プリエ・エトワールの絶望~愚民と愚民政策~ビッグデータの完成~   作:プリエ・エトワール

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 今回のお話は、前回に語り切れなかった奥羽越列藩同盟の実情、及び、この時代を代表する徳川方の人物二人にスポットライトを当てます。

 また、当時、身の程知らずの愚民と化していた東北諸藩の上層部、彼等に翻弄された東国、および蝦夷地のことを語ります。

 機動戦士ガンダムを使い現実世界の愚民や愚民政策を語る話は、こちらが終わった後でやることにしました。

 さて。

 一国の宰相や、その部下として国家を守護する立場ならば、自身の立身出世や保身を第一に考えてはならない。

 宰相として、武士として考えるべきは、国家の行く末である。

 まず、この大前提を心に刻みつけてから、これから後の話をお読みください。





愚者は土方歳三と奥羽越列藩同盟を好み、賢者は徳川慶喜の行動に敬意を表す

 時に幕末から明治初期にかけて、日本には土方歳三と徳川慶喜という人物がいました。

 

 一方は薬売りから侍に成り上り、京都で新選組副長なって世に出た身の上。大政奉還後は、賊軍の将の一人として各地を転戦、敗走の後、蝦夷地に赴き、蝦夷政府陸軍奉行並となり、函館戦争で戦死した人物です。

 世間一般では、自軍が不利な戦況でも最後まで戦い抜いた勇将と評価されています。

 

 もう一方と言えば、江戸幕府の第十五代将軍で、あえて大政奉還を受け入れ、官軍との無駄な戦闘を避けた人物。その後、官位剝奪、謹慎の後、明治の世になって貴族院議員の一人となった人物です。

 

 世間一般では、卑怯者であるとも、理性ある知将との評価されています。

 

 今回は、この朝廷、官軍に対し、対照的な行動に出た人物の行動を通じ、この時代の愚民、愚民政策を語ろうと思います。

 

 

 結論から語りますが、正直、土方歳三の世間一般の評価はあまりにも捏造が酷いとしか言いようがありません。

 

 現実の彼は残念ながら、勇将などではなく酷い売国奴だったからです。

 

 なぜなら、本土での敗走の途中、プロイセンと秘密条約を結び、蝦夷地を外国と共同統治しようとしていた奥羽越列藩同盟と、かかわり合いになってしまったからです。

 

「うん、酷い話なのです」

 

 絶望の表情を浮かべ、プリエ・エトワールは呟く。

 

 キーボードで文字を打ち込んでいて、自分で自分が打ち込んだ文章の羅列に嫌気が刺したのだ。反吐が出そう。

 

 なぜ、こんなにも東北の連中はお馬鹿なんだ。少しは自重自戒しろよと。

 

 東北の貧農の小倅と言い、東北の連中って、天下国家に迷惑かけすぎじゃね?と。

 

 「奥羽越列藩同盟が売国奴になった経緯を説明します」

 

 当時、列藩同盟の敵である朝廷側の官軍は、イギリスとの実質的な軍事同盟により、最新式の装備を有していました。

 

 その強力な装備を有効に使い、官軍は旧幕府軍相手に勝利を重ねていたのです。

 

 そのため、新たに東北諸藩と連携し一大勢力を築いた列藩同盟側は、官軍に対抗するべく、何とか最新式の装備を手に入れなければなりませんでした。

 

 そんな奥羽越列藩同盟に近付いてきた海外勢力がプロイセンでした。

 

 当時、朝廷と協力関係にあったイギリスの大使は、それぞれの自国民の保護を理由とし列強各国を誘導。日本の内戦には介入しないよう各国に中立化を宣言させていました。

 

 イギリスはそうすることで、どこの外国政府も大っぴらに列藩同盟に軍事援助できないようにしていました。ナイスフォローです。

 

 しかし、蝦夷地の気候風土を密かに調べさせ、本国の気候とよく似ていると知った当時のプロイセン宰相ビスマルクは、奥羽越列藩同盟への軍事支援を決断。蝦夷の植民地化に乗り出したのです。

 

 蝦夷地を、列藩同盟とプロイセンによる共同統治とするべく、ビスマルクは自国の商人を利用し、手駒として動かします。

 

 プロイセンが中立宣言を無視し、列藩同盟へと直接軍事支援することはできませんが、一商人が列藩同盟に商品を売り渡すだけなら話は別です。

 

 中立宣言の穴を突いたプロイセン商人たちは、アメリカ南北戦争時の用済みになった多量の兵器を購入。それらを日本海側から運び込む手筈を整えました。

 

 そんなビスマルクの策略に、奥羽越列藩同盟は渡りに船と飛び付き、蝦夷地の共同統治の条約文書に署名してしまいます。

 

 これが、奥羽越列藩同盟、ならびに土方歳三の売国奴化の経緯です。

 

 当時の土方歳三個人の思いはどうあれ、彼等がプロイセンから最新の兵器を購入し、導入したことは事実ですし、奥羽越列藩同盟が条約文書に署名してしまったことも事実です。

 

 これらの証拠は、明確極まりない彼等の売国の証拠であり、その評価を覆すことは不可能です。

 

 その情報のソースは?と聞かれた時のため、念を入れて記入しておきますが、実際に現代のプロイセン地方にあるドイツ国立図書館に、その資料が現存し所蔵されているのです。

 

 そのため、この事実をだれもフェイクだと断ずることはできません。

 

 その後、奥羽越列藩同盟は久保田(秋田)藩の離反などもあり激戦の末に新政府軍に降伏しますが、土方歳三は蝦夷地に逃亡。

 

 売国奴となってその後も、正しく外国製の兵器頼みの賊軍として活動を続けます。

 

 ここまでの経緯を知って、なぜ、慶喜公が自分の保身に走らず、官軍に対して恭順の意を示したのか、すでにお気づきの方もおりましょう。

 

 日本が朝廷と幕府側に真っ二つに割れて弱体化してしまえば、外国勢力が日本の植民地化を目指して蠢動し始めるからに他なりません。

 

 所詮、薬売りの倅でしかなく、武士となっても国家を論ずるにたる教養を持てなかった土方歳三と違い、慶喜公は内戦に突入した日本という国家の行き先が見えていたのです。

 

 だからこそ、慶喜公は朝廷側に率先して恭順の意を示しました。

 

 たとえ自分が卑怯者扱いされる結果となろうとも、守るべき国家の守護を優先したということです。

 

 為政者は、時にそういう決断をとる必要もある訳です。

 

 

 そんな慶喜公に比べて、当時の列藩同盟上層部の者たちは、世界情勢をまったく理解できていなかった。

 

 

 もう、武士が国を支配する時代じゃないということも、足利尊氏のように皇室の血筋を祭り上げてお飾りにする時代ではないということも、当時の賊軍指導者たちは理解していませんでした。

 

 頭の良かった東北出身者たちは、そんな奥羽越列藩同盟の実情に気付き、同盟に加わることなく早々に逃げ出しのでしょう。

 

 今さら南北朝のように、中央とは別の朝廷を立てるなんて無茶だ。

 

 そう上役たちに直言することも無駄と感じて。

 

 哀しいかな、そういった時代遅れの連中に、成り行きで付き合ってしまった土方歳三と新選組の生き残りたちもまた、残念ながら愚民的指導者に与した愚民でしかありませんでした。

 

 そもそも、この時点で江戸徳川幕府は存在せず、新選組も同様に存在していませんでした。

 

 そういったないものに義理立てしても、それは自己満足でしかありません。

 

 過去ではなく未来に向かい生きる。

 

 それが人間の、いえ、少しでも政治にかかわった武士の生きる道であったのです。

 

 東北諸藩の保守派の愚昧な実態を知ってか知らずか、朝廷側の長州と薩摩は、わざと東北諸藩を怒らせるような密書を用意し、東北諸藩側が決起するように仕向け、早期に東北諸藩を壊滅させる策謀を実行しました。

 

 下手に売国奴となる勢力を生かしておけば、後々、平定するために多大な労力を必要とします。

 

 官軍の東北侵攻は、そのように状況が悪くなる前に国家の敵となり得るものを撃ち滅ぼす、事前の策だったのでしょう。

 

 

 

 補足

 

 昔の時代劇で列藩同盟に与した某藩の家老が、どこから持ってきたのかガトリング砲を官軍に対し発砲しているシーンがありました。あれは、上記の経緯で列藩同盟が手に入れた品だったのでしょう。




 三度、読んでくれた方ありがとうございます。
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