリと並ぶ美男美女の精鋭騎士団。さながら特殊部隊のようである。これまた流石は武闘派貴族の騎士団といったところか。
「この者は災厄の尖兵の戦いで多大なる武勲を挙げた、ラリス屈指の勇士である。武人同士、意気投合してな。我が騎士団の力を見てもらう事になった。皆の者、胸を借りるつもりで挑むがよい」
瞬間、騎士達から俺に向けて殺気めいた戦闘意思が突き刺さる。今さらこの程度にビビる俺ではないが、ヘカテは「ひえっ!」となっていた。
ヤンキーみたいにメンチ切ってくる俺様系吸血鬼。冷静に見定めようとしているインテリ風吸血鬼。如何にも貴族貴族した巻き毛吸血鬼。乙女ゲーかな?
パッケージ映えするビジュアルは置いといて、個性豊かな精鋭騎士の中に俺を侮っている者は一人もいなかった。
「武器はどうしましょうか?」
「自前の武装を使用して頂ければ。手加減も結構。イシグロ様の力をお見せ頂けますと幸いです」
ややもせず、俺と騎士の決闘がセットされていった。
相手はヤンキーっぽい吸血鬼だった。騎士の中でも最も俺に敵意ビンビンだったハリキリボーイだ。向こうは大剣二刀流スタイルで、俺は黎明剣と短銃杖による本気モードだ。
「てめぇ、ラリスのイシグロとか言ったな。一応名乗っといてやるぜ。オレの名はドラグーシュ。オレはガキの頃から喧嘩の腕だけでのし上がってきて、閣下に負けるまでは無敗だった。てめぇにゃあ悪ぃが、ちぃとばっか恥ぃかいてもらうぜ」
「どうも、イシグロです。対戦よろしくお願いします」
広い地下訓練場は天井も高く、吸血鬼族の飛行能力を活かせる造りになっていた。
テニスコートくらいの間隔で対峙する。牙を剥き出しに戦意を高めるドラグーシュ氏に対し、俺も俺で無月流の呼吸を繰り返していた。
気を抜いて勝てる相手じゃない。ガチでいく。
「はじめい!」
試合開始と同時、ドラグーシュ氏は「ガァ!」と咆哮して全身から魔力を解放した。
次の瞬間、彼の骨格が変化し、牙が伸び鼻が伸び背丈が伸び……やがて灰色の狼男に変身した。
吸血鬼族の変身能力――否、
「喧嘩の基本は先手必勝! 舐めてんのかゴルァ!」
地を揺らす程の踏み込み。強化された脚力に合わせ、純血魔術を推進力に接近してくる。
めちゃくちゃ速い。だが分かりやすい。退けば狩られる、なので狩る。俺もまた前に踏み込み、彼の剣に剣を合わせた。
「「オラァッ!」」
ギィイイイイイン! 爆発じみた火花が散り、両者の剣が擦過する。【受け流し】で返す所存だったが、読まれて軽く流された。この狼男、力任せに見えて技巧派だ。俺が体勢を立て直すより早く、ビースト・ドラグーシュが空いた方の剣を振るってくる。
パワー、スピード、テクニック、どれも高次元で均整が取れている。リンジュの道場剣術ではあり得ない、魔物でも相手にしているかのような荒々しい人狼剣術。野生の力を理性の技で振るっている。
なるほど、強い。
「ぐぁ! まだまだぁ!」
だが、戦えば俺の方が強い。
俺は彼の回避方向に【魔力の礫】を発射し、動きを止めたところで【軽功】による前ステップで斬りかかった。
剣を上げてガードしようとしたドラグーシュだったが、今まで見せなかった発勁斬撃によって受けた剣を弾き飛ばしてやった。ガードされる前提のガード崩し技である。
「舐めんじゃ! ねぇええええッ!」
喧嘩自慢の打たれ強さか、一刀を失った彼は構わず攻撃を仕掛けてきた。純血魔術を用いた両手大振り斬撃。そうだ、これを待っていた。
右の黎明による【受け流し】で体勢を崩し、左の銃杖による【魔力の剣】で会心の一撃を入れる。
「がぁあああ! このクソが……!」
逃がさない。そのまま黎明を腹にぶち込み、思い切り地面に縫い付ける。即座に起き上がろうとした相手の頭に、そっと銃杖を突きつけた。その先端には既に聖属性魔法が準備されていた。
確かに速かった。力も強いし、技もよく練られていた。けれど、全て俺のが上である。勝因はそれだけだ。
「……敗北を認める。オレの負けだ」
黎明を引き抜く。彼が零した血が集まっていき、剣や魔法による傷が塞がっていった。
ホルスターに銃杖をしまった俺は、立ち上がろうとした彼に手を差し伸べた。
「初手、カウンターを見切られたのは驚きました。対戦ありがとうございました」
「……待ちの喧嘩が上等とか勘違いしてる奴だと思ってたが、そうでもねぇようだな。次は負けねぇ!」
がしりと、ダメージ受けるくらいの力で握り返される。起こし上げながら治癒魔法をかけてあげると、彼は武器をしまって一礼してきた。
「次、チャールズ。前に出ろ」
「承りました」
侯爵の命令で次の騎士が現われる。
今度の騎士は大鎌使いの純血吸血鬼だった。少なくとも魔力量は俺より上だ。魔導士寄りか。
「イシグロ殿のお噂はかねがね。しかし、どれも聞くだに胡散臭いんですよね。この戦いで白黒ハッキリつけさせて頂きましょうか」
「割とガセ多いですよね。対戦よろしくお願いします」
試合開始。相手は魔導士。得意の小細工は使わない。王道で攻める。
眼前に迫る魔法の嵐。初手から【魔力の盾】で【
戦士の間合い。当然として鎌で対処されるが、その武器の相手は慣れている。軽く捌いて反撃し、翼での飛び上がりも読んで回避方向に【雷網】を置く。それを鎌で防御しようとしたところに【飛翔】で上を取って空中ドルフィンキックからの急降下斬撃をぶちかました。
型に嵌った。これで勝ち。勝てなきゃ嘘だ。
「クソッ! なんでオレとの戦いではあの技を使いやがらなかったんだ!」
「お前、あれ捌けるか?」
「無理だな。捉えられた時点で獲物に成り下がるだろうよ」
空中にいる攻撃対象を中心に、連続【切り抜け】で攪乱しつつ徐々にダメージを与えていく。第二の必殺魔剣【超級炉神破斬】だ。
鎌と魔法で何とか防御をしようとする吸血鬼騎士だが、それこそ織り込み済みである。このまま削り切る。
「魔力過剰充填、【魔血の檻】!」
が、ここで相手は予想外の行動に出た。切り刻まれる吸血鬼は切り刻まれるがまま宙に散った血を操作し、ビット兵器のように俺を包囲してきたのだ。
純血魔術によるオールレンジ攻撃。そのまま三百六十度全方位攻撃が発動する。一発逆転の愉悦か、相手は会心の笑みを浮かべていた。
が……!
「【嚇怒疾風勁】!」
一つ手札を晒して凌ぐ。全身の勁鱗を爆発させ、相殺した。
そして、技後硬直中の騎士に落下キックを入れ、思い切り床に叩きつけた。剣と銃杖を突きつけ、試合終了である。
「……ありません。どうやら、貴方は本物のようだ。これまでの非礼をお詫びします」
「いいえ。対戦ありがとうございました」
二回戦勝利である。さっきと同じように助け起こし、俺が出来る最高位の治癒魔術をかけた。
トボトボと帰った二人目騎士の肩を、一人目のドラグーシュ氏がバシバシ叩いていた。
「閣下、次は私にいかせてください」
「元よりそのつもりだ。往け」
その頃には当初あった騎士の敵意は鳴りを潜めており、戦意に満ちた騎士達は我も我もと集まってきた。
休憩なしで次々と相手をしていく。この中に、誰一人として弱い騎士はいなかった。誉れを捨てて多人数でかかってきたらヤバかっただろうが、彼等とは終始タイマンで勝負した。誇り高く、強い騎士である。
なので、本気で、俺はその全てを銃杖&剣の魔法剣士スタイルで倒してみせた。
「よろしくお願いします、ヘカテ先生。成長した姿をお見せいたしましょう」
「はいはい、お手柔らかにな」
俺が副隊長を下した後には、ヘカテーニャも力を見せる流れになった。
相手はベアトリスさん。二人とも純魔導士で、初手から純血魔術の応酬だった。
血の弾幕を張りながら、幾本もの血の巨腕で相撲をする。遠隔操作魔法で相手の裏をかき、溜め攻撃で障壁を突破する。両者ともに一歩も動かず、小細工一切なしの魔法戦をやっていた。
「ま、参りました。まさか、ここまで強くなられているとは……」
「まぁ色々あってな」
結果、ヘカテーニャが横綱相撲で勝利した。純粋に力と手数で圧倒した感じだ。いやだって、「無詠唱魔術は止めようね」って言ってた当人が多重無詠唱魔術やってたんだもん。そら勝てんわ。
曰く、ベアトリスさんは部隊でも屈指の魔法使いだったそうで、その師匠という事でヘカテーニャも一目置かれる身となった。
「両名、善き戦であった。皆の者も、イシグロ殿の力を思い知ったであろう」
流石に侯爵も満足してくれたようである。俺は緊張の糸を緩めていった。
けれども、侯爵以外の戦士は不満足だったようである。
「おい、お前のソレどこの剣術だ? やっぱリンジュか? そういう雰囲気あるもんな」
「またやりましょう。実は私には七十二の必殺技がありまして」
「あの魔術はあの奴隷に教わったのか? ラリス大学で学べば私にも同じ魔術が出来るようになるだろうか? 教えてくれ」
騎士達である。特に熱心だったのは一回戦のドラグーシュ氏で、今度は魔法無しのガチバトルをやろうと誘ってきた。
何というか少年漫画の主人公みたいなメンタリティである。なんて気持ちのいい連中だろう。やはり、暴力は全てを解決するのだ。
「ええい戻れ! 貴様等は今から仕事があるだろうが!」
という騎士団長の指示によって、騎士達は不承不承といった風に解散していった。
ともかく、これで格は示せたと思いたい。
人事は尽くした。
戦いの後、俺達は応接室に戻ってきた。
窓際の席には既にワインが用意されており、ネザーレの夜景を肴に月下のワイン会である。
「先の戦いぶり、実に見事であった。客将として迎えるに相応しい戦士と言えよう」
そう言って真紅の美酒を揺らすラドゥ侯爵は、さっきよりずっと上機嫌そうだった。
今は白の月がネザーレに浮かんでおり、ラドゥ侯爵の美貌も相まって俺の視界は乙女ゲーのイベントスチルのようになっていた。
「イシグロ殿には我が屋敷に客将として逗留してもらう。友誼の証として、貴殿は私に貴殿の血を、私は貴殿に始祖の血を与える。また、その間は草薙の剣及びヘカテーニャ殿に力を貸してもらう。これでよいな?」
「度々の御恩情、有難く存じます」
「そう堅くなるな。私と貴殿の仲であろう」
今回の件、まとめるとこうだ。
旅行に来た俺はラドゥ侯爵と意気投合し、客将として迎えられる。その友誼の証として、俺は始祖の血を受け取る。逗留中、俺は侯爵が抱える問題の解決に手を貸す。問題解決のご褒美で血を貰うのではなく、友達同士のプレゼントという流れである。
まぁどのみち表に出るものではないのだが。そもそもネザーレは問題を隠しているし、俺自身それがまだ何なのか分かっていない。俺は内容聞いて日和るようなタマしてねぇんだ。
「して、貴殿には私個人だけでなく、上のお歴々にも血を献上して頂くのだが、その事は承知しておいでか?」
「はい。承知の上でございます」
「うむ。品性にかける故あまり大っぴらには言えぬのだが、強者の血には何かと使いでが多いのだ」
料理皿に被さっていたフードカバーを取る侯爵。そこには、Sサイズのポーション瓶と短剣めいた杭が置いてあった。杭の正体は知っている。
吸血鬼が使う吸血道具――瀉血器だ。
「……私には力が要る。貴殿が許してくれるならば、今ここで頂きたい」
見立て通り、侯爵は血が不足しているようだ。これも件の問題が原因なのだろう。
俺の血はヘカテーニャの不調を一瞬で治療した程の良血である。ぶっちゃけ飯を食えば量産できるのだから、これを献上する事に抵抗はなかった。そもそも、ネザーレ貴族に血を贈るとはそういう事だ。
「了解いたしました」
瀉血の儀だ。俺は袖をまくり、恭しく左手の手を差し出した。
一瞬、これまでの旧魔王軍の所業を思い出して内部にいるかもしれないスパイに俺の血を悪用されないかと危惧したが、いやそのつもりなら既にやってるだろうと思い直した。
「貴殿の献身に感謝を」
言って、ラドゥ侯爵は優しく俺の手を取って手首の動脈に瀉血の杭を突き立てた。
血を吸われる時の感覚はなかった。もっと言うと、刺されている痛みさえ無かった。HPは減ってるような気はするが、自然回復が上回っているので問題無し。
杭が引き抜かれ、俺の血が蓋を外したポーション瓶に注がれていく。これで血の保管ができるそうだ。面白いもので、その瓶はラリスが発明したものだった。
「うむ、うむ……良い赤であるな、まるで一年に一度の紅満月のようだ」
一本の杭で都合三本ほど採血した侯爵は、陶然とした面持ちで瓶を揺らしていた。
瀉血の際に何か細工がされているのか、瓶の中で揺れる俺の血は血液というより赤ワインのようだった。
「むぅ……この場で頂いても?」
「え、ええ。どうぞ」
了承するなり、ラドゥ侯爵は我慢できぬとばかりにグラスに血を注いだ。
くるくると揺らして匂いを嗅ぐ。何事か小声でレビューしているが、強いて聞かない事にした。ふと目を向けた先で、ヘカテーニャが羨ましそうな顔しててダメだった。
そっと、グラスに口を付け……停止した。
「うっ……!」
一拍開けて、グラスの中身を飲み干し。
カッと目を見開き、言った。
「美味いっ! 美味いぞー! こ、これはまるで生命そのものを飲んだかのような! この血には幾重もの戦を生き延びてきた勇士の魂が溶け込んでおる! おぉ、おぉ! 身体中が火傷するほどに熱い! これぞまさに、究極の稀血だ……!」
ペカーッと、侯爵の全身が光り輝く。
月光に照らされて幻想的だった侯爵は、俺の血を飲んでゲーミング・ヴァンパイアになったのだ。ヘヴン状態である。
僅かにコケていた頬が戻り、ミチミチミチィと筋肉が蘇っていく。パァンパァンと服のボタンが弾け飛び、ムッワァァァと雄の色気が放散していく。
この吸血鬼……スケベ過ぎる……!
「す、素晴らしい……! 味も然ることながら、この力! 傷ついた肉体に染みるようではないか! しかし稀血など何度となく呑んできたが、これほどまで滋養のある血は初めてだ! もはやこの血はリアルイーザ様にこそ相応しい……!」
上機嫌そうだ。こういう時、俺はどんな顔すればいんだろうね。
なんて考えていたら、ハイオク満タンになった侯爵が気持ち物欲しそうにしていたヘカテを見た。
「なるほど、貴殿は普段からこの血を飲んでおるのだな」
「は、はい。毎日飲んどりますぅ……」
「……惜しかろうよ」
グラスを置いた頃には、ムキムキ貴族様はさっきまでのお耽美侯爵に戻っていた。ああ、お耽美姿は低燃費モードなのね。
「よかろう。改めて宣言し、契約しよう。ラドゥ侯爵家はイシグロ・リキタカ殿を客将として迎え入れ、然る後に始祖の血をお譲りする事を」
「身に余る光栄に存じます」
そのようになった。始祖の血の内定が決まったのだ。
貴族の前で力を示し、認められる。凄いなろう主人公してる気がするぞ、今の俺。
クエストクリアからの新規クエスト発生である。
その後、俺と侯爵は契約内容について詰めていった。
細かい内容はともかく、俺達“草薙の剣”は友誼で以てラドゥ侯爵の客将となり、その証として始祖の血を賜る。
要するに、始祖の血が内定したのである。
「大丈夫か? ヘカテ」
「ん? あぁ……大丈夫や。体調の方は全然……」
帰りの馬車の中、当のヘカテは終始ボーッとしていた。
始祖の血は後日受け取る予定である。ひとまず延命が決定したヘカテは、いまいち嬉しそうにしていなかった。
「めちゃ嬉しいんやけど、まだ現実が追いついとらん感じ。あのネザーレ貴族がなぁ」
ホテルに戻っても、ヘカテはぼんやりしたままだった。
それどころか、気力という気力を失ったようにして歩いていた。使わなくなって久しい杖が必要と思えるくらい。
「ど、どうだったんスか? やっぱダメだったッスか! 戦争ッスか!」
「暗い顔ね。黎明を貶められたのなら戦争よ、戦争」
部屋に戻ると、待ってた二人が心配そうな表情を浮かべていた。
対するヘカテーニャはよれよれと椅子に体重を預け、ぼけ~っと天井を眺めた。
「……始祖の血、貰えるって」
で、ヘカテは嘆息するように呟いた。
エリーゼがこっちを見てくる。俺は肩をすくめた。
「え? なら良かったじゃないッスか! 素直に喜んどくッスよ!」
「ルクスリリアじゃないけれど、もっと喜びなさいな。まさか真祖になりたくない訳ではないのでしょう?」
「あ~、そうやな。そうなんや……」
素直に喜ぶルクスリリア。真っすぐに寿ぐエリーゼ。仲間二人に祝われて、ヘカテーニャは両手で目元を覆っていた。
少しずつ、少しずつ、妖血娘の魔力が高まっていく。これまで自制していた感情を吐き出すように、彼女は大きな溜め息を吐いた。
「……ホンマに、まだ生きられるんやな。翼も足も健康で、ダーリンや皆と一緒に……ずっと」
涙声だ。心は正直なようである。
俺はヘカテの隣に座って、その頭を撫でた。
「ヘカテは、真祖になったら何をしたい?」
「何を? あぁ、そっか。妖血娘じゃできひんかった事も、色々できるようになるんやもんなぁ」
ゆっくりと、体重を預けてくる。俺の服を掴む力は弱々しかった。
「そうやな。ピクニックってのやってみたい。公園行って、お花見ながら歩いて……。実は釣りとか、遠乗りとか園芸とかにも興味あってん。せやなぁ、遠乗り用のリヴクラフト作って旅行とか楽しそうやん? お日様の下でテオファノ大浴場でお風呂して、リンジュの露天風呂とかも入ってみたいなぁ。実は入った事ないんよなぁ、故郷の湯……」
言葉の途中、ヘカテーニャの目から大粒の涙が零れ堕ちた。
「でも、真っ先に……」
顔を上げ、ヘカテーニャは俺を見つめた。
かつて濁っていた紅の瞳は、ルビーのように煌めいていた。
「皆に……ダーリンに、お礼したいわ。なぁ、ウチはどうやって恩返ししたらええんや? 何を、どうすれば清算できる?」
「幸せになってほしい。俺にとって、それが一番嬉しいから」
「ダーリン♡ 愛してる♡」
瞬間、両手を首に回して抱き着いてきた。
あやすように背中を叩く。彼女は俺に全霊を捧げるように全身を擦りつけていた。
「もう感謝してもしきれへん! ありがとなぁ! 一回だけやのうて二回も! 間違いなく、イシグロ・リキタカは人類最高の英雄や!」
喜びの涙が流れていく。
俺に感謝しているヘカテだが、俺こそ彼女の生存に感謝を捧げたかった。
ロリは笑顔が一番なのだ。
ともかく、である。
何はともあれ、である。
こうして、ヘカテーニャは始祖の血を手に入れる事になったのであった。
実際、まだ先だけど、問題も解決してないけど。
今はただ、喜びに浸ってもいいはずだ。
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