【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
誤字報告もありがとうございます。本当にいつも助かっています。
新たなる同胞。
突然現れた男は、他ならぬ俺に対してそう言った。
男は夢魔だった。角も尻尾も夢魔族の特徴と一致しており、髪や目の配色も先の夢魔と同じだ。
種族特性から若々しい外見である一方、目の前のそいつは今にも倒れそうな枯れ木のような雰囲気を纏っていた。
「俺が夢魔?」
「全くの無自覚ではなかろう?」
男は頷き、語り聞かせるように言葉を継ぐ。
「純淫魔契約を結んでから感情的になりやすくなったり、味覚や思考様式が幼くなったり、とりわけ雄としての衝動が激しくなっているのではないかな? それは魔族ではなく夢魔としての性質が強くでているという、何よりの証左よ」
言われ、俺は反射的に眉に唾をつけた。占いでよくある手口で俺を謀るつもりではないかと。
だが、実際に思い当たる節はあった。契約前の俺は甘いモノが苦手だったのに、少しずつ食べられるようになっていた。それに前までの俺はもう少し達観していたというか、世間様に対して斜に構えていたように思う。
けれどもそれは、純淫魔契約の影響で魔族特性を得た副作用のようなものと認識していた。女王陛下もそう仰っていたし、夢魔に近づくとは一言も……。
「純淫魔契約術式……初めてその理論を知った時、朕は驚愕を禁じ得なかった。まるで他種族を夢魔に変える為の儀式ではないか、とな」
「そんな事はあり得ないわ! 誇り高きラース公爵が新たな夢魔を作り出そうなどと!」
「事実そのつもりはなかったのだろう。しかし恋はヒトを盲目にし、堕落への道は愛によって形作られるものだ」
淫魔女王の反論に対し、老夢魔は柳に風といった態度を崩さない。
朧げな幻影だというのに、この中で最も存在感を放っていた。
「ふむ、ここは聊か騒がしいな。二人で話そうか」
幻影の夢魔が指を鳴らす。次の瞬間、アスモデウス号を中心に凄まじい魔力波が放射され、俺は突風から身を守るように姿勢を低くした。ダメージはない。攻撃ではなかった。
「のぉおおおおごしゅじぃいいいいん!?」
「なっ!? ルクスリリア! お前……!」
「退いてもらっただけだ。傷つけてなどおらん」
だが、それによって俺と老夢魔以外はアスモデウスから弾き飛ばされてしまった。
淫魔王国を覆っていた結界が解除され、今度はアスモデウスが漆黒の結界に覆われている。見れば、収容夢魔を運んでいた艦載サメは高度を下げていった。ノアの方舟計画は一時停止したらしい。
「ついてきたまえ。朕の本体が在る玉座に」
そう言って、幻影夢魔は踵を返して歩き出した。
ルクスリリア達は心配だが、今は黙ってついていくしかないだろう。俺は最大限警戒しながら奴の後を追った。
「さて、何をどこから話そうか。なにぶん其方と話をしようと思い至ったのはつい先刻の事ゆえな」
サメ軍艦の背ビレから内部に入り、階段を下り、魔導照明に照らされた艦内通路を歩く。
アスモデウス号の内部は、俺がイメージしていた軍艦というよりはSF世界の宇宙船のようだった。同盟系というより帝国系。全体的に清潔で、通路だけでも居住性が高そうな船に思えた。
見た事ない素材の壁。踏んだ事のない床材。そんな中、俺は幻影の後ろを歩いていた。追従しているというより抜剣即攻撃ができる間合いをキープしているのだ。
「そうさな。まずは其方からの問いに答えようか」
妙に鷹揚な態度だ。促され、質問の内容を考える。
聞きたい事は沢山あった。さっきの話の続き。この船の事。そして妖精の事。
俺は一番気になっている事から訊く事にした。
「お前達の目的は何だ」
「ほう? てっきり、自分の身に関わる事からと思っていたが……まぁよい」
歩きながら振り返る。男は感心したような声音をしていた。
「答えよう。第一に、この襲撃の目的は復讐だよ。我が子の仇を取る為に来た。後はあの子自身の復讐である」
「第一?」
「第二……つまるところ本命の計画については後に話すとも」
淫魔王国の襲撃は俺がさっき戦った夢魔の敵討ちの為で、淫魔女王への乱暴狼藉は奴個人の復讐という話か。
その本命の計画は淫魔や家畜を攫う仮称方舟計画の事だろうか。しかし、未だホワイダニットが分からないままだった。
「魔王軍とは関係ないのか」
ならば、これ関係かと思った。
今現在、魔王軍はラリス軍と戦争中だ。マジであっちが陽動でこっちが本命なんだろうか。
「奴等とはとうの昔に切れておる。誰が好き好んで沈み往く泥船に乗るというのだ」
と思ったが、違うらしい。
何が面白いのか、幻影の老夢魔は自分の発言にウケてくつくつと笑っていた。
「なら、なんで今日復讐しに来たんだ。もっと良いタイミングだってあっただろう」
「成り行きだよ。時が満ちる前に、アスモデウスを隠していた基地が見つかってしまったのだ。まさか朕の幻影を破る者がいようとは……ままならぬものよな」
第一の目的は淫魔王国への復讐で、それとは別に本命の目的がある。ベストなタイミングを計っていたところ、非常事態で襲撃を前倒ししてしまったという事か。
奴は魔王軍とは切れていると言った。つまり単独犯。いやそう考えるのは早計か。単独ならいつ復讐してもよかったし、事実こうして襲撃は半ば成功している。
もしかして、自分以外のスケジュールを気にしていた? 魔王とは別の協力者がいるのか?
「災厄。そう言えば、分かるであろう」
そう思ったと同時、質問する前に答えられた。
あっけらかんと言う夢魔の赤い目に、唖然と間抜け顔を晒す俺が映っていた。
「驚いたかね? 朕は当代の災厄と契約し、淫魔王国への襲撃を企てていたのだよ。虎視眈々と」
災厄。こいつは、人類抹殺現象であるはずの災厄と組んでいるというのか?
つまり、当代の災厄には意思があり、人類と契約を交わせる程の知性がある。
その正体に、俺は心当たりがあった。
「屍王か」
「誰だ、そやつは」
マジで知らなそうな声音だった。
いや嘘を吐いている可能性もある。あるいは向こうが名乗っていないか。
「その災厄はどんな奴で、何が目的なんだ」
「顔は知らぬ。声も知らぬ。朕は奴の為人を文からしか知り得ぬ。ただ力だけは、まざまざと克明に見せつけてきた。そうして朕は首を垂れ、こうして其方と話しておる」
廊下の角を曲がり、ややあってSFチックな自動ドアを潜る。
扉の先は、艦内の居住エリアというより研究室や病院といった印象を受ける通路になっていた。
アスモデウスの艦内に、一人分の硬い足音が反響している。
「抗うつもりか。勝てんよ、アレには」
ラリス王でもな。続けて呟いた声音は、諦める事に慣れた老人のようだった。
「力と言ってもその片鱗しか見ておらん。期待しているようだが、朕から奴の情報は何も出てこんぞ。強いて言うなら、奴は男であるという事くらいだな」
「何で男だと」
「勘だ。それも青二才。身に余る力を持っただけの、弱き雄よ」
この男のプロファイリングがどこまで正しいかは分からない。けどここにきて、災厄という存在に朧げながら形が定まってきたように思えた。
クニュフ曰く、クソ未来の屍王はラリスを漁夫って魔王軍をボコッた後は住処に引きこもっていたらしい。その行動からは、積極的な人類殲滅欲や世界征服欲が感じられない。
身に余る力を持っただけの弱き雄。老夢魔による災厄評は、屍王の行動様式に妙にしっくりきた。
「ん?」
通路を歩いていると、ふと窓がある事に気が付いた。
窓からは青い空が見えていて、覗き込むとミニチュアの町を見下ろせるようになっていた
いや、ただのミニチュアじゃない。小さな町には流れる水路が通っており、お掃除用の使い魔がいて、草花が風に揺れていた。
箱庭。あるいはビオトープ。そういう印象だ。
「聞きたい事はそれだけかね?」
まだ質問タイムは継続中らしい。窓から目を離して考える。
目的は訊いた。災厄についても話を聞く事ができた。
次に気になったのは……。
「俺が新しい夢魔っていうのは……」
「うむ。その説明の為にこそ玉座へ向かっておるのよ。本題に繋がる故、心して聞くがよい」
そう言う夢魔は、何故だか嬉しそうな声をしていた。
突き当たりの扉を潜ると、大きな下り階段があった。一歩一歩下りていく。甲板からこっちずっと下方向に向かっていた。
「時に、其方は遺伝子というものを知っているかな」
「え? あ、あぁ……まぁ多少は」
「存外に博識よな、其方は」
なんて思っていたら、ファンタジー異世界で突然DNAの話題を振られてキョドってしまった。
遺伝子。今のは俺の翻訳チートがそう訳したものだ。異世界語で何ていうのかは分からない。あるいはヘカテさえ知らない単語かもしれなかった。
「遺伝子とは生命の設計図のようなものだ。魔族には魔族の、獣人には獣人の遺伝子が存在する。そして人類の遺伝子は概ね共通している。竜族も、吸血鬼族もな」
階段を下りる最中、奴の解説は続く。
ここまでは十分に理解できる範囲だった。曰く人間とゴリラの遺伝子は九割以上共通しているらしいし、異世界でも似たような感じなんだろう。
「人類は遠い祖先から無数に枝分かれし、連綿と続いている。魔族も竜族も、同じ大樹の枝葉のようなもの。そして、夢魔と淫魔は近縁の祖先種を同じくする。両者の間には犬と狼ほどの違いはない。せいぜい男か女かという差しかないのだよ」
言われてみれば、確かに淫魔と夢魔には男女の差しかないように思える。
あの夢魔ほど強力じゃないっぽかったがニーナさんにも催眠能力があるし、角や翼の形も殆ど同じだ。
当代の淫魔女王が外れ値なだけで、淫魔の本性は夢魔と大差ないのかもしれない。事実、二代目淫魔女王は逆レ上等のサキュバス・ナイズド・チンギス・ハーンだったらしいし。
「純淫魔契約とは、他種族の雄に淫魔が持つ夢魔の特質を植え付けて半魔族化する儀式だ。魔術儀式による遺伝子の書き換えとでも言おうか。故に、現在の其方の肉体は殆ど夢魔と言っても過言ではない」
純淫魔契約は特定条件を満たした淫魔と他種族の男が交わす契約魔術だ。
これによって寿命を共有し、男側はいくつかの魔族特性を得る。エリーゼが言うには魔力も淫魔に近くなるらしく、契約後の俺の魔力には微量な催淫効果があるらしい。夜にはそれを使って楽しんでいる。
けど、俺に夢魔のような催眠能力はないはずだ。角だって生えてない。
「しかし、純淫魔契約で生まれるのは朕や我が子のような夢魔ではない。より祖に近い夢魔……原初の夢魔だ」
つまり、こいつが真実を語っていると仮定するなら、純粋淫魔契約者=第一世代夢魔って事か。
階段を下りきる。するとまた自動ドアがあり、潜った先は薄暗い通路だった。
「原初の夢魔と聞くと、偉大で強大な存在に思えるかもしれないが、古の夢魔と淫魔はそう大した力など持っていなかったのだよ。知っているか? 昔の淫魔は今よりもずっと小さく、今よりも遥かに弱かったのだ。催眠能力など、異性をときめかせる程度の可愛いものだ」
ふと、ケフィアムの中心に設置してある初代淫魔女王像を思い出した。
あの銅像が初代様の見た目を完璧に再現しているとは思えないが、確かにその身長は小さかった。初代様はロリ巨乳だったのだ。
一方、当代淫魔女王を含め、現代の淫魔はルクスリリア以外みんな盛るぺこエロ同人ばりのムチムチである。ルクスリリアの母親とて、身長こそ控えめだったが胸の方は凄かった。
「夢魔も同様だ。異性に対する絶対的な催眠能力さえ、催眠が得意だった者の血を繋いだ特徴に過ぎぬ。この力を、夢魔は闘争の為に磨き、淫魔は生存の為に鈍らせた。その結果が現在であるな」
通路の先にはエレベーターがあった。
二人で乗ると、夢魔がボタンを操作して下へ参りだした。
「つまり、夢魔とは強力な催眠能力を持つ魔族の事ではない。旺盛な性欲を持ち、あらゆる種族を孕ませる事のできる魔族である。そのような種族、この世界には夢魔と人間しかおらんな」
すぐ隣の夢魔がにやりと笑う。
要するに、今の俺は……。
「肉体は夢魔。魂は人間。其方のような純淫魔契約者をどう呼ぶべきか。そうさな、半夢魔というには雅に欠ける。半魔人というには夢魔に寄り過ぎている……」
チンと鳴って、エレベーターの扉が開く。
「差し詰め、
大仰な名前だ。
エレベーターを出た俺は、謎種族名には触れずに別の問いを発した。
「俺も、あの夢魔みたいになるのか……」
かつて、俺と戦った魍魎族の男は言った。俺はいつか悪になって法で裁かれる時が来ると。
歴史上、夢魔は淫魔を迫害し、他種族の女を好き放題に犯しまくっていたそうだ。もしかしたら、俺もそんな風になってルクスリリア達を傷つけてしまうかもしれない。そう思うと、言葉にできないくらい不安だった。
「朕の知るところではないな。が……」
王都の大通りよりも広い通路を歩き、幻影の老夢魔は続ける。
「何千年経とうが、ヒトの本質は何も変わらぬ。雄は善き雌と、雌は善き雄との間に子を残すべく生き、死ぬ。獣のようで、しかし決して獣ではない。夢魔の歴史と今の淫魔王国を見れば、その答えは明白であろう」
確かに、そうだ。淫魔女王は長い時間をかけて淫魔族を改革した。心の持ちよう、意識一つで増長や暴走は制御できる。それなら今までと何も変わらない。
敵である夢魔に慰められてるみたいで、なんとも言えない気持ちになってしまった。
「さて、そろそろ本題について話そうか」
妖精について訊こうと思っていたが、質問タイムは終わりらしい。
「先ほど、夢魔と淫魔は祖を同じくすると言ったな」
やがて辿り着いた大扉を前に、夢魔は足を止めた。
手をかざすと、それはゆっくりと左右にスライドしていった。
目に光が飛び込む。俺は僅かに顔をしかめた。
「此処に我等の祖が眠っておる」
扉が全開となり、鹿いっぱいに内部の光景が広がった。
瞬き一つ。眩い光の中にあったのは……。
「……は?」
等間隔に並んだ、妖精を収めている円筒状の水槽の数々だった。
それこそレノが入れられていたような、あるいはSFのクローン培養装置のような。
そういうサイバーな水槽群に、ゴブリンやミノタウロスやアラクネやオークやハーピーやサイクロップスやケンタウロスが瞼を閉じて眠っていたのだ。
「其方等が妖精と呼ぶ存在。それこそが魔族の……いや、人類の祖である。そして、この緑色の小人が夢魔と淫魔の遠い遠い祖先だ。認めたくはないものだが」
言って、水槽の中で眠るゴブリンを差し示す夢魔。
水槽の近くの石板には何かしら文字が書かれていたが、全く読めなかった。以前ネザーレで見た古代ディング文字とも違う字だ。
「これら妖精は、第一大災厄より遥か太古の時代の生物だ。ここから長い時間を経て、今に至る。我々人類は、妖精から進化して生まれた種族なのだよ。事実、妖精と朕の遺伝子は概ね共通していた」
水槽が並ぶ広間を歩いていく。
ゴブリンの隣では、赤いゴブリンや背の高いゴブリンが眠っていた。中には乳房のあるメスゴブリンも。
この段になって、俺は一つ疑問を抱いた。
「待て。なら海から流れてきたのは何だ。アレが人類の祖って事なのか? 九頭龍を差し向けてきたのはお前じゃないのか」
「アレとは、何の事だ」
海から流れてきた黒い泥だ。
俺は、あの泥が形を変えてゴブリンになったのを見た。ゴブリンだけじゃない、ミノタウロスやコボルトも。
それに同じ妖精でも、ヒュドラとゴブリンでは全然違うじゃないか。トゥレントはどうだ。あの木も人類の祖先なのか?
「知らぬ。朕がやったのは潜伏させておいた端末を其方のいる砦に飛ばした事くらいだ。あるいは災厄の仕業かもしれんな。しかし泥か。それではまるで、我等人類は泥から生まれたかのようではないか。面白い、ククク……」
泥やヒュドラについて話すと、奴はこれまた面白そうに笑った。
頭がこんがらがってきた。次は何をどう訊けばいい。海から来た妖精は災厄の仕業かもしれなくて、俺を呼び出す為にハーピーを飛ばしてきたのがこいつって事か?
「その災厄様は、一体何がしたいんだ」
「世界を滅ぼすつもりなのだ。その上で、朕は奴と契約をした」
心臓が跳ねる。災厄の目的は、極めてシンプルだった。
そんな奴と、こいつは、一体どんな契約を交わしたというんだ。
「そこで其方に選択をしてもらう」
やがて、俺達は重厚な扉の前に辿り着いた。
SF感のない、異世界で見覚えのある重厚な両開きの扉。
玉座への扉だ。
「選択?」
「左様……」
言うなり、幻影夢魔は粒子となって消えて行った。
次いで扉が開いていく。
ゆっくり、ゆっくりと。
扉の先には、真っ赤な絨毯の敷かれた謁見の間があった。
高い天井、妖しい色のシャンデリア。幅のある階段の上には豪奢な玉座があり、そこに幻影ではない老夢魔が座していた。
玉座の夢魔が口を開く。
「選択肢は二つ。朕と共に災厄から逃れるか。朕と戦い、世界と共に滅びるか」
老夢魔の肉声は、幻影のソレより枯れていた。
何カ月も喋ってない人が久々に声を出したような、そんな声。
対し、俺は沈黙していた。急な選択肢の提示に思考回路が一時停止していた。
「このアスモデウス号は、人類の祖を保管して滅亡の危機から逃れる為に造られた船だったようだ。世界の境界線を越え、遠い未来へと旅立つ事ができる。魔王戦争の折、朕はそうして生き永らえた」
沈黙する俺の前、老夢魔は浪々と語った。
真紅の瞳は茫洋として、俺を見ているようで此処ではない何処か別の光景を見ていた。
「逃れ得ぬ滅亡を前にした今、この船には現代を生きるあらゆる種の遺伝子を保管してある。朕は災厄と契約を交わし、未来へ逃れる事を許された。其方には、朕に代わってこの船の舵取りを任せたく考えておる。出航には朕の魂を薪とする必要がある故な」
ノアの方舟。またも、その言葉が脳裏を過る。
つまり、アスモデウス号は洪水ではなく災厄から逃げる為の船で、契約とは災厄の世界ぶっ壊し計画から逃げてもいいよという内容だったのか。
本題とは、魔神人とやらになった俺にノア役をやってほしいという提案か。
「ずいぶんサービスいいんだな、当代の災厄は」
「慈悲か、慢心か。いずれにせよ縋るしかないのが現実であろう」
あまりにも壮大な計画に、俺は現実感を持てずにいた。
日本出身の一般ロリコンに、一体何を期待してるんだこいつは。そんな風に思ってないと場の空気に耐えられなかった。
「朕は戦が嫌いだ。自由の奴隷である魔王も、人類を虐殺せんとする災厄も嫌いだ。孤独は、もっともっと大嫌いだ。憎み合うより、助け合う方が楽しかろう。だからこそ朕は人類を存続させたい。しかし朕も老骨。魂も擦り切れてしまって、もう長くはない。そこでイシグロ・リキタカ、其方である。魔神人となり、生命力に満ち、英雄的善性を持つ其方の助けが必要なのだ」
茫洋としていた瞳が力を取り戻す。
玉座に座る夢魔は本気だった。本気で災厄から逃れ、滅んだ後の世界を立て直すつもりらしかった。
「利はあるはずだ。誰を乗せるかは其方が決めよ。妻の他にも、友を乗せてもよい。遺伝子を組み合わせ。其方好みの女を作り出すのもよかろうて。幸いアスモデウスは広大でな。ざっとケフィアムほどはある。家族がいれば、友がいれば、永きに渡る航行であろうと生に飽く事はあるまい。そして其方には人類を未来へと導き、生命の鎖を繋ぎ、世界を救ってほしい」
夢魔の声が熱を帯びていく。
その瞳は真摯に俺を見ていた。
切実に、未来の救済を願っているようだった。
俺が最後の希望だとでも言うような、そんな顔をしていた。
「どうか……救世主になってはくれまいか」
少し、考えてみる。
この船を使えば、災厄と戦わなくて済むのかもしれない。あくまでかもしれない、だ。その上で、という話。
船の中でルクスリリア達と生きる。それは俺にとって最高にハッピーな生活と言えよう。敵もいない。もう誰とも戦わなくていい。鍛える必要もなくなり、好きな事だけして生きていける。
暫くしたら、滅亡後の世界を立て直す仕事が待っている。こいつの事だ。何をどのように救うかも準備しているのだろう。強くてニューゲームだ。誰もいない世界で神様気分を味わえるかもしれない。後の歴史で一人の男神と九人の女神とか語り継がれちゃったりして。
俺が考える、俺の理想とする文明世界を築き上げる事だって夢ではない。ロリコンが許容される世界さえも。
「そうだな……」
決めた。そしてもう一度、改めて考える。
俺達の事。未来の事。リスクとリターン。成功する可能性。
諸々勘案して、決断した。
「断る」
謁見の間に、静寂が過る。
ここからでも、玉座の夢魔の身体から熱が引いていくのが見て取れた。
「そうか。理由を、訊かせてもらおうか」
打ちひしがれた目をしていた。
期待が裏切られた顔だ。あるいは、絶望したような。
彼の問いに、俺は真っすぐ答えた。
「子供の教育に悪いからだ」
「……なに?」
「育児環境が整ってない。だから、断る」
絶望の後、夢魔は唖然としていた。
そっちがマジなら、こっちだってマジだ。
俺は、本気で、アスモデウス号の生活は子供の教育に悪いと思ったから、方舟の船長を断った。
「だってそうだろう。この船は狭すぎる。そんなところに子供を閉じ込めるなんて、俺にはできない」
なおも唖然としている夢魔に対し、俺は言葉を継ぎ続けた。
「子供は、色んな世界の色んな人に関わる事で成長していく。その機会を守り、育む事が親の義務だ。だから俺は、災厄を倒して、この広い世界を守る。いつか子供達に見せたい景色が、食べさせたい料理が、会わせてやりたい人がいるんだよ、この世界には……!」
発言の最中、今度は俺の身体に熱が灯っていくのを自覚できた。
皆とのイチャラブハッピー生活によって生まれる命の事を思えばこそ、俺の心は言葉にする度に定まっていった。
「俺の夢は……!」
俺には夢がある。
皆との幸せな結婚生活だ。
けれど欲望には際限がない。円満な家庭を築きたいし、皆との間に子供がほしい。そして、生まれてくる子供にも幸せになってほしいと思う。
強くなくていい。弱くていい。ただ、幸せに。
「俺の夢は! 子供達が健やかに育つ事だ!」
言い切る。言い切ってやった。
見れば、玉座の夢魔は致命の一撃を受けたみたいに狼狽していた。
感情が動いている。弱り、沈み、飲み込んで、受け止めていた。
「……そう、か。朕もそう言える親でありたかった」
夢魔が目を瞑る。
沈黙。やがて、瞼を開く。
真紅の目が、燃えていた。
「……では、朕も好きにさせてもらおうか」
そうして表に出てきたのは、誰でもない一人の男だった。
傲慢で、狂暴で、あまりにも愚かな――漢の顔をしていた。
「未来を救う為ではない。亡き父の悲願の為ではない。ただ、我が子の仇を、血沸き肉躍る戦いを……」
玉座から、立ち上がる。
瞬間、邪眼のファンリーに匹敵する異常な魔力が解放され、謁見の間を震わせた。
そして、男は大きく高らかに両手を広げてみせた。
「我が名は! 偉大なるスライマーン王の末裔にして、誇り高きバサーゴ大公が忠節を捧げし者!
対し、俺は黎明のルーンソードを抜いた。
そして、謁見の間の床に突き立てた。アーサー王のポーズだ。
「イシグロ・リキタカ、ロリコンだ。その決闘、受けて立つ……!」
両者の間で魔力が衝突し、火花が散る。
ここはもう、男の世界だった。
「同じ阿呆だ。どちらかが滅び切るまで、存分に踊り狂おうぞ……!」
そう言い放った夢魔は、まるで魔王のようだった。
強大で、凶悪な。故にこそ威厳のある。
大魔王からは逃げられない。
しゃあっ、更新!
書籍版一巻が発売され、続刊企画も進行中です!
よろしくお願いします!
【挿絵表示】
というわけで店舗特典情報!
ゲーマーズ様は、書き下ろしSSとルクスリリアとエリーゼのアクリルスタンドになります。
→ゲーマーズ様はこちら
とらのあな様は、書き下ろしSSとタペストリーになります。
→とらのあな様はこちら
メロンブックス様は、書き下ろしSSとタペストリーになります。
→メロンブックス様はこちら
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