幸太郎の最愛の姉にして心の支えだった。
十家は呪術を扱う家系であったが、鈴鹿も幸太郎もその才能はほとんどなかった。
変化があったのは後に鈴鹿の恋人となる、
「大丈夫、僕が鈴鹿や幸太郎くんを助けるよ」
御門が知ったのは、十家の最強の呪いを生み出すため、一つの壺の中で蠍や蛇のような毒性を持つ生き物を入れ、最後の一匹になるまで殺し合いをさせる人間で行う蠱毒のとも言える儀式、
彼は想い人やその弟を逃そうとしたが、それは姉弟の父が許さず、生贄の子供達と一緒に三人も儀式に巻き込んでしまった。
「どうしたの?幸太郎。太洸を、なんでお兄ちゃんを殴るの?」
「ねえちゃん、俺はこんなクソ野郎をそんな風に思った覚えはねえよ。そいつは嘘つきで俺たちを助けてくれなかったじゃないか!」
御門を指差しながら、幸太郎は鈴鹿の言葉に怒りに
表情が変わらない、クールだとさえ親友に言われるが、御門に抱いた怒りは収まらない。
やがて、怒りのあまりに幸太郎が流した赤い一雫が頬を伝うと、両頬に涙のラインのような赤い線が走り、幸太郎の姿に変化が訪れる。
手足の歪な変形と骨格の変化、頭部が割れて二本の触覚が生える。
変異、あるいは変態とも言える幸太郎の身体の変化は人型の昆虫とも言える姿へと変わっていく。
人間の意匠を残した
「前と
幸太郎の言葉には御門は何も言わず、幸太郎と同様に姿を変異させる。
額を角が突き破り、口が前に突き出すように変形する。
背骨も曲がり、次々と全身が変形していく様はまるで御門の尊厳を破壊し、犯すようだった。
「そういえば、幸太郎くんは龍が好きだったかな!?」
変異を済ませた御門の姿は東洋では神にも等しい存在、龍になりかけた
幸太郎のキック力が増強した右脚による蹴りを受け止めつつ、すぐに手刀を叩き込んで返す。
幸太郎の癖がわかっているとばかりに繰り出される、御門の攻撃は洗練されたものだった。
幸太郎はさらに空いた左脚で蹴りを叩き込む。
今度は頭蓋を割ると言わんばかりの勢いには御門も押されそうになるも、脳天を的確に入れた一撃には御門が掴んだ脚を離した。
左腕を掴んで御門を支えにして爪先で眼球に直接蹴りを入れて目潰しを行う。
ブチッ、と御門の目玉が潰れると幸太郎は身体を起こすようにし、すっかり昆虫のようになった口で蛟の首に喰らいつき、ずらりと並んだ小さな牙を立てる。
力を入れると、御門は苦悶の声を上げて命乞いをするが、幸太郎は聞き入れずに食らいついたままで殴打を繰り返す。
それとほぼ同時、眼窩から潰れた目玉がどろりとこぼれ落ちた。
「死に損ないが。黙ってろよ」
「君は昔からそうだったな」
幸太郎の既に昆虫となった顔には怒りが浮かび上がっていた。
その場でもうずくまってもおかしくないような、痛みや傷を受けてもなお、御門は幸太郎に視線を向ける。
「いつもお姉ちゃんお姉ちゃん。僕の言うことなんか聞きやしない!」
「黙れ。信用できるわけがないだろう、お前のことを。信用できない男の言うことを聞くと思うか?」
御門の言葉は憎しみよりは悲しみを滲ませる。
想いを吐露した御門の言葉には耳を貸さず、幸太郎は強く握り込んだ拳を御門の顔に叩き込む。
骨が折れる音、軋む音とともに御門が痛みに堪えきれず、絶叫する。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!誰か!誰か僕を助けろよ!?なぁ!?誰か!」
神々しい龍の姿をした生き物が命乞いをする憐憫を誘う仕草と声を上げるが、幸太郎がゆっくり近づいていくと近寄るなとばかりに腕を振り、拒絶する。
「……既に死んでいるなら、痛みはないんじゃないのか」
「死んでいるからって、また
「太洸、痛かったよね?大丈夫」
「鈴鹿!お前は本当に使えないな!」
幸太郎の言葉に御門はキッと睨みつけ、そこでようやく鈴鹿が駆け寄り、太洸を抱擁する。
御門の身体が鈴鹿に抱きしめられていくことで幸太郎によって潰れた目玉や折られた骨が再生する。
穏やかな笑みや言葉が嘘であるかのような、化けの皮が剥がれた御門は温和な笑みを浮かべる青年のそれでなく、怪物が不様な姿を晒しているだけだった。
『お前、良いところを取っていくなぁ』
ハニートラップでまんまと因習村に連れて行かれ、物見遊山程度にしか思っていなかった幸太郎が自らを助けた時、藤本明が腫れ上がった顔で浮かべた笑顔を思い出す。
想い人に裏切られ、傷ついていたのは明のはずが、巻き込まれた幸太郎を案じていた。
あの神格存在と戦った時も、“力がなかった”など出し惜しみなどせず、この異形の姿でも藤本明なら迷わずに飛び出して行ったことだろう。
御門太洸のように他者にヒーローを期待したのが間違いだった、と幸太郎は“あの日”からずっと感じている。
十幸太郎を親友だと呼ぶ少年なら、自分の身を顧みずに行くだろうし、そんな生き方には心底憧れている。
「お前がぁっ、少しでも役に立たないから、僕はあのガキにやられてるんだ!」
「先に怪我を癒してからにしましょう、太洸」
化け物が姉を人間を超えた膂力で殴打すると、何かが弾けた音が響いた。
恋人であったもの、あるいは成れの果てに酷い扱いを受けようとも、鈴鹿が向ける笑顔は変わらない。
「
「ねえ、ちゃん?今なんて?」
鈴鹿の言葉に幸太郎の動きが止まる。
「
動きが止まった弟の様子に鈴鹿は愛情を込めた眼差しを向けた後、再度呼びかける。
遊びに出て行った、幼い弟を迎えにきた姉のように優しい言葉で。
御門に引っ張られ、罵倒や暴力を受けるものの、幸太郎が駆け寄ろうとするのを鈴鹿は止めた。
幸太郎は今度こそ御門を
「またね、幸太郎」
「鈴鹿ァ!帰ったら覚えておけよ!あのガキ、何にも変わってないじゃないか!」
「私の弟だもの。少しは仲良くしてあげたらいいのに」
「
御門に髪を引っ張られながら夜の街に消えていく姉。
ヒステリックに喚き散らす御門に我慢の限界だったが、今の幸太郎はただ背を向けて逃げ出すことしかできなかった。
家。
古い洋館で幼い姉弟が育った、思い出ある場所。
その思い出のほとんどを占めるのは血みどろなそれで思い出して楽しいことなど、姉との思い出を除けば、ほとんどなかった。
今の駆け出してまで逃げている自分を、十幸太郎を笑うだろうか。
哀れな少年だと、自分の罪と向き合えない腰抜けだと笑うだろうか。
藤本明は最愛の姉と姉の恋人を殺したことを責めるだろうか。
優しくお人好しで騙されやすい、そんな男にはきっと見捨てられてもおかしくないだろうなんて。
いつのまにか、幸太郎はよく明と行くラーメン屋の前にやってきていた。
脂が浮かぶほど濃い
シメにライスを入れるのも良い、そんな最後の一口まで楽しめる自慢の一品。
時間は午後九時を示し、既に閉店している。
すっかり夕飯を口にするのを忘れていたことを昆虫の姿から人間の姿へと変異し、思い出す。
「あれ?幸太郎じゃん。……って、どうしたんだよ!?そのカッコ!」
そんな幸太郎に明るく声をかける人影があった。
「お前、本当にタイミング良いな」
ビニール袋を提げ、流行り物のオシャレなブランドのシャツにジャージ姿の親友は眩しい笑顔を幸太郎に見せている。
思わず、幸太郎はいつかの明の言葉を真似して返した。
「お互いにだろ?幸太郎!」