【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
誤字報告もありがとうございます。感謝です。
今回は三人称、犬人斥候ウィード視点です。
よろしくお願いします。
銀細工持ち冒険者、犬人斥候“狗弩”のウィードにとって、恋とは一夜のうちに過ぎていく酩酊のようなものであった。
まさか自分が、百夜を超えてなお一人の女に恋をし続けるとは思っていなかった。
まさかまさか、歩く男性器とまで綽名されたこの自分が、娼婦以外の女相手にはとんだヘタレの玉無し野郎になるとは思ってもみなかった。
ラリス王国、辺境。
古い森を隣人とし、魔除けの大樹を切り出して築かれた城壁に囲まれたその町は、今現在とても珍しく賑わっていた。
白いローブを着た学者に、マントを靡かせるラリス王国の騎士。武器屋の周辺には迷宮帰りと思しき冒険者がウロついていて、地元の冒険者は肩身狭そうに歩いている。
そんな町の一角に、彼等が出入りしている二階建ての酒場があった。迷宮のない迷宮ギルド。いわゆる冒険者酒場である。
「あっ、お疲れ様です先輩! お席こっちで~す!」
西部劇のような扉に、西部劇のようなバーカウンターと丸テーブル。冒険者酒場の一階で、席についていた犬人女がぶんぶんと手を振る。
彼女の視線の先には、階段から降りてくる猟犬族の男性の姿があった。緑の髪の銀細工持ち冒険者。犬人斥候ウィードである。
階段を下りたウィードは、女のせいで集まった注目を強いて無視して向かいの席に座った。
「先に乾き物頼んでおきました! どうぞ! これお好きでしたよね?」
「おう。ってオイオイ、先に食っとけって言っただろ」
「でも先輩のヨシがないと落ち着かなくって」
「あーもうヨシだヨシ。お~い姉ちゃん、こっちにエールとなんか適当に肉、二人分ちょうだ~い」
「やったー! 今日もお肉食べれるー!」
言って、女は両手を挙げて喜んでみせた。その時、ばるんと揺れる胸を見逃すウィードではなかった。
名をルーシィというこの女は、ウィードと同族の猟犬族である。しかし、その印象は大きく異なっていた。如何にも俊敏そうな三角耳のウィードに対し、ルーシィは人懐っこそうな耳垂れ犬である。
けれども、彼女の――豊満な――胸の上には、ラリス様式の真新しい鋼鉄札が下げられていた。
「明日は湖の方まで行くんですよね? わたし、湖見るの初めてなので楽しみです!」
「迷宮で見ただろ。ほら、前に潜った中位の、お前が小魚龍に足噛まれてたとこ」
「アレを初湖にしたくありませんので! 明日で記憶を塗りつぶします!」
ルーシィの屈託のない笑顔に。ウィードはらしくもない苦みばしった表情を浮かべてしまった。
明るく話すルーシィと、聞き流すでもなく不器用な相槌を打つウィード。そのぎこちない空気の原因は、ウィードとルーシィの関係性にあった。
巨乳犬人ルーシィは、ウィードが身請けした娼婦である。
いつも通りフラッと立ち寄った娼館に入った時に偶然出会い、一目見てこれまで感じた事のない強烈な恋情を抱いたのだ。例によっておっぱいに一目惚れした訳だが、何故かその時は単なる性欲では収まらなかった。
娼婦としてのルーシィは、ハッキリ言って三流もいいところだった。水揚げ前の娼婦でもあるまいに終始あたふたドギマギと段取りが悪く、かと思えば顔を真っ赤にして謎の境遇トーク。まるで初娼館の童貞のようだった。結局、その日は本当に何もなく、何もせず、ただただ時間だけが過ぎてしまった。
だが、気付いた時には身請け交渉をしていた。大した額の貯金は無かったので、前金だけ払って迷宮で稼ぎ、ルーシィの借金を肩代わりした。そうして再会したルーシィは、夢でも見ているようにボーッとしていた。同じように、ウィードも夢を見ているような気分だった。
無事にルーシィを身請けする事ができたウィードだったが、問題はその後だった。
有体に言って、何をどう接すればいいか分からなくなってしまったのだ。
娼婦の身請けと言えば、そのまま結婚するのがメジャーである。しかし娼婦は奴隷身分ではないので、実態としては債権者と債務者の関係に近い。そんな関係の女に、また娼婦でなくなった女を相手に、どう接すればいいか分からなくなってしまったのである。
その頃にはもう、ウィードはルーシィに惹かれている事をハッキリ自覚していた。そして叶うなら、同じように自分を好きになってもらいたいと思っていた。金で購入しておいて、恩で縛っておいて、田舎少年が妄想するようなピュアな愛を育もうと思っていたのだ。全く以てらしくもなく。
その時に思い知った。これまで歓楽街で浮名を流してきたウィードは、一度たりともマトモな恋愛をした事がなかったのだと。
色々と考えて、悶々と悩んで……。
どういう訳だか、ルーシィに冒険者登録をさせ、装備を揃えてやり、斥候としての技術を教える事にした。
自分はこういう事しか知らない。だから知っていることを教える。弟子を取るような柄ではなかったので、先輩後輩なら普通に接する事ができる。ウィード自身は無自覚だが、明らかにイシグロの真似をしていた。
僥倖だったのは、ルーシィの斥候としての才能がウィードを超えていたところだろう。加えて魔力も高く魔術の素質もあったので、ギルドの教導官に魔法を習わせて風魔法を使える斥候にまで成長させた。
ウィードが攻勢の起点を作ってルーシィが魔法を放ち、ルーシィが魔法で支援してウィードが仕留める。斥候索敵のダブルチェックで、不意打ちは絶対に受けない。
二人一組の渡りの一党。これが意外にも上手くいっていた。またウィードの知らぬところで、ルーシィを迎えて以降ギルドからのウィードの評価も上がっていた。曰く、落ち着きが出てきたと。
一方、日に日に強くなっていくルーシィを見て、ウィードは得体の知れない虚無感を覚えていた。
今はまだ自分の方が有能だ。けれども自分が持つ全ての技術を習得したらどうなるだろう。ウィードへの借金を返済した後、ルーシィは自分から離れて行くのではないか。普通に考えるならそうするはずだ。有望株の斥候を他の冒険者が放っておく訳もない。
もしそうなったら、ルーシィの意思に任せるべきだろう。だとしたら、何の為に身請けをしたのだろうか。その前に結婚でも何でもして契約で縛るべきではないだろうか。クズの自覚はあっても、そんな思考回路には吐き気がした。悪事なんて数え切れない程やってきたが、ルーシィに対してだけは潔癖になっていた。
「せっかくなので、明日のお昼は足の早い食材を使ったラリスサンドを持っていきましょう! 勿論わたしが作りますよ!」
現在に至るまで、ウィードはルーシィと一度として情を交わしてはいない。
代わりとばかりに、沢山会話をした。何気ない話でも、ルーシィは明るく楽しそうにしていた。つまり、彼女の中でウィードは客のままで、彼女はまだ娼婦のままだった。
もう一年以上一緒にいるのに、二人は曖昧な関係を続けていた。少なくとも、ウィードからすると。
「先輩? どうかされました?」
「あ、いや……何でもねぇよ」
現実に戻る。机の上には野趣に富んだ料理が並び、向かいのルーシィは心配そうな顔をしていた。
ぶっきらぼうに返し、飯を食う。ルーシィはウィードが手を付けてから食べ始めた。ヨシを出したはずの乾き物は半分以上残っていた。
「このチーズ美味しいですね! おじいちゃんが作ってたチーズを思い出します!」
「ああ、美味ぇな」
中身のない会話の最中でも、ルーシィの顔には子供のような笑顔が浮かんでいる。
媚びているような甘えているような、彼女の笑顔はあまりにも可愛過ぎて、つい本当のソレだと勘違いしてしまいそうになる。
ルーシィが嬉しそうな演技をする度、ウィードまで嬉しくなっていた。
「お前のさ……」
「はい。何でしょうか、先輩」
「……いや何でもねぇ」
「えぇ~、そこで切られると気になるじゃないですか~」
初めて会った時、ルーシィは自分の過去を語りに語っていた。
しかし、今になってソレを掘り返したいとは思えなかった。
安心したくて、嘘だと確信したくて、もしそうだったら悲しい気持ちになってしまうからだ。
「だっせぇな……オレ」
本当に、らしくなかった。
思えば、ルーシィを迎えてから一度も娼館に行っていない。
色々と溜まっているのかもしれなかった。
〇
深い森の中に、二人の姿があった。
今現在、ウィードとルーシィの一党は、とある冒険者依頼を受けている。
依頼主はラリス王家。依頼内容は生態調査および再マッピングである。
災厄の以前と以後の森の変化を調査し、町に駐在している天文台の研究者に報告するのだ。
「止まれ。よく見ろ、ただの蔦が魔物化しかけてやがる。完全に変態する前に刈るぞ。魔法は使うな、短剣でやれ」
「は、はい! ゆっくり、ゆっくり……えいや!」
災厄が現れた日から、世界中の森には少なからぬ変化があった。最も代表的な変化といえば、動植物の魔物化である。
ただの熊が鉄拳大熊へと成る。あるいは拳だけが鉄拳大熊のソレへと変態する。完全に魔物化した動物は魔力の粒となって消えていくが、中途半端な魔物化では死骸が残る。これを納品するのもウィード達の仕事だった。
また、圏外ほどではないにしろ世界中の瘴気が上がっている影響で、魔物の自然発生率も跳ね上がっている。ヤバい魔物が出たら即撤退即報告即討伐で、ラリス騎士団は世界中で大忙しだった。
いずれにせよ、前例のない事態であった。
「先輩、これも持って帰りますか?」
「はした金にしかなんねぇよ。適当に捨てちまえ」
「は~い。あ、ここまでのマップ見てもらっていいですか?」
「悪くねぇな。帰ったらオレの見せるから、ちゃんと復習しとけ」
この依頼を受けた理由は二つ。純粋に実入りがいいのと、ルーシィの教育である。
迷宮での立ち回り。武器の扱い方。斥候としての心得。彼女を身請けしてから、ウィードは自身が持つあらゆる技を彼女に伝授してきた。
反復練習や経験こそ必要だが、あとは外での森の歩き方を教えてやればルーシィは冒険者として一人前になるだろう。
「範囲拡大、【風の報せ】……範囲内に魔物の気配無しです」
「行くぞ。ここからはオレが前に出っから、お前は魔力温存しとけ」
ふと思う。
教える事がなくなっても、先輩後輩のままでいられるだろうか。いつまでこの関係を続けられるのだろうか。本当に、このままでいいのだろうか。
迫る現実を前に、ウィードは目を逸らし続けていた。
「これがツミヒ湖! 思ってたより綺麗……じゃないですね!」
「リンジュのナマラアクジキゴイが住み着いて災厄で深淵沼龍に進化したんだってよ。そいつ自体は早々に討伐されたみてぇだが、そのせいで生態系はめちゃくちゃ。今はこの濁った水に適応した魚しか泳いでねぇって訳だ」
「はえ~、物知りですねぇ先輩」
「情報は集めとくもんだって教えただろーが」
森の中で一夜を過ごし、二人は目的地である湖のほとりに到着した。
周辺の安全を確保した後に、天文台の研究者がやってくる予定だ。二人は先遣隊の役割も持っているのである。
「先輩、なんか変な音しません?」
「なんだぁ? オレの耳には特に聞こえねぇが」
調査を続けていると、ルーシィが地面に身を伏せて音を探り始めた。
当然だが、索敵能力は銀細工斥候であるウィードの方が上だ。遅れて地に耳を当てると、猟犬族としての本領が発揮された。
だが、森の音はさっきまでと変わっていなかった。
「気のせいじゃねぇか?」
「いえ、絶対変です。魔物でも動物でも、まして魚でもない音がします。二足歩行? 数は沢山……やっぱり聞こえます。自信持って案内できますよ。どうしますか? 先輩」
「オスには聞こえねぇ音とか? まぁいい。行くだけ行くぞ。いつでも迎撃できるように魔力練っとけ」
指さす方に耳を向けるも、それらしい音も匂いも感知できない。考えた末、斥候としてのルーシィを信じる事にした。
ウィードが前に出てクロスボウを構え、ルーシィを後衛にして慎重に進んでいく。二人の足跡は一切のズレもなく重なっていた。
「そのまま真っすぐです。足跡はないですけど、はっきり感じます」
「不気味だな。これで何も無かったら訓練倍だからな」
「じゃあ何かあったら先輩にお願い一つ聞いてもらいますね」
災厄が来た後だ。何があってもおかしくない。少しの変化も見逃さぬよう、ウィードは警戒度を最大にして足を進めた。
「ん? おい、ちょっとこれ見てみろ」
「何かを引きずった跡でしょうか? 割と新しい。けど匂いがしませんね」
「しかも途切れ途切れだ。天使族の下手な【念力】で運んだみてぇな」
すると、根と根の間の地面に怪しい痕跡を発見した。
指で地面をなぞり、観察する。ウィードはこれを人間が引きずられた跡だと看破した。
だがしかし、引きずられた人間を運搬しているはずの足跡が見当たらない。まさか本当に【念力】か何かで浮かばせている訳もあるまいに。
「あそこです。あの奥から聞こえる……んですけど。あれぇ?」
「木だな」
「木ですね」
途切れ途切れの痕跡を追って辿り着いたのは、樹齢百年は超えているであろう立派な大樹だった。とはいえ何の変哲もない木でもある。
同じく、大樹の周囲に変わったところはない。例によって足跡もなければ、引きずり跡も消えている。木の表面に触れてみても、古木特有の感触が返ってくるだけだった。
「う~ん、この木の奥? 下? から聞こえてくるんですけど、穴とか開いてな……うわぁ!」
「ルーシィ!?」
ウィードに続いてルーシィが木に触れると、大樹に吸い込まれるように体勢を崩した。
慌てて手を掴み、引っ張り上げる。勢いそのまま尻もちをついたルーシィは、呆然と大樹を見上げた。
「え? あ、あれ、これって……」
「幻影の壁だ。迷宮じゃよく見るが、まさか地上にもあるなんてな。つか何でこのオレが気付けねぇ? 今でもさっぱり分からん」
幻術壁である。迷宮では稀に見るが、迷宮外で見るのは初めてだった。
しかし、そうと分かっても幻影には思えなかった。もう一度触れてみるが、木の感触がするばかりで幻影が解ける感じはない。ウィードでは突破できない物理的な障壁があるのだ。幻影破りの鍵の使用を試みるも、差し込む事はできなかった。
あるいはルーシィには幻影突破の異能でもあるのかもしれない。だとしたら益々スペシャルな女である。
「どうします? 潜っちゃいますか?」
「いや戻るぞ。こっから先は危ねぇ匂いがプンプンするし、嫌な予感もビンビンだ」
「そうですか……」
「行きたかったのか?」
「はい、冒険って楽しいじゃないですか。私、先輩ともっと冒険したいです」
「今やってるのは調査だ。いいから帰るぞ」
「はぁい」
ともあれ、大発見だ。考えるまでもなく撤退を選ぶ。
ウィードは周辺の木に狩人にしか分からない目印をつけながら、来た道を戻って行った。
「意外でした。先輩なら寧ろ金の匂いがするぜ~って突っ込んでくと思ってましたから」
「バカ言え。ああいう未知はな、イシグロみてぇな奴に任せんだ」
「イシグロって、黎明のイシグロさんですよね? お知り合いなんですよね。どんな方なんですか?」
「どんなってなぁ……」
ざわりと、ウィードの内心に波が立つ。
イシグロ・リキタカは英雄だ。英雄になる前から知っている。初めて話した日、奴は自分の身も顧みずラリス貴族や銀細工のラフィに立ち向かい、罪のない少女奴隷を救ってみせた。自分には、あんな事できない。
少し前までは嫉妬も何もなかったのに、今になって劣等感を覚えていた。ああだったらと、妄想する日が続いている。
「まぁ……会えば分かる」
「分かりました。楽しみにしておきますね」
ルーシィは、また屈託なく笑った。自然過ぎて作り物めいた魅力的な笑みだ。
集中力が途切れている。ウィードは強いて気を取り直し、小さく首を振った。
「おい……」
その時、森の空気が変わったのを感知した。
緑の匂いに、今まで一度も嗅いだ事の無い匂いが混じり始めた。近づいてくる。猪や熊ではない。獣よりよっぽど醜悪な臭いだ。
油断していたつもりはなかった。だが、現実として二人は包囲されてしまっていた。考えていた退路は既に潰されている。包囲網に穴を開け、突っ切るしかない状況だ。
「囲まれてます、よね。この音さっき私が木の奥で聞いてた音と同じです……」
「気付くの遅れた……いや急に出てきやがったんだ。数は二十はいるな」
「に、二足歩行、子供くらいの大きさ、でも体重は重め……匂いも、掃除してないおトイレみたいです」
「構えろ。薄いとこ突っ込むぞ、用意……」
姿勢をかがめ、匂いのする方にクロスボウを向ける。背後でルーシィも同じように短杖を構えた。
ガサガサと無遠慮な音が近づいてくる。叢をかき分けかき分け、やがてソレは姿を現した。
「ゴブゴブゴブ、ゴブブブブ!」
「グギャギャ! グギャア!」
「グゴーブ、グゴーブ!」
次の瞬間、ウィードは驚愕に目を見開いた。
二足歩行だ。背丈は小さい。だが、人か、魔物か、少し躊躇う。緑の肌に、身長の割に巨大な頭部。黄ばんだ眼球に、同じく黄ばんだ歯。体毛はなく、一丁前に腰蓑を履いていた。
全体のシルエットを見れば、リンジュの魔物の餓鬼に似ている。そんな奴が一匹また一匹と出てきたのだ。大口を開け、汚らしい歯をむき出しにして笑っている。その光景に、ウィードは得体の知れない嫌悪感を覚えた。
「ひっ……!? ま、魔物?」
そいつらは、クロスボウを構えるウィードを見ていなかった。全員、例外なく、ルーシィの身体を舐め回すように見ていた。
そうして気付く。奴等の股ぐらが膨らんでいる。むくむくと膨張し、腰蓑に陰影を作っている。その視線は、ウィードには見覚えのあり過ぎる色をしていた。
「……は?」
こいつらは、ルーシィに欲情していた。
魔物が? あるいは動物が? あろうことか人類の女に? あまりにも常識外な事態に、ウィードは唖然となってしまった。
「「「ゴブウウウウウウッ!」」」
「しまっ……!」
故に反応が遅れた。緑餓鬼の群れが波となって襲い掛かってくる。それは狼や獅子のような統制の取れた連携ではなく、ただ欲望による暴走だった。
慌てて意識を切り替え、クロスボウを撃ち前の一匹をしとめるも、餓鬼の波は止められない。幸い、一発で倒せる。つまり弱いが数が多い。これをどうにかする手段は、ある。
「逃げるぞ!」
「魔力過剰充填、【風波】!」
ルーシィが風魔術を発動すると、密集していた緑餓鬼は将棋倒しに倒れていった。殺せてはいないが、隙はできた。
正面突破、最短ルートで逃走する。案の定、股のモノをいきり立たせた餓鬼共が追いかけてきた。身長の割に足は速いようだが、仮にも銀細工のウィードに追いつけるはずもない。
ウィード一人だったら、余裕で逃げ切れただろう。
「はぁはぁ……! す、すみません! 先輩は先に!」
「うるせぇ! 黙って走るんだよ!」
ルーシィと餓鬼の走力は拮抗してしまっていた。
いくら技術の覚えはよくても、銀細工の速さには至っていない。後ろに回ったウィードが葉のまきびしや小型爆弾で足止めするも、性欲に狂った餓鬼共の勢いが減じる事はなかった。
さて、どうする。今のままでは体力勝負になってしまう。見たところ、ルーシィを前にした餓鬼共に疲れている様子はない。ならいっそ短剣で何とかするか? 戦闘力の低いウィードとて、あの程度の群れ相手に負けるとは思えない。やるのだ。守るのだ。あの夜のイシグロのように、英雄的に女を助ける。
そう思った……瞬間であった。
「がっ!?」
「先輩!」
真横から、跳ね飛ばされた。
続いて背に衝撃、木にぶつかったのだ。何が起こったのか。まるで透明な巨漢に殴られたようだった。
慌てて是正し、透明巨漢の追撃を回避する。勘で避けたが、咄嗟に手放したクロスボウが粉々になってしまった。脊髄反射の短剣術で通り過ぎざま切りつけると、それは傷口を広げるようにして透明化を解除していった。
「おいおい、なんだこいつ……!?」
それは、鎧を纏う巨人だった。
以前、イシグロの一党にいた吸血鬼が乗っていたゴーレムに似ている。いや、少し違う。下半身がヒトではない。脚は四つで、獣の頸部からヒトの上半身が生えているかのようだ。獣の足で突撃され、人間の腕で殴られたのだろう。
キメラゴーレムの頭部、兜のスリットの奥の赤い一つ眼が尻尾を巻いた二人を睥睨していた。
「「「ゴブーッ!」」」
「いや! こっち来ないで! このぉ!」
「ルーシィ!」
時が動き出す。追いついてきた緑の餓鬼がルーシィに殺到する。ルーシィも抵抗しているが、腰が引けていて本来の技量を発揮できていない。
「どわぁ!? 火力が足りねぇ! んだって!」
一方、ウィードは再度突撃してきたキメラゴーレムの攻撃を必死に回避していた。
斥候特化とはいえ、ウィードとて銀細工である。しかし、このゴーレムは銀細工を捉え得るスピードで攻撃を仕掛けてきた。
ウィードの内心に焦りが溜まっていく。強い相手と当たった焦りではない。ルーシィが欲情した餓鬼に包囲されている事に、例えようもない焦燥感を覚えているのだ。こんな木偶の棒、銀細工の戦士だったら余裕で倒せただろうに。
「ゴブゥウウウウ!」
「しまッ!」
その時だ。ウィードの片足に緑餓鬼がしがみついてきた。あまつさえ股の硬いモノを擦りつけてきている。
振り払っている暇もない。視界の奥、ゴーレムが足をたわめ、突進を仕掛けてきた。
視界が、世界がスローになる。迫るゴーレム。ニタニタと笑う餓鬼。片足で避けようにも、餓鬼が邪魔で動き辛い。避けられない……!
「【風の矢】!」
ルーシィの声。【風の矢】がゴーレムの頭に直撃し、突進の速度が僅かに落ちる。
だが、止まらない。獣の足で駆けるゴーレムは、ヒトの腕で以てウィードにタックルをぶちかました。
「がはっ……!」
「先輩! きゃあ!」
衝撃。思い切り殴られ、血を吐き出した。勢いそのまま木に叩きつけられ、そこでウィードは動かなくなった。
ルーシィもまた、魔法の隙を突かれて緑餓鬼の群れに押し倒された。乱暴に服を剥ぎとられ、杖を奪われ、短剣を蹴飛ばされる。いきり立った雄の象徴が腰蓑からはみ出ていた。
「やだ! やだ何!? 嘘でしょ! ダメ! いやああああ! 助けて! 助けてウィードさん!」
辺境の森に、絹を裂くような悲鳴が響く。緑餓鬼は喉を鳴らして笑っていた。
キメラゴーレムはウィードの心停止を確認し、ギャーギャーと騒いでいる緑餓鬼に近づいていった。やがてゴーレムの目が青く発光すると、興奮状態だった緑餓鬼の群れは一斉に動きを止めた。糸が切れた操り人形のように。
裸に剥かれたルーシィは、キメラゴーレムを見上げ、目が合った。
「ひぐっ……あぁ」
対し、ゴーレムは何らかの液体を噴霧し、ルーシィの意識を刈り取った。
続いて再度ゴーレムの目が光ると、大人しくなった餓鬼の群れはルーシィの身体を担いで、来た道を戻っていた。余った餓鬼はウィードの身体を掴み上げ、ルーシィの後について運んだ。
次いでキメラゴーレムが魔法を発動し、戦いの痕跡を消していく。そして、もう一度透明になって餓鬼共の後に続いた。
森に、静寂が戻る。
そこには、餓鬼やゴーレムがいた痕跡は一つも残っていなかった。
狩人のソレを除いて。
どさりと、ウィードの身体が硬い床に無造作に放り投げられた。
周囲には雑多なゴミや壊れかけの道具が散乱している。銀細工狗人斥候の遺骸はゴミ捨て場に捨てられたのだ。
遠くで扉が閉まり、暗闇が空間を覆う。
完全に生命の気配がなくなった頃、動きを止めていたウィードの身体がびくりと痙攣した。
「げほっ! げほげほっ……! はあっ! はぁ、はぁ……!」
自ら心臓を止めていたウィードが目を覚ましたのだ。
渾身の死んだふりである。誰にも真似できないレベルの、ウィードの十八番だった。
「……クソが」
覚醒したウィードは即座にゴミ山の後ろへ移動し、流れるように装備を確認しつつ隠し持っていた魔法薬を服用した。
薬の効能で少しずつ負傷が治癒されていく。回復の痛みで顔をしかめる。その間も現状を把握していた。クロスボウはない。隠していた短剣も、その他の装備もゴーレムの一撃でダメになっていた。ロクな武装はない。
やがて、強いて鎮静していた感情が解放されていった。
「クソが……」
思い出すのは、未だ脳裏で反響するルーシィの悲鳴だった。
バカみたいに発情していた餓鬼共に連れていかれた。あの後、ルーシィがどうなるかなど想像に難くない。
「クソが……!」
普通に考えるなら、ギルドへ戻るべきだ。報告し、討伐隊が編成されるのを待って、此処へ案内すべきなのだろう。
だが、それは何時になる? 仮に編成されたとして、本当に何とかなるか? その間のルーシィの安否は?
だったら、自分が助けるしかないではないか。無謀で、向こう見ずに、あの日のイシグロのように。
けれども、ふと思う。
本当に助ける必要あるか? と。
たかが娼婦くずれだ。
また新しい女を探せばいい。
自分の命を懸ける程ではないだろう。
「クソがっ! 逃げろっつったろ、あのバカ女!」
気付いた頃には、ウィードはゴミ溜めの中から急ごしらえの武装を整え終えていた。
既に内部に潜入しているのだ。なら、このままルーシィを助け、脱出する。弱気な思考など、魂の躍動の前には無力であった。
一度くらい、冒険したっていいじゃないか。このまま生きて帰ったとて、どうせロクな人生など待っていないだろうから。
「待ってろ。今助けてやるからな……!」
猟師の物であっただろう古い山刀を手に、ウィードは地を這うような姿勢で駆け出した。
相手がどちらへ行ったのかは分かっている。心停止中も、薄目を開けて経路を確認していたのだ。此処が件の幻影大樹の内部である事も当然に把握している。
ゴミ捨て部屋を出た大樹内は、広い地下洞窟のようになっていた。
外と異なり、あちこちに餓鬼やゴーレムの痕跡が残っている。餓鬼の集団がどちらへ行ったかは明らかだった。
「中で隠滅はしてねぇ訳か。余裕だぜ」
慎重かつ大胆に、闇に紛れた猟犬は歩みを進めた。
洞窟を進むにつれ、人工物が増えていった。壁は金属製に変わり、アメンボ型の使い魔が通路を行き来して清掃している。緑餓鬼の糞尿と思しき汚れを掃除しているのだ。
奥の方には、餓鬼の生活スペースのようなものがあり、ギャイギャイという不快な鳴き声が響いていた。あそこにルーシィはいない。餓鬼と使い魔に見つからぬよう、ウィードは地下深くへと身を躍らせた。
「もっと下だな。通路はあそこしかねぇか」
ルーシィの匂いがした方へ進んでいくと、鍾乳洞のようなところへ辿り着いた。
さっきとは打って変わって生物の気配がない。
ややもせず、ウィードは地下で風を感じ取った。
「マジか……」
開きかけの扉を潜り抜けたウィードの目の前には、巨大な地底湖が広がっていた。
地底湖の知覚には雑多な木箱が積まれており、さながらラリス大河の港のようであった。灯台らしき建築物が周囲を明るく照らしている。
緑餓鬼といい、キメラゴーレムといい、この地底湖がラリス所有でない事は明らかだった。
「ルーシィ……!」
そして、見つけた。
壁のように積まれた物資の近く、さながら積荷の一つのように裸の女が二人寝かされている。ルーシィと、見知らぬ女だ。
隠れて運び出したいところだが、物資集積所の中では複数のキメラゴーレムが警備兵のように巡回している。隙を突いて、ルーシィを助ける。それしかない。
呼吸を整え、彼女が見える位置で観察した。ゴーレムの動き、その視野や感知力。焦らず急いで、ルーシィを救うのだ。
「は、え……」
その時、ルーシィではない方の女が目を覚ました。
そして、偶然にも物陰から彼女等を窺うウィードと目が合ってしまった。
「そこの人! 助けて! 緑の猿にエサをあげたら捕まっちゃったの! 早くして!」
女の大声に、周囲を警戒していたゴーレムが反応する。
慌てて隠れようとしたウィードを囲むように、跳躍したゴーレムが立ちはだかる。あっという間に窮地に立たされた。
「ざっけんなって! 勝てる訳! ねぇだろぉ!」
瞬時に動き出したゴーレムは、一斉にウィードを攻撃し始めた。
不幸中の幸いで、奴等の連携は拙かった。森の狼よりお粗末だ。しかし、そのうち詰むだろう。持ってる武器は山刀と刃こぼれしているナイフのみ。この状態でルーシィを運び出せる確率は……。
そう考えたところで、命の天秤はあまりにも呆気なく傾いた。
「おいルーシィ! 起きろ! 時間稼ぐから! 今すぐ起きて逃げろ! お前だけでも生きるんだよぉおお!」
持ちこたえてるうちに、彼女自身に起きて逃げてもらう。どういう訳か、二人共拘束されていないのだ。運が良ければ逃げられうかもしれない。
何かを察したか、女がルーシィを起こそうとし始めた。もっと遠慮なく叩いたりしろという文句を言う余裕は、今のウィードには無かった。
「危なっ……! 死んだらどうする! なんてなぁ……!」
しかれど、圧倒的な窮地だというのに心は絶好調だった。
死の攻撃を避ける度、ルーシィとの思い出が蘇る。
初めて迷宮に潜った日。野外での飯の作り方を教えた日。彼女と共に、偶然手に入れた最高級ワインを呑んだ日。
もっと前、今なら鮮明に思い出せる。
初めて娼館で会った時だ。彼女は顔を真っ赤にして、マジの恋にガチガチに緊張していたウィードに話しかけまくっていた。
自分も自分で、そんな彼女の話を止めなかった。強引に始めてもよかっただろうに、何なら普段ならさっさと盛っていただろうに、彼女の声をずっと聞いていたいと思っていた。
高級娼婦らしからぬ手際の悪さに、拙い話し方、あの赤面ぶり。今にして思えば、彼女も緊張していたのだろう。これまでにも銀細工の相手など飽きる程もてなしてきたであろう高級娼婦が、ウィード相手にああも緊張していた理由は分からないが。
お互いに、初心な少年と少女に戻っているかのようであった。
「ぐあ……!」
山刀が折れ、ガードし損ねた攻撃が直撃する。
ダメージはある。だが最小限に抑えた。身を捻り体勢を整えるも、二体目のゴーレムの攻撃がモロに入った。
少し浮かび、地に倒れる。ああ、これはマジでヤバいやつだなと冷静に思った。動けなくなった冒険者は、皆例外なく死んでいったものだ。
「うぁ……せん、ぱい……?」
ルーシィの声が聞こえた。
首を動かすと、目を覚ました彼女と目が合った。
薬か魔法か、ルーシィも動けない状況のようだ。あの時点でウィードは詰んでいたのだろう。あの女が目を覚ますのを計算に入れておくべきだった。次は上手くやる。そう思い、少し笑った。
「先輩、なんで助けに、何で……?」
死にかけているせいで、返事ができない。代わりに口から出てきたのは、ぬらぬらとした赤い血だった。
ゆっくりと、キメラゴーレムが歩いてくるのが分かる。二体で包囲して、逃がすまいとしているのだ。
「わた、私、逃げてって思って、だから魔法を……! ウィードさんのバカぁ……!」
意識が遠ざかる。
視界がぼんやりして、ルーシィが見えなくなってきた。
最後に見るのは、最愛の人の笑顔がよかった。あの、媚びたような、甘えるような、まるで屈託ないかのような……。
「だっせぇな、オレ……」
命がこぼれ落ちていく。
ウィードは死を受け入れた。
瞼が落ち、暗闇が広がる。
こつ、と。
硬い靴音が、聞こえた。
「ほう。まさか朕の幻影を破る者が現れたとはな。魔術、いや異能か。まぁよい、事ここに至っては些事よな」
声が、聞こえた。
次いで、腹に響くような音が猟犬の耳を貫いた。
錆びた管楽器のようで、巨大な獣の声のような。
ルーシィの声が聞こえない。
それだけが、無念だった。
しゃあっ、更新!
書籍版一巻が発売され、続刊企画も進行中です!
よろしくお願いします!
【挿絵表示】
というわけで店舗特典情報!
ゲーマーズ様は、書き下ろしSSとルクスリリアとエリーゼのアクリルスタンドになります。
→ゲーマーズ様はこちら
とらのあな様は、書き下ろしSSとタペストリーになります。
→とらのあな様はこちら
メロンブックス様は、書き下ろしSSとタペストリーになります。
→メロンブックス様はこちら
物理版をお求めの際は、ぜひぜひ特典付きをどうぞ!
・電子版
BOOK☆WALKER様はこちら
Amazon Kindleストア様はこちら
その他、各電子書籍販売サイト様でも配信されます。
KADOKAWAたのハク公式ページはこちら
ごあんしんください