【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚   作:いらえ丸

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感想・評価など、ありがとうございます。感想はモチベが上がりますのでガンガンください。
誤字報告もありがとうございます。いつも助かっております。

三人称、ヘルガ視点です。
よろしくお願いします。


上京ライオン(4)

 迷宮に潜った者の半数は、生きて帰って来る事はない。

 生きて帰って来た者も、その半数は二度目の迷宮探索で帰らぬ者となる。あるいは三度目、四度目で。それでも尚、迷宮の帰還者は莫大な財と力を得る。

 逃れ得ぬ狂気を隣人として。

 

 ……なんて言われている迷宮であるが、実際としてヘルガ達は既に何度も踏破していた。他ならぬイシグロの引率によって。

 財に関してはイシグロ達に丸投げしているが、力は全てヘルガ達に宿っている。ルルは魔力が増しに増し、ノエミはよりいっそう俊敏になった。ヘルガもまた、以前とは見違える程の身体能力を手に入れたのである。

 だからと言って、迷宮探索に対しヘルガは楽観的にはなれなかった。草薙の剣の迷宮行きに同行する度、迷宮ひいては銀細工への畏怖は寧ろ増していったからだ。

 

 迷宮は何が起きてもおかしくない。

 突如として図鑑に載っていない魔物が出現したかと思えば、既知の魔物が未知の魔法を使ってくる事もしばしば。迷宮の構造は潜る度に変化する上、主より強い一般魔物も稀によく出て暴れている。

 そんな迷宮に、ヘルガ達は草薙の剣の力を借りずに挑もうというのである。

 

「行ってきまーす!」

「ああ。くれぐれも無理するんじゃないぞ」

 

 早朝、転移神殿で合流したイシグロ達に挨拶し、草薙の門の三人は馴染の迷宮に続く転移石板に手を置いた。

 準備は万端。鞄の中身は何度もチェックした。連携訓練は嫌になるほど繰り返した。

 人事は尽くしたはずである。

 

 探索するは、何度も何度も踏破した双宍迷宮だ。

 

 

 

 迷宮に潜った瞬間、ヘルガ達は真っ先に臨戦態勢を取り、周囲を警戒した。

 奇襲を受けないようにする為である。ギルド編纂の迷宮録によると、転移直後にバックアタックされるという事例があったらしい。

 

「どうだノエミ」

「問題ないと思うけれど」

 

 ディオニの手車を構え、ヘルガは状況を確認した。

 いつも通りの双宍迷宮である。地面も壁も天井までも赤黒い岩で囲まれ、ところどころに謎の瓦礫が散見される。まるで手付かずの地下遺跡のようだった。

 ひとまず異常なしである。

 

「ルル、索敵使ってくれ。ノエミは警戒」

「はぁい。範囲拡大、【波紋水月】」

 

 次いで、頭目は一党の魔術師に索敵指示を出した。

 ルルが斧槍めいた杖を地面に突きたてると、そこから波紋のような微弱な魔力波が広がる。空気中に含まれる水分を使い、魔力的な反応を探る上級魔術である。

 上級魔術と言われるだけあり、その魔力消費量は相応に高かった。後の戦闘を考えるなら、そう連発できるものではない。しかしヘルガ一党の基本方針は先手必勝主義である。最悪でも不意打ちを受けないようにしているのだ。

 

「ん~、少なくとも近くウロついてる魔物はいないかなぁ? 奥行ったら流石にわかんないけど」

 

 ルルは水属性に特化した魔術師である。彼女の手札は非常に多く、水属性に限りルーン魔術に加え現代ラリス式魔術やリンジュ式陰陽術をも使いこなせる。

 この特異な適性はルルの異能によるものだ。事前に共有された情報によると、高い水適性と引き換えに魔力切れによる大きなデメリットを抱えているらしい。具体的に魔力が切れるとどうなるかは「絶対に言わない!」との事。

 故にこそ、ルルは鍛錬によって魔力の自然回復力を底上げし、魔力消費の低いルーン魔術と陰陽術をメインにして戦っている。おまけに治癒や索敵もできる万能魔術師なのだ、彼女は。

 

「そうか。ノエミ、先導してくれ。攻略本通りにな」

「承知したわ」

 

 範囲内に魔物はいないとなって、一党はノエミを先行させて足を進めた。

 半吸血人のノエミは、居合による闇討ちを得意とするリンジュ風剣士だ。本職には劣るものの斥候としての働きが可能で、正面戦闘においても一党最強な頼れる前衛である。

 そんなノエミもルル同様に異能を持っている。鞘から刃を抜いてからの初太刀が必ず会心の一撃になるというものだ。故に居合、故に闇討ち剣士なのである。

 代償として、武器や盾の有無に関わらず、敵の攻撃を防御すると無防備状態時と同等のダメージを受けてしまうらしい。これまた故に、どんな攻撃も避けられるよう敏捷性を鍛えているのである。

 

「こっちにも居ないね~。今日は魔物少ない日?」

「だとしたら余計に面倒ね。もし強力な徘徊系に遭遇したら……」

「リソース次第で殺す、リソース次第で逃げる。そんだけだ」

 

 時折波紋索敵を行いつつ、ノエミを先頭に奥へ奥へ。

 双宍迷宮は屋内型の下位迷宮で、最奥に主が配された階層制の迷路構造になっている。迷路自体もひたすら下に向かえば最奥にたどり着くので、そういう意味で初心者向けと言われている。

 その代わり、下位迷宮にしては強い魔物が出現する。あまつさえ、稀に主級の魔物が徘徊している事さえあった。イシグロからは、もしソレと遭遇したら逃げるように言われている。

 いずれにせよ、索敵を密に慎重に進む必要があった。

 

「結局、一層は何もいなかったな」

「つまり、下にいっぱい溜まってるパターンだよね~?」

 

 双宍迷宮の階層を跨ぎつつ、草薙の剣から受けた授業の内容を思い出す。

 イシグロ・リキタカ著“迷宮のすゝめ”に曰く、迷宮探索には事前の調査が重要であるという。それにはギルドが発行している迷宮記録が有用で、授業の一環としてヘルガ達は色んな迷宮の迷宮録を読み漁り、紙によるテストを受けた事もあった。

 草薙謹製教科書とは別に、イシグロは双宍迷宮の情報に絞って纏めた迷宮録――攻略本を作成していた。エリアを階層分けしたり、魔物の行動を分析したりと、攻略本の内容は既存のソレとは別次元に充実していた。

 また、件の攻略本の内容を勘案し、自分達がどのように立ち回るべきかなどをレポートにまとめて提出するといった課題が出された事もあった。草薙の剣の迷宮探索は、世に言うソレとは大きく印象を異としていた。

 

「引っかかったよ。数は二体。最小単位だね」

「道はそこが最短か。いつものでいくぞ。ルル、隠蔽やってくれ」

「は~い。さっきからルルばっか働いてる~」

 

 やがて、ルルの索敵魔術が魔物を発見した。ゆっくり接近してみると、開けた所に双宍迷宮の例に漏れず二体一対の魔物がおり、奪い合うようにして瓦礫の隙間の草を食んでいた。

 双宍迷宮の魔物は、二体同時もしくは瞬時に殺さなくてはならない。その為には奇襲からの速攻が望ましい。敵は少数、ここで戦わない選択肢はなかった。

 ヘルガは事前に決めておいたハンドサインで指示を出す。魔術師ルルがその場に濃霧を発生させ、闇討ちノエミが霧に消える。

 

「もらった……!」

 

 やがて、暗中で模索していた魔物の一体にノエミの抜刀術が直撃した。一刀両断、一撃死。残る獣がノエミを捕捉するも、既にノエミは濃霧の中に身を隠していた。

 

「こっちを見ろぉ!」

 

 不意打ちからの不意打ち。追撃せんとする片割れの頭にヘルガが投げたディオニの手車が直撃し注意を引く。そして、再度後ろに回った闇討ち剣士が片割れの首を両断した。

 

「ふぅ……二人共、ダメージないか?」

「掠ってすらいないわ」

「てゆーかルル出番なかったんですけど~」

「切り札は取っとくもんだろ」

 

 暫し、心を残す。再生の予兆も復活の予兆も無し。鮮やかな勝利である。

 先の連携はヘルガ達の基本戦術である。ノエミをメインアタッカーとして、ヘルガとルルが彼女の立ち回りを支援するのだ。

 草薙の門、初の実戦は訓練通りの結果で終わった。

 

「上手くいったはいいけれど、今ので察知されたようね……」

「織り込み済みだ。ルル、罠やってやれ」

「がってんしょうちのすけ!」

「なにそれ」

「シャロ先生から教えてもらったの!」

 

 しかし、すぐに予断を許さぬ状況に陥った。戦闘音に反応し、周囲の魔物が集まってきたのである。

 遠くから迫りくる魔物に対し、ヘルガが前衛役として立ちはだかる。ヨーヨーを先制投擲し機先を制した。なおも向かってくる魔物がルーン罠に捕まり、そこにヘルガとノエミが攻撃を加える。

 舞踏蹴術とディオニの手車による近・中距離戦法。回し蹴りの際に尻尾からヨーヨーを射出して追撃。高速回転させて攻撃を弾き、蹴りを入れる。イシグロから託された深域武装を、ヘルガは第三の腕として見事に使いこなしていた。

 

「ルル! まだか!?」

「今出来たとこ! 五行相生、【水行・霜波】!」

 

 そうやって足止めしていると、陰陽術を編み上げたルルが突風めいた霜を解き放つ。結果、再生しかけていた魔物は一網打尽に粒子に還った。

 このように、相手次第でルルをメインアタッカーとし、ヘルガとノエミが彼女を支援する事も。陰陽術は術式の構築に時間がかかる反面、上手く使えば精密で強力である。

 そうして一掃された一帯には、やや冷たくなった大小の聖遺物が散らばっていた。

 

「まぁまぁ落ちてるわね。この聖遺物、誰が持つ?」

「細かいのはあーしが持っとくわ。大きいのはルル頼む。魔力大丈夫か?」

「うん! 皆が守ってくれたから、安心して術式組めたよ!」

 

 実戦のような訓練のお陰で、実戦は訓練のように順調だった。

 とはいえ、これまでの迷宮探索では何度も痛い目を見てきたのだ。ヘルガは強いて心を律した。勝って何かの何とやらと、教科書にそんな事が書いてあった気もする。

 

「皆、油断せずに行こう」

 

 頭目としての自覚を強く持ったヘルガは、手車を握りしめて先を進んだ。

 

 

 

 

 

 

 草薙の門による迷宮探索は、今のところ順調に進行していた。

 元より此処は下位迷宮。理論上、ギルドが販売している武器でも踏破できる程度の難易度なのだ。充分な訓練を受け、十全に準備を整えたヘルガ達の探索は順調で然るべきである。

 初めて三人で潜るとあって緊張していたものの、何度か交戦を経た現在は多少の精神的な余裕も出てきた。

 

「つっかれた~。今日だけで何回水月使うのって話~」

「私の斥候技能には限界があるもの。仕方ないわ」

「これなら索敵用の召喚獣を使う方が安く済むかもしれねぇな」

「え~でも召喚獣高いよ~? ヘカテ先生にお願いすれば作ってくれるかな~」

「ヘカテ様に頼ってばかりではいけないわ。召喚獣は自分達の資金で購入しましょう」

「それかルルが作るとか?」

「やだ~! もう勉強したくな~い!」

 

 探索開始から暫く、ヘルガ達は階層と階層の間で休憩を取っていた。

 攻略本に曰く、階層間のスペースは魔物がやってくる可能性が低いらしい。そこに魔物避けの魔法薬を撒けば、ある程度は安心できる休憩場が作れるのだ。

 

「飲み水の消耗が激しいな。悪ぃ、水出してくれ」

「ルルの魔力は貴重なんですけど~。はい玉兎水、優しいルルちゃんに感謝して有難~く飲むこと。ノエちゃんはどう? 血ぃ足りてる?」

「純血果ジャムがあるから大丈夫よ。いざとなった時用に盟主様の血もあるわ。それよりヘルガは肉ばかり食べてるわね、だから喉乾くのよ」

「魔獅子は基本肉食なんだよ」

 

 携帯食を食べながら、頭目のヘルガは一党員の状態を確認していた。

 魔術師のルルは、一見余裕そうに見えて訓練の時よりも魔力の消耗が激しいように見受けられる。実戦ゆえ仕方ない部分があるとはいえ、精神的な負荷が強くなってきた証左である。

 対し、ノエミは終始冷静だった。訓練通りの剣捌きに、連携通りの立ち回り。一方で頭目の指示に過敏になっているように見え、指示待ちの時間に隙が出来ている。恐らく、本人は無自覚に過剰に緊張しているのだ。

 

「よし鞄チェックしよう。使い終わったもんは捨ててけ」

「は~い」

 

 緊張を緩めるべく、鞄を開いて中身を確認する。

 鞄の中には各種魔法薬に加え、携帯食や水筒等。それから小さな聖遺物が収納してある。回復リソースには余裕はあるが、魔力を含めた探索用リソースの消耗が想定よりも激しかった。

 本来なら逃走用のアイテムや魔道具等を持っておくものらしいが、舞踏蹴術を使うヘルガは身軽さを重視して荷物は少なめにしていた。

 

「ここからは、なるべく戦闘は避けて進もうと思う。索敵多めで、遠回りだ」

「分かったわ。私はどうすればいい?」

「え~、水月ってアレ地味に上級魔法なんですけど~」

 

 したがって、ヘルガは方針を切り替える事を決めた。

 ルルを索敵に専念させ、なるべく戦闘を避けて主のいる部屋に向かう。やむを得ない戦闘ではノエミとヘルガだけで決着をつける。魔力温存作戦だ。

 

「さっきから大分遠回りしているけど、道大丈夫? 迷ってない?」

「今んトコ問題ねぇ。それより魔力だ。この一党はルルの魔術にかかってんだからな」

「きゃは、今のところ問題な~し!」

 

 探索中、ヘルガは階層移動の度に書き留めていた地図に目を落とした。

 主を倒せば水晶の機能で帰還できるのだが、ヘルガはいつでも逃げられるよう出発地点までの退路を意識していた。いざとなったら主部屋手前でも撤退するつもりなのである。

 

「や、ヤバいの引っかかったかも……!」

「具体的には何かしら?」

「感触からして主級だね。魔力残してて良かった~」

 

 ややもあり、ルルの索敵に強敵の反応があった。

 ルルが強敵と判断するあたり、今回は超強力な徘徊魔物が出現しているのだろう。そうなると一階層の魔物が少ない理由にも合点がいく。

 この時点で、逃げるという選択肢が出てきた。どうすべきか考え、すぐに決断した。

 

「とりま確認してみようぜ」

 

 ルルの指し示す方角に、ノエミの先導で向かっていく。やがて獣同士の吠え合いが聞こえてきて、一党はそれを発見した。

 影から窺う視線の先では、魔物の群れと一体の魔物が戦闘していた。否、一体の魔物が群れを蹂躙している光景が広がっていたのである。

 その魔物を見て、ヘルガ達は息をのんだ。

 

「マジじゃん」

「マジね……」

 

 二体一対が基本の迷宮にあって、異端の左右対称の四足四腕の獣である。

 左右で異なる向きの双頭に、前後に分かれた両手両足。四つの手にはそれぞれ異なる武器が握られており、四つの足で駆けながら魔物を斬って潰して砕いている。この魔物は同じ魔物を食うでもなく殺すのだ。名を、“両面冥狗(スクトロス)”。

 正真正銘ヤバい奴が出た。イシグロからは、存在が確認され次第逃げるよう言われている。一方で、この魔物が出現した場合、迷宮の主は信じられないくらい弱いのが出てくるらしい。

 最も丸い攻略法は、無視して先を進む方法である。そうすれば弱い主を殺し、帰還水晶で逃げる事ができるのだ。

 

「けどまぁ、ルート的にあの奥に最奥行きの通路があるんだよなぁ……」

「突っ切れそうにはないわね。どうする? ヘルガ」

「ルルの魔力は残ってるよ」

 

 しかし、残念ながら無視して突っ切るのは難しそうだった。退路は確保してあっても、その逆は全くの未知なのである。

 この時、ヘルガの頭の中で作戦会議が行われた。現在の状況。戦った場合のメリット・デメリット。勘案し、想像し……そして、決定された。

 

「よし帰ろう」

「えぇ……!?」

 

 頭目の決断に、ルルは小声で悲鳴めいた驚愕の声を上げた。幸い、戦闘中の両面冥狗には聞こえていなかった。

 

「帰るの? なんで? ルルあいつ一回倒した事あるよ? いけるって……!」

「でもそれユゥリンさんと行った時だろ。あーしはユゥリンさんじゃあねぇ」

「攻撃食らわせたのルルだけだもん。あいつ氷が弱点なの。ルルなら一撃でいけるんだって……!」

「つってもなぁ、頭目的には、わざわざ戦う理由ないんだよなぁ……」

 

 即座に反論が出る。本来なら粛々と頭目に従うべき状況であるが、こと草薙の門において積極的な意見具申は許容されていた。

 

「ヘルガ、私からもお願い」

「ノエミ?」

 

 なおも撤退の方に傾いている頭目の様子を見て取ってか、珍しくノエミも玉兎の意に賛同した。

 その瞳には、半吸血人らしからぬ熱い炎が燃えていた。

 

「私は草薙の剣に、盟主様達に恩返しをしたいの。今ここで成果を上げなきゃ、私達が迷宮を踏破しなきゃ……草薙の名誉を貶めてしまうわ。私達は、盟主様の名に恥じない働きをしなければいけないの」

「それは……」

 

 分からない話ではなかった。ヘルガとて、弟を救ってくれた草薙の剣には深い恩義がある。彼等の為にこそ成果を持ち帰りたいというのは理解できる心境であった。

 また、冒険者は面子が命と言われている。彼等が鍛えた草薙の門が準備万端で挑んだ下位迷宮から逃げ出したとあっては、ヘルガ達だけではなくその親分まで侮られてしまうのではないか?

 自分の面子はどうでもいい。けれど、恩人の面子は守らねばならない。ここにきて、頭目としてのヘルガの天秤に大きな一石が投じられた。

 

「ヘルちゃん達は時間を稼いでくれるだけでいいの。ルルがあいつ倒して、そのまま踏破しようよ」

「私達ならできるわ」

 

 二人はやる気だった。両面冥狗を倒し、その先にいる主をも討伐する気概なのだ。

 改めて、考えてみる。両面冥狗の行動様式、弱点属性、現在のリソースと討伐可能性。逃走の成功確率。そこに自分以外の面子も加える。

 両面冥狗は、この迷宮の主ではない。つまり、主程の再生力も生命力も持っていない。双宍迷宮では異端の、一体に二つの命を持っている魔物。一体状態で殺し切れば、大技一発で倒す事も不可能では……ない。

 

「一発だ……」

 

 そうして、決断した。

 

「一発ぶち込んで殺す。逆にルルの魔法一発で決められなかったら、何があってもその時点で撤退する。それでいいな?」

「了解任せて……!」

「主との戦いも待っているんだから、くれぐれも魔力量には気を付けなさい」

 

 ルルの魔法で倒せなかったら即座に離脱し、撤退する。

 幸い、冥狗は階層移動をしない。仮に倒せなくても、氷魔法で凍結させれば逃げる事はできるはずだ。一方、どこにあるか分からない主の部屋に向かって逃げるのは現実的ではない。

 

「あいつが魔物殺し終えたら、その時にいくぞ」

 

 そのように決断し、ヘルガ達は行動を開始した。

 死角に移動し、影に潜む。ルルは静かに魔力を練り、ノエミは必殺の機を窺う。冥狗が魔物を殲滅し、一瞬立ち止まる無防備な瞬間を。

 

 ややもせず、冥狗が四つの手に持った武器で残る魔物を瓦礫ごと粉砕した。粉塵が舞う。青白い粒子に還っていく。

 その直後の硬直に、刃が閃いた。

 

「はあッ……!」

 

 一閃。矢のように跳んだノエミは両面冥狗の膝を両断した。

 対する冥狗は即座に反応し、残る三脚を深く踏ん張り転倒を耐えつつ、腕を振るって剣士を迎撃。身を捻って避ける半吸血人のすぐ傍から、紫電を伴う手車が飛来した。

 ドゴォッ! 冥狗の片頭に直撃するも、魔物は一切怯まず後退した。二つの頭がノエミとヘルガを睨みつける。

 

「オラオラこっちだウスノロ! まぁ言葉なんて通じてねぇだろうがっと!」

 

 脚を再生させまいと追撃投擲するヘルガ。冥狗は武器を振るってこれを叩き落とした。魔物というより戦士の武技。再度背後に回ったノエミの居合が足を狙うも、腕の一本が予想していたとばかりに刃を止めた。

 

「ノエミ!」

「くっ……! 反撃はできそうにないわ……!」

 

 四つの腕がノエミを襲う。回避に専念する剣士に、反撃の余裕はない。他方、ヨーヨーで支援しているヘルガは半ば無視されていた。

 模擬戦無敗のノエミが押し込まれている。このままではやられてしまう。ルルの陰陽術式はまだ完成しないのか。未完成でも撃つべきではないか。次の指示は……いや、ここでヘルガが前に出るべきか。このまま投擲で援護すべきか。

 その時、ヘルガの背後から声が飛ぶ。

 

「お待たせ! 陰陽互根、五行相生……【水行・六花凩】!」

 

 霧に隠れていた玉兎から、極寒の冷気が解き放たれる。

 訓練による反射だった。前衛二人が魔法の範囲を逃れ、後退しながら投げられた手車を冥狗が叩き落す。その一手により、四つ足四つ腕の獣は迫る霜から逃れられずに直撃した。

 みるみるうちに氷漬けになる両面冥狗。最後の足掻きか断末魔のような咆哮を上げるも、その全足は既に氷像と化していた。

 

「やったやった! やっぱりルルは天才! やっぱりルルが最強なんだから!」

 

 ルルは歓喜の声を上げていた。

 

「まだ生きて! 死ねェ……!」

 

 魔物の目を見て危機を察知したノエミは、トドメをさすべく駆け出した。

 

「逃げろノエミ!」

 

 同じく危機を察知したヘルガは、即座の撤退を指示した。

 命令が届く。玉兎が魔力を練り、半吸血人は既に飛び込み、ヘルガは最悪の事態に備えて手車を握る。

 しかし、誰よりも両面冥狗が早かった。

 

「なっ……!?」

 

 奇怪な光景であった。氷像となった両面冥狗はヌルリと分かたれ、二足歩行となって飛び出ながらノエミに武器を振るった。氷像のままの冥狗からは、二つの腕と二つの足が消えてなくなっていた。文字通り、分裂したのである。

 時間感覚が引き延ばされる。居合姿勢のまま前方に飛び込んでいるノエミと、肉を斬らせて骨を断つべく武器を振るう分裂冥狗。ルルは次に使うべき魔法の選択に迷い、ヘルガは手車の投擲体勢を取っていた。

 そして時は動きだす。

 

「ぐがぁあああああ!?」

 

 やはり、ノエミは天才だった。

 けれども、この世界の物理法則は冷徹だった。

 空中で猫のように身を捻った半吸血人は、迫る攻撃に対して刀を抜き打った。ギィイイイイン! 甲高い金属音と激しい火花。結果として、ノエミは打ち合わせた刃越しに会心の一撃を受けた。

 ノエミの異能は、初太刀が会心になる代わりに全ての防御に大きなペナルティを受けるというものだ。この時――冥狗の攻撃とノエミの迎撃居合が重なった時、ほんの僅かな動作の遅れにより、世界はこれをノエミによる防御行動と判断された。

 刃が舞い上がる。ノエミの手から刀が手放され、同じくノエミの身も宙を舞った。

 

「ノエミい!」

 

 そこに一本の救いの糸が放られる。ディオニの手車がノエミの鞄の留め具に当たり、絶妙な魔力操作でこれを絡め取った。訓練していた行動とはいえ、一瞬でも魔力操作を誤ればヘルガがノエミを殺していただろう神業である。

 

「逃げるぞ! ルルかく乱!」

「魔力過剰充填、【霧隠】!」

 

 気絶したノエミを巻き取りながら、一党は一目散に逃走した。

 濃霧の背後では、肉体の熱で氷を解かす冥狗が静かに再生を続けていた。

 じっと、逃げる獲物を睨みつけながら。

 

 

 

 

 

 

 両面冥狗から逃げた一党は、階層間に設けた休憩場で荒い息を吐いていた。

 幸い、ノエミのダメージは想定よりは小さかった。装飾品の補助効果――ガード時に限り一度だけ被ダメージを抑える――によるものだ。それが無ければ、ノエミは異能のデメリットで致命傷を受けていた事だろう。

 

「失態ね……」

 

 九死に一生を得たノエミは、予備の短刀を両手で握り、吐き捨てるように呟いた。

 色の無い言葉が沈黙の底に落ちる。誰が指摘するまでもなく、天才剣士は強い自責の念に苛まれていた。

 ルルの一撃で倒せなかった以上、一目散に逃げるべきであったのだ。そこに追撃しようとした結果が現在である。その代償は大きく、ノエミは盟主から賜った愛刀を失ってしまった。

 ふと、俯いていたノエミはルルを見た。普段から明るく能天気な玉兎はしかし、今の半吸血人には自分以上に落ち込んでいるように見えた。

 

「なに、その目……?」

「いえ……」

 

 気落ちしながらもルルを心配げに見ていた半吸血人の目に、玉兎は非難の色を感じたらしい。

 普段のルルなら、仲間の心配を素直に受け取っていただろう。けれども、今の彼女にそのような精神的余裕は無かった。

 

「さっきから何なのその目? そういう風に見られたらルルが悪いみたいじゃん。怪我したの全部ノエミがミスったからじゃん……」

「それは分かっているわ。あの時は考えるより先に、トドメを……」

 

 ヘルガ視点、理由は分からないものの、ルルはノエミの視線に怯えているようだった。

 ノエミだけではない。その声に向けられたヘルガの視線からも逃れるように、耳を絞った兎は杖を抱いて後ずさった。

 丸く大きな目が激しく揺れ、その奥の瞳孔は常より遥かに細長い。明らかに、尋常な精神状態ではなかった。

 

「わ、悪いのはルルじゃないから! ノエミが勝手に突っ込んで怪我しただけ! 全部ノエミが悪いんじゃん! そんな風にルルを悪者にしないで!」

「そんなこと言ってない、じゃない。判断を誤ったのは私よ。貴女が悪いなんて誰も……」

「ウソ! みんなルルのせいだって言うもん! いつもいつも! ルル悪いことしてないのに! 間違ってるのあっちなのに!」

「貴女ねぇ! 被害妄想もいい加減に……!」

「ひぃっ……!」

 

 精神の均衡が崩れているのはルルだけではない。赤い瞳に怒りを湛えた半吸血人が立ち上がると、小さな玉兎を見下ろす形となる。

 不安定な怒りと怯え。二つの視線が交錯し、どちらも互いを見てはいなかった。

 

「貴女こそ、一撃で倒せるとか言っていたけれど、倒しきれなかったじゃない! なに? あんなに自慢げに語ってた戦功は嘘だったってワケ? 自称上位種族が聞いて呆れる……!」

「嘘じゃないもん! ほ、本当にルルが倒したんだもん! 皆がルルを守ってくれて、ミスしてもフォローしてくれて……ノエミこそもっとちゃんとルルを守ってよ! 剣振り回すしか能がないんだから!」

 

 徐々に、徐々に、二人の口喧嘩がヒートアップしていく。

 階層の間は安全地帯とはいえ、絶対ではない。このまま言い争っていてば魔物が寄ってくる。迷宮内での喧嘩は冒険者の死の典型例だ。そう教えられているはずなのに、二人は溜め込んでいた不満を吐き出し続けていた。

 時に、人類は迷宮内にいるだけで非常に強い精神負荷を感じるらしい。これは魔物が近くにいるという緊張感もあるが、瘴気がヒトの感情の振れ幅を大きくするからだと言われている。事実、瘴気の風が吹く圏外では兵士同士の諍いが絶えないそうだ。

 

「お前等なぁ……」

 

 簡易の休憩場に、肉食獣の低い唸り声が響く。二人の耳には聞こえていない、深く押し込められた怒りの発露。

 この時、ヘルガの内心はあの冬の日のように荒れ狂っていた。生産性のない、意味もない、誰にとっても不利益な口喧嘩を前に、ヘルガもイラついてきたのだ。

 確かに、作戦は失敗した。ノエミは不用意に攻撃しようとしたし、ルルの魔術も完璧ではなかったかもしれない。けれども、それを決定したのはヘルガである。全ての責任はヘルガが負うべきなのだ。それを自分勝手にああだこうだと……。

 長として、子分を黙らせたいという獣の本能が鎌首をもたげる。普段奧にしまっている尻尾の針が、ギラリと鈍い輝きを放つ。

 

「すぅ~……」

 

 その上で、ヘルガは大きく息を吸った。

 路地裏集会でのことを思い出す。あいつらは、いつも仲良しという訳ではなかった。しょうもない喧嘩なんてのは日常茶飯事で、けれどもすぐに元通り。ちょっとしたきっかけがあれば、あっさりと。

 であれば今回も同じはず。何故なら、既に三人は友達だからだ。

 

「はぁぁぁぁ……」

 

 故に、あえて深呼吸をした。

 草薙の教えを思い出す。正であれ負であれ、感情は莫大なエネルギーを産むのだ。だったら使いこなす方が得である。

 今キレても仕方ない。どうせキレるなら、それは魔物相手にぶつけるべきだ。

 

「はい、二人共そこまで!」

 

 パシン! 魔獅子の頭目は、二人の耳に聞こえるよう柏手を打った。

 途端、二人の注目がヘルガに集まる。ゆっくりと、ヘルガは二人を見返した。

 一秒二秒。そうして沈黙を保っていると、両者の瞳から怒りの感情が抜けていくのが見て取れた。

 お互いの顔に「言い過ぎたかな?」みたいな感情が見え隠れしている。内心で謝りたがっているのだ。つくづく善良な性根である。草薙オーディションで選ばれただけはあった。

 

「まず、今回の失敗の責任は全部頭目のあーしにある。二人はどっちも悪くない。これは前提はいオッケー?」

「え? いや、唆したのルルだし、そんな事ないと思うけど……」

「そうよ。仮に判断自体に責任があるなら、それは貴女じゃなく私達全員でしょ」

 

 なので、先に謝った。下げて得をする頭なら、下げておくのがヘルガ流だ。

 ここで喧嘩両成敗をしてはいけない。

 今必要なのは、一致団結なのである。

 

「じゃあ、もうそーゆー事でいいだろ。で、その上でこれからどうするか決めようや。よく見ろよ。ここ、迷宮なんだぜ?」

「う、うん……そうだね。ごめん」

「こちらこそ、ごめんなさい……」

 

 それから思考を誘導し、話をシフトさせる。

 今は失敗の事よりも先々の話をすべきである。その事はお互い分かっているはずなのだ。

 

「と言っても、撤退しかないでしょうね。私にはもう、これしかないのだし……」

 

 けれども、諦めざるを得ない事もあった。ノエミは予備の短刀を手に、小さく呟く。

 とっておきの血が入った鞄も、両面冥狗のいる場所に放置されているのだ。失われた刀より先に、彼女の心は折れている。

 諦める事に、慣れているようだった。

 

「そっか。ルルが出し惜しみせずもっと強い陰陽術……ううん、ラリス式魔術を使ってたら、ノエちゃんは大切な刀を失くさずに済んだんだね」

「言っても仕方ないわ。事実、事前に決めた作戦に逆らってトドメを刺そうと突っ込んだのは私なのよ」

 

 言って、沈鬱な顔をする二人。その姿を見て、ヘルガは拳を握りしめた。

 ここで撤退を選べる強さこそ、冒険者に必要な素質である。それはヘルガにも分かるし、盟主にはそのように教わった。

 だが、それは一流冒険者の理屈だ。ヘルガは、あくまでも草薙の門――英雄候補生なはずである。

 ノエミを見る。ルルを見る。それから、改めて決意を固めた。英雄を目指すべき女が、友達一人救えない理由があるだろうか。

 

「いや、あーし等は失ったばっかじゃねぇ。得たものは確かにあるぜ」

 

 力強く放たれた言葉に、俯いていた二つの双眸が向けられる。

 天才の両者は、どちらも似たような色の目をしていた。

 

「ここで帰還できたら教訓を持ち帰れる。弱点を見つけたんだ。たとえ両面冥狗と戦っても次は負けねぇ……つってもピンとこねぇわな」

 

 実際、詭弁である。

 このように言われて救われるのは本人の一時的な感情だけで、失った物は戻らないのだ。ノエミにとって、あの刀はかけがえのない宝物であるから。それを分かっているルルもまた、心の奥にある何かを失ってしまう。

 ヘルガからすると、それは看過できぬものであった。

 

「だから、せめて刀の様子を見に行こうぜ。運が良ければ回収できるかも。撤退すんのは、その後でいいだろ」

「そう、ね……まだ諦めるべきじゃないのよね」

 

 強気に、前向きに、勝利条件を切り替える。

 主の討伐から、刀の奪還へと。

 今しかないのだ。こんな愚かな事ができるのは。ならば、やらねば。未だ大人になれないヘルガは、子供にしかできない選択を躊躇わなかった。ひとえに、仲間の為ならばと。

 

「でも、どうやって? 両面冥狗は同じ場所で待機する習性があると習ったわ」

「そん時はルルに隠密かけてもらってノエミがこそっと回収すればいい。できんだろ」

「もし刀を餌に誘い込まれていたらどうするつもり? あいつ、獲物の持ち物に執着するのよ?」

「そしたら、さっきみてぇに一発入れて奪おうぜ」

「そんな無茶な……いえ、その為の予備だものね。私は賛成するわ」

 

 ぶっちゃけ、刀を取り戻せる可能性は低い。けれど、ゼロではない。絶望するにはまだ早い。

 もしかしたら、両面冥狗は刀を置いて何処かに移動しているかもしれない。もしかしたら、他の魔物に夢中で刀を放置しているかもしれない。

 やってみる価値はあると思うのだ。

 

「それってさ……」

 

 その時、これまで黙っていたルルが震えた声で呟いた。

 その声音は、その瞳は、弱々しくも葛藤を乗り越えた確固たる決意に満ちていた。

 

「倒すんじゃ、ダメなの?」

「倒すって、冥狗を?」

 

 ある意味でルルらしい、勝ち気な発言だった。現状を理解しているとは思えない内容でもあった。

 その事は分かっているのだろう。ルルは息を飲み込み、改めてヘルガ達と目を合わせた。

 

「る、ルルが本気出したら……倒せるよ。さっきみたいな溜めの一撃じゃなくて、ラリス式の上級魔法をドッカンドッカン。これは本当に、マジで、確実……」

「つまり、どういう事だ? 我に秘策ありってやつ?」

「異能でね。ルルは魔力が切れても魔法を使い続ける事ができるの。だから、やろうと思えば大魔法を撃ちまくれる。一時的だけど、えりーぜちゃんみたいに魔力使い放題的な……」

 

 初耳の情報だった。

 ルルの異能とは、水属性への高い適性である。その代償として、魔力切れのデメリットが大きいとは聞いていた。

 そんな彼女が、魔力切れでも魔法を使えるとはどういう事だろうか。訝しむ二人に、ルルは両手で杖を握り、血を吐くようにして言葉を継ぐ。

 

「でもね……本気出した後に、すごく迷惑かけちゃうと思う。さっきみたいにワーッて怒ってウザいよねぇ……とかじゃなくって、すごく迷惑で、ダメダメで、気持ち悪いって、ルルのこと嫌いになる……」

「ならねェよ」

 

 我知らず、ヘルガは彼女の言葉を遮った。

 それは無いと断言できる、笑い飛ばせる杞憂だったからだ。

 

「仲間で、友達だろ」

「うん、そうだね……ありがとう。信じる……」

 

 そう、ルルはもうヘルガの友達なのだ。

 たとえ友達を嫌いになったとしても、どうせすぐ仲直りできる。友情とは、そういうものだ。

 

「具体的に、本気を出した後はどうなるのかしら?」

 

 真っすぐな、信頼に満ちた半吸血人の目がルルを見ている。

 この中でルルと最も多く模擬戦をしてきたのはノエミである。彼女もまた、ルルが本気を出せば両面冥狗を倒せるという事を疑ってはいなかった。

 

「しばらく、動けなくなる。魔法を使いまくってる間は平気なんだけど、それを止めたらフラ~ッと……」

「なるほど。けれど、それって魔族以外では普通じゃない?」

「え~っと、代償はそれじゃなくって……気を失って目覚めた後がヤバいの。詳しくは、ちょっと……ただ本当の本当に迷惑かけると思う。だから……」

「分かってる。嫌いになんかならねぇよ」

「それは信じてる。そうじゃなくって、起こすなら迷宮で起こしてほしいな~って。気絶したまま戻るのは、ちょっと……かなりヤバい」

「あ、ああ……分かった」

「マジでよろしくね? そうじゃないとルル、この街にいられなくなるから……」

「分かったって」

 

 少し笑って、気付けばいつもの三人に戻っていた。

 これから決死の戦いに向かおうとする一党とは思えないほど、和やかに。

 

「……それなら、私からも一つ。できれば血を飲ませてもらえないかしら? 盟主様の血は鞄の中で、さっきのダメージで大分血を失ってしまったの」

「いいぞ。ほら飲め」

「ううん。ヘルちゃんじゃなくて、ルルの血がいいと思う」

 

 ノエミのお願いに即座に応えるヘルガだったが、それを今度はルルが止めた。

 魔術師の血には多くの魔力が含まれる。作戦の要であるルルよりも、ヘルガの血を分ける方が合理的に思われた。

 

「ルルはもう魔力切れ前提だから。多少血が無くなっても大差ないよ。ほら、ど~ぞ。美味しいよ? 知らないけど」

「そう……なら、ありがたく、いただくわね」

 

 玉兎と半吸血人。目を引くほど美しい二人が、向かい合って視線を重ねる。

 覚悟を決めてつま先立ちになったルルが瞼を閉じると、同じく覚悟を決めたノエミが少し屈んで玉兎の身体を抱きしめた。むにゅりと、制服越しに二つの双丘が形を変える。

 やがて、半吸血人の牙が玉兎の細首に突き立てられた。

 

「んっ……」

「ごめんなさい。痛かった?」

「ううん、大丈夫。気にせず、思い切り吸っちゃっていいよ……」

「優しく吸うわ……」

 

 ごくりごくりと、ノエミの喉が鳴る。動脈に唇を当て、一滴も零さないよう強く、けれども優しく吸い付いている。

 吸血の最中、ルルはギュッと両手を握っていた。

 唇が離れる。玉兎の肌は、ノエミの口の色に染まっていた。

 

「け、結構くすぐったいね。どう? ルルの血は。美味しいでしょ~?」

「ええ。とっても……」

「でしょ~? なんたって上位ひぃ……!」

 

 ペロリと、首についた傷跡をひと舐めするノエミ。すると、みるみるうちに傷が治癒されていく。

 そして、ゆっくりと耳元に唇を寄せ……。

 

「ルルの血だから、美味しいのね……」

「あ、うぅ……」

 

 真っすぐルルを見るノエミと、その視線から目を逸らすルル、二人の顔はリンゴのように赤らんでいた。なんかエロいなと、ヘルガの顔も紅潮していた。

 三人共、初心だった。

 

「ごほん! はいはい、イチャついてねぇで作戦タイムだ」

「いちゃ……!?」

「ただ吸血させてもらっただけなのだけれど……まぁ確かに首ははしたなかったわね。ごめんなさい」

 

 という訳で。草薙の門は刀奪還作戦の内容を詰めていった。

 無茶で無謀で、愚かな戦いを。

 

 

 

 

 

 

 幸か不幸か、両面冥狗はヘルガ達と戦った場所に居座っていた。まるで、獲物が戻ってくる事を確信しているかのように、巌の如くどっしりと待ち構えていたのである。

 両面冥狗の様相は、元の四足四腕状態に戻っている。けれども、一つだけ変化した部分があった。

 

「あいつ……!」

 

 四つあるうちの一つの手に、ノエミの刀が握られていたのである。

 本来なら、魔物がヒトの武器を使うなどあり得ぬ事だ。しかし両面冥狗は別だ。獲物と定めた者の武装に執着し、時折こうして挑発するような行動を取るのである。一方、鞄自体は元の位置で放置されていた。匂いからして中身は漏れていないだろう。

 サイコロの出目が良ければ放置された刀をこっそり回収するだけで済んだところ、一党は最悪の出目を引いてしまった訳である。けれども当然として、ヘルガは最悪の出目前提で動く事を決めたのだ。

 

「ルル、隠密を。ノエミ、作戦通りまずは鞄だ。血を飲んだら隙を見て攻撃。あーしじゃそんな時間稼げねぇからな」

「気を付けてね、ノエちゃん」

「ええ……」

 

 気付かれぬよう静かに魔法が詠唱され、ノエミが隠匿の霧を纏う。やがて自前の技能で気配を消した半吸血人は、予備の刀を手に鞄のある方へ向かっていった。

 刀奪還作戦の内容はこうである。まずノエミが鞄を回収し、保管していたイシグロの血を飲む。それから一時的にパワーアップしたノエミが冥狗の腕を斬り刀を回収。ルルの魔法で魔物の動きを止め、全員で逃走する。

 とはいえこれは理想である。いつ気付かれてもいいように、こちらはこちらで備えていた。第一目標は刀の奪還だが、もしそれが出来なかったら刀ごと両面冥狗を討伐する所存だった。

 あまりにも危険で、あまりにも困難である。けれどやらねばと、他ならぬ皆でそう決めたのだ。

 

「気づかれたぞ! いけルル! やっちまえ!」

「ノエちゃん走って! 魔力過剰充填、【凍てつく轍】! 足止め特化アレンジぃ!」

 

 鞄に向かって駆け出すノエミ。獲物を殺すべく武器を振るう冥狗。一方、ルルは練り上げていた魔力を解放し、消耗度外視で氷属性の大魔法を詠唱した。

 斧槍杖の石突が地面を叩くと、両面冥狗に向かって氷の絨毯が展開され、動き始めた獣の四つ足に直撃。尋常ではない魔力消費。これ一回でルルの魔力が四割消し飛んだ。例えるならば、一党単位で超高級ホテルを貸し切るような無駄遣い。

 

「魔力過剰充填、【凍てつく轍】! 魔力過剰充填、【氷結冷線】! 連鎖詠唱、連鎖詠唱、連鎖詠唱ッ!」

 

 だが、まだまだ続く。連鎖する。

 逆向きの氷柱が四つ足の踵に刺さり、下腿に食い込み、上へ上へと霜が降りる。踏ん張って動かんとする冥狗の胴に次なる氷魔法がフルヒットし、氷柱を砕かんとした腕にまたも次なる氷魔法が直撃し追撃し痛撃を与える。

 普段なら必殺のソレ等が凍結特化に組み換えられつつ景気よく連発されて、規格外の強敵を押し込む押し込む。見れば、ルルの周囲には冷気のような魔力が立ち上り、その口からは白い息が漏れていた。その中で、兎の双眸だけは溶岩の如き熱を讃えている。

 もう全部ルル一人でいいんじゃないかな。そう思うヘルガだったが、それでも主級の通常徘徊魔物は足掻いていた。分裂し、反撃しようとしているのだ。

 

「オラァ!」

 

 そうはさせない。疾走と回転で勢いをつけたヘルガは、ディオニの手車を力いっぱい投擲。紫電を纏う手車はしかし、獣の手に持つ刀によって捌かれ……。

 

「おっと危ねぇ!」

 

 そうになり、当たる直前で巻き戻した。獣が振るった刀は空を斬り、続く氷魔法で動きを止めた。

 

「魔力過剰充填、魔力過剰充填、魔力過剰充填……【凍てつく轍】!」

 

 次の瞬間、雪崩のごとき冷気の波が解放され、動きを止めた両面冥狗の全身を飲み込んだ。

 完全に凍結った。しかしまだ分裂が残っているし、刀を回収せねばならない。その為には腕を斬らねばならない訳だが。

 

「来た来た来た来たぁ! なんたる美味そしてなんたる効能! うぉおおああああ今すぐ出さなきゃブチ切れるぅううう!」

 

 ガラスの割れる音。その時、ノエミの身体から莫大な魔力が解き放たれた。紅く粘質でドロドロとした……鮮血のような魔力が。盟主の血で覚醒したのである。なんか胸もルルより大きくなっていた。

 冥狗の片頭がノエミを見る。既に、半吸血人は抜刀術を構えていた。しかし遠い。一足一刀の、刀の間合いではない。前に出る姿勢でもなければ魔法を撃つ構えでもない。

 迸る刃に、魔血が宿る。それはまさに、黎明の。

 

「しゃあっ、【紅蓮星降り(ぐれんほしくだり)】!」

 

 斬! 瞬きの後、両面冥狗の片側二本の腕は、断面も鮮やかに断ち斬られていた。

 魔物の背後、迷宮の壁に斬撃軌道に沿った溝が出来ていた。短刀から伸びた半吸血人の魔血によって。ちなみに、この半遠隔斬撃にも会心が乗っている。

 ともかくノルマ達成だ。ノエミの愛刀が腕ごと舞い上がり、その手の甲にバシッと手車がぶち当たる。汚い手を払うように。大切な物を守るように。

 魔物の手から、ノエミの刀が放された。勝利条件が今、揃った。

 

「ノエミ退避だ!」

「了解! 任せたわよルル!」

 

 血の翼で飛び上がったノエミが大事な刀を空中キャッチし、ついでに鞘を回収したヘルガが指示を出す。

 撤退指示ではない。避難勧告を。

 

「いいぞやっちまえ!」

「了、解ッ! 魔力過剰充填、【魔導吹雪】! ぶっ殺アレンジィイイイァアアア!」

 

 前衛二人が玉兎の背に隠れると、迷宮の一角に局所的吹雪が現出した。

 凍結していた両面冥狗の身体に絶対零度の暴風が直撃し、身体の末端から徐々に氷の塊へ変じていく。指が落ち、傷口が壊死し、魔物の心臓たる核をも凍らせる。

 この時点で、両面冥狗はもう死んでいた。けれども吹雪は止まなかった。止めなかった。ほんの僅かでも分裂・再生・復活の余地を残さぬようにと、玉兎の魔術師は執拗なまでに氷の嵐に魔力を籠めていたのである。

 

「二度と動くな! 今すぐ消えろ! 分裂なんかさせるかぁ!」

 

 限界を超えて汲み上げられた玉兎の魔力が魔導の吹雪に注ぎ込まれ、練り込まれ、殺意の色に染まっていき、やがて色鮮やかな極光と化した。

 もはや虹色太陽光。まさに氷結到達点。カチコチに凍って、凍り過ぎて爆発四散できず、尚も冷気を押し付けられた両面冥狗は……。

 

「凍えて寂しく野垂れ死ねぇえええ!」

 

 光の中で、消滅した。

 音が消える。荒れ狂う魔力が放散し、冷風となってヘルガの髪をなびかせた。

 

「……やったのよね?」

「本当にやったから安心しろ。にしても、これがルルの本気か……」

 

 光が収まると、そこは一面銀世界だった。

 まさに、ルルの前後で別迷宮。主の部屋へつながる通路は氷柱の壁で閉ざされてしまっている。既にその気はなかったが、これでは進みたくても進めない。

 見れば、静かに佇むルルの向こうに、ぽつんと何かが落ちていた。カチコチに凍り付いた、両面冥狗の聖遺物だった。

 遅れて、ヘルガ達の胸にこれまで感じた事のない程の充実感が溢れ出した。イシグロの言う経験値だろう。しかしその量はあまりに膨大で、明らかに両面冥狗一体分とは思えなかった。

 

「っしゃあルル! やったな!」

 

 直感的なヘルガの予想だが、異常【魔導吹雪】で奥にいた魔物を殺しまくった成果ではないか。ともかくと思って立役者たる玉兎の肩に手を置く。

 すると、ゆっくり振り返ったルルの顔には、一筋の涙が流れていた。

 

「元はと言えば、ルルが我儘言ったから。疑うばっかりで、信じる覚悟が足らなかったから。ごめんね、皆。あ、魔力切れの薬が鞄に……」

「ルル!」

 

 呆然とした二人の前、魔力切れを起こしたルルが倒れかかる。

 その背中を魔獅子と半吸血人が支えた。瞼を閉じた彼女の顔は安らかで、それでも杖を握る手は凍ったように強張っていた。

 

「撤退しましょう。できるだけ安全なところへ」

「ああ」

 

 刀は回収した。主より厄介な魔物は討伐した。仲間の身も心も、これで全てが救われた。

 誰が何と言おうと、ヘルガ達は勝利したのだ。

 

 あとは地上に帰るだけ。

 家に帰るまでが迷宮探索だ。

 

 

 

 

 

 

 こんな前向きな撤退戦など、あるだろうか。

 そう思いながら、気絶したルルを背負ったヘルガ達は階層間の休憩場に戻り、そこで魔物除け魔法薬を使い切った。

 鞄を枕にルルを寝かせ、イシグロに教わった回復体位を取らせる。それからルルの荷物にあった魔力切れに効くという魔法薬を取り出し、僅かな逡巡の後にヘルガが口移しで飲ませた。

 ノエミを見張りに立たせ、後はルルの回復を待つのみである。

 

「ん、んぁ……」

「おう。起きたか、ルル」

 

 ややもあり、ルルは目を覚ました。

 安堵感が広がるも、なんだか様子がおかしい。いつものルルならパッと起き上がってアレコレ喋り出すはずが、パチパチと瞬きしながら茫洋と周囲を見渡すばかり。

 

「ルル?」

「様子が変よ。まるで寝起き……いえ、自意識がない?」

 

 見れば、ルルの瞳は人形のように映ろで、ヘルガ達を認識しているとは思えなかった。

 ぞくりと、ヘルガの背筋に冷や汗が過った。ルルが言っていた、迷惑をかけるという事の意味。今の今まで、魔力切れのデメリットを言わなかった理由は、まさにこれだったのではないか。

 

「お、おいルル。聞こえてるか? 返事してくれ……!」

 

 ふと、ヘルガは治療院にいる弟の事を思い出した。

 異能というものは、はっきり言って何でもありである。ああも凄まじい能力を持っているのだ。ルルもまた、それ相応の代償を支払ったのではないか。

 例えば、彼女の中の何か大切なモノを失うとか……。

 

「あー」

 

 その時、仰向けになったルルの口から言葉にならない声が漏れた。

 子猫の鳴き声のようで……いや、まるで生まれたばかりの赤ちゃんのような。

 あまりにも、無邪気な……。

 

「おぎゃあああああああああああ!」

 

 そう思った次の瞬間、ルルは泣いた。

 それはもう、ギャン泣きし始めた。

 

「んぎゃああ! んにゃああああ! あぁぁぁんなああ! んぁあああああ!」

「な、なに!? なんでルルは泣いているの!? ヘルガ……!」

「わっかんねぇよ! わかんねぇけど……!」

 

 訳も分からぬまま、ヘルガは反射的にルルの上体を起こし、抱きしめ、泣きじゃくる赤子にそうするように背中をポンポンした。

 それでもルルは泣き止まない。そもそも何がどうなっているのか本当に分からなかった。分からないなりに、赤ちゃん化してる事だけはハッキリしていた。

 

「おーよしよし! どちたのルルちゃん! 大丈夫だからね~!」

「ヘ、ヘルガ?」

 

 なので、あやした。

 魔族は早熟である。幼少の頃から、ヘルガは近所の赤ちゃんのお世話を任されていたのだ。弟のおしめを変えた事もある。

 

「んぎゃあ! んみゃあ! みゃああああ!」

 

 が、ルルは全く泣き止まない。

 成兎の喉で赤子のように泣き叫んでいるのだから、それはそれは大きな声が出ていた。

 どうしようもないので、とにかく赤ちゃんの世話を思い出しながらあやしまくった。

 

「お世話もいいけれど、こうも大声で泣いていては魔物が寄ってくるわよ! 早く落ち着かせて頂戴……!」

「だぁから今あやしてんだろうが!」

「んぎゃああああ!」

「あぁ大きな声出してごめんね~怖かったねぇ~!」

 

 この時、ふと思った。あーこれがルルの異能の代償なのかと。

 確かにこれは秘密にしたいわなと、赤ちゃんと化したルルをあやしながらヘルガは納得した。

 

「ルルちゃんは何で泣いてるのかな~? うんこかな? おしっこかな~?」

「本当にウンチだったらどうしましょう……」

「んぶぅううう! ちゅうううう……!」

「おぉ? もしかして、おっぱい欲しいのか?」

「ミルクのこと? そんなの持ってきて無いわよ……!」

 

 そうこうしていると、ベイビー・ルルは唇をチューチューさせたり実際にヘルガの制服を口に含んだりと、ミルクを欲しがるような素振りを見せた。

 けれども無い袖もとい無い母乳は吸わせられない。飲み水はあるが、そういう事ではないだろう。

 

「そろそろ流石に拙いわ! このままだと魔物が……」

「ええい! ままよ!」

 

 やがてヘルガは覚悟を決め、漢気溢れるヤクザ脱ぎをぶちかました。

 曝け出された魔獅子ヘルガの背中には何の入れ墨もなかったが、その背には紛れもない聖女ジュスティーヌの威光が宿っていた。

 

「いいぞルル! 思う存分、好きなだけ吸え!」

「きゃーう♪」

 

 結果、ミルク判定には成功した。

 出るモノは無いが、ともかくとしてルルは大人しくなった。

 

「けぷ……♪」

 

 ややもあり、ルルは満足げに可愛らしいゲップをした。

 ヘルガはドッと疲れた。

 ノエミは頭目を心底リスペクトした。

 

「魔物の気配が近づいているわ。ここはもう無理よ。移動しましょう。その子……ルルは私が背負うから」

「いや、あーしが背負う。ノエミは先行して守ってくれ……」

 

 ルルが泣き止んだ後、一党は帰還すべく階層を上がっていった。

 幸い、上層の魔物は道中のヘルガ達が一掃していたので、魔物と遭遇する事はなかった。

 安心して帰れるが、やっぱ気まずかった。

 

「ね、ねぇ? 一つ聞きたいのだけれど……」

「なんだ?」

「……貴女、母乳出せるの?」

「出ねぇわ!」

 

 大きな声が出た。

 玉兎の子がぐずりかけたので、慌ててあやした。

 なんかもう、感情が行方不明だった。

 

 

 

 往路同様、第一層は安全だった。

 その頃にはもう二人の足取りは軽くなって、無事に帰れるという希望に満ちていた。

 まだまだ油断はできないが、襲われてもノエミが悪即斬するだろう。なんかもう変なテンションになっている。

 

「あ……」

 

 帰還水晶が近くなってきた頃、ヘルガにおんぶされていたルルが口を開いた。

 少し前から彼女が目覚めている事には気づいていたヘルガだったが、それを指摘しないやさしさは頭目にも存在した。

 

「も、もう大丈夫。魔力も最低限戻ったから歩けるよ……」

「ああ。大丈夫か? 一人で立てるか?」

「うん……」

 

 ゆっくりと、ことさら丁寧にルルを下ろす。

 地に足を着けたルルは、氷魔法でも受けたかのようにカチコチに固まっていた。これも魔力切れの影響かと思われたが、単にルルが緊張していたせいっぽかった。

 三人、ものすごく気まずかった。

 

「歩こう。帰還水晶も近い、帰って美味い飯食おうぜ……」

「そうだね……」

 

 三人、再び歩きだす。

 迷宮の中に、不規則な足音だけが響いていた。

 悪ぃやっぱ気まずいわと、ヘルガは何を言うべきか言わざるべきか悩んでいた。

 

「えっと、実は……」

「うん?」

「覚えてるの、全部。ルルが赤ちゃんになって、ヘルちゃんにあやされてた時のこと……」

「……そっか」

「ありがと……」

「どういたしまして……」

 

 言わなくてもいいのに、ルルの衝撃発言でもっと気まずくなった。

 ノエミもなんて言えばいいか分からないようで、唇をムニムニさせながら赤い顔で先導していた。

 両面冥狗の聖遺物があっても、流石にこの空気のまま帰ったら凱旋にはならないよな。そう、ヘルガは考えるでもなく思った。

 

「ふんぎゃ!」

 

 流石にそれはよろしくない。ヘルガは自身の頬を思い切り張った。

 突然の奇行に困惑する二人に、ニカッとわざとらしく笑顔を見せる。

 

「もし! もし、あーしが赤ちゃんになっちまったら! ちゃんとお世話してくれよな!」

 

 明るく、言い切る。

 言い切って、ちょっと後悔した。今のは無いだろう。

 またも沈黙が落ちかけた、その時だ。

 

「も、もちろん! ルルお姉ちゃんがしっかり面倒見てあげるからね~!」

「わ、私も手伝える事は手伝うわ!」

「そうか! ならもう、これで終わり! 今夜は酒呑もう酒! 両面冥狗を倒した証拠もあるし凱旋だ!」

「がいせ~ん!」

「凱旋! 褒めてもらえるかしら!」

「怒られるんじゃない?」

「怒られるだろうな!」

 

 キャッキャと笑いながら、当然として周囲を警戒しながら、安堵と緊張の連続でハイになったテンションのまま、三人は帰還水晶の方へ歩いた。

 ヨーヨーひと振り。ご機嫌だ。とにかくご機嫌ってことにした。小さい事はどうでもよくなった。

 

「と、ところでぇ、今まで聞いてこなかったんだけどぉ……」

「ん~?」

「ヘルちゃんって……歳いくつ?」

「あん? んだよ、いきなり」

「えっ!? あーいや? そのぉ、ちょっと玉兎の沽券に関わる内容というか……」

「はあ。まぁ九歳だけど」

「きゅっ!?」

 

 瞬間、ルルは凍り付いた。

 先導していた半吸血人が立ち止まり、氷像と化したルルに振り返る。同じくヘルガもヨーヨーを投げ戻しながら彼女の方を見た。

 

「へ、へぇ~。そうだったんだ~。思ってたより若いんだね~。ルルびっくり~」

「魔族だし、姉ちゃんだからな。割と年上に見られンだ。そーゆールルは何歳なんだよ」

「あぁ~、その……さん?」

「さん?」

「……じゅうよんさい」

「十四歳。私より年上だったのね、貴女」

「てっきり年下だと思ってたぜ。はははっ」

「え、うん……よく言われる~」

 

 そんなこんな。

 無事、帰還水晶に到着したヘルガ達は、踏破失敗の悔しさと難行を達成した誇らしさを胸に、皆の待つ転移神殿に戻るのであった。

 

 

 

 帰還後……。

 ひとまず無事を喜ばれてから、ヘルガ達は草薙の剣全員にめちゃくちゃ怒られた。

 何で逃げなかっただの判断が遅いだのあーだのこーだの。しかも他の冒険者の前で、ギルド職員が軽く引くほど叱られた。

 並んで正座させられてる三人と、正座させている銀細工全員、英雄らしさからは遠く離れていた。

 それでも彼等は英雄で、草薙の威光が曇る事はなかった。

 

 その後の宴会では、皆してベロンベロンになるまで酒を呑んだ。

 路地裏集会でお世話になった冒険者も呼んで、酒とつまみを手にルル達も一緒に路地裏で二次会して、三人で肩組んで宿に帰った。帰り道はイシグロが口ずさんでいた謎の歌を歌っていた。

 そうして朝目覚めたら、三人は同じベッドで寝ていた。

 

「……大丈夫だよな?」

 

 大丈夫なはずである。三人共、寝間着姿だったし。

 一緒に風呂に入って、ベッドにダイブしたまでの記憶しか残ってないが。

 恐らく、大丈夫だ。友達だし、へーきへーき。

 

 こうして、ヘルガ達の初迷宮探索は失敗したのであった。

 どんな訓練や実戦にも勝る、尊い学びと堅い絆を得て。




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次回でヘルガ編終わりです。
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