【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
「え~、言いたい事はさっき卒業式で全部言ったので……とにかく皆お疲れ様! 乾杯!」
「「「かんぱ~い!」」」
卒業式後のエキシビションマッチが終わった後は、もうめちゃくちゃに宴である。
場所は花竜一族が所有している花見スポットだ。一年中桜が咲いてるリンジュでは、当然として夏にも桜が咲いている。満開だった春と違い、夏はざっくり八分咲きといったところ。会場には緋毛氈の掛けられた縁台に野点傘が立っていて、半立食パーティの様相である。
夏の野外の花見である。けれども全然暑くなく、何なら普通に快適であった。
ファンタジーな事に、リンジュの桜は冷房性能を有していて界隈は実に涼しかった。舞い散る花びらは氷のように冷やっこく、ヒトの身体や地面に触れるとふわっと消える素敵っぷり。
あまつさえ夜になるとぼんやり光るし、冬になるとちょっとだけ温かいのだ、この桜。あまりにも便利なのでラリスも欲しがっているそうだが、なんかカムイバラにしか咲かないらしい。
細かい事はともかく、夏の花見はひたすらに快適であったとさ。
「かぁああああっ! やっぱ夏の明るいうちに呑む梅酒は最高だな! もう一杯!」
「なんじゃお前そがい酒強うないじゃろ」
「いっぱい呑めるんがええ男や思っとんねん。こいつラリスかぶれやから」
「あんまり無理しちゃアカンで~? はい、お水も飲んでな~」
雅&ラグジュアリーな素敵スポットで、草薙一同は皆して酒を呑んでいた。
酒の種類は色々ある。麦酒に火酒に米酒に葡萄酒。中には卒業祝いとしてオイゲンさんから頂いた超高級蜂蜜酒なんかもあった。会場には現役でスナックママやってるミアカさんを呼んでいるのでカクテルもご自由に。
異世界情緒に溢れた中でも、我々は飲んで騒いでばっかりであった。飲み会らしくビンゴ大会とかやってもよかったが、準備が面倒だったので止めておいた。
「わたくし特製ネクターサイダーですわ。十秒以内に呑まないと蜜が消えるのでお早めにどうぞ~」
「「「甘い=正義ですわ~!」」」
「酒もいいですが甘いアテも食べたいですね、マジでね」
「そろそろ頼んでたお菓子が届くはずなんですが……」
「ちわ。あのぉドラ焼き五十個持ってきたんですけど、これ本当に注文合ってます?」
「大丈夫です。つぶあんこしあん丁度半々で……はい、ありがとうございま~す」
「わぁい♡ にゃあドラ焼き大好きニャ~♡」
その代わり、美味しいものはいっぱい用意してある。
淫魔王国産の牛豚鶏肉に、フライシュ名物BBQセット。ヘカテ謹製魔道具を使ってお好み焼きやたこ焼きなんかもやった。花見で鉄板焼きとはこれ如何にって感じだが、好評そうで何より。
ぶっちゃけ、冒険者なんて飯と酒があれば満足する生き物なのだ。三大欲求が爆発してるのがデフォ故に。
「金金っていうけど、当のお前は何がしたいんじゃ?」
「それな~。ぶっちゃけあんま考えてへんのよな、訓練忙し過ぎて。チビ等が元気なぁそれでええやって」
「夢持ってこうぜ夢! なんたってオレ等もう天群雲なんだからな! 銀細工もすぐ貰えっから! したら二つ名付きの冒険者だ!」
「そーゆー自分はどうやねん。言い出しっぺや夢語れや」
「そりゃお前、良い女に良い酒に良い槍に……あれぇ? なんかショボくねぇ?」
「目標は持つに越した事はないですが、そのうち目標の方からやってきますよ」
「若いねぇ。僕にもああいう時期あったなぁ。いや無かったなぁ……」
「私なんか燃えて燃えて燃え尽きて今が一番幸せですからね。人生わからねぇもんです」
飲み方わかってない若人達は既に出来上がっていて、飲み方わかってるおじ勢はリンジュの酒器でゆったり味わっている。
他方、我が妻達も宴の雰囲気に浮かれているようだった。ヘカテはリヴクラフトで傘回しを披露していて、ユゥリンは簡易寿司屋をやっている。おもてなし勢も楽しんでるようで何より。
「盟主様盟主様! どうぞ! 皆様の為に焼きました!」
「ありがとうノエミ。うん、美味しいよ」
そんな風に若者がご飯を食べる姿を眺めていたら、ノエミがお好み焼きを作ってくれた。形こそオーストラリア大陸みたいになっているが、弟子の焼いてくれた料理だからかとても美味しい。
振り返れば、ノエミも成長したなと思う。まだちょっと暴走する時あるけど、オーディション当時の排他的な気性は薄くなって外界にも目を向けるようになった。
「あぁバカ野郎それまだ焼けてねぇって! 鶏肉はしっかり焼かねぇとダメなんだよ! あーしやっからトング貸せオラ!」
「流石ヘルガお母さま!」
「「「お母さま!」」」
「ママ~、ルルにもお肉焼いて~」
「ママじゃねーわ!」
ノエミだけではない。ヘルガやルルの成長もまた著しい。
一昨年の秋から始まった英雄育成計画だが、最初は未来英雄を掬い上げるのが目的だったのだ。それが今では野生の英雄候補が見つかって、中にはかつて敵だった猫又も仲間に加わっちゃっている。
何であれ、オーディションを通して助けられた命があって良かったと思う。それが皆の成長に繋がっているなら尚の事。
「最近はフライシュ飯とかリンジュ飯ばっか食ってたッスからね。久しぶりの故郷の肉は格別ッス」
「食おうと思えば肉が食える生活ってなぁいいねぇ。アタイもう里の食生活じゃあ満足できねぇ身体になっちまったよ」
「右に同じくです。お腹いっぱい食べる事こそ人生の本懐かと」
「ん、間違いなく真理の一端」
ルクスリリア達が元候補生達と楽しそうにしているのを見ると、自然と俺の胸はぽかぽかしてくる。
奴隷時代からルクスリリアやシャロなんかは割と社交的だったが、エリーゼやユゥリンはノエミ以上に排他的だった。俺も俺で、異世界転移してすぐの頃はロリ以外マジでどうでもよかったんだよな。
草薙の全員、例外なく成長しているのだろう。柵が増えて初志貫徹できてないと言えなくもないが、俺はこれを成長だと思いたい。大人になったとも言えるか。
俺が目指すべき、俺が思う幸せは皆とのイチャラブハッピー生活だ。
今現在、教え子が元気なだけで嬉しいというのに、もし皆との間の子供が成長したらどれだけ嬉しいだろうか。想像すら出来なかった。
「どしたのじゃ? そんな感涙する一秒前みたいな顔して」
「そうか? そうだな。そうかもな……」
今でも俺が家族第一なのは間違いない。それが間違っているとも思っていない。
少なくとも、クソ未来の俺は同じ事をしなかった。この幸せを知らずに死んだのだ。
少しでも未来の俺に自慢できる道を歩いている事こそ、誇らしかった。
「やぁやぁ我こそは淫魔史上最高の芸術家兼発明家兼冒険者とか色々してる上に全ての才能に溢れまくったパイモさんだよ! お呼びとあらば即参上! いやぁ盛り上がってるねぇ!」
「師匠より長い口上聞いてらんないよ」
「む、私の口上……?」
なんてやっていると、夏の花見会場に淫魔芸術家パイモ氏が現れた。本日、彼女には仕事で来てもらったのだ。
また、彼女の後ろには知らない長身少女の姿があった。なんだか既視感あるなと思ったら、知らないだけで見た事ある子だった。
「っと、紹介しよう。この娘はラリ大のロレッタ君だ。今日はぼくの助手として働いてもらう事になっている」
「ロレッタです! ラリス大学で芸術分野を専攻しております! 名高き草薙の皆様にお会いできて光栄です!」
「ロレッタ……」
ぺこりとお辞儀をした少女はロレッタと名乗った。彼女の名前を聞いて、隣にいたエリーゼが反応を示す。
ロレッタと言えば、俺が支援している美大生の名である。そして、俺の記憶が間違っていなければ、このロレッタ女史は尖兵戦前に図書館で本を取ってあげた女の子だ。あの時は小柄な文化部JCみたいだったのに、今では運動部JKくらいになっていた。
俺は彼女を知っているが、彼女は俺が支援者である事を知らない。運命というか何というか、ここに不思議な関係性が出来上がっていた。
「え~っと、何でしょうか?」
「いえ。こちらこそロレッタさんとお会いできて光栄です」
不思議な関係は不思議なままで。こういうのは言わぬが花だ。知らんけど。
ロレッタさんには世の中のゴタゴタに関与せず、クリエイティブに専念してほしいからね。俺達は彼女みたいな子が平穏に暮らせるよう頑張っているのだ。
「は~い。卒業記念に絵ぇ描いてもらうから、みんな集まれ~」
「あ、本当にやるんすね。大丈夫なんすか? そんな長い間じっとしてらんねぇっすよ」
「ふぅ~、大漁大漁。それについては問題ないねぇ。ぼくは一度覚えようと思った光景は忘れないからさ。それに、絵画ってのは見た景色をそのまま描く訳じゃあない。ぼくの心を通して描く世界がアートになるんだ」
「パイモ先生が先生らしいこと言ってるッス!」
そんなこんな。パイモさんの準備が整ったところで、一旦BBQを止めて集合である。
卒業写真ならぬ卒業絵画だ。イーゼルを隣に置いてゼロ的反逆王子ポーズを取るパイモさんの前、俺達はクラス全員集合とばかりにギュウギュウに詰めまくった。
「盟主様は真ん中で、奥方様達を隣に……あぁでもこれじゃバランスが! 誰か台持ってき……ハッ! これ私が肩車すれば解決するんじゃ……?」
「今日の主役は草薙の門の皆だから俺達は端っこ行こうな」
「それじゃとりあえずメアリーちゃんは後ろで、ルルが前ね」
「だからあーし等は脇役っつってんだろーが」
「ほらゲルトラウデも来なさい。カムイバラで一番頑張ったのは貴女なんだから」
「はっ、有難き幸せ」
「トゥイ君も来たまえ。要は耳と尻尾を消せばいいんだろう」
「よく分からないけどいいの?」
「別にいいんじゃない? 言っちゃえばあたしもアッチ側だった訳だし」
俺にとって、二十一以上の数は沢山である。俺達を含めた天群雲は沢山だった。
小中高とクラス全員の顔と名前が一致しなかった俺だが、彼等彼女等の名前はちゃんと言える。何が好きで、何で候補生になったのかまで。もう単なる知り合い程度ではなくなってしまったのだ。
これは前までの俺が嫌っていた柵に他ならない。けれど、今の俺はこの関係性を善しとしている。この柵は弱みではない。俺が生きた証なのだ。
「はい、チーズ」
「チーズって何スか。スモークチーズしかないッスよ」
「ん、ピースサインは平和のサインってマスターが言ってた。草薙に相応しい」
「ならピースでええやろ。ピースピース!」
「はいピース!」
なんて思いつつ適当にピースサインをしてみたら、皆もピースサインをし始めた。
淫狐猫三人娘はノリノリでピース。エリーゼとレノは無言ピース。グーラとシャロははにかんで、ユゥリンは何故かおふざけダブルピース。ヘカテーニャは謎にアインシュタイン顔でピースしていた。
ヘルガは隣にいるメンバーと肩を組んでピース。ノエミは無表情ピースで、ルルはぶりっ子風に横ピース。クラウディアも三天狗もおじさんたちも。結局、師匠を含めて全員ピースサインだ。
ここまでくるとちょっと怪しい集団みたいだが、酒入ってる集団なんてこんなもんである。
「まぁラフはこんな感じかな。完成版は後ろに桜がバーッと咲いててもっと良い感じになるから。ぼくがそう判断した」
「じゃあ次はカムイバラ組だけで描いてもらおうか」
卒業絵画は終了し、以降は再度自由時間。
ルルはパイモさんに絡みに行って、エリーゼはロレッタのインタビューを受けている。クラウディアを挟んでトゥイとクニュフがぎこちなく会話していた。
「カムイバラでも大成功でしたね、ご主人様。皆さん幸せそうで何よりです」
「リキタカさんが慕われているの見るとワタシも誇らしいですよ。もちろん嵐極拳の継承者としても」
「あぁ……なら良かった。次も頑張ろう」
「次より今だよパパ。いっぱいヨシヨシしてあげるからね~」
「オゥ、イェース」
褒められつつ、ナデナデされつつ、俺は確かな満足感と共に空を見上げた。
花びらが舞う空が少しずつ赤みを帯びていく。もうすぐ夕暮れが来るだろう。
「明日は晴れだな」
遠く見上げた西の空は、そう確信できる夕焼け色に変わっていった。
少しずつ、ゆっくりと。
思わず、「完!」って描きたくなるくらい綺麗な空だった。
〇
ラリス王国、王都アレクシスト。
王都中央区に、“天文台”と呼ばれる組織の本拠地が存在する。
天文台とは、世界の内外を観測・分析するラリス主導の超国家的機関である。
主な役割は各地の瘴気データを集計し、魔物の発生や瘴気災害を分析する事である。その他、人類生存圏の境界線の監視や、圏外領域の測量等も含まれる。
そして、最も大きな役割は、いずれ来たる災厄の予知であった。
天文台の地下深くに、“観測所”と呼ばれる大広間が存在する。
観測所中心の祭壇には、人間族が見上げるほど大きな球形オブジェが聳え立っていた。祭壇の縁には短い階段があり、また球形オブジェの前には転移石板に似た装置が設えてある。
祭壇に鎮座する巨大球は、単なる芸術作品やモニュメントにはない存在感を放っている。この物体こそが、観測所の要である事は一目瞭然だった。
秘匿された空間である。されど今この場には、両手の指では足りない程の人影があった。
祭壇の外、階段下に立っているのは天文台の総裁である。総裁の眼前には、様々な種族や立場の者が集まっていた。
長い白髭を蓄えた倫叡塔の大賢者に、ローブ姿の上森人。リンジュの陰陽術師がいると思えば、聖輪郷の上位天使が静かに佇んでいる。ラリス大学教授の隣には、竜族の金細工持ち冒険者の姿もあった。種族も年齢もバラバラだが、皆して例外なく特定の魔術を極めたる者という共通点を有していた。
その他、天文台の職員達が祭壇周辺の魔道具を操作している。今現在、観測所は厳かな熱気に満ちていた。
「ロッテさん、おひ、お久しぶりです。ま、まさか貴女が観測の大役を請け負ってくれるとは思いませんでした」
「君の名があってこそ請け負ったのさ。再会できてうれしいよ、デアンヌ」
その中の一人、ラリス大学教授であるデアンヌは、隣にいる竜族の金細工持ち冒険者と言葉を交わしていた。
竜族の女性――シャルロッテ。元々彼女はデアンヌの一党員だった冒険者で、共に尖兵戦を戦い抜いた歴戦の猛者である。
二人共、魔術の腕と人格を買われて観測所に召喚されたのだ。
「そ、それにしても、アレがゼノン様の遺宝なん、ですね。下の魔法陣、ホントに古代アルヴ式で描いてある。すご……」
「感動するのもいいが、守護結界はデアンヌにかかっているんだからな。任せたぞ」
「だ、だ、大丈夫です。わ、私これでもラリス大学できょ、教鞭を執っている身なので」
「魔術の腕は信頼している……が、まぁ変わってないようで安心した」
「か、変わってないで言うならロッテさんこそ、だと思います。竜族って凄いなぁ」
「老いのない生などロクなもんじゃない。それに、デアンヌは今が最も美しいよ」
大儀式を前に観測所全体がピリついている中、二人の間には妙に甘い空気が流れていた。
厳密に言うとシャルロッテからデアンヌへ、であるが。うっとりと古代魔導装置を眺めるデアンヌの横顔を、竜族魔導士がうっとり眺めていた。
「ごほん……まずはお集まりいただいた皆様にお礼を申し上げます。ご多忙の中、お時間をいただきありがとうございます。事前にお伝えした通りですが、改めてご説明いたします」
ややもあり、天文台の長が代表して口を開いた。そうなると根が貴族なデアンヌや品行方正な陰陽師等は会話を止めて総裁の方に注目し始めた。
総裁はキャラの濃い連中を見渡し、説明を始める。
「件の魔力嵐を機に、災厄の予知が不安定になっている事はお伝えした通りです。その原因を探る為、我々は陛下から特例的に観測所での大規模魔術儀式の許可を賜りました」
天文台の至上命題は、災厄の予知である。災厄とは人類にとっての天敵だ。当然として、その襲来時期は綿密に計算されていた。
しかし、これまで安定していた災厄の予知がとある時期から不安定化しているというのだ。
災厄の尖兵が現れる前は今後十年以内に来ると予知されていたのだが、現在は占う度に結果が変動し、また預言者や使用魔術によっても結果が変わるようになったのである。
言うまでもなく、これは由々しき事態であった。
「そこで用いるのが、こちら。魔導式異界観測器・望遠球となります」
言って、天文台総裁は背後の球形オブジェを指し示した。
天文台が秘匿していた災厄観測用の古代魔導装置である。開発者は魔道賢者ゼノン。開発者によって“望遠球”と名付けられている。
それから、総裁は望遠球の仕様や魔術儀式についての説明を始めた。一方、聞いている側は事前に頭に叩きこんだ内容なので半ば聞いていなかった。デアンヌはなおも古代魔導装置に夢中である。
「……では、これより望遠球を使用した災厄観測作戦を開始します。各員、指定の位置に着いてください」
最終確認後、総裁の指示で儀式の準備が始まった。
賢者を筆頭に観測班が祭壇に登り、石床に刻まれた魔法陣に従って位置に着いていく。
祭壇の外側、デアンヌは望遠球を視野に収められる位置で専用の魔導書を開いた。
「が、頑張ってくださいね、ロッテさん」
「ああ。今から異世界の景色が見れるのが楽しみだよ」
続いてシャルロッテが祭壇を上り、指定の位置に着いた。
デアンヌ視点、大きな球形オブジェを五人の魔術師が囲んでいるような構図だ。
「
総裁に差し出すように、天文台職員が持っていた箱の封を解く。開かれた箱の中には、青白い光を宿す立方体が収まっていた。
立方体を手に取った総裁は、最後に祭壇を上って望遠球の正面にあたる台座の前に立った。
周囲を囲む者を見て、それから観測班を見渡す。全ての準備が整ったのを確認した総裁は、手に持つ立方体を台座の窪みにはめ込んだ。
「異界観測器・望遠球。起動……!」
立方体が眩い光を放つ。するとその光は祭壇の魔法陣を流れ、望遠球の表面をなぞるように迸った。
巨大球が明滅しながら、少しずつ回転を始める。やがて明滅が収まった望遠球は、淡い光を宿したまま停止した。
安堵の息が漏れる。第一段階は成功した。
「起動確認。結界をお願いします」
「しゅ、守護結界、展開します……!」
第二段階。デアンヌが核となり、多層魔術式を起動させていく。
古の魔術式である。これはランベール家のような特殊な才能がなければ起動できない。
長い詠唱が終わると、祭壇を覆うようにして守護結界が展開された。
「結界の展開を確認。皆様、遠見の術式を発動してください」
「任せてくれ。遠慮なく使わせてもらおう。上手くまとめてくれよ?」
観測班の魔術師が各々魔法を詠唱し、同じくシャルロッテも自身の竜族権能を発動した。
彼等に続き、総裁も古代アルヴ式の魔法詠唱を開始した。それはさながら長い詩を諳んじるようであり、現代では再現不可能な神秘に満ちていた。
「【
詠唱が終わる。総裁が杖を振ると、此処ではない何処かを映す古代魔術が展開され、魔法陣内に滞留する遠見の力と連動し、それら全てが望遠球によって増幅されていった。
光が満ちる。それは、イシグロが見たならば「プラネタリウムみたいだ」という感想を抱くであろう光景だった。あるいは、望遠球を中心とした銀河系をホログラムで再現しているかのようでもある。
星々は観測所全体に及んでいる。床や天井に色とりどりの光が瞬いていて、その美しさは生真面目で几帳面な天文台職員の口から感嘆の息が漏れる程であった。
「おぉ……これが外の世界の景色か」
「五行とは異なる氣を感じますな」
「美しい……」
暫し、賢者達観測班も外の景色に見惚れていた。
総裁を含め、望遠球を通して世界の外を見るのは初めての経験だった。
近くにある星、遠くを流れる星。それら全てが一つ一つ異なる世界であり、星として再現されているのだ。
氷と夜の世界。黒曜と獣の世界。森と竜の世界。今、彼等の魂はその狭間に在った。
「気を抜くと文字通り目を奪われます。術式を解かぬようお願いします」
とはいえ、いつまでも見惚れている場合ではない。この儀式は災厄を観測するのが目的なのだ。
総裁は杖を振るい、望遠球を操作した。球の回転に合わせ、世界の視点と星々の位置が変化していく。
百年前、以前に望遠球を起動した際は、少しずつ迫りくる災厄の様子を観察し、計算によって襲来時期を導き出していた。今回も同じ事をしようとしているのだ。その前に、この外界から災厄を見つける必要があった。
「見えました、上です。肝が凍る程の邪悪が形を成していますぞ」
陰陽術師が指差す方、遥か遠くに暗い輝きがあった。明らかに周囲の星々とは別物である。
拡大すると、少しずつ輪郭が見えてきた。それは薪もなく燃える炎のようで、絶えず流動する粘体のような、目にするだけでも怖気が過る暗黒の塊である。
そこまでは、報告書にあった通りの災厄だった。
「なんだ、アレは……? どうなっている」
だが、件の災厄には一目でそうと分かる異常事態が見て取れた。
災厄と思しき闇が星々の間を縦横無尽に移動しているのだ。近くの星に接近し、それからまた別の星の方へ。獣が獲物の匂いを嗅ぎまわるように、何かしら意思ある動きをしていたのだ。
「不規則に……いや、私には一定の知性を持って動いているように見えます。最低限の目的は達しました。総裁、如何いたしますか?」
「続行します。行動パターンを把握したい。もう少し距離を保って観察を……」
その時だ。活発に動いて見えた闇が、突如として停止した。
総裁が、観測班が、デアンヌが息を止める。災厄を見ていた者の背筋に悪寒が過る。闇が、悍ましい暗黒が此方を視た。
「ぐぎ!? いぎぁああああああああ!」
「むぅ! な、何だ今のは……!?」
次の瞬間、災厄と目を合わせた総裁が両目を押さえて卒倒した。
総裁だけではない。上森人は膝をつき、老賢者は腰を抜かしている。天使と陰陽術師も同様だ。
次いで望遠球が放つ光が真っ赤に染まる。観測所全体に過去例のない警告音が鳴り響き、早鐘を打つ心臓のように望遠球が明滅した。
遠く、世界の外の向こう側から、闇が迫ってきた。瞬きの度に大きくなっていく。確かな、疑いようもない、明確な敵意で以て。
「結界を抜けられた! 術式を止めろ! 瘴気が雪崩れこんでくるぞ!」
「やっています! ですが止まりません!」
「安全装置はどうした!」
苦痛に頭を押さえるシャルロッテが声を張り上げる。術式を補助していた職員が応えようとするも、望遠球を操作する事が出来なかった。
守護結界の中から瘴気が漏れてきた。外の世界から闇が迫っている。必死に動く職員の傍ら、デアンヌは異常発光する聖遺物を視界に入れた。
観測班は動けそうにない。職員はトラブルに対処している。放置しても守護結界は維持されるだろう。今動けるのは、デアンヌだけだった。
「こ、これ! ぶっこ抜きます!」
「デアンヌ!? 危険だ! 来るんじゃない!」
そう思い立ったデアンヌは、持ち場を離れて祭壇に上って行った。友の警告を無視して結界を抜け、倒れる総裁を避けて台座の前に辿り着く。
そして、聖遺物を掴み、力いっぱい引っ張った。黒い稲妻が彼女の腕に迸るも、歯を食いしばって痛みを堪えた。脳裏で、魂を焼かれる感覚を分析しながら。
「ひぐぅ! けど耐えられない程じゃ! うぉおりゃぁああああ!」
ガコン! と、巨大な錠前を落とすような重低音を伴い、立方体が引き抜かれた。
引き抜いた勢いそのまま、デアンヌの手から離れた立方体が祭壇の上を滑っていく。やがて望遠球が停止し、観測所は元の静寂を取り戻した。聞こえるのは、痛みを訴える観測班の呻きと、慌てた天文台職員の声だけだ。
ふと見れば、デアンヌの腕は重度の火傷のように焼け爛れていた。しばらく杖を握る事はできないだろう。
「総裁! ご無事で?」
駆け寄っていく職員に反応したか、気を失っていた総裁が立ち上がった。観測班も苦痛を噛みしめつつ復帰し始めた。
しかし、その様子は尋常ではなかった。総裁が目を押さえていた手を下ろし、瞼を開く。その瞳を見た職員達は本能的に恐怖した。
「……無事ではありませんね。言葉をまとめている暇もなさそうです。今私は、向こう側の存在に魅入られてしまった。変質はもう始まっている。すまないが、誰か私を殺してほしい。魂を持っていかれる、その前に……」
総裁の瞳に、鬼火のような光が灯っていた。
否、それは瞳である。角膜の輪郭を覆う光の奥、本来瞳孔がある位置に、もう一つの瞳が輝いていて、外の世界から此方の世界を
「時間がない! 取り返しのつかない事になります! 早く!」
「くっ、御免!」
総裁が言うが早いか、職員を退かして観測班が動き出す。
天使は哀れな人間を救済すべく光を放とうとし、上森人は魔力を滾らせ、賢者は杖を取り、陰陽術師は太刀を抜いた。
その光景を、デアンヌは視ていた。その魔眼が、事態の危うさを感知していた。それ故に、普段思う通りに動かない口を開いた。
「殺すと感染する! ダメぇえええ!」
友の声に、シャルロッテが動きを止めた。
しかし、止まったのは友だけだ。太刀が閃き、総裁の首が飛んだ。
次の瞬間、総裁の首の断面から夥しい瘴気が噴出し、災厄に対して攻撃を試みた者全員に吸収されていった。
「バカな身体が……! まさか私も……」
「逃げてください! 光が溢れっ……ぎゃあああああ!?」
そして、四人の星見人は傀儡と化した。
また、一瞬の出来事だった。人体の可動域を超え閃いた陰陽術の太刀が老賢者の首を刎ねた。天使の光が森人を焼いた。血の雨が降る。瘴気が溢れ、殺人者の瞳が輝きを増す。
災厄に魅入られた二対の目が、腕の痛みに悶えるデアンヌを見下ろした。
「逃げろデアンヌぅ!」
傀儡に先んじ、シャルロッテが動く。両手を竜鱗の籠手に変え、二人の頭を掴み、地面に叩きつけた。
「【
竜の掌から、魂を焼く炎が解き放たれた。藻掻く二人が武器を振るうも、竜族はそれに耐えて燃やし続けた。
やがて、星を見た二人は瘴気を伴って爆発し、先と同じようにシャルロッテに吸収されていった。
今度こそ、静寂が戻る。重く、呼吸さえ憚るような沈黙が。
「ろ、ロッテさん? 貴女は、大丈夫です、よね……? だって竜族だから、竜族はすごく丈夫で……」
震えるデアンヌの声。
名を呼ばれた竜族は、ゆっくりと振り返った。
その顔は、優しく微笑んでいる。
だが、その瞳だけは違っていた。
「すまない。今回ばかりは無理そうだ……」
吃音でどもるデアンヌをいつも優しく見守っていた目は、災厄の瞳に侵されていた。
デアンヌは魔眼を押さえた。見てはいけないものを見た。友人は友人ではなくなっていた。凍える身体とは裏腹に、頭脳だけは明晰に動いた。現実から逃げるように。
「ま、まだ自我はあります。すぐに治療術式を……!」
「無意味だ。いいかデアンヌ。よく聞け、大事な話だ」
呆れたような、窘めるような声音。
友を見る彼女の双眸は、狂気に侵されてなお鮮烈な意志の光に満ちていた。
「最初から、私達は間違えていたんだ。視るべきは外じゃなかった。アレは、これから来る災厄じゃない。もっと別の、悍ましい存在だ」
シャルロッテは闇の正体を知った。だから警告した。
今も繋がっている。気を抜けば魅入られる。文字通り、全身全霊で抗っていた。
「災厄は既に潜り込んでいた。近過ぎて……見えてなかったんだ。その本質は死の病に似て……あぁ、ダメだな。限界だ」
魂の浸食を察知した瞬間、シャルロッテは自身の胸に爪を立て、デアンヌが悲鳴を上げる前に心臓を抉り出した。
次いで、激しく拍動するソレを、何の躊躇いもなく握りつぶした。
竜の不死性の象徴たる心臓を。
「デアンヌ、お前は生きろ。限りある命を、私の分まで」
「シャルっ……!?」
この期に及んで、生まれ持った吃音は名を言わせてくれなかった。
シャルロッテが消えていく。傀儡としてではなく、誇り高き竜族として、この世界の魔力に溶けていく。
漏れ出る瘴気は守護結界によって浄化され、誰の身に宿る事もなかった。
デアンヌは竜に戻った友の双眸を前に言葉を噤んだ。あまりにあっけなく自己犠牲を果たした竜は、最後に何かを伝えようとしていた。
「お前との茶会、楽しかったよ。さようなら、私の最高の友達……」
それが、シャルロッテの最後の言葉になった。
友がいなくなった観測所で、デアンヌはぼうと虚空を見ていた。
焼けただれた右手より、心の奥が痛かった。
世界に黄昏が訪れた。
〇
空に一番星が輝いた。
その時、異世界人の魂に警鐘が鳴り響いた。
虫の知らせ。直感。第六感。全て、生存本能で括る。
生きようとする本能が、全力でソレへの警戒を促した。
とある農村に生まれた魔眼持ちの子供が、遠く夕陽を指さした。
彼が指さす方を母親が見上げる。
次の瞬間、遠い夕焼け空に真っ黒な亀裂が生まれ、氷の塊を割るようにして大穴が開いた。
闇の隙間が広がっていく。中から冬風に似た瘴気が流入し、それを浴びた鳥は気を失って落ちていった。
異世界人の魂に、隙間風が過った。
玉座にて、当代ラリス王が戦斧を手に取る。
天文台の奥底で、黒髪の魔女が涙を流す。
深淵に潜む艦の中、復讐を誓う王が空を睨む。
「アレが災厄か。準備不足だけど、やるしかないね」
第三王子ジノヴィオスは、計画の実行を決意した。
「まったくもう! 久しぶりの再会だってのに何て空気の読めん奴だ! ぶっ殺すぞ!」
「むう……」
焚火で肉を焼いていたリアルイーザが立ち上がり、彼女の前にいたヴィーカも油断なく剣を構えた。
「うぐっ……!?」
「イリハ!」
リンジュ共和国、首都カムイバラ。
撤収を始めた花見会場で、空を見上げたイリハが仙氣眼を押さえて膝をついた。
イリハを支えるイシグロ。ルクスリリアは魂から鎌を呼び出し、エリーゼは王笏を構え、グーラは剣を手に取り、レノは熾天使となって結界を張った。
ユゥリンは槍を構えて卒業生達の前に立ち、空を見たヘカテーニャは言葉を失い、シャーロットは自身のルーン因子が損傷した事を自覚して目を見開いた。
「け、圏外と同じ……いやもっと濃いやつじゃ……!」
「魔眼持ちはアレ視ない方がよさそうッスね、レノ」
「ん、閉じてる。エリーゼは大丈夫?」
「問題ないわ。でも、あまり長く眺めていたい景色ではないわね……」
「強い敵意を感じます。尖兵よりじっとりした」
「アレが災厄って事で合ってるんだよな? クニュフ」
「分かんないけど、多分そう。私の時はあんなんじゃなかったけど……いやそもそも早すぎる。まさか私が過去に飛んだ影響……?」
そして、未来から来た猫又は未知の現象に尻尾を膨らませていた。
震えている手を握る。クニュフは災いの空から目を離し、父であり夫たる者の横顔を見た。
イシグロは、じっと亀裂の奥にある闇を睨みつけていた。
世界の罅が閉じていく。
空が修復されていく。
瘴気の流入が緩やかになる。災いが過ぎ去る。
そう、誰もが安堵した。
「ひっ……」
何処かの、誰かの悲鳴。
亀裂が閉じる瞬間、ソレは現れた。
隙間から覗く、巨大な瞳。
鬼火のような眼光が、世界中の生ある者を見下ろしていた。
世界が閉じていく。
じっと、ソレは人類を見続けていた。
最後の最後まで。疑いようもない、悪意をもって。
やがて、空が元の黄昏を取り戻す。
夜が来る。月が上っていく。
沈黙が、世界を覆った。
災厄が訪れた。
闇が支配する地にて。
屍の山頂で、黒ずんだ血に塗れた青年が身を起こす。
その腕には、汚濁に塗れた人骨が抱かれていた。
「……ああ、そうなるか。
男の身体から、この世界には存在しない力が染み出ていく。
呼応し、屍の大地から骨の兵士が這い出、立ち上がる。無数の怨霊が舞い降り、汚濁の塊が形を成し、何処からともなく躯の集合体が出現した。
そして、それら意思なき屍は、一体また一体と青年に跪いていった。
「屍達の、王……」
男が目を開く。
その瞳には、この世界には無い光が灯っていた。
「……悪くない響きだ。人の王より、よっぽど」
外なる存在の瞳が。
クトゥルフ神話要素が追加されたって訳ではないです、念の為。
また、本作にイシグロ以外の地球人・異世界人等は登場しません、念の為。
次エピソードはイシグロ回りの設定まとめです。