【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
誤字報告もありがとうございます。いつもお世話になっております。
不動のパレエス。
異世界の歴史にて、初めてその名が出てくるのは勇者アレクシオスの英雄譚である。
ゼノン王立図書館にある歴史書のいずれにおいても、奴はジュスティーヌの同胞として登場し、しょうもない小物悪役ムーブをかましていた。
次に登場したのは勇者アレクシオス死後の戦史である。連合国時代のラリスと戦争をおっ始め、その際はじめて前線に出て猛威を振るった。“不動”、奴の二つ名は当時の戦いぶりからきているそうだ。
しかし、“不動”という二つ名はラリスからの呼び名に過ぎない。
聖輪郷の天使達からは、このように呼ばれている。
最も亜神に近い天使、と。
ウェルン島から飛び立つと同時、聖地サベイピアの周囲を滞空していた傀儡天使が一斉に杖を向けてきた。
併せて、サベイピアのあらゆる箇所から大量の黄金魔法陣が展開された。それは通常の魔術式に似て、決定的に異なるものだ。即ち、光力術式。その様相は、超ド級戦艦が一つの目標に全砲門を向けるが如く。
それらが、一斉に、閃光と共に解放された。
瞬間、目も眩む程の光力弾幕が突撃部隊へと殺到した。
滝行中に上を見たらこうなると言わんばかり。下手に動けば余計に被弾しそうである。加えて言うと、傀儡天使の光はともかくサベイピアから直に放たれた光はエリーゼの魔導極砲に近い威力を持っている。
こんなもの、まともに受けられる訳がない。
「我等が英雄の前で無様を晒すでないぞ! 私の後に続け、【闇霧】!」
「「「【闇霧】!」」」
だが、こちらには対策があった。
先頭を飛ぶラドゥ公爵の騎馬隊から漆黒の霧が展開され、ベールが纏われるようにして突撃部隊を覆う。
迫る光力弾幕が霧に触れると、それらは焼け石に水を落としたように雲散霧消し、霧の中にいる俺達を守り抜いた。
「うぉおおおお前が見えねぇッスゥウウウ!?」
「近くの人を追うんですよ!」
「さすが閣下だ! なんともないぜ!」
真祖権能、【宵霧】の下位互換技だ。
まるで雷雲の中に飛び込んだかのような視界。光を弾く度に、漆黒の霧に稲妻めいた閃きが迸る。隊列を崩さず愚直に飛ばざるを得ない時間は精神的にキツかった。
少しずつ目標地点に接近していく。物凄い速度で飛んでいるはずだが、なかなかたどり着けない。島から見た時は近くに感じたものだが、実際の距離はかなり遠い。サベイピアが大きすぎるのだ。
『サベイピアから迎撃魔法! 来ます、今!』
熾天使ガリエーラさんの【念話】通信が届く。【闇霧】の中だからかノイズがひどい。
サベイピアによる攻撃が光力から各種属性魔法に切り替わる。【闇霧】はあくまで光・聖属性のアンチ技なので、このままではモロに食らってしまう。
無論、対策がある。
「今だフェイレンさん!」
「任されっした! イシグロさんに鍛えてもらった御恩、今こそお返しさせていただきまっす! うぉおおお【陽動】【陽動】【陽動】! からの……【崩れ得ぬ塔の巨盾】!」
黒い霧の先頭に影あり。森人大盾使いフェイレンさんだ。彼女は相棒淫魔が操る召喚獣に乗って立ち、両手で掲げるようにして巨大な盾を構えた。
迎撃魔法が届く寸前、彼女の盾スキルが発動。黒霧を覆うように黄金の障壁が生成され、サベイピアの魔法の雨を傘がそうするように弾いてみせた
耳をつんざく轟音。遠くからでも聞こえるコレは、彼女が仲間を守った証左だ。
「ぐぅううううぅぉおおおお! クソ痛ぇええええ!」
「がんばってフェイレンちゃん! 今が踏ん張りどころだよ!」
「絶対負けねぇえええええ!」
今フェイレンさんが持っている盾は、ラリス王家が秘蔵していた対魔法特化の深域武装である。タンク人口が壊滅的な冒険者界隈、これの真価を発揮できるのは大盾特化の彼女くらいなものだ。そして、そのシナジーは実際とんでもない。タフという言葉はフェイレンさんの為にある。
けれども、長くは持ちそうになかった。今の彼女はエリーゼのフルバーストを継続的に受けているようなもの。守られている側はフェイレンさんに支援魔法や治癒をかけて応援する事しかできない。
『あれは……妖精です! 特級妖精がこちらに向かってきています!』
その時だ。サベイピアから一体の有翼妖精が射出された。ジッドの空の王――ガルーダである。
特級妖精は自身の周囲に戦闘強制領域を持っている。これに捕まると問答無用で連れ去られる。真正面から突っ込んでくるガルーダは、明らかにフェイレンさんを狙っていた。
無論、これも対策済みだ。想定の範囲内である。
「私の出番ね、行ってくるわ」
レギーナだ。黒い霧から飛び出た銀竜は、超高速で迫るガルーダに真正面から接近し、通り過ぎざま一刀両断した。振り抜いた刀には、紫の魔力が纏われていた。
ガルーダは死んだ。しかしサベイピアからは次々と妖精が解き放たれていった。その全てをレギーナが一撃で葬っていた。対妖精戦において、彼女より強い剣士を俺は知らない。
弾幕と妖精が俺達の接近を阻む。
頼れる仲間がいなければ、サベイピアに上陸できたかすら怪しい。それくらいに向こうからの抵抗は激しかった。
『魔力反応増大……戦略級魔術が来ます!』
僅かに弾幕が薄くなった……次の瞬間、サベイピアから莫大な魔力反応を感知した。
見れば、これまで対空機銃のように展開されていた魔法陣が一つの巨大魔法陣に集約され、今しも発射せんと魔力を凝集しているところだった。
魔力と光力のブレンド弾だ。大きいの入れて、盾も霧もまとめて貫くつもりなのである。
「いけるな?」
「行けます!」
言うが早いか、空戦車から降りた俺はフェイレンさんの前に出た。
視界を覆う程の巨大魔法陣。その中心に生成された光は、いつぞやパレエスが撃っていた聖輪郷破壊の魔弾だった。これがウェルン島に直撃すれば、たった一撃で島全体が破壊されてしまうだろう。それ程の威力、それ程の破壊規模だ。
一瞬の静寂、光が解き放たれる。以前より鋭い弾速。以前より大きい弾体。そして、以前とは比較にならない超威力。
俺は、その魔弾を……。
「止まって見えるぜ!」
ギィイイイイイイン! 剣の真芯で捉え、サベイピアへ【流し打ち】した。
発射と反射、そして着弾は一瞬だった。威力そのまま打ち返された魔弾はサベイピアを覆っていた聖なる結界に着弾し、ガラスが割れるような快音と共に木っ端微塵に粉砕された。
キラキラと、結界の欠片が青空に舞い上がる。
「おかえりッスご主人! よっしゃエリーゼ! あれをやるッスよ!」
「ええ、よくってよ! 私の魔力、持っていきなさい!」
「ん、【神愛の守り】」
「追い風いくのじゃ!」
有翼ヘラジカの引く草薙空戦車が黄金の粒子を纏い、限界が来たフェイレンさんを抜いて先頭を走る。
サベイピアを覆っていた障壁を破壊した突撃部隊は、いっそう勢いを増して突貫していった。
『白兵戦に移行します! 皆様、どうかご無事で!』
やがて、突撃部隊と傀儡守護天使が激突し、即座に乱戦へと雪崩れこんだ。
白い翼の天使と黒い翼の天使が光弾を撃ち合っている。訓練された動きで光力銃を構える白天使と異なり、伝統的錫杖を持つ黒天使の立ち回りはポンコツロボットめいていた。
吸血鬼と天使が共闘し、堕天使を撃破していく。血と光力に貫かれた黒い天使は魔物と同じように粒子に還っていた。やけにあっさり、何の大義もなく、かつて人類だった命が散っていく。
しかし、味方側も無傷ではなかった。堕天使の攻撃にやられ、天使達が次々と落下していく。技と力に勝る此方に対し、彼方の数の力は圧倒的だった。
このままでは拙い。援護すべきか。
「我等にかまうな! イシグロ殿はパレエスの討伐に専念せよ!」
ラドゥ公爵の声。彼は接近してきた傀儡力天使を殴り飛ばし、周囲に黒霧を放って敵の光力弾幕を弾いていた。
彼の叱咤に背を押され、俺達は堕ちる味方を無視してサベイピア本土へと向かい、不時着じみたスピードで上陸。無茶な使い方をしているが、ケイン謹製の空戦車なら問題ない。
「今はスピード勝負だ! 空戦車は一旦俺が保管する! 訓練通り連携! いくぞ!」
「おっす! お前等、イシグロさんに続けぇ!」
聖地サベイピアとは、聖輪郷の中心を構成する鉄の城である。滑走路代わりに使った大橋の先には、以前も通った事のある巨大な正門が聳え立っていた。
空戦車を収納し、門へ向かって走る。空にいた堕天使が魔法を撃ってくるが、上の味方がそれを防いでくれた。橋で待ち構えていた黒天使を鎧袖一触し、巨大な階段を上っていく。
やがて正門に辿り着くと、門番らしき傀儡熾天使と対峙した。彼等は一様に虚ろな目をして、盾と剣を構えて無造作に接近してきた。
「視界良好! やっちゃえ、エリーゼ!」
「やっとコレを使える時が来たわね。
凛。月光を束ねたような翼を広げ飛び上がったエリーゼは、決戦仕様の新しい王笏を二挺持ちし、都合八挺のビットを展開して解き放った。即ち、【魔導極砲】フルバーストだ。
最終決戦仕様王笏。その構成は、あらゆる属性の高威力魔法をごっちゃにした広域殲滅特化である。フルバースト後、エリーゼは【魔導吹雪】から【殲滅極光】を連続発動し、周囲の堕天使共を粒子に還していた。戦闘種族たる彼女に戦いへの惑いは存在しない。
「せめて痛みなく逝くがよい……【天意流転法・滅核】!」
「トドメいきます! やぁあああああ!」
イリハがブラックホールめいた球体を発射する。これを盾でガードした堕天使は、盾ごと左半身を削り取られる事となった。
次いで盾と半身を失った天使にグーラの強化付きぶちぬき丸が直撃し、ダメージがオーバーフローして残った半身が爆発四散。突出したグーラをルクスリリアが援護する。
堕天使の取り巻きをユゥリンの槍が貫き、レノの実弾魔法でトドメを刺す。片や何も感じていない無の表情で、片や悲痛な気持ちを押し殺したような顔で。戦いに対する二人のスタンスは全く以て異なっているのに、その呼吸は双子のように合っていた。
「おーっほっほっほっほっ! ルクスリリアばかりに良い恰好させませんわ! そぉれ幻の蝶々をご覧あそばせ!」
「ダメですグレモリアさん! 傀儡天使に幻影は効かないようです!」
「なんですってひぎゃああああ!? 全然見向きもしてませんわぁああああ!」
戦っているのは俺達だけではない。サベイピア迎撃に参戦してくれた同業者も、正門へ突撃する部隊を掩護してくれていた。
槍使いユアと五人の純淫魔が巧みな連携で堅実に立ち回り、近づいてくる近接堕天使を鬼人剣士ラフィさんの一撃が跳ね飛ばす。他方、斥候特化同盟・九鼠会の一同は天群雲に守られる形で突撃部隊の中心で息をひそめていた。あれ、醤油忍者シュロメさんは何処に消えた?
「任せたぞシャロ! なるはやでな!」
「おう! 任されたぜ!」
やがて正門に辿り着く。当然、内部に続く門には魔術的な鍵が施されており、まともな方法で入る事はできなかった。
だがシャロなら正面から突破できる。ルーンで違法キーを構築するまで、俺達は彼女の作業を守護するのだ。
「ん? あれぇ? ルーン対策してんのは分かるが、なんでか構造が雑だな。アタイくれぇのルーン使いからしたらどうぞお通りくださいって言ってるようなもんだぜっと……ホイ終わりぃ!」
「早過ぎッス! まるで昨夜のご主じ……」
「三十秒が限界だ! さっさと入りな!」
「大きいの潰してから行きます! 皆さん急いで!」
という手筈だったのだが、やけに簡単に開いた。ぶっちゃけここが一番の難所だと思っていたので拍子抜けである。
ともあれスムーズなのは良い事だ。俺は正門前で銃をブッパし、仲間達が内部に入っていくのを掩護した。
「亭主殿! あと五秒だぞ!」
「ああ! 今行く! ニーナさん、そっち任せました!」
「ええ。こういう戦場ならいくらでも!」
ギリギリまで粘り。飛び込むようにして侵入。次の瞬間、俺の背後で扉が閉まった。
聖地内部に入れたのは、草薙に加えて天群雲全員。それからメイヴさんを中心とした九鼠会だった。
サベイピアの内部は、鉄で出来たSF建築物といった様相である。その構造は天使族が行き来する事に最適化されており、それ以外の種族の事情は考慮されていない。要するに高くて複雑で無駄に広いのだ。
「聞いてた通り中も広いしぐちゃぐちゃで迷子になりそうっすね。あーし等だけで回れるでしょうか」
「その為の九鼠会だろ。てな訳でイシグロさん、こっちは天群雲につくって事でいいんだよな?」
「ああ。パレエスと接触したら時間稼ぎに徹してくれ。スピード勝負だが、時間が経てば後詰部隊が来てくれるはずだ。焦るなよ」
「んじゃ、とりま拙者は単独行動という事で。御免!」
「うおっ、いたんですかシュロメさん!」
外では味方が奮闘してくれている。俺達は班ごとに分かれてサベイピア内部を捜索し始めた。
すると、今度は堕天使ではなく見た事のないタイプのゴーレムが邪魔をしてきた。魔物ではない。人工物である。此処のガーディアンなのは明らかだ。
しかし挙動が変である。こちらを捕捉しているはずが、なぜか明後日の方に攻撃しているのだ。まさかゴーレムまで瘴気にやられている? いや、そんな馬鹿な。
「クーの時にはかなり揉めたようですね。鮮やかなクーって訳ではなさそうな」
「だな。グーラ、匂いの方はどうだ」
「煙くてちょっと分からないです」
「魔力もぐちゃぐちゃで、追いようがないわ」
ゴーレムを倒しつつ進んでいくと、ちょくちょく荒れたエリアが目につく。あちこちに真新しい戦いの痕跡があるのだ。先のゴーレムの残骸も散らばっている。
「チッ……胸糞の悪い。パレエスってのは噂以上にクソみてぇだな」
「あそこまで酷いのは今のところ奴とファンリーくらいじゃのぅ」
「ミヅチもクソでしたよ。てか旧魔王軍は基本クソです。クソクソのクソです」
「ん、クソ言い過ぎ」
それだけではない。ひび割れた壁や床の端々には、天使族のものと思しき衣服や武具が散乱していた。
一部例外を除き、天使族は死体を残さない。その身体は死ぬと光となって天に還るのだ。
天使族の故郷には、彼等が生きる為に抗った痕跡が残されていた。
「どうやら、いないようですね。てっきり此処で大人しくしているものと思っていましたが」
やがて、ジュスティーヌ様の霊廟に到着した。しかしパレエスは見つからなかった。
かつては在った異境の後宮も、今は撤去されているらしい。さっきまでとは異なり、この周辺は不気味なくらいの静寂と美しさを保っていた。
「モタモタしてる時間はない。次行こう」
霊廟を離れ、次なる候補地に向かう。
その途中で、俺はパレエスについて考えていた。
パレエスが復活した理屈は不明だが、復活した奴が何を成そうとしているかは明白である。十中八九、ジュスティーヌ様の完全復活だろう。
現状集まっている情報によると、昔に亡くなった人が蘇った前例はないらしい。最も古い死者でも十年前に死んだ旧魔王軍幹部である。その事から、天文台の予測では没年が古い人は復活できない、もしくは復活コストが高くなるのではと言われている。
それで言うと、ジュスティーヌ様が死んだのは五千年以上前だし、二度目の死は数年前である。前者だったらかなり厳しそうだが、後者だったらどうだろう。パレエスが元気に王都侵攻しているあたり、後者判定されている説が濃厚か。
加えて言うと、ラリス貴族のような強い魂の持ち主の復活には、通常の復活に必要な三人の殺人では足りないらしく、魂の強さに応じた数が要るらしい。であれば、ジュスティーヌ様を蘇らせるのに必要な命の数は如何ほどか。
しかし、だからと言って奴が王都に侵攻する理由はない気がする。殺人数を稼ぎたいならわざわざ王都に行く必要はないだろう。あるいは、奴は屍王に操られているだけって可能性もなくはない。いずれにせよ殺すしかないのだが。
「待て、ヘルガ達から通信だ。あっちだ、行くぞ……!」
探しても探しても見つからず焦燥感が湧いてきた頃、サベイピアの上の方からパレエス発見の報が魔力波となって感知された。
捜索を中断し、急いで現場に向かう。近づいていくにつれ、ヘルガ達が倒したであろうゴーレムの残骸が目についた。
ややもせず、現場付近の大きな階段の前に、天群雲の玉兎ルルと九鼠会メンバー数名が倒れているのが見えた。
「ルル! 大丈夫か!? 今すぐ治療を。エリーゼ」
「だ、大丈夫です。ただ、階段守ってた天使の攻撃で結構濃いめの瘴気が入っちゃったので、治癒薬飲んで休ませてもらってるだけです。そのうち復帰できます。だから、早くヘルちゃんの援護に……」
「分かった。でも無理に戦線に復帰する必要はないぞ。お前達は十分頑張ってくれた。今は回復に専念してくれ」
その場にルル達を残し、俺達は階段を上って行った。
通路の突き当りに豪奢な扉がある。あの先にパレエスがいるのだ。
「待たせたな!」
扉を蹴り開けて各々武器を構えるが、その場に戦闘の雰囲気はなかった。
とても広い部屋だ。柔らかな絨毯の上にヘルガ達が倒れている。だが、彼女達には傷一つなかった。戦いの痕跡はない。一瞬で眠らされたのだ。例の技の対策はしていたはずだが。
また、部屋の中央には天蓋付きのベッドがあり、そこでは見覚えのある人が眠っていた。
「ジュスティーヌ様……」
レノが呟く。
空色の髪に、純白の肌。紛れもないジュスティーヌ様が、ベッドの上で安らかな眠りについていた。
呼吸している。遺体ではない。その寝顔には、疑いようもない生命の鼓動が見受けられた。
「ようこそおいでくださいました。黎明と、その郎党方。お久しぶり……と、言っておきましょうかね」
ベッドの傍の椅子に、三対六枚の黒翼を持つ熾天使の姿がある。
蘇った命として活き活きしているジュスティーヌ様とは対照的に、その天使は不死者特有の冷気を漂わせていた。
「待っていました。他ならぬ貴方と交渉をする為にね」
言って、漆黒の熾天使――パレエスは立ち上がり、ゆっくりと振り返って俺と向かい合った。
目が、違う。白目の部分が黒く染まり、虹彩が異様な光を放っている。そういう分かりやすい変化とは別に、屍王の使徒となった奴の目には、以前まではなかった諦観による老成が見受けられた。
「交渉だと……」
「ええ。こちらに戦いの意思はありません」
そして、理性があった。人としての意思もある。今のパレエスは、屍王に操られているようには見えなかった。
じっと俺の目を見ながら、奴は落ち着いた声音で続けた。
「まず、私の希望をお伝えすると、貴方が保有しているアスモデウス号をお譲りいただきたいのです」
唐突に出てきたアスモデウス号の名に、俺は驚愕を顔に出さぬよう気を引き締めた。
その名前が出たって事は、屍王とある程度やり取りしたって事か? もしくは復活時に情報は自動インストールされたか。何にせよ一旦話を聞こう。倒れているヘルガ達を何とかせねば。
「応じて下さるなら、聖地サベイピアの権利と、支配下にある堕天使達の命令権をお譲りいたしますよ。そうして私は彼女と旅に出て、この戦いから退場します。平和的にこの戦いを終えられる……悪い話ではないでしょう」
それは、パレエスからの終戦の申し出だった。
同時に、王都へ侵攻している理由にも思い至った。俺との交渉材料だ。確かに、今すぐ退いてくれるならこれ以上の被害はなくて済むが、そうすると俺はアスモデウス号を失ってしまう事になる。
まぁそもそも艦長権限は移譲したくてもできないのだが、奴はそれを知らないらしい。
「あれから、このような形で蘇ってしまって、私は希望よりも強い絶望を感じてしまいました。もう、うんざりなのですよ。戦いで血を流すのも、惨い真実を知るのも。だったらもう、綺麗な嘘だけを見て、草や花のように生きていたい。そう思ったんです」
五千年以上を邪悪として生きた熾天使パレエスは、くたびれた中年男性のような顔をしていた。
戦いから逃れ、好きな人と船でスローライフしたい。そう顔に書いてあった。それ自体に嘘はないように思える。
今一度、ベッドで眠るジュスティーヌ様を見る。彼女の寝顔は赤ちゃんのように安らかで、そこに英雄の面影はなかった。
「てっきり、今度こそジュスティーヌ様を完全復活させるつもりだと思ってたが」
見たところ、今のジュスティーヌ様は完全な復活――全ての記憶を取り戻した状態――はしてはいない。恐らく第二段階。身体と魂が戻ってきただけの、無垢の状態だ。
これでは真にジュスティーヌ様が蘇生されたとは言えないだろう。
「いいえ、これでよいのです。身をもって思い知りましたからね。いくら私が彼女を愛しても、彼女は私を愛さないでしょう。であるならば、綺麗な体と純粋な魂の……新たに生まれ直したジュスティーヌと添い遂げようと思います。二人だけの世界で、新たなる始まりの天使として、私は彼女の父となり、兄となり、恋人となりましょう。それが、今の私の夢です」
「それは……」
反射的に、吐き気がするほどの悍ましさを覚えた。光源氏でもそこまではやらないだろう。こいつは、記憶を消した幼馴染と人工の楽園でアダムとイヴになろうとしているのだ。
気持ち悪いと思う、だが、俺は、ロリコンである俺の心の一部は、ほんの僅かに奴の欲を理解できてしまった。その事に吐き気がしたのだ。
「お願いです。どうか、私を放っておいてください。ここで私と戦えば、少なからず犠牲が出る。それはお互い望むところではないでしょう」
必死な顔だ。小さな希望に縋っている。俺に怯えている訳ではなさそうだ。屍王に怯えているのかもしれない。
湧き出る感情を制御し、冷静に損得勘定をする。答えは一秒で出た。
「ん……一つ、質問がある」
「何でしょうか」
皆とアイコンタクト。俺が答える前に、レノが前に出た。
レノが戴く光輪は、ジュスティーヌ様に治してもらった純白の翼は、パレエスと対照的な清廉な輝きを放っていた。
「ジュスティーヌ様の蘇生に、何人の命を奪った?」
三人殺せば概ね復活する一般王都民と異なり、ラリス貴族を筆頭に強い魂の持ち主の復活は三人程度じゃまず足りない。ジュスティーヌ様ほどの英雄なら、何をかいわんや。
問われた熾天使は、顎に手を添え、やがて表情を変えぬまま答えた。
「正確な数を覚えてはいませんが、下位天使だけでは足りませんでしたね……」
だろうな。
俺達は、再び武器を構えていた。自然に、当然に。
鎌、杖、大剣、刀……全員から武器を向けられたパレエスは、落胆したように目を伏せた。
「……貴方とて、自分達以外がどうなろうと、どうでもいいのでしょうに。だから今、此処にいるのです。一度でも他者の命を天秤に乗せた者は、その罪から逃れる事はできません。ご理解なさっているはずです」
「ああ。だから、お前と戦う」
「結局、奪われたくない者同士、奪い合うしかないのですね」
ゆっくりと、黒い翼が展開する。
次の瞬間、突風のような膨大な瘴気が解放された。身構えた身体が倒れそうになる。この圧力は、かつて王都で感じた屍王のソレと同格だった。
災厄の使徒、パレエス。何故こいつが復活させられたか、今ならよくわかる。強いのだ、純粋に。
「もう一度言います。アスモデウス号を譲ってください」
「断る」
「そうですか。ならば……」
奴の次の行動は読めている。故に駆け出す。先手必勝。俺は剣を振りかぶり、【涅槃斬り】で以て奴の首を薙いだ。
俺の方が速かった。それは間違いない。先手を取った。技の選択も最適。やられる前に、やれたはずだ。
が、届かなかった。剣が止められた。瘴気の結界。けれども抵抗は一瞬だ。すぐに結界を斬り裂き、奴の首に剣が……。
「心を折るとしましょう」
届く前に、俺の心は地の底についてしまった。
分かっている。【追憶送還】だ。心に侵入され、幻を見せてくる権能。現状これを避ける手段は存在しない。だから当然に、過剰なくらい対策していた。
だが、事前に服用した魔法薬が効いていない。懐に忍ばせていた護符も効果を発揮しなかった。
前と同じなら、精神力で無効化できた。けど前とは何かが違う。もっと根源的で、暴力的な“恐怖”が、俺の心を侵食し、軋ませていた。
「な、なんだ、これ……」
剣を杖に、膝をつく。
見れば、ルクスリリア達も天群雲メンバーと同様に床に倒れていた。エリーゼは苦悶の表情を浮かべ、ユゥリンは無表情で虚空を眺めていた。ルクスリリアだけは踏ん張っているが、額に汗して今にも倒れそうだった。
「らしくもなく、創意工夫をさせて頂きました。罪に脆い者には罪を、悲しみに脆い者には悲劇を見せています。貴方には、貴方自身の心根に染み付いている弱さを……」
強いて目をかっ開く。瞬きをする度、瞼の裏に最悪な夢が再生される。
奴隷の枷を嵌められた少女が見える。目が死んでいる。俺が欲望をぶつけていた。壊れていく。壊れる度、俺は新しい奴隷に狙いを定めていた。俺は犯罪者ではなかったが、世界中の誰からも嫌われていた。異世界で、俺は独りだった。
これは幻だ。現実ではない。分かっているのに耐えられない。精神力でどうこうできるものではなかった。受け入れて、流すのだ。シラノイさんの指導で、さんざん練習してきただろう。
歯を食いしばる。奥歯に仕込んでおいた薬を噛みしめる。だが、これも効果が薄い。
「言ったでしょう、心を折ると。さぁアスモデウス号を譲りなさい。そうすれば許してさしあげますよ。私の願いは一つ、今のジュスティーヌと共に愛の逃避行をする事。決して貴方達の邪魔をするつもりはありません。さぁ、さぁ、私と彼女の方舟を呼び出すのです」
幻が、見える。
俺に背を向けて、ルクスリリアが離れて行く。
孤独なエリーゼが、誰かの墓の前で泣いている。
汚れた格好のグーラが、村人に石を投げられている。
衰弱しきったイリハが、蔵の中で倒れていた。
家族を失ったレノが人工魔物に改造され、村の子供を虐殺している。
焼けた里の中心で、シャーロットが短剣で自身の首を刺していた。
姉を失ったユゥリンが、客の来ない料理屋で餓死していた。
全てを奪われたヘカテーニャが、失意の果てに廃人になっている。
過去の自分を殺したクニュフが、自分の口に銃杖を突っ込んでいた。
現実に戻る。時間はそう経っていない。致命的な隙は晒していない。まだ間に合う。立ち上がって奴に攻撃する。そうすれば、この悪夢は終わるはずだ。そうしないと、皆が苦しみ続ける事になる。
俺が、皆を守るのだ。だから……立て! 立って、戦え!
「随分と耐えますね。無駄に抗いますね。では……少し強めにいきましょうか」
「ひぐっ……!?」
俺の中に存在する、ありとあらゆる負の感情が膨張した。
転移直後の俺なら受け流せた。皆と結婚する前なら、気にしなかったかもしれない。大人になった弊害だ。成長して、弱くなったせいで、俺はパレエスの【追憶送還】に耐えられなくなってしまった。
ダメだ。ここで倒れたら、どうしようもなく致命的な隙を晒す。対策は練ってきたはずだ。なのにこのザマ。なんて情けない。とんだ間抜けだ。完全に無能ムーブである。
人が心を持っている限り、これに抗う事は不可能だ。
「眠れ。目覚めた時、貴方は私の傀儡です」
剣が落ちる。気づいた時には、俺も倒れていた。
だが意識はある。足掻く、立ち上がる、また倒れた。剣を握り直し、這うようにして前へ。
そうして、剣を振りかぶった。
「哀れな。もうお休みなさい」
避けられた。
ああ、ダメだ。
これはキツいな。
絶望で、諦めて……瞼を閉じた。
剣を手放す。
心地良かった。
寒い冬に、暖かい布団で眠るようだった。
安らぎの中にいる。さっきまでの苦しみの一切が消えていた。
もう、このまま死んじゃってもいいんじゃないかな。
俺は、ゆっくりと意識を手放していった。
魂が離れていく感じがする。
けど、もうどうでもいい。そう思った。
………………。
…………。
……。
いいや、まだだ……。
まだ終わってない!
「がぁあああ……! あぁ! うぅううぐぅううううう……ッ!」
崩れ落ちる身体を気合で動かし、四肢で以て踏ん張った。
目を剥き、歯を食いしばり、唸りを上げて敵を睨む。困惑したようなパレエスの双眸には、真っ赤な目を見開く俺が反射していた。まるで獣のようだ。
そうだ、これでいい。時間を稼げ。
俺へ【追憶送還】を使用している間、奴は無防備を晒し続ける事になる。
パレエス発見の魔力波は届いているはずだ。援軍は必ず来る。一秒後、レギーナがエントリーしてきて腐れ熾天使を殺してくれるかもしれない。二秒後、俺の仲間の誰かが起き上がるかもしれない。三秒後、俺に謎のパワーが溢れ出て一発逆転するかもしれない。
奇跡を掴み取るのだ。諦めない限り、負ける事はない。昨日までの俺が今日の俺より強い訳あるか。まして、皆と会う前の自分など……!
俺は諦めない。
俺は絶対に屈しない。
何故なら、俺の後ろにはルクスリリア達がいるからだ。
だから、 俺は! 絶対に……!
ふと、視界の端に何かが映った。
それは人だった。少女だった。いや、ロリだった。
黒髪で、角と尻尾のある、つインテールの。
「ユゥ、リン……」
俺の愛する人が、俺を守るように、敵の前に立っている。
美しい背中が、頼れる背中が、勇ましい背中がよく見える。
そして、彼女は、晴嵐の化身たる麒麟の少女は……強く、強く拳を握って。
「なめてんじゃねぇぞ! こら!」
バッギィイイイイイイイイイイイイイ!
雷鳴のようだ。爆発のようだ。烈風のようだ。閃光のようだ。激流のようだ。拳の一点に押し固められた嵐のようだ。
瘴気の壁を突き破ったユゥリンの鉄拳が、熾天使パレエスの腹に直撃した。
「うげぇえええええ!」
殴り飛ばされ、壁に激突するパレエス。
瞬間、心が軽くなった。視界がクリアになる。【追憶送還】が解け、身体が動くようになった。
それでも動けなかった。何故なら、今のユゥリンが過去例を見ない程にキレていて、めちゃくちゃ怖かったからだ。
「ふざけんなよボケが! 無垢なままのジュスティーヌ様と添い遂げたいだと? 出来る訳ねぇだろうが!」
「ぐえっ! き、貴様なぜ動け……がはっ!」
ゴッ! ゴッ! 壁を背にした熾天使に急接近したユゥリンは、勢いそのままパレエスをボコボコにし始めた。
パレエスもパレエスで何とか抵抗を試みているようだが、その起こりは悉く封殺され、頑張って生成した障壁も拳一つで粉砕されていた。
ルクスリリアやヘルガ達も意識を取り戻しているようだったが、皆してユゥリンの憤怒に中てられて呆然としていた。
「愛ってのはなぁ! 変化から始まるんだ! そして変化は痛みを伴うんだ! 好きな人から愛される為に変化を恐れるフニャチン野郎が! 一丁前に愛の逃避行だとぉ!? 面白いこと言うなぁこの蛆虫は!」
「何を言ってブホァ! 人の話をゴブェ!?」
「オラッ! 一方的に殴られる痛さと恐さを教えてやろうか! 今の気分はどうだ? ええ!? 感想を述べよ!」
「最悪ですよ! この腐れ獣人……!」
「あぁぁぁぁなに言ってるか分かんねぇよ五月蠅ぇよ黙れよ! 勝手にワタシの心に触れやがって! ぶっ殺してやる!」
「答えたでしょウボァアアアア!?」
轟! 嵐を伴う拳を受け、ついに壁を貫通したパレエスの肉体は部屋の外に吹っ飛ばされた。
「逃がすか!」
瘴気の籠った部屋に風が吹く。それは麒麟武侠のツインテールを揺らしこそすれ、その心を冷ますには至らなかった。
外に出たパレエスを追い、ユゥリンが部屋を飛び出る。遠くから重い打撃音が聞こえてきた。もう戦って……いや、既にボコり直しているらしい。
「ん、危ないところだった……けど、ユゥリンが暴走するのは流石に予想外。絶対キレさせちゃダメな子」
「ああ。けどチャンスだ、ユゥリンを追うぞ」
「変な夢見たッス……頭が痛ぇッス……!」
「いいから行くわよ」
慌てて俺達も武器を取り、ユゥリンが開けた穴から外に出た。
見ると、奇しくも二人はジュスティーヌ様の霊廟で対峙していた。俺達もそこに着地し、パレエスを包囲する。
「はぁ、はぁ……! どいつもこいつも、道理を弁えない馬鹿ばかり……! これだから野蛮な下界人は嫌いなんですよ……!」
パレエスが漆黒の翼を広げる。背中に移った光輪が高速回転し、明確な臨戦態勢を取った。
対するユゥリンは嵐の翼を生成し、槍を取り出して構えた。その顔は今まで見た事ないくらいの凶笑で、彼女の怒りの程を如実に表している。
「いいから! 私の邪魔をするなぁああ!」
「こっちの台詞じゃボケェエエエエエエ!」
そして、両者は激突した。
あの、どう見てもヤンキー同士の喧嘩なんすけど……いーんスかこれ。
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