【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
誤字報告もありがとうございます。感謝です。
キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。
ロリコン率いるロリ冒険者集団“草薙の剣”は、この度めでたくネザーレ貴族の客将として迎えられる事と相成った。
その証として、互いに血を供与する契約を結んだ。俺は俺自身の血を、相手の貴族――ラドゥ侯爵は始祖の血をといったように。
始祖の血とは、ざっくり言うと一般吸血鬼を最強吸血鬼“真祖”へ昇格させる進化アイテムの事だ。
俺達は最下級吸血鬼たるヘカテを真祖にする為、厳密に言うと彼女の延命の為にネザーレを訪れたのである。
要するに、俺と侯爵が仲良しになった証拠として血を分け合うという事。その為の客将、あとその為の血の交換?
無論、これは建前だ。
友情はプライスレスなれど、実利がなければネザーレ貴族は動かない。
故に、俺達が客将身分でいる間は、侯爵家が抱える問題に力を貸すという契約も結ぶ事となったのである。
問題とは何か?
すみません。よく分かりません。
そう、件の問題が何なのかについて、俺達はまだ説明を受けていなかった。
浅慮に過ぎる安請け合い。ネザーレが何かしら問題を抱えているというのを知っちゃった時点で、俺はこの契約から逃げられない。逃げるつもりもない。
ヘカテの事を考えるなら、むしろバッチコイといったところ。このためにこそ鍛えてきたのであるからして。
「今日も霧が濃いわね。私の羽ばたきで吹き飛ばせないものかしら? ほら、ヘカテの全力風魔法を反射して……」
「したらネザーレ民殆ど飛んでっちゃうッスよ」
「ん~、たぶん効果ないんとちゃうかなぁ。これ普通の霧となんかちゃう気ぃするし」
紅月の夜を寝て過ごし、再び白月が昇って気持ち的に翌朝。冒険者衣装を身に着けた俺達は、ラドゥ侯爵家のお迎え馬車にのっていた。
高級馬車である。ドアにはめ込まれた窓は透明なガラス製で、カーテンを開けば外の風景が見える仕様だ。
なのだが、霧が濃くって何も見えねぇ状態だった。
「ネザーレは霧の都ってのは知っとるんやけど、ベティちゃん的に普段からこんなもんなん?」
「いえ、昨今の霧は異常です。その……今は対処できない状況というか」
元よりネザーレは霧がかった都市である。それにしたってここまで濃いのは珍しいそうだ。
ホラー映画にしても、伝奇小説にしても、アクションゲームにしたっても、急に霧が濃くなる現象は良くない展開の前兆である。ここはゲームみたいでもゲームじゃないが、不気味に感じて不穏に思うのは致し方なし。
あるいは、ラドゥ侯爵が抱えているという問題はこれ関連なんじゃねぇのとか考えてしまう。まぁ現段階では妄想以外の何でもないので、それこそこれ以上考えても仕方ないのだが。
「ようこそおいでくださいました、イシグロ様。閣下は食堂でお待ちでございます」
乙女ゲー本編では攻略不可だけどファンディスクで個別ルートが用意されそうなイケメン執事に案内され、俺達は侯爵屋敷の食堂に向かった。
その為に朝食抜いてきたし、もうお腹がペコちゃんである。どんな料理かな、楽しみだな。そう思っていると、食堂の扉が開かれた。
瞬間、ムワッとした熱気が肌を撫で、恐ろしく肉々しい香りが俺の鼻孔にホールインワンしてきた。
「ヘイお待ち! 冷めないうちに食べな!」
「おうこっち飯無くなりかけてんぞ! 何でもいいから持ってきてくれ!」
「肉! 肉! 肉に肉を巻いて肉汁ソースかけて食いてぇよぉ!」
大きな広間の大食堂である。煌々と焚かれたシャンデリアに、見事な装飾や家具の数々。クロスの敷かれた長机の上には、ジュージューと油を弾けさせる肉料理。その他にも豪華な料理が所狭しと敷き詰められ、昨日戦った騎士や初見の騎士達が一心不乱に飯を貪っていた。
そんな中、最も奥の一段高いテーブルでは、これまたマッスルフォームのラドゥ侯爵がお食事をしていらっしゃった。某魔法学校映画の食事シーンを思い出す光景だ。
「何故、脱いでいるのかしら……」
「わぁ~、すごい光景や。女騎士はんもおんのに、お互い恥ずぅないんかな」
「此処に処女淫魔の集団召喚したら面白そうッスね」
「吸血鬼が血を飲んで淫魔が精を絞る。永久機関が完成しちまったな」
それだけならまぁ普通なのだが、騎士団の過半を占める男性陣全員が半裸だったのである。しかも肩に小さい馬車を乗せてるみたいにパンパンにパンプしているではないか。顔は変わらずお耽美系なのが雑コラめいてて草である。
なお、数少ない女騎士達――アナル弱そう――は普通の制服姿だったのだが、筋肉の代わりとばかりに異様なくらい胸がパンプして服がビリビリに破けていた。もうギャグだよそれは。
「もしかして、これが吸血鬼族の日常なのでしょうか?」
「いいえ、そうではありません。ただ……」
「実はな! お前の血を飲んでから、どいつもこいつも腹ぁ減って仕方なくなってんだよ! 食ったモンが全部エネルギーになってんのが分かるぜぇ!」
現状もとい惨状を説明しようとしたベアトリスさんを押しのけ、昨日戦った狼男・ドラグーシュ氏が大胸筋をピクピクさせながら声をかけてきた。
例によって彼の肉体は未来から来たマッスル・アンドロイドのようであり、その手には特大マンガ肉が握られていた。
「俺の血を、ですか?」
「ああ。食前酒にな、ほんのちょびっとずつお前の血が入れられたんだよ。いやさぁ、男の稀血なんて甘くみてたさ。がね? いや味わい深くって感動した。情熱を秘めた鮮血……」
「お迎えに上がる前、私も飲ませて頂きました。イシグロ様の血は本当に素晴らしいですね」
「お、おう」
如何にもオラオラ系で無神経そうなドラグーシュ氏はともかく、如何にも生真面目女騎士っぽいベアトリスさんまで俺の血を俺に対してレビューしてきた。素直に困惑です。
前に読んだ吸血鬼ブックに曰く、吸血鬼が他者の血を褒めるのは最高の賛辞らしい。でもさぁ、こういう時どんな顔すればいいか分からないからさぁ、もう笑うしかなくなっちゃったよ。
「こちらだ、イシグロ殿。先に頂いているが、許されよ」
騒がしい食堂を縫うように歩き、お食事中のラドゥ侯爵の前まで案内される。
騎士同様にパンプアップした彼の前には、ジュージューと焼ける特大ステーキが鎮座していた。すごく美味しそうだ。
それを食べてるのは首にナプキン巻いてるお耽美ドラキュラフェイスの半裸ゴリマッチョなのよね。絵面が恐ろしくシュールだ。
「奥方も、このように食事の席を共にするのは初めてであるな。我が家の料理人に腕によりをかけて拵えさせた。存分に味わうといい」
着席するなり、俺達にも料理が配られてきた。いきなり
配られた料理は我々に配慮されたもので、付け合わせには卵やチーズの他にも純血果などが添えられていた。
「う、美味ぇ……」
「で、あろう。地上に出してこそいないが、ネザーレ牛は淫魔牛やフライシュ牛に決して劣るものではないのだよ」
食肉用の牛として育てられているだけあり、お出しされたネザーレ・ステーキは非常に美味しかった。何というかこう、ザ・たんぱく質って感じ。全体的に脂身が少なく、柔らかで尚且つズッシリしているのだ。
お供に頂いたワインも素晴らしい。ワイン関連の知識はさっぱりだが、良い酒なんだなってのが分かる。その証拠にエリーゼが満足そうにしていた。
「茶会の支度は整えてある。暫し、そちらで話そうか」
食後、肉体を萎ませて着衣した侯爵と共に、俺達は食堂を離れて別階の部屋にやってきた。
そこは応接室とは別のお茶会用ルームとなっており、ティーテーブルの他にピアノやら何やらが設置されていた。
「早速だが……地上にいるという草薙の者を招く前に、ネザーレの現状を話しておこう」
だが、実際そこで行われるのはティーパーティではなくブリーフィングであった。
ティーテーブルもとい円卓に集った我々に、数枚の資料が配られる。次いで机の真ん中にネザーレの簡易地図が広げられた。北方に出入り口の塔、向かいの南方にリアルイーザ城が描かれている。
「現在、ネザーレでは紅月の夜に正体不明の獣が現われ、民が襲われる事件が続いている。件の獣は出現の都度に討伐されているが、いずれもその場しのぎの対応に過ぎぬ。この件について、未だ根本的な解決法は見出せていないのが現状だ。これが、我が国が抱え隠そうとしている問題である」
侯爵の説明を聞きながら、手元の資料を読み進める。
地下ネザーレにおける住民の失踪事件。対象者が失踪したと思しき現場には、大量の血痕と服や靴が残されており、亡骸だけが綺麗さっぱり消えていたという。
その原因は紅月にのみ現れる謎の獣らしい。魔物被害によく似ているが、ネザーレには魔物結界が張られているので、それは考え難いそうだ。
十中八九、侯爵がやつれていた原因はコレだろう。
「そして、その際に現れる獣が此奴だ。我々はこれを“
人食いの獣・飢喰徒。一言で飢喰徒といっても、多様な形態が確認されているようだ。
初期は鼠や猫など弱い小動物型が多かったそうだが、現在はどんどん増えてって狼型とか蝙蝠型とか色んなタイプが見つかった。加えて時が経つにつれ強くなっているというのだ。
「初めて飢喰徒の姿が確認されたのは凡そ五年前。以降、霧の濃い紅月の夜に現れ、民が襲われている。食われているのだ、骨の髄までな。この時はまだ、兵士だけで対処できていたのだが……」
明確に人類を狙っている事から当初飢喰徒は既存の結界を破る新種の魔物かと思われていたそうだが、研究が進んだ現在は飢喰徒は魔物ではないとの結論が出ているそうだ。
また、倒しても霧に溶けるだけで経験値吸収もないしドロップもないしでマジ最悪なんだとか。
「だが、一年前……ちょうど尖兵戦が終わった頃から状況が変わったのだ。悪い方向にな」
言って、ラドゥ侯爵はネザーレ地図の端っこにチェスの駒を置いた。
「飢喰徒を生み出す異境、“幽界”。これが発生するようになってから、飢喰徒共は明らかに強壮になっていった。身体が大きくなり、牙が鋭くなり、現在では唯一の弱点だった聖なる光に耐性を持つに至った。これを放置するとより多くの飢喰徒が外に出てくる。早急に滅ぼすべき、目下最大の脅威である」
資料をめくると、それはこの“幽界”についての報告書になっていた。幽界発生の以前と以後では、被害件数は比べ物にならないほど増加している。
幽界の中は迷宮めいた異境となっており、それこそ迷宮の魔物のように飢喰徒が襲ってくるそうだ。また、コレを放置すれば強化された飢喰徒が外に現れるようになり、逆に幽界内の主を殺して攻略すると霧が晴れて飢喰徒が発生しなくなるという。故に早期発見早期攻略が望ましいとの事だった。
「迷宮と例えたように、ただ強いだけでは踏破できぬのが現実だ。事実として、既に三人の貴族が幽界によって帰らぬ者となっている」
時系列に沿って幽界の発生ポイントに駒が置かれていく。資料と照らし合わせる感じ、幽界は最低月二回ペースで発生していた。
また、その発生頻度は昨今急激に増加しており、今月だけで既に四つも発生している。
「それからだ、我が国の貴族共は、幽界の主に怖気るようになった。吸血鬼族の、ネザーレ貴族がだぞ……!」
全ての駒を置き終えると、ラドゥ侯爵は地図の真ん中に拳を叩きつけた。
駒が倒れ、転がって床に落ちる。侯爵の拳は怒りに震えていた。
「あろうことか、彼奴等め外の飢喰徒だけを狩って義務を果たしたと抜かし、あまつさえ幽界の討滅を私に丸投げしおった。領地を守るのが貴族の誇りであろうが。それを他家に任せるなど。恥知らず共が……!」
続く話によると、最近の幽界攻略はラドゥ侯爵を筆頭とした少数の武闘派貴族に丸投げされているそうだ。
だが、ここで一つ疑問が浮かぶ。
「僭越ながら、であれば外部の冒険者に幽界の対処を依頼すればよろしいのでは? 報酬が相応であれば、こぞって参加されるかと」
「……然るべきであるな」
呻くように同意する侯爵。怒りを収めた瞳は深い諦観を湛えていた。
まぁ、そうなるな。
「彼奴等、この期に及んで未だに下らぬ政治をやっておるのだ。外部の者に頼っては沽券に関わるのだ、と。武威の誇示は理解できるが、事ここに至ってそのような世迷言を吐いている場合ではないというのに。戦に怯える貴族など屋根裏の鼠にも劣るであろう……」
要するに、面子の問題だった。
内戦なり魔物被害なり、そういった脅威を自国の戦力で解決できないと他国に知られてしまうのは、鮮血公国ネザーレの信頼が揺らぐ。
そして、現在ネザーレの貴族界隈は、外部から援軍呼ぼう派閥と自力で解決しよう派閥の勢力が飢喰徒・幽界そっちのけで牽制し合っているらしい。うーん、この。
「故に、イシグロ殿には力を貸して頂きたい。客将として、私の友として。無論、友誼の証は用意する」
武闘派貴族の熱い双眸が俺を射貫く。
俺が感化されやすいのか、妙な義侠心が刺激されたのか、既に俺はラドゥ侯爵に絆されてしまっていた。あるいは、そういう人心掌握術なのかもしれない。それならそれで立派な貴族だと思う。
まぁ冒険者反対派の意見を聞いてないから公平ではないけどさ。今はそう言うの議論してる場合じゃないし、別にいいかな。
冷静になり、思考を回す。まとめると、こうである。
五年前から、暗夜のネザーレ内に飢喰徒と呼ばれる害獣が現われるようになり、人々を襲っている。
当初は何とか対処できてたものの、一年前から幽界という謎ダンジョンが発生。被害は悪化の一途を辿っている。
飢喰徒・幽界の被害は貴族にも及んでおり、そのせいで玉無し貴族が引きこもって内部政治に邁進中。現在はラドゥ侯爵等少数の武闘派貴族が頑張ってるが、それももう限界らしい。
じゃあ地上に助けを呼べばいいじゃんと思うが、色んな理由でそれはNGが出ている。
と、そんな感じか。
そんな中、困った侯爵の前に始祖の血を求めるロリとロリコンが現れた。
使えるものは使う。現場判断でこいつらを客将として迎え、友誼を名目に始祖の血を報酬にしてこき使ってやろう。
と、そんな感じか。
つまるところ、これが今回のセッションのメインクエストなのである。
アイコンタクトで報連相。皆、やる気満々だ。
「かしこまりました。その為にも仲間を召喚したく存じます。勿論、手紙はご確認頂いて結構です」
「かたじけない」
了承すると、侯爵は僅かに眉を下げて安堵したような表情を浮かべた。
外交官モードの時は鉄面皮な侯爵だが、プライベートでは表情豊かな人なのかもしれない。
「ヘカテーニャ教授には、その見識で以て幽界の解明を頼みたい。後に資料の保管庫へ案内させよう」
その後は具体的な仕事内容を詰めていった。幽界は優先して対処せざるを得ないものとして、根本的な解決を求めているのだ。それには直接的な戦闘力より、ヘカテのような学者が必要なのだ。
始祖の血については、既にラドゥ侯爵が取り寄せ中だ。届き次第、使ってヨシという事になっている。血使ってサヨナラされるのを想定してない訳でもなかろうが。
「それと、イシグロ殿にはもう一つ頼みたい事があってな……」
「はい、何なりとお申し付けください」
やがて俺に話題が移ると、侯爵は言い淀むように口をつぐんだ。
一拍空けて、辺りを憚る低声で声を発した。
「もう少し、貴殿の血を分けて頂きたい。魔法薬より遥かに効くのだ、アレは」
一瞬、お耽美顔のゴリマッチョ集団のイメージ画像が浮かんできたが、強いて振り払ってから了承した。
「う、承りました」
「有難い。アレを飲んでからというもの、騎士達も力が漲るようでな。安心なされよ。貴殿の血はラドゥ侯爵家でのみ扱うものとする故」
ともかく、迅速なクエストクリアには仲間の存在が必要不可欠である。俺は昨夜頑張って書き上げた手紙を侯爵に渡し、その場で確認してもらった。
で、これならヨシと侯爵印のハンコが押され、次いで皆用の通行許可証とお迎え騎士を出してもらう運びとなった。
全ての用意が整い、善は急げと伝令騎士を呼ぼうとなった時だった。
「ご歓談のところ失礼いたします、閣下」
イケメン家令が扉を開け、しっかりと服を着た吸血騎士が入室してきた。
騎士の顔は強張っていた。侯爵は俺に目をやってから頷いてみせる。
「よい、話せ」
「はっ。先程、グインラ区にて新たな幽界が発見されました」
騎士の報告に、場の緊張が高まるのを感じ取った。
そんな中、ヘカテーニャの赤い瞳が俺を見つめていた。一等やる気に満ちておる。
「ダーリ……リキタカ様、資料読み漁るんも大事やけど現地行って直に調べるのがええと思います」
「そうだな……」
あえて聞こえる会話をしてみせて、改めて侯爵と目を合わせる。
流石にもう把握している。この人は生粋の現場主義だ。
「うむ。イシグロ殿、頼めるか。私は武装を整えた後に向かう故」
「承りました」
幽界がどんなのか分からないと解決のしようがない。研究も大事だが、現地調査が最も確実である。
そんな訳で、俺達は謎ダンジョンを調査すべく現地に向かうのであった
俺は迷宮のプロだぜ。
〇
現場への移動中、俺たち幽界調査班はドンパチ系洋画でよく見るシーンを体験していた。高速馬車の中で向かい合わせになって座っている状況である。
メンバーは俺とロリトリオに加え、狼血鬼騎士ドラグーシュ氏と魔導士ベアトリスさん。その他、補佐要員として治癒特化騎士や書記官的な騎士も乗っている。
「幽界について、今一度説明させて頂きます」
馬車内は戦いを前にした緊張感に包まれていた。戦闘力に自信ニキの俺も同様だ。
資料に曰く、幽界の内部構造は個別で異なっており、どういう訳か六人一党でしか入れないらしい。実質初見迷宮なのである。
けれども、迷宮とは違って入る度構造変化は起こらないとの事で、何度も調査してから最高戦力をぶつけて攻略するのが現在の定石になっているらしい。
「イシグロよぉ、喧嘩じゃあお前が上ってなぁお互い承知だろうが、幽界の中ではオレの指示に従ってもらうぜ。てめぇなら、その理由は分かるよな?」
「承知しています」
「あー、あとその他人行儀もやめてくれや。言葉遣いなんざ鉄火場じゃあイチイチ気にしてらんねぇだろ」
「そう? じゃあそうさせてもらうけど」
「迷宮でも圏外でもない戦場ね。気分が高揚してきたわ」
「さすが竜族は肝が太くてええなぁ」
「竜族っつーか、エリーゼが戦い大好きなだけだと思うッス」
今回、俺達は幽界の第二調査隊として潜らせてもらう予定である。
第一調査では斥候オンリー部隊による最低限の探索が行われ、第二以降はある程度奥に行く。そんで情報が集まり切ったらラドゥ侯爵率いる超精鋭騎士が出陣するという流れだ。
こういう時、別にアレを攻略してしまっても構わんのだろう? と言って無双するのが真の主人公だと思うのだが、俺は主人公にあるまじき事に度し難いロリコン野郎なので、重要な仕事はパスである。
実際、現時点で始祖の血は内定しているのだ。危なくなったらスタコラサッサだぜ。故にこそ、裏方として精一杯働かせてもらう所存。侯爵も頑張ってたし、俺も頑張らないと。
「前が見えねぇ」
目的地近くで降車すると、そこは侯爵屋敷周辺よりも霧が濃かった。
あまりにも霧が濃くて一メートル先も見えないくらい。透視能力持ちのレノなら見通せただろうが、現在彼女は地上にいる。チートで繋がってるから生きているのは分かっているが、色々と心配だ。変な壺とか買わされてないといいけど。
「ラドゥ侯爵家の者だ。現場はどうなってる?」
「あぁ騎士様! 来てくださったのですね!」
ややもせず一般兵に歓迎され、俺達は簡易拠点である民家の中に案内された。
拠点の中にはラドゥ侯爵とは別の紋章を付けた騎士の姿があり、彼等は俺達を訝しげに見ていた。あまり友好的ではない視線である。
そのうちの一人が俺に声をかけてこようとして……。
「おう、オレ達ぁラドゥ侯爵家のモンだ。状況を教えやがれ。あとこの方は閣下の客将、“黎明”のイシグロとその一党員だ。閣下とは既に血の契約を結んでる。少しでも無礼た態度取ってみろ。てめぇ分かってんだろうな?」
「は、はいぃ……!」
ヤンキーにメンチ切られて縮こまってしまった。
同じ騎士だろう、それでいいのか吸血鬼。啖呵切って先攻入れるなりしろよ。ひとよひとよにひとみごろ!
なんて考えながら待機してたら、第一調査隊が帰還してきた。こっちはラドゥ騎士団の斥候部隊だ。
そのまま口頭で聞くに、幽界内部はネザーレに似た屋外型の街マップのようで、今のところ飢喰徒は確認できなかったという。
「よし、閣下が来る前にさっさと潜るぞ。英雄様にゃあ下水道はキツいか?」
「むしろワクワクする。行こう」
「へっ、さすが迷宮狂い……!」
斥候部隊とバトンタッチし、早速調査しに出掛ける。拙速は巧遅に勝る。飢喰徒が外に出る紅月の前に攻略するのが理想なのだ。
マンホールを潜り、幽界発生ポイントの下水道に入る。いざ入ってみたら思ってたより臭くなく、ここも王都同様の衛生環境が保たれているのが分かった。
ランタンを持った兵士に先導され、右行ったり左行ったりした。普通なら迷うところ、俺には自動マッピングチートがあるので無問題。
「ここが幽界の入り口か。どっちかというとボス部屋っぽい雰囲気」
「この中から外より純度の高い魔力が漏れているわ」
ややもせず、俺達は下水道の突き当りにあった霧の扉とでもいうべき謎現象の前に到着した。これが幽界の出入り口だろう。
そこには一般兵が篝火を炊いて待機しており、彼等は俺達を見てあからさまに安堵していた。
「ああ。馬車でも言ったが、こん中ではオレの指示に従ってもらうぜ。ベアトリス、今はお前に言ってんだぞ」
「何故、私を名指しするのです」
「てめぇ前の凡ミス忘れたのか? とにかく先走るな、英雄ぶるな、オレの言う事を聞け。いいな?」
「……了解しました」
ヤンキーみたいだったドラグーシュ氏が番長のような威厳で霧の中に入っていく。続いて俺達も霧壁を潜った。
霧の中は一面黒の闇世界になっていた。どことなく、地下ネザーレ潜る時に通った通路に似た雰囲気だ。
「何となくネザーレの塔ん時に似てるッスね」
「鋭いなリリちゃん。ウチもそんな感じするわ」
ふと見れば、遠方に謎の光が見えた。光の扉である。あれが幽界に繋がっているようだ。
「オレが先に行く。お前等は列になって入れ」
逡巡せずに光の扉を潜る。
視界が真っ白になって瞬きをした後、俺達は全く別の空間に立っていた。
確かに、街だ。幽界にはネザーレによく似た石造りの街並みが広がっていたのである。
地面は硬く、さながらコンクリート歩道の様。見上げた空は真っ黒で、月も太陽も街灯も見当たらない。にも拘わらず、暗視能力とは無関係に街はくっきり見えていた。
振り返る。そこにはもうもうと立ち上る霧の塊があった。これが迷宮でいう帰還水晶と同じ役割を果たすらしい。
廃墟と化したネザーレ。俺が入った幽界は、そんな印象を受ける空間だった。
「こりゃ迷宮じゃあないッスね。間違いないッス」
ルクスリリアの言う通り、実際に入ってみた幽界は迷宮とはまるで違っていた。これに関しては強い確信がある。
何故なら、迷宮特有の息苦しさがないからだ。何より空間全体が発しているような侵入者排除の意思が感じられない。
「てっきり偶然圏外に繋がってもうた異境や思とったんやけど、それもちゃうっぽいな。瘴気もあらへんし、人工異境っぽい感じもせん」
「ヘカテ、それ何?」
「ん? 探査魔術。魔力探知の凄い版やな。マイナーアーカイオンの魔法なんやけど、フィールドワークの基本のキやで。本当はそれ用の道具とかあればよかったんやけど、流石に今は持ってないでなぁ」
「流石ヘカテ先生です!」
ふと見れば、ヘカテは日傘を地面に突き立てて魔法陣を展開していた。地質とか色々調べる魔法らしい。
大学教授が調べている間、今一度出入り口周辺を観察する。報告通り、周囲に脅威らしい脅威は見当たらなかった。
幽界には迷宮と似た形で主が存在しているそうだが、今のところ俺のボス探知チートにそれらしい反応はなかった。
「解析終了。一応調べてみたけど、何がなんだかって感じやな。石ころ一つでも持ち帰れたら捗るんやけどな」
「そうか。情報じゃあここらへんに飢喰徒は出ないらしいが、警戒はしておけ」
「隠密はしなくていいの?」
「ああ。今回はコソコソ隠れてやる調査じゃねぇからな」
「わかった。ヘカテ、外に出すぞ」
「あいよ、バッチコイやで」
キャプテンの指示で各々武装を整えたところで、俺はヘカテ用の武装を引っ張り出した。
収納魔法からデデンと参上。リヴクラフト一号機、エメスアルマである。コクピットに飛び乗ったヘカテーニャは、純血魔術を使ってエンジンに火を点けた。
「うお!? な、なんだそのカッケェ鎧は! 召喚獣? いや使い魔か!」
「これはヘカテ先生が開発なさった新型ゴーレムですか? 見たところオリジン・ゴーレムのようですが……」
「まぁな~。さて、何処をどう探索するんや?」
「あ? あぁ。とりあえず地図に載ってねぇトコから埋める感じだ。そのへん適当でいいって指示だからな」
「なら、あっちに向かうべきね」
適当に出発しようとしたところで、これまで黙っていたエリーゼが正面を指差した。
「あっちから魔力が流れているわ。主かどうかは、分からないけれど」
「なんじゃそれ? 噂の竜族権能か?」
「エリちゃんは魔力感知力に優れとるんや。間違いないで」
「どうするキャプテン? エリーゼが言うなら間違いないと思うけど」
「……よし、行くだけ行って、何か見つかったら戻るぞ。さっきも言ったが、オレ達の仕事はあくまでも調査だ。攻略するつもりはねぇ」
警戒を維持しながら、エリーゼの言う方向に向かっていく。
なんだか、妙に建物のディティールが細かい気がする。その割に建造物はパターン化されており、さっきから何度も全く同じ建物を見かける。さながらアセットで製作された3Dゲームのようだ。
「何か書いてあるッスよ。全く読めねぇッス」
そうやって進んでいくと、これまでのパターンから外れた造りの建物を発見した。
それは、所謂豆腐ハウス的な四角い石像家屋だった。その壁面に、スプレーアートのように文字が書いてあったのである。しかも、何個も同じ文字列が。しかもしかもどの文字列も全く同じ形で、手書き特有のブレは無かった。
「……隠れ家」
ふと、件の文字を見たヘカテーニャが呟いた。
皆が彼女の方を向くと、コクピットに跨ったままの大学教授は顎に手を置いて考え事をしていた。
「知ってるんスかヘカテーニャ」
「古代ディング語やな。共通語が広がる前に魔族間で使われとった言語体系や。まさか古代ディング式魔術の勉強が活かされる日が来るとは……」
「キャプテン、これって……」
「そうだな。これは明らかにおかしい。これまでの幽界にゃあこんな文字なんて無かったはずだ。ベアトリス」
「ええ、しっかり記録します」
言って、マッパーをやっていたベアトリスさんは別の紙にその文字をスケッチしていった。
一応、中に入れないか試してみるも、その豆腐ハウスは侵入不可だった。
「これは古代ディング語で何かの店って意味。あっちに書いてあんのは花屋。そんでこっちは最初期の共通語。なんや、使われとる言語バラバラやんけ」
エリーゼの示した方角に向かうにつれ、文字付き建造物の発見頻度は高くなっていった。
変化はそれだけではなかった。何故か唐突に地面の起伏が激しくなり、建物の亀裂から謎の花々が伸びている。傾いた建物や曲がった家々。地面に延々と「何故?」と書かれた文字が続いたかと思えば、歩道の真ん中に直立した扉や宙に静止した割れた花瓶なんかもあった。
不気味である。この異境には明らかに文明の気配があり、だというのにオブジェクトの配置が支離滅裂なのである。なんだろう、有体に言ってホラーゲームみたいで怖い。
「……なんじゃありゃ」
そして、エリーゼが指し示した終点には、これまた異様な光景が広がっていた。
何もない広場だった。その中央に、こじんまりとした建造物が佇立していたのである。
「古代ラリス式の建築様式、それも最初期のものね。戦より見栄えを重視した城のようだけれど」
「はえ~、さすがエリちゃん」
「なんかラリス王城に似てないッスか?」
「そうかな? そうかも……」
そう、城と言ってもこじんまりしているのである。例えるなら、一軒家サイズの玩具の城。パッと見、特撮の撮影セットのようだった。
全体的に廃墟感のある建造物に対して、そのミニチュアは妙に煌びやかだった。この幽界に漂う虚無や退廃とは真逆に、理想や幸福といったもので形作られているかの様。
また、その城の何処にも例の古代文字は見当たらなかった。
「他の建物より明らかに真に迫ってるッスね。どこにも綻びがねぇッス」
「魔力はあの中から流れとるん?」
「ええ。ちょうど城門の隙間から漏れているわ」
ベアトリスさんがスケッチしている間、俺達は周囲を警戒する。風一つないこの空間に、ペンが紙を擦過する音がやけに響いた。
「充分だ。戻るぞ」
スケッチ完了の報を受け、ドラグーシュさんの撤退宣言がなされる。
俺の迷宮潜りの勘からして、この城の扉を開けばボス戦開始とかありそうだが、今回はあくまで情報収集がメインクエストである。気になるが、欲張らない。
さて帰ろう。出入り口方向に向かって歩き出した。そして、俺は何となく背後を振り返った。
その時である。
『■■■■■――! ■■■■■! ■■■■■!』
突如として、俺の脳に尋常ならざる轟音が鳴り響いた。
あまりの音量に頭痛がして、頭を押さえて膝をついてしまう。両手で耳を塞ぎたいが、歯を食いしばって柄を握りしめ続けた。
城だ。この城が俺を呼んでいる。叫んでいる。無機物相手に何をという話だが、俺にはそうとしか思えなかった。
「ご主人!? どうしたんスか?」
「城の魔力が膨れ上がっているわ!」
「てめぇ等、構えろ!」
叫び声が小さくなる。ルクスリリアに支えられ、何とか立ち上がった。
今一度城の方をみると、ミニチュアの城門が開かれていくのが見えた。
その隙間から、赤黒い霧が漏れている。
「分かってるな? 優先すべきは撤退だ。オレが
バァン! 合図より先に門が開き、中から真っ赤な狼が出てきた。資料にあった狼型飢喰徒である。
一匹だけではない、もっと多い。その時、昔観たアニメ映画のワンシーンを思い出した。百一匹の犬が出てくるアレ。だが今出てきたのは可愛いワンちゃんではなく、牙を剥き出しにした飢狼であった。
「逃げろイシグロ! ベアトリス! グゥオォォォッ!」
言うが早いか人狼形態に変身したドラグーシュさんは、俺達を逃がすべく狼の群れに突撃した。
指示通り、逃走する。彼を信じるしかない。尖兵戦で何度も経験したのだ。飛んでなお遅いベアトリスさんはエメスアルマがお米様抱っこしていた。
「すまんエリーゼ、回復してくれ……!」
「
「アタシには何もなかったッスけど」
エリーゼに状態異常回復をかけてもらうと、少し気分が楽になった。
どうやらあの声を聞いたのは俺だけのようだ。
「っと、前からくるッスよ!」
「マジかいつの間に!」
後方の狼はキャプテンが抑えてくれているが、街の影から影から新たな狼が出現し、俺達を包囲せんと迫ってきた。
さすが狼、銀細工より足が速い。一回強く当たって突破するしかないと思った瞬間、背後から破砕音が聞こえた。傷まみれながら壮健な狼男ドラグーシュ氏である。
「これじゃ殿の意味ねぇじゃねぇか! 走れ走れ! うぉおおおおお!」
即席の突撃陣形。エリーゼが突破口を開き、ドラグーシュさんとルクスリリアが傷を広げていく。俺とヘカテは後方支援だ。
小型飢喰徒は極めて脆く、射撃魔法一発で消えていった。事前情報にあったように、消滅した飢喰徒は青白い粒子に還る事はなかった。
ていうか、こいつら攻撃を避けてないぞ。魔物じゃない、生命ですらない。まるで幻かホログラムのような……。
「ホンマに霧に溶ける感じなんやな。魔物学的な分類でいうと魔力保有生物扱いになるんやろか。けど生態系を成してるようには思えへんし、肉体あるんかアレ」
「実体はある! さっき噛まれた時めちゃくちゃ痛かったぞ!」
「大丈夫なんですか? キャプテン!」
「イシグロの血飲んでたからな! 狼血鬼舐めんじゃねぇ! あとさっきからキャプテンキャプテンって何なんだ!」
「前見るッス前! 飛ぶか壊すかどっちッスか!」
切羽詰まったルクスリリアの警告。進行方向の建物が地響きを立てて動き出し、我々の行く手を遮った。
咄嗟に方向転換しようと思った次の瞬間、俺の頭上に影が差す。
「散開!」
癖でキャプテンより先に叫んでしまった。同時、地響きが起きた。俺達の前に何か大きな物体が落下してきたのだ。
土埃の奥に影、見上げるほど大きな狼がいた。否、ただの狼ではない。背中に蝙蝠の翼が生え、尻尾が蛇になっている飢喰徒だ。ガチキメラじゃねぇか。
その時、今更になって気づいた。周囲を包囲する小型飢喰徒にも、目の前にいる大型飢喰徒にも、俺の敵味方反応レーダーに反応がない事に。
こいつら、マジで何なんだ?
「下手に逃げると狩られるッス! 倒すしかないッスよ!」
「そのようだな。行けるか? 新入り」
「たぶん倒すだけなら問題ないぞ。キャプテン」
「不調なのでしょう? アナタは援護に集中した方がいいんじゃない?」
「そういう訳にもっとォ!?」
会話の途中、キメラ飢喰徒が突進してきた。慌てて剣で防御するも、思い切り吹き飛ばされ、皆との距離が離れてしまった。
油断した。危機察知が反応しなかったのだ。でもモーションチートに問題はない。異能封じがされてる訳ではないのか?
受け身で復帰しつつ仲間の方を窺えば、皆は小型飢喰徒に襲われていた。俺と皆で分断された構図である。
再度、キメラ飢喰徒が突進してきた。飛び掛り、前足で押し倒すつもりなのだ。
「舐めんなぁ!」
危機察知はない、勘を信じろ。俺は黎明を握って迫る飢喰徒に【受け流し】を成功させる。
体勢を崩す飢喰徒。俺はそのままカウンターを入れようとし……。
「……え?」
できなかった。しなかったのかもしれないが、我知らず剣が止まっていた。
狼もまた、動きを止めて俺を真っすぐ見つめていた。
何故、剣を止めたのか。
俺自身にも分からなかった。
キメラ飢喰徒の大きな瞳に、呆然と剣を構える俺が映っている。
完全に勘だ。
何の根拠もないのだが。被害が出ているのも承知しているのだが……。
この飢喰徒は、敵じゃないんじゃないか?
「高出力ブラスターッ!」
次の瞬間、キメラ目掛けてエメスアルマの魔血弾が飛来する。大型飢喰徒はその場で跳躍し、建物の屋根に上って行った
異形の獣が俺達を見下ろしている。見れば周囲の小型飢喰徒は全滅していた。
「■■■■■――ッ!」
屋根の上、キメラ飢喰徒が遠吠えする。
影から迫っていた新規飢喰徒が足を止め、城のあった方角へ駆けていく。
キメラ飢喰徒もまた、屋根から屋根を跳び渡って、やがて見えなくなった。
逃げたのか、見逃したのか。ともかく、これ以上戦わずに済んだようだ。
「何やったんや、今の飢喰徒……」
「傷はなさそうッスけど、大丈夫ッスかご主人?」
「大丈夫だ、問題ない……」
「何が何だかって感じだが、今は帰還を急ぐぞ。これも報告しねぇと」
キャプテンに従い、帰還ポイントへと急ぐ。
幸い、スタート地点の出入り口に変化はなかった。
無事に帰れるのだ。安堵感が胸を包む。
「まったく、訳分かんねぇ幽界だったぜ。学者センセは何か分かったか?」
「分からんって事が分かったってのが本音やな。でもまぁ来てよかったわ。はよう帰ろ。調べたい事いっぱいあるし」
皆が霧に潜る中、俺は幽界を振り返った。
相変わらず、ゴーストタウンのような光景が広がっていた。
遠くで、あの狼が鳴いた気がした。寂しい声だった。
「ご主人? 早く帰るッスよ」
「ああ、今行く」
そうして、俺達は謎の異境から帰還するのであった。
何だか疲れた。肉体ではなく、精神が。
ロリはいるのに、無性に寂しい。
〇
結局、件の幽界はその日のうちに攻略された。
調査内容を報告し、その後も何度か調査隊が潜り、最終的にラドゥ侯爵が出張って片付いたのである。
紅月が来る前に攻略できたので、飢喰徒が外に漏れずに済んだのだ。これにて一件落着である。
「本当にイシグロ殿がいてよかった。貴殿の血を飲んでいなければ、今頃どうなっていた事か」
幸いな事に、幽界の攻略班に被害は出なかった。
帰還した侯爵達の消耗は激しかったが、俺の血を飲んだら全快したのである。
俺はもう燃料的な意味でタンクやってる方がいい気がしてきたゾ。
「いいや、幽界の主はコウモリに似た大型飢喰徒だった。狼型ではなかったな」
驚くべき事に、俺達が潜ってから件の幽界はその仕様を変化させていたそうだ。
変化後の幽界は荒野のような空間で、その中に例の文字や狼は見当たらなかったという。
「ともかく、戦が終われば英気を養うべきだ。屋敷に戻ろう、イシグロ殿」
そうして、俺達は侯爵屋敷に戻るのであった。
屋敷に着くなり、ヘカテーニャは早速とばかりに飢喰徒と幽界の研究を開始した。
エリーゼとルクスリリアは元気そうだったが、俺は疲れていたので少し眠る事にした。
夢は見なかった。
その日の事だった。
何故か、地上に手紙を届けに向かったはずの騎士が戻ってきた。
そして、このような報告をしてきたのである。
鮮血公国の玄関口。
地上へ繋がる塔が赤黒い霧によって覆われ、出入りできなくなったらしい。
白昼のネザーレとの連絡がつかなくなった、と。
屋敷のテラスから街を見渡す。
昨日よりずっと、霧が濃くなっていた。
件の塔など、根本から上端まで雷雲のような霧に覆い尽くされていた。
大きな赤い満月が、暗夜のネザーレを見下ろしている。
俺達は、地下世界に閉じ込められたのである。
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