【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
誤字報告もありがとうございます。感謝しきりです。
今回は三人称、ヘルガ視点です。
よろしくお願いします。
起床したヘルガが最初に感じたのは、例えようもない嫌な予感だった。
点呼をして、朝食を食べて、早朝の巡回に出ている時も、彼女の胸にはモヤモヤとしたざわめきが残り続けていた。
ただ、基地を出入りする斥候班の様子と、司令部に入っていく人達の険しい顔が気になっていた。
何かあったのかもしれない。そして、何かが起こるのかもしれない。
「失礼。ヘルガさん、天群雲の代表として至急司令部に来ていただけますか?」
ヘルガを呼び出した兵士の表情は、いつになく堅かった。
残念ながら、ヘルガにとって嫌な報せを覚悟する必要がありそうだった。
「あら、貴女も呼び出されたのね」
言われた通り司令部に入ると、そこにはエリーゼの姿があった。イシグロがいない今、彼女が草薙の剣の代表という事になっているのだ。何かと物々しい砦にあって、彼女の容姿は小さな聖女のようであった。
「分かっているのか? 今この砦には人類にとって極めて重要な知識が満載されているのだぞ! それを第一に守らずして何を守るという!」
「その事は重々承知しております。ですが話は皆さんが揃った後にと」
ドア越しの作戦室から怒鳴り声が聞こえてくる。天文台から派遣された調査チームの主任の声だ。
ノックをして入室すると、地図が広げられた机を囲むようにして総司令官のデアンヌや天文台の主任など、イシグロを除いたジッド砦の代表者達が集まっていた。中には冒険者斥候班を束ねるメイヴの姿もある。
「あぁエリーゼさん、ヘルガさん……これで揃いましたね」
此方を認め、デアンヌが言う。安堵したように垂れた目の下には、墨のように濃い隈があった。妖精の攻勢が強まって以降、彼女は眠る暇もなく働いているのだ。
「皆さんにお集り頂いたのは、今後の方針の決定および意思の統一の為でございます。お二人が揃ったところで、今一度確認の為にご説明をお願いします」
「はっ、承知いたしました」
斥候班の長が短く敬礼し、全員の注目を見て取ってから口を開く。
「結論を述べると、現在ジッド砦は特級妖精の群れに包囲されつつあり、翌朝に大規模な襲撃を受ける見込みです」
「えっ……」
ヘルガの予感が形を成し、背筋を撫でて身が震えた。
次いで、様々な疑問が浮かんでは消えていく。明日の朝に来るならもっと早く気付けたのではないか。今の今まで斥候班は何をしていたのか。何故イシグロがいない今なのか。
疑問に満たされて空転する頭とは裏腹に、ヘルガの口は無意識に問いを投げた。
「む、群れっていうと……?」
「ミノタウロスキングが三体。オークキングが四体。スーパートゥレントが一体、それらの下位個体が数え切れない程……この規模の群れが複数確認され、足並みを揃えるようにジッド砦へと接近しています」
「補足しとくと、そいつぁウチの会が遠目に確認した分だ。他んとこ見回ってたチームはもっとひでぇ群れ見たってよ」
夜間偵察に出たメイヴによると、全方位から都合五十体を超える特級妖精に加え、一級以下の妖精の群れも複数確認されているという。また、足跡からして実際の数はそれ以上になる見込みだ。つい昨日までは何の予兆もなく、イシグロが遠征に出てすぐに何処からともなく現れたらしい。
卓上の地図に置かれた駒を見て、ヘルガは言葉を失った。この駒は特級一体を表すものではなく、先のような特級群を表しているのだ。
「それらの妖精は、まるで軍隊のように統率されておりました。妖精らしくもなく、先の尖兵……“笛吹き”に率いられた魔物ように」
続く斥候班の報告に、デアンヌが眉を顰める。
笛吹きについては、イシグロ達から直接話を聞いている。曰く、尖兵戦においてフボール地方には魔物を束ねる統率個体がいたらしい。今回の妖精の襲撃は、それを想起させるというのだ
「どう考えても異常事態だろう! このような状況で冒険者一人を待っている余裕などない! 奴は王族ではないのだぞ! 何故そうも信じられる? 今すぐ資料をまとめ、全員で退避すべきだ!」
ある程度の説明が終わったところで、天文台の主任が再度声を荒げる。
確かに、彼の言う事には一理あった。ジッド砦はあくまで調査用の前進基地であり、防衛機能こそ備えているがミッド砦やカッサ砦ほどではない。
しかし、今撤退してしまうと遠征中のイシグロが帰る場所を失ってしまう。尚も言い募る主任に対し、腕組みモデル立ちのエリーゼは超然とした眼差しを向けていた。
「皆さんの意見を、伺ってもよろしいでしょうか」
「僭越ながら、私は主任の意見に同意いたします。今日のうちにでも退却し、ミッド中央砦で迎え撃つべきかと存じます。イシグロ様なら自力で戻って来られるでしょうし、合流してから此処を取り返す形でよいでしょう。その為のディング様式な訳ですし」
「斥候班としては反対です。いくらイシグロ殿と言えど、ジッドの森を往復して無事で済むとは思えません。ここは一丸となって砦を死守し、彼の帰るべき場所を残すべきかと」
デアンヌが促すと、その場の者達は口々に意見具申していった。
守護派と撤退派は丁度半々だった。その構図は、まるきり武官と文官の衝突である。
「ヘルガさんは、如何でしょうか」
「え? あーしすか……!?」
各々の意見が出終わったところで、情報処理にパンクしかけていたヘルガに注目が集まる。
ヘルガは今までの経験と作戦室に集まった情報を総合し、頭の中で言葉を纏めながら声を発した。
「じ、自分は防衛すべきだと思います。何故なら、イシグロさんが戻ってくるまでなら守り切れると思うから……です」
改めて、情報を纏める。
妖精の群れは翌朝に襲撃を仕掛けてくる。現在分かっているだけでも、その数は過去例を見ない程に膨大。単純な戦力を比べた場合、確実に摺り潰されるだろう。
けれども、妖精の性質や砦に控えている戦士の特性を勘案すると、そこまで絶望的な戦いではない気がするのだ。
「特級妖精は確かに強いっす……です。上位迷宮の主程度の強さって言われてます。ですが、それは普段から迷宮外で戦ってる人の感覚で、冒険者からすると迷宮にいる主はもっと恐ろしいです。その点、妖精は適切なメンバーで弱点を突けば比較的簡単に倒せますし、既存の妖精の弱点は把握済みです。取り巻きの一級は、エリーゼさんやデアンヌさんが居れば問題ないかと思う……っす」
慢心かもしれない。大言壮語かもしれない。だが、ヘルガは似たような窮地を切り抜けた前例を知っていた。
イシグロ・リキタカの有名な英雄譚。カッサ砦での一度目の戦い。砦を包囲する魔物の群れを、黎明の剣は一体一体弱点を突いて次々葬っていったという。それはイシグロ達の強さによるところも大きいが、彼の戦闘経験と迷宮外の魔物の性質こそが最も大きな要因と言える。
迷宮外の魔物と同じく、妖精も再生力を持たない。致命傷を与えれば素直に死んでくれるなら、それは楽な相手なのである。そして、これまでの研究によってフボール地方に出現する妖精の弱点は悉く明らかになっている。
「ここには“風舞”のニーナや“流星刃”のトリクシィもいます。草薙が成し遂げた伝説は、再現不可能な奇跡ではないと思います」
条件は揃っている。草薙の英雄譚を、再現できるのではないか。そう、ヘルガは言っているのだ。
そのように意見しただけなのに、ヘルガはじっとりと汗をかいていた。賢い人達の視線が怖い。
その中で、エリーゼだけは優しい目をしていた。
「全く同感ね。戦に肝要なのは拠点でなく戦士。剣で倒せるのをグーラが、魔法で倒せるのを私が殺ればよい話でしょう」
ダメ押しのように、カッサ砦の奇跡の当事者たるエリーゼが言う。
傲慢とも思える彼女の言葉には、草薙の剣として戦ってきた確かな自負が感じられた。
「……条件は達成されました」
熟考の沈黙が流れ、ややもせずデアンヌが呟く。
彼女は机の下から封筒を取り出し、皆に見えるよう机の上に置いた。
「未来視の方から手紙を預かっております。特定の条件が満たされた時、これに書いてある通りにしなさい……と」
封を解き、手紙を広げる。
そこに書かれた内容を見て、各々目を見開いた。
「妖精の攻勢は三夜続く。三日目の昼に、小さな淫魔に黎明を迎えに行かせ、彼が戻るまで耐えよ。此度の戦は砦の者が一人でも欠けた瞬間に終いである……」
やけに具体的な指示だった。まるで、予めこうなる事が分かっていたかのような。
最近、噂で聞いた事がある。未来視の竜は、一見して意味のなさそうな予言を残す事があるという。しかし、無意味に思えたその行動が巡り巡って良い未来を招くのだ、と。
少しずつ、各々の顔が納得と覚悟の色を帯びていく。未来視の言葉は信頼に足る。少なくとも、一度でもその力に触れた者であれば。ヘルガはいまいち納得し切れてはいないが、仲間が信じるなら信じる事にした。
「し、信じられるか! その竜族とて、災厄の予言を外しているのだぞ! 大体、その手紙自体本物か怪しいではないか!」
「手紙の真贋をお調べになりたいのであれば、どうぞお好きになさってください。ですが、現に妖精は攻めてきて、未来視の方は具体的な策を授けてくださいました。こと戦術規模において、彼の予言が外れた前例は存在しません」
「くっ、しかし……非合理的だ」
言い淀む主任。デアンヌは疲弊してなお鮮烈な光を湛える目で続けた。
「皆様の力が必要です。生き残る為、未来を勝ち取る為に協力してください」
「……分かった。だが撤退の準備は進めさせて頂く。援軍の要請もな。予言通りに事が成っても、その後に死んでは元も子もない」
この段になって、主任は不承不承といった風に了承した。
僅かに弛緩する空気。やがてデアンヌは作戦室にいる者を見渡して言った。
「これより、ジッド砦防衛戦を開始します」
力強い声に、承諾の声が響いた。
黎明のいない砦を、黎明が戻るまで死守する。
決死の防衛戦が始まろうとしていた。
〇
フボール地方南西に築かれたジッド砦は、妖精の生態研究の為の前進基地である。
当然として、防衛拠点としての機能は備えている。主に森から攻めてくる妖精対策であった。そしてそれは、デアンヌから着任してから日に日に規模を拡大していた。
最初は薄い石壁しかなかったところ、現在は三重の魔石製外壁に守られている。また、壁の内外には土塁や水堀が設えてあり、仮に敵の侵入を許しても容易に中心区画に辿り着けないよう設計されている。
しかし、これでも他の砦より脆かった。対空用の魔力防壁こそあれ、外壁事態に魔術的な仕掛けは存在しないのだ。いくら精鋭の戦士が揃っているとはいえ、この程度の守りでは主級魔物の突撃で突破されてしまうだろう。
「オーライ! オーライ! ストップ! よし運ぶぞ。すぐ出るから座っとけ」」
「お~い! こっちだこっち!」
「流すぞ。せ~のっ……!」
そこで、妖精襲撃の前に急遽大規模な改装工事が行われる運びとなった。以前から計画されていた改装案を前倒しにしたのである。
荷車を牽引し、魔術塗料を運び、作業員を輸送する。今現在、砦の内外では大小のケッテンクラートが絶え間なく行き来していた。逃げ腰だった主任と異なり、天文台の一般職員は士気が高かった。
「よっこいせっと……この位置でいいんだよな?」
「ああ。上手く起動してくれりゃいいが……」
「ヘカテ先生が作ったもんだ。効き目は分からんが動くのは確実だろ。ダメだったら死ぬだけだ」
改装に際して、妖精の素材を使った新型魔道具が実戦投入された。
同じく外壁にはルーン彫刻による防御術式が施された。シャーロットを中心に据えたルーン・チームが砦内をケッテンクラートで駆け回り、一つ一つ手順を確認しながら作業している。
「戦が始まれば悠長に食う時間など無いぞ。今のうちに食っておけ」
妖精が来る前日は、豪勢な飯が支給された。
作業効率化の為、ミスター・フライシュ自ら野戦用調理機器を牽引するケッテンクラートを駆って配っている。
腹が膨れれば士気が上がる。この時のジッド砦の雰囲気は前夜祭めいていた。
「未来視? の人は三日続くって言ってたんですよね、この襲撃。大丈夫なんでしょうか、こんな脆い壁の中で籠城なんて。援軍ったって、すぐ来てくれる訳はないでしょうし」
「警戒すべきはデカブツの突進のみです。妖精は強力な遠隔魔法を使ってこないので、壁の厚さはそこまで問題にはならないかと。まぁ楽観ではありますが」
「グーラ様達と、草薙に鍛えられた私達がいるのよ。何も問題ないわ」
「まぁ盟主様見捨てて逃げるってダセェしな。気張るしかねぇだろ」
夜、外壁の上から見下ろす草原は以前とは様変わりしていた。現地で組まれた新型魔道具に加え、進路妨害用の馬防柵が各所に設置されている。
明日の朝、本当に襲撃が来るのだ。その時、ヘルガは僅かに身震いした。
「ヘルガちゃん?」
「大丈夫だ。ちょっと考え事してただけ」
ヘルガは思う。何故、イシグロがいなくなった直後に都合よく統率された妖精が攻めてくるというのだろうか。
よりにもよってこのタイミングで撤退案が真っ先に出る規模の襲撃。明らかに、人の悪意や策謀の気配がある。背中がむずむずして、気色悪かった。
「考えたって仕方ねぇが……」
分かっている。いくら考えても、どうにもならない事くらいは。
けれども盟友を束ねる長として、どうしても考えずにはいられなかった。ヘルガには盟主として皆を率いる責任があるのだ。
そうして、戦いに備えて英気を養うべく、ヘルガ達は可能な限り深く眠った。
ヘルガが妖精の襲来に気付いたのは、警鐘が鳴り響く五分前の事であった。
近くで寝ていた仲間を起こし、天群雲全員で外壁の上に登る。すると遠く地平線から妖精の群れがお行儀よく行進してくる光景が見えた。
通常なら別種同士で殺し合うはずの妖精が本当に軍隊のように統率されている。あまりにも悍ましく、眩暈がする心地だった。
案の定、妖精の軍は報告より大規模だった。見えてる範囲だけでも事前予測の倍はいる。
「エリーゼさん、陣に魔力を」
「ええ、持っていきなさい」
その時、司令部の屋上にある魔術儀式場から莫大な魔力が溢れた。
魔法陣の縁に立ったエリーゼが魔力を流し、中心に杖を突きたてたデアンヌが祈るような姿勢で魔力を練り上げる。併せて夜明けの空が暗雲に覆われ、迸る雷が渦を巻く。
「範囲指定、【稲妻嵐】!」
瞬間、ジッド砦を中心とした地平線に、文字通りの雷雨が降り注いだ。
稲光が爆ぜ、遅れて轟音が連鎖する。それらは狙い違わず妖精軍に直撃し、一級以下の妖精を消し炭に変えた。雷が止んだ一帯は、黒煙が舞う焼け野原になっていた。
戦略級魔導士、“虹嵐”のデアンヌの十八番である。
「特級が残っています! 誘導班の皆さん! 合図を待ってください!」
だが、特級妖精は生き残っていた。領域内にいた妖精も同じく。妖精領域は範囲外のあらゆる攻撃を無効化するのだ。
残った妖精は先の軍隊めいた挙動から一変し、暴走する獣さながら突進してきた。
やがて妖精軍がジッド砦の範囲内に入ったと同時、デアンヌの仲間の天使族が【念話】による合図を出した。
「「「“試作型対妖精燎籠”、起動!」」」
轟! という地響き。各地に配置していた試作型魔道具が起動する。トゥレントによる妖精除けの篝火だ。
如何なる理由か、妖精は概してトゥレントの死骸が焼ける匂いを嫌うのだ。暴走していた妖精はトゥレントの薪を避け、あえて空けておいた通路を通っていく。
無論、罠である。
「真っすぐ行きます! はぁああああああッ!」
ジッド砦、東部。横殴りの雷電が一番乗りした妖精を轢殺した。
グーラによる先制攻撃である。先頭を走っていたバジリスクに接近し、真正面から領域に侵入し、その頭部を破壊し、絶命せしめた。妖精が死に、領域を抜け、次の妖精へ。当然、獲物と定められた妖精は領域侵犯と同時に粉砕された。次も、そのまた次も同様だ。
鉄塊の如き大剣が振るわれる度、特級の名を冠する妖精がそこらの木っ端妖精のように命を落とす。二級以下の妖精など、グーラが纏う炎と雷が触れただけで灰になっていた。
ジッド砦防衛戦において、東部は最も守りが薄い。けれども最強の矛が配されていた。即ち“炎雷”のグーラであり、草薙最強の剣士である。
「グーラ交代! その先物理耐性持ちッス! シャロ!」
「任せな! ルーン・ゲート展開! チェンジ・リング!」
しかして限界はある。魔法爆撃で妖精を誘導していたルクスリリアが情報を発信すると、東で暴れていたグーラは北で暴れていたエリーゼと位置を入れ替えた。ルーン・ゲートによる交代である。
妖精領域の守りは絶対だ。この戦場で銀竜の本領は発揮できない。だが、それはエリーゼが能無しになる事を意味するものではなかった。
「とんだ鈍間ね……!」
凛。月光を束ねたような翼が閃く。刹那にして領域に入ったエリーゼは、特級妖精の至近距離で都合三つの【魔導極砲】をぶっ放した。それで死ぬなら良し。死なないなら続く左の魔法剣で首を断つ。
二手必殺。雑な範囲攻撃しか出来なかった、かつてのエリーゼはもういない。今の彼女は、銀竜剣豪の孫娘に相応しい剣技を会得していた。ややスペック任せではあるものの、それもまた銀竜の力である。
「前衛の火力が足りませんね……ディエゴさん! こっち来てください!」
「ニーナさんの為なら何処へでも!」
「すみませんフェイレンさん! 誘導お願いします!」
北部・東部を草薙の剣が守っている中、西方は草薙に雇われた冒険者達が守護してた。
最前線にいる盾使いフェイレンが妖精を誘引し、エレキギターのバフを受けたアタッカーがトドメを刺していく。その動きはラリス騎士団に似て、尚且つ迷宮潜りとしての経験が如何なく発揮されていた。実際、真面目な彼等は連携訓練を欠かしていないのだ。
「また外した……! シャルロッテさんがいてくれれば……!」
他方、魔法陣の上ではデアンヌ等魔導士隊が空から侵入を試みてくる一級妖精を撃ち落とし、都度砦全体に結界を張っていた。
対空防壁とて無敵ではない。守らねば突破され、内部をズタズタにされてしまうのだ。
「決まった! 突っ込んで風陰陽術! 先鋒はハオラン! 行け!」
「領域に入らないといけないっていうの、本当に厄介ね」
「近接習っててよかった~って思うなマジで!」
そんな中、天群雲は南方守護を全うしていた。
他の方面と比べて南は特級こそ少ないが、とにかく妖精自体の数が多かった。司令部にいる天使の【念話】を聞きながら、ヘルガは的確な指示を出して妖精を葬っていく。天群雲は特化型冒険者の集団であり、その運用には優秀な指揮官が必須なのだ。
「ちょっ、デカ過ぎんだろ……!」
グォオオオオオオ! その時、地面の下から巨大な影が出現した。巨大な口と鋭い牙。イシグロ命名“ワーム”の特級個体である。
地中から飛び出た特大ワームは、妖精除けの誘導に従い外壁に向かって突進してきた。このままでは壁を掘削されて穴を空けられてしまうだろう。
「おっさん! 抹茶使え! アレを止めろ!」
「了解! うぉおおおおおおおお!」
判断は迅速だった。温存していた抹茶ガンギマリ筋肉おじさんに指示すると、抹茶を飲んだ彼の筋肉が膨張し、何なら骨格も肥大化し、身長も伸びに伸びてヘルガが見上げる程の巨躯へと変身した。
「どっせぇええええい!」
そして、巨大化おじさんは巨大ワームの突進を真正面から受け止めてみせた。上顎と下顎を掴み、地面を陥没させつつ抑え込む。人と魔龍が相撲を取っているかのようだ。
同じ事を誰が出来よう。これは男の異能によるものだ。抹茶ガンギマリ筋肉おじさんは天群雲における最強の盾である。
「凍結だ! 今のうちに隙間を狙って突け!」
「往生せいやああああ!」
次なる指示が飛ぶ。凶相の犬人が懐から匕首を取り出し、それを跳躍着地したワームに突き刺した。するとどうだ。匕首を刺されただけでワームの身体に霜が降り、その巨躯が凍っていくではないか。犬人の異能――刺突攻撃による状態異常耐性低下によるものだ。
「さっさと行きなこのマゾオス野郎! しくじったら承知しないわよ!」
「畏まりましたご主人様ぁあああああ♡ オラァ!」
そこに、さっきまで豚鬼美女の鞭で叩かれていた美麗虎人が突っ込んだ。斧を振りかぶり、全身全霊の力が籠められた一撃を氷像ワームにぶちかます。
瞬間、氷漬けになっていた妖精は頭から末端にかけて粉々になった。豚鬼美女の嗜虐バフ異能と、美麗虎人の被虐バフ異能のシナジーアタックだ。
なお、今のグーラはこの規模のダメージを通常攻撃として叩き出せる模様。
「クラウディア班下がれ! カゲロウ班準備! 抹茶は待機だ! あのオークはあーしが殺る! ついてこいノエミ!」
初の防衛戦を。天群雲は上手く立ち回れていた。迷宮内の魔物と違い、妖精は首を切れば殺せるのだ。それに合った戦術を組めば日頃の連携訓練が結果を出す。
ただ、こと防衛における妖精領域は想定よりも厄介だった。いくら事前に【念話】の通達があっても、いくらヘルガの指示が的確でも、天群雲は二十一人しかいないのだ。故に対処しきれない場合もある。
『西部の外壁が突破されました。一旦退避し、体勢を整えてください』
司令部の指示に従い、ヘルガ達は外壁の中に戻った。門が閉じると同時、一級妖精が壁をよじ登ろうとしてくる。
「いくぜオイ! ルーン・バリア機動!」
その時、ルーンによる大規模結界が発動した。壁を上っていた妖精は弾き飛ばされ、門に突進してきた妖精もダメージを受けていた。昨日から用意していたシャーロット謹製のルーン・バリアである。
暫し、壁の中に静寂が落ちた。西部も既に侵入してきた妖精を処理し終えている。一時の平穏が訪れた。
戦の中での休息だ。
「飯と水だ! 食欲なくても食え! 敵はまだまだ来るぞ!」
すかさず糧食が配られて、ヘルガ達は半ば飲み込むようにしてソレを食った。渡された水を飲み干した時、身体の奥に溜まっていた疲れを自覚した。
まだ大丈夫だ。まだまだ動ける。戦いの直後で高ぶる心身を強いて制御し、ヘルガは盟主としての任を全うした。天群雲、全員負傷なし。
「そろそろ限界だ! 解除するぞ! いち、にー、さん……!」
ややもあり、ルーンバリアが解除されて壁の中に妖精が入ってきた。
先と同じだ。誘導し、塞ぎ止め、押し返す。特級も通路を通ろうとする木っ端妖精が邪魔で、動けなくなっていた。なんとか壁の外に出ると、毒の水堀の中で三級妖精が倒れているのが見えた。
まさに、一進一退だった。次々と上がってくる天使の報告によると、他の方面も似たような戦況らしかった。
「ルル!? ちくしょう今助ける!」
「大丈夫! ルルそこまで軟じゃないよ! けど援護はほしいなって!」
けれども、綻びは出てきた。
特級妖精が隣接すると、どちらの領域に入るか分からなくなるのだ。向こうも向こうで自分にとって都合のいい相手を領域に引きずり込もうとしていた。そうなると控えの援軍を出さざるを得ず、その分だけ守りが薄くなってしまう。
「すまねぇミスった! すぐ行く! それまで気合で踏ん張れ! オラァ!」
気付けば、これまで芸術的に回っていたヘルガの戦場は制御不能な乱戦の様相を呈していた。
イシグロの方針で、天群雲は妖精の弱点や得手不得手を頭に叩き込まれている。例え荒れ狂う戦火の中であっても、その動きに支障はなかった。
「まさか、家督を譲った後にこの槍を握る時が来ようとはな! ふん!」
後方で控えていたはずのミスター・フライシュが、門番のようにして迫る妖精を処理している。
妖精を倒せばまた妖精。壁の周辺は妖精の死骸で足の踏み場がなくなり、邪魔なそれらは雑に水堀に蹴り飛ばされていた。
もはや適切な指示が出せる状態ではなくなっていた。砦の奥に行こうとする妖精を攻撃し、あえて領域に入って足止めを行う。訓練の成果を発揮できたのは最初だけで、今はもう各々の地力だけで戦っていた。
「お、おい、妖精共が逃げていくぞ……?」
気付くと空は夕焼けに染まり、妖精達が撤退していった。
獣の逃亡というより、不気味な程に統制された退却。それは進軍時の妖精と同じ印象を受ける光景であった。
「な、なんで逃げてったんだ? 夜になるからか?」
「知らねぇよ。夜目が利かねぇとかじゃねぇの? はぁ~、疲れた~」
「お風呂入りたいですわ~」
妖精の屍の上、ヘルガは倒れそうになる身体を気合で立たせ、点呼した。誰も欠けていない。天群雲は妖精軍に勝利したのだ。
砦の中心に戻ると、欠員のない西部組と再会し、互いの健闘を称え合った。それからエリーゼに回復してもらった。心身の傷は治ったが、精神的な疲労は残ったままだ。
夜が来て、九鼠会とラドゥ騎士団は逃げる妖精を追って砦を出て行った。
そうして、久々の静寂が戻った事に安堵した。
「何とか乗り越えましたね……」
「まだあと二日続くんだよな。尖兵戦ではアリエル様達はこんな戦いを繰り返していたのか……」
当然として、朝から晩まで戦った天群雲は疲弊しきっていた。
それでも瘴気の混じった汚れを落とし、飯を食い、武器を傍らに置いて無理やり眠った。そうしないと生き残れない事を、その日に思い知った。
やけに、心臓が五月蠅かった。
「敵襲! 敵襲だ! 起きろ! モスマンの大群だ! 一級がうじゃうじゃしてるぞ!」
目覚めは最悪だった。
真夜中、打ち上げられた照明魔法がジッド砦を照らす。砦を補修していた作業員に変わり、戦闘員が壁の外に出る。濃さを増す影の奥から、数えきれない程の眼光が此方を狙っていた。
「夜の戦は我等に任せよ! 汚らわしい妖精共、この場で狩り尽くしてくれるわ!」
夜の戦いはラドゥ侯爵の独壇場だった。
狼男と化した騎士が剣を振るい、血の魔女が妖精を屠る。ヘルガ達は彼等の邪魔にならぬよう、昼間とは打って変わって戦闘の補佐に徹していた。
幸い、日中ほどの激戦にはならなかった。だが夜の魔物は眠りを妨げるように断続的に出現し、戦闘音が止む事はなかった。
「交代だ、お前らは寝とけ。眠れねぇなら目だけでも瞑ってな。休んどかねぇと後が持たねぇぞ」
「分かってるっす、けど……」
疲労困憊の天群雲と異なり、ナターリアを筆頭に尖兵戦の生き残り組は壮健そのものだった。
生きる為に眠らねばならない。分かっていても頭が冴える。闇の中から妖精が出てくるのではないか。ラドゥ侯爵は無事だろうか。本当に眠っていいのだろうか。そんな事を考えているうち、次の夜襲がやってくる。
一刻と少し。それがヘルガ達に許された睡眠時間だった。
二日目の朝は、昨日よりも最悪だった。
夜間偵察班が持ち帰った情報によると、妖精の群れは昨日よりも数を増しているとの事だ。つまり、確実に昨日より過酷な戦になる。
二日目も元気いっぱいなエリーゼやニーナ達とは異なり、天群雲は万全の状態とは言えなかった。現状で昨日と同じ働きはできそうにない。
つい昨日までは確かにあった自信が、今では何処かへ消えていた。
「だから逃げるべきだと言ったんだ! 私が死んだら、誰がこの研究を引き継ぐ!? 私は天文台なんだぞ! わかっているのか!」
「勝利には皆さんの協力が必要なんです。未来視の方がそのように」
「だったら! もっと早く予言してくれれば良かったではないか! 何故包囲されると分かっていて直前に対策を行う? 誰かが私を殺そうとしているようにしか思えない!」
作戦室で天文台の主任が怒鳴っている。ヘルガ以上に眠れていない今のデアンヌに、彼に耳を貸す様子はなかった。
報告を終えたヘルガが作戦室を出ると、入れ替わるように見知らぬ兵士が駆けてきた。
「カッサ中央砦から通信! カッサ荒野で魔物のスタンピードが発生! 救援願うとの事です!」
また、凶報だった。
どうやら、ジッド砦以外の拠点も敵の襲撃を受けているらしい。妖精ではなく、魔物から。この世界の脅威は妖精だけではないのだ。動植物の魔物化もまた、重大な懸案事項だった。
そして、気付く。既にヘルガ達には逃げ場など無くなっている事に。
「お願いします。どうかご協力を」
「迷宮潜りめ! 王都に帰ったら覚えておく事だな!」
青い顔で吐き捨て、主任は司令部を出て行った。彼の背中には誰の目にも明らかな怯えがあった。
壁外では、敵襲の隙間を突いて天文台の一般職員が補修作業を行っていた。壊れた魔道具を交換し、消耗した燃料を補充していく。素材なら山ほどあって、新しい魔道具にはソレが使われていた。
その光景を、うとうとしながら見るでもなく眺めていたヘルガは、ふいに気付く。
「おい、外の死骸はどうした? 水堀に落とした妖精の死骸も……」
「中で倒したのは回収したはずですが……」
「持ち帰られたか……!」
悪寒が走る。夜の魔物の目的は、襲撃ではなく死骸の回収だったのだ。
ヘルガの予想が的中したように、地平線から現れた妖精は事前の報告より特級の数が多かった。
すると、どうなったか。範囲の広がった妖精領域によって遠隔攻撃の効力が半減してしまった。デアンヌ渾身の大魔法は、その殆どが特級妖精に防がれた。
「今日を乗り越えれば盟主様が戻ってくる! お前等、気合入れろ!」
ヘルガ達は戦った。昨日と同じだ。昨日と違うのは、午前から早々に第一外壁を突破され、一級以下の妖精を何体も取り逃がしてしまったところだ。
散々思い知った事だが、とにかく妖精領域が厄介だった。確かに、妖精は魔物より脆い。けれども魔術師の手札の殆どが封じられるのはあまりにも致命的だった。ルルの氷魔術も、天狗三姉妹の陰陽術も領域内でなければ効果がないのだ。
強者を封じ、弱者を殺す。妖精の生態は、まさにそれであった。
「第二波! 戻って立て直すぞ!」
ヘルガのしゃがれ声が戦いの騒音にかき消される。
悪い意味で無駄口が減っている。そんな余裕がないのだ。戦場は混沌として、昨日上手くいった連携が出来なくなっていた。
「ダメです! ジョンさん抹茶の飲み過ぎで……」
「二式編成だ! クラウディア指揮任せた! カゲロウはおっさん見てやってくれ! 抹茶ガードが頼みなんだ! ルル、魔力残量!」
「そ、そろそろキツくなってきたかも……!」
砦の戦況は全体的に劣勢だった。天群雲が足を引っ張っている。
朝が終わる。第二外壁の中に撤退し、戦い通しだった盟友達が倒れこむ。救護班のサポートが無ければこのまま妖精の餌になっていたかもしれない。頭が痛い。目がチカチカする。さっきから近くにいる奴の声が聞こえづらくなっていた。
門が開けば、また戦わなければならない。このまま永遠に放っておいてほしかった。
「リリの字に言われてな! こっち応援に来たぜ! さぁどいつと戦えばいい?」
「シャロさん! でもルーンバリアの維持は!?」
「天文台の奴に任せてきた! アタイがいなくても何とかならぁな!」
「同じく。よくぞ耐えきったな、若き英雄達よ」
太陽が傾きかけた頃、苦戦する天群雲にシャーロットとラドゥ侯爵が援軍に来てくれた。
シャーロットがルーン魔術で妖精を翻弄し、ラドゥ侯爵の拳が特級妖精を仕留めていく。二人のお陰で戦線が保たれていた。
他方、司令部の天使が伝える戦況は芳しくなかった。グーラが物理無効の妖精に捕まり、それをルクスリリアが助けた結果綻びが生まれた。エリーゼがカバーするも、草薙の剣も撤退に追いやられたという。シャーロットのサポートがなくなったせいだ。
こういう時こそクニュフの影能力やヘカテーニャの眷属が活躍するのに、彼女等は今遠征に出ていた。仲間への理不尽な怒りに、ヘルガは自己嫌悪でおかしくなりそうだった。
「やっと、逃げてくれたか……」
「流石に限界……」
「おい寝るな。せめて飯食って、武器の手入れを……」
夕闇が来て、妖精が逃げていく。
ヘルガは妖精の餌にさせぬよう特級の死骸だけでも持ち帰り、他は念入りに破壊した。
逃げていく妖精を見て、ヘルガは得体の知れない違和感を覚えていた。非合理的だ。不気味である。一気呵成に攻めていれば、さっさと殺せたはずなのに。獣の群れでも、まして軍隊でもない。今の妖精は操り人形のようで、死霊系迷宮を徘徊している
その夜にも襲撃があった。
不眠ポーションを呑もうと思ったが、ナターリアに止められた。戦った後、眠い時に眠るべきらしい。
襲撃してきた妖精を倒し、その死骸に座って眠った。他のメンバーも似たような状態だった。
昨夜より長く眠れた。
今朝は警鐘と共に目覚め、近くに妖精がいない事に気付き、気が抜けて倒れそうになった。
ついに最終日だ。予言の通りなら、イシグロが助けにきてくれるはず。そうでなければ今日がヘルガの命日になるだろう。
解禁されたヘカテ謹製の不眠ポーションを飲むと、幾分気持ちが楽になった。鬱屈としていた気分が晴れ、久しぶりに活力が沸いてくる。
「ははっ、マジか……」
だが、そんな意思力は外の光景を見て砕け散った。
妖精と魔物が、同時に攻めてきたのだ。
命のない木偶人形のように、生前と、ゆっくりと。
悪夢そのものだった。
デアンヌの範囲攻撃は、特級妖精が魔物を庇って凌がれてしまった。魔物の数は殆ど削れなかった。
人生における最悪の瞬間を更新した。どうしてそうなる。何故、ここまで理不尽な事が起こる。ヘルガは言葉にならない苛立ちを制御し、いち早く仲間のケアを行った。
勝てる。生き残れる。嘘を吐いてでも士気を回復させる必要があった。
「だ、第一誘導柵! 突破されました!」
「止められません! 迎撃を!」
魔物には誘導罠の効果がない。構わず攻め込んでくる魔物に手いっぱいになり、その間に特級妖精が誘導されたルートを通って防壁を突破してきた。
開戦早々、乱戦になった。持ちこたえているのは北部・東部を守る草薙の剣だけで、気付けば第二外壁まで後退させられていた。
「昼にイシグロさんを呼びます! 今日を耐えれば! 必ず!」
これまで空の脅威を防いでいたデアンヌが前線に出てきた。空からの襲撃が減り、前に出られるようになったらしい。
戦っているうちに移動していたのか、ヘルガ達は西部を守るニーナ達とも合流し、言葉もなく連携して戦っていた。
魔物の突進をフェイレンが防ぎ、ノエミの抜刀術で斬り裂く。カゲロウが打ち上げた妖精を空を掛けるユアが刺し貫く。イシグロの血を飲んだクリシャナが暴れ、次々と特級妖精を屠っていった。
疲労と熱狂の最中、ヘルガの意識は少しずつ自分の身体と乖離していった。
この状況はヤバい。早くどうにかせねばと思う。方法が分からない。手札が少なすぎる。一つ一つ解決するしかない。仲間の状況を確認し、動ける奴を動かして凌ぐ。ルルは限界が近い。リンジュ組も崩れてきた。イシグロはまだか。昼に助けを呼ぶんじゃないのか。そろそろいいんじゃないのか。
そう、思った時だった。
『なっ……!? 北部から誰か出てきました。あれは……主任!?』
最悪の報告だ。北門から、天文台の主任がケッテンクラートに乗って逃亡したらしい。案の定、奴は三級妖精に追いかけられていた。
嘘か本当か分からない未来視の予言が頭に過る。この戦いは、全員生き残らないと勝利しないらしい。つまり、主任が死ねば負けてしまう。この奮戦が、無意味になるのだ。
もし、未来視の予言が正しいならば、この戦いはもう……。
「私が行くわ! 一人でも死ぬと敗北なのでしょう……!」
エリーゼだ。月光の翼を広げた銀竜が飛翔し、あっという間に主任の近くまで辿り着く。
ケッテンクラートに群がっていた妖精を排除し、魔物を一刀両断する。しかし、主任を狙っていた特級妖精の領域に呑まれてしまった。
司令部の天使が悲鳴のような報告を上げる。このままでは本当に負けてしまう。乱戦の中、ヘルガは仲間の状態を確認した。
「行けクラウディアぁ!」
「了! 解! ですわッ……!」
蜜竜が飛び、蝶のような翼を広げて北へ。領域内で主任を守るエリーゼと攻守交替。攻勢に回った銀竜が特級妖精の攻撃を受けつつ反撃の【斬滅の魔導剣】を起動。粉砕した。
「お家で大人しくしてなさい! ネクター・スライダー!」
「やめろぉおお私の研究資料がぁああ……!」
クラウディアによって、主任が砦内へ投げ飛ばされる。そんな彼は司令部屋上の魔導士によって雑に受け止められ、物理的に尻を蹴られて屋内に追いやられていた。
間に合った。生き残った。クラウディアがいなくなって空いた穴を、ヘルガは気合で埋めた。ディオニの手車が異常回転し、丸鋸のようにして妖精の首を両断した。
だが、先のヘルガの判断は失敗だったのかもしれなかった。
「エリーゼ様! 早く戻ってくださいまし! ここはわたくし……」
クラウディアの声が掻き消える。司令部の天使が報告する。声だけではない。身体もまた消えていた。
否、消えたのではない。連れていかれたのだ。エリーゼが反応するより先に、ソレはジッド砦上空を旋回し、銀竜目掛け急接近していた。
「ガルーダ……!」
その場から、エリーゼが消失する。
鷹が獲物を捕らえるように、あまりにも桁違いの早さで妖精領域へと取り込まれたのだ。
翼有る金色の妖精が、二人の竜を連れ去った。
「キィーッ! キィーッ! キィーッ!」
猛禽の鳴き声。ガルーダの勝鬨だ。
巨大な翼が太陽に影を作る。
太陽が、真上に上っていた。
「ルクスリリアさん! イシグロ様を呼んできてください!」
「ッス! 超淫魔化、【エンゲージリンク】!」
ついに、その時が来た。ルクスリリアが転移で消える。イシグロのところへ。不幸中の幸いか、ガルーダはこちらにいるから森の上を飛べる。すぐに戻ってこれるはずだ。
それまで持たせればイシグロが何とかしてくれる。他力本願で情けない限りだが、未だ英雄ならぬヘルガは盟主頼みの思考が抜けなかった。
否、彼女だけではない。カリッセも、ユアも、メイヴも、グーラさえ、イシグロの帰還という希望に縋っていた。そうでなくば精神の疲労を無視できなかった。
「ちぃ! さっきから鬱陶しい!」
しかし、エリーゼがいないのは致命的だ。見れば、超高速で飛行するガルーダは上手く飛べないようでこの場から逃れる事なく砦の周辺をぐるぐる回っていた。妖精領域の内部でエリーゼとクラウディアが暴れているのかもしれない。最強種たる竜族があの程度で何とかなるはずがないのだ。
「これは……」
その時、乱戦中のヘルガ達に治癒の雨が降り注いだ。エリーゼの祝福が付与された、クラウディアの蜜である。
活力が戻る。まさに天の恵みだった。上空を旋回するガルーダは、測らずしてジッド砦全体に祝福の雫を降らせていた。
「今イシグロさんから通信がありました! 必ず帰還します! 頑張ってください!」
「盟主様が戻ってくるぞ! それまでの辛抱だ! 信じろ!」
お陰で元気が出た。元気になったフリをできる。返事はないが、皆も同様だった。
あと少し耐えればイシグロが戻ってくる。クニュフの影があれば態勢を立て直せる。ヘカテーニャの眷属がいればザコを取り逃がす心配がなくなる。イリハの陰陽術が、レノの狙撃が、ユゥリンの功夫があれば何とかなる。
それまで耐えるのだ。その一念で、ヘルガ達は限界を超えて戦った。
「ごめんねヘルガちゃん! もうダメみたいだから! アレ使っちゃうね!」
ルルの魔力が臨界を超える。迫る魔物の群れに氷魔術の嵐を解き放った。彼女の前方にいくつもの氷像が生まれた。
限界なのはルルだけではなかった。抹茶おじさんは抹茶の飲み過ぎで狂戦士のようになっていた。天狗三姉妹の一人がケガをして陰陽術が不完全になった。フェイレンの盾が跳ね飛ばされ、前に出たニーナの腹に大穴が空いた。メフィスティアが領域に捕らわれ、アビーの召喚獣が破壊され、イングリットが魔物の突進を食らって吹き飛ばされた。
あちこちで綻びが出て、誰かが誰かを我武者羅にカバーしている。指示らしい指示もなく個々で判断を下し、言葉にならない声が心を支え合う。
『さ、最終外壁、突破されました!』
天使の声。ついに宿舎のあるところまで侵入された。
すると、中にいた非戦闘員が迎撃を始めた。ルーン・チームが足止めし、天文台の研究者がクロスボウの掃射で三級妖精を薙ぎ払う。黄金のケッテンクラートに乗ったケインが小さな魔物を轢き殺していた。
近くにいた戦士が救援に向かう。研究者を庇い、ヘルガの身体に傷が付く。痛みを無視して戦う。戦闘意思が傷の再生を遅らせ、全魔力を攻撃に費やしていた。誰のか分からない血をノエミが舐め取り、途切れ途切れの純血魔術で魔物の身体を切り裂いていく。
遠くで漆黒の炎柱が聳え立つ。グーラが暴れている音が聞こえてきた。砦の中でデアンヌの大魔法が炸裂し、ルルの周囲は氷の世界になっていた。
それでも、それでも妖精と魔物は止まらない。奴等の狙いは天文台の研究棟のようだった。アレを壊したいらしい。アレがあると困るらしい。考えるより先に、そう悟ってソレを守った。
「針鋼猛犬だ! 突っ込んでくるぞ!」
主級の魔物が現れる。研究棟を壊すべく駆けてきた。あの程度の建築物、突進一つで破壊されるだろう。
抹茶切れのおじさんが前に出るが跳ね飛ばされる。盾のないフェイレンが自ら盾になって致命傷を負った。ヨーヨーを投げようとしたヘルガは妖精領域に捕らわれ、手出しできなくなった。
「最終手段だ……!」
シャーロットの声。突進する魔物の前に立ちはだかった彼女が地面に手を当てると、砦全体に複雑なルーン・コードが展開された。
この時の為に用意してきた時間停止のルーンである。迫る危機を前に、シャーロットは強引に魔力を注いで術式を起動した。
虹色の光が砦を覆い、砦にいる全生命体の動きが停止する。
が……!
「なに……!?」
すぐに、動き出した。
ガラス窓を叩き割るような破砕音。巨体が迫る。反射だろうか。シャーロットは魔力障壁を展開し、シールドバッシュの要領で正面からぶつかっていった。
「ぐえぁ……!?」
結果、魔力障壁に正面衝突した魔物は一時停止した。
しかし、シャーロットは大ダメージを負って跳ね飛ばされ、研究棟の扉を破壊して奥の壁に激突した。
針鋼猛犬は、再度身をかがめて突進の構えを取った。
「シャロさん!」
あのままではシャーロットが死んでしまう。敵の注意を引こうと声を上げたが、意味はなかった。
他はどうだ。ノエミは妖精に纏わりつかれている。動けなくなったフェイレンをトゥイが庇い、攻撃を受けていた。デアンヌの魔法が放たれるも、針鋼猛犬はこれを悠々と回避。一手稼いだデアンヌも別の魔物の攻撃を受けた。ヘルガは特級妖精に会心の一撃を入れ、領域を抜ける。助けに行こうと踏み出した足に三級妖精が噛みついてきた。
扉の向こう、シャーロットが立ち上がる。額から血が流れ、復讐鬼のような表情を浮かべていた。短剣にルーンの光が灯る。針鋼猛犬が駆ける。建物を壊し、シャーロットを殺すつもりだ。
空が赤い、黄昏だ。
妖精も、魔物も、帰る事はなかった。
終わりの時が来たのである。
ふと、シャーロットが遠く空を見上げた。
彼女の赤い瞳に、何かが映った。
煌く何かが。
「【
その時、とてつもなく大きな気配が爆ぜた。
南西だ。森の方だ。金色に輝く神獣の上、赤黒い炎を燃やす男が。ジッド砦上空、閃光が瞬く。
そして、流星が落ちた。
「……【煉獄星堕とし】!」
ドッゴォオオオオオオオオオオッ!
次の瞬間、針鋼猛犬のいた位置に、隕石が落下したような衝撃が爆ぜた。次いで青白い粒子が立ち上る。衝撃の深さに比して、周辺の被害は落下位置に放射状の亀裂が走る程度だった。
刻み込まれた裂け目から、赤黒い炎が噴き出ていた。
「助けに来たぜ、シャロ……」
シャーロットが何かしら言葉を返す。男が返事をする。
それから、ゆっくりと赤毛の森人を庇うようにして、妖精達のいる方に振り返った。
瞬間である。
殺気で時が止まった。そう錯覚するような事象が起きた。妖精が、魔物が、その男の視線に怯え、竦み、身体の硬直を余儀なくされた。
男の身体からは、赤黒い炎と黎明色の雷が迸っていた。可視化された感情の発露。即ち、憤怒だ。
怒りに燃える双眸は、
「さて……」
剣を抜く。妖精が退く。
一歩踏み出す。魔物が退く。
立ち止まり、男は空を見上げた。空飛ぶガルーダの方を見て、安堵したように口の端を緩めた。
「やっと来たか……」
斬! 上空、遥か遠くでとてつもない力が衝突し、一瞬にして決着がついた。
やがて、上空を旋回していたガルーダが二分割され、半分になった死骸がジッド砦に落ちてきた。変わりゆく空の中心で、三人の竜族が舞い降りる。エリーゼと、クラウディアと、もう一人。
長い銀髪に、夏空を思わせる蒼の瞳。羽織袴に腰の大小。硬質な、鋭利な、銀竜剣豪を思わせる翼。
「斬ってよかったのよね? この鳥……」
銀竜剣豪の孫、エリーゼの妹、リンジュ共和国カムイバラ在住、銀細工持ち冒険者――レギーナである。
ガルーダ狩りの救援が、遅れてやってきたのだ。
「いや問題ない」
男の身体から炎がかき消え、魂の雷が収まっていく。憤怒を宿す真紅の瞳は、瞬きの後には元の漆黒に戻っていた。
そして、黎明の英雄は周囲を見渡してから、大きく息を吸ってみせた。
「みんな! よく耐えてくれた! 君達のお陰で遠征は成功した! 世界の果てで大妖精らしき存在を発見! もう討伐した! 俺を信じてくれたお陰だ! だから安心してくれ! 諦めるな! 生き残れ! 死ぬんじゃない!」
砦中に聞こえるように。誰もが希望を取り戻すように。あえてらしくもない威勢を張る。それこそが英雄の道を志した者の勤めとして。
掲げられた黎明の剣が、黄昏にあって尚も輝く。
「絶対助ける……!」
イシグロ・リキタカ、現着。
しゃあっ、更新!
書籍版一巻が発売され、続刊企画も進行中です!
よろしくお願いします!
【挿絵表示】
というわけで店舗特典情報!
ゲーマーズ様は、書き下ろしSSとルクスリリアとエリーゼのアクリルスタンドになります。
→ゲーマーズ様はこちら
とらのあな様は、書き下ろしSSとタペストリーになります。
→とらのあな様はこちら
メロンブックス様は、書き下ろしSSとタペストリーになります。
→メロンブックス様はこちら
物理版をお求めの際は、ぜひぜひ特典付きをどうぞ!
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その他、各電子書籍販売サイト様でも配信されます。
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ちなみに、未来視の竜族はシャルロッテではありません。シャルロッテの権能は千里眼です。デアンヌの遠距離爆撃の起点でした。
未来視の竜族は竜族社会から身を退いている隠棲はぐれ竜です。ラリスだけがコンタクトを取れる状況ですね。災厄襲来の予知がバグッた時は真っ先にラリスに報告しています。
地味に「姉の一番長い日」で言及されてたりします。