「おはよう、ナナちゃん!」
「おはよう、ナナ。ゆっくり朝ごはん食べていきな!」
ナナマチが起きてくると、リビングで朝食の準備をしている明と芳乃の姿があった。
ボウルいっぱいのトマトとレタスのサラダには取り分け用のトングが備えられており、三人分の皿にはベーコンエッグが載せられており、コンソメスープの良い香りがキッチンから漂っている。
トースターからは焼いているパンのいい香りがしており、とても食欲がそそる香ばしさが部屋を占めている。
「女将さん、こんなに作って大丈夫なの?普段は焼き魚とみそ汁とあと白米じゃん」
「分かってないねえ、アンタ。女の子の朝ごはんだよ?洋食がいいに決まってるじゃないか、オシャレだし」
鍋をかき混ぜている芳乃にそっと耳打ちをすると、「そんなんだからモテないんだよ、アンタは!」と明は一喝される。
「女将さん、ナナちゃんの好きなもの分かるの?」
「減らず口を叩く子は嫌いだよ!!来月の小遣いカットするからね!」
「ご勘弁を!!」
驚いたように手を合わせる明の様子にナナマチは首をかしげる。
この少年は何をそんなに驚いているのだろう?怯えているのだろうと不思議そうに見ていると、明はハッとしたようにナナマチに近づいた。
「明殿、こづかいというのは?」
「ナナちゃん、それはヤバいって!小遣いってのはな、生きるための生命線!必要なものなんだって」
「それをカットされるからって、この子は焦ってるんだよ。馬鹿な子だねぇ」
「ば、馬鹿ってなんだよ!!女将さん!」
明は芳乃の言葉に不服そうな顔をするが、芳乃が明を見る目はとても優しくナナマチには映った。
「二人は親子なのか?」
口を突いて出てきたのは、率直な疑問だった。
「……、」
芳乃が眉尻を下げたのには気づかなかったのか、明は頭を振る。
「俺は女将さんのところに転がり込んでるにすぎないんだよ。だから、居候するだけじゃダメだってことで色々手伝ってるんだ。それなのになぁ、小遣いカットなんて言うんだから!ちゃんと働いているだろ?女将さん!」
「常連さんとおしゃべりするのをそう言うなら、働いてるんだろうね?明」
「接客ってそんなものじゃねえのかよ!?」
うげー!とリアクションしながらも、朝食を全て配膳し終え、明は席に着く。
「さて、食べよう。
ナナマチ、バカ明」
「誰が馬鹿だ!いただきます」
「いただきます」
ナナマチは明たちに倣い、手を合わせる。
良い香りのする湯気が立つ味噌汁が入った椀を取り、ふーふーと息で冷ませば、口をつける。
口内に広がる味噌の風味に味噌汁を飲んだことで、段々と体が温まってくる。
初めて飲んだ味なのにどこか懐かしく思うのは、ヤドリギの訓練生時代に口にした味の薄いスープを思い出すためか。
「……美味しい」
「明ァ!ゆっくり食べな!」
腹が減った!と朝食にがっつく明を一喝しつつ、まるで今までに食べたことがないようなリアクションを見せるナナマチに芳乃の頬も緩む。
「美味しいかい?ナナ」
「はい、とても美味しいです」
ふわり、と漏れたナナマチの笑顔に明は見惚れ、「お口にあったならよかったよ」と芳乃は優しく笑った。
朝食が済み、明が学校へと飛び出して行ったあと、ナナマチは芳乃と後片付けを行っていた。
特殊部隊出身だが、潜伏する世界でどんな状況でも対応できるようにと色んな世界の慣習を叩き込まれている甲斐もあり、皿洗いも教わってすぐにできるようになった。
「助かるよ、ナナ。明ならこうも行かなかった。あの子、見ての通りにガサツだろう?洗ってくれるのはいいが、たまに泡を流し忘れることもあってね。
角が生えてくることもあるんだよ、アタシがね」
「貴女のどこにも角は見当たりませんが……」
「ふふ、言葉の綾だよ。ナナ。
……あの子が言う通り、アタシとあの子には血が繋がってないんだよ。
亡くなった、ウチの旦那が連れてきたのさ。当時、アタシが子供を亡くして自暴自棄になってた時にコインロッカーに捨てられてた、赤ん坊を拾ったんだよ。
それが明だった。それまで真っ暗だったアタシの毎日が一変したような感じがしたから、明るいからとって明と名付けたんだ」
「明殿と貴女にそんなことが」
「そうだよ。あの子は自分が本当のアタシたちの子供じゃないってことを知ってるんだろうね?馬鹿なくせに聡い子だよ、全く。ウチの人にも迷惑をかけたけど、ウチの人もアタシが笑うようになってくれたから、すごくあの子をかわいがってね。本当の親子みたいだった。
だからこそ、あの子にはアタシは母親として接するんだけど、これがどうも難しくて。
ずっと女将さん呼びだよ。……おっと、ナナに急に話すようなことじゃなかったかな?」
「いえ。私でよろしければ、いくらでも」
ナナマチの頬が緩めば、芳乃はそれに釣られて嬉しそうに笑った。
「良い笑顔じゃないか、ナナ。
あの子もナナほどの子を捕まえてくれたらいいんだけどね?あの子とはどんな関係なんだい?」
「関係という関係はありませんよ、女将さん。
ただ、明殿には伝わってるんじゃないでしょうか?」
「あの子にかい?」
ナナマチは自分が思った以上に饒舌になっていることに気が付かなかった。
父を失い、不安なところに出会ったブレイズマンこと藤本明。
そのお人好しさがどこに由来するのか、今の会話でなんとなくではあるが、掴みかけていた。
小野寺芳乃とその夫に育てられたことによって、藤本明は二人に似てお人好しな性格が形成されてきたのだろうと。
一方、芳乃の方は暗い話をした後だが、ナナマチの続く言葉に興味がいっぱいだった。
息子も同然の明が連れてきた身元不明の少女風貌だが、わずかな間でも明に影響を及ぼすほどとなっているのは、あの子もやるねえと心底面白がっている節もあった。
「はい。私が思うに明殿は貴方がいるからこそ、あのように明るく振る舞えるんだと思います。
女将さんのおかげで私も助かりましたから」
「アンタ、もしかして。あの子に?」
ナナマチの浮かべる柔らかい表情に芳乃は指摘しようとするが、ナナマチがはてなを浮かべていることから、彼女はまだ感情を自覚していないようだ。
「明殿にですか?ええと、何を言いたいのかわかりかねます」
照れくさそうに笑う様が少なからず、思うところはあるようだが、本当に恋しているかどうかの自覚はないらしい。
我が息子ながら、実に罪深いことをしてくれたものだと芳乃は笑う。
ただ、明の明るい性格のその裏にある他者との間に引いている線のことを芳乃は理解している。
血縁者がこの世に自分しか存在しないことに気づいており、芳乃と親子のようなやり取りをしていても、気安く母親と呼ぶことを自分で許さないあたり、変なところで真面目なきらいがある。
「いや、いいんだよ。
一緒に生活していく以上、あの子がアンタに迷惑かけることあったら、いつでもアタシに言いな?
アタシはいつもアンタの味方をしてあげるからね」
「それは、とてもうれしいです」
父はいたが、母親を知らないナナマチにとっては、芳乃に優しく頭を撫でられることはとても嬉しかった。
食器類を全て洗い終え、水滴を布巾で拭き取っていく。
いつか憧れた、いろんな世界を渡り歩くうちに目にしてきた特殊部隊以外としての生き方。
“勇士”以外の生き方、それがあってもいいのだと肯定するような芳乃の言葉にはコロッと落ちてしまってもいいと思ってしまう。
「まあ、無理にとは言わないから。
アタシと一緒に店の手伝いをしてほしいというのは、お願いしたいけどね?」
「ご教授お願いいたします、女将さん」
芳乃が見せたウインクにナナマチは頭をぺこりと下げた。