【一巻発売中】たのしい異世界ハクスラ生活、あるいは超紳士的英雄譚 作:いらえ丸
誤字報告も感謝です。マジでありがたいっす。
キャラ・ボスのご応募もありがとうございます。
今回、アンケあります。
すぐ閉じますので、気軽に選んでくだされば。
戦の後の宴会は、それはもう盛大に行われた。
まず場所。金の屏風やキンキラの謎オブジェが置いてある広い御座敷。加えて奥の方には何かの芸事を披露する用のステージがあった。
俺はそこの上座? お誕生日席みたいなトコに座らされた。その場の皆で「コ」の字になるように座ると、これまた豪勢な料理が運ばれてきた。
豪奢な座椅子とちっちゃくてゴツいミニテーブル。卓上にはおつまみが置いてある。凄く美味しそうだが、ちょっと気に入らない点が……。
「すみません、うちの子達の席がないようですが」
「へ? あっ、ただいまご用意いたします!」
こういう時、奴隷身分はハブられがちだ。俺は従業員さんに言ってルクスリリア達の席も用意してもらった。
俺の隣にルクスリリア達とイリハを座らせ、いざ宴の始まりである。今この場にいるのは俺の一党と忍者ズとヨタロウさんミアカさんと、あと陰陽師ダンサーズもいたわ。
「っしゃああああ! 今日はライドウさんの奢りじゃああああ! 呑むぜ呑むぜ呑むぜぇえええええ!」
「待てヨタロウ! 鬼酔酒が来るまでは程々にしとくのだ! せっかくの味が分からなくなるのだ!」
「ライドウさんじゃん。名前で呼んでやれじゃん」
「細けぇ事ぁいいでござる! 今宵拙者は胃袋の限界に挑むでござる!」
それからはもう、いつものノリである。
呑んで騒いで飯食ってバカ笑い。ステージの隅で演奏隊が音楽を奏で、踊り子が謎ダンスを披露する。一人につき何人もの遊女がついて接待し、今宵の戦士達は美女に酌をしてもらっていた。
「へぇ~、イシグロさん王都の人なんですかぁ~。あーしぃ、アレクシスト憧れてて~」
「そうですか」
「リンジュの服よりぃ、ラリスのが何かオシャレじゃないですかぁ~?」
「なるほど」
「けど王都って遠いしぃ~。道中も怖いかなぁ~って。一度でいいから旅行してみたぁ~い」
「悪いのは貴女ではありません」
俺の周りにも何人か遊女がくっついてきて、正直あんまり楽しくなかった。お酌というならルクスリリアにしてほしい気持ちがある。
ふとルクスリリア達を見ると、各々は存外楽しそうにしていた。イリハに絡んでるルクスリリアに、ヤクザが持ってそうなデッカい盃で酒を呑むエリーゼ。グーラは……うん、料理に夢中だった。
「わ、わしも働かなくていいのかのぅ……」
「ええってええって! ほらイリハちゃんも食べてーな!」
「むぐっ!? こ、こんなクソ美味ぇモン初めて食ったのじゃ!」
お誕生日列の端に座るイリハは、なんか身を縮こまらせていた。が、それこそ当の遊女達からお客様扱いされていた。
そういえば、イリハの身請けの話は伝わってるんだったか。遊女にもてなされてるイリハは困惑してる感じだったが、嫌ではなさそう。
「ん~! やっぱリンジュの卵焼きはマジ美味ぇッスね!」
「わかる。だしが効いてていい感じ」
「ご主人様、これも美味しいですよ!」
「う、うまく出てこないわ。この豆……」
「枝豆はな、こう端っこをつまむんじゃよ」
そのうち、俺に付いていた遊女は他の客席に向かっていった。俺はこれ幸いとお隣の天使様達に甘えまくった。
思えば、朝からずっとイリハを探し回っててロクなモノを食べてないのだ。俺もそうだが、皆もお腹が空いてるだろう。
「はっはっはっ! 盛り上がっているようですねぇ!」
そこに、両手にクソデカ酒樽を持ったライドウさんがエントリー。会場の酒呑み達から歓声が響く。
彼の持ってきた酒のお陰で、場は更に混沌の坩堝へと叩き落された。
「かぁ~! なんスかこれ! 前のとは全然違ぇッス!」
「ほう……なかなか美味しいわ」
「は、はい! お米なんですよね? これ。けどなんだか果物みたいに爽やかで……!」
確かに、呑ませてもらったライドウ氏の鬼酔酒はめちゃくちゃ美味かった。
以前ラフィさんに呑ませてもらったものとは全然違う。好みもあるだろうが、あっちがガチ鬼用だとしたらこっちは他種族にも優しい味って感じ。
辛いのに甘くて、甘いのに爽やかで、爽やかなのにズシンと来る。ホントに絶妙なバランス感である。
「ん? イリハは呑まないの?」
「うん? うむ、その……実はな、お酒は呑んだ事ないのじゃ。機会もなかったし、それに酔うってのがちょっと怖くてのぅ……」
「えっ!? イリハって自称由緒正しき血統の癖に、お酒処女なんスか!? うぅ、可哀想ッス! 酒の味も知らずに処女やってたなんて処女処女しくって涙が出るッス……!」
「の、呑めらぁ!」
で、案の定煽って来たルクスリリアに唆され、とりま一杯とおちょこに口をつけるイリハ。
すると、彼女は目を見開いて……。
「……なんじゃこれ、“呑む幸せ”か?」
「ふふっ……その通りよ」
陶然とした呟き。どうやら気に入ったようである。
かと思えば、さっきまで遠慮がちにしていたイリハはグビグビ酒を呑み始めた。
「じゃあ、これも呑んでみる?」
「ほほぉ~! これがラリスの酒かの!」
と、若干酔いが回ってた俺はアイテムボックスからポンポンと酒を出していった。
エリーゼ用に色々あるのだ。
こっちだけで消費するのも勿体ないので。それらは皆で呑めるようにしておいた。中でもヨタロウさんはラリス・ビールを気に入ったようで、疲れたリーマンの如くグビグビやっていた。
「あぁ~! くぅ、たまんねぇ! やっぱビールの本場はラリスだよなぁ!」
「ありがとうございます! いやぁ、最近はこっちの酒ばかりで、ラリス・ビールも良いものですね!」
「なな? ウチもこれ呑ませてもろてええ? やった! ありがとなイシグロさん!」
協力してくれた皆さんにも好評だ。曰く、リンジュのビールとラリスのビールは微妙に違うらしく、輸送の手間とか需要とかも相まってそこまで出回らないらしい。
まぁそんなのはどうでもいい。次々出される酒を、イリハは一口ずつ呑んでいった。もう隠すつもりもないのか、収めていた九つの尾も全開である。モフりたい。
「くふぅ~! 美味しいのじゃ!」
「貴女もいけるクチなのね」
「どんどん持ってくるのじゃ! わしは高貴な血の末裔なるぞ!」
「あ、でも獣人の方ってお酒そんなに強くないんじゃあ……?」
ワインに米酒にビールにブランデー。今気づいたが、なかなかのチャンポンである。
そうやってクピクピ呑んでいくと……。
「きゅぅ~……」
ふとした瞬間に、九尾イリハはバタンキューした。
口から涎が垂れて、目がぐるぐるしている。まぁ初酒なんてそんなもんよ。
「あら、早いわね」
「イリハは魔族でも竜族でもないんですよね。気配りができてませんでした」
「ま~、獣人は酒に弱いって聞くッスもんね」
で、ダウンしたイリハはルクスリリアに膝枕してもらっていた。
正直、どっちも羨ましい。したいしされたいのだ。
「勿論、資格さえあれば誰でも出場できますよ。イシグロ殿ならば、剣術部門になるでしょうか」
「へぇ、そうなんですか」
「お? なんだマブ、お前も出るつもりなのか?」
「どうでしょう。ヨタロウさんは出るんですか?」
「おう! 今度の銀細工部門でな!」
ルクスリリア達にイリハを任せ、俺は冒険者達にお礼を言って回った。その中で、ライドウさんとは闘技場についての話をした。
どうやら、例のトーナメントは冒険者資格があれば出場可能らしい。とはいえ、銀細工自体数が少ないので、俺が出られる大会は少ないらしいが。
「ほな! ここらでいっちょ踊ったるかぁ!」
宴会がヒートしてきたところで、これまで給仕をしていたミアカさんがステージに上って踊り出した。
これまでの舞踊と違い、ミアカさんの踊りは異世界人の身体能力をフルに活かした激しいダンスだった。なんだろう、エクストリームマーシャルアーツみたいな。凄いキビキビしてる。
ミアカさんに続き、陰陽師ダンサーズも息を合わせた踊りを披露し始めた。烏帽子被った陰陽師の似非ロボットダンスは普通に面白かった。
「ぎゃはははは! 気分良いのだ!」
「言うてオレら裏方しかしてないじゃん? 今になって思うとオレら此処にいて良い訳? って思うじゃん」
「否! 裏方こそ忍びの本懐でござる! 誇るでござるよ!」
酒が進み、謎の笑いが木霊して、音と踊りが場を盛り上げる。
何というか、凄いバブリー味を感じる。まさに「酒! タバコ! 女!」って感じ。俺はタバコはやらないが、ヨタロウさんは窓際で粋に煙管をくゆらせていた。
そんなこんな。
しばらく後、ふと見ると忍者ズとダンサーズと遊女達がいなくなっていた。あとライドウさんとかその他数名。
ミアカさんに聞くと、ライドウさんは仕事の続きで、他の冒険者達は仲良くなった遊女と
「なぁなぁ、ウチらもこっそり
「いえ、明日も早いので」
「なはは~! フラれてもうたわ!」
宴もたけなわ。
酔いつぶれたヨタロウさんと我が一党以外いなくなった席で、ミアカさんからお誘いを受けたが、丁重に断った。
すると、ミアカさんはけたけた笑った後に、これまたイリハと並んで寝ているルクスリリアとグーラ。それと三人を介抱しているエリーゼの方を見て、言った。
「ほな、イリハちゃん頼むでな」
その後、ミアカさんは足取り軽く去っていった。
外を見ると、うっすら空が白んでいる。
今日の天気は晴れらしい。
〇
さて、宴が終われば、戦の後の話である。
ほんと、色んな事があった。
豊狸屋での出来事の取り調べとか、イリハ誘拐事件の後処理とか、猫又討伐に関する諸々とか……朝から晩まで、可能な限り俺は国家権力様に協力したと思う。
で、何から整理したものかという話だが。
まず、俺が殺した化け物猫について。
ライドウさんの話によると、件の猫又はリンジュでもラリスでも追っかけていた札付きの悪党であったらしい。
盗みに殺しは序の口で、奴の持ち込んだ病で街が機能不全になった事もあったとか。ここ数百年の間、世界中の惨事の影には黒猫の足跡があったという。
これまで奴はロクな証拠を残さず、なかなか尻尾を掴む事ができなかった。例え対峙できたとしても、殺すまでは至らなかったと。隠れるのが上手く、何より逃げ足が早かったのだ。
「いやぁ! 本当に助かりました! 正直、毛の一本血の一滴でも手に入れば御の字と思っていたもので、まさか討伐までして下さるとは! イシグロ殿には感謝しかありませんな!」
とは、ライドウさんの談。
そんな猫又の遺体はカムイバラのテロ対策チームが回収し、研究に使われる事になった。確かに、あの謎の回復力は異常だった。データはラリス王国とも共有し、以後の対策に役立てるという。
ちなみに、猫又の名前は誰も分からず終いだった。追跡班には「三本尻尾」と呼ばれてたとか。
「と言う訳で! こちら、三本尻尾討伐の報奨金になります! で、こっちが私からの依頼の報酬です!」
「え!? いやいや、これは受け取れません! 第一、先に街で暴れたのは自分な訳ですし、頂けませんよ!」
「むっ! イシグロ殿、私が言うのもアレですが、リンジュにも面子というものがございましてな! それに、区長からもぜひお礼をしたいと……!」
「そ、それだけは勘弁して頂けませんか……?」
「まあ、イシグロ殿が仰るのであれば! しかし、金は受け取って頂きますよ! そうじゃないと私が困っちゃいますので!」
結局、金は受け取る流れになった。
が、偉い人とのコミュは全力で回避。これは存外ササッと通った。曰く、そういうのを嫌う冒険者は少なくないとか。
次、イリハ誘拐事件について。
これまた、猫又に協力していた者共は誰も彼も札付きの悪で有名であったらしい。
鬼人のヤスケは名うての剣術家だったが、問題を起こして冒険者資格を剥奪されて以後、リンジュのあちこちで辻斬り三昧。放浪者故、なかなか居場所を特定できなかった。
吸血鬼のヴァスラ・カラミスティはリンジュの辺境を拠点とする凶悪殺人者で、高貴な血を啜る事を好むやべーやつだった。主な活動時間が夜というのもあり、追跡は難航していたのだ。
狼人のジャルカタールは、とある犯罪組織の首領であり、特級の指名手配犯だ。何気に、こいつはリンジュだけでなくラリスでもやんちゃしてたとか。
突発的な事とはいえ、そいつらの身柄を捕らえる事が出来てラッキーという話だった。そうライドウさんは豪放磊落に笑っていた。
結果、せっかく生け捕りに出来たので、この三人にはラリスとはまた違う、リンジュ式の拷問術で根掘り葉掘りされる予定だ。
「こちらがヤスケの分! こちらがヴァスラの分! そして、こちらがジャルカタールの報奨金でございます! さぁお受け取りください!」
「いえ、しかし……」
「ははは! 受け取って貰わないと普通に困りますな!」
で、こっちも受け取る流れになった。
これについては迷宮ギルドから感謝状が届いた。呼び出してこないあたり、ギルド長は冒険者の生態をよく分かっている。
それから、狸人のゴロキチ。
元々カムイバラ・マッポにロックオンされていた彼は、この一件をきっかけに半ば強引に家宅捜索されたようで、当人が止める間もなく隠してきた悪事の多くが晒される事となった。
そもそも、ゴロキチは鬼人ヤスケと繋がってたのである。その他にも山ほどの悪事が露呈したのだ。だが、そのどれもが黒か灰色か判別し難いもので、全てが軽い罪であった。
しかし、塵も積もればという話で、結局、彼は持っていた殆どの資産を失う事と相成った訳である。牢に入らなかっただけマシだと思うが。
「彼は恨みを買い過ぎましたな! 落ちぶれていく中、誰も手を差し伸べてこなかった! 義理と人情を軽んじるからこうなるのです!」
「はあ。それより、彼の商売はどうなるのでしょう?」
「続けるつもりのようですよ。今ある全ての取引を終えたら、屋敷を売って行商を始めるとか! いやぁ、商魂たくましいですな!」
で、最後に俺。
夜の街、最初から最後まで暴れまくった俺へは、当然として公的なお咎めがあった。しかし、前述の功績によってプラマイゼロどころかプラスで終わってしまった。
無論、非常時とはいえ扉や屋敷の結界を破壊し、犯罪者相手に街で大立ち回りをしたのはよろしくない。
幸い人的被害はゼロだったが、住民に迷惑をかけたのはその通りだし、問答無用で睡眠魔法を使ったのはこっちだ。これまた非常時だったとはいえ、申し訳なさが勝つ。
「ほ、本当によろしいのですか? イシグロ殿!」
「ええ、それでお願いします」
なので、俺は猫又討伐と指名手配犯の報奨金を、街の復旧と被害者への慰謝料に使う事にした。あと協力者への報酬。それでも大いに余ってしまった訳だが、これも何か別の事に使おうと思う。
誠意に欠ける行いだが、俺にはこれくらいしか思いつかなかった。何となく、この金で欲しい物を買う気にはなれなかった。この金は惜しくない。不思議な気持ちである。
最後に、イリハについて。
俺達はカムイバラの役人の監視の下、物寂しくなった豊狸屋で以て彼女を真っ当な価格で身請けする事となった。
「……はい。これにて契約完了となります」
価格は合計一億五百万ルァレ。イリハの借金の一億と、身代金の五百万ルァレだ。前に比べると雲泥の差である。
勿論、契約の際に死の連鎖は外しておいた。これにはイリハもゴロキチも目を丸くしていた。
「最初からこうしてりゃ良かったなぁ……」
家財の殆どを失ったゴロキチは、ゼロからの再スタートである。少なくとも手元に五百万はあるんだから、何か上手い事やってくれ。
まぁ頑張れ。俺は知らん。
「よろしくお願いするのじゃ!」
「ああ。今後ともよろしく」
こうして、色々あったが無事にイリハを身請けする事ができた。
長かったような、短かったような。
それから、その日のうちに更なるビッグニュースがやってきた。
帰り道、いきなりマッポがやってきて「ちょっと来てくれ」である。普通に怖い。
何だ何だと行ってみると、連れてこられた先に見覚えのないミニ銅像があった。
いや、モデルの狐人は見覚えがある。誰だ、どこで見たんだっけ……?
「こ、これは……! 九尾尊の像ではないか……!」
「はい。今回の一件で押し入った倉庫の中から、失われたとされていた九尾の遺宝が見つかったのです」
あ、思い出した。この銅像の人、建国記の挿絵にあったリンジュの初代元首じゃん。
どうやら、ゴロキチと繋がってた商人を追い詰める過程で、盗まれたイリハの家宝の一部が回収され、元の持ち主に返却という流れらしかった。
そういや、イリハって何か長い名前言ってたもんな。わしはノーブルブラッドなんじゃと。まぁウチには既に貴き銀竜がいるので、今更驚かないが。
「こ、これをわしに、か……?」
「はい」
突然舞い込んできたお宝に、イリハは唖然としていた。もらう、というか戻された感じだな。
ちなみに、エリーゼは珍しくお宝を前に目を輝かせていた。
「勿論、今後の調査によって他の遺宝も見つかる事でしょう。これ一つだけでも、ご自身を買い戻せる価値がございます。それどころか……」
「いや……要らぬ」
とても高価な宝だ。彼女の表情からして、宝に思い入れもあるのだろう。
そんな家宝の受け取りを、イリハは拒否した。
驚いたのは俺だけではない。これには持ってきた役人も目を丸くしていた。
「今回の一件で思い知ったのじゃ。今のわしは、この宝を持つに相応しくない。力なき栄光など、儚いものじゃ……。故に、九尾の宝は全て、リンジュの長に譲ろうと思う」
そう、胸を張って言ってのけた。その瞳に迷いはなく、堂々としたものだった。
のじゃ口調とか力の強さではない。その毅然とした態度こそ、イリハの血の高貴さを感じさせるものであった。
そんな彼女の決断に対し、ルクスリリアは「もったいね~」みたいな顔になってるし、エリーゼも「え? 本気で言ってるの?」みたいな顔になってる。グーラは「ほえ~」って顔。
俺も俺で、借金を返済する機会をみすみす失うイリハの選択に驚いていた。役人の言う通り、家宝を売れば自分を買い戻す事だって出来るのだ。
借金がある限り、イリハは奴隷身分のままなのである。売れば自由になれるのだ。俺はその自由を妨げるつもりはなかった。
「なに、すぐにでも我が血に相応しい力をつけてみせるのじゃ!」
言って、イリハはルクスリリア達を眺め見る。
それぞれ、困惑と驚愕の表情を浮かべる一同。グーラだけまだ「ほえ~」ってなってた。
それから、今度は流し目で俺を見てきた。
「わしの事、立派な天狐にしてくれるのじゃろう?」
「あ、あぁ……。イリハがその気なら」
「なら何の問題もないのじゃ!」
例の騒動から、しばらく。
戦の熱も過ぎ去った日の事。
こうして、イリハは俺の奴隷になったのだ。
〇
時は遡り、イリハがイシグロと契約した日の事である。
人気のない豊狸屋。物置の戸が開き、一人の天狐が入ってきた。
真新しい奴隷証を身に着けたイリハである。
帰り際、彼女は忘れ物をしたと言って、ひとり物置にやってきたのだ。
当然、借金返済の為に毎日労働していたイリハには、風呂敷に包める以上の荷物はない。
「……あった」
多くを売却し、すっかり寂しくなった物置の奥。そこに、布が掛けられた鏡が鎮座していた。
掛けられた布を払い、傷のついた鏡面を露にした。売り物にならない、ボロ鏡である。
そして、イリハはおもむろに、鏡の前で変化術を行使した。
変化の煙が舞い上がり、中から狐人の美女が現れた。
薄い微笑を張り付けた、イリハの母の似姿である。
くすんだ鏡に、愛しい母が映っていた。
「母上……」
暫し、幻と鏡が見つめ合う。
それから、イリハは自分の意思で変化を解いた。
ぼふん。煙が晴れる。
鏡には、母とそっくりな天狐の姿が映っていた。
朝日を反射し、薄紅色に輝く桜の髪。
先祖から受け継いだ、尊き者の瞳。
新たな主人に買ってもらった、冬でも温かい綺麗な着物。
「なぁ、母上……」
そんな彼女は、希望に満ち満ちた面持ちで、かつて母しか映さなかった鏡に語り掛けた。
まるで、墓前に向かうように、その声音は穏やかだった。
「わしもな、やっと巡り逢えたんじゃ。母上の言うとった者にのぅ」
その声にも、言葉にも、何ら悲壮感はない。
無機質な鏡は、これまで娘を支えてきた幻想は、じっと彼女の言葉を聞いていた。
「ちょっと、思っとったんと
ほんの僅かな、寂寥を思わせる笑み。
数度、瞬く。哀しみの涙が散る事はなかった。
「わしは……あの人に、ついてこうと思うのじゃ」
言って、イリハは鏡に掛けられていた布を被せ直した。
まるで、疲れた母に布団を掛けてやるような、優しい手つきで。
それから、一歩二歩と下がり、背を向けた。
「……行ってくるのじゃ。母上」
そうして、イリハは長年過ごしてきた物置を去った。
足取り軽やかに、何の惑いも後悔もなく。
“行ってきます”を言ったのだ。
開け放しの窓から、桜の花弁が舞い落ちる。
澄んだ冬の朝、暖かな日の光が静かになった蔵を照らしていた。
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