恋する乙女は無敵である。
たとえそれが、親への反抗であり、種族の存亡を脅かす反逆であっても——ヘレナの心はすでに炎のように燃えていた。
夕陽が沈んだ後の呑み処あかねの裏手、薄暗い路地裏。明とヘレナは手を繋いだまま、店へと戻ろうとしていた。ヘレナの指は熱く、明の掌に絡みつくように強く握られていた。
「明くん……これから、ずっと一緒に」
ヘレナの青い瞳が潤み、甘く微笑む。その瞬間——
「待ちなさい」
冷たく、しかし美しく響く声が、二人の間に割り込んだ。
路地の奥から現れたのは、ヘレナに瓜二つの女性だった。
同じ金髪、同じコーカソイド系の完璧な美貌。ただし、年輪の深さと威厳が違う。黒と金の豪奢なドレスを纏い、背後には数名の銀髪の戦士を従えていた。
ビーズ星人の女王——ヘレナの母。
「お母さま……!」
ヘレナが息を呑む。明は即座にヘレナを背後に庇い、構えた。エメラルドグリーンの瞳に警戒の色が宿る。
女王はゆっくりと歩み寄り、娘を冷ややかに見下ろした。
「ヘレナ。愚かな子。恋する乙女は無敵だと? 馬鹿げているわ。あなたは王女よ。種族の未来を背負う身が、一介の地球の少年に狂うなど……許されざること」
女王の視線が明に移る。そこには複雑な感情——憎悪と、懐かしさと、嫉妬が渦巻いていた。
「芳乃の息子……。ようやく手に入れたと思ったのに。辰五郎の血を引くブレイズマンを、私の娘から奪うはずだったのに」
明は眉を寄せ、静かに言った。
「俺は女将さんの息子じゃねえ。血は繋がってねえよ。ただの養子だ」
その言葉に、女王の唇がゆっくりと歪んだ。勝ち誇ったような、残酷な笑み。
「ふふ……ふふふっ! そうでしょうとも。小野寺辰五郎は私を捨てた。子供を作れない女を選んだ報いよ。あの男は結局、子を残せなかった。芳乃が不妊だったからこそ、私の誘惑を拒んだというのに……嘲笑いたくなるわ」
女王が指を鳴らすと、路地の奥から召使いが現れた。
そこに引きずり出されたのは——小野寺芳乃だった。エプロン姿のまま、手を後ろで縛られ、口に布を噛まされている。髪は乱れ、頰に薄い傷があったが、目はまだ力強く輝いていた。
「女将さん!」
明の声が鋭く響く。芳乃は明を見て、必死に首を振った。
女王は芳乃の顎を掴み、強引に顔を上げさせた。
「この女を人質に取ったわ。お前の母親を殺さない代わりに、ビーズ星人の伴侶になれ、藤本明。ヘレナを選べば、この女の命は保証しよう。拒めば……今ここで嬲り殺す」
ヘレナが震える声で叫んだ。
「お母さま!やめて! 明は……明は私のものよ!」
女王は娘を振り返り、冷笑した。
「黙りなさい、ヘレナ。ビーズ星人は種族で伴侶を愛する——確かにそうね。でも、それは地球人類を喰らい尽くし、滅ぼした後の話。あなたはそれを忘れたの? 我々は侵略者よ。この星の資源と遺伝子を吸い尽くすために来たのに……一人の少年に惑わされるなど、出来損ない!」
女王の体から黒金のオーラが爆発した。ヘレナの体が強制的に浮き上がり、苦痛の叫びを上げる。
次の瞬間、ヘレナの姿が怪物化する。蜂を思わせる外骨格、金と黒の甲殻、複眼と鋭い尾。だが、強制的に変えられたその姿は不安定で、痛々しく痙攣していた。
「見なさい、この出来損ないの姿を! 王女の誇りを捨てた罰よ!」
芳乃が布を噛み破り、叫んだ。
「ヘレナちゃんに手を出すんじゃないよ!あんたみたいな冷たい母親が、よくも娘を……!」
芳乃が女王にくってかかるが、女王の召使いの一人が即座に芳乃の首を締め上げる。芳乃の顔が苦痛に歪む。息が詰まり、足が宙に浮く。
「う……ぐっ……!」
明の体に炎が灯りかけたその時、芳乃は必死に声を絞り出した。
「明……!あたしの息子なら、戦え!明……!」
その言葉が、明の胸に深く突き刺さった。血の繋がりはなくても、芳乃は自分を「息子」と呼んだ。辰五郎の遺志を継ぎ、守るべき家族として。
明のエメラルドグリーンの瞳が、激しく輝いた。ブレイズマンの炎が全身を包む。
「
路地裏が戦場と化した。明の炎が夜を照らす。女王の召使いたちが一斉に攻撃を仕掛ける。光のビームとエネルギーの刃。明はそれを炎の壁で受け止め、反撃する。拳に炎を纏い、一人を吹き飛ばす。
ヘレナは怪物化したまま、苦しみながらも明を守ろうと動いた。尾で召使いの一人を薙ぎ払う。
「明くん……ごめんなさい……私は、あなたと地球で生きるって決めたの……!」
女王の顔が怒りに染まる。
「ヘレナ! 裏切り者!」
女王自身も変身を始めた。ヘレナより巨大で、禍々しい蜂の怪物。翅を広げ、強力なフェロモンとエネルギーを放つ。芳乃を締め上げていた召使いがさらに力を込める。芳乃の意識が薄れていく。
明は叫びながら突進した。炎の拳が女王の防御を抉る。
「おやっさんの選択は間違ってなかった! 俺も同じだ! 血じゃねえ、心で家族なんだよ!」
激しい攻防が続く。明の炎が路地を焼き、ビーズ星人のエネルギー波が地面を抉る。ヘレナは母の攻撃から明を庇い、傷つきながらも戦う。恋する乙女の力——それは種族の掟すら超えようとしていた。
ナナマチが駆けつける。幸太郎も到着し、無表情ながら的確に援護射撃を行う。十幸太郎の隠された力——冷静な分析と、微かな特殊能力が明を支える。
芳乃は意識を失いかけながらも、明の背中を見つめていた。辰五郎の面影と重なる少年。自分の選んだ男の血を引かないのに、心は確かに息子だった。
「戦え……明……」
女王の嘲笑が響く。
「辰五郎と同じ愚か者ね。こんなバカなごときに囚われて……!」
「かあさんの息子だからな!悪いか!」
しかし、明の炎はますます強くなった。ヘレナの怪物化した手が、明の肩に触れる。二人の力が共鳴する。
「ヘレナ、一緒に戦おう。地球で、俺の側で」
「……ええ、明くん!」
ヘレナの複眼に、決意の光が宿る。女王の攻撃を跳ね返し、反撃の針を放つ。
戦いは激化し、路地は瓦礫の山と化した。女王は徐々に押されていく。恋する娘と、ブレイズマンの炎——予想外の抵抗だった。
遠くで、ビーズ星の艦隊が地球圏に接近する気配を感じる。運命の時は、確かに迫っていた。
だが、今この瞬間、明は家族と、恋する少女と共に戦う。
芳乃の言葉が、明の胸を熱くする。
「母さんの息子なら……」
藤本明は、決して屈しない。
炎が夜空を焦がす中、恋する乙女の反逆は、種族の運命すら変えようとしていた
明の右ストレートに炎が螺旋を描き、女王の胸部甲殻を抉る。女王が後退し、翅を羽ばたかせて距離を取る。
「この程度で……!」
女王が放つ最大出力のエネルギー波。明はそれを両手で受け止め、炎を最大限に解放。押し返す。汗と血が混じり、制服はボロボロだ。ヘレナが横から突撃し、尾の針で女王の翅を一本引き裂く。
「お母さま!もうやめて! 私は地球を選ぶ!」
「裏切り者め……!」
召使いの一人が芳乃をさらに締め上げる。芳乃の唇から血が滴る。ナナマチが影から飛び出し、ヤドリギの力で召使いの影を操り、芳乃を解放させる。
「女将さん! 大丈夫ですか!?」
芳乃は咳き込みながら立ち上がり、明に向かって叫んだ。
「明! あんたは強い!あの人みたいに、誰かを守る男になりなさい!」
その声が、明の背中を押す。幸太郎が無言で明の横に並び、冷静に敵の弱点を指摘する。
「右肩だ、明。そこが隙」
明の拳が炸裂。女王の右肩が陥没する。
戦いはまだ終わらない。ビーズ星の増援が近づく気配。だが、明の瞳は燃えていた。ヘレナは怪物化したまま、明の隣で微笑むような表情を浮かべる。
恋する乙女は無敵——その言葉は、決して嘘ではなかった。
明は深く息を吸い、叫ぶ。
「俺は、俺の家族を守る! ヘレナ、お前もだ!」
炎がさらに高く舞い上がる。