【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
誤字報告もありがとうございます。感謝です。
前半一人称、後半三人称です。
よろしくお願いします。
影を抜けると、そこは夜の草原だった。
足裏に柔らかい感触。青々とした草を踏んでいる。風に交じった土と緑の湿った匂い。周囲を警戒するが、近くに敵の気配はない。
見上げた先には仄暗い空が広がっている。星のない夜空だ。空の真ん中に月のような灯りがあり、俺達を青白く照らしている。
ネザーレを見た後だから分かる。アレもまた、幻の月だ。それも素人が模倣したような贋作の。
「風も匂いも……これ本物ですよね? しかも、すごく広いです」
「ヤバいな。この草、ぜ~んぶレアもんの薬草やで。それもネザーレだけで育つ虫殺す系のやつ」
「氣の流れが変じゃ。ありとあらゆる氣が一つの方向だけに向かっておるの」
俺とメイドさんに続いてわがメンバーが次々と影を潜り、最後にクニュフが潜って全員集合。
潜入前、俺達はヘカテーニャ手ずから各種ステルス魔法をかけてもらっているので、こうして堂々と喋っていても周囲に音が漏れる事はない。しかし、相手側がそれすら貫通して感知してくるかもしれないので油断は禁物だ。
なお、クニュフは自前の隠蔽異能で姿を消している。この中で最もスニーキングが得意なのが彼女だ。
「それより、先にクニュフの解毒をしましょう。目の前で飲んでみせたのだし、もう疑いは晴れたでしょう?」
「そういう訳にはいきません、エリーゼ様」
全員集まったところで、エリーゼはクニュフが飲んだ毒の治療を提案した。
気持ちは分かる。叶う事なら今すぐにでも件の解毒薬を飲ませてやりたい。もしくはエリーゼのチートヒールを使わせてほしいと思う。
「いいよ、このままで。それにこの毒薬は普通の毒じゃないから、エリーゼママの魔法でも治せないんだ」
「魔族殺しの毒薬には一種の呪術的な側面もあるんや。残念ながら、淫魔女王でもない限り薬無しでの解毒は無理やな」
「そう。そうなのね……」
諦めるようにつぶやいたエリーゼは、解毒薬を持っているメイドさんをじっとり睨んでいた。対する彼女はビジネス用の無表情だ。そんな二人を、クニュフは嬉しそうに目を細めて見ていた。
「そんな事より早く済ませようよ。パパパッと殺って、終わり」
「ああ。とりまマップの確認だな」
「ん、あっちに宮城を見渡せる場所があるのが視えた」
クニュフの言葉に促され、俺達は事前に決めておいた通りに行動を開始した。
まずは地形把握と現在位置の確認だ。魔力を感知される訳にはいかないので、ヘカテ得意の探査魔術は使えない。そこで、俺達は高所に向かって移動開始。
速さ的に魔力飛行で飛びたいところだが、そういうのも感知されるかもしれないというので仕方なく徒歩である。
「あそこ。地図と照合すれば位置関係を把握できる」
ややもあり、天体観測に良さげな小高い丘を発見した。
斥候系索敵スキルと各種チートを併用しつつ、俺が先行して丘を上る。頂上にたどり着くと、ちょうどそこから宮城全体を見下ろせる。
「あれが“夜煌宮”か……」
丘の上から見渡した邪仙の本拠地――夜煌宮は、まるで東アジアの宮殿建築をごちゃ混ぜにしてネオン光で埋め尽くしたかのような宮城だった。
五角形の宮城全体が目も眩む程の魔力光でギラギラと輝いている。その全ての建築物はアジアに行った事のないクリエイターが想像したような偽アジア風で、ところどころコピー&ペーストしたような謎のディングナイズをされていた。
「真ん中のデカいのがファンリーの住んでる城って事ッスよね?」
「じゃろうな。空間全体の氣があの城を経由し、循環しておる。ビックリするくらい計算された仕組みじゃ」
「魔力経路も異常に洗練されとるわ。これ設計したんは天才やな、間違いなく」
中でも最も目立っているのは、五角形の中心にある巨大な城だった。
まるでパチで大当たりした大阪城。そこから大量の魔力が吐き出され、隅々まで行き渡って循環しているように見える。
あの城に、邪眼のファンリーがいるはずだ。
「城の周りにあるのが宮殿群だよ。猫又を復活させる肉の宮があるのも、あそこらへん」
「よく見えませんけど、あんまり統一感がありませんね」
城の周辺には、これまた東アジアごちゃ混ぜの宮殿エリアがあり、その中のいくつかは渡り廊下で繋がっていた。
事前情報通り、どのエリアにも人気はなく、ちょこちょこ使い魔ゴーレムがいる程度だった。煌びやかなのに物寂しい。
「あー、なんつーか、思ってたより……アレだな、うん」
「悪趣味ね……」
「魔王軍幹部が住んでそうな城ッス」
「魔王軍の元幹部が住んでますから」
「如何にも俗悪って感じで最高ですね。あそこに【魔導極砲】ぶち込んだらスッキリするんじゃないでしょうか」
総じて例えるなら、夜煌宮はサイバーパンク・ゴーストタウンといった感じの宮城だった。
それもセンスのない監督が指揮する低予算B級映画のセットのような、そういった雑さと無機質さが垣間見えるのだ。
「そんで柱ってのはアレだよな。レノ、見えるか?」
「ん、問題ない。読めないけど文字も視えてる。待ってて、今書き写す」
それらを囲むような形で、宮城の外に五つの柱が聳え立っていた。
アジアっぽい街にあって、その柱はどことなく古代エジプトのオベリスクのようだった。表面にはプログラムコードめいた夥しい量の魔術式が刻まれ、それぞれの柱に対応した色に発光している。
あの柱こそ、宮城を守る結界の起点にして、この異境を覆う影の発生装置である。
「ん、この角度からはこれくらいしか見えなかった。分かる?」
「バッチリや。パッと見た感じ、なんもオモロない普通の魔術式やな。強いて個性的って言えるんは古いディング式ってトコだけや」
その柱の傍らには、それこそガーディアンのようにして謎の魔物っぽい存在が鎮座していた。
例のガーディアンモンスは、予想通りゴーレム系だった。ただの勘だが、めちゃ弱そうというか……ハリボテ感がある。気のせいか?
「せやなぁ。影関連については何とも言えへんけど、結界についてはなんて事ない普通の結界で間違いない思うわ。守護者にも特に魔術的な繋がりとか無いし、普通に壊せば壊れる思うで」
「要するに無視していいって事ッスよね?」
「ただのカカシですね。ザコ確定、ぶっ壊します」
ヘカテーニャ教授にレノによる諸々のスケッチを見せたところ、柱にもガーディアンにも大したギミックは仕掛けられておらず、普通に壊せば壊せるらしい。
ちょっと意外……というか拍子抜けだ。逆の立場だったら、ああいう装置の防御はガッチガチに固めたいところだが。
「ぶっちゃけ侵入されるの考慮されてないんだよね~。要するにさ、嵐を知らない地域の家が嵐対策してないのと同じなんじゃないかな~」
「一応の備えはしとるみたいやけどな。にしても使っとるんが軒並み旧式で、しかも整備もしてへんポンコツやからコスト的には無い方がマシまであるんちゃうかな」
「つくづくお飾りですね。こうも神経質に警戒してるワタシ達がバカみたいじゃないですか」
「そうやって油断させるのが目的なのかもしれないわ。気を抜かないの」
「はぁ~い」
しばらく観察を続けてみて分かったのだが、カカシだったのはガーディアンだけではなく、結界の内外を俳諧している警備用ゴーレム君もまたポンコツ極まりなかった。
なんて言えばいいのか。強いて言うなら、旧式のロボット掃除機のような挙動をしているのだ。何なら道のド真ん中で停止してる使い魔もいるくらい。
「で、俺達がいるのは……ここだな」
警備兵の行動ルーチンを把握しつつ、既存の地図と実際の地形を照合し、現在位置を把握する。
今現在、俺達がいるのはアナログ時計でいう十一時方向の端っこで、結界の外側を覆う草原・森林エリアと言えるような場所だった。
破壊目標の柱は、それぞれ十二時・二時・五時・七時・十時にある。最寄りの柱は十二時柱で、最も遠いのは五時柱だ。
「改めて説明いたします。本作戦における我々の目標は、邪眼のファンリーの討伐です。その前段階として、天津島を覆う影の起点である柱を破壊します。直後に後詰部隊が天津島へと突入し、同時に中のファンリーを逃がさないよう転移封じの結界を展開いたします」
「ご主人様が仰るところの、袋の鼠にする訳ですね」
「左様にございます。柱を破壊するにあたっては、可能な限り同じタイミングが望ましい。ですので、当初の作戦通り我々はこの場で二手に別れましょう。よろしいですか?」
「ウチからは異論なしや。当初の想定より柱も守護者も脆いやろし、そのままでええと思うで」
「柱に接近するなら、外縁をグルッと回るのがいいと思うのじゃ。中心にいくにつれ警備が厳しくなっとるっぽいし、急がば回れってやつじゃ」
「下手に中心に近づくと、魔力の循環を阻害してしまうでしょうからね」
地形と警備を把握したところで、改めてどのように動くかを決めていく。
当然、ガーディアンが弱いパターンも想定してあるし、それが間違いだった時の動きも想定している。故に次の動きは秒で決まり、それは直ちに実行される運びとなった。
「じゃ、行ってくるッスよご主人。幸運を祈るッス」
「ああ。くれぐれも見つからないようにな」
という訳で状況開始。俺達は二つのチームに分かれ、スニークかつスピーディに動き出した。
チームの内訳は、十二時柱を経由して最も遠い五時柱に向かう七人チームと、十時柱を経由して七時柱に向かう四人チームだ。俺は前者である。
「近くで見てみて、実際どうだ」
「はっきり言ってええ? さっきユゥちゃんの言うとった“ただのカカシ”ってのがピッタリやで、マジで」
「それ程に弱いのですか?」
「ああ。門外漢のアタイにも分かるぜ。街の設計の割にこっちの造形は甘々だ。つーか古臭ぇのそのまま使ってんだよな。何でか知らねぇけど」
「ん、誰も来ないから色々テキトー説あると思う」
ややもせず、俺達遠回りチームは十二時柱を狙える位置に辿り着いた。
改めてヘカテに見てもらっても、ガーディアンポンコツ説は払拭される事はなかった。それどころか、件のガーディアン・ゴーレム君は年単位でメンテされておらず、そもそも動くかどうか怪しいそうだ。
ここまでくると、上手く行き過ぎてて逆に不安になるな。罠じゃないかと勘繰ってしまう。
「それでは、我々はこの位置で待機しておりますので。レノ様、決行の際は合図をよろしくお願いいたします」
とはいえ俺にとってのご都合主義は大歓迎だ。当初の方針の通り、十二時柱の安地にシャロ達を待機させた。
そのまま魔力無しのステルス移動で二時柱へと移動。例によって道中は極めてイージーで、本当にこれでいいのかと思ってしまう程。
「ここまでだね、パパ。木天蓼もありがと~。大事に使わせてもらうね」
「クニュフ」
「なに~?」
「無茶はするなよ」
「にゃはは、パパじゃないんだから、大丈夫だって~」
ノーキル・ノーアラートで二時柱に到着したところ、此処のガーディアンも殆ど文鎮だった。
俺とグーラはここで待機し、レノを連れたクニュフは五時柱へ向かって行った。彼女が到着したら柱破壊のテレパシーが飛んでくる手筈である。
「ご主人様、クニュフは大丈夫でしょうか?」
「ああ、今はこうするしかない」
待機中、グーラが心配げに俺を見上げてきた。
レバンティン到着後、俺はクニュフとの初遭遇時に気付いた彼女の秘密について、当人以外の家族と共有していた。
グーラの心配は分かるが、最善に期待しつつ最悪に備えるしかない。そして今は目の前のミッションに集中すべきだ。
「そろそろだ、構えろグーラ」
「はい……!」
チートで全員が位置についたのが分かった。
俺は左の腰から黎明のルーンソードを引き抜き、右の腰から銃杖を引き抜いた。グーラもまた、自前の収納魔法の中からぶちぬき丸を抜刀し、音を立てないよう肩に担ぐ。
『準備できた。今からカウントダウンを行う。皆、構えて』
予定通り、レノの【念話】が届く。柱を壊すカウントダウンが始まった。
五つに分かれた面々が、どのように柱を壊すかは事前に決めてある。
カウントダウンが迫る中、グーラは天を衝くように剣を掲げ、剣身に魔力を通していった。刃の根本から炎が灯り、次いで雷が過る。煌々と燃え盛る炎に、囂々と迸る雷が合わさった。
「いけ! ぶっ壊せ! グーラ!」
「了解! やぁああああああああああッ!」
裂帛の気合と共に、グーラが振り下ろした剣から炎雷の氾濫が解き放たれる。
破壊の奔流が地を舐め、建造物を崩し崩し崩し、それら一切に阻まれる事なく守護者ごと柱を飲み込み、そして……!
ドオオオオオオオオオオン!
殆ど同じタイミングで、宮城を囲む五つの柱が破壊された。
ここまでは上手くいった。ここからが本番である。
邪仙を殺し、未来から来た猫耳ロリ美少女を救うのだ。
「行くぞグーラ! クニュフを救いに!」
「はい!」
もちろん、家族会議で決めた事である。
皆で帰って、歓迎会をするのだ。
〇
人々の自由を守る為、ラリス王国は滅びるべきである。
邪眼のファンリーと呼ばれる猫又は、常日頃から教えに従って生きている。
あの日、初めて愛した男が死んでから、ずっと。
魔人種の歴史において、猫又族は永きに渡り迫害を受けてきた種族である。
現代よりもずっと個人の強さが尊ばれていた時代である。他の魔族と比べ、猫又族は戦術的優位性のある特性を持っておらず、それ故に常に強者の庇護下で生きながらえてきた。
淫魔は好きで男に媚びているが、猫又はそうではない。生きる為に、強い男に跪くしかないのである。そうでなくば、哀れな野良猫のように生きる他ない。
寄生虫。口性ない魔族は、猫又をそのように罵る。
猫又族は、強者の愛玩動物として飼われ、飼い主以外から蔑まれて生きてきた。
邪眼のファンリー。後にそう呼ばれる事となる女が生まれるまでは。
三本の尻尾を持つファンリーは、他の同族とは隔絶した才と力を持ってこの世に生を受けた。
一族全員を足しても勝る魔力量に、異常な程の魔術適性。並みの魔族を凌駕する膂力に、獅子人をも上回る武術の才。あまつさえ、ファンリーは左右の眼窩に一つずつ稀有な魔眼まで有していた。
中でも特に秀でていたのは、淫魔に似て容姿に優れる猫又族にあって突出した美貌と、それら全ての能力を使いこなす知性である。
当時のディングは、一握りの強者が力で土地を治める群雄割拠の時代だった。
持てる力の全てで以て、邪眼のファンリーは同胞を率いて立ち上がり、時の権力者に成り代わって確固たる地位を手に入れたのだ。
人類にとっての英雄が勇者アレクシオスであるように、猫又にとっての英雄はファンリーである。利他性こそが善であるなら、彼女は紛れもない善の英雄であった。
やがて、ファンリーは運命的な出会いを果たす。
第二大災厄の傷も癒えぬ時代、燦然と輝く生まれながらの魔族の王――後に“魔王”と称される魔人種にとっての特異点に。
ファンリーは魔王の力に惹かれ、魔王はファンリーの智に惹かれ、二人は互いにとっての半身となった。
魔王には野望があった。
勇者の跡継ぎが世界を牛耳る時、それ即ち自由の崩壊である。故に、誰もが自分らしく生きられるよう、我等魔族が真の自由を勝ち取らねばならぬ。
そんな魔王の言葉は、瞬く間に熱しやすい魔人種へと伝播し、人類を二分する戦争が始まった。
その結末は、この世界の誰もが知っている。魔王軍の敗北だ。
戦いの中、魔王はラリスの英雄に敗れ、その命を散らした。
彼に続くように、魔王軍の重鎮達は次々と処刑されていった。ラリスに捕らえられたファンリーもまた、魔族のものではない法に則って処刑された。
歴史書には、そのように記されている。
だが、真実は異なる。
結果として、ファンリーは処刑執行日以降も生きていた。
決死の邪法により、ファンリーは自身の死を偽装して処刑を免れたのである。
歴史の表舞台から姿を消したファンリーは、ひっそりと地下に潜った。
愛した男――魔王を殺したラリスに復讐する為に。
復讐の計画は、あまりにも遠大で、異常なほど偏執的だった。
呉越同舟。利益が勝れば異教徒とも手を組み、時に身体を使ってラリスの有力者達を篭絡し、より深い闇へと己が勢力を根差していった。
同胞を使い潰し、邪法について様々な実験を行った。時に自国民の村一つを生贄に捧げた事さえもあった。
まだ、足りない。もっと優秀な人手が要る。より効率的に実験を行う為、ファンリー自身を八つに分けた。
この段になると、ファンリーの自我は怨念と復讐心により著しく摩耗していた。ただラリス王家に復讐する。目的だけが、彼女を動かしていた。
ラリスを殺す道具として、真なる魔王を生み出す。
今度は自分の腹で産む。まがい物の二作目ではない、初代にも勝る完璧な魔王を。
実験は順調である。より完全を目指すべく、希少なパーツをいくつもかき集めた。
その準備は、もうじき整う。
「騒がしい夜じゃのう……」
夜煌宮、最奥。華美な装飾が施された寝室に、ベッドの上に寝転んで煙管を吸っている美女――邪眼のファンリーの姿があった。
長い黒髪の、退廃的な色香を纏う猫又である。側臥位で強調された肉付きの良い臀部から伸びた三つの尾が、ゆらゆらと不機嫌そうに揺れていた。
それぞれ色の異なる瞳は、現実を映しながらも此処ではない遠くを見ている。
「まぁ、どうでもいいわ……」
ファンリーが吸っている煙草は、クーシェンに巣食っていた魍魎が生み出した麻薬である。あまりにも長い時間を復讐に費やしたファンリーは、薬の助けが無ければ自我を繋ぐ事が出来なくなっているのだ。
今現在、彼女の自意識は魔王戦争時代のソレと重なって、極めて曖昧な状態にあった。
「なんぞ、敵襲か? まさかラリス王が乗り込んできおったか……?」
その時。遠くですさまじい轟音が響き渡り、それに伴い城全体がグラグラと揺れた。
曖昧な意識が浮き上がると、宮城全体の魔力が乱れている事に気が付いた。あまつさえ結界が破られている。
紫煙の混じった嘆息一つ。また実験のミスか。いやそこらの娘はいなくなったのだったか。新しいのを作った覚えはない。奴がいなくなって以降、使い魔の調子が悪くなった。まぁ、そのうち何とかなるだろう。
緊急事態だというのに、ファンリーの頭は未だ幻の中を揺蕩っていた。
「お母様! ご無事ですか!?」
すると、燭台の影から最初に生み出した分霊が飛び出てきた。どういう訳だか、顔を真っ赤にしている。
「何事じゃ、騒々しい。
「主? まさかまたあの薬を……? いえ、それどころではありません! 現在、夜煌宮が襲撃されております! 既に結界は破壊され、間もなくこの城に攻め込んでくるでしょう!」
「それが何か? まさか此方に槍働きをせよと申すか? 此方なくば生きておられぬ木っ端風情が、此方の為に死ねぬと? 分かったなら、はようトゥイだかティエだかを出せばよかろう」
「お母様……妹達は、ラリスに捕らえられました。もう蘇りません」
「ラリスじゃと!? ラリスの痴れ者共め、よくも我が同胞を殺してくれたな!」
分霊の報告を聞いたファンリーは、その美しい相貌を怒り一色に染め上げ、勢いよく煙管の灰を落とした。
少しずつ、一つずつ、ファンリーの内に宿る猫又としての本能が強者の接近を嗅ぎ取っていく。
奇襲など、魔王戦争の時には何度も経験して、何度も返り討ちにしてきた。だから、今回も同じようにすればいい。
「何をしておる! はよう戦備えをせよ! ラジアードの小僧に伝令を出し、此方の錫杖と戦装束を持って参れ!」
「な、なにを……いえ、仕方ない。我が軍は既に戦術的に敗北しております。一刻も早く撤退を……」
「に、逃げるじゃと!? 貴様、ディング魔王国の王女たる此方に逃げろと申すか! 仮に逃げ果せたとして、我が主に顔向け……」
「魔王様は……お母様が生き延びる事をお望みのはずです。ですから、今すぐに撤退を……」
「う、うむ? そうか……そうであろうの。いや待て。お母様? 此方は主との間に子など設けて……其方は何者じゃ?」
「ですから……えっ? か、影が外と繋がらない? そんな馬鹿な。こんなの、あまりにも早過ぎ……」
言葉の途中。何事かを感知した分霊は、影を伸ばしながら石のように硬直した
戦を前に呆然としている。逃げるにしろ戦うにしろ、判断の遅い味方は足手まといだ。ファンリーが一喝しようとした……次の瞬間である。
ファンリーの脳裏に、久しく忘れていた警鐘が鳴り響いた。
「お母様! 危ない!」
分霊がファンリーを守るよう影の障壁を張る。同時、居城の壁を破壊していくつもの攻撃的魔力が飛来し、閃光と爆音を伴って影障壁と衝突した。
流し切れない。キャパシティオーバーである。辛うじて攻撃を凌いでいる分霊の顔が苦しげに歪む。
「ほっ! こりゃ凄いのう派手じゃのう! あの頃を思い出すわ!」
半ば本能的に、ファンリーは自身に迫る脅威の性質を分析し始めた。
都合六つの【魔導極砲】に加え、獄炎犬の炎と轟雷狼の雷。光力による極大砲に、真祖クラスの純血魔術。殺意に満ちた攻撃を眼前に、ファンリーの心は往年の猛りを思い出していた。
愛する男と共に駆け抜けた自由の為の闘争。まさに、あの時代こそが青春だった。
「お母様! 今のうちに、退避を……!」
だが、殺された。殺されたのだ、ラリスに。消える事のない憎悪が心を蝕み、認識を歪めていく。復讐せねば、応報せねば。何を犠牲にしても、ラリス王家を滅ぼすのだ。
故に、ラリス王家を殺す為に、道具である分霊を守ってやらねばならぬ。
「情けないのう。まったく、此方がおらんと何もできんのじゃな、其方等は……ほれ」
「なっ……!?」
すいと、ファンリーが指を振るう。糸のように細い魔力が魔力流に干渉し、全ての攻撃の
畢竟、絶技である。それはさながら、ビリヤードでキューを使わずデコピン一発でブレイクエースを決めるような神業であった。
「何をしておる、次が来るぞ! 此方を殺しに強者が来るぞ! いやしくも此方の側近ならば、もっとドシッと構えんか!」
風通しの良くなった寝室で、ようやくベッドから起き上がったファンリーが戦意を漲らせる。
そうして魔力で以て編み上げた戦装束は、魔王戦争時代に着用していた鎧によく似ていた。
次いで彼女が見上げた先の空には、月光を浴びる襲撃者達の姿。
「投降しろ! 貴様は包囲されている! なんてな! 嘘だ、お前にはここで死んでもらう!」
強風が吹き荒れている。黒髪の戦士が、邪眼のファンリーを見下ろしていた。彼の周囲には先ほどの奇襲攻撃を行ったと思しき女達が浮遊している。
「ほほっ、活きのいい小童が! 久々に滾るではないか! 此方の前におるのじゃぞ、名を名乗るがよい!」
魔王戦争当時、敵同士は戦の前に名乗り合うのが礼儀だった。
薬の影響で、今のファンリーは往年の技と力を取り戻しかけているのだ。価値観もまた同様に。
「お前に名乗る名などない! って言いたいところだが、あえて名乗ってやろう! 俺はイシグロ! イシグロ・リキタカ! 訳あってお前を殺しにきた者だ!」
「ほぉ……!」
堂々たる名乗りに、ファンリーはにやりと口角を上げた。
善き益荒男だ。素晴らしい戦士だ。たったあれだけの手勢で、魔王軍幹部筆頭たるファンリーを殺しに来たと宣う。これほど気持ちの良い雄が、まだラリスに残っていたとは。
「よくぞ名乗った! 其方等はよくよく知っておろうが、その生意気に免じて名乗り返してやろう! 聞け! 此方の名は……」
ならば名乗り返さねばならぬ。そのように考え、ファンリーが名乗り口上を述べようとした。
次の瞬間である。
「お母さ……!」
彼女の背後に影の門が生じ、銀の閃光が迸った。
「まぐぁ……!?」
二段構え。奇襲だ。影を感知した分霊が身を挺してファンリーを庇い、その首が一刀両断された。影から伸びた手には、禍々しい呪いの籠った匕首が握られている。
同胞の首が舞い上がる。血が噴き出る。本能的に退避するファンリーの前、影の門から女が飛び出る。フードを被った猫又だ。
その顔には、あまりにも悍ましい凶笑が浮かんでいた。
「にゃは! ここでお前も殺せるとか超ラッキーじゃん! これも日頃の行いかなぁ!」
猫又だけではない。影の門から、次から次へと同じサイズの女が出てくる
その先頭、太刀を構えた天狐は、既に必殺の式を編み終えていた。
「よろしくイリハちゃん!」
「応! 往くぞ、【天意流転領域】!」
「小癪な……!」
本能的に危機を察知したファンリーは魔力を推進力に範囲を逃れる。が、再生し始めの分霊――影使いの長女は既に術中。瞬間である。式の術者を中心として、世界の法が改変された。
生と死の境界が曖昧に、真っすぐな物が歪み。清が濁に。天が地に。全て、生かすも殺すも思うがまま。
これぞ陰陽術の究極奥義、【天意流転領域】。いくら死にづらい魔族でも、何度も殺せば死ぬのである。
故に……!
「ぐぶぉごげがばばばばばばばばば……!」
比喩でなく、文字通り、
己そのものと化した霊格極装に、迷宮探索でのレベルアップ。追加の尻尾による一時的な陰陽術ブースト。そして何より、母から教わった日頃の鍛錬。その結実として、今の天狐は建国英雄シュリに匹敵し得る陰陽術士へと成長したのである。
「ちょっとお邪魔しますよ」
「くっ、邪魔するなら帰れ!」
「邪魔しに来たんスから帰る訳ないッスよね~!」
同胞を救うべく魔法を放とうとしたファンリーに淫魔と麒麟が襲い掛かり、適当にちょっかいをかけただけですぐ退避した。
最高の最低限。だが、それで充分だった。
「にゃは! ほら死んだぁ!」
「そんなばッ……!」
BANG! 再生の止まった猫又長女に、長大銃杖によるゼロ距離射撃魔法がぶちかまされ、世界を欺き続けた影使いは呆気なく命を落とした。
この間、全て五秒以内の出来事である。
「貴様、よくも我が娘を! 何者だ、名を名乗れ!」
「何者って。そりゃあ……」
かつて英雄だった猫又の誰何に、同胞殺しのフードの猫又――クニュフが嗤う。
彼女の隣に、家族が並び立つ
前後、天地。邪眼のファンリーを、草薙の剣が包囲した。
「お前を殺しに未来からきた、通りすがりの
狂気を帯びた憤怒の瞳が、邪仙と化した猫又を睨みつけた。
しゃあっ、更新!
書籍版一巻が発売されました!
よろしくお願いします!
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ゲーマーズ様は、書き下ろしSSとルクスリリアとエリーゼのアクリルスタンドになります。
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とらのあな様は、書き下ろしSSとタペストリーになります。
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