【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚   作:いらえ丸

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 感想・評価など、ありがとうございます。特に感想を貰えると凄く嬉しいです。
 誤字報告感謝です。ありがとうございます。

 キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。

 作中の陰陽とかその辺は、あくまで本作世界における魔術体系のひとつです。
 本作では、そのへんのアレコレをあえてごっちゃにして使っています。
 つまり、地球の陰陽師とか仙人とは全く無関係という事。よろしくお願いします。

 あと、凄いどうでもいい事なんですけど、陰陽を「おんみょう」って読むのあんま好きじゃないんですよね自分。なんか「おんみょ~ん」って感じで。
 なので、本作世界ではインヨウで統一します。まぁ深い意味はありませんが。

 今回は三人称、イリハ視点です。
 よろしくお願いします。


貴方のいた季節(前)

 イリハは、自分の眼が嫌いだ。

 見たくないものまで、見えてしまうから。

 

 イリハは、自分の瞳が好きだ。

 忘れたくない事を、思い出させてくれるから。

 

 

 

 狐人イリハは、いわゆる没落令嬢である。

 それも、リンジュの初代国家元首の血を引く由緒正しき九尾一族の末裔だ。

 しかし、よほどの事がない限り、名家とは長く続かないものである。跡目問題、遺産の奪い合い。家臣内派閥の対立に分裂。

 不老長寿の狐人一族とて、やってる事は人間と大して変わらない。むしろ、絶対強者が全てを牛耳っているラリス王国の方がその辺はクリーンという始末だ。

 結果、今となっては尊き血も薄れに薄れ、先代達のやらかしで地位も名誉も財産も失い借金一家となってしまったのだ。家臣など一人も残ってないし、ついには名家の証である苗字まで剥奪されてしまった。

 

 そもそも、今現在リンジュに住んでいる狐人の多くは、血統を辿れば件の九尾に行き着くのである。血統書付きであったとして、特にレアという訳でもない。

 だが、その末裔たるイリハは、九尾の血を覚醒させて生まれてきた。

 

 イリハは魔眼持ちだ。

 魔眼とは、あらゆる種族に低確率で発現する先天的な特殊な眼の総称である。

 その種類は個体によりけりで数多く、普通の人には見えない小さくて細かい世界が見える“顕微眼”や、呪いの術式が見える“呪視眼”。観測対象が前に何を食べたかが分かるという魔眼なんかも存在する。

 

 イリハが発現したのは、九尾の子孫にしか発現しない一等特別で有用な魔眼である。

 基本、全ての種族に与えられる魔眼ガチャに、リンジュの狐人にだけ特別にSSR魔眼が混じっていると言えばわかりやすいか。

 没落した一族の末裔であるイリハは、魔眼ガチャの種族限定SSRを引き当てて生まれてきた訳である。

 

 ――仙氣眼(せんきがん)

 

 イリハは、普通の人には見えないものが見える。

 魔力とも生命力とも違う、色とりどりの光――“()”が見えるのだ。

 氣は、生きとし生けるもの全てに宿っている不可視のエネルギーである。人や動物、魔物にもある。見える光は赤や黄、白や黒といった色があり、暗かったり明るかったりで種類がある。それらは一つの生命の中で絶えず循環しているのだ。

 イリハにとって、光り輝く氣の世界は当たり前のものだった。

 

「お母さんは白黒で綺麗ね!」

「ほう、そうかそうか」

 

 九尾一族の末裔で、先祖返りの魔眼持ち。そんなイリハは、生まれた時から母のキィナと二人で田舎暮らしをしていた。

 リンジュの外れにある山奥の村。そこで慎ましやかに、地に足着いた借金返済生活を送っていたのである。

 全ての家宝を売ればすぐに返済できたのだが、それは最終手段である。不老長寿の種族らしく、ゆっくり着実にゆる~くやっていた。

 

「お母さん、村長さんお腹がキラキラしてないの」

「それは、どういう事じゃ?」

「んーっとね、赤いのが大きくて白いのが小さいの」

 

 普通の人には見えない氣の世界。時々変な言い回しをするイリハを、子供ならではの感情表現だと思っていた母だったが、とある一件を機にイリハの魔眼の存在が明らかになった。

 始祖の魔眼、その発現である。喜びこそすれ、恐れるモノではなかった。

 

「イリハよ。それは仙氣眼といってな、とっても尊い眼なんじゃよ」

「とーとい? お母さんと色同じだよ?」

「そうじゃな。けど、母には無いのじゃ。」

「お母さんとは違うの……?」

「いやいや、良い事なんじゃよ。イリハは凄いのじゃ。ほ~れ、よしよし」

「そう? えへへー」

 

 実際、仙氣眼は魔眼の中でも最上の位階にある。

 何たって、これまで実在を疑われていた“氣”の存在を証明し、これにより氣を用いたリンジュ式魔術体系――陰陽術(いんようじゅつ)が生み出された経緯があるのだ。実績においても、実利においても、素晴らしい魔眼なのである。

 今となっては素質がある者が修行さえ積めば使えるようになる陰陽術なのだが、これを修めるにあたって仙氣眼は最高にアドである。

 例えるなら、周りが「あいうえお」から日本語を勉強して作文を書いてるのに対し、仙氣眼持ちは日本生まれ日本育ちの日本語ユーザーがハイエンドPCで作文を書くようなものなのだ。

 

「お母さんお母さん! 見て見て! なにこれー!」

「ほう、驚いた、尻尾が増えておるではないか」

 

 加えて、イリハは幼少の時分に尻尾の数が増えたのである。

 通常、長い鍛錬の末に尻尾の数を増やすリンジュ狐人の中で、特に修行もしてないのに尻尾が増えるなど、これは圧倒的な素質と言わざるを得ない。

 例外こそあれ、尻尾の数は氣の順応力に比例すると言われている。つまり、イリハは天性の氣使いという証左に外ならないのだ。

 ちなみに、その代償とでもいうように、尻尾が増えた日以降イリハの身体は成長が止まってしまった。その理由は同じく氣の使い手である母をして、「全く意味が分からん」と匙を投げるような謎現象だった。

 

「えへへー、もう少しでお母さんとお揃い!」

「凄いのぅ凄いのぅ。けど、出しっぱなしじゃと不便じゃろ。しまう練習もしようなー」

「はーい」

 

 狐人は、同じ獣人族の中でも少し特殊な存在である。

 通常、獣人は人間族よりも早く成長する。しかし、狐人の成長は人間族とそう変わらない。だいたい、二十過ぎあたりで不老となる種族なのだ。

 そして、当人の素質と修行次第でバフが得意な“天狐”か、デバフが得意な“妖狐”に種族変更ができ、それを機に狐人は不老長寿の獣人になるのである。

 

「少し早いが……。イリハ、陰陽術の修行を受けてみる気はないか?」

「やる! お母さんと同じ事やりたい!」

「やる気十分じゃのぅ。じゃ、早速明日から修行開始じゃ」

 

 英雄の子孫。魔眼持ち。あからさまな氣の才。

 没落して一般人になった手前、無理して強くなる必要は無いのだが、卓越した陰陽術師である天狐としては、娘の才を活かさない選択肢はなかった。

 加えて、場合によっては他の狐人一族から魔眼目当てで狙われる可能性がある。イリハの将来を思えば魔眼の隠蔽とコントロール技術の習得は必須だろう。

 こうして、イリハは母手ずから魔術の手解きを受ける事となったのである。

 

「ほう、もう氣を掴む事が出来たか。イリハは凄いの~」

「ふふ~ん! もっと褒めるのじゃ!」

「やー、でもその口調は百年早いかのぅ」

「のじゃのじゃ」

 

 母による英才教育。

 魔眼という下駄の存在も相まって、イリハの陰陽術はメキメキと上達していき、やがて仙氣眼のオンオフも可能になった。

 また、イリハは褒められると伸びるタイプであったのも大きい。頭を撫でられる度、イリハはよりいっそう鍛錬に励む事ができたのだ。

 キィナの見立て通り、娘には母以上の才があったのである。

 

「没落チビだ! 没落チビがいるぞ!」

「やべこっち見た! 呪われるぞ逃げろ逃げろ!」

「うわぁ、あの子、もう尻尾三つあるじゃない……。怒らせると怖いし、あっち行こ……」

 

 しかし、人間関係の方は上手くいかなかった。

 当時、母子は村外れの山奥にある屋敷で暮らしていた。凄腕の陰陽術師であるキィナが付近の水脈を管理・調整する為である。

 水脈の管理など、村にとって、ひいては周辺地域にとっては物凄く大切な仕事なのだが、非陰陽術師には何をどうしてるのかが分からないのである。一応の感謝こそすれ、普通の村人には怪しまれているのが現実であった。

 

 ド田舎の山奥住まいである。当然として、イリハは同年代の子供と遊ぶ機会はなかったし、村に下りても彼女は歓迎されなかった。

 山に籠ってる変人。畑仕事もしないのに金をもらっているズルい家。昔は偉かったらしい元名家の老狐と幼狐。

 そういう、大人がキィナに対して表立って言えない悪感情を子供は敏感に嗅ぎ取って、娘であるイリハに対してぶつけられていたのである。

 もしキィナがガチで怒った時の事を想像できないあたり、思慮の浅い子供のやる事であった。親達が言い聞かせたとしても、どうにもならないのが現実である。

 

「よしよし、イリハは何も悪くないのじゃ。あの子等も大人になれば分かってくれるもんじゃよ」

「うぅ! お母さん怪しくないもん……! 良い天狐だもん……!」

「勿論じゃ。わしは九尾の血を引く天狐じゃ。悪い事なんてする訳なかろう。イリハも、とっても良い狐人なんじゃぞ」

「んぐ、うん……!」

 

 幼いイリハにとって、山の下は悪意に塗れた汚い場所に見えていた。

 所謂、高飛車お嬢様気質とでも言おうか。最初は意図して、後に無意識に、気づけばイリハは自身が高貴な血を引く狐人である事に強い自己肯定感を得て自尊心を保つようになっていた。

 

「うん、わ……わしも良い天狐になれるよう頑張るのじゃ……!」

「ん~、仔狐の頃からのじゃのじゃ言うのは……まぁよいか」

 

 それから、イリハはのめり込むようにして陰陽術の鍛錬に励んだ。

 チビだと見下してくる奴も、自分を除け者にする村人も大嫌いだ。

 母さえいればいい。そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございます。キィナ様」

「構わぬとも。それに“様”もいらぬ。わしはもう、ただの陰陽術師ゆえな」

 

 イリハの母、キィナは国家資格を持つフリーの陰陽術師である。

 水脈を測り、大地の力を呼び起こし、山の循環を整える。自然の恵みを得て生きる農村としては、非常に有難い存在である。

 そんでもって、キィナはべらぼうに美人だった。

 

「キィナ様、ボクと結婚してください!」

「おいおい、わしみたいな年増に何を言うとるんじゃ。それに、わしは夫に操を立てておるでのぅ」

 

 キィナは狐人的にもかなりの高齢なのだが、見てくれが見てくれである。輝かんばかりの桜色の髪に、吸い込まれそうな緑の瞳。色鮮やかで美しく、胸も尻もむっちりとしていてクッソエロい。

 何より、血筋が血筋である。性格悪めの村人女からはともかくとして、性欲強めの村人男からすると“没落した名家の未亡人”など最高のエロスパイスであった。

 当然、めちゃくちゃモテた。モテてはいたが、母は亡き父に操を立てていたので、再婚する事はなかった。

 

「母上はモテモテじゃのぅ」

 

 だが、イリハは全くモテなかった。

 イリハも良い歳になった。村の若者がどんどん結婚していっても、彼女は独身のままだった。

 その理由は単純で、イリハがずっとロリだったからだ。

 年月を経て陰陽術師への偏見やイリハへの迫害こそなくなったものの、彼女の中にある村への不信感は取り除けなかった。どれだけ言い寄られようと、下界の男など真っ平御免であった。

 まぁそんな男なんて一人もいなかった訳だが。

 

「にょほほ、わしは若い頃からモテモテじゃったからのぉ~。まぁ、イリハもいつか良い男と巡り合えるさ。そうじゃ、どうせならイリハにも花嫁修業をつけてやろう」

「花嫁? なれるかのぉ……?」

 

 とはいえ、イリハとて全く枯れている訳ではなかった。年相応に、色恋に興味がない訳でもない。

 という事で、イリハはずっと続けてる氣の修行に加えて、花嫁修業も受ける事となった。

 料理や裁縫などは子供の頃から練習していたが、加えて楽器の演奏や礼儀作法なんかも習う事になったのだ。

 楽器の練習には、蔵で埃をかぶっていた物を引っ張り出して使った。古い家だと、そういうのは数多く残っているのである。

 金こそ無いが、家と時間はあるのだ。それに楽器の演奏は結構楽しい。やがてイリハは、何処に出しても恥ずかしくないリンジュ撫子へと成長した。

 

「母上、陰陽術の方はもうよいのかの?」

「うむ、技は十分じゃろ。あとは魔物を倒せばって話なんじゃが、アレだいぶ危なくてのぅ。それに、うちは返済し切るまで迷宮とか行っちゃいかんのじゃ。こんなもんでよかろ」

「おっ、じゃあ免許皆伝かの?」

「皆伝じゃのぅ」

 

 氣の修行を続けて数十年。長い修行の末、イリハは陰陽術の基礎をマスターした。

 しかし、陰陽術師イリハの魔力量はそんなでもなかった。これ以上は鍛錬で何とかできる段階ではないのだ。色々な事情で迷宮に潜れないイリハは、これ以上強くはなれなかった。

 とはいえ、田舎で暮らす分には過ぎた力は災いになる。イリハもキィナも、これ以上はいいかという雰囲気だった。

 

「なら、わしも山の管理とかしといた方がいいんじゃないかのぅ」

「や~、イリハには魔力が足らんからなぁ。せめて銀細工程度には強くないと。それより、イリハにはイリハに出来る事をやってくれる方が嬉しいのぅ」

「わかったのじゃ」

 

 技量はあっても魔力がない。晴れて一人前の陰陽術師となったイリハだったが、それからは街や村に下ろす薬の調合や薬草の栽培を行って家計を助けていた。

 魔術に料理に裁縫に音楽。ついでに薬術まで習得してるあたり、イリハはかなり器用である。無論、各エキスパートには及ぶまいが、辺境の村で生きるには十分な能力である。

 

「ただいまじゃ~」

「おかえりなのじゃ」

「もうイリハののじゃ口調にも慣れちゃったんじゃよなぁ」

「貫禄出てきたのじゃ」

「それはないのじゃ」

 

 田舎に住む、没落した元名家。天狐の母と、幼狐姿の娘。

 大きな喜びもなく、深い絶望もない。植物のような静かな生活。

 借金こそあれ、慎ましやかに生きていれば無理せず返済できる。

 そんな生活を、イリハは気に入っていた。

 

 元来、イリハはそういう娘なのだ。

 好きな人と一緒にいられるだけでいい。

 とても素朴で、それでいて愛が深い性質なのである。

 

 

 

「母上や、父上はどのような男だったのじゃ?」

 

 それから、幾何の時間が流れ。

 イリハの尻尾が九つになり、修行の成果で見事“天狐”に進化した夜の事。

 

 ふとした拍子に、イリハはこれまで訊けなかった事を問うてみた。

 物心つく頃には、イリハは母と二人で暮らしていた。顔を見た事はないが、イリハの父は間違いなく存在しているはずなのである。

 カメラや写真のない異世界。人の容姿は絵や像で残すものだが、家に父らしき男の絵は見当たらなかった。

 

「父上、そうか……。そういえば、今の今まで話しとらんかったのぅ。いや、まぁ何も壮大な話とかではないんじゃが」

 

 これまで、イリハは子供なりに気を遣って、父の事を訊かないようにしていた。

 操を立てているというように、母は父を深く愛していたのだ。そんな母を傷つけまいとして、努めて気にしないようにしていたのである。

 それを今になって訊こうと思い口を開いたのは何故だったか。イリハ自身、よく分かっていない。ただ、何となしに母の心に変化があるように思えたのだ。

 今なら大丈夫だろうと、そういう確信があった。

 

「奴は冒険者でのう。名うての狐人剣士じゃった。何というか、確か……アレじゃ。わしが訳分からん金持ちに嫁がされそうになった時にな、助けてもらったんじゃよ」

 

 イリハが生まれる前の記憶だ。キィナとて、思い返して落ち込むような年齢でもない。

 善き思い出を振り返って、薄く微笑んでいた。父の事を語る母は、これまでイリハが見た事がないような静かな笑みを浮かべていた。それでいて、楽しそうでもあった。

 

「前から好き合ってたんじゃがの。でもまぁ、知っての通りうちは没落一家じゃ。しこたま借金あるっちゅーに、わしと結婚すると言って聞かんかったのじゃ。そしたら奴は迷宮に潜ってっての、借金の殆どを肩代わりしてくれたのじゃよ。で、時間かければ返せる算段がついて、それからイリハを授かったという訳じゃ」

 

 愉快げに語るキィナだったが、その瞳の奥底には深い悲しみが潜んでいるように感じられた。

 これまでずっと一緒だったイリハにしか分からないような、それくらい奥にある感情であった。飲み下した後、当人とて意識出来ない程の。

 

「イリハが生まれて、少しくらいかのぅ。山に魔物が出て、戦って、死んでしもうたんじゃ。わしも歳じゃったが、奴も奴で相当老いておったからのぅ……どのみち、すぐ寿命だったろうの」

 

 聞くに、父は天狐でも妖狐でもない、通常の狐人だったのだろう。

 そうなると、父が先に死んでしまうのは道理である。イリハからして、それはとても残酷な事のように思えた。

 

「それは、母上が不憫なのじゃ……」

「不憫? いやいや、そんな事はないぞ、イリハ」

 

 言うと、キィナは表情を和らげて、それでいて真剣な眼を向けてきた。

 イリハと同じ色の眼が、イリハにはまだ無い優しい光を湛えていた。

 

「良いか、イリハ。わしら狐人は……いや、天狐は他の種族より長生きする。当然、沢山の別れを経験するものじゃ。わしとて、多くの友を看取ってきた」

 

 けどな、と老いた天狐は続ける。

 

「いつか別れるからといって、わしは愛する事を恐れてはおらんよ。できれば、イリハにもそうあって欲しいと思う」

「分かっては、おるが……」

 

 彼女の言わんとしている事、その意味が分からないイリハではなかった。

 イリハより娘を知っている母は、娘の愛情深さをよく知っていた。だからこそ、この事はしっかりと伝えるべきだと思ったのだ。

 

「いつか、イリハに大切な者が出来た時、そうしたらな……思いっきり愛してやるのじゃ。甘えてもいいし、甘えさせてやってもいい。どんな形であれ、愛し合うというのは素晴らしい事なのじゃ」

「……でも、わしこんなじゃし。母上には悪いと思うが、有り得んと思うよ」

 

 とはいえ、当のイリハは自分の心身が幼狐なままである事をそれほど気にしていなかったし、それが男受けしない事もまた理解していた。

 むしろ、母曰く「わしの小さい頃とそっくりじゃ」という自分の容姿を誇らしく思っていた。心根もまた、冷静に俯瞰できる程度にはよろしくないと自認していた。これでは想い人はおろか、友達一人できないだろうと。

 だが、それはそれとして母に孫の顔を見せてやれないという事は、申し訳なく思っていた。

 覚悟もまた、なかった。

 

「巡り合えるさ。昔のわしも、似たような事を考えていたんじゃ」

「でも置いてかれちゃったのじゃ……」

「イリハがいるじゃろ。それだけで、わしは最高に幸せじゃ」

 

 そう言って、キィナは我が子を思い切り抱きしめた。

 仔狐でなくなった娘は、キィナにとってはいつまでも愛する我が子のままであった。

 

「……イリハよ。本当に、生まれてきてくれて、ありがとうなぁ」

 

 返事の代わりに、イリハもまた母を抱きしめ返した。

 流石に恥ずかしくて、言葉までは返せなかったが。

 それでも、母娘の間に言葉はいらなかった。

 

 

 

 そして、それは当然として訪れた。

 

 

 

 特に事件が起こった訳ではない。

 誰か悪者がいた訳でもない。

 老狐のキィナは、年を経る度にほんの少しずつ衰えていった。

 

「母上、大丈夫かの?」

「すまん、少し疲れた。いやはや、予想より早かったのぅ……」

 

 見た目こそ若いままだが、イリハを産んだ時点でキィナは既に高齢だったのだ。

 娘より早く“その時”が来るのは、自然な流れだった。

 

「料理……本当に上手くなったなぁ、イリハ」

「まだまだ母上には追い付いてないのじゃ」

「教えるといってものぅ……。もう何もないんよなぁ」

「そんな事ないのじゃ。母上の糠漬け、また食べさせてほしいのじゃ……」

 

 布団の中、寝たきりになったキィナはイリハに介護されていた。

 老衰していくキィナは、弱る身体に引っ張られるようにして心まで小さくなっていた。

 元のポジティブさが鳴りを潜め、一人残される事になるイリハの未来を杞憂し、自身の矮小さを卑下するようになっていたのだ。

 

「母上、氣を整えるぞ」

「すまんのぅ、イリハ」

 

 老いは病ではない。いくら休んでも、どれだけ滋養のあるモノを食べても、刻々と迫る死を止める事はできない。

 イリハとて、それは分かっている。伝えられたことだ。死んでほしくない。ずっと元気で生きていてほしい。

 そう思ってはいても、先祖返りした眼を持つイリハには、観えているのだ。母の身体から、“氣”が失われている事が。いくら氣を調整しても、彼女の命は残り僅かである事が。

 あの日の村長と同じだ。氣の光が薄くなり、流れが滞っている。そうなるともう、どうしようもない。

 

 せめて安らかに、幸せでいてほしい。

 キィナの身体が痩せていく度、イリハの心まで擦り減っていくようだった。

 

「イリハ……金については、心配するな。蔵の宝を売れば何とでもできるはずじゃ。それを売って、イリハは自由に生きるのじゃ。なに、余裕で返せる計算じゃ……」

「けど、それは大事な家宝と言っていたではないか。安心せい、全部残しておくのじゃ」

「娘より家を優先する母がいるものか」

 

 献身的な娘の助けもあり、寝たきりのキィナが苦しみに苛まれる事はなかった。

 だが、死から逃れる事はできなかった。

 

 朝起きて、娘の顔を見て、老狐キィナは確信した。

 今日が最後になる。

 

「本当に、愛い娘じゃ……。お前を産んでよかったのぅ……」

 

 見たくない、だが見えている。抑え込んだ感情により制御を外れた魔眼が、イリハに現実を突きつけてくる。

 別れの日だ。畳の上で死ねるなど、この世界としては最上の終わり方だ。

 だが、それがイリハにとって何の慰めになるというのだろう。

 

「はは……大人になっても泣き虫なままじゃのぅ、イリハは」

「は、母上……!」

 

 母と目を合わせ、イリハは母の言葉を思い出していた。

 別れが来ると知っていても、愛する事を恐れてはいけない。その意味を、イリハは努めて心に留め置いた。

 最後の最後まで、イリハは母を愛する事を止めなかった。哀しみから逃げず、目を逸らさず、愛する母を看取る覚悟を決めたのだ。

 

「なぁ、イリハ……」

「なんじゃ……?」

 

 もうすぐ、命の灯が消える。

 母は精一杯の力で、娘の手を握った。それは、握るというより、触れる程度の力しかなかった。

 イリハは母が痛みを感じないよう、優しく握り返した。

 

「泣き虫なままでよい。寂しがりなままでよい……。イリハが生きてるというだけで、わしは満足じゃ。本当に、生きててよかった。全部イリハのお陰じゃ……」

 

 喉の奥が熱い。涙が溢れる。

 母の言葉を聞く為、イリハは漏れそうになる声を押し殺した。

 

「あぁ、でも、やはり……」

 

 ぼやけた視界の中、母は心底幸せそうに微笑んでいた。

 

「ずっと一緒にいたかったのぅ……」

 

 母の身体から、光がなくなる。

 蝋燭の火が消えるように、母の氣が見えなくなった。

 イリハの眼には、その全てが視えていた。

 

「うぅ、うぅっ……! 母上、母上……くっ、あぁ……!」

 

 母は、永遠の眠りについた。

 彼女の安らかな顔は、死人とは思えない程、美しかった。

 桜色の髪も、緑の瞳も、自分と同じ。

 その時、イリハは半身を失ったのだ。

 

「なんで……! なんで先に死んじゃうの……!」

 

 イリハは、自分の眼が嫌いだ。

 見たくないものまで、見えてしまうから。

 

 イリハは、自分の瞳が好きだ。

 忘れたくない事を、思い出させてくれるから。

 

「寂しいよ……! 一人なんてイヤだよぉ……! お母さん……! うぅぁぁぁ……!」

 

 よくある悲劇と、他者は言う。

 ありふれた絶望だと、強い人は言うだろう。

 

 愛する人との、永遠の別れ。

 イリハには乗り越えられなかった。

 

 こうして、イリハは迷子になったのだ。




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 なんからしくない話になってしまいましたが、ごあんしんください。
 本作のタイトルを見てから、サブタイをご覧ください。そういう事です。
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